第五十八話 「死闘の末に」
集団戦の時には、防御を考えてはいけないと思っている。
人は魔法を使わない限り、攻撃の手段は両手両足の4つ。頭も入れれば5つか。
しかし、集団戦になった時、多勢対無勢の時、その限りではない。もちろん、多勢側が、だ。
相手の攻撃の数はほぼ無限。いや、ちゃんと限りはあるが、捌く側にとっては数えられないから無限だ。
ゆえに、相手に攻撃をさせてはいけない。防御ではなく、回避を最優先させる。それでもダメなときは多くいる相手を盾に使えばいい。
加え、相手は大技を使えない。敵の数が少ないと、技の威力が高すぎて味方にも被害が出るからだ。
それが集団対個人の戦いだと、俺は思っている。そして数千対3の場合だって変わらないはずだ。
だが、さすがに数が多すぎる。倒しても倒しても数が一向に減る気配がない。
「おいシルヴィア! 何人倒したよ!?」
「五百から数えておらん! 貴様は!?」
「ハナから数えてねえ! イズモ、捕まってねえよな!?」
「つ、捕まってません!」
シルヴィアは必死だが息切れはなく、イズモはかなり疲れが現れている。それでも全員生存確認できた。
しかしこのままではらちが明かない。いったん退くしかないか。
そう考えていると、後ろへの警戒が疎かになり、教徒が振るってきた杖が頭をとらえた。
「痛ッてぇ……! くそ!」
振り向き様に、杖を振り切った教徒に回し蹴りを与える。
頭から血が流れてくる。今までにつくった傷も含めれば、結構な血が流れたかもしれない。
まだ意識はしっかりしているし、今のうちに行動に移した方がいいだろう。
身を一気に低くすると、声が聞こえてきた方へと駆け抜ける。
先にイズモ、次にシルヴィアを両腕に抱える。
「【クラックアース】」
魔法とともに、地面がめくり上がり教徒どもの間に一本の抜け道を作り上げる。
そこを駆け抜け、何とか戦線離脱に成功する。
黒神教徒から十分距離を取ったところで、抱えていた二人を下ろして座り込む。
「疲れた……」
数千対3は無謀過ぎた。いや、魔導が使えれば状況をひっくり返すこともできた。
だが、魔導にそんな気絶で済むような都合のいい威力のものはない。魔導に込める魔力量で威力を弄ることはできるが、そもそもの威力が高すぎるのだ。
二人に目を向けてみるが、二人とも荒い息を吐いていた。
「き、貴様……あれはなんだ? 魔術か?」
「魔法だ」
「……ありえん。あんな規模の魔法、訊いたこともない」
「だが事実だ。魔法でも命令式の複雑化と込める魔力量で魔導にも匹敵する。もう疲れたから話しさせんな」
シルヴィアの視線がイズモへと向くが、イズモは俺の言葉に頷いている。
その場に寝転がろうとするが、今度はイズモが問いかけてきた。
「マスター、教徒たちはどうですか?」
言われ、魔眼で先ほどまでの戦闘地を見る。
「……行軍開始した。数は半分には減ったけど。これはあれだな。特攻だな」
死すら辞さない、って感じだろうか。
別にそこまでの鬼気迫るものがあるわけではないが、それでも冒険者兵士二千に対してただの教徒ども三千弱じゃ勝てる見込みはない。
だからこそ、あれだけ多くの教徒を派遣したんだろうけど……。
それにしても馬頭は一体どうしたのだろうか。もう往復してきてもいい時間は経過していると思うのだが……。
「貴様、どうやって見ているのだ?」
シルヴィアが、見えもしない教徒の動向を知る俺を怪訝そうに見てくる。
……まだ魔眼について教えるべきではない。教えるならば、フェニキスなどの魔獣についても同時に話す必要がありそうだし。
「あー……また今度教えてやる。それより休め。このペースじゃ、足止めにもなってない」
教徒の行軍スピードは速くなっている。疲弊しているはずなのに、不気味なほど足並みがそろっている。
体を休めようと寝転がると、後頭部に激痛が走った。
思わず飛び起きてその個所を触ると、手が真っ赤に染まった。
……そういや、逃げる前に殴られたんだっけ。ここ以外は、戦闘中に一応回復魔法で傷口だけ塞いだんだが。
「マスター!」
「騒ぐな。回復魔法で治る」
手にべったりとついた血に、イズモが驚いて声をあげてくる。
俺は手早く傷口を塞ぎ、水魔法で手を洗って横になろうと手をつく。
「……面倒臭い」
ついた手を離して立ち上がり、あたりを警戒する。
「どうしたんですか?」
「魔物。数が多い」
これはもう、いったんモデストに帰った方が賢明なんじゃないかな。
……どうやら取り囲まれてしまったらしい。帰るのにも一苦労しそうだ。
周りにいるのはゴブリンを始め、コボルトなど比較的低級魔物だが、中にはオークなども含まれている。
「お前らは帰れ。こいつら、教徒にぶつけてくるわ」
「え、マスター?」
「シルヴィア、動けるな?」
「無論だ。……すぐに戻ってくる」
「頼むわ」
シルヴィアが、イズモが抵抗できないように抱え上げるとモデストに向かって突っ走る。
それに多くの性欲盛んな魔物が反応するが、土魔法などを使って足止め、すべて俺に注意を向ける。
周りの魔物数百。よくもまあここまでの大群に気付かなかったものだ。俺の責任だろう。
俺は休みを欲する体に鞭打ち、構える。
教徒にぶつけるなどは、できればの話だ。俺を囲む魔物は数百で、この包囲網を抜けるのは少々骨が折れる。
……もしかすれば、馬頭はこの大群を迂回したせいで遅れているのかもしれない。
だとすれば、教徒の方へは行かずに離れた方がいいだろう。そうすれば、冒険者兵士たちが教徒の方へ直接迎える。
しかし、こいつら。俺一人になったというのに敵愾心が剥き出しだ。フェニキスから伝わっていないのだろうか?
