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メイジ オブ Mage  作者: 水無月ミナト
学園編 学園の魔導師
41/192

第八話 「嘲嗤う」

 身体を揺らされ、目を覚ます。

 視界に映るのは天井。


 だが、何かおかしい。体の方に温もりと重さがある。

 上半身を起こそうとして、自分の体以上に重かった。


「……イズモ、寒かった?」

「……はい」


 イズモが俺の体に、布団と一緒にしがみついていた。

 俺は頭を掻きながら、窓の外を見る。


 ……大体昨日と同じくらいか。


「イズモ、ありがと。それと、学園長起こしてきてくれる?」

「……はい」


 イズモは俺から離れ、布団をベッドに戻す。

 俺はそのうちに手早く紙にAからZのアルファベットを書き記す。


「起きなかったら、これ見せて、26個の文字列ですって言え」

「……わかった」


 起こさないといった手前、俺が起こす気にはならん。が、まあそれでも情報くらいはくれてやる。

 イズモは俺の渡した紙を持って部屋を出て行った。


 さて……王女様方の部屋か。

 俺は学園の制服に着替え、欠伸を噛み殺しながら王女様方の部屋を目指す。


 一応、泊まる部屋は聞いておいたから、すぐに見つけられた。

 ……まあ、聞いてなくてもすぐに見つけられたけど。


 王女様方の部屋の前に、グレンが壁に寄りかかって立っていた。


「お前、そこで寝たの?」

「いや、部屋で寝た。ここには1時間ほど前からいる」

「……騎士も大変だな」


 他人事のように言う。他人事だし。


「ノックしていいか?」

「入らないのなら構わん」


 グレンに断ってから、部屋の扉をノックする。


「はーい?」


 中からは、まだ眠そうなフレイヤの声が返ってきた。

 それでも、着替えの最中なのか衣擦れの音が聞こえてくる。


「一応、来たから。それだけ」


 俺は踵を返してキッチンの方へ向かう。


 ここでグレンの命令を無視するほど度胸はないし、もし無視してラッキースケベを起こす気にもならん。

 だって、相手王女だし。報復怖いし。

 俺は平穏とは言わないけど、余計な面倒事を起こすのは嫌だ。


 キッチンへの道程、そこまで距離があるわけではないが、俺はため息を吐く。

 ……こいつらの朝食もいるんだろうなぁ。

 憂鬱になりながら、キッチンへと向かった。



☆☆☆



 朝食の前、学園長がいきなり抱き着いてきてなでられてもみくちゃにされた。情報をあげたのがそんなにうれしかったのだろうか。

 おかげで、朝から疲労感がすごい。


 そんな朝食を終え、イズモだけでなく他の3人と登校する。

 登校といっても、学園まではほんの数分だ。長い話もできない距離である。


 とはいえ、フレイヤはご機嫌のようで、昨日よりもテンション高めだった。

 そんなフレイヤを制御するのに、グレンも大変そうだ。

 ノエルもフレイヤに巻き込まれ、大変そうだ。


 俺は一歩後ろに下がって、その光景を眺めているだけだ。

 さらに半歩後ろにはイズモがついてきている。


 しかし、この組み合わせは嫌だな。

 王女一人でも注目されるのに、それが二人。さらには公爵様。注目度が違う。


 それに対し、俺は魔導師とはいえ、クロウド家は伯爵だ。地位的に見合っていない、と言った視線が厳しい。

 イズモもいる。今すぐ退けろ、と言った視線が痛い。


 ため息を吐きながら、晴天を仰いだ。



 クラス分けの表に群がる生徒群を横目に、俺は自分の教室に向かう。

 グレンとフレイヤとは既に別れており、俺の近くにはノエルとイズモの二人だ。


「そういや、お前、なんで7組なの?」

「う……筆記も実技も、微妙だったのよ」


 いや、俺が聞きたいのは、なんで自分から7組を選んだかなのだが。

 だって、1組の方が優遇されているし、王女なら普通に権力で1組に入れると思うんだが……。


 まあいいか。俺には関係ないし。どうせヴァトラ神国に帰るから、とかいう理由だろう。



 7組の教室に入ると同時に、落胆や悲嘆のため息があちこちから漏れた。

 ……うん、なんかごめん。だけど、隠そうともせずにしたのは評価してやる。


 教室内は大学のような構造。

 一段ずつ高くなる机は、間に2つの階段がついている。


 自由席だろうか?

