第二十話 「強奪」
イズモと腕を結び、1週間ほどが経とうとしていた。
俺は二回目のことなので、この生活にすでに慣れ始めている。だが、イズモはまだ少し生活しにくそうだった。
一応、そんなイズモを手助けするが、関係は良くならない。が、悪化もしない。停滞している。
王城でもらった歴史書と英雄譚についてだが、まだ読めていない。そのため、あの老人とはまだ再会できていない。
フレイヤにも老人について聞いてみたが、学園長と同じような返しをされてしまったため、やはり行くのが怖くなった。
学園内トーナメントもつつがなく終わり、1学期に残す行事はあと一つ。
魔法学園と騎士学校の、代表同士の勝負だ。
誰が代表に選ばれるかは、まだ発表されていない。それはどちらの学校も同じ。
これが済めば、1か月ちょっとの長期休暇に入り、グレンや辺境から来ている生徒が帰省を始める。
俺はその長期休暇には、一度クロウド家に来いと言われているので、行かなければいけない。
返事をしてしまった手前、行かないわけにはいかないのだ。
別にすっぽかしてもいいが、学園長に話を通されているためにそうもいかない。
俺はこれからのことをいろいろと考えながら、学園の廊下を歩いていた。
現在放課後。帰りの会の終了直後に、ミリカ先生に呼ばれ、学園長が呼んでいるといわれたのだ。
一体何の呼び出しか。いろいろと心当たりがあるが、会ってみるまではわからない。
イズモは、帽子を俺が取り上げたので角を隠すことなくついてきている。剣も、ナトラの剣が壊れた際に買ってやった安物の剣が一本だけだ。
帽子は俺がかぶっているし、ナトラの剣も俺が腰に差している。完全武装……じゃないけど、最後の誕生日プレゼント完全装備状態だ。
廊下を進んでいると、横の階段から二つの人影が現れた。
学生と奴隷。従者じゃないことは一目でわかる。首につながれた鎖を、学生の方が引いているからだ。
だが、そんな悪趣味を持つのは学園の中でも数人程度だ。
「ん? ああ、ネロくんじゃないの」
「……気持ち悪っ」
「てめえ……」
おっと、思ったことがそのまま出てしまった。
姿を現したのはバーブレイだ。奴は、俺に負けて以来、かなり丸くなった……と思う。
俺に突っ掛かってくることが減り、ことあるごとに喚かなくもなった。
それは授業態度にも出ているようで、グレンも気味が悪いと言っていたな。
バーブレイに引かれている奴隷は、初めて見たときと同じように襤褸の大きな布を頭からかぶっている。
制服は着ているのはわかるが、顔は窺えない。
バーブレイは、俺がイズモと腕を結んでいることに気付くと、玩具を見つけた子供のような笑みを浮かべた。
「なになに? とうとうネロくんにも、奴隷の扱いを覚えたの?」
「……そんなんじゃねえよ」
「隠さなくてもいいって。奴隷なんて、さ」
バーブレイは鎖を強引に引き、引っ張られた奴隷は前のめりになって倒れ込む。
その上から足を踏みつける。
その様子を見たイズモが、珍しく俺の脚にしがみついてきた。
「こんなことしたって、言い返せないし、ここで全裸になれって言っても、従わなきゃいけないし」
足をぐりぐりとしながら、バーブレイはこちらを見てくる。
……ふむ、確かに間違ってはいないんだけど。
俺はしがみついているイズモに顔を向け、
「イズモ、やってやろうか?」
訊くと、イズモは俺の脚から咄嗟に離れ、口を尖らせながらそっぽを向く。
「したいなら、どうぞ?」
「はっ、するかよ。あんなアホなこと」
俺はバーブレイを見返しながら軽く笑う。
別に奴隷に対する扱いなんて、バーブレイの方が正しいのだろうが、ここでは違う。
ここは学園であって、当然校則がある。
「バーブレイ、あんまやってると先生がすっ飛んでくるぞ。学園長に見つかったら、一発退学だ」
「……ああ、そうだな」
バーブレイは、反発するかと思ったが、予想外にあっさりと引いた。
だが、足を引く際に襤褸が引っ掛かり、その奴隷の顔がのぞいた。