そういえば、フェニキスは魔物を束ねた魔物を従えているといったな。大陸を支配しているのは確か……ベリアルトか? あいつがフェニキスに従っていないのか。
でもスワッチロウは従ってたし……スワッチロウはフェニキスのいた森だから、直接従えていたのかもしれないな。
ベリアルトを個別にシメないといけないようだ。まったく、素直に従っておけばよいものを。
一度、肺の中の空気をすべて押し出すようにため息を吐き、顔をあげる。
今なら、俺を囲んでいる魔物の注意はもれなく俺へと向いている。今のうちに、できるだけ距離を稼ごう。
……まったく、次から次へと面倒事が、よくこんなに多く迷い込むものだな。
これも俺の、運命の干渉力だったら、俺は死んだ方が世界のためかもしれない。
――だからこそ、
「死なないんだけど」
嫌な相手に嫌がらせは、基本中の基本だ。
☆☆☆
「……血が足りない……」
思わず吸血鬼みたいなことを口走ってしまった。
だがしかし、それも仕方ないことである。
ロビントスとの会合に数時間待たされ、黒神教徒に無謀な挑戦をし、魔物に取り囲まれ、教徒と冒険者の邪魔にならないように逃げ、大体一日の四分の一くらいを過ごした。
この間……というか、黒神教徒と戦ってからこれまで、俺は休憩らしい休憩を取っていない。
そしてその間に受けた傷口からは当然血が流れ、それを補給する食事も休みもとっていないのだ。
血が足りないと言いたくもなる。
それでも、魔導を駆使して魔物を撃滅していたのだが、なんと初めて魔力総量の限界が見えてきた気がする。
おそらくあと数発の魔導を使えば、魔力枯渇が起こるかもしれない。
確定ではないが、予感めいたものがある。それは弄れる魔力量が減ったような感覚だったりだ。
さてここまでで俺が積み上げた魔物の屍は、10メートルをゆうに超える山がいくつも出来上がっている。
これはもう、暗黒大陸全土の魔物が集まってきているんじゃないかっていう疑いが沸いてくる。
まあ確かに、山一帯を治めていたラセンドラゴンがいなくなったなら、その魔物はきっと大陸を支配している魔物に従うのだろう。
ベリアルト許すまじ。魔導ぶち込んでやる。
なんて奮起もしてみたいところだが、それすらままならない。
こちらは魔導も使い、全力でもって対処しているというのに、魔物が減らないのだから。そうなれば自棄にもなる。
俺を囲む魔物は未だ百を超えている。だが百から減ることはない。魔物の数が減るとどこからか沸いて出てきて、補充するのだ。
これがすべてベリアルトの仕業だというのなら、随分と舐めた作戦を使ってきやがる。
「言葉の喋れねえ猿どもが、一丁前に作戦立てんじゃねえよ」
苦々しく吐き捨てる。
相手が人間じゃない分、どれだけ奇抜なことをやろうが相手に動揺など走らない。魔物は死ぬこと前提で動いている。
ゆえに隙などできるはずもないし、結局逃げ出すこともできずにいる。
シルヴィアは早く戻ってくるよう言ってくれたが、場所が全く違うので助っ人も期待できない。
さて困った。どうしようか。
ここで浮かぶ選択肢は二つ。
1.最後まで諦めずに頑張る。
2.諦めて潔く死ぬ。
究極の二択である。……いや、どっち選んでも結局死ぬじゃん。助っ人期待できないんだってのに。
ならば潔く死ぬか。そうだな、死のう。
……というのが、今までの俺であるのだが。
ここならイズモはいないし、誰にも邪魔されることもない。潔く死ぬことが可能だ。
が、まあ俺は偉そうに言ってしまっているわけだ。イズモを手助けすると。
その手助けがどこまでか、俺は国を取り返すところまでだが、行ってしまったなら守らなければいけない……ていうわけじゃないけど、守らないと塩まかれそうだ。
別に死んだあとのことを気にする必要はないだろう。だって俺はいないもの。
だが、頑張ってみるのも良いだろう。
最後の微かな希望を、頼ってみるのもまた一興、ってことで。
「ベリアルト殺す」
意識も朦朧としてきた今、それだけのために体を動かす。
フェニキスには悪いが、もう無理だ。殺す。ベリアルト殺す。
魔王の再臨とまで呼ばれた俺に、喧嘩売るとはいい度胸だ。その度胸、死をもって評価してやる。
ベリアルトの居場所は大体割れている。
魔物に指揮系統があるのかどうかは知らないが、最初から終始眺めているだけのデーモン系の魔物が一匹いる。
そいつはずっと遠巻きに眺め、俺が一息を吐くと襲いかかってきて、その攻撃を凌ぐとまたどこかに姿を消す。
姿は消すが、魔眼のある俺にかくれんぼなど無意味。すでに捕捉済みだ。ベリアルトは巨体のため、隠れる場所も限定されてくる。
奴に気付かれないよう、居場所に注意を向ける。
ゴブリンが襲いかかってくるが、ストーンエッジで頭蓋を砕く。
身体強化を施し、身をかがめる。
オークが棍棒を振り上げてくるが、それよりも早く跳ぶ。
目指す先は一番幹の太い大木。目標は、その裏側。
そして魔眼に映る、ベリアルトの微妙な表情の変化。それはきっと、驚愕でいいだろう。
完全に虚を突いた。そしてこの時のために魔力を残していた。
大木に手をかざし、久しぶりに詠唱から入る。
「闇より這い出る混沌よ、その力を振るう愚者は我なり。
地獄より出獄炎よ、我が呼び声に応え、今ここに顕現せよ。
命を刈り取り、屍を喰らい、そのすべてを糧とせよ。
天を焦がし、地を舐めつくし、残るは我唯一人。
この世の全てを、燃やし尽くせ。【タワーリングインフェルノ】」
かざした手から、黒い炎が噴きだす。
「焼け散れ、クソッタレ」
黒い炎は大木を飲みこみ、その裏にいるベリアルトも飲みこむ。
魔眼にはベリアルトが燃え盛る様子を映している。が――、
「……もうホント死ね」
呪詛のようにつぶやく。
視点を変えた俺の魔眼に映るのは、背後に迫りくる――もう一体のベリアルト。
その意味は、
「影武者とか、マジで人間臭ぇな」
それしか考えられなかった。
俺が燃やしたのは質量をもった分身? 俺が強力な魔物を見誤った? ベリアルトの方が、俺より一枚上手?
