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メイジ オブ Mage  作者: 水無月ミナト
学園編 学園の魔導師
56/192

第二十二話 「繋いだ手」

 この三か月、きちんとした睡眠をとっていたイズモには一回の徹夜でも頭は朦朧としていた。

 昔なら、四か月ほど前ならばこんなことにはならなかったのに。


 暗い空間、誰ともわからない人が隣に。そんな状況では寝ることはおろか、少しの休息すら取れない。


 捕らえられ、どれくらいの時間が経っただろうか。暗い地下牢では、今の時間すら把握できない。

 まだ捕らえられてから一日程度だが、イズモにとっては一週間以上に感じられていた。


 学園長に与えられた服は既に泥まみれでボロボロだ。艶やかだった黒髪も、汚れが目立つ。

 たった一日で、ここまで薄汚れてしまった。


 ろくに動かなくなった体を懸命に動かし、横になった状態から座り込んだ状態に持っていく。

 その目に生気はなく、虚ろな目をしている。奴隷市場にいたときよりもひどいかもしれない。


 その目はどこを見るでもなく、ただ前だけを見つめていた。

 鉄格子の向こう、石壁を。


 その時、唯一地上へとつながる階段から足音が響いてきた。

 聞き慣れた音だ。彼女は100年以上も奴隷をやっている。

 だが、その音に体は慣れない。精神は慣れない。


 びくりと震え、体全身が小刻みに震えだす。歯ががちがちと鳴りだす。背筋に悪寒が走る。

 忘れかけていた恐怖心が一気に掻き立てられる。心に負った傷が疼きだす。


 姿を現したバーブレイは、今までのマスターとなんら変わらない表情だった。


「元気そうだな。まあ、その方が泣いてくれそうでいいか」


 そういいながら、牢の鍵を開ける。


 イズモはバーブレイのその一言で、何をされるかがわかってしまった。

 同じだ。何もかも、すべてが。

 今のマスターに買われる前、性目的でしか買わなかったマスターと。


 目に、声に、挙動に、すべてに見覚えがある。

 目が、耳が、記憶が、すべてを思い出す。


 牢の中に入ってきたバーブレイは、立ち塞がろうとしたローラを払いのけ、イズモへと手を伸ばしてくる。

 抵抗しようとするイズモだが、恐怖心がそれを許さない。

 腕を掴まれ、振り解くほどの力はなく、引きずり出される。


「初めて見たときからさぁ、あいつにはもったいないとは思ってたんだよな。あんな出来損ないにはさ」


 バーブレイの言葉を聞いたイズモが、弱々しくも彼の脚に蹴りを入れる。

 だが、そんな攻撃ではびくともしない。


「はははっ、そのくらい元気がある方が楽しめそうだ」


 バーブレイは床に叩きつけるようにイズモを投げる。

 そして、イズモの両手を左手で頭の上にあげさせ、右手は発育前の胸を弄る。


「あ……や……! い、やぁ……!」

「くく、そうそう。もっといい声で鳴けよ」


 右手はどんどんと下へと移動していき、腹部、下腹部へと流れていく。

 その手が股へと移動しようとした瞬間に、


「きぃぃぃいいやああああああああああああ!!」


 イズモの口から絶叫が迸った。

 その音は超音波のように甲高く、バーブレイは脳を直接ぶっ叩かれたような感覚を覚える。

 思わずイズモから両手を離し、きつく耳を塞ぐが、手を通り抜けるようにして響き渡る。


 イズモの咆哮は石壁に反響し、天井にぶつかる。

 しかし、その声が地上に届くことはない。階段の途中で掻き消えてしまう。


 その絶叫はバーブレイを怯ませ、ローラを蹲らせることは可能だ。

 それでも届かない。誰にも、助けの声としては。


「ッるせえんだよ!」


 バーブレイは絶叫に耐えながら、イズモの顔面を容赦なく蹴りつける。

 それで絶叫は止むことはない。


 だが、もう少しだ。もう少しで、バーブレイの意識を刈り取ることができる。

 一度意識を刈り取ってしまえば、一日は絶対に起きることは不可能だ。そのうちに地上に出て、逃げてしまえばいい。


 もう少し、あと少し――


 ――だけど、届かない。


 バーブレイはイズモの口を片手で強引に塞ぐと、荒い息を吐きながら睨み付ける。

 その目は怒りに染まり、イズモの体が震えだす。


