精霊との邂逅
目を覚ますと、真っ白い部屋に突っ立っていた。
……ああ、よくある神様とかとご対面のシーンかな?
ただ、真っ白い部屋に変わりはないのだが、家具や本などが乱雑に放置されている。本棚もあるが、そこに置かれている本も整理されてはいない。
俺から見て前方には机もあり、その奥で輪郭だけ縁取られた白い人型の何かが居眠りをしているようだった。
……起こした方がいいのだろうか?
だが、何とも豪快な寝方である。背もたれに思いっきり寄りかかり、首を上に逸らしているのだ。
俺はふと、足元に目をやる。そこに数枚の紙切れが落ちていた。
それを拾い上げ、その紙に目を走らせる。
「……これって」
そうつぶやいた時、唸るような声が聞えてきた。
視線をあの白い人型の方へと向けると、そいつがちょうど起きるところだった。
「うん……?」
そいつは目を擦り、こちらを向いた。
「あ、ああああああああああああああああああああ!!」
耳を劈く大声を出し、そいつは跳ね起きてこちらを指差した。
「……なんですか?」
俺は両手で耳を塞ぎ、睨みつける。
「ああ、いや。すまない、大声なんか出してしまって。人がここに来るなんて久々でさ。部屋も片づけられてないし、ホントすまない」
そいつは手を後頭部に当てて、平謝りしてくる。
そんなに悪い奴ではないのか?
俺はそいつが起きたので、床に散らばっている本などを踏まない様に近づく。
しかし、ホントに片づけられていないな。足の踏み場に困ってしまうほどに散らかっている。
俺とそいつは机を挟んで向き合う。そいつには目が認識できないので、目が合っているかは知らないが。
「そんなに見つめないでくれ。苦手なんだ」
どうやら目は合っていたらしい。
俺は目を部屋の方へと向け、そいつに質問をする。
「で、ここってどこ?」
「そうだね、簡単に言えば神の間かな?」
「はっ、神の間……ねぇ」
俺は嫌味たっぷりに言う。
「不服そうだね? 何かあったのかな?」
「別に。それじゃ、あんたは神なの?」
「さあ、どうだろうね。自分が神かどうかなんて、わかるもんじゃないでしょ」
「だったら、何?」
「しいて言えば、まだ精霊の方がしっくりくるね」
「その精霊様が、なんで神の間なんかにいるの?」
「君はなぜ、君の家にいるのかな?」
「そりゃ、……そこで生まれたから」
「その通り。私だって例外じゃない。ま、生まれたはいいけど、親なんていないんだけどね。ただ、私はここで言われた通りのことをしてるだけなのさ」
「言われた通りってのは?」
「ここに来る人間を、優しく導いてあげるのさ」
「……意味不明」
「そりゃそうだ。ま、とりあえずさ、私の言うことを聞いてくれないかな?」
「その前に、俺からも聞いていいかな?」
「いいよ。なんだって答えてあげるよ」
「これ、なんでここにあるの?」
俺は、そこで自分が持っていた数枚の紙切れを見せる。
「なんであるか、なんて知らないよ。勝手に、ここに現れるのさ。神様が置いていってるのかもね」
「じゃあ、質問を変えよう。これの意味は分かる?」
「意味? 何かの数式っぽいけど……それが?」
「これはな、俺が導き出した新しい法則だ」
「……つまり?」
「俺には前世の記憶がある。これは知ってるよね?」
「まあね。一応は、ってとこかな」
「俺は、前世でこの法則を導き出した。これは不可能を可能に、ありえないをありえるに、そういった変換法則なのさ」
「それってさ」
「神への冒涜」
そいつの言葉を先取りする。
「だけど、俺はそんなことは考えちゃいない。俺が考えていたのは」
一間空け、
「世界への裏切り」
「……なるほどねぇ」
そいつは、何かに納得したかのように何度も頷く。
「だから、ここにあるのか」
「下界にあったら危険なもの、だから?」
「その通り。あ、ここには他にもいろいろあるよ。タイムマシンの設計図とか呪文書の原典とか」
「呪文書?」
「ああ、これは教えられない……というか、どうせ知ることになるさ」
「あ、そ」
「その紙については、私は詳しく知らない。私にも扱えないものだしね」
そいつはおどけるように手を広げた。