 特に席順などは張られていないし、自由でいいのだろう。他の生徒も、結構適当に座っているし。


 俺は後ろの、隅の席に座る。イズモがいるので、他の生徒の邪魔にならないように、イズモを隅に座らせて。

 ノエルは俺の隣に座った。……いや、別にどうこういうつもりはないけど。


 しかし、ここまで残念そうにされるとは……そりゃ、一番成績の悪いクラスに貴族なんか普通来ないもんな。

 ていうか、それもそれで複雑だよな。成績が悪いと嫌だけど、良くても貴族の目の敵にされる。とても複雑な心境だ。


 やがて教室のドアから担任が入ってきた。


「全員席ついてー。朝の会始めるよー」


 ……朝の会。超懐かしい。前世で小学校の頃の、HRの呼び名だったな。

 ってことは、放課後前は帰りの会とでも言うのだろうか。


 担任の教師は、俺が属性の魔術と命令式をやった時の担当の女教師だった。


「じゃあ、初めてだし、まずは自己紹介から始めようか。私は7組担当のミリカ・ホルスト。よろしく」


 ミリカ先生の自己紹介に、全員が拍手を送る。


「次は君らの番ね。そっちの端の前から順に、自己紹介ね」


 ミリカ先生の指した方は俺の居る列で、前から順番に自己紹介をしていく。

 無難な自己紹介が続き、やがて俺に回ってくる。


「ネロ・クロウドです」


 ここで何か追加でいうか逡巡する。

 ……周りの反応が悲しいな。クロウド家は貴族だから仕方ないけどさ。


「……一つ、先に言っておくと、俺を貴族として扱う必要はありません」


 と言っても、どうせすぐには信用してくれないだろうけど。

 まあ、別にいいのだけれど。


「後、魔導師です。詠唱破棄できます。命令式は超得意。なので、上位クラスに勝ちたいなら、貴族どもに勝ちたいなら、手助けくらいはしてやる。一年間お願いします」


 以上、と締めて一礼して座る。

 ……うん、なんか周りが戸惑っているのがわかる。

 だけど、まあ確かに、いきなりこんなこと言われりゃ困るわな。


 流れ的に次はノエルだが、さてどんな自己紹介をするのやら。


「ノエル・ウルフディアです。私も、ネロと同様、貴族として扱わないでください。様付けもいらない。難しいかもしれないけど、お願いね。一年間よろしくお願いします」


 ノエルも一礼して座る。

 しかし、場が静まり返ってしまって、俺とノエルの時に拍手がないな。別に欲しいわけでもないけど。


 あ、そうだ。言い忘れた。

 俺はノエルが座ると同時に立ち上がり、イズモを抱え上げる。


「この子は魔人族ですが、奴隷ではありません。なので、お前らが奴隷として扱ったら……」


 そういって俺は片手に花火を作り、教室内に見せて窓の外に放る。

 そんなに魔力を込めていないので、光と音はそこまで激しくない。


「今の数倍の威力をぶつけます」


 教室がさらに静まり返った。恐怖支配である。

 いや、でも言っておかないと、後々になってからではいけないし。


「あ、すいません。続けてください」


 この後の自己紹介は、涙声が混じっていた。



☆☆☆



 学園の時間割は、エルフの里の学校と似たものだ。

 午前は一般教養と魔術についての授業、午後は戦闘形式の授業。


 一般教養の授業は……まあ、あれだ。前世の記憶がある俺にとってはクソつまらない。

 どうにも眠くなる。だから寝る。

 先生も、俺が貴族だからか起こすようなことはしない。が、隣に座るノエルに叩き起こされる。


 魔術の授業でも、内容のほとんどがノーラに教えてもらったもの。それでなくても亜人の学校で既にやったものだ。

 どうにも眠くなる。だから寝る。

 そしてノエルに叩き起こされる。これの繰り返し。



 そしてようやく昼休み。

 俺はグッと伸びをしながら食堂に移動する。


 欠伸を噛み殺しながら、昼食を食べる。

 テーブルは昨日と同じだ。他の生徒も、昨日の今日なので、一度目を向けるくらいだ。


 昼食を食べていると、向かいの席に誰かが座る。


「騎士様はあっち」

「わかってて言ってるだろ」


 当たり前だろ。