「オレに変態趣味はねえからよ、はっきりいって声なんざどうだっていいんだよ」


 バーブレイは、ただネロの悔しがる姿が見たいだけなのだ。

 どこまでも飄々としていて、いつも冷静を保っているような彼の表情を、悔しさで塗り潰したいのだ。


 その感情がバーブレイ個人のものかどうかはわからない。

 幼いころからクロウド家の者と張り合わされてきて、それが無意識のうちにネロへと向いたのかもしれない。


 実力では敵わないのは、学園内トーナメントでよく理解した。悔しいが、認めなければならない。

 だからこそ、ネロに間接的にダメージを与えようと思った。

 だが、彼の親しい相手は少なく、なおかつ誰もが自分より権力者。到底どうすることもできない。


 そして目を付けたのがイズモだ。

 ネロは奴隷であるはずの彼女を、同じ人間とは思えないような扱いをしていた。

 まうで、そう、実の娘のように。


 そして狙いを定めた。彼の奴隷に、イズモに。

 そこまで綿密な計画はなく、捕らえたときだって行き当たりばったりだ。

 だが、喧嘩中のおかげかいきなり見つかることもなかった。


 今日だって、学園で問い詰められるかと思ったが、彼は休みだった。

 幸運だと思った。


 そして、今日中にすべて終わらせようと思っている。

 彼の大事なものを汚して、ぽい。



 奇しくも、それは彼が前世で世界に絶望した経緯によく似ている。

 汚され、捨てられ、それを目の当たりにする。

 絶望し、閉じこもり、世紀の開発をする。


 彼は、死んでも変わらないのだろうか。

 世界が変わっても、彼は嫌われたままなのだろうか。


 どれだけの力があろうと、どれだけの努力をしようと、

 世界は、彼一人を受け入れることすらできないのだろうか――。



「やめて、ください……!」


 再びイズモへと手を伸ばしかけたバーブレイを、今まで見つめることしかしていなかったローラが止めに入った。

 伸ばしかけた手をつかみ取り、精一杯に引き寄せる。


 だが、所詮は奴隷だ。そもそも、奴隷がマスターに逆らうことはできないのだ。

 ローラがバーブレイに触れた瞬間に、ローラの胸あたりにある契約紋が輝きだす。

 それだけで、ローラは全身が痺れたように崩れ落ち、苦しそうなうめき声を出しながらのた打ち回る。


 ローラの契約紋には、マスターとの接触禁止が含まれていたのだろう。

 そのせいで違反行為と見做され、罰が与えられた。


「テメエ、ふざけてんのか!?」


 バーブレイはイズモからローラへと顔を向け、立ち上がる。

 八つ当たりをするように、バーブレイは何度も蹴りつける。


 頭を、顔を、腹を。

 人体の急所となる場所を狙い、つま先をめり込ませるように。


 数分ほど続いた暴力は、ようやく収まりを見せる。

 バーブレイは肩で息をしている。対しローラはか細く、小さく息をしている。虫の息だ。


「くそがッ!」


 ダメ押しとばかりに、最後に強烈な蹴りを腹部に与え、バーブレイはイズモへと体を向けた。

 口元に笑みが浮かび、一歩一歩ゆっくりと近づいてくる。


 近づく度にイズモは後ろにずり下がるが、すぐに壁に当たる。

 退路はなく、絶叫も意味がない。


 もうだめだと、そう思ってきつく目を閉じた。

 自業自得、報いなのだろうと、諦めようとした。

 だけど――、



 足音が、聞こえた――。



 階段から、確かめるように一段一段降りてくる、足音。

 その足音に混じって、鼻歌まで聞こえてくる。


 イズモはゆっくりと目を開け、階段の方を凝視する。

 バーブレイもまた、意表を突かれたような表情で階段へと視線を注いでいた。


 そんな馬鹿な、と、そう思った。

 この地下牢は、レイヴァン家でも誰一人として知らないはずだ。

 建築業者は既に口封じのために抹殺した。この地下牢を知っているのは、自分と奴隷だけのはずだ。


 ローラには自分のいないところでの発言を禁止している。ネロの奴隷はそもそも捕らえていから一回も出したことはない。

 自分が思いつく中で、ここにいない者で知っている者は存在しないはず。


 ならば、一体誰だ? 誰が隠し通路を見破り、この地下牢に降りてきている?


