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メイジ オブ Mage  作者: 水無月ミナト
学園編 学園の魔導師
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第二十一話 「断ち切る」

 ドライバーに起こされてから、高く飛び上がったり、路地裏を駆けまわってイズモの姿を探したが、見つかることはなかった。

 日も暮れだしたので、俺は諦めて学園長の家へと戻った。


 家に帰り着き、まっすぐにダイニングキッチンに向かう。

 夕食を作っていると、ノエルやフレイヤが姿を現してくる。


「あら、一人?」

「ああ」


 ノエルが、イズモがいないことに怪訝そうにしながらも席に着いた。

 グレンや学園長も姿を現し、全員集合だ。


 俺は5人分の夕食をテーブルに乗せながら、自分の席に着く。

 全員からの視線を完全無視し、食事を続ける。

 だが、耐えきれなくなったように、隣に座るノエルが声をかけてきた。


「……イズモはどうしたの?」

「知らん」


 俺は左腕を掲げて見せ、ちぎれてしまったリボンを示す。


 ……まったく、リリーが俺を振り回してもちぎれなかったリボンを、どうやってちぎったのか。まあ、そのせいでちぎれやすくなっていた可能性もあるんだけども。

 誰がしたにせよ、イズモはいなくなった。今日のうちに探せる範囲は探した。


「……どこか行ったの?」

「ああ。誰かに殴られて気絶している間に、どっか行った。探せる範囲は探したよ」


 ちゃんと千里眼も使いながら、路地裏を駆けずりまわった。

 だけど、それでも見つからなかったんだ。


「見つからなかったし、王都から出たんじゃない?」

「そんなことないでしょ!」


 ノエルが机をたたきながら、怒鳴ってくる。

 それを、席を立ったフレイヤがなだめにこちらにくる。


「ノエル、少し落ち着きましょう」


 フレイヤに肩を抱かれながら、ノエルはゆっくりと息を吐く。


「……ネロは、それでいいの?」

「何が?」

「……っ!」


 パンッ、と乾いた音が響き渡った。

 俺が、ノエルに張り手をされたのだ。

 口の中に血の味が広がる。口内を切ったようだ。


「ノエル! 少し落ち着きましょう! ね?」


 フレイヤが慌てたようにノエルを俺から引きはがしにかかる。

 それに抵抗することもなく、ノエルは引きずられるようにして後退した。


「あなたにはわからないの!? イズモが、イズモがどれだけあなたを信頼していたか!?」

「……」


 叫びのような叱責に、俺は黙っている。

 言い返せないわけではない。だけど、言い返してはいけないと、そう思うから。


「奴隷のイズモが、なんであなたを『パパ』なんて呼んでるかもわからないの!?」


 ……俺には分からない。だって、怖いもの。


「イズモがなんで怒っていたのかも、本当にわからないの!?」


 わかるわけがない。俺は、そこを理解しようとしていないから。


「ノエル、落ち着いて……」

「フレイヤも何か言ってよ! イズモがどんな思いか、話してくれてたじゃない!」

「ノエル……」

「ネロも、何か言い返してよ! なんで、なんで私が……!」


 問われるが、俺は沈黙を保つ。

 ノエルやフレイヤにわかったところで、俺には分かるはずがないのだから。


 言い返せる。だけど、それはきっと核心ではない。本心ではない。

 ……俺は、一体イズモをどう見ていたのか。

 わからない。わかりたくない。理解したくない。知りたくない。


 ――怖いもの。


 怖くて怖くて、たまらないのだ。

 ……だけど、いったい俺は何を怖がっているんだ?

