幕間 「休日」
「わたくし、思うのですが……ノエルは積極性が足りないのではないですか?」
打ち上げから一週間ほど経った日。
クレスリト学園長の家にいたデトロア王国の王女であるフレイヤは、ヴァトラ神国の王女であるノエルに対していきなりそんな言葉を投げかけた。
あまりに唐突過ぎるその言葉に、ソファに座ってくつろいでいたノエルはきょとんとする。
「いきなりどうしたの?」
「打ち上げのあの日のことを憶えているでしょう? あそこは攻めなければ」
「ふぇっ!? え、せ、攻めるって……」
「酔っているのですから、やりたい放題でしたのに」
「フレイヤだって何もできてなかったじゃない!」
「わ、わたくしは突然過ぎてですね……!」
王女二人の言い合いは続く。
あの日、『赤椿亭』でネロが二杯目の酒を飲んでぶっ倒れた後だ。
酔い潰れたか、と思ったイズモとノエルだったが、実際は違った。
ぶっ倒れた後、数秒するとまた立ち上がったのだ。
そして、さらに暴走した。ぶっ壊れた。
簡単に言えば、とりあえず目につく人を抱き寄せたり、担ぎ上げたり、キスを迫ったり。
時に笑顔で、時に真顔で。
グレンに対してだけは容赦ない攻撃を加えていたが、彼以外はいつも以上に優しかった。
皆がマイナス意識を持っていない分、余計に性質が悪かった。
それが、打ち上げ翌日のクラスと彼女たちの反応の原因だ。
そのすべてを聞いたネロは、それから三日ほど帰ってこなかった。
王女の言い合いは、二人ともが不毛だと思い始めてようやく収束した。
二人ともぐったりとしたようにソファに倒れ込み、荒い息を吐いている。王女としてあるまじき姿だろう。
だが、二人ともがそんなことを気にしていなかった。
「と、とにかくですね……明日の休日を使ってネロを連れ出してはどうですか?」
「だから……なんでそんなことしないといけないのよ」
それに、連れ出せるかもわからないのに。
ネロはいつも、休日になれば一日中部屋に籠って読書か、城下町に散策に出る。
その行先はわからない。いつも適当に歩き回って、特に目的はないとイズモも言っていた。
とはいえ、ネロが城下町で行く場所といえば、本屋くらいだ。裏路地には近づこうとしなければ、剣などの武器屋にもほとんどいかない。
「このままではイズモに取られてしまいますよ」
「……べ、別に取りたいとは」
「では、わたくしがもらいます!」
「どういう流れよ!」
イズモに取られるのではないのか、という思いはあるが、このお姫様の考えが読めない。
ネロは顔から大体のことを察することができるのだが、フレイヤはいつも笑顔のポーカーフェイスのために読めないのだ。
「イズモはわたくしが引き受けますので、頑張ってください」
「待って。私、まだその提案に乗るなんて……」
「でも、乗るでしょう?」
「……」
人の好い笑顔を向けられ、どうにも反論ができない。
頭の中にはいろいろと言い訳が思いつく。
学園の課題や、ウルフディア家の方へ帰らないと、などといったもっともらしい言い訳も思いつく。
しかし、言葉に出てこない。
「どうします?」
首をかしげて聞いてくるフレイヤは、意地が悪い。
訊かなくても返答はわかっているのに。
ノエルは大きなため息を吐きながら、言った。
「……わかったわよ」
★★★
翌日の休日、フレイヤがイズモを連れ出すことに成功する。
ついでに少々強引にだが、ネロをノエルに押し付けることもできた。
そして城下町に繰り出した二人の後を追う、また二人。
前を行くネロとノエルを尾行するように、フレイヤとイズモが物陰に隠れている。
フレイヤはいつも以上に目を輝かせた笑顔を浮かべているが、イズモは気乗りしていないようだ。
「あのー……フレイヤ様、絶対に気付かれてますよ?」
ネロの魔力操作でできることをあらかた聞いているイズモだからわかる。
この尾行はすでに気付かれている、と。
先ほどから、時々ではあるがネロが振り返ってきているのだ。それも的確に二人が隠れている場所を。
「大丈夫です。追い払わないということは、見ていろと言っているようなものです」