「さて、そろそろ私のお願いを聞いてもらえるかな? といっても、聞かないと帰さないけどね」
「……それはどっちに?」
「ネロ・クロウドの方さ。どうせ、前世には帰りたくないだろ?」
「まあ、そりゃ」
「では、私のお願いだ」
そいつは、俺と同様に一間空ける。
「ネロ・クロウドの世界には、魔導書と呼ばれるものがある。君には、これを蒐集して欲しいんだ」
「まどうしょ?」
俺は、聞いたこともない単語に訊き返す。
「それって、魔法書か何か?」
「そうだね。魔法書の上位互換が魔術書なら、魔術書の上位互換が魔導書。といっても、上位なんて生易しい代物じゃないけどね」
「それを集めて、どうするんだ?」
「集まれば、もう一度ここに呼び出すよ。その時に、また教えてあげる」
「でも、それをして俺にメリットがあるのか?」
俺の言葉を聞き、表情なんてないはずなのにそいつは顔を顰めた気がした。
「はあ、出たよメリット。なんでこう、人間ってのは自分に得がないとやりたがらないかな。別に一度くらい無償でやってくれたって」
「それを初めての俺に言われてもな」
「そりゃそうか。ま、いいよ。メリットは、君を前の世界に戻してあげる」
「……いいです」
「つれないね。別にそのまんま戻そうってんじゃないさ。全知全能フルオプション付き……とまではいかないけど、ある程度は弄ってあげるさ」
「だからって」
「君はさ、幼馴染の女の子を助けられなかった、家族が許せなかった、なんて理由で死を選んだんだろう? だから、そのすべてを取っ払ってもとの世界に戻してあげるのさ」
「それはなんというか……魅力的だな」
「そうだろう? 世界有数の大富豪の子供に生まれ、絶世の美男子で、なんでもかんでもすべて初見でプロレベル。そういった才能付きで返してあげるのさ」
「……そんなマンガみたいな」
「君には主人公になれる要素が十分あるのさ。それを手助けしてあげるだけだ。もちろん、これらすべて君の思い通りの設定だってかまわない。君が望むままに、願うままに、そのすべてを叶えてあげるのさ」
……まあ、表面通りに受け取ればとてもうまい話だ。
だけど、裏面を取ってしまえばそんな話、悲しいものでしかない。
「まるで俺がこの世界にいちゃいけないみたいじゃないか」
「だって、いちゃいけないもん」
まったく悪びれることもなく、そいつは答えた。
「つまりさ、この世界にはこの世界の住民しかいちゃいけない。君は、元の世界に戻りなさい、って神の啓示さ」
「神の啓示……」
「世界の決まり、って言った方がいいかな?」
冗談のように言ってくるそいつを、俺は本気で睨みつける。
「そんな睨まないでくれ。別に、どう言おうがそういうことなんだから」
「……で? その魔導書は何冊あるの?」
「おお、引き受けてくれるかい?」
「引き受けるも何も、ここから返してもらわないとね」
「そりゃそうだ」
そいつは何がおかしいのか、一人で大笑いを始めてしまう。
笑い声はとても甲高く、耳障りな雑音でしかない。
「いやぁ、笑った笑った。久々だよ、こんなに笑ったのは」
「そいつはよかったですね」
「つれないねぇ。ま、いいや。とりあえず、魔導書のお話だね」
そいつは仕切り直すようにいうと、虚空に手を伸ばす。
すると、そいつの手の輪郭がなくなり、また現れると、その手には何かが掴まれていた。
「これが魔導書さ。といっても、これはここにしかないから集める必要はないけどね」
そいつが持つ魔導書は、確かに本の形をしているのだが、そいつと同じように輪郭しか認識できない。
「これは無の魔導書といってね。魔導書にはそれぞれ、精霊が必ずついている。私は、この魔導書の精霊なのさ」
そいつは無の魔導書をぱらぱらとめくりながら言う。
「君のいるトロア村には、古くから黒の魔導書が厳重に保管されているはずだ。まずはその魔導書から集めることをおすすめするよ」
「魔導書は何冊あるんだ?」
「魔導書は別名、純色の魔術書と言われている。魔術書には必ずそれぞれ色がついており、それぞれ色が純色に近づくほど強力なんだ。そして、この世界には、赤、青、緑、黄、紫の5つが純色だ」
「黒はどうした?」
