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姿なき声・2

 泥水を吸った服に体温を奪われて、じっとしていると震えが止まらないほど身体が冷えているし、何よりこれ以上みんなのいる小屋から離れるのは危険だ。


「ごめんね。もうこれ以上は無理だわ」


 そう言って踵を返したリリアの視線のずっと先で、不意に光が揺らめくのが見えて、それと同時に、ヴァンのものと思われる怒鳴り声が耳に届いた。

 言葉は聞き取れない。


 けれど不機嫌極まりない怒鳴り声が、涙が出るほど嬉しかった。紛れも無く鼓膜に響いてくる声に、言い知れない安堵を覚えて、リリアは小走りで明かりを目指した。


「こ、ここです。ヴァンさん!」


 声に反応するように、灯火がリリアの方へと向けられる。


 霧雨のせいで距離が掴み難くなっていたようで、思うほど遠くまでは行っていなかったようだ。

 ヴァンの姿は、ほんの少し進んだだけではっきりと認識できるほどの所にあった。


 気が急いてまろぶように駆け寄るリリアを、憤怒の形相のヴァンが待ち構えている。


「お前ぇは……どこほっつき歩いてやがった!」

「ごめんなさい。ちょっと……用を足しに出たら道が分からなくなってしまって……」

 

 リリアはとっさに思いついた嘘を口にした。


 先ほどの出来事を正直に話せば、身体を襲った異変のことも話さなければならなくなる。

 万が一病気だったりしたら、きっと実家に突き返されてしまうだろう。

 それだけは絶対に避けなければならないと思ったのだ。


 額や頬に張り付いた髪の毛を後ろへ撫で付けながら、リリアはちらりとヴァンを盗み見た。

 ランプの灯火に浮かび上がるヴァンの表情は険しく、眼光を鋭くしてリリア見ていたが、「まあ良い。次からは気ぃつけろ」それだけ言うと、小屋へと引き返していった。

 


 横になって漫然と炎を見つめながら、リリアはあの不可思議な声のことを考えていた。

 落ち着いて考えてみればみるほど、不思議で仕方がない。

 身体はこっそり調べてみたけれど、膝頭の擦り傷以外には目立った外傷もなかった。


(幻聴が聞こえて時々激痛を感じる病なんていうのもあるのかしらね?)


 朝になったらもう一度あの小屋を見に行ってみようかしら、などと考えていると、隣で横になっていたジュリアが身じろぎをして、むっくりと起き上がった。


「どうした? 小便か?」

「はい」

「あんまり小屋から離れんじゃねえぞ?」

「はい」 


 抑揚のないジュリアの声を遠いところで聞きながら、リリアは瞳を閉じた。


 雨も止み風もない森は本当に静かだ。この森は虫の音さえも聞こえない。

 薪の爆ぜる音がなければ、静か過ぎてかえって落ち着かないくらいだろう。


 そんな静寂を引き裂くように、突如、奇妙な叫び声が耳に飛び込んできた。


「どうしたっ!!」


 叫びながらヴァンが跳ね起き、リリアとアラベルも慌てて上体を起こした。


「ヴァンさん? ……今の声……まさか?」

「お前ぇらはここに居ろ」


 そう言い置いて、ヴァンはランプに火を灯して小屋を跳び出して行った。


 残されたリリアとアラベルは顔を見合わせて、それからどちらからともなく外に眼をやる。


「さっきの……ジュリアさんの悲鳴ですよね?」


 嫌な胸騒ぎを覚える。動悸が激しくなり、暑い訳ではないのに背筋を汗が伝い落ちる。


 リリアは胸を押さえて苦しげな喘ぎを繰り返した。


(もしかしたらジュリアさんも、あの変な声に誘われているんじゃないかしら?)


 そう思うと、いても立っても居られずにリリアは薪を手に取った。


 先ほどの自分のように、ジュリアも炎を眼にしたら、きっと安堵するだろうと思ったのだ。


「何するの?」

 

小屋の出入口へ向うリリアを見てアラベルが眼を丸くする。


「これを持って外にいたら目印になりますから」

「でも、ここに居ろって言われたじゃない」

「大丈夫です。小屋からは離れませんから」

 

 言いながらリリアの身体はもう穴をくぐりかけている。

 アラベルもそれ以上何も言わなかった。



 どれくらい経っただろうか? 

 時間にすればたいして経ってはいないのかもしれない。

 

 それを裏付けるように、リリアの持っている薪はそれほど短くもなっていない。

 

 けれど、心細い思いでヴァンとジュリアの帰りを待ちわびる二人にとっては、とてもとても長い時間にも思える頃。木立を縫って明かりが揺れるのが一瞬だけ瞳に映った。

 それほど遠いところではなさそうだ。

 

「ヴァンさん?」


 光った辺りに眼を凝らしながら呼びかけるが返事はない。


 リリアは入口のところに座り込んで、同じく外に眼を凝らしていたアラベルと顔を見合わせる。


「アラベルさん。今の?」

「うん。光が見えたね?」


 やはり見間違いではなさそうだ。


 けれど、何度呼びかけても、声を張り上げても返事は返ってこない。


「どうしたのかしら……」


 二人はしばらく顔を見合わせていたが、やがてアラベルが訝しげに眉をひそめた。


「ねえ、何か音がしない?」


 耳を澄ますと。確かに音が聞こえた。


「そうですね……何の音かしら?」


 枝の擦れる音に混じって聞こえるそれは――


「アラベルさん。あたし……ちょっと見てきます」


 ヴァンの言いつけを破ることになるが、このままじっと待っているのは堪らない。


「あ……あたしはここに居ていい?」


 四つん這いになって顔だけを外に出していたアラベルは、不安げに揺れる瞳でリリアを見上げている。


「もちろんです。アラベルさんはここで火の番をお願いしますね」


 リリアはまだ少し湿っているコートに袖を通して、先ほど明かりの見えた辺りへと向った。


 声を張り上げて二人の名を交互に叫びながら、音を頼りに足を進めた。


 だんだんと鮮明に聞こえだす。ぬかるんだ道を歩く足音のような湿った音と、もう一つ、硬質な何かを噛み砕くような音がする。


(噛み砕く……ような?)


 ドクン。と鼓動が高鳴った。


 体中の血液が一瞬で足許へと下りる気がした。

 全身が総毛立ち、がくがくと膝が笑い出す。


(まさか……まさか……)


 物語のような出来事が実際に起こるわけない。

 そう胸に言い聞かせながら足を進めた。


 暗い茂みの奥にほのかな明かりが見え隠れする。薪を持つのと反対の手で、胸元の護符を握り締めながらそっと歩み寄ると、木の根元に転がったランプが、心細げに揺らぐ小さな炎を灯していた。


 駆け寄ってランプを拾い上げようとしたリリアは、しかし次の瞬間、瞠目して息を飲んだ。


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