「いえ、マスターなら普通に面倒臭いだと思いますが……」
どれだけ注意しても、フレイヤは尾行をやめようとしない。
逆に言ってしまえば、ノエルとの行動は見られていても構わないと言っているのだが……。
イズモはそのことに気付いているが、フレイヤはどうだかわからない。
しかし、これではノエルが些か不憫でもある。
それにしても、尾行など王女がするようなことではない。それに、どうあれイズモは奴隷だ。そんな真逆の立場の二人が、普通に城下町で行動できていること自体、おかしなことなのだ。
しかし、彼女の父であるデトロア王だけでなく、国民も既に諦めているのだ。彼女は普通ではない、と。
いつも笑っているせいで何を考えているかわからない。大臣の中には気持ち悪いとさえ思う者もいる。口に出せば不敬罪に問われるので、心の中で思うだけではあるが。
その点で言えば、他の者から見ればネロは命知らずだ。王女に対して一切敬意を払っていないのだから。
それでも今何のお咎めなしという状況は、魔導師とクロウド家という肩書、それにフレイヤ自身の口添えである。
「あ、お店に入るようですね」
フレイヤの視線の先では、ネロとノエルが店へと入ろうとしていた。
急いでついていこうとするフレイヤに、イズモは頭に手を当てながらも追従した。
ネロとノエルが入ったのは一見普通の本屋だ。
魔法書や歴史書、英雄譚や絵本など様々な書籍が置かれている中を、ネロは見向きもせずに奥へと進む。
「休日にも本なのね」
「まあな。といっても、ホントは王城の方がいい本揃ってんだけど」
「王城の書庫に……?」
ノエルが首をかしげる。
王城の書庫にある本は確かに貴重な本が多いが、それでもネロが興味を引きそうな本はそうないはずだ。それに、書庫にはフレイヤでさえ普通は入れない。魔術書が保管されているためだ。
しかし、ネロが言っているのは書庫ではない。鍵のかかった、あの不気味な部屋だ。
あそこにある本は、古いはずなのに色あせてすらいない。それにネロの興味を引く本が大量にある。そのほとんどは英雄譚ではあるが。
ともあれ、ならばなぜ本屋に来たのか、ノエルにはわからない。
「じゃあ、なんでここに来たの?」
「注文してた本があるんだよ。取り寄せられたかはわかんないけど」
週に一回、多い時は三回以上この本屋を訪れていたネロは、店主にある本をお願いしていた。
その本の入手は困難なはずだが、なぜか快諾してくれたので任せたのだが。
店の奥には老婆の店主がいた。
ネロはその老婆に軽く手を上げながら、注文していた本について訊く。
「ばあさん、手に入った?」
「ちょうど昨日ね。ドライバーにまで頼んじまったよ」
「へえ、ドライバーってそんなこともできるのか」
二人の会話に、ノエルが知らない単語が出てくる。
人名のようだが、そんな名前で呼ばれるような人物を、ノエルは知らない。
「ねえ、ドライバーって?」
「あー……知らない方がいいと思うよ。人生狂うからな」
「……何それ」
半目で睨むように見られるが、事実なので詳しく教えるつもりはない。
別にイズモがいない方がいいとは思わないが、やはり奴隷を扱う商人を気軽に教える気にはならない。
老婆がネロの隣にいるノエルへと目を向ける。
「おや、そっちのお嬢さんは……いつもとは違う子だね?」
「姫様に押し付けられて、今日一日お守りだ」
「だ、誰がお守りよ!」
「じゃあデート?」
「でっ、デートでも……!」
じゃあ何なんだ、とでも言いたげにため息を吐くネロ。
しかし、ノエルは俯き、黙り込んでしまう。
そんな二人を面白そうに見ていた老婆だったが、一段落ついたと思って椅子から立ち上がる。
「代金はあるんだろうね?」
「ドライバーの料金合わせて白金貨一枚な」
「十分だよ」
ネロが投げ渡した白金貨を器用に空中で受け取り、老婆は店のさらに奥に消えた。
しばらくすると、老婆が数冊の本を持ってまた現れた。
ネロは老婆からそれらの本を受け取りながら、軽く内容を確認した。