虫唾が走る考えが脳内に浮かんでは消えていく。
消える。そう、消える。考えるのを放棄するように、消える。
最後の悪あがきは失敗に終わり、防御できる態勢でもなく、できたところで魔物の力ではひとたまりもなく、魔導を放つ魔力も残っていない。
一体、どうしてここから逆転ができようか――?
「――お前、勝手についてきてたのかよ」
「アレイスターに頼まれて、な」
「今度ドラゴンの肉奢るわ」
「それはありがたい」
意識が途切れる寸前、魔眼に映ったのは、ベリアルトを一刀両断したシグレットだった。
☆☆☆
目を覚ますと、視界が揺れていた。
それに合わせて体も揺れる。
「……この年でおんぶとか、想像もできなかった」
「起きたか?」
目の前には黒い髪に色黒の肌。
俺は今、シグレットに背負われて森の中を抜けている最中だった。
「悪い、もうちょっとこのままで」
「構わん。……食うか?」
「いただく」
ひどい虚脱感と倦怠感に襲われ、立つこともできそうにない。
魔力の極限までの喪失と、加えて空腹だろうか。
シグレットが差し出してきたマンガ肉みたいな肉を受け取り、少しずつ食べる。
……あんまりおいしくない。筋っぽいというか、硬いというか。
「まさかデーモンの?」
「オレが斬った魔物だ。うまいか?」
「まずい」
「そうか」
おいまさか俺を実験体にしたのか? 今ちょっと安堵した表情浮かべなかったか?
……今はそんなことをつつく気にもなれない。
まずいがそれでも食べないよりはマシなので、なんとか食べ終えて骨をそこらに投げ捨てる。
「さて、シグレット。いくつか聞きたいことがあるんだが」
「……わかっている」
「まず、俺の目をどうやって凌いでいた?」
「このマントと指輪だ」
シグレットは言いながら纏っているマントと指にはめている指輪を示す。
「……透明マント?」
「迷宮道具らしい。かつてはカラレア神国の王が宝物庫にしまわれていたもので、クーデターがあった際に取っていたらしい」
「泥棒かよ」
「そうなるな。効果は、纏った者の存在感を著しく低下させ、人に感知されなくなる」
「……幻の6人目」
「それと、指輪は魔力などの流れを隠すものだ」
はぁ、そのせいで俺の魔眼にも映らなかったのか。魔力と存在感を消されりゃ、俺にだって見えんわ。
それにしても透明マントじゃないのか。ちょっと期待外れだが、それでもなかなかの効果があるな。
「だが、この二つはどちらも魔力総量が多すぎると使えない。オレは魔人族の中でも特に少なく、ゆえにオレにしか使えない」
「なるほど。ちょっとうらやましいな」
「改良された魔法道具なら、ある程度の魔力総量の持ち主でも使えるが、現物ほどの効果はない」
どちらにせよ、俺には使えないな。
世界一の魔力総量だ、ある程度の許容範囲外だろう。
「アレイスターに、極限まで絶対に出るなといわれていてな。お前が一人になっても、出るか迷ったせいであんな登場になってしまった」
「……何、嫌味? 超かっこよかったけど?」
もう漫画ならベストタイミングだったね。たぶんシグレットの登場で一回切るくらいには。
しかし、アレイスターはあくまで俺たちにロビントスの説得をさせるつもりなのか。まあ、シグレットではイズモが正統後継者である証明を強めるだけなのだが。
シグレットの背中に乗って揺られること数十分、ようやく森が開けてきた。
抜けた先は街道で、魔物に取り囲まれたのに気付いた場所だ。
そこにはシルヴィアに加え、なぜか大勢の冒険者もいた。
シルヴィアは森から出てきた俺とシグレットを見ると、目を丸くしながら近づいてきた。
「なぜここにシグレットが……?」
「その説明は後だ。それより、この冒険者はなんだ? 俺を討伐に来たのか?」
「そんなことするか。……彼らは、イズモ様の勢力だ」
「……へぇ。後でイズモを褒めとけ」
馬頭がうまくやったのか、それともイズモが決め手を打ったのか。
どちらにせよ、今はとても疲れている。さっさと休みたいところだ。
「自分で言えばいいだろう?」
「俺は腹が減って眠い。だから、明日になったらな」
「……イズモ様は」
「あーはいはい。起きたら訊くから、もう寝かせてくれ」
シルヴィアのお小言を無理矢理遮り、俺はシグレットの背に隠れる。
シルヴィアがため息を吐くのが聞こえ、シグレットまで苦笑するという珍しい光景。
だが、その直後に俺はまた気を失うように眠った。
☆☆☆
「マスターあああああああああ!!」
「はいッ!? ――って、うおぁッ」
耳元での絶叫に、飛び起きた俺はそのままベッドから転げ落ちた。
……ベッド? シグレットが運んでくれたのだろうか?
