第十六話 「予兆」
学園生活も2か月後半に差し掛かったころだろうか。
最近になって、俺はなぜか東側の方がどうにも気になってしまっていた。
学園で授業中でも、学園長の家にいるときも、それは変わらない。
……東、っていえば、トロア村があるのか。
トロア村に何か起こったのだろうか。それとも、その向こう側のゼノス帝国にか?
どうにも感覚的過ぎて、俺には分からない。これがネリなら、何かわかるのかもしれないが。
しかし、どうにも気持ち悪い。気になって仕方ないのだ。
気になりすぎて、学園長に帝国が攻めてくるという情報があるか聞いてみたが、当然ないと言われた。
俺は魔導師だし、それなりの戦力だという自負はある。戦争があるなら、俺に教えてくれてもいいと思うのだが……思想的に教えてくれないのだろうか?
だが、学園長が嘘を吐いているようには見えない。だから、戦争があるのだとすれば、学園長にも知らされてはいない、ということなのか?
……うーん、どうにも気持ちが悪い。
何か、そう、何かに惹かれているような……こんな感覚、以前にもあったような気がするのだが……。
そんなこんなで、俺は胸につかえがあるような状態で過ごしていた。
1か月に一回行われる学園内トーナメントを来週に控えたある日。
すでに俺はもうトーナメントに参加しないことを伝えてあるため、放課後を使って俺以外の誰が出るかクラス全員で選考していた。
今日は簡単な補習で、すぐに終わらせてこの選考に時間を取ったのだが、あまり意見がまとまらないようだ。
まあ、確かに7組の生徒はこれまでの訓練や努力のおかげで、正当な評価をすれば5組には匹敵するくらいの強さには、誰もがなっているはずだ。
あとは経験や作戦を駆使すれば、一応2組相手までならぎりぎり勝てるだろう、といったところだ。
だが、俺が出ないと言い、ノエルも出場を遠慮したため、決めきれずにいる。
……そりゃ、ノエルが一番俺の授業を受けているから、一番成長しているだろうからなぁ。
ほかの生徒はどっこいどっこいだ。誰が出ても、同じような結果になるだろう。
だからと言って、誰でもいいというわけにもいかず、結局決めきれないのだ。
「ちょっとは助言してあげたら?」
「アホ。そんなことしたら、俺が推した奴が出場するだろうが」
俺は7組でそれなりに人望を得ていた。そのため、俺の言葉が鶴の一声になっても困るのだ。
前世ではよくあったことだ。別に否応なく従うわけではないが、クラスの人気者が言ったことは絶対、みたいな雰囲気はあった。
この世界でもそうとは限らないが、口出ししないように決めている。
それに、俺はやはり、トロア村の方が気になる。もうすでに、ノイローゼになるんじゃないかってくらいだ。
……今度の休みにでも、帰ってみるかな。
だが、ここからだと、馬車では5日はかかる。幼少の頃の経験だが、道はそうそう変わらないし、馬車はどれも同じだろうし。
1日で往復ってのは、さすがに無理がある。
……魔物を使ったとしても、1日でいけるかどうかも怪しいし。
ヨルドメアの配下は、一応使役できるようにはなっている。だが、それでも1日で往復は無理だ。
俺は頭を掻きながら、どうしようか考える。
その時、窓から一陣の風が吹き込んできた。その風は、俺の左腕、赤いリボンを激しくはためかせる。
隣に座るノエルは、靡く髪を抑えて片目を閉じていた。
はためくリボンを眺めていると、誰かの声が脳裏に響いた。
『そろそろ起きたか?』
その声は、聞き間違えるはずがない、奴の声。
俺の口端が吊り上る。口が弓を引く。乾いた低い笑い声が漏れる。そして、明確な声も。
「ガルガド……!」
俺は椅子を蹴り倒して立ち上がり、窓に向かって走る。
「え――ネロ!?」
後ろでノエルが呼んでくるが、気にしている暇はない。
呼んでいるのだ。本能はまだ覚えていたのだ。
声を、感覚を、経験を。ガルガドが、来いと、そう叫んでいる。
そして、
「――ネリが呼んでるッ!」
俺は窓枠を蹴りつけて宙に身を躍らせ、教室から飛び出した。
☆☆☆
学園長の家で必要なものをリュックに詰め込み、城門まで駆け抜ける。
城門からそう離れていない場所で、指笛を吹く。すると、大きな鳥が一匹、空から急降下しながら向かってきた。
ユーゼディア大陸全域に生息する飛行タイプの魔物のガルーダだ。人が3人程度なら乗れそうな大きさがある。
ガルーダは俺のそばに着陸すると、こちらに背を向けて乗せてくれる意思表示をする。
俺がそれに従うように、ガルーダの背に乗ろうとしたとき、
「ネロ! どこに行く?」
後ろから学園長とイズモが駆けてきた。
「どこって……トロア村ですけど?」
「当然のように言うな。ちゃんと一から説明しろ」