読める文字ではないが、確かに注文通りの書物だ。
「次、また何かあるかい?」
「今度はシードラ大陸かな。ジャンルは何でもいい」
「ほう。また面白いところを言うね。承ったよ」
ネロの追加の注文を、またも快諾してくれる。
ネロはお礼を言いながら本屋を後にした。
本屋から出てきた二人は、そのまま大通りを歩き始める。
ネロが今日のうちに行きたい場所は特にもうないので、これからの時間をどうしようかと悩む。
これで帰ると言えば、ノエルではなく後ろからついてきているフレイヤに何か言われそうだ。
……しかし、ついて来るならなんで離れているのか。
そのことに思い当たることがないわけではないのだが、どうにも経験がないので対応に困ってしまう。
これからのことについて悩んでいると、持っている本にずっと視線を注いでいたノエルが、とうとう尋ねてきた。
「ねえ、その本って何なの?」
「これ? 暗黒大陸の本だよ。魔語と天語で書かれた、な」
「そんなのどうするの? 読めないでしょ」
「読めるようになるためだよ。魔語の方はイズモで、天語は……そうか、ノエルは天語が話せないのか」
「……少しなら読めるわよ」
「いや、別に責めてないよ。……仕方ない、姫様に頼むか」
以前、ノエルがヴァトラ神国に戻った際、天語が話せないと言っていたのを思い出す。
それなら、ヴァトラ神国で育ったフレイヤならわかるだろう。
「あの姫様、見た目と違って勉強できるからな」
「確かに、それは思うわ」
本当、もう少し真面目にしてくれれば違和感も少なくなると思うのだが。
二人ともが後ろでついてきている人物にため息を吐いた。
「でも、なんでそんな本を?」
「何となく。ただのおせっかいってところかな」
ふうん、とノエルは気のない返事をする。
どうにもはぐらかされているようで、言いたくないようだったからだ。
ネロが思っているのは、まだ半年の付き合いとはいえ、これまでいろいろと世話を焼いてくれたイズモに少しでも何か返そうということだ。
その返しがどれだけ大きいものか、ネロ自身わかっているつもりではあるのだが、やはりまだ実感が持てていない。
「イズモがカラレア神国に帰るって言ったら、頼ることになるけどいいか?」
「それくらい構わないわ。……それと、最近やけに会いにくるホドエール商会の人も、ネロの差し金?」
「……否定はできない」
と言いながら、頭を掻く。
確かに王女と仲が良いとは言ったが、まさかすでに接触を図っているとは思っていなかったのだ。
ならば責任は自分にあるな、と思う。
ホドエール商会は最近ようやくユートレア共和国の方へ向かったとのことだ。
ゼノス帝国ではうまくやったようだが、ユートレア共和国でもうまくいくか。
勇者召喚の話もあるし、何かと厄介ごとが多いが、商人は変人が多いので放っておくことにしている。
「迷惑ならすぐにでもやめさせるけど」
「まあ、実害はまだないからいいわ。イズモを送る時でいいなら、ついでに送るわ」
「それでいいと思うよ」
準備期間もいるだろうし、突然よりはいいだろう。
そう思いながら、大通りを歩く。
両脇には露店や屋台が立ち並び、料理のにおいもしてくる。
「適当に昼でも食べる?」
「そうね。……フランクフルトは嫌よ」
「わかってるっての」
ノエルの言葉に苦笑を返しながら、目についた屋台に近づく。
実際、ノエルに何も言われなかったら買うつもりだったが、ばれたのなら無理に買う必要もない。
それに、あの時のフランクフルトの値段は高すぎたことも知っている。いくら文明が中世とはいえ、フランクフルト一つで銀貨一枚は高すぎる。
ネロが屋台で買ったのは普通のサンドイッチだ。
3つほどをノエルに手渡しながら、先に見える広場まで移動する。
大木が中心に置かれた広場、そこに備え付けられていたベンチに腰掛けながら、自分の分の昼食をかじる。
そして、微妙にだが、顔を歪めた。
「……」
「よく我慢したわね」
その様子を見ていたノエルが、そんなことを言う。
ネロはかじった瞬間、自分で作れるな、という感想が沸きあがった。だが、それを口には出さずにぐっと堪えた。