 わからない。……わかりたく、ない。


「……」

「なんでよ……なんで何も言わないのよ! あなたにとって、イズモはその程度だったって――」


 カンッ、と今度は硬い音が響いた。

 音源は学園長の持つ扇子だ。学園長が扇子を机に打ったのだ。


「フレイヤ様にグレン様、ノエル様をちょっと頼む。私は、ネロと話をする」

「わかりました」


 学園長の言葉に、ずっと静観していたグレンも立ち上がって、三人揃って部屋を出て行った。

 残されたのは、俺と学園長だけ。


 俺は座り直しながら、学園長の方へ向く。


「……なんですか?」

「君は、本当にイズモがどうでもいいと思っているのか?」

「……知りませんよ」


「それじゃ通らんぞ。知らぬ存ぜぬが通るのは、子どもだけだ」

「だったら俺は子供なんでしょう」

「違うだろ? 君は魔導師であり、イズモの保育者だ。君は本当に、イズモのことが――」


「だからッ、知らねえっつってんだろォが!!」


 振り上げた腕を机に叩きつけながら、叫ぶように怒鳴る。


 俺は、この世界に生まれて初めて、ここまできつい言葉を発しただろう。

 いつもどこかで、リミッターをかけていたのだ。


 声を押し殺し、気持ちを押さえつけ、思考を途絶えさせ。

 自分を、前世の自分を殺し切るために。


 俺には前世の記憶があるのだから。

 二回目の人生ということで、いろいろと思うところがあるから。

 自分を御し切れないと、いつまたあの絶望を味わうかわからない。


 俺は心の奥底で、きっと家族の死すら、言い訳をしていたのかもしれない。死ぬことで逃げようとしたのかもしれない。

 自分で殺した、なんて言っておきながら、心のどこかで、仕方なかった、と諦めている自分がいるんじゃないのか。


 だからこそ、今度こそ自分で引き起こす絶望が怖いのだ。

 周りに失望され、自分を殺し、世界のせいにして。


 それでも生きている俺が一番怖く、同じことを繰り返してしまいそうで怖い。


 なぜ俺が転生などしたのか。

 もっと素質のある奴なんていっぱいいるだろうに。


 スポーツ万能、頭脳明晰、性格優秀。

 人生勝ち組、どんなことも楽しめる、誰からも愛される。

 そんな奴も、俺の爆弾で死んでいるはずだ。


 なのに、なのになぜ……!


「殺した俺が生きてんだよッ……!」


 意味が解らない。理解できない。

 どうして“俺”なんだ。ネロ・クロウドという体を奪っておきながら、なぜ“俺”が転生などしたのだ?