シグレットに改めてお礼言いにいかないとなーとか悠長なことを考えていると、俺を絶叫で起こしたイズモが目の前で睨んできていた。
その眼光に思わず後退りするが、下がった分だけ詰め寄ってくる。
「マスターはどうしてそうやっていつもいつも死にそうになって帰ってくるんですか? 一度死んだ方がいいんじゃないですか? 私たちがどれだけ心配したかわかっているんですか? どうして無茶をしたんですか?」
捲し立ててくるイズモから後退りをしていると、やがて壁に追い詰められてしまった。
だが、俺は今死にたいなんて思っていなければ、無茶をした自覚も特にない。最善を選んだ結果、死にかけて心配をかけただけだ。
大体あの状況では誰かが引き受けなければいけないような状況だったし、そうなれば生存率が一番高いのは俺であってこうして生存したわけで。
シルヴィアがいくら強いと言ってもあの数の魔物を相手にしたことはないだろうし、そもそもシルヴィアが残ればきっと18禁展開は免れなかっただろうわけで。
脳内に浮かび上がってくる回答を口に出す前に、イズモが瞳に涙を溜め始め、その様子に思わず顔が引きつる。
目は涙を浮かべているのに、口は怒っているように引き結ばれている。その様子は、写真に収めたい表情ではあるが。
だが、泣かせてしまったのは事実であり、やはり男が女を泣かせたときは潔く謝った方がいいのではないだろうか。イズモの泣いている原因は俺であるのだから。
「わ、悪かったよ。でもほら、い、生きてるし?」
が、なけなしのプライドが余計なひと言を付け加えてしまった。
「生きていれば万事解決じゃないんです。わかっているんですか?」
「あー、うん。わかってるわかってる」
「……マスター?」
「……悪かった。心配かけてごめん」
これから気を付ける、とは続けない。
やはり、危険な役回りは俺のすべきことであって、イズモやシルヴィアに任せるわけにはいかない。
……というのは建前で、あんなところに女を置いて逃げられるか。シグレットなら任すけどな。アレイスターはそもそもこんな場所には出てこないだろうし。
グレンあたりなら、やはり見捨てて一目散に逃げる。だってどうせ死にそうにないもの。
だけどイズモは違う。任せられない。
強くなったとはいえ、シルヴィアにも及ばないし、結果的に俺まで死にそうになった危険な場所は任せられない。
死んで欲しくないし、やるべきことがあるのだから。
イズモは顔を俺の胸に押し当て、表情を隠す。
そしてか細い声で言ってくる。
「今、マスターに死なれると後を追いそうです」
「堂々と言うな。お前は、するべきことがあるだろうが」
「……マスターがいないと、できる自信がありません」
俺はため息混じりにイズモの頭を撫でる。
「ああ、そうだ。冒険者、よく説得したな」
「マスターの手柄を横取りしたようなものです」
「元からお前の手柄だ。俺のも、シルヴィアのも」
最後にイズモをぽんぽんと撫で、立ち上がる。
椅子にかかっていたローブを羽織り、部屋から出る。イズモも俺についてくる。
部屋から出た先の廊下を歩き、出口に向かう。
俺が寝ていた場所はどうやら、冒険者ギルドの一室だったらしく、ギルドのカウンター側に出てきた。
冒険者ギルドのホールには多くの冒険者と、黒い修道服を着た黒神教徒がいた。
「もう大丈夫なのか?」
奥から出てきた俺に気付いたシグレットが、そう聞いてくる。
「大丈夫だろう。どれくらい寝てた?」
「三日ほどだ。ここはトルネの冒険者ギルドだ」
「奪還したのか」
「ああ。トルネの主力がモデストに向かっていたので、手薄になったところを取った」
俺の考えていた作戦と同じだな。うまくいって何よりだ。
「教主の居場所は訊いたか?」
「だんまりだ」
「そうか。……拷問でもかけてみようか」
「ダメです」
後ろからイズモに頭を叩かれた。
今の乱世じゃそれくらい許容してくれよ。思うように動けないんだから。
「じゃあ実行しないから脅そう。それで行こう」
「……えっと」
「よしッ、シグレット! 適当にひ弱な奴を数人、奥の部屋に連れてこい!」
イズモが判断を決めかねているうちに実行に移す。
精神的にダメージを与えるだけで、外傷を与えるつもりはない。素人の俺では、精神崩壊も起こすことはないだろう。魔導も使う気はない。
だから大丈夫だ、たぶん。
シグレットが早速捕らえていた黒神教徒に近づいていく。
その中から4人、ひょろい教徒を選んで引きずってくる。
「心配ならシルヴィアにでも監視させればいい」
「私じゃだめなんですか?」
「お子様には見せられないよ」
「……ちょっとマスター?」
実年齢で言えば、イズモはお子様ではないんだが。
気分の問題だ。イズモに見せたり聞かせたりするようなことではない。
イズモの視線から逃げるように、シグレットの選んだ教徒に近づく。
男性2人に女性1人、あとは外見からでは性別不明が一人だ。
ギルドの奥、仮眠室のような場所まで引きずって行き、イズモに言われて監視に来たシルヴィアを入れて扉を閉める。
部屋には教徒4人に、俺とシグレットとシルヴィアの7人。
「さァて、楽しみましょうか?」
「ホント良い笑顔をするな、貴様……」
※見せられないよ※