「……エルフ、か」
「そうだぜ。結構高かったんだぜ?」
バーブレイの奴隷は、随分とみすぼらしい姿のエルフだった。
耳が長く尖り、綺麗だったであろう金色の髪は、見る影もない。外見年齢的には……リリーより年上、だろう。
「……これがダークエルフだったら、殴り飛ばしそうだけど、男のエルフでもないから何とも思わないな」
女のエルフなんて、エメロアの悪事が思い出すだけだ。これが男なら、レンビアでも思い出して思うところがあったかもしれないが。
「女エルフの奴隷なんて、性奴隷以外の使い道なさそうで、俺はいらんな」
いや、それ以外の使い道もあるんだろうけど。
俺にとっては、エメロアのことが尾を引いて、イズモのようには接せないだろうな。
「まあ、前にも言ったようにお前の奴隷教育に口出す気ないから、俺も放っておいてくれると助かるよ」
俺はようやく歩きだし、再び学園長室を目指す。
バーブレイとの擦れ違い様、今まで見たこともないような酷薄な笑みを浮かべたのを、俺は受け流してしまった。
☆☆☆
学園長室の扉をノックし、返事を待ってから中に入る。
学園長はいつも通り執務机に座り、相変わらず雑務に追われているようだった。
「すまないな、来てもらって」
「いえ、別にいいんですけど……家じゃいけないんですか?」
「気持ちの問題だ」
はあ、と返答のような息を吐き、学園長の言葉を待つ。
学園長は雑務がひと段落したのか、ペンを置いて組んだ手の上に顎を乗せた。
「騎士学校との代表勝負だが……キルラがまだ帰ってきていないんだ」
「帰ってきていない……? ダンジョンから、ですか?」
「そうだ。彼らの行ったダンジョンは、片道四日程度のものだ。だが、ダンジョンに出かけてから1か月程度経つ」
「捜索……は、無理なんでしょうね」
「いや、一応派遣したが、出たのが昨日だ。どちらにせよ、代表戦には間に合わん」
「……俺に出ろ、と? 4年1組はいないんですか?」
「いないわけじゃないんだが……相手が悪い」
「フレイ、ですか」
「そうだ。あんな奴に勝てるのは、今の学園には君くらいだ」
「……」
確かにそうかもしれないが……別に1組なら優秀なんじゃないのか?
「俺が出たら、いろいろうるさいんじゃないですか? 代表戦、一般開放でしょう? 貴族が来て、7組の俺が出て、難癖つけられないとは限りませんよ」
「そうなんだが……」
学園長は頭痛でもするかのように頭を抱える。
それは、俺が言ったことが間違っていないということだ。
この国は貴族がいる。別にそれが悪いってわけでもないんだろうけど、長らく人の上に立った者は下の者を当然のように見下す。
それは子供だって同じだ。この学園だって、1組の奴らは7組を見下してくるのだから。
人が団結するときなんてのは、同じ敵を見つけたときだけだ。それまでは、ずっと上の者が下の者を見下す。
その程度だ。
「俺は、王族から堂々と宣戦布告されない限り、代表戦なんてでませんよ」
学園長にそう告げ、踵を返す。
背後からは、唸るような学園長の声が響いてきた。
☆☆☆
……最近の俺はおかしい。
そう自覚するくらいには、俺は俺が平常ではないことを理解している。
それはきっと、傍から見ればもっと顕著になっていることだろう。
だから、イズモは俺と口をきこうとしない。
だから、ノエルは俺に対して不機嫌なのだ。
乗り越えなければ、とは思うが、どうやって乗り越えればいいのか、見当もつかない。
そんな日々が、ただただ惰性のように流れていく。
その日、俺はいつものようにイズモを連れて城下町を歩いていた。
学園の休校日だ。今は昼過ぎあたりか。
学園長を朝起こし、そのあとに歴史書を読もうと思ったが、まったく頭に入ってこなかった。
気分転換がてら、城下町に訪れたというわけなのだが。
適当に二人で歩き回っていると、長身痩躯の燕尾服を見つけてしまった。
とても会いたくなかったのだが、そいつは俺に気付いて営業スマイルを浮かべながら近づいてきた。