そのことについて、ノエルは褒めたのだ。
しかし、やはり心が読まれているようで心配しだすネロ。
どうやったら隠せるのだろうか、どこで判断されているのだろうか、などと考えを巡らすも、答えは出てこない。
やがてサンドイッチを食べ終えたネロは、ベンチから立ち上がって一度大きく伸びをした。
「これからどうする? 服屋一軒までなら我慢するけど?」
「服屋はいいわ。どうせ全部オーダーメイドにされるもの」
さっすが公爵様、と苦笑しながら言う。
「……食べ歩きする気にもならないし」
「アクセサリーの店でも行くか?」
「そうね。……というか、あまりにも無計画すぎたわね」
「お前が誘ってきたんだけどな」
朝、いきなり部屋に現れたフレイヤにイズモを拉致され、ネロは外に行くように言われた。
言う通りに外に行けば、そこにはノエルが待っていた。
たったこれだけ。ネロはこの状況を、ほぼ流される形で作っているのだ。
ノエルもサンドイッチを食べ終え、ベンチから立ち上がる。
「それじゃ、行きましょうか」
「ああ。……行こうか」
ネロが少しだけ視線を広場の外へと向け、すぐに頷いた。
「どうしたの?」
ノエルはネロが見ていた先を見るが、そこには大木しか見えない。
ネロが見たのはそのさらに先、木の裏側だ。
千里眼を用いて、一応尾行しているフレイヤを探したのだ。
「なんでもないよ。ただ、王女は食い意地が張っている奴が多いなって」
「昔の話よ」
ノエルの少し怒気が含まれた声に軽く笑いながら、ネロは歩き出す。
木の裏側、ネロが見た先にいたのはフレイヤとイズモ、それにいつの間にか加わったグレンだ。
そして、同じように昼食をとっていた三人だったが、フレイヤの近くには空になった紙包みなどが大量に落ちている。
フレイヤ一人で、すでに5人分の食事をとっているのだ。その横にイズモとグレンが座って一人分の食事をとっている。
「あ、あれもおいしそうですね。グレン、買ってきてください」
「わかりました」
さらに食べるのか、という疑問を押し止めるイズモ。
グレンはフレイヤに言われると同時に、食事を中断して立ち上がり、フレイヤの指差した店へと向かった。
「フレイヤ様、そろそろ終わりませんか?」
苦笑いを浮かべながら言うイズモに、フレイヤは口の中の食べ物をすべて飲み込んだ後反論する。
「何を言っているのです、イズモ。こんなおいしいものなら、もっと食べられますよ」
フレイヤの返答に小さくため息を吐くイズモ。
当初の目的を完全に忘れているな、と思うが、いつまでも付け回すのはマスターに悪いと思い、黙っておくことにする。
イズモとしては、何気に二人の行動は気になっているのだが、やはり尾行するのはダメだとも思っている。
グレンが買ってきたハンバーガーのような料理も当然のように食べ終え、さらに追加していくフレイヤ。
その頃には、すでにネロたちの姿は広場から消え去っていた。
★★★
ネロとノエルが店から出てくると、ノエルの装飾品が一つ増えていた。
真珠のついたネックレスをつけている。
「高い買い物だな、おい」
「別に買ってもらわなくても……」
「まあな。お前の方が金持ちだし」
ノエルのつけているネックレスはネロが買ったものだ。
特に欲しいと言われたわけではなかったが、気になっていたようだったので買ってあげたのだ。
おかげでネロのお小遣いはほとんど使い果たした。とはいえ、学園長の家に帰れば返すお小遣いなので、別に痛くもない買い物だ。
それに事情はどうあれ、この状況で相手に買わせるのは男の恥だと考えている。
「そろそろ帰るか?」
日はまだ沈みそうにないが、やることもなくなってしまった。
本当は本屋を出たすぐあとに言いたかった言葉ではあるが、今まで何とか我慢してきた。
もういいだろうという考えだが、尋ねたノエルの様子を窺う。
「……そうね。もう、やることもないし」
ノエルの表情が少し陰ったのは、見間違いだろうか。
まだ満足していないのか、と思わずにはいられないが、やることがないことも事実だ。