「黒と白はそのさらに別格。7つ合わせて《純色の魔導書》さ。無の魔導書は、さらに別格扱いで、だからこそ下界には存在してはいけない」
「なるほど。なら、俺はその7つの魔導書を集めればいいんだな」
「あ、あと、注意が必要なのは、魔導書は所有者を選定する。その選定された者は魔導師と呼ばれるんだけど、その7人の魔導師も一緒に集めてくれ。別に絶対に必要ってわけじゃないし、この時代に居ないかもしれない。だから、そういう場合は魔導書だけで十分」
「選定条件は?」
「簡単に言えば魔力総量と感情の相性だね。その二つさえクリアできれば、誰でも扱える。けど、さっきも言ったようにそうそう存在するような人じゃないんだ」
「……まあ、俺の選定は黒ってくらいだから、感情の方はそこまで気にはしないけど。魔力総量って、俺そんなに多くないぞ?」
「え? そうなの?」
「魔法の命令式の複雑化と遠隔操作だけで、魔力の氾濫にあって死にかけたんだ」
「あ、そっか。死にかけたからここにいるのか。でも、日に二回もそんなことすれば、誰だって氾濫にあうさ。別に憂慮することではないけれど……」
そいつは思案するように、顎に手を当てている。輪郭だけなのに、よくもまあそこまでわかるものだな、俺。
「そうだね。選定を確実なものにするためにも、魔力総量くらいなら増量してあげよう」
「は?」
「君はこれで、世界で一番の魔力総量の持ち主となる。それが幸か不幸かは、自分でしっかりと見極めてくれ」
そういうと、そいつは立ち上がってこちらに近づいてくる。
俺の目の前で立ち止まると、その手を俺の腹辺りに添える。
「魔力はここに溜まる。……確かに君は人より多いようだけど、やはり選定には少々心配があるな」
そして、腹に添えられているそいつの手が、淡く光り出す。
「私の魔力を貸してあげよう。少し異質だけど、魔術を使うのに異常はないはずだ」
そいつの手から、何かが流れ込んでくる感覚がする。
それは俺の中へと入り込んでくると、腹の中で渦巻くようにして馴染んでくる。
「うん、これでオッケー。君は世界一の魔力総量の持ち主となった。黒の魔導書に選ばれるには難儀するだろうけど、頑張ってくれ」
そいつの手が腹から離されると、視界がぼんやりとしてくる。
「そろそろお別れだ。それじゃ、また会おう」
「あ、おい。最後にあんたの名前を教えてくれ」
「ん? あ、まだ名乗ってなかったっけ?」
そいつは首を傾げ、指を頭に当てた。
「私の名前は、アレイシアさ」
☆☆☆
「アレイシア……」
最後に聞いた、真っ白い精霊の名前とともに、俺は目を覚ました。
辺りを見回す。
どうやら、倒れてから俺の部屋に運ばれたようだ。
時間は明け方のようで、窓の外はすでに日が昇ろうとしており、ほんのりと白かった。
腹辺りに重みを感じ、そちらに視線を向けると、ノーラが倒れ込むようにして眠っていた。徹夜で看病してくれていたのだろうか。
そして、横にも何か温かい感触があった。布団を剥いでみると、ネリが隣で小さく寝息を立てていた。
「起きたか、ネロ」
部屋の勉強机に座っていたナトラが、声をかけてきた。
ナトラは、ノーラが寝てもまだ起きていてくれたのか、若干目が腫れているように見える。
「兄さん……。すみません、大事にしてしまったようで」
「いいさ。ネロが無事ならね」
ナトラは優しく言うと、立ち上がってグッと伸びをした。
「……んっ、と。さて、俺は母さんたちを呼んでくるよ。ノーラとネリは……起こしてあげて。ネロが目を覚ますのをずっと待ってたからさ」
「はい。……あの、どれくらい寝てました?」
「ざっと一か月かな」
「いっ……」
あまりの時間経過に、声を失ってしまう。
おいおいおい。俺はどれだけアレイシアの部屋にいたっていうんだ? あそこじゃ、一日すら経過していないようだったが……。
ナトラが部屋から出ていくのを見届け、俺はノーラとネリに手を伸ばす。
寝ているところ悪いが、やはり起こして無事を教えてあげないといけないだろう。ナトラにも言われたし。
ノーラは軽く肩を揺らすだけですぐに反応があったが、ネリには無い。もう少し強くだろうか?