 ――決まっている。


 そして、足音の主は姿を見せた。

 一本の剣を下げ、黒いローブを羽織って。左眼を包帯で隠し、帽子をかぶった、よく知る少年。


 ――ネロ・クロウド。


 彼を見たとき、イズモは涙が溢れてきた。

 それはうれしさからなのか、自責の念からかはわからない。


 だけど、心の底から安心した。


 見放されたと思った。どうでもいいと、切って捨てられたと思った。

 なのに、なのに彼は、


「お、いたいた。ごめんな、イズモ。遅くなって」


 彼は悪くないはずなのに、自分のせいなのに。

 申し訳なさそうな笑顔で、謝ってきた。



★★★☆☆☆



 レイヴァン家の屋敷の地下牢。

 とはいえ、バーブレイの部屋っぽいところから通じていることから、バーブレイしか知らない隠し部屋、といったところか。


 目の前には三つの人影。

 バーブレイとその奴隷、それとイズモだ。


「て、てめえ……なんで! なんでここに!?」

「あん? お前、隠し部屋の作り方が下手なんだよ。角部屋のくせして外壁から部屋の壁が離れすぎ。クローゼットってのがもう、怪しさがぷんぷんする。」


 ほら、推理漫画とかではよくあるパターンじゃん。クローゼットの背が押し開いたり、本棚がスライドしたり。

 スイッチとかがないっていうのがもう、さっさと来てくださいって合図だろ。


「……ッ! だ、だけど、ここはレイヴァン家の領地だ! なんで、どうやって入ってきやがった!?」

「商人は信用しない方がいいぞ。特に金と見た目で客を選ぶような奴はな。それに、姿隠しなんざ初歩の初歩だろうが。俺は黒の魔導師だぞ?」


 さすがの俺でもバーブレイが犯人だと真っ先に思い浮かんだが、間違っていては迷惑になるからな。一応、裏付けとして奴隷商人のドライバーに、ここ最近の客について聞いてきたのだ。

 その結果、バーブレイが魔人族について嗅ぎ回っている、ということをドライバーのネットワークが掴んでいたそうだ。


 そして、光と闇の魔法を駆使すれば、人に見つからずに侵入などお手の物だ。

 それに、こういった金持ちの屋敷には絨毯が敷いてくれている。おかげで足音も最小限に抑えてくれる。


 あとは、王城の老人に言われたことに注意しながら、できるだけ魔力の流れが自然に見えるようにしながら。

 ……もっとも、魔眼でもない限り見えないんだろうけど。

 念には念を入れて、ってことで、姿を隠しながらここまで来たわけだ。


 まあ、屋敷がでかすぎて迷子になりかけたし、ここに着くまでにそれなりの時間がかかってしまった。

 が、手を出される前だったし、結果オーライだ。


「さて、と。バーブレイ、俺の言葉をよぉく思い出せ。忠告はしておいただろ? なら、挑戦状と受け取ろう」


 俺はバーブレイに対して身構える。

 ノーモーションでの魔術は使えるが、イズモが近くにいるんじゃ派手な魔術は使えない。


「……ッ、なんで」

「あ?」

「なんでテメエはそこまで奴隷に必死になる!? こいつはただの奴隷だろ!? なんで、なんでテメエはそこまでしてこの奴隷を守ろうとするんだ!?」

「なんで、って……」


 訊かれてもな。

 俺はもともとこの世界の住民じゃないため、人身売買や奴隷制度自体に抵抗がある。

 けど、そんなのを聞きたいんじゃないだろうしなぁ。


 さて、ではもう一度イズモについて再考してみよう。

 イズモは俺の奴隷か? 違う。

 ならば使用人? 違うな。

 だったら一体、なんだろうか。


 ……そして、これこそ俺が怖がった答えだ。


 ニッと、歯を見せるように笑い、俺は断言する。


「娘だからだよ」


 言葉とともに、俺は駆け出す。


 そうだよ、認めてしまえばいい。

 俺が家族に対して過剰に反応し、守らなければという使命感が働くならば。


 イズモを、俺の家族にしてしまえばいい。


 娘っていうのは、少し違うかもしれないけど、なんだっていい。

 俺にとって、大事であるのは変わらない。

 なら、娘でも妹でも、家族ならなんだっていい。


 俺は、家族のいない寂しさを知っている。それはきっとイズモも同じだ。

 同じ寂しさを知っているなら、解り合える可能性があってもいいんじゃないか?