どうしたものかと頭を掻くネロ。
前世の記憶があろうとも、こんな経験は皆無だ。せいぜい、小学生低学年の時に幼馴染の女の子と遊んだ程度。
それでも、この世界に来てからは何かと気づけるようにはなっている。それがエルフの里からなので、リリーのおかげであろうとは思う。
しかし、ネロは城下町を知り尽くしているわけではない。彼の行動範囲は学園長宅を中心に、本屋までの道程か王城までの道程だ。
広場なんて今日初めて見つけた様なものだし、そこから先は一切わからない。アクセサリーの店だって、ノエルに案内してもらったのだから。
「ネロ、あれ」
ネロが唸りながら考えていると、ノエルに袖を引かれた。
ノエルは道の先を指差し、それを辿ってみれば、一人の女の子が立ち尽くしていた。
「……迷子か」
「たぶん」
ネロの推測に頷いたノエルは、軽く走るようにしてその女の子に近づいた。
ノエルの後を追いながら、ネロは苦笑する。王女様は心優しいな、と。それ以上は、考えない。
迷子の女の子を連れて親探しを始めたネロとノエル。
だが、初めて1時間ほど経とうとしても手がかりすらつかめない。その理由は、女の子が泣いてばかりで何も教えてくれないからだ。
それでも諦めることなく探し続けてきたが、さすがに疲れが出てきた。
三人は先ほどの広場まで戻ってきて、ベンチに腰かけた。
フレイヤたちはさすがに移動していた。
「ノエル、何か飲み物買ってきてくれる? 俺は、この子と話してみるから」
「わかったわ」
ネロの頼みに二つ返事で頷くと、ノエルは立ち上がって去っていく。
ネロはその後ろ姿を眺め、十分離れたと判断して女の子に話しかける。
「亜人族……ニンフか?」
「――ッ」
ネロの言葉に、女の子は肩をビクリと震わせた。
その反応を見て、ネロはため息を吐いた。
「逃げるなら今のうちだ。……それとも、逃げたら殺されるか?」
「な、んで……」
「泣きの演技は上手かった。けど、懐を気にし過ぎだ。凶器があることくらい、一目でわかるぞ」
実際、ネロはその様子を見て透視していた。
そこにあったのは一本のナイフだ。持ち歩くには少々物騒な、道具。
ついでに千里眼を使って周りを見てみたが、迷子の子を探す大人も見つからなかった。
そして何より、魔力だ。
亜人は一目では人族と区別がつかない種族もいる。エルフなんかは耳で判断するか、その美貌から推測するしかない。
そして、亜人族のニンフも似ている。人型で、だけど人族じゃない。
この世界には7つの人種が存在するが、それぞれ魔力に特徴がある。それは色だ。
人族なら赤色、獣人族なら黄色、といった具合に、魔力眼で見れば判別ができる。
この女の子を魔力眼で見た際、色は緑色。つまり亜人族だ。ニンフかどうかは、エルフの里にいたときに見ていたからわかったことだ。
そこまでわかれば、あとは目的だ。
なぜ、迷子のふりをして、凶器を持っていたのか。
凶器があれば十分推測できた。
ノエルの殺害、または殺傷行為だろう。
ノエルは一度、殺し屋に狙われたことがある。だったら、また狙われてもおかしくはないだろう。
何せヴァトラ王国の王女だ。血気盛んな誰かが、戦争したくてやったんだろう、とそう思った。
「まあ、ノエルじゃなくて俺だったとしたら、それはそれでいいけどな」
「……」
「どうする? 逃げるか、捕まるか。……あるいは死ぬか」
「……逃がして、くれるんですか?」
「このまま何もしないなら、な。どちらにせよ、奴隷のお前に待ち受けるのは変わらないかもしれないが」
どうしたものか、と悩む。
ライミーの時のように契約紋をぶっ壊して、エルフの里まで送ることは可能だ。が、それをすれば、この子の買い主が黙っていれはくれないだろう。
奴隷は買い主の所有物だ。それを奪えば、立派な犯罪。
もっとも、契約紋をぶっ壊すようなことができるのは、魔力操作の使えるネロだけなので、物的証拠はあがらないだろう。
奴隷商人のドライバーに契約紋の脆弱性で迷惑がかかるかもしれないが、ネロにとってはどうでもいいことだ。
