第四十六話 「王女の格好」
ディケの憎まれ口を聞き流しながら、今度は王城に向かう。
力強く握られていた手は、ディケの声が聞こえなくなるあたりでようやく離してもらえた。
「ったく、容赦なく握りやがって……」
「すみません……」
握り潰された方の手を軽くさする。
あーあ、爪の痕までできちゃってるよ。
「まあ、殴りかからなかったのは褒めてやる」
「手を離してくれなかったのはマスターですよ」
「それなりに鍛えた今のお前なら振り切れただろうが」
「そうですけど……ありがとうございました」
「良いよ別に」
殴ろうがどうしようが、ディケの余命はそう長くない。
……ま、ただの推測なんだけどな。
煉瓦で舗装された道を行く。
城下町はそれなりに盛況しており、両脇に出ている露店の呼び込みが結構うるさい。
途中、昼食を買って食べ、そして王城までの長い道のりを歩く。
城門から少し離れたところで立ち止まる。
デトロア王国は人族至上の国。王城にはさすがにイズモを連れてはいけないのだが……。
「待つか、透明になってついて来るか」
「待ってます」
「……あー、なら先に別のとこ行こう」
「別のとこ、ですか?」
いきなりの切り返しに、イズモが小首を傾げながら訊き返してくる。
「そ。別のとこ。たぶん、そっち行っておかないと時間がかかるし」
「……どこですか?」
「服屋」
イズモを買って行水させた際に思ったことを、ようやく実現できる。
「王女様らしい恰好にしなきゃ、な?」
☆☆☆
「本当にこんな服が王女らしいんですか?」
「俺の知識だと、そっちの方がお姫様なんだよ」
「マスターの知識って、時々おかしいと思うんですけど……。それに、ノエル様やフレイヤ様の服と全然違いますし」
「そりゃ、俺の趣味だからな。俺はフリフリのドレスよりかはそっちの方が好きだもん」
「うっ……そう、ですか……」
「もうさぁ、見せつけるような痴話喧嘩やめてくれない?」
「そう聞こえたなら悪かった。それでも手を止めないのは職人って感じだよな」
「当然です。職人ですから」
現在、学園長紹介の服屋にてイズモの服を見立ててもらっている。
イズモは体の隅々まで採寸されており、俺はそれを少し離れたところから椅子に座って眺めていた。
一応、どんなものかは簡単な絵で説明しておいた。学園長も似たようなものを着ていたことがあるので、へたくそな絵でも何とか伝わった。
服屋の店主は、俺と年齢がそう変わらないような少女だ。
魔人族のイズモに対して、まったく嫌悪感などは抱かず、むしろ嬉々として服の製作に取り掛かっている。
「男性に服の趣味があるなんて、珍しいですね」
「そうか? 俺、人形遊び好きだけどな」
前世では、着せ替え人形はそう遊んだことがないが、暇なときは買ってもらったぬいぐるみや人形を使って一人で遊んでいたし。
「着せ替え人形はないけど、服関連はそれなりに興味があるよ。ま、男の服はよくわかんないけど」
「そうなんですか?」
「格好いいとは思っても、自分には合わないって思うしな。その点、女の服は種類も多いし、客観的に見られて面白いし」
「あなたくらいなら、どんな服も似合いそうですけど?」
「魔導師にはローブ一枚で十分だよ」
服に金をかけるのは女だけで十分だし。
俺はもっと、剣や魔法道具などの実用的なものに金をかけたいしな。
「でも、良いんですか? クロウド家のようなお坊ちゃんが、こんな高い服をこの子にあげるなんて」
「良いんだよ。いろいろと頑張ってくれてるからな」
「……噂に聞く通りの人ですね。到底、貴族の子息や人族の魔導師とは思えません」
「よく言われる」
軽く笑いながら返す。
いや、だって貴族とかよくわかんないし。意味もなく偉そうにしておけばいいのか?