 俺と同じテーブルについたのは、グレンとフレイヤ。つまり昨日と同じメンバーだ。


 これで学園長まで来たら全く同じである。

 ……来ないよな? いや、別に来てほしくないわけじゃないけど。


「フレイヤ、聞いてよ。ネロってば、授業のほとんどを寝てるのよ」

「あらあら、それは感心しませんね」

「なんだ。貴様の頭では理解できん授業か?」

「うっぜえ。うっぜえよグレン。お前、今度の筆記試験で泣きっ面にしてやる」


 容赦しない。もう絶対に、満点とってやる。……グレンも満点取りそうだな。

 まあいいか。バカにしてんだから、満点取れば自慢顔もできまい。


 俺はノエルとフレイヤの会話を聞き流しながら、昼食を食べる。

 すると、誰かの足音が近づいてくる。


 俺はその誰かを確認した瞬間、イズモの頭の上に手を伸ばす。

 途端、俺の腕に汁物が勢いよく降ってきた。


「あ、悪ぃ。手が滑った」

「死にたきゃそういってくれればいいのに」


 俺は椅子から立ち上がりながら、相手を睨みつける。


「典型的ないじめだなあ、おい。そんなに死に急ぐなよ、バーブレイ」


 下卑た笑みを浮かべたバーブレイ・レイヴァン。

 別に家同士の競争なんて知ったこっちゃないが、手を出してくるなら迎え撃つしかないよな。


 バーブレイの後ろには、似たような笑みを浮かべる取り巻きがいる。

 なんでこいつらは群れるのが好きなのかな。理解に苦しむ。


「ハッ、またマスターが奴隷を庇うのか?」

「何度だって庇ってやるよ。お前の奴隷教育に口出しする気はないし、俺の教育に口出しするのもやめてくれる?」


 俺は作り笑顔を浮かべながら、濡れた腕を勢いよく振る。


 俺とバーブレイが睨み合う中、食堂内が一気に静まり返る。

 貴族同士の喧嘩だし、仕方ないだろう。


「バーブレイ、食事中だ。去れ」

「それ以上は許しませんよ」

「ネロも座りなさい」


 グレン、フレイヤ、ノエルが口出しをしてくる。

 それが善意からであるのは重々承知だが、それでもバーブレイが引かない限りは俺も引かない。


「ハハッ、公爵様と王女様二人に言われちゃどうしようもないな」


 だが、俺の予想とは裏腹に、バーブレイはそういって一歩退いた。


「そうやって誰かに助けてもらわないと何もできないんだろ?」

「……あ?」

「お前、トロア村の出身だろ? それも、ゼノス帝国に攻め込まれ、負けた時の領主の息子」


 ……こいつはいったい、何を言い出すんだ。

 大体、負けてなどいない。負けていれば、ここは戦火に巻き込まれてしかるべきだ。


 俺が反論しようとしたとき、バーブレイは低く笑いながら続けた。

 食堂全体に響かすように、大声で。


「お前はこの時代の初めての魔導師でありながら、お前は家族一人救えなかったんだよなぁ!?」

「――――」


 バーブレイは的確に、俺の心の隙間を抉ってきた。


「まあ、それも仕方ないよな! 落ちこぼれの、左遷されたクロウド家がゼノス帝国に勝てるわけがないのによぉ!」


 バーブレイは後ろにいる連中と一緒になって、大声で笑う。


「お前のその奴隷は、お前の家族の代わりか!? なら、そこまで必死に守るのも頷ける! お前は、守れなかった家族を奴隷に映してんだからなぁ! だけど、それだと家族が可哀想だよなぁ!? どこの誰ともわからん奴隷に映されてんだからよぉ!」


 俺を、嘲笑する。


 世界を体現しているかの様に、嘲笑う。


「大好きなお姉ちゃんはお前を庇って死んだんだってな! 尊敬するお兄ちゃんは回復魔法をかけてやれなかったんだろ! 大切な妹は取り返すことすらできなかったんだ! 信頼するお父さんはズタボロで既に手遅れ! 優しいお母さんはお前が寝ていたせいで魔力の枯渇だってな!」


 バーブレイは口を挟む暇さえくれず、続ける。


「そして行き着いた先がユートレア共和国だって!? 他国、しかも敵国に保護されてのうのうと生きてやがる! そこで詠唱破棄を覚えたからなんだ!? 家族が戻ってくるのか!? 助けられて、恥ずかしいとも思わないのか!? お前はクロウド家だけではなく、国自体の面汚しなんだよ!」