「お久しぶりです、魔導師様。魔人族のお嬢ちゃんも」
奴隷商人のドライバー。イズモを買った相手だ。
ドライバーはかぶっていたシルクハットを外し、仰々しいお辞儀をしてきた。
イズモは、いまだにドライバーが苦手なのか、俺の後ろに回り込む。
「なんだ、ドライバー。奴隷狩りか?」
「いえいえ。奴隷狩りは、普段は盗賊団などに頼むものです。それに、人族の奴隷は売れませんよ、この国では」
「どうせ捕まえて他国の奴隷商に売る気だろうに」
「まさか見抜かれるとは……」
おいマジかよ。お前、立派な犯罪者だな。
「というのは冗談でして。この王国で人族など捕らえれば、それこそ極刑です」
「お前が言うと冗談に聞こえないんだよ……」
元が元なだけに、な。
しかし、話しかけてくるとは思わなかった。
「お変わりないようで、何よりです」
「あー……まあ、な」
俺は肩越しにイズモを見ながら、適当に頷いておく。
「まあ、あれだ。もう一回、厄介になる可能性がある」
そういうと、後ろのイズモがビクッと肩を震わせた。
だが、一度言ったことを覆す気は、俺にはない。
ドライバーは息を荒げながら、ほう! と声を上げた。
「それはどういった心境の変化でしょうか? 新しい奴隷が? それともお取り換えですか? クレスリト殿からは、かなり懐かれておられると聞いておりましたが」
「なんだっていいだろ。可能性があるだけだ」
可能性という言葉を強調しながら、そういう。
それでもドライバーは、なぜか嬉しそうに笑っている。
「ええ。ええ。なんだって構いません。わたくしの仕事は、奴隷を売る、買う、捕らえるの三つですから。そこに私情は挟みません」
「そうかい。商人だな」
「そういえば、つい先日、面白い奴隷を二人ほど入荷いたしましてな。なんとエルフの男です。どうです? 珍しいでしょう」
「いや、珍しいとか知らねえよ……」
まあでも、バーブレイがエルフは高いとか言ってたし、珍しいのだろう。
だが、いくらエルフといえど、女じゃないと価値がなさそうと思うのは、俺が異世界人だからかだろうか。
「見ていきませんか? お代は頂きませんし、強制もしませんが」
「当たり前だ」
なんで見るだけで金をとられなければいけないんだ。
休みの日になれば、学園長からお小遣いのように金を渡されるが、それだって次の日には徴収されてしまう。
今は、今日貰った分しかないので、奴隷なんて買える金を持ち合わせていない。
「どうします?」
詰問してくるドライバーに、俺はため息を返す。
「……まあ、見るだけなら良いか」
「ぜひぜひ!」
そういうと、ドライバーは意気揚々と路地裏に向かう。
俺はもう一度ため息を吐き、ドライバーの後を追った。
ドライバーの後を追って進むこと数十分。そこには、前見たときとまったく同じ、サーカスのテントのような奴隷市場があった。
休みの日だというのに、客はほとんどいない。
「随分と少ないな」
「昼に堂々と来るような方は、クレスリト殿くらいです。普通は深夜や明け方早くに来ますよ」
まあ、そりゃそうか。
奴隷市場は早々簡単に動かせないだろうし、ここにあるというのは周知の事実になってしまうのだろう。
そこに何度も出入りするようならば、貴族の評判を落とすようなものか。
いくら他人種といえど、奴隷は奴隷だからな。
偏見を持つ国民も、一応ながらいるのだろう。
「ささ、こちらです」
ドライバーに案内されるがままに、テントの中へと入り、奥へと進む。
テントの中は、前と同じように不衛生でとても臭い。イズモを振り返れば、鼻をつまんで顔を歪めている。
そして、立ち止まったところには、豪華そうな檻が並べられた一画だ。
たしか、檻が豪華になればなるほど、奴隷の値段が上がるんだっけか。
その豪華な檻の中にいたエルフを見た瞬間、俺は眼を見開いた
「どうですか?」
ドライバーはニコニコと笑っているが、俺の反応を楽しむために呼んだのか?