庶民な俺に品格や礼儀を求められても、人並にしかできないさ。
「よし、とりあえず採寸は済みましたよ。デザインとかはどうします?」
「その辺はそいつに聞いてくれ。俺も用事あるし」
椅子から立ち上がり、軽く伸びをする。
「いいんですか? 好みと違うかもしれませんよ?」
「俺としちゃ、最初に教えたやつと大きく変わらないなら十分だよ」
「わかりました。できるだけ頑張ってみます」
「おう。……じゃあ、イズモ。迎えに来るまでいい子にしとけよ」
「そこまで子ども扱いしないでください」
イズモの言葉に苦笑を返し、俺は服屋を出た。
☆☆☆
王城に入ると、真っ先にあの鍵のかかった部屋に向かう。
長い螺旋階段を上り、鍵が厳重にかけられた扉の前に立つ。
取っ手を引いてみるが、当然開くわけもなく、一息ついて踊り場に座り込む。
宙に足を投げ出し、待つこと数分。
ようやく、階下から昇ってくる音が響いてきた。
そして、姿を現したのは初めて会った時と全く変わらない老人。
「いつも通り、遅い登場だな」
「そういうな。老いた体にこの階段はきつい」
老人は鍵を取り出し、扉の鍵を開け始める。
今日でここに来るのも3回目か。一度、最初に借りた英雄譚二冊を返しに来たからな。
「今度は何を盗みに来た?」
「人聞きの悪い。ちゃんと返してるだろうが」
確かに、返すのはかなり遅いけども。
でも、借りパクは……ああ、自動筆記の歴史書をまだ返してなかったな。今日もちょうど持ってきてないし。
「別に、ぬし以外が来るわけでないから構わんがな。それで? 今日は何を持っていく?」
「暗黒大陸についてと……黒神様の偉業かな」
「ほう。今度はカラレア神国に向かうのか?」
「ああ、楽しそうだろう?」
「若い者の考えることはわからん」
老人の言葉には苦笑を返すしかない。
そういえばイズモは若くないな。まあ、外見年齢は俺とそう変わんないんだけど。
老人が鍵を開け終え、後に続いてその部屋に入る。
「そういや、勇者召喚についてなんかわかったのか?」
前に来たときにも聞いたのだが、老人は知らないという。
大陸が一つだった時から生きているのに、知らないとはどういうことなのか。
……少なくとも五千年生きているんだから、忘れていたとしても仕方ないのかもしれないが。
「ぬしに言われたとおり、地下のそれらしい部屋に向かったよ。確かに、あの召喚陣は異世界とつなぐものじゃ」
「壊せるのか?」
「壊してどうする? 国家反逆罪で捕らわれるだけじゃ」
魔術を使えば痕跡なく壊せると思うんだが……それに、この世界での犯罪の立証だってそこまで正確ではないだろうし。
「バカなことはするな。仮にも勇者、わしにはぬしがなぜそこまで勇者を嫌うのかわからん」
「……そりゃ、この国が戦争を」
「ぬしはこの国に興味はないのじゃろ? なぜこだわる?」
「……」
老人の言葉に言い返せない。
確かに、俺はこの国がどうなろうがまったくもって興味はない。グレンやフレイヤだって、そう簡単に死ぬとも思えない。
心配しているのは、攻め込まれる方の国だろうか? だけど、ネリは弱くなければリリーも同じだ。
……ホント、俺は一体何にこだわっているのだろうか。
「まあそう難しく考えることでもなかろう。……さて、ぬしの望みの本はこのあたりかの」
老人が取り出した本を受け取り、内容を確認する。
人語で書かれているが、確かに黒神とカラレア神国について書かれている。
「……なあ、あんたはいつまで生きているつもりだ?」
「死ねと言っておるのか?」
「違う。俺が帰ってきたときにまだいるのかって話だ」
「何年生きておると思っておる? いきなりぽっくり逝くわけなかろうて」
まあ、そりゃそうなんだけども……。
「言ってしまえば、わしはいつでも死ねる、じゃ。今ここで死ぬこともできる」
「不吉な。やめろ、ばかばかしい」
なんだよ、その設定。不死身だけど、世界に飽きたら死ねる、ってか?