「教主は東部の中心あたりのフォーレインにいた。今はトルネをもう一度取るため、直々に出向いているらしい」
全員の集まるギルドのホールに戻り、そう告げる。
すると、イズモが真っ先に立ち上がった。
「……どうやって聞き出したんですか?」
「ヒミツ」
人差し指を目の前に持っていきながら告げる。
イズモに教えられるようなことではないが、簡単に言えばレビントスにやったように拷問のような何かを羅列したりだ。
イズモは俺に訊いても無駄だと判断し、一緒に出てきたシルヴィアに顔を向けた。
だが、向けた先のシルヴィアの顔は心なしかげんなりとしている。
イズモに視線を向けられていることに気付いたシルヴィアは首を軽く振って答える。
「確かに手はあげなかったが……よくもまぁ、あんなことが思いつくものだ。わたしでは到底真似できない」
「されたら困るわ。俺の専売特許を奪うんじゃない」
「だが、決め手はもっと違うものだと思う。最終手段だと言って、奴に部屋から追い出されたので詳しくはわからないが、怯えていた教徒の様子が百八十度変わったのだから」
シルヴィアには俺が何をしたかわからないだろうが、イズモにはわかったようでこちらを半目で見てくる。
「最初っからしていれば、もっと簡単に教えてくれていたのでは?」
「バッカそれじゃ楽しくないだろ」
「楽しまないでください!」
イズモが、頭痛がするように手で頭を押さえて軽く首を振る。
さて、教主様が近くまで来るんだ。出迎えてあげなきゃいけないよな。
そのための準備をしよう。それにロビントスとまだ話もしていないわけだし。
「いったい、何をしたのだ?」
俺がどうやって聞き出したのか、納得いかないといった様子のシルヴィアがきつめの口調で訊いてきた。
それに対し、俺は特に考えることもなく答える。
「別に。ただ、誰を信じるかを問い直しただけさ」
☆☆☆
「まずは礼を言うぞ、ロビントス」
対面に座るS級冒険者に、笑みを向けながらそういう。
今はイズモもシグレットもいない、二人だけの対談中である。
「……お前に何かを言われたからではない。これが、皆に頼られるおれの、考え得る、最善の、手、だったからだ」
「ククッ、それで結構」
噛んで含めるように、一言一言仰々しく切って伝えてくるロビントスに対し、笑みが強くなるのがわかる。
俺としては過程はどうでもいいのだ。結果が思い通りであれば、過程はすっ飛ばしていい。今は成長をしているわけではないのだから。
「さて、まず言っておきたいのは、イズモを連れていて欲しい。軍の指揮など、軍に関するその他諸々を教わってほしいからな。まあ、それには当然のようにシルヴィアが護衛としてつく。文句はないだろ?」
「ああ。おれたちはもう、イズモ王女の配下だ」
「良い心がけだ」
俺は一呼吸置き、本題に入る。
「さしあたっての問題である黒神教、この対処はこちらに任せてもらう」
「……勝算があるのか?」
「気になるならついてくればいい。軍は防衛線を張っておく。話し合いが失敗したとき、ついてきた奴は俺が責任もって全員を脱出させてみせるさ」
「そうだな……ついていこう。軍の方は、シグレットさんに任せる」
「それがいいだろうな。それと今、元国軍騎士団がこちらに向かっている。合わせれば、負けはしない」
「元から負けるつもりはない」
「いいね。そのどこから湧いてくるかわからない自信は、嫌いじゃない」
それはきっと、経験や実績に裏打ちされた自信であるから。微かな希望からくる自信よりも、信頼がおける。
だが、ロビントスは俺の言葉が気に食わないのか鼻息荒く腕を組んでしまう。
「まあいいけどね。イズモにそんな態度をとらないなら」
「……お前はよくわからない」
「俺にもわからん」
笑って返し、立ち上がる。
「善は急げ、だ。教主が着く前に、乗り込んでやろうぜ」
☆☆☆
トルネとフォーレインのちょうど中間地点あたりにある、ラゲットという町。
中心に大き目の湖があり、その湖畔に建てられている教会内。その二階部分にある部屋に通されている。
部屋には長机と、対面に置かれた椅子が二脚、天井にはシャンデリアと、壁際には暖炉。長机の上には水晶が一つ。
椅子にはイズモを座らせ、俺、シルヴィア、ロビントスの3人はその後ろに控えるように立っている。
修道士の話ではそろそろ教主が来るとのことだが、そう言われてからかれこれ1時間は待たされているような気がする。いい加減、立っているのにも疲れてきた。
ロビントスはいつまで経っても現れない教主にイラついているようだが、これはお前が一度やったことでもあるんだが。その時はもっと待たされたし。
もう十分しても現れなければ散歩にでも行こうかと考えていた時、ようやく部屋の大扉が開かれた。
「いやー、ごめんね。こんな長旅は初めてなもので」
愛想笑いを浮かべながら、そういって現れたのは黒い修道服を着た男の魔人族。
こちらはシグレットやアレイスターのように、完全な人型の魔人族だ。角が生えているけど。
その魔人族は俺たちを眺めた後、何度か頷きをしてイズモの対面にある椅子に座った。
「まさかあなたたちから来るとは思っていませんでした。わたしは黒神教教主、名をカラン・バーレンといいます」
「私はイズモ・ヴァンピール。カラレア神国の正統後継者です」