「「「バーブレイ!」」」


 グレン、フレイヤ、ノエルの声が重なった。

 その声に、ようやく笑い声を止めるバーブレイ。


「そう怒るなよ。オレは事実を語ってるだけなんだぜ?」

「ならば、そこまで大声を出す必要はない。わかったら去れ」


 グレンが、鋭い目つきで睨みつける。

 すると、バーブレイは笑顔のまま、ため息とともに肩を竦めてみせる。


「わかったよ。去ろう。じゃあな、出来損ないの魔導師クン」


 俺の肩に手を乗せ、そのまま去っていくバーブレイ。それに続くように、笑い声を残して、取り巻きもついて行った。


 早鐘のように打ち付ける心臓を鎮めるように、俺は一度、深く、大きく、息を吸い、吐く。


 握りしめた拳からは、少量の血が垂れてきた。

 噛み締めた唇からも、血が流れる。


 けれど、涙は出さない。必死に、押しとどめる。


「……よく耐えたな。だが、今のは殴っても便宜を図ってやったぞ」

「……ハッ、そういうことは早く言え」


 俺は血が滲む手を額に当て、上を向く。

 前髪をくしゃりと掴み、口端を吊り上げる。


 ……今の笑顔は、モートンに向けたものよりも醜いだろうな。


 そんなことを思いながら、もう一度深く息を吸い、吐く。

 耳に届くのは、ひそひそ声と嘲笑。どちらかだけだ。


 だけど、それらは俺の脳には達さない。知覚するだけで、脳には別の声が反響している。


 その声を黙らせ、


「……っし。もういいか」


 俺は顔を勢いよく下に振り、前を向く。

 そして、俺が先ほどまで座っていた椅子に座りなおす。


「あーあ、制服と、ローブまで汚れたな。まあ、ネクタイは無事だし、いっか。イズモ、大丈夫か?」

「……ぱぱは?」

「俺は大丈夫だよ」


 その呼び方、誤解を招きそうだからやめてほしいのだが。

 いや、もう奴隷だって宣言してるけども。


 外に出たら、制服を簡単に洗っとくか。

 3年間、ずっと汚れない様に着ていたローブも、とうとう汚れてしまったな。


「……ホント、よく耐えられたわね」

「そう思うなら褒めろ」


 ノエルが、感心とも驚愕ともつかぬ声音で言ってきた。

 別に褒めてほしいわけではないけども。


 ……うーん、どうも湿っぽいんだよな。


「はーい、じゃあここで俺の家族の話をしてやろう」

「無理をするな。今、貴様が語れる心境じゃないだろ」

「グレンが俺を気遣うなんて気持ち悪いー」


 別に無理して話す必要もないんだけどさ。

 俺はため息一つ、スプーンを咥えて言う。


「話っつっても、別にバーブレイの言った通りでしかないんだけどねー」


 大好きな姉は俺を庇って死んだ。

 尊敬する兄は俺の回復魔法を受け付けず死んだ。

 大切な妹は救うことすらできずに連れ去られた。

 信頼する父はズタボロで俺が行った時には手遅れで死んだ。

 優しい母は俺が半日寝ていたせいで魔力枯渇によって死んだ。


 どれも正しい。どこも間違っていない。

 俺は、魔導師のくせして、世界一の魔力総量のくせして、命令式を極めていたつもりのくせして。

 家族を、誰一人守れやしなかった。


 どこも、間違っちゃいないのだ。


「家族が死んだ。それだけの事実で十分なのだ」


 俺の心の傷。自分で見れば痛々しく、とても直視できないような傷。

 そのことから、俺は必死に目を逸らしていた。

 エルフの里、ラトメアたちのおかげで、気にならない程度までは癒えたはずだった。


 だけど、違った。


 癒えてなんかいない。ガーゼで塞いだだけだ。

 血は流れ続けていた。痛みはずっと残っていた。気付かない程度に、だけど確実に。


 その塞いでいたガーゼを、バーブレイが強引に引きはがしただけなのだ。


 そのせいで血は溢れて大量に流れだし、そのおかげで痛みは知覚できるほどのものになった。

 たった、それだけ。


 もともと負っていた傷を、晒しただけなのだ。


「痛みに我慢すりゃ、別にどうってことはない」


 同情などもってのほか。家族の死は、俺だけのものだ。

 誰にも渡さない、誰にも理解させない。


 俺だけの、ものだ。



☆☆☆



 それから、午後の戦闘形式の授業を惰性で受けた。