「……すまなかった。今日はもう、休むといい」

「……」

「明日も、自力で何とか起きてみるし、料理もしてみる。だから、今日はゆっくりと休むといい」


 余計な気遣いを……。

 そうは思うのに、声が出せない。


 先ほどの怒声で、喉が枯れてしまったかのように。

 込み上げる何かで、うまく声が出ないかのように。


 歯を食いしばり、鼻を啜り、涙を溢し、



 ――一体、俺に何を求めているのか。



 こんな弱い俺に。

 何の取り柄もない俺に。

 ただの罪人の俺に。

 協調できない俺に。

 異世界から来た俺に。



 世界は一体、『――――』に、何を望むのだ……。





 学園長が立ち上がり、部屋から出ていく音がした。

 それでも俺は動けずにいた。

 金縛りにあったように、鎖で拘束されたように。


 何も考えられない頭が、ただただ思考を垂れ流していた。

 それはどうにも要領を得ず、声に出すことなどできず、流れていく一片すら取り次げない。


 視界に広がる世界だって、色を失ったように、形を失ったように何も知覚できない。

 俺自身から、感情という感情が漏れ出たように、何も知覚できなかった。


 俺は亡者のようにゆっくりと立ち上がり、歩を進めた。

 無意識様な状態で自室まで辿り着くと、ベッドに倒れ込むようにして横になった。


 何も考えられず、明かりもつけたままに、

 俺は、眠りに落ちた。



☆☆☆★★★



 王都にある一軒の屋敷。

 表札はなく、しかし私兵が昼夜問わず警戒を続ける、貴族の屋敷だ。


 レイヴァン侯爵家の屋敷。


 その地下牢。レイヴァン家の当主すら知らない、嫡男が一人で勝手に作り出したものだ。

 通用口は彼の部屋のクローゼットの中。その背を押し開くことで、地下牢への道が開かれる。


 その地下牢には一人の魔人族が捕らえられている。

 艶やかな黒髪、狂気に晒されたような赤い瞳、両側頭部についた羊角。

 幼く、小さい、人型の少女。


 魔人族の人型は高位である証。全魔人族の1割程度しかいない。

 かつてガラハドによって落とされたカラレア神国。その統治者である魔帝もまた、人型であった。


 彼女には現在のカラレア神国の現状を知るすべはない。

 だが、それはカラレア神国がガラハドに落とされたからではない。それ以前から、彼女はこの地下牢と似た場所にずっと幽閉されて育った。

 今もまた、同じように幽閉され。


 奴隷として売られ、各地を転々としてきた彼女。

 時には1日で奴隷市場に戻されることもあった。それでも、貞操だけは保ち続けてきた。

 それは彼女の種族に必ず存在する、加護のようなもののおかげだ。

 普通なら、両親が守ってくれるものだが、万が一の場合に備えての先人が備えさせた加護。


 大人に成長するためには二つの条件がある。そのうちの一つが、必ず純潔でなければならない。

 もし純潔を失って成長した場合、一般に知られている『腐人』と呼ばれる種族に身を落とす。


 純潔、そしてもう一つ、他者からの無償の愛が必要だ。

 それをくれる相手は、普通ならば両親だ。

 彼女の種族は、先祖代々ずっとそうやって大人となってきたのだから。


 時期をみて、大人となっても大丈夫だと判断されたときに、

 血とともに、その無償の愛も受け取るのだ。その愛は、魔力とともに流れ込んでくるものではあるが。


 つまり、彼女は愛してくれる他者から血と魔力を分け与えられることで、大人へと成長する。


 しかし、彼女に両親はいない。すでに、目の前で殺されてしまった。

 殺した相手はきっちりと目に焼き付いている。

 それはガラハドではない。彼女にとって、叔父にあたる人物だ。


 その叔父は、ガラハドによって殺されたけれど。

 彼女は、だからこそ、ガラハドを恨みはしていない。




「…………」


 後ろ手に錠をされ、足には鎖のついた枷がつけられている。

 とても逃げられるような状況ではない。