「イズモは俺の大切な家族です。俺は、もう家族を失うようなことはしません」


 宣言するように、丁寧な口調で言う。


 バーブレイは虚を衝かれた様子で呆然と立ち尽くしている。

 俺は身をかがめると容赦なく、バーブレイの顎を狙って蹴り上げる。


 バーブレイは少しの間宙を舞い、そして石床に叩きつけられた。

 気絶したのか、バーブレイは倒れたまま動かなくなる。


 俺は振り向いて、座り込んでいるイズモの前に屈みこむ。

 手にされていた銀製の手錠を魔術で開錠し、外してやる。足枷も破壊する。


「イズモ、大丈夫か?」

「ぱぱぁ……!」


 イズモの頭に手を伸ばそうとした瞬間、イズモが抱き着いてきた。

 胴に回された腕をきつく締め上げてきながら、イズモは泣いていた。


「ぱぱぁ……ごめん、なさい……! ごめんなさい……!」


 吐息ひとつ、俺はイズモを宥めるように右手で頭、左手で背中を撫でてやる。


「俺も悪かったよ。ごめんな」

「ぱぱは、悪くないもん……! わたし、が……! ごめんなさい……!」

「はいはい」


 イズモが落ち着くまで、俺はずっと小さな体を抱きしめていた。

 嗚咽混じりの、イズモの懺悔のような言葉を相槌を打ちながら聞いていた。

 やがて落ち着いてくれたのか、イズモはゆっくりと俺から離れてくれる。


 さて、と。ここからは俺も頭を切り替えないとな。

 俺は再びバーブレイの方を向き、いまだに倒れているバーブレイを叩き起こす。


「ひっ……、く、来るな! こっちに来るな!」


 バーブレイはトーナメントでも聞いたことがある言葉を吐きながら、ずりずりと壁際まで下がっていく。

 まあ、来るなと言われても行く必要もないのだが。


「【ブラッディランス】」


 唱えると同時に、バーブレイの型をとるように10本ほどの赤黒い槍が壁を撃ち抜く。


「や、やめろッ! やめてくれ!」

「それでやめると? あいにく俺は神でも仏でもないんでね。その時の気分次第で、全部決めんだよ」


 さらに一本の槍を手の中に生み出し、柄を力強く握る。


 忠告はした。最初に、初めて会ったときにしておいた。だけど、こいつはやめなかった。

 俺の力を見ておきながら、知っておきながら、忠告を無視した。ならば、殺せと言っているようなものではないか。


 バーブレイを殺せば、当然国に追われるだろう。だけど、衛兵に捕まるほど弱くない。

 それに俺には生かしておくだけの価値はあるはずだ。なければ、白の魔導書を引き合いに出したって構わない。


「じゃあな。来世で頑張れ」


 投槍のように構え、腕を振ろうとした。

 だが、その腕をつかむ手があった。


 俺はその手を見て、本人を見る。


「……イズモ、なぜ止める?」


 肩越しに、睨むようにしてイズモを見る。

 睨まれたイズモは、一瞬だけ体を強張らせたように見えた。だが、次の瞬間には俺を見返していた。


「家族を失うのは、誰だって悲しいものです。それは私たちだからこそ、家族がすでにいないからこそ分かるものです」

「……」

「だから、ぱぱには誰かの家族を奪って欲しくないです」

「……戦争のあるこの世界に、そんな生易しいことは罷り通らないぞ」

「わかってます……わかってますけど、彼には、貴族にはもっと別の方法があるはずです」


 ……まあ、そりゃないことはないけども。

 だけど……いや、いいか。

 そもそも、イズモの前で殺すもんじゃないな。


 それに、被害者であるイズモが殺さなくていいというのなら、殺さなくていいか。

 ……なんて理由づけしないと、俺が納得しないんだがな。


 俺は手に持っていた赤黒い槍を消すが、バーブレイを捕らえている槍は消さない。

 動かれては面倒だし、出る前に消してやればいいか。


「よかったな、バーブレイ。お前が襲おうとした奴のおかげで命拾いだ」


 これ見よがしに言うが、当の本人は聞いているか微妙なところだ。

 俺は頭を掻きながらため息を吐く。


 イズモを取り返すのには成功した。後は帰るだけで良いか。

 とは思うが、バーブレイの奴隷がなー……。


「できれば、助けてあげてください。私を助けようとしてくれましたので」


 俺がバーブレイの奴隷を見ているのに気付いたのか、イズモはそんなことを言ってくる。


「ったく、しょうがない」