 途中、休憩しているところにバーブレイ他貴族連中の野次が飛んできたが、そんなもの前世で経験済みだ。

 というより、前世の方がきついだろう。手が出てこないだけ、まだマシだ。


 予想通りの帰りの会を終えた後、俺はすぐに教室を去ろうとする。


「あ、ネロ!」

「何?」


 ノエルに呼び止められ、振り返る。

 もう、歪んだ笑顔などにはなってないはずだ。


 ノエルは、言うべきかどうかを悩むように、少しの間を開けて聞いてきた。


「えっと……大丈夫、よね?」

「……何が?」


 と、聞き返すのは少し意地が悪いか。

 だけど、大丈夫なんて言える状態ではない。だから、はぐらかす。


「……ううん、なんでもない。呼び止めて、ごめん」

「別に構わないよ」


 それだけ残し、俺は足早に教室を後にした。イズモもついてくる。

 学園内は、歩くだけであちこちから嘲笑や侮蔑の視線。


 だけどな、俺はそれらすべてを、既に経験済みだ。

 その程度では、俺を凹ませることなんて叶わない。


 学園を出て、真っ直ぐに家を目指す。

 家に入り、自室に行き、ローブを脱ぎ捨てる。


「イズモ、少し待っててくれる? 学園長が帰ってきたら……そうだな、城下町にいるって言っといて」

「どこ行くの?」

「城下町、だけど?」


 上目遣いで聞いてくるイズモに、なんでもないように答える。


 イズモはそれで納得しないのか、ずっと睨むように見てくる。

 だけど、俺も譲る気はない。静かに、見返す。


 やがて一瞬だけ目を伏せ、そっぽを向いたイズモは、そう、とだけ答えた。

 俺は吐息ひとつ、ナトラの剣を掴んで外へ向かう。



 当然、城下町を回る気なんて一切ない。

 向かう先は、城門の向こうだ。


 城門を潜り抜け、辺りを遠くまで見回す。

 視界に映った、もっとも近くの森を目指す。


 この世界の魔物は、街道にはあまり出てこない。

 それは、きっと、前の世界で動物が道路に出てこないのと同じ理由だろう。


 俺は街道を走り抜け、森の中へと躊躇なく入り込む。

 奥へ、奥へと。何かから逃げるように、必死に走り抜ける。


 嘲笑や侮蔑の目線が経験済みだからって、克服なんてできなければ慣れもしない。

 それでなくても、昼休みからずっと、誰かの声がずっと反響している。

 ……誰かの声、なんて言う必要もないか。


 だけど、俺にはまだ直視できるほどの整理がついていない。

 頭の中はぐちゃぐちゃ、心の中はごちゃごちゃ。

 どこからどう手を付ければいいのか、見当さえつかない。


 だからというように、放置していたのだが、そのツケが回ってきた。

 こべりつく声。重い腕。焼きついた目。身動きできない体。圧し掛かる背中。


 どれも、忘れていた感覚。


 だから、怖い。

 怖くて怖くて、たまらない。


 森の中を走っていると、魔物が勢いよく飛び出してくる。

 その魔物に八つ当たりするように、俺は詠唱破棄で魔術を放ち続ける。


 森の中を走り続けていると、息が上がってきた。足が棒のようになってきた。

 そして、いつしか俺は木の根に躓いて、地面に突っ伏していた。


「……グリム、俺は笑ってるか?」

「いいや。ひどく醜い、泣き顔だ」


「ハッ、ひでぇなあ、おい」


 俺の言葉は、どこに向けられたものだ?

 顔は地面に向いて、見えるはずもないのに答えたグリムか? グリムの言った通りの、ひどい醜い泣き顔だからか?

 ……わからない。


 俺はうつ伏せの状態から反転し、仰向けの状態に戻す。

 空は、いつの間にか闇に閉ざされていた。

 周囲は、台風でも通過したかのような有様だった。


 ひどいものだ。

 たった、たった一人の腐れ貴族のせいで、ここまで荒れるなんて。

 ひどいものだな。


 ……何も成長していない。前世だって、たった一人のせいで、あれだけ荒れた。

 何も、成長していないのか。


「……ん?」


 空を仰いでいると、低い呻き声のようなものが響いてきた。

 声の方へと目を向けると、見たこともない魔物が現れていた。


 ゴリラのような体躯に、悪魔のような翼。一目で言えば……悪魔か。

 ……こんな魔物、居たかな?