 マスターに教わった、なけなしの魔法を使おうとしてみるも、錠がそれを許さない。


 銀製の錠だ。

 普通、魔術はどんなときでも、魔力さえあれば使えるものだ。

 だが、銀製品はその魔力の流れを阻害する働きがある。


 それは純銀になればなるほど効果が高くなる。

 安物の銀では中級の魔法を押さえつけるのに精一杯だが、彼女にはそれだけで十分だ。

 上級、超級は魔術書を必要とし、王級と神級は魔導書を必要とする。


 銀の錠は一般には出回っていない。悪用を避けるため、すべて国が管理しているのだ。

 それは魔法を使えなくする、安物の銀の錠も同じだが。


 なぜレイヴァン家が所持しているかと問われれば、貴族、それも侯爵だからと答えるほかない。

 国……王族だけでの管理は難しい。ゆえに、信頼のおける貴族たちにも管理を一部任されているのだ。

 魔術、魔導を封じる銀の錠は、すべて王族か公爵が管理しているが、魔法を封じる錠は侯爵にも一部が任されているのだ。


 もっとも、凶悪犯罪者以外の者に使えば罰せられる。

 だが、彼女は魔人族であり、この国では奴隷だ。


 人族至上であるこの国にとって、それは確かに犯罪行為にはなるが、目を瞑ることも少なくない。

 だからといって、レイヴァン家の嫡男は勝手に持ち出し、勝手に使用しているのではあるが。


「……」


 彼女の眼から一滴の涙がこぼれた。

 それは後悔か、怒りか。あるいは両方だろうか。


 彼女は口をほんの少しだけ開け、しかし声もなく涙を流す。

 もしかすれば、この3か月程度のことを思い出しているのかもしれない。


 今のマスターに買われ、追従し、認められたと思っていた。

 なのに、マスターは、彼は、


「……ぱぱは……」


 死のうと、またした。

 もうしない、とは言わなかった。むしろ死に急ぐとも言った。

 だけど、彼女にそれを止めてくれと頼んだ。

 嬉しかった。認められたと、奴隷の自分を認めてくれたと、そう思った。


 だけど違った。


 彼は結局、自分など認めてなどいなかった。

 頼まれたのに、止められない場所にいたからだろうか。


 違う。


 彼に遠ざけられていたから、だ。


 ……本当は、彼がトロア村の村人を一人でも多く避難させたかったからだったが。

 彼女には、そうは受け取れなかった。


 自分のいないところで、邪魔されないように、死のうとした。


 そう思った。

 それが一番、彼を見てきた彼女には納得できる行動だと思ったから。


 なのに、なのに彼は、


 もう死のうとしない、とそう言った。

 その意味の為すところは何か。決まっている。


「……私は、……必要とされて、いない……」


 呪詛のようにこぼれ出る言葉。


 彼は死ぬのを止めてくれと頼まれた。

 なのに彼は、もう死ぬのをやめたといった。


 ならば、自分が彼にできることは一体なんだ?

 ……何も、ない。


 何もないのだ。


 300年以上生きてきた彼女だが、そのほとんどを、この地下牢のような場所で育った。

 どんなマスターに買われても、このような地下牢に押し込められ、犯されそうになり、叫び、売られ。

 その繰り返しだった。


 彼女には何も、学ぶ場が一切なかったのだ。

 人を知らない。魔法を知らない。剣を知らない。

 気持ちを知らない。感情を知らない。付き合いを知らない。


 極端に言ってしまえば、家族も知らない。


 両親が殺されたのは物心ついたころだ。記憶なんて、殺されるその瞬間しか存在しない。

 それからはこの地下牢だ。


 彼女は何も知らない。人を、世界を、世の中を。


 だから、彼にできることなんて何一つない。

 死のうとするのを止めてくれと頼まれたとき、唯一の存在意義ができたと、そう思った。

 だけど、その存在意義すらなくなってしまった。


 また、奴隷市場に戻るのだろうか?

 暗く、汚く、淀んだあの場所に。


 また、誰とも知らない相手に買われるのだろうか?