しかし、このまま契約紋を壊して逃がしたら、この子を引きつれて歩き回ったネロとノエルに容疑がかかるのは明白だ。
休日の城下町は、平日以上に人が多い。今だって、ちらちらとこちらを見ている婦人がいる。
それにこの子の買い主が有力な貴族だった場合、権力でゴリ押しもされる。
どうしたものかとため息を吐く。
「逃げるのは簡単。だけど、お前が俺かノエルを殺そうとした事実が必要。しかし奴隷は買い主の都合のいいようにできる。口封じに殺すも、嘘を強要するも、なんだってできる」
奴隷に人権はない。すべて買い主の手中だ。
「この世界に指紋照合なんてないしなぁ……。セロハンテープでもあれば、できるのかな」
しかし、セロハンテープすらこの世界にはない。
それにどれだけ有効な証拠かも証明しなければいけないので、面倒この上ない。
ネロは隣に座る女の子に目を向ける。
女の子は俯き、肩が微かに震えている。
「……買い主の名前も、言えないだろうし」
はあ、と大きくため息を吐く。
助けてあげたいとは思うが、助ける手立てがない。
ネロかノエルの殺しに失敗すれば、きっと使い捨てのように殺されるだろう。買い取りもほぼ無理だ。生きた証人なのだから。
ドライバーなら、もしかしたら買い主を知っているかもしれない。
だが、彼も商人だ。商売は信頼から、とも言うし、教えてくれそうにはない。
それでも、金を積めばバーブレイの時のように教えてくれる可能性はある。
「面倒な方法が一つだけあるんだよなぁ」
その言葉に、女の子が反応する。
「本当ですか……?」
「……」
「教えてください、なんでもしますから……!」
女の子の懇願に、ネロは内心唸る。
言ってしまえば、かなり簡単なことなのだ。それに、女の子が何かをするわけでもない。
王都から抜け出せさえすれば、どうとでもなるのだ。
ただ、もっといい方法がないかと考えているのだ。
この手はあまりに強引すぎる。
「どうしたの?」
そこに、コップを三つ持ったノエルが戻ってきた。
女の子はすぐさまネロから離れ、ネロも「なんでもない」と返す。
その様子を怪訝に思いながらも、ノエルは持っていたコップを二人に渡す。
「何か聞き出せた?」
「手がかりはなしだ」
そう、と少し残念そうな声を出すノエル。
ネロは受け取ったコップを傾けながら、横の女の子に目を向ける。
女の子はコップの中の液体に目を落とし、とても悲しそうな表情をしている。
はあ、ともう一度大きくため息を吐き、立ち上がるネロ。
「行くぞ。親探し」
「手がかりはないんでしょ?」
「ないけど、必要もない」
ネロの返答に首をかしげるノエル。
しかし、女の子は違った。パッと輝くような笑みを浮かべ、ネロの後を追うように立ち上がった。
「……どういうこと?」
「歩きながら説明するよ。……簡単に言えば、この子を殺す」
★★★
ネロが思いついた強引な助け方。
それは、一度女の子を殺すことだ。
もちろん、本当に殺すわけではない。殺されたようにみせるだけだ。
そのためには一度、門から出る必要があった。
女の子の契約紋を見せてもらった結果、血統契約だということがわかった。
血統契約の特徴は、マスターへの殺傷行為の禁止、それに追跡だ。
その追跡を逆手に取る。
衛兵にわざと見つかるように門から抜ける。しかし、奴隷は一人で門から出ることができない。
そうなれば、当然衛兵は怪訝に思うだろう。そのおかげで、記憶に残る。
強引にでも門から抜け出した後、近くの森まで走る。衛兵が追いかけてくれば好都合。
そのまま森の中に入り、姿を消してついてきていたネロとともに完全に姿を眩ませる。
その後、ネロの魔物使役によってレッサーデーモンあたりを衛兵に向かわせ、準備完了。
あとは女の子の契約紋をぶっ壊し、ガルーダでエルフの里まで送らせるだけだ。
これで女の子のマスターは、女の子が脱走した挙句、近くの森で魔物に無残にも食べられてしまった、と誤認してくれる。
女の子は一人で王都を抜け出し、森へと入り、消息を絶ったのだから。