 転がっているバーブレイの奴隷の脇に膝をついて座り、回復魔法をかける。


「【ヒール】」


 唱えると同時に、彼女の傷が塞がっていく。

 だが、治るのは外傷だけだ。内臓に傷があっても、俺にはそこまでしてやる義理はない。


 彼女は薄らと目を開けると、こちらを見てくる。


「傷は塞いでやった。今ならお前のマスターは自失中だ。逃げるなりなんなり――」

「ぱぱ」

「……ったく」


 一体どこまで面倒を見ろというのか。

 外に連れ出して、ガルーダにエルフの里まで宅配でいいか。


 俺はバーブレイの奴隷に手を貸してやり立たせる。


「歩けるか?」

「なん、とか……」

「じゃあ、今のうちに出るぞ」


「……あの」

「なんだ。さっさとしないと、外出てもすぐに兵士が来るぞ」

「エルフは、嫌いなんでしょう……?」


 こんな時に、なぜこんなことを聞いてくるのだろうか。

 こんな時だからこそ、ってわけでもないだろうに、外出て安全圏まで行ってからでもいいじゃないか。


「……なのに、なんで」

「俺の嫌いなエルフとお前は一緒なのか?」

「……それ、は」

「俺は確かにエルフは好きじゃないけど、イコールでお前が嫌いなわけでもない。ま、感謝するのは俺じゃなくてこっちな」


 空いている方の手でイズモを指しながら言う。

 すると、エルフはイズモに頭を下げ、か細い声で「ありがとう」といった。


「んじゃ、今のうちにさっさと出るぞ」


 そうして、地下牢から出ると魔法で姿を見えなくし、レイヴァン家の領地から抜け出た。



☆☆☆



 外へと出るための門は閉ざされていたが、城門を飛び越えて無理矢理外へと出た。

 王都から一番近くにある森の中に入り、開けた場所に出る。たぶん、俺が暴走したときに薙ぎ払った場所だ。


 そこで指笛を吹き、ガルーダを呼び寄せる。

 夜行性ではないはずだが、ガルーダはすぐに来てくれた。


「こいつに乗っていけば、エルフの里まではいけるはずだ。そこからは自力で何とかしろ」

「……ありが、とうございます」

「そうだ。名前、一応教えといてくれ。お前の、名前な」

「ライミー、です」

「じゃあ、ライミー、契約紋ぶっ壊すぞ」


 契約紋を壊しておかないと、どこに行っても奴隷扱いになる。

 エルフの里にまで行けば大丈夫かもしれないが、血統契約ならバーブレイに居場所がばれる。

 ライミーは着ていた服を少しはだけさせ、胸元にある契約紋をさらす。


 普通、契約紋を壊すにはそれなりの準備物が必要らしいし、マスターの許可なく行うことはできないが。

 契約紋も魔術ならば、俺にならぶっ壊せる。


 ライミーの契約紋に手をかざし、魔力を注ぐ。

 そこから魔力を操作し、契約紋から伸びる魔力回路や命令式を壊しつくす。

 ある一点を超えたところで、奴隷紋が乾いた音とともに砕け散った。


「これで大丈夫だろ」

「ありがとうございます……」


「ああ、それと。エメロアって、分かるか?」

「エメロア……は、わたしの妹、です、が」

「……そう。まあ、ちょうどいいや。伝えといて。今度会ったら、泣かすだけじゃ済まさない、ってな」


 俺は根に持つ方だからな。

 エルフの里を追い出されるきっかけになったあの事件の主犯がエメロアだというのはわかっているのだ。その仕返しを、俺はまだできていない。

 エルフの里には帰らなければいけないし、その時にすればいい。


 とはいえ、ここでライミーがエメロアの姉だからと言って手のひらを返す気もない。

 どうせ送るだけだし、送るのは俺でもない。


「妹、が何かしたなら……」

「代わって謝罪なんざいらん。生きてるなら本人に直接言わせないと意味がないし、そもそも許す気もないから謝る必要はない」

「……いろいろと、申し訳ありませんでした。ありがとう、ございました」

「ああ、いいよ。さっさと行かないと」


 と、俺がライミーにさっさと帰るように言うと、後ろの方から足音が聞こえてきた。

 駆け足で、それなりの人数がいる。

 きっと、バーブレイの命令で追跡に来た私兵だろう。


「さっさと行け。見つかると面倒だから」

「は、はい。本当にありがとうございました」


 ライミーが深々と頭を下げ、そして急いでガルーダの背に乗った。

 ガルーダが羽ばたき、飛び立つと同時くらいに兵士たちが現れた。