俺はその檻にゆっくりと近づき、しゃがみ込んでその檻の中の二人を、口元を吊り上げる。
そこにいたのは、
「な……あ、ね、ネロ!?」
「お、お前……!?」
「ケミトにハーメーンか……懐かしい」
エルフの里にいた際、レンビアの取り巻きをしていた二人。
その後、エルフの里の領主の娘であるエメロアに買われた二人。
そして、リリーを辱めようとした二人だ。
未遂で終わったから生きているが、実行されていたらこいつらは骨すら残していない。
そもそも、あれほどリリーを溺愛していたラトメアが殺していないことがもう不思議でならない。
「ユートレア共和国の国境付近で、三人でいるところを狙ったのですが、一人逃してしまいして。エルフは、この国では女の方が高く売れるのですが」
「ハッ、あんな女欲しがる奴の気がしれねぇ」
エメロアなんて、プライドが高いだけじゃないか。
エルフのおかげで目鼻立ちは良いが、人族に生まれていたら醜い女だろう。
ま、その高すぎるプライドを叩き折るのが趣味な貴族もいるだろうけど。
俺にしてみれば、あのエルフだけは願い下げだな。
「知っているのですか?」
「エルフの里にいたからな。一応、知り合い」
ドライバーに問われ、目を檻に向けたまま答える。
「な、なぁネロ! 助けてくれよ! お願いだ!」
「なんでもする! だ、だから、だからお願いだ!」
エルフ二人にそう乞われるが、高潔で知られるエルフが、形振り構ってない様子は笑える。
……大体、男の何でもするは超気持ち悪い。ん? とかいう気にもならん。
「悪いなぁ。俺、今金持ち合わせてないんだ」
「お、お前なら詠唱破棄でこんな檻壊せるだろ!?」
「えぇー、だって、ここ壊したら、俺が衛兵に捕まるじゃん」
「そんな奴ら撒けるだろ!? エルフの里までで良いから!」
こいつら、バカじゃねえの?
エルフ二人の叫びに、ドライバーが身じろぐのが見えた。
だが、俺は何もしないというように手を振る。
「そもそもさ、俺がお前らを助ける義理がない。利益がない。理由がない。一切、何もない」
その時浮かべた笑顔は、とても壮絶なものだっただろう。エルフ二人が、身震いしながら後ずさったんだから。
「リリーはお前らに襲われたとき、どんな気持ちだったのかなぁ?」
「……っ!」
「因果応報だ。諦めて、死ぬまでこき使われな」
そう告げ、俺は立ちあがる。
二人は未だに叫んでくるが、俺は背を向けて出口へと向かう。
それに、ドライバーもついて来る。
「どうです? 面白いでしょう?」
「ああ、すごく面白かった」
俺はポケットからデトロア白金貨を一枚取り出し、ドライバーに投げ渡す。
学園長からもらった金の半分だが、それだけの価値はある。それに、どうせ返すなら使ったって構わないだろう。
「おや、お代は……」
「欲しいんだろ? 顔に書いてんだよ。そもそも商人なんだから、な」
「恐悦至極です」
ドライバーはいやらしい笑みを浮かべながら、俺の渡した白金貨をしまい込んだ。
「……バカ」
「……」
蚊の鳴くような声でイズモに言われるが、あいつらに俺は我慢する気はない。
……でも、一応イズモにはリリーの話をしたんだがな。
彼女には、そんなことどうでもいいのかもしれない。
今いるのは、俺だけなのだから。ここに、リリーはいない。
いない者の心情など、どれだけ口で伝えてもうまく伝わらないものだ。
しかし、エメロアまで捕まってなくて良かった。もしこんなところで再会したら、本当に燃やし尽くしてしまいそうだ。
自制したいが、いざ目の前にするとどうなるか、自分でもわからないし。
奴隷市場のテントから出て、新鮮な空気を吸い込む。あの中は絶望や怨嗟といったものが満ち満ちているおかげで、呼吸もままならない。
俺はそのまま奴隷市場を後にしようとすると、
「魔導師様、先ほどのお代のお礼というわけではございませんが、人探しなどはしていませんか?」
と、ドライバーに引き留められる。
俺はドライバーに振り返り、唐突な申し出に聞き返す。
「人探し?」
「そうです。奴隷商は独自のネットワークがあります。人だけでなく、物でも構いません。仕事の合間に、ですが世界中を探し求められますよ?」
「そうか……」
人探しか物探しか。それも世界規模での捜索だ。
「なら……魔導書について、調べられるか?」
「魔導書! 既に一冊持っていながら、さらに求めますか! さすがです!」
「いや、別にそんなんじゃ……」
「お引き受けしましょう。ええ。ええ。私どもは好奇心で突き動きます。こんな話、飛びつかない他ありません!」
「そ、そうか。ありがとよ……」
なんだこいつ。学園長と似たところあるな。
「それと、こっちは本当についででいい」