「う……ん? ……ネロ?」
ノーラは寝ぼけ眼で俺を認識すると、名前を呼んでくれた。
「はい。迷惑をかけたようで――」
すみません、と続けようとしたが、その前にノーラに抱きつかれた。
「ごめんね、ネロ……。私があんなこと言わなければ……」
「姉さん……。それなら、僕にだって責任はあります。自分のことは自分が一番わかってないといけませんから」
「それでも……死なないでくれてよかった……」
そんなに重篤だったの、俺?
実感ないんだが……、まあ死んでないからいいか。
ノーラはその眼を涙で光らせてくれる。……前世だと、絶対に受けない反応だな。
それとアレ。前世では絶対に味わえなかったであろう感触が。ノーラの年相応の胸が押し当てられてて色々とやばい。
それに気づかれないように注意しながら、未だに起きないネリを揺する。
「うー……ん」というかわいらしい寝言と共に、揺すっていた俺の手に、ネリが抱きついてくる。
こいつ、全然起きやしないな……。ま、そのうち起きるか。
未だに抱きついて泣いているノーラに、俺は宥めるように手を彼女の背中に回し、軽く叩く。
両手に花っぽいけど、兄妹だからノーカンだな。
そうこうしているうちに、部屋のドアが再び開けられる。
ナトラが、両親を連れてきたようだ。
サナが真っ先に近づいて来て、俺の額に手を当てたりして体調を調べてくる。
「ネロ、大丈夫? 痛いところとかない?」
「はい、大丈夫です。心配かけてごめんなさい」
そういって頭を下げようとすると、サナは俺の頬を挟み、顔を上げさせる。
「あなたはまだ子供なんだから、親には心配かけていいのよ」
「……はい」
思わず、目頭が熱くなってしまった。
こんな言葉、前世では聞くことはなかった。前世の親は確かに甘かったが、優しかったわけではないのだ。迷惑かければ、叱りも注意もせず、ただ俺を慰めるだけだったのだ。
別にそれがいけないってわけではないが、周りの人に比べて、自分は愛されていないのかと思ってしまうのだ。何をしてもいいってのは、裏を返せば勝手にしろってことだ。愛情なんて、そこに存在しない。
「……に、ちゃん?」
そこで、ようやく隣で寝ていたネリが目を覚ました。
「ネリ、おはよう」
俺はネリに微笑みかけながら、あいさつをする。
「うん、おはよう……、兄ちゃん?」
「兄ちゃんだけど……?」
二回も尋ねられ、少し不安の混じった声音で返してしまう。
ネリは、俺を兄と認識していないような目でこちらを見てくる。だが、その視線は俺の目には向いていない。
ネリの視線を追うと、どうやら俺の頭を見ているようだ。
「頭がどうかした?」
俺は、自分の頭に手をやり、そう問う。
「うん。……兄ちゃんの髪、白かったっけ?」
……え?
こいつ、まだ寝ぼけているのか?
ネリに言われ、ノーラやサナも俺の髪に目を移す。
「ネロ……その髪……」
ノーラに言われ、ネリが寝ぼけていないことがわかる。
俺は頭に置いていた手に力を込め、少しの痛みを我慢して一本だけ髪の毛を引き抜く。
俺の手に握られ、月明かりを浴びて薄く発光していたその髪の毛は、
透き通りそうなほど、白かった。