 いたんだろう。目が赤く、血走っている。

 魔獣だとすれば、もう少し理性的だろう。たぶん。


 それに、ジギルタイドのような奴なら、俺を敵視しないはずだ。


「……まあ、いいか」


 俺はゆっくりと立ち上がり、しかし腕は力なく垂れ下げる。


「お、おい、主よ、何をしている……?」


 グリムは、俺が何をしようとしているのか感づいたようだ。

 ……まあ、勘づかない方がおかしいんだろうけど。


 俺の眼に、光は灯っているだろうか。生気は宿っているだろうか。

 あの、奴隷市場の者たちのような目をしているんじゃないだろうか。


 自覚があるなら、まだ正常だろう。

 だから、これから俺がしようとしていることも、正常な脳の、俺の判断だと、言えるだろう。


 ――俺は、死にたがりだからな。


「喰らえよ」


 俺の一言に呼応するかのように、その悪魔は雄叫びを上げて俺に飛びかかってきた。

 大口を開け、涎を滴らせ、爛々とした目を向け、一直線に、迷うことなく、俺へと、飛びかかってきた。

 悪魔が俺を捉え、その口を閉じる瞬間、


「――!?」


 誰かに横っ腹に頭突きをされ、俺は悪魔の射程から飛ばされた。


 俺は驚きながらも、その誰かを確認する。

 特徴的なのは、両側頭部に生えた、ヤギやヒツジのような捩じれた角――


「ってイズモ!?」


 置いてきたはずのイズモが、俺にしがみついていた。


「ゴアアアアアアアアア!!」


 イズモに一瞬気を引かれたが、悪魔が雄叫びをもう一度上げ、屈伸運動に入った。

 食えなかった俺を、再び狙って飛びかかってくる。


「――【イビルショット】」


 俺は一瞬で判断を下し、詠唱破棄で魔導を放つ。

 黒い球が浮かび上がり、その直後にはレーザーとなって悪魔を貫いた。


 悪魔へと飛来する途中に、無数に枝分かれし、頭や胸などを穴だらけにした。

 それらの穴から血を噴きながら、悪魔はゆっくりと倒れた。


「ほう、レッサーデーモンを一撃か。素晴らしいな」


 後方から、学園長の声が聞こえてきた。

 レッサーデーモンとは、今の悪魔のことだろう。


 だけど、そんなこと、今はどうでもいい。


「……なんでわかったんですか?」

「私じゃないさ。イズモが、ずっと君を追っていたんだ」

「イズモが……」


 言われ、俺は未だにしがみついたままのイズモを見下ろす。


「俺、待っててって言わなかった?」

「……言いました」

「なら、なんで――」

「だったら、私はいったい誰を待っていれば、良かったんですか?」