……ガラハドも300年生きているようだし、信じるには微妙なところだけど。
「はあ。もういい。帰ったら返すよ」
「どのくらい信じられることやら」
老人の言葉に肩を竦めて見せ、踵を返して部屋を出た。
☆☆☆
イズモを残した服屋に戻ると、ちょうど服の製作が終わって試着しているところだった。
カーテンで閉められた試着室の向こう側から、衣擦れの音がしてくる。
「これで3回目ですかね。動きにくいっていうもんだから、丈とか結構弄っちゃいましたよ」
「いいんじゃない? 本人がそれでいいなら」
壁際に座って服屋の店主と適当に会話をしながら、イズモが出てくるのを待つ。
確かに、丈は足元まであって機能性は考慮されてないよな。女性はほとんど先頭立って戦わないし、見てくれだけで十分なんだろうけど。
この世界の文明は中世ヨーロッパだろうから、こんな服普通はないはずだが……世界が違うから文明も少し違うのか、それとも転生者か召喚者に日本人がいたか。
やがて衣擦れの音がなくなり、カーテンの向こう側から唸るような声が聞こえてくる。
鏡とにらめっこでもしているのだろうか? 着たなら、さっさと見てみたいのだが
「マスター、笑いませんか?」
「あ? いや、そんなの見る前に訊かれても困るんだけど」
「……わかりました。わ、笑わないでくださいよ?」
とは言われてもな。
似合ってはいるだろうから、そこまで心配するようなものでもないと思うが。
シャッとカーテンが勢いよく開かれ、その奥にいたイズモが姿を現す。
着ている服は和服の着物……なんだが、俺の知る着物となんか違う。
黒の下地に花が描かれ、赤色の帯をしているのだが……動きやすさを追求し過ぎたのか、丈が短い。背側には翼と尻尾用の穴も開いている。
イズモは自分の格好を見下ろしながら、くるくると回っている。
「ど、どうですか? 似合ってますか? ――って、なんで上向いて鼻を押さえているんですか、マスター?」
「バッカお前、分かれ」
ここまで破壊力があるとは思わなかった……。
黒髪だし、和服似合いそうっていうだけの単純な好奇心だったのに……好奇心は猫を殺すってやつか。
いや、確かに俺はメイド服やドレスなんかより着物の方が好きではあるけど、興奮で鼻血が出そうになるほどではないはずだ。というか、興奮で鼻血が出る奴なんていないだろ、とか思ってたよ。
それが自分で体験することになるとは……まさかイズモに本当に悩殺されるとは思っていなかった。
「ああ、でもお前、インナー着ろ。それで動き回ると危険」
主に俺が。
「へ? あ、そうですね。その方が動きやすそうですね」
隣の店主が小さく笑いながら、離れていくのがわかる。
……笑われるのは嫌だが、こんな状態じゃ仕方ないよなぁ。
シャッとカーテンがもう一度閉められる音を聞き、ようやく顔を前に向ける。
「まさか弱点がこんなに近くにあったなんてね?」
「弱点は酔いだけで十分だ」
「彼女の色香に酔ってんじゃない?」
「洒落になんねえよ……」
結局酔いに弱いのか。
これ、本当にどうにかしないと危険な気がするんだが……乗り物酔いは最近、ようやくスワッチロウの暴走でも吐かなくなってきたというのに。
酒は一生飲まないで大丈夫だろうけど、これはどうするか。
「どうで――って、だからなんで顔を背けるんですか?」
「おま、察しろ」
また勢いよく開かれたカーテンからイズモが出てきたが、慣れるにはまだまだかかりそうだ。
隣の店主は、今度は遠慮なく笑いやがった。
笑いが収まってきたころに、インナーを着たイズモを見た。
「サイズはどうかな?」
「ぴったりです。動きやすくもなりましたし」
「そう。じゃあ、それで決まりかな?」
「あの、それよりなんでマスターは下向いているんですか?」
「それはね……」
「言わなくていいからな? 言ったら奈落に落とすからな?」
服屋の店主は笑いを抑えようとして抑えきれず、低い不気味な笑い声を漏らす。
普通に気持ち悪い……。
「もういい。代金渡すぞ」
「あ、はいはい。どうもです」
俺は財布からデトロア金貨二枚を取り出して投げ渡す。
「……多くないですか?」
「着替え込みの料金だよ。一週間以内に4着」
「うげッ! この外道! 何日徹夜させる気だ!?」
「笑った仕返しだよ」
服屋の店主はぶつぶつと文句を言いながらも、金貨を返すようなことはしない。
そこも含めて職人なんだろう。
と、俺はこの服着たイズモに慣れなきゃいけないんだが。
イズモの方へ眼を向ける。
「……」
「な、何ですか? おかしいですか?」
不安そうに体全身を見下ろすイズモ。
おかしいと言えばおかしい。似合いすぎておかしい。
……慣れられるだろうか。