カランはイズモの返しに、少し驚くような声をあげた。
「これはまた……。カラレア神国の正統後継者は既にいますし、伝え聞く話ではかの王も子は一人……王の弟にも子はいない、と聞いていますが?」
「私が正統後継者である証明は、彼女シルヴィア率いる姫騎士団及びシグレット率いる黒騎士団がしてくれます。それではまだ足りませんか?」
シルヴィアがイズモの言葉に応えるように一歩前にでる。
それを見たカランも、一瞬だけ真剣な表情を浮かべたがすぐに破顔させた。
「いえ、結構。今まで何の音沙汰のなかった元国軍騎士団が、あなたが正統後継者だというならば信じましょう」
「ありがとうございます」
「それで、今日はその正統後継者様がどういった御用でしょうか?」
芝居がかった仰々しさで、カランがそう問う。
「率直に言います。カラン率いる黒神教は、私の下についてください」
その一言に、カランは目を細めた。その瞬間に眼光が一気に鋭くなった。
そして最小限の声量で「なぜ?」と訊いてくる。
「我々黒神教は、いつまで経っても終わらない戦乱を終わらせるために立ち上がりました。一宗教が出しゃばるようなことではないかもしれませんが、黒神様を崇拝する我々にとって、魔人族は皆同朋。
我々は、何十年もの歳月をかけてカラレア神国領東部を平定し、黒神様の庇護下にあった魔人族を治めたのです。
それを、今更出てきたあなたにどうして渡さなければならないのですか?」
「私は、同族同士で争いたくないのです。それはあなたも同じはず。
私もあなたも、目指すものは同じ、争いのないカラレア神国です。
私は今、カラレア神国領北部を治めたロビントスさんの協力の下、カラレア神国の統一を目指しています。
あなたが私と争うというならば、それは北部と東部との間で争いが起こるということです」
「ならばあなたがわたしたち黒神教の下についても同じはず。それに元を辿ればこの戦乱を作り出したのはあなたの血族だ。
わかりますか? あなたは、大罪人の子供なのです」
……予想していなかったわけじゃないが、痛いところを突いてくる。
なかなかに頭が回るようだし、外交面では活躍する人材だろうな。
「……その大罪は、平和で豊かなカラレア神国の実現をもって償いとさせてもらいます」
「では、あなたには明確な未来がお見えですか? 一本筋の通った、ブレない国のための方針が、あなたにはありますか?」
「それは……」
「我々黒神教の信念は『弱きを助け、強きをくじく』です。
その昔、黒神様が健在だったころのことです。黒神様と白神様は純色神の中でも別格であったことは周知の事実、そして黒神様は自分よりも弱かった他の五色神を、無神様との戦いで助けたという逸話が残っています。
黒神様は憎しみの権化だとされがちですが、こういった慈悲深い部分もあるのです。
我々黒神教徒もまた、黒神様に倣って、か弱き者を積極的に助け、力を振りかざす者に立ち向かうように説いています。
わたしはこれを国の方針とし、国民を助け、侵略を企てる諸外国をくじく――!」
カランは演技のように表情や態度をコロコロと変え、持ち上げた手を宣言と同時に力強く握りこむ。
イズモはその様子に完全に気圧されてしまい、口を噤んでしまう。
「あなたには明確な方針がない。それはつまるところ、国のあり方を考えていないのです。
平和で豊かなカラレア神国、なるほど響きはとてもいいですね。
――ですが、そんなもの、誰もが目指すものであって、あなた一人だけの考えではありません。
お分かりいただけたなら、お引き取り願います。わたしは決して、あなたの下にはつきません」
カランは一方的に話を打ち切ろうとする。
「もし考えがお変わりしましたならば、お聞きいたしますが?」
そして小首を傾げながら、微笑みを持ってそう問いかけてきた。
……なるほど。
「――――」
「イズモ、変われ」
口を開こうとしたイズモに対し、俺はその頭を押さえつけながら告げる。
イズモはゆっくりと、座ったまま俺の方へ顔を向けてくる。
「お前じゃ相手にならん。同じ土俵にすら、立てない」
「貴様、それは――ッ」
「シルヴィア、お前も話にならん。かろうじてロビントスなら話だけはできるがな」
掴みかかってきたシルヴィアの手を避け、ロビントスの方を見る。
ロビントスは荒い息を立てている。話はできそうだが、駆け引きは一切できそうにない。
シルヴィアもロビントスの様子に気づき、首をひねる。当たり前だ。表面上は何もされてないのに荒い息を吐いているんだ。傍から見ればただの不審者でしかない。
イズモはゆっくりと立ち上がると、俺に席を譲ってくれる。
椅子に座りながら、カランを微笑み混じりに睨む。
「よくもまぁ、うまいもんだな。洗脳魔法」
「……何のことでしょう?」
「クックッ、証明はできないから身構える必要はないぜ。俺には効かんがな」
カランの表情が一瞬だけ険しいものに変わるが、すぐに微笑みに戻る。
イズモとカランの対談の最後、イズモが口を開こうとしたときにはすでに洗脳魔法にかかっていた。それはシルヴィアもだ。
魔眼で見た際、彼女らの魔力回路に、カランの魔力が微量だが流れているのが見えた。