デトロア王国の王都から、自力でユートレア共和国まで帰れるとは思うまい。
ネロとノエルは城下町に戻り、二人並んで歩いていた。
ノエルは心なしか嬉しそうだ。ネロはいつもとあまり変わらない、無表情に近い不機嫌顔。
「それにしても、やっぱりネロって、こういう時だけ良い笑顔するわよね。殺すって言ったときはさすがに驚いたけど」
「意図的だからな。聞いたあの子の、凍りついた笑顔は面白かった」
「……ひどい趣味ね」
からから笑うネロの横顔を、半目で見る。
「厄介ごとを持ち込んだ罰だよ。罪には罰を、っていうだろ」
「あの子、別に何かしたわけじゃないでしょ?」
「……王女様は寛大なお方ですね」
「ネロも、どうせ同じ立場ならいうでしょ」
ノエルの言葉を軽く笑って受け流す。
実際、同じことを言いそうだから変に反論できないのだ。
「でも、まさかネックレスを渡すとは思わなかったな」
さすがにノエルにも魔物を使役しているところは見られたくなかったため、ノエルは王都の門までの見送りまでだったのだが、その別れ際に女の子に今日買ってあげたネックレスをあげたのだ。
「あれは……ごめん。つい、成り行きで」
「別に構わないよ。ノエルに買ったんだから、ノエルがどうしようが。オーダーメイドの方が、お気に召すんだろ」
「……作ってくれるの?」
「素材と暇さえあればな。まあ、その代わりに魔法陣についてご教授願いたいね」
「それくらい構わないわ。減るものでもないし」
小さく笑い返してくるノエルを見て、ネロは苦笑を浮かべる。
と、学園長の家へと戻っていると、道の先に3人の人影が見えた。
彼らはネロとノエルの二人に気付くと、駆け足で近づいてきた。
「ノエル、今日は楽しめましたか?」
「マスターと二人きりで退屈しませんでしたか?」
「おい待てイズモ。それは素直な意見でいいのか?」
「貴様といて楽しめることがあるのか?」
「いい度胸じゃねえか。ぶっ飛ばすぞ」
フレイヤとイズモはノエルを心配そうな目で見ているが、ネロとグレンは互いに睨み合いを始めてしまった。
そんな状況に、ノエルは思わず笑いを溢した。
「楽しめたわよ。退屈もあんまりしなかったし。ネロとグレンも、早く帰って夕食にしましょ」
フレイヤとイズモへは笑みを向け、ネロの肩を掴んでグレンと無理矢理引き離す。
グレンと引き離されたネロは、興醒めしたとでも言うように頭を強引に掻き、歩き出す。
イズモが慌ててそのあとを追い、フレイヤとノエルが顔を見合わせて同時に笑う。グレンは息を吐いて、フレイヤの後を追った。
夕暮れの城下町に、5つの人影が消えていく。
★★★
「今日のお出かけはどうでした?」
「まあ、イズモの時よりは女性と歩き回った感はあるな」
「……ひどくないですか?」
「そう思うなら少しは女っぽく振る舞ってみろ。契約紋の命令だって、いまだに嘘吐くなだけだろ」
「むぅ……。いいんですか? そんなこと言って。悩殺しちゃいますよ」
「できるものならやってみろ。……それより、手、止めるな」
「これ、重労働なんですけど……ひどいです」
「口動かす暇あったら、手を動かせ」
「少しくらいいいじゃないですか……。なんで読めもしない魔語の本なんか……」
「口答え禁止にしようか」
「頑張ります」
★★★
「今日のデートはどうでした?」
「楽しかったわよ」
「それは何よりです。それにしても、なんで城門の方から来たのです?」
「まあ……ネロのおせっかいよ。昔と変わらずの、ね」
「惚気ですの? 惚気ですね!」
「違うわよ! フレイヤだって知ってるでしょ?」
「……ええ。ネロは、面倒事を綺麗に片づけてくれます」
「ほんとね。自分では嫌だって言っているのに」
「ネロの運命とでも言うのでしょうかね」
「ひどい運命もあったものね。……まあ、そこがネロの良いところでしょうけど」
「……やっぱり、想いは変わりませんか?」
「……そうね。帰ったら、なにされるかわからないけど、ね」
「心残りはないように、帰るといいですよ」
「できる限りやってみるわ。……私は、やっぱり――」
学園編 終