「なんでしょうか?」
「ミーネ、っていう海人族を知っていたら、教えてくれ」
「海人族、ですか。わかりました。アクトリウム皇国ですか?」
「いや、たぶんユーゼディア大陸にいる」
トロア村に帰ったことで、ミーネを思い出したのだ。
俺とネリの誕生日の前にはすでにいなくなっていたが、どこにいったかもわからない。
もう一度、会えるなら会いたいのだ。
ナトラとノーラのいなくなった後、何かと付き合ってくれていたからな。
命の、じゃないけど恩人、恩師だな。回復魔法も教えてくれたし、剣技も教わった。
「ただ、ミーネってのも本名じゃないからわからないかもしれない。真剣に探す必要はない」
問題は、俺がまだミーネの本名を知らないことなんだよな。
皆がミーネと呼んでいるから、そう呼べと言われただけだし。
「女性の、たぶん俺よりも4,5歳上だ」
「了解いたしました。しかし、この大陸で海人族ともなれば、すぐに手がかりはつかめましょう」
「そうか。よろしく頼む」
ドライバーにそう頼み、俺は奴隷市場を後にした。
俺は路地裏から大通りへと向かいながら、大人しくついて来るイズモを振り返る。
イズモはまだ少し気分の悪そうな表情をしていた。
「悪かったな。ちょっと長居しすぎた」
「……いえ、構いません」
そう答えてくれるが、その声に元気はない。
……はぁ、そろそろ本格的にイズモについて考えないといけないのかなぁ。
そんなことを考えていると。
そんなことを考えていたせいで。
注意力散漫になって、後ろの存在に気付かなかった。
ガンッ、と強い衝撃が後頭部を襲い、俺は前のめりに倒れ込む。
後ろへと目を向けるが、相手は襤褸の布をかぶっているせいで顔がうかがえない。
もう一度、強い衝撃が頭を襲い、完全に意識を奪われた。
☆☆☆★★★
「よくやった、ローラ」
奴隷市場が近くにある路地裏に、少年の声が響く。
少年が声をかけているのは、襤褸の布を頭からかぶり、荒い息を上げている、彼の奴隷だ。
少年とその奴隷以外に、人影は二つ。
一つは、奴隷に殴り倒された、黒いローブを着て左眼に包帯を巻いている魔導師の少年。
もう一つは、倒れている魔導師に駆けより、揺り動かしている、両側頭部にヒツジのような角の生えた魔人族の少女。
魔人族の少女は必死に、倒れている少年を呼びながら体を揺するが、起きる気配はない。
そんな少女に、真っ黒い礼服のような服装の少年が近づく。
「あっ……」
ローラと呼ばれた奴隷が、慌てたようにその少年の腕を取るが、強引に振り払われてしまう。
そして、少年――バーブレイはついでとばかりに強い蹴りを繰り出した。
避けることもままならず、蹴りが直撃したローラは壁に激突する。
……もっとも、避けたところでさらに追撃が加えられるだけなのだが。
それを知っているために、ローラも避けようとはしない。
蹴り飛ばした奴隷には眼もくれず、バーブレイは魔導師を呼び続ける魔人族の少女の手を取る。
少女は抵抗するが、容赦なく殴りつけて黙らせる。
「まったく、手を煩わせるんじゃねえよ。大体、奴隷にパパもママもねぇんだよ」
バーブレイは、魔人族の少女と魔導師の腕につながっているリボンを見て、強引に引きちぎる。
叫び声を上げる少女を、何度も殴りつけることによって黙らせ、襤褸をかぶる奴隷に指示を出す。
「連れてこい。ネロはほっとけ」
そう告げると、バーブレイは路地裏からレイヴァン家の屋敷を目指す。
ローラは言われるがままに、悲しそうな目をしながら気絶してしまった少女を担ぎ、バーブレイの後を追った。
そこに残されたのは、気絶したままの魔導師だけだ。
★★★☆☆☆
「……師様」
体を揺り動かされ、俺はゆっくりと目を開く。だが、後頭部と前頭部を襲う痛みに、また意識を持って行かれそうになる。
「魔導師様! 魔導師様!」
だが、それよりも体を強く揺らされ、無理矢理意識を繋ぎ止められる。
俺は痛む頭を押さえながら、体を起こす。
あたりは既に日が傾き始めてしまっていた。
軽く頭を振り、声の主を見る。
「こんなところで寝ておられると、風邪をひきますよ。クレスリト殿も心配するでしょう」
「……ドライバー」
俺は回復魔法を使いながら立ち上がる。
痛みは徐々に引いていき、意識もはっきりとしてくる。
「一体何があったのです?」
「いや……うん、後ろから何かで殴られた」
「強盗ですか?」
「……いや、金はとられていない」
ドライバーに言われ、学園長にもらった小銭入れを確認するが、ちゃんとある。
殴られただけだろうか? しかし、一体だれが。
「強盗でしょう? ほら、魔人族の子が」
「……ああ?」
言われ、ようやく気付く。
左腕が妙に軽いことに。