ロビントスは自分でどうにかしたようだが、俺はすぐに魔力操作でカランの魔力を放出した。イズモとシルヴィアも解いたが、二人に自覚がないほど高度な洗脳魔法だ。
俺は吐息ひとつ、長机の上にある水晶を指差しながら言う。
カランは俺の指先を辿り、水晶を見る。
「録音水晶、ですか?」
その問いに笑みを返し、指を下ろす。
カランは俺の返しに不服そうな顔をしながらも、視線を俺へと向ける。
「……あなたは、一体誰です?」
「カラレア神国王女の全権代理人。それでいいよな? イズモ」
「……はい。問題ありません」
イズモの了承に、やや怪訝そうにするカラン。
「……まあ、いいでしょう」
だが、小さくそうつぶやいて認めた。
俺は何度か頷きながら、問い返す。
「なあ、お前の国の方針、もう一回訊いていいか?」
「構いませんよ。何度でも、あなた方が納得するまで――」
「だから洗脳魔法は俺には効かねえっての。ただの確認なんだから、前口上もいらねえよ」
「……」
カランの睨みに、ただ笑みを返す。
やがて盛大なため息を吐いたカランは一つ頷く。
「いいでしょう。何をお考えかわかりませんが、話すだけならばお金はいりません」
「それは助かる」
「……まず、我々黒神教がカラレア神国を平定した場合、黒神教の信念である『弱きを助け、強きをくじく』を国の方針といたします。
国民を全力をもって助け、諸外国を全力をもってくじく。
国民が安心して生活できるよう、諸外国からの攻撃には報復を行います。
そして――」
「ああ、もういい。その先なんて意味がない」
手を軽く払うように振りながら、カランの言葉を止める。
それに対し、当然カランは苛立ちを見せる。
「……何のつもりですか? 訊いてきたのは、あなたでしょう?」
「俺だけど、訊きたいことは訊けた。そして論破するための要素も揃った」
俺は椅子に深く座り直しながら、腕を組んで見返す。
「お前は今、王としていっちゃいけないことを二度も言ったんだ」
「……言ってはいけないこと?」
「ああ。だってお前――」
カランに人差し指を突きつける。
「カラレア神国民全員、弱き者だって、断言したぞ」
「――それ、は……」
「かわいそうになぁ。黒神教徒も、黒神が率いていた魔人族も、すべて等しく余すところなく、お前は弱者だと断定したんだ。
わかるか? お前は、王として国民を信用していないと宣言したも同然だ。
わかるか? 自分を信用していない者に、誰がついていこうなんて思うんだよ。
わかるか? お前は、最初から詰んでいたんだよ」
「――――」
「あ、撤回はしない方がいいぞ。見苦しい姿を教徒だけでなくカラレア神国中に知らしめたいなら、別だけど。
さて、お前はもう一つ間違った発言をしてしまっているぞ。
『諸外国からの攻撃に報復』だって? ダメダメ。まず、攻撃させちゃいけないんだから。報復なんてもってのほか。やり返しが続いて気付けば戦争。平和を提唱するなら、攻撃をさせてはいけない。
お前は誰もが目指す平和を、ただ一人目指せていなんだ。
では馬鹿でもわかる質問をしよう。
平和を願う美しき未熟な女王と、誰も信用できずに戦争を引き起こそうとする愚王、どちらに民衆はつくだろうか――?」
「……ッ」
カランの表情が歪む。いい気味だ。
「少しおいたがすぎるぜ、教主サマ」
「――ふざけるな!」
怒号とともに、カランは椅子を蹴り倒して立ち上がる。
……どうして魔人族の王たちはこうも煽り態勢ゼロなのだろうか。
「魔人族でもない、一番危惧すべき相手である人族のあなたが、なぜここにいるというのだ!? 誰の許可を得て、ここにいる!?」
「そりゃ、次期女王の許可だ。お前だって、俺が全権代理人だと認めただろう?」
「……ッ、だが、カラレア神国は魔人族の国だ! 他種族に何かを決める権利など……ッ!」
だから、同じ問答なんだってのに……。
だが、まあいい。切り札を切るなら、ここだろう。
「落ち着け、教主。クールダウンは大事だぜ?」
「……ッ! ――……」
さらに激昂しようとしたカランが、大きく深呼吸をして怒りを鎮めていく。大した自制力だ。
しかし、今までかぶっていた人の好い仮面は剥がれ落ちてしまっているが。
「んじゃ、話が変わったからそれに合わせていくぞ」
「……いつ話が変わった?」
「今さっきだ。お前が変えただろうが。魔人族の国なんだから、魔人族に決めさせてくれって」
「それが……どうした? まさか、自分が魔人族だと嘘を吐きとおすつもりか?」
「んな面倒なことするかよ。いいから、ほれ。黒神教の経典について、ちょっと確認取らせてくれよ」
「……何を、今更」
「黒神教ってか、純色教だな。あれの経典、神たちはどうなったって伝わってる?」
「…………」
「確か、ただの歴史書にも書かれていたけど……純色神の子孫たちは書物に封印され、それが魔術書となった、って言われているんだよな?」
「……それが?」
「だったら、魔導書は一体何が封印されているんだろうな? 魔術書よりも強力で、だったらイコール純色神の子孫より強力……――純色神、だよな?」
「…………ああ、そうだよ。純色教の経典にも、黒神教の経典にも、そう書かれている」
「そう。それは良かった」
よかったよかったと何度も頷く。