俺は顔を逸らしながら頭を掻く。
説明しろと言われても、ほぼ直感だ。ガルガドが、ネリが来るという感覚が、俺に訴えかけてきているのだ。
仕方なく、伝わるかどうかわからないが、説明することにする。
「ゼノス帝国が攻めてくる、と、直感で」
「直感で動くな。大体、ゼノス帝国が戦争を仕掛けてくるなら……わかるだろう?」
「そりゃ……そうですけど」
どういえば伝わるのだろうか。
……どう言おうが、伝わりそうにはない。結局は、俺の直感でしかないのだから。
「けど、その条約がいつまでも守られるとは限りません。ゼノス帝国は、デトロア王国よりも完全に格上です。その条約の中で、本格的な戦争の準備をしていたとしてもおかしくはないでしょう?」
「それはそうだが……」
「俺は行きます。俺の、片割れが呼んでいるんです」
「妹か? 根拠は?」
「ないです。が、前にも何度かあったので、俺はこの感覚を信じます」
「……そうか。だが、国は動かん。それはわかっているな?」
「はい」
当たり前だ。俺の世迷言で軍を動かすとは思えない。それに、トロア村は結局、生贄の領地なのだから。
だが、来るとわかっていて、わざわざ野放しにする必要もない。
「もし来なければ、俺の取越し苦労で終わりです。けど、もし来れば、俺は魔導師です。本気で攻めてきているのならば、1週間なら食い止める自信はあります」
「……そうか。そうだな。わかった」
学園長はようやく納得してくれ、何度か頷く。
だが、俺にピッと扇子を向けると、
「何かあれば連絡しろ。その鳥にでも、手紙を持たせて私の家の庭に落とさせればいい」
「わかりました」
俺は頷くと、イズモに手を伸ばす。
「イズモ、行くぞ」
「え……?」
イズモは、俺に誘われるとは思っていなかったのか、呆けた顔をする。
「お前が、俺に付き従うって言ったんだろ。それに、兄さんの剣も持ってる。だから、行くぞ」
「……はい!」
俺の手を取り、花が咲くような笑顔を見せてくれるイズモ。
俺とイズモはガルーダの背に飛び乗り、早速王都を飛び立った。
☆☆☆
ガルーダを乗り継ぎで昼夜問わず飛んだ結果、3日目の朝にはトロア村が見えてきた。
だが、トロア村からはまだ戦火が上がっておらず、ゼノス帝国の侵攻には間に合ったようだ。
その代わりというように、ネリが近づいているという感覚が強くなっている。
ネリは、必ず来る。そして、ガルガドも。
今度こそ、討ち取ってみせる。直接手を下していなかったとしても、将軍として指揮し、俺の家族を、故郷を蹂躙したのだから。
“人喰い将軍”の首を、取る。
「……ん?」
ガルーダの背から眼下を見下ろしていると、一人の執事服の男性が見えた。
俺はガルーダに着陸するように指示を出し、その男性から少し離れたところに降り立つ。
その男性に近づきながら、俺は記憶の中の人物と比較する。
……間違いない。
確信を持ち、俺は駆け足になりながらその男性を呼ぶ。
「アルさーん!」
その男性、俺がまだトロア村にいたころ、執事をしていたアルバートは、俺の声を聴いて振り返る。
すると、頬を緩ませて笑いかけてくれる。
「ネロ……坊ちゃんとはもう言えませんね。よく帰ってきてくれました、ネロ様」
「アルさんも元気そうだね」
アルバートは、俺がトロア村を出た3年前とほとんど変わらない姿だった。
……そりゃ、3年じゃあんまり変わんないか。
「その服は……お嬢様と同じ、クレスリト学園ですか?」
「あー、そのまま着てきちゃったんだ。今は、王都で学園長の家に住まわせてもらってる」
「左様ですか。それは、私も安心します。クロウド家は黒いですからな」
「まあ、その黒さも体験してきたけどね」
俺は苦笑しながら、そう答えた。
「それはそれは……。しかし、ここまでどうやって?」
「あー……うん、まあ、ちょっとね」
さすがに、事情も知らない相手に魔物に乗ってきた、と言って通じないだろう。だが、馬車に乗ってきたわけでもないし……。
俺は笑ってごまかそうとしていると、後ろから袖口を引かれる。
視線だけを後ろに向けると、イズモが俺の背後に隠れるようにして、アルバートを窺っていた。
「おや、そちらの方は?」
「えー、と、元奴隷? そんな感じ。学園長の家に住まわせてもらう代わりに、奴隷を一人育てろっていわれてね」
「なるほど。あの人も相変わらずですな」
「学園長を知ってるの?」
「はい。存じておりますよ。しかし、何も立ち話をする必要もないでしょう。家の中に入りましょう」
アルバートに促され、俺は彼につれられるようにして、近くにあった家に案内された。
案内された家は、どうやらアルバート自身の家らしい。彼が仕えるのは、ニューラとその家族だと言い切り、次に訪れた守護騎士の家を出たらしい。