 俺はそいつら全員を睥睨するが、装備も練度もそこまで高そうには見えない。

 取り囲まれているようだが、この程度なら撒けるだろう。が、どうするかなぁ。


 捕らえたところで、罪をでっちあげるための用意はあるのだろうか。なかったとしたら、権力によるゴリ押しだろうけど……。

 一応、俺は貴族でもあるわけだし、ゴリ押しは無理そうだが……ニルバリアあたりが助力しそうだよな。


 隊長らしき兵士が一歩前に出てくる。


「ネロ・クロウド。レイヴァン家への不法侵入、及び強盗を働いたと言われたが――」

「レッサー一匹かな?」


 口上を述べる兵士の言葉を遮り、そうつぶやく。


「レッサー……? 一体、何の――」


 俺の言葉を聞き、疑問を浮かべながら問い返してくる兵士。

 だが、また言葉を遮るように、


「ゴアアアアアアアアア!!」


 叫び声が響いた。

 その声に、追ってきた兵士全員があたりを見回し始める。


「レッサーデーモン一匹。それでお前らは瓦解するぞ」


 俺はイズモを抱き上げると、兵士の隙間を縫うように駆け出す。

 あたりを見回し、不安が募っている兵士は隙だらけだ。気付いた時には、俺は既に兵士の脇を抜けている。


「じゃあな。頑張って生き残れ」


 森の奥の方から、地響きのような音が届いてくる。

 それは足音だ。一歩一歩が重厚な音を奏でている。


 その音が先ほどまで俺がいたところで止まる。が、声は響き続ける。

 叫び声。それも、魔物と人の入り混じった、混沌とした叫び声だ。


 装備も練度も低いあの兵士たちの中から、一体どれだけの兵士が生き残れるか。

 レッサーデーモンはそれなりの強さを誇る。俺が一撃で倒せたのだって、魔導師だからである。

 騎士団でもレッサーデーモン一匹に対してそれなりの被害を受けるのだ。ただの私兵で太刀打ちは難しい。


 俺が殺して包囲網を突破すれば、どんな痕跡が残るかわからないからな。ここは魔物の仕業ってことで、処理してもらおう。

 そもそも、俺は門から外に出ていない。外に出るまで姿を消していたのだ。それでも追ってきたのは、バーブレイが予想していたからだろう。

 だけど、俺が門を出たことを目撃し、証言できる奴はいない。俺を罪には問えないのだ。


 ……あ、生き残られたら俺がいたことがばれるのか。

 ま、その前にレイヴァン家を潰してしまえばいいな。それだけの準備を、俺はしているわけだし。




 王都の城門を、姿を消して飛び越え、中へと入る。

 路地裏で、周りに誰もいないことを確認してから魔術を解く。


 さて、と。後は帰るだけだな。

 抱いていたイズモを下ろしてやり、学園長の家へと急ぐ。


 結構遅くなってしまった。時間は……8時くらいだろうか。

 夕食はとっくに終わっているだろうし……学園長、大丈夫かな。もう、あの3人に料理を任すような馬鹿な真似はしないだろうと信じたいが。

 だが、どこで何をしていたかは問い詰められそうだな。昨日いなかったイズモも連れているわけだし。


 言い訳を考えなければ……できるだけ自然な言い訳を。

 しかし、そうそう都合のいい言い訳なんて思いつかないぞ。


「……ぱぱ」


 俺が言い訳について頭を捻っていると、袖口を引きながらイズモが呼んできた。


「なんだ。今、言い訳考えるのに忙しいんだが」

「ぱぱは……私を愛してる?」


 ……あ?

 あまりにも唐突な質問に、俺は足を止めて振り返る。


 イズモの目を見るが、至って真剣な目をして俺を見返してきている。

 恥ずかしいことを、よくもまあ堂々といえるな。俺ならきっと無理だろう。そもそも、そんな質問したくもない。


 だけど、これはちゃんと答えてやらないといけない様子だ。

 だけど、愛しているかと言われてもなぁ……恋人に言うわけでもないのに、なんで言わなきゃいけないんだろうか。


「……知らん」


 結局、俺は一言で切って捨てた。

 そんなこと訊かれても、俺には答えられない。


「俺が愛している、って言って、お前は信じるか? 周りから見て、俺はお前を愛していると断言できるか?」

「……」

「そういう感情的なもんはな、お前がどう感じるかだ。俺が愛しているといって、お前が愛されていないと感じているなら、俺は愛していないことになる。周りから見てもそうだ。周りが愛されていないと思っても、お前が愛されているというなら、愛されているんだよ」