これで間違っていたらどうしようもなかったし、やっぱり黒神教との衝突は避けられなかっただろう。
「……いったい、何が言いたい?」
低く笑い声をあげていた俺を咎めるように、少しきつめの口調で訊いてくる。
俺はそれに対し、懐から一冊の本を取り出すことで応えとする。
「――まさか」
「黒の魔導書。〈黒の魔導師〉ネロ・クロウド。以後お見知りおきを」
驚愕に見開かられるカランの目。
だが、その焦りの中でも反証を何とか見つけ出そうとしているようで、額を流れる汗が尋常じゃない。
その奴に対し、追い詰める。
「【サモン:ブラック】」
唱えた瞬間、グリムが久々に姿を現す。
普段は俺にもグリムの姿が見えないが、グリムにはこちらの様子が筒抜けである。今までの旅から話し合いまで、すべて見ていただろう。
「面白いことをする、我が主は。奇抜さと残虐さで言えば、我が主でも随一だな」
「お褒めに与り光栄だな、グリム」
くつくつと俺とグリムの低い笑いが重なった。それはさながら、死神の笑い声。
「俺がカラレア神国の女王に何を言おうが、関係ない。
なぜなら、俺はすでに黒の精霊……あんたらの決めた黒神の化身の傀儡だ。
黒神の化身が、わざわざ自分の民を破滅に導くようなことをするのか?」
こんなの真っ赤な嘘だ。グリムは完全に俺の支配下にあり、傀儡などでは決してない。
だが、カランにそれを見抜くことは不可能。シルヴィアにも、ロビントスにも。
イズモにしか、分からないことだ。
「お前らの経典には、こう書かれている。
『魔導師は純色神の使いである』と。教主の言葉と、神の使いの言葉、どちらに信用がおける?」
「ぐッ、く――!」
「言っただろ? 最初から詰んでる、って」
☆☆☆
イズモの勢力は北部から東部までを飲みこみ、一大勢力となった。
カランにはそのまま黒神教徒を仕切らせ、こちらはこちらで最後の南部攻略に入る。
もし万が一、逆らうようなことがあれば黒の魔導師の情報を流し、教徒を鎮圧させてもらうことにしている。
……黒神教の教主が、黒神の使いとされる黒の魔導師に逆らえば、教徒に殺されそうなものだ。
教会の二階の部屋から出て、外の馬車へと向かう。
俺は長机の上に置いてあった水晶を弄びながら歩く。
「……マスター、それって通信水晶じゃないですか?」
「お、よくわかったな。あたりだ」
イズモが俺の持つ水晶を睨むようにして見ながら言ってきた。
そう、イズモの言う通り、俺は録音水晶など持っていない。アレイスターあたりに聞けばもしかしたら持っているかもしれないが。
「騙したんですか?」
「人聞きの悪い。相手が勝手に勘違いしただけだろ? それに、カランは録音されているというプレッシャーと、撤回できないという勘違いに追い詰められたんだから」
通信水晶としての用途で使い、別の場所に集めた教徒に筒抜けにすることも考えたが、いきなり黒神教の教主がいなくなれば余計な混乱が生まれる。
それは今後の計画に支障が出る可能性があるし、最悪の場合は東部を最初から攻略し直す破目になる。
もう一度東部を最初から攻略なんて時間がかかる。勢力は保ったままの方が早く済む。
「しかし……まさか本当に打ち負かすとは……」
「黒の魔導師って、なんで隠してたんだ?」
いまだに信じられないといったようにシルヴィアがつぶやき、納得いかないようにロビントスが唸る。
「何度も言うが、黒神教だということだけで黒の魔導師である俺に勝ち目はない。し、俺はいつまでもこの国にいるつもりはない。だから、できるだけ隠したいんだよ」
「……わかった。できるだけ隠し通そう」
「ありがと」
教主も、わざわざ俺が黒の魔導師だと吹聴はしないだろう。自分の地位が揺らぐのだから。
「でもマスター、どうして黒の魔導師が黒神の使いだって、教えてくれなかったんですか?」
「教えなくても、経典読めばわかることだろ。ちゃんと読め。敵を知り己を知れば、ってやつだ」
「……でも、なんで最後に……最初に言えば、あのカランさんだって」
「それをできなくしたのはお前だろうが。完全に自分に酔ってたぞ、あの変態教主」
……あとは個人的に、叩きのめさないと気が済まないってところだけど。
それをわざわざ言う必要もない。恥ずかしいし。
投げた水晶をもう一度手に取り、魔力を流す。
「シグレット、騎士団はどのへんだ?」
『今冒険者兵団と合流した』
水晶にシグレットの顔が浮かび上がり、声が伝わってくる。
「んじゃ、偽後継者領地の境界の町ネイダに展開させろ」
『了解した』
シグレットの了承とともに、水晶に映った顔が消える。
水晶をバッグの中に入れる。
「また貴様は独断専行を……」
「仕方ないだろ。南部にイズモの噂が流れ、しかも北部と東部を飲みこんだこちらを、脅威とみていきなり攻め込んでくる可能性もある」
「……それは、まあわかるが……だが、それでもイズモ様に」
「いいだろ、イズモ?」
「え、あ、はい。大丈夫です」
イズモの許可をとってシルヴィアの方へ向くが、そうじゃないとでも言いたげに首を振ってくる。
ダメか? ……ダメか。軍などは事前にイズモから許可取れってことだろうからな。
今度から気をつけよう。そりゃ、イズモが頂点なんだからイズモに指揮執らせなきゃいけないよな。