それから、一人でこの家を建てたらしい。ホント器用だな。なんでもしてしまう。
その家は、一人で作った割にはかなりの出来栄えで、それなりの広さもある。
リビングのような場所に置いてあるテーブルに着くと、アルバートが対面に座った。
イズモは、俺の膝の上に乗り、出された菓子を食べている。
「こうして見ていると、ナトラ様とネリお嬢様を思い出します」
「そっか。兄さんもネリも、黒髪だったもんね」
俺の髪が黒く染まった理由は、すでに説明を終えている。魔導書を完全に使いこなしていることを教えると、随分と嬉しそうにしてくれた。
「それで、今日はどうしたのでしょうか?」
「俺の直感なんだけど、ゼノス帝国が攻めてくる、って、そう思ったんだ」
「なんと……」
「直感だから外れてる可能性の方が高いんだけど、なんか心配になってさ。ここは、俺の故郷でもあるわけだし」
「そうですね。……しかし、領主として、ではないのですね」
アルバートが残念そうな顔をするので、何事かと思う。
「……なに、そんなにここの領主は悪徳なの?」
「はい。ニューラ殿の弟であるノーレンと呼ばれる者なのですが、高い税で私腹を肥やしていましてね……」
ふむ。なんか、こういうことを聞くと、さすが貴族様! とか叫びたくなるな。実に悪徳貴族らしい行いだし。
だが、俺にはどうしようもない。じいさんにはクロウド家を継ぐ気はないといったし、ニルバリアが当主になれば勘当でクロウド家ですらなくなる。
俺がこの領地に口出しができるのは、じいさんが生きているうちに、俺をここの領主に任命してくれるしかない。
「どうにかしたいけど……今の俺には無理だ。けど、もしもゼノス帝国が攻めてきたなら、村人は守る」
そこで運よくノーレンが死ねば……それでもニルバリアとかが派遣されそうだよな。
ていうか、絶対左遷されて怒って、そんな八つ当たりまがいのことしてんだろ。最悪だな。
「ところで、ネロ様。その包帯はどうしました?」
アルバートの視線が、俺の左眼に注がれる。
まあ、そりゃ気になるよな。
俺は包帯を外しながら、左眼を見せる。
左眼の瞳は金色をしているらしいので、異常であることは見ればわかる。
「魔眼、だってさ。かなり魔王に近づいちゃったけど……俺はさ、デトロア王よりもこの魔王の方が信用できるんだ」
「それは……」
「まあ、詳しいことは置いといてさ、それ以前の問題として、俺はデトロア王に仕えたくない」
「……そうですね。私も、同じです」
なんとなく、二人同時に黙り込んでしまう。
静寂の中に、イズモの菓子を食べる音だけが響く。
「……ネロ様お一人ですが、墓参りに行きますか?」
「…………」
ゆっくりと開かれたアルバートの口からは、そんな言葉が出てきた。
アルバートは、きっと俺がネリと二人で行くと思っているので、遠慮していたのだろう。
確かに、サナからは家族みんなで、と言われていた。
だけど……、
「うん。場所、教えてくれる?」
「はい。この家を出て――」
今、墓参りをしておいて、整理くらいはつけておこう。
それに――……。
☆☆☆
アルバートの言うとおりに進んでいくと、小高い丘が見えてきた。その丘からは、トロア村全体が見渡せた。
丘の上には花畑があり、その中心に無骨な大き目の石が突き立てられていた。
俺はできるだけ花を踏まないように注意しながら、その石の前へと行く。
その石に刻まれた名前は、
『赤青紫暦321年 クロウド家
父 ニューラ
母 サナ
長男 ナトラ
長女 ノーラ』
そう、刻まれていた。
だけど、それだけだ。それらの名前以外に、名前を刻む隙間は一切ない。
「……」
俺は墓石の前にしゃがみ込み、適当に摘んだ花を供える。
イズモも、俺の真似をするように、花を供えてくれる。
この世界で墓を前にして何をするのかは知らないけど。
俺の知っているのは、目を閉じて手を合わせることくらいだ。
家族の墓の前で、こうしていれば何かが沸いてくるかと思ったのだが、ただ無音の世界が続いていた。
後悔で押し潰されるかと思ったり、懺悔の言葉でも出るのかと考えたり、涙が溢れるのかと想像したり。
だけど、ただ時間だけが過ぎていくだけで。風だけが通り抜けていくだけで。
何一つ守れなかったくせに、こんな気持ちになってもいいのだろうか。
それだけが、ただ怖い。
俺だけこの国にいることが、怖い。
いつか乗り越えてしまってもいいのだろうかと、そう考えてしまって。
……やっぱり、一人で来るもんじゃないよな。
「だからさ、ネリ。今は、剣はしまいな」
「ちぇ、ばれてたのか」
俺は眼を閉じたまま、手を合わせたまま。
後ろにいる人物に、声をかけた。
俺はゆっくりと目を開けると、振り向き、3年ぶりの片割れと対面した。