 イズモに反論され、俺は何も返せない。

 学園長の家を出た時、俺は死ぬつもりはなかったはずだ。だから、俺だと言えばいいのだろう。


 だが、あの時、イズモが俺ごと吹っ飛ばさなかったら、俺は死んでいた。

 つまり、俺は帰らない。イズモは誰も待っていない。


「……なんで、死のうとするんですか?」

「そりゃ」

「なんで、私を置いていこうとするんですか? 私は、あなたの奴隷です。あなたに、ずっと付き従います。それに、あなたが言ったんじゃないですか。あなたが死んだところで、私にはどうしようも、何もできないって」


 その言葉は、つい一昨日の、俺の言葉だ。

 イズモを連れて、レストランに行った時、イズモに襲われた時に話したことだ。


「その通りですよ……! 私には、この国では何もできない……あなたがいてくれないと、何もできないんです……!」


 イズモの声は涙声で震えていた。

 堪えきれず、といったように、イズモは俺の胸を拳で叩きながら、続ける。


「私を置いていかないでください! あなたが死ぬというのなら、私が防いで見せます! それでも死ぬときは、私も一緒に死にます!」


 イズモの力強い、咆哮とも取れる声で、宣言した。

 ……俺は、ならば答えるべきだろう。


 嗚咽を漏らすイズモの頭に手を置き、答える。


「……わかった。俺は、お前を置いてはいかない。だから、お前も俺について来い」

「はい……!」


 しかし、こうなると俺は克服しなければならない奴がいるわけか。


 ――別に、下から見上げながら笑顔で叩き落としたって構わない。

 ――同じ立ち位置に行く必要すら、ないのだから。

 ――俺は卑屈に最低に陰湿にってのは大好きだ。下から目線性悪説も大好きだ。


 だけど、だからこそ、俺は上を行こう。

 前世とは違う、俺を行こう。


 ――尊大に最高に快活に、上から目線性善説で。


 別にできるとは思わない。だけど、前世の俺をなぞるようなことはやめよう。

 だからこそ、俺は必死に生にもしがみつかない。


 潔く死ぬ。誰も巻き込まず、一人でひっそりと、死んでやる。

 だけど、イズモはそれを防いでくれるという。ならば、その言葉に甘えよう。


「俺は、死に急ぐとしよう」


 そして、


「イズモ、お前はそれを止めてみろ」


 イズモは俺の要求に、しっかりと頷いてみせた。

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