「……そうなの?」

「たぶんな。お前は人並の常識を持ち合わせているから、それで大丈夫だろう」


 俺の論理はいろいろとおかしいところがある。

 思考の海に沈むことは多々あるが、沈めば沈むほど他人との価値観が遠ざかっていく感覚がある。


 つまり、深く考えすぎて真意を誤解するんだ。

 そして、誤解しているために万人の感想と違ってくる。


 国語のテストみたいなものだな。心情を書け、なんて言われても、一人ひとり感じ取るものが違うはずなのに答えを強制しやがる。

 そこに譲歩は存在するかもしれないが、マルとバツに分けられる。

 先生は答えなんてないといっておきながら、答えを決めつけてくる。


 どこかで聞いた話に、小説の読解問題の答えと作者の考えが違うというものがあった。

 どちらが正しいのか。どちらも正しいのだ。

 人の数だけ答えがある、なんてのは少し安直か。


「人は人を決めつけて押し付ける。そうやって生きてんだ。だったら、お前もそうやればいい」


 国語に、道徳に最善はない。

 だったら決めつけろ。


 これが最善だと、それは最悪だと。

 決めつけ、押し付け、そして生きていく。


 誤解して、理解して、正解して。

 そうやって生きていくものだ。


 この世は不条理で不可解だ。


「……わかりました」

「ならいい。じゃあ、帰るぞ」

「待ってください」


 振り向き、足を踏み出そうとすると、また袖を強めにひかれた。


「今度はなんだ?」

「ぱぱは、私を家族だと、娘だと言いました」

「……それが?」


「でも、血が繋がってませんよ?」


 真剣な目をしているから、何を言い出すかと思えば……。


「そんなのはどうでもいいんだよ。気持ちの問題だから」

「血統契約がありますよ?」

「……あのな、お前はどうしてそこまで俺の血を欲しがる?」


 まさか吸血鬼だからとかいうのか?

 ……ああ、そういや、イズモの種族が吸血鬼に思い当たった時に頭突きをかまされたな。


「わかったよ。ったく……」


 切り傷をつけて血を出そうと、腰に差していた剣を抜こうとすると、その手をイズモに抑えられる。

 そして、手でしゃがむように指示される。


 ……あれですか? 首筋に噛みつくんですか?

 吸血鬼って、なんで首筋なんだろうな。血がいっぱい通ってるからかな。


 俺はため息を吐きながら、言われたとおりにしゃがみ込む。

 イズモはしゃがんだ俺の首に腕を回し、思った通りに首筋に歯を立ててきた。

 鉛筆でも突き刺したような痛みが走り、血が吸われている感覚が伝わってくる。


 イズモが離れるまで十秒程度、そのままの格好でいた。

 歯を抜き、腕も解いてイズモは俺の前に立った。


「あれ……?」


 だけど、その目にはなぜか大粒の涙が浮かんでいた。

 イズモは手でその涙を拭うが、どんどんとあふれ出てくる。


「なんだか……懐かし、くて……」

「……それは」


 イズモが吸血人だとすると、成長に必要なものは純潔であることと、無償の愛、だったか。


 そして、愛は魔力とともに血で吸い取るのならば、

 俺が黒の魔導書を使うために飲んだ『吸血人の血』が、イズモの両親のものだったとして、


 イズモは、本当の親の愛情を感じているのかもしれない。


 根拠はどこにもなく、ただの俺の推測だけど。思い違いかもしれないけど。

 そんな偶然が、奇跡が今ここであったならば、それはきっと……。


「ぱぱと、ままが……笑って、くれてた……! おめでとうって……言ってた……!」

「……よかったな」


 俺はイズモの頭を撫でてやる。

 イズモは俯き、必死に涙を拭っている。


「よく頑張ったって……褒めて……!」

「当たり前だろ。お前は300年、ずっと頑張ってきたんだから」


 300年。長命な種族にとっては普通なのかもしれないけど。

 イズモはずっと、今までの人生ほとんどを奴隷として生きてきたのだ。


 褒められはしても、怒られることは決してない。


「ぱぱ……ありがとう……!」

「ああ。イズモもよく頑張ったな」


 イズモが泣き止むまで、頭を撫でてやっていた。




 結局、学園長の家に着くまでに言い訳は思いつかず。

そして、なぜかとても眠かった。


「イズモ……なんか、すっげぇ眠いんだけど……」

「私も、です……」


 二人そろって眠いとか、何なんだよ。

 吸血行為の副作用的なものか?