 暗く、汚く、醜い誰かの元へ。


「……ッ」


 考えるだけで嗚咽が漏れた。涙が溢れた。

 唇を噛み締め、鼻水を啜る。


 この3か月、今のマスターに買われてからの生活。

 それがどんなに幸せだったか。


 これまでのどのマスターとも違う。

 彼に買われた際に言われた言葉を思い出す。


『俺はお前を奴隷としては扱わない』


 その言葉は、確かだった。


 最初は嘘でしかないと思っていた。

 経験からして、こんなことを言っておきながら、結局は体目当てで。

 そして、ゆっくりと時間をかけて打ち解けていくようで、だけど最終的に襲われて。


 叫び、そして返品される。


 いつもの繰り返しだと思った。

 彼も前のマスターとなんら変わらないと思った。

 いつものように、自分の思い通りにならないなら、いらないと捨てられると思った。


 だけど……、だけど、彼は――

 彼は違った。他のマスターと、まったく違ったのだ。


 本当にこの世界の住民なのかと疑いたくなるほどに、彼は違った。


 自分を初めて、優しい瞳で見てくれた。

 自分を初めて、雑に扱わなかった。

 自分に初めて、温かいご飯をくれた。

 自分に初めて、本を読んでくれた。


 彼との生活は、何もかも初めてだった。

 初めてばかりで……甘えていたのかもしれない。


「…………さい」


 か細い声が漏れた。

 それは、次第に思いが込められていく。


「……ごめん、なさい……ごめんなさい……!」


 謝罪の言葉が、止まることなく漏れ出てきた。

 初めてのことだ。マスターに対して、こんな気持ちで涙を流し、謝るのは。


 彼は、彼なら、自分に存在意義がなくても一緒にいてくれたかもしれないのに。

 奴隷の自分でも、手を差し伸べてくれるかもしれなかったのに。


 その彼を突き放したのは、その手を払いのけたのは、他ならぬ自分だ。


 感情に任せて怒り、見限って、不機嫌になり。

 彼を怒るのも仕方ないと、自分で思えてしまうくらいにひどいことをしたと思う。

 勝手に彼を値踏みして、決めつけて、押し付けて。


 一体、自分は何様のつもりなのだろうか。




 と、その時、階段から足音が二つ鳴り響いてきた。

 レイヴァン家の嫡男、バーブレイとその奴隷が、地下牢に姿を現した。


「やあ、元気にしてた?」


 バーブレイは軽快な声音で聞いてきながら、牢の鍵を開けて中に入ってくる。

 イズモは彼から逃げるように、座ったまま後退りするが、容赦なく距離を詰めてこられる。


「つれないな。でも、いいのか? 今のお前の生殺与奪はオレにあるんだぜ?」


 その言葉に肩を震わせるイズモ。

 ハッ、と息を吐いたバーブレイは、イズモを無慈悲に蹴りつけて反転した。


 彼の後ろをついてきていたローラに、手で中に入るように指示する。

 ローラと入れ替わるように外に出たバーブレイは、牢の鍵をかけて地下牢を後にした。


 残されたのは、奴隷の二人だ。

 暗く閉ざされた空間で、二人は同じ牢に入れられている。


 不意に、ローラがイズモへと手を伸ばそうとした。

 だが、イズモは強くその手を払いのける。


 ローラは弾かれた手を手で握りこみながら、歯を食いしばっていた。


「……ごめん、なさい」


 か細い声に、イズモが振り向いた。

 ローラは襤褸の布の端を手でつかみながら、俯きがちに謝っていた。


「……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 いつしか彼女のいる石床には濡れた跡が出来上がっていた。


「……」


 懺悔のようにいつまでも続く謝罪の言葉を、イズモは顔をしかめながら聞いていた。


 なぜ自分に謝っているのか、何を謝っているのか。

 イズモにはわからなかった。


 それがすべて自分に向けられているのであろうことは、何となく察せられるが、理由がわからない。

 彼女はバーブレイの奴隷であって、自分とは一切関わり合いがないのだ。

 なのに、なぜ彼女が自分に謝ってきているのか。


 わからず、イズモは顔を逸らして横になった。

 寝ようと目を閉じるけれども、その謝罪の声がやむことはなく。


 そしてやはり、たった一人で、暗いこの牢の中では眠れるはずがなかった。

 ただ寝たふりをしたまま、彼女は来るかもわからないマスターを待っていた。



★★★☆☆☆



 目を開けると、窓の外は赤く染まってしまっていた。

 どうやら半日以上も寝こけてしまっていたようだ。


 ついたままだった電気を消し、ローブを羽織りながら自室から出る。


「あ……」


 出たところで、ノエルと鉢合わせしてしまった。


「……」

「……ふん」


 俺が無言で見つめていると、ノエルは顔を逸らしてそのまま歩き去った。

 髪を掻きながら、ため息を吐いた。


 ……とりあえず、外に出よう。外の空気を吸おう。

 そう思い直し、学園長の家から外へ出て行った。



 日の沈みゆく太陽を眺めながら、城下町を当てもなくぶらつく。

 感情の整理がつかず、おかげで何も考えられない。


 とりとめのない思考はただただ意味をなさず、生まれては消えゆくのを繰り返していた。

 ……一体、何をしているのだろうか。


 それにしても、王都で一人というのは何気に初めてじゃないだろうか?

 幼少の頃はすぐにノエルに捕まってしまったし、ここ最近もずっと誰かがいた気がする。


 別に一人が嫌いなわけじゃない。むしろ好きだ。考えるのが自分だけで済むから。

 とはいえ、自分のことも考えられないくせに他人のことを考えることはおこがましいか。


 ……ああ、もう、ほんと無意味な思考だよな。

 そう断じながらも足を動かす。


 動いていないと思考が働いてしまうからだ。

 思考を止めることなど無理なのだろうが、それでもできるだけ目に入るものについて思考していた。


 だが、なぜ俺は思考を放棄しようとしているのだろうか……?

 一体、何から逃げているんだ?