 とりあえず、誰かと話せるような頭でもないし、自室に帰り着くまでに誰とも会わなかったから、説明は明日でいいか。

 だが、部屋の扉を開けて電気をつけると同時に倒れ込んでしまった。

 横にいるイズモも、同じように倒れ込んでいる。


 ……電気ついたままだし……床だし……まあ、いいか。

 俺は諦め、意識の手綱を手放した。



☆☆☆★★★



 日が傾きだしたころ、玄関の鈴が鳴った。

 大方、これまでずっと寝ていたネロが起きて、外に向かったのだろう。


 まったく、私は家に帰ってもずっと雑務だというのに。

 ……なんて、今のネロには言えないか。


 昨日の夜の彼は、少々おかしかったな。

 あんなきつい言葉を使う彼は初めてだったし、思った通り、彼は脆く壊れやすかった。


 トロア村での家族、それにエルフの里での別れで、彼は二度ほど壊れただろう。

 そして、今回で三度目か。


 彼は一体、何度壊れるのだろうか。

 そして、いつになったら壊れなくなるのか。


 もしかすれば、彼は世界に嫌われているのだろうか。

 彼が気に食わず、何度も破壊しているのだろうか。

 ……ま、そんなはずはないな。


 そもそも、世界に意志があるとも思えん。

 ただの偶然であり、運命だとして片づけるしかないか。


 私はネロを追おうとは思わず、そのまま雑務に没頭する。

 昨日の夜からずっと黒の魔導書を借りたままだが、必要となれば取りに来るだろう。




 本格的な夜になる手前くらいだろうか。

 外は闇に包まれだしているが、ネロが帰ってきた様子はない。


 ……そろそろ探しに行った方がいいだろうか。

 まさかとは思うが、自殺なんてしていたら……だが、彼はもうしないと断言したはずだ。


 私が捜索に出るかどうか迷っていると、黒の魔導書が勝手に浮き上がった。

 それは意志を持っているかのように飛び回り、そして開いていた窓から飛び出してしまった。


「ああああああああああ!!」


 思わず絶叫してしまった。


「くそ! まだ仕事が残っているというのに!」


 何を励みに頑張ればいいのだ、私は!


 ……仕方ない。今日は普通に頑張るか……。

 しかし、やる気が一向に起きない。


 必要ならば一言くらい言ってくれればいいのに、なぜ急に持ち出すのか。

 黒の魔導書は、確か精霊のグリムが自由に操れるから、きっと彼に今必要になったのだろうけど。


 ……やる気が起きないな。

 だが、やらなければ王妃の奴がうるさいし……いつまでも言い訳ができるわけでもない。


 はあ、と大きくため息を吐いて椅子に座り直す。


 さて、頑張るか……。



★★★



 途中夕食を挟み、仕事が終わったのは日が暮れてしばらく経った後だ。

 しかし、ネロがいないとここまで困るとは……。


 彼の家事については、ほぼ朝と夜の料理だけなのだが、いないとここまでひどいものだっただろうか。

 ……いや、きっとあの3人のせいだろうな。


 王女様二人に公爵様。

 料理を作ろうとするのは別にかまわない。むしろその向上心は褒められるべきものだろう。

 だが、見た目からして失敗作だとわかるものを食べさせようとするのはやめてほしい。


 結局食べられるものではなかったので、何とか説得して食堂のあまりものをもらってきた。

 あの三人には悪いが、食事の後に料理の練習をしてもらおう。それと、料理ができる者がいるところで。


 仕事を片付けるため、ラストスパートをかけようとしていた時、玄関の鈴が鳴った。

 たぶん、ネロが帰ってきたのだろう。

 イズモについて聞きに行きたいが、先に仕事を終わらせてしまおう。


 そして、それから仕事を精一杯早く片付けた。

 一度、ぐっと伸びをしてから立ち上がり、ネロの部屋に急ぐ。


 イズモが本当にいなくなってしまったのなら、新たな奴隷を買い与えることも考えなければいけないし。

 別に奴隷を育てることに執着する必要はないのだが、彼の教育方針はそれなりに面白いからな。


 とはいえ、まだ本当にイズモがいなくなったとは限らない。

 王女にでも頼めば、捜索はしてくれるだろう。

 怪しい奴といえば……やはりレイヴァン家だろうか。あそこを、徹底的に調べてもらえばいいな。理由は適当にでっちあげればいい。


 世の中大体そんなものだ。たぶん。

 まあ何にせよ、ネロとはこれからのことについて話し合わなければいけないだろう。


 彼の部屋の前に着き、ノックをする。

 が、返事が返ってこない。


「ネロ、帰ってきているのだろう?」


 まさか、もう寝たのか?

 早くないか? まだ彼が寝る時間は来ていないと思うが……。


「ネロ、入るぞ」


 返事がないが、帰ってきたのは確かだろう。

 どちらにせよ、ここは私の家だし、いなかったとしても部屋に入るくらい許してくれよ。


 そう思いながら扉を開けるが、部屋は電気がついていた。

 そして部屋を見回し、人影はない。

 ベッドにもいない。が、視線を下に向ける。


「……」


 思わず笑みがこぼれた。

 ネロとイズモが、倒れ込むようにして寝息を立てていた。


 しかも、二人の手は握られたままだ。


 絶対に離さないというように、指を絡めて握っている。

 こんな微笑ましい光景、私は見たことないぞ。


「魔導師様も人の子だな」


 私は二人の手が離れないように何とか持ち上げ、ベッドに移す。

 ……くっ、子どもとはいえ、二人分の体重は女の私には少々きついぞ。


 だが、何とか運び終え、私は部屋を出る。


「お疲れ様、ネロ、イズモ」

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