「……ネロ? おい、ネロ?」


 肩を叩かれながら名を呼ばれ、俺は振り返る。

 そこにいたのは……学園のクラスメイトだ。


 相手は心配そうな表情で俺を見てきているが、なぜそのような表情をするのだろうか。


「どうしたんだよ、大丈夫か?」

「大丈夫、だけど。別に学園休むことなんて、珍しくないだろ?」

「ああ、まあそうなんだけど……いや、なんていうかさ」


 俺の言葉に納得しながら何度か頷く。

 だが、そうじゃないというように首を振られる。


「えと、ノエルさ……ノエ、ル……」

「別にここにノエルいないから、好きに呼べよ」

「そ、そうだな。えっと、ノエル様も今日元気がない感じでさ。ネロとノエル様って、学園長の家に住んでるんだろ? なんかあったのかって思ってさ」

「……特にないけど」


「本当か? いや、でもお前、どれ……じゃなくて、イズモって子、連れてないしさ」

「ああ。なんかどっか行った」

「どっか行ったって……そのせいかな? お前、遠くから見てたら、すごい悲しそう……ていうか、寂しそう? にしてたぞ」

「いや、知らんけど……」


 彼は言葉にしては見たが、しっくりこないのかまた頭を傾げて言葉を探している。


 ……そんな寂しそうにしてたのか、俺?

 自分のことじゃないから、どうにも実感がないんだが……。


「で、なんか用?」

「用ってほどじゃないんだけど……ちょっと気になったから声かけた、って感じで」

「そうか。まあ、指摘はありがとう。今度からわからないようにする」

「そういうんじゃなくて……」


 あー、とクラスメイトは頭を掻き毟る。


「なんてーの? ほら、ネロもノエル様も、俺ら7組じゃ雲のような存在なんだよ。だけど、その二人が自ら俺たち平民と同じ立場に来てくれているようで、結構うれしいんだ」

「……」


「それに、イズモもさ、子どもだけど、すごいかわいいし。ノエル様も美人だしさ。そんな二人に囲まれてるネロをうらやま……じゃなくて」

「……」


 意外と真剣に聞いてたのに、今の発言で一気に視線に冷やかさが増したと思う。

 そんな視線に晒されてか、彼は取り繕うように大き目の声を出す。


「と、とりあえず! 俺たち平民や男子にとって、ネロやノエル様、それにイズモも合わせて3人にはさ、感謝……じゃないけど、あー、なんだろう」


 まったく要領を得ないクラスメイトの、嘆きのような声を聴いて。

 少しだけだけど、心の中の迷いのようなものが消えた気がした。


「憧れ……? 羨望……、えーと……」

「ぷっ」


 思わず、本当に思わず。

 俺は、笑い声をあげていた。


「な、何も笑うことねえだろ!? こっちは真剣なんだぞ!」

「いや、悪い悪い。お前を笑ったんじゃないよ」


 そう、彼を笑ったんじゃない。

 この笑いは、俺に対するものだ。


 一体、俺は何を悩んでいたんだろうか。

 答えを決めつけてしまえば、押し付けてしまえば簡単なことだったのに。


 怖いだ? ただ俺が逃げてただけじゃないか。

 この世に、家族を奪われる以上に怖いことなどあるはずがないだろう。


 だったら、俺に怖いものなんて存在しない。当たり前だ。家族を目の前で奪われ続けたんだから。

 怖いものなんてないんだ。決めつけて、押し付けてしまえ。


 そうさ、俺に怖いものなんてない。


 障害は払いのけてしまえ。それができるだけの力を、俺は持っているじゃないか。

 悩むなら進んでしまえ。答なんてなければ、自分で決めつけてしまえばいい。


 世界が何を望んでいようが、俺は世界の通りに動く代物ではない。

 俺は俺のしたいようにするだけの力があるんだ。

 だったら、してしまえばいいのだ。


 俺を止められる存在は、この世界に存在しない。


「ありがとよ。おかげで吹っ切れた」


 俺は彼の肩に手を置きながら、そういった。


「お、おう。役に立てならうれしいが……なんか、すっげー黒いぞ?」

「おおっと、すまん」


 俺は口元を手で押さえながら、だけど笑みがかみ殺し切れない。

 まあいいや。今はそんな些細なことに構っていられない。


 俺は軽く手を振りながらクラスメイトと別れ、家へと急ぐ。

 すでに日は沈んでしまおうとしているけれど、関係ない。動くなら、夜の方がいいに決まってる。


 まずは、イズモを取り返そう。


「グリム、魔導書持って来い」

「ああ、わかった」


 魔導書は今、学園長に渡している。

 手ぶらで行くようなバカな真似はしない。


 言った筈だ。ちょっかい出したら、


「殺す、ってさ」

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