第七話 「お泊り会」
学園長の家に戻り、自室に向かう。
荷物を適当に放り投げ、いまだにしがみつくイズモを引きはがそうとする。が、離れない。
「どうした、イズモ? くっつかれてると動きにくいんだけど」
「……」
反応が返ってこない。
頭を掻きながら、吐息する。
……うーん、好かれてる、と解釈していいのか?
ともあれ、離れないなら仕方ないか。
イズモを引っ付けたまま、俺はキッチンの方へ行く。
来ると言われてしまった手前、もう諦めて料理するしかない。
俺の料理スキルと観察眼舐めんな。あいつらの嫌いなもの詰め込んでやる。
グレンはトマトだ。昼にトマトだけ綺麗に残ってたからな。
ノエルは野菜全般。とりあえず野菜を使っとけばいいだろう。
フレイヤは……特になかったな。けど、行儀が悪かった。食べこぼしが半端なかった。
俺はキッチンの冷蔵庫を漁りながら、何の料理を作るか考える。
……嫌がらせってのは、相手に分からない様にするものだ。ばれたらいじめでしかない。
冷蔵庫の中は、朝使ったものはすべて補給され、また新しい食材なども入れられていた。
昼間のうちに使用人が買い出しにいったりしているのだろう。
料理は……ピザでいくか。
この世界にピザがあるか知らないが、パイ生地っぽいのはあるし。たぶん大丈夫だろう。
この家、学園長しか住んでないくせに設備が充実してるからな。窯もちゃんとある。
グレンにはトマトの輪切りをチーズか肉で隠して食わせる。
ノエルも似たようにすればばれまい。
ただなぁ……フレイヤだけ、好き嫌い以前の問題だもんなぁ。
まあいいか。とりあえず作ろう。
イズモを抱えた状態で、材料を切っていく。
「……ぱぱ、ごめんなさい」
「俺の呼び方に対して問い詰めたいところだけど、今は置いといて何のごめんなさいだ?」
「……けが、した」
「別に火傷程度怪我じゃない。この世界には便利な回復魔法がある」
「……試験、負けた」
「ああいう試験ってのは、勝ち負けを見るものじゃない。戦闘の中で、どれだけ効率よく動けるか、だ」
イズモの言葉にそれぞれ返していく。
それに、バーブレイの攻撃は完全にイズモを狙っていたもの。その事実は、担当の教師も周りの生徒も知っている。
ま、だからといってバーブレイが白い眼で見られることはないだろうけど。腐っても貴族だし、真っ向から立ち向かうのは同じ貴族程度だろう。
「大体、イズモ、お前は奴隷じゃない。俺の盾じゃない。お前は自分を護れない。だから、俺が守ってやる」
「……はい」
「ま、成長したら俺を護れ。その前払いをしといてやる」
とはいえ、イズモが成長すればさようならなんだろうけど。
「気が済んだら離れて。料理しにくい」
「……」
……ここで無視するか。
まったく。動きづらいったらありゃしない。
☆☆☆
出来上がったピザを窯に入れ、テーブルについてノエルたちが来るのを待っていると、最初に現れたのは学園長だった。
学園長は数枚の用紙を持っての登場だ。
「ネロ、君の結果だ」
「どうもです」
机の上に放られた用紙を拾い上げ、目を通す。
ふむ、当然筆記試験は0点。最下位。構わんな。
次に、実技試験。戦闘が短かったせいで、測りかねたと。ただ、計測での魔力総量に命令式、属性の魔法は申し分なし。一番である。
「全く、君が中途半端な結果にしたせいでクラス分けに苦労した。おまけにレイヴァン家の口添えまできた」
「それは災難でしたね」
「誰が引き起こした災難だろうね」
「一貫して貴族ですね。俺も一応貴族ですし」
「その通りだ。だから、君の考えにできるだけ沿ったものにしておいた。私だって、貴族にいい思いなんてもっちゃいない」
クラスの内訳が書かれた書類もあった。見せていいのか? とも思うが、どうせ知ることだな。
その書類からすると、クラスは1組から7組に、成績順に振り分けられている。
成績上位者が集まる1組にはグレンとフレイヤがいる。それに加え、バーブレイも当然のようにいる。
「……ここ?」
膝の上のイズモがそのクラスを指差し、要領の得ない問いをされる。
が、たぶん俺の所属クラスを言っているのだろう。
「そこは本物の実力者と、金と権力しか持たないバカがいるクラス。俺はもっと下のここ」
俺の所属クラスは、確かに俺の願いどおりの成績の悪かったものがいる7組だ。
たぶん、貴族は一人も……おい、ノエルがいるぞ。
「ヴァトラ神国の王女が一番下でいいのか?」
「構わんよ。自分でも言っていたしな」
……あいつ、何考えてるの?
いや、そりゃたしかに魔法学校って、魔術師団に入団の前準備のような場所だから、ノエルが上位のクラスに配属される意味はないだろうけど。
それでも、プライドとかあるんじゃないの? バーブレイなんかプライドだけで1組だし。
ともあれ、俺のクラスの貴族は、俺とノエルの二人だけだろう。
あとは裕福な一般市民だろうな。
「しっかし、面白いですね、このクラス表」
「……気づいたか」
「ええ。面白いというか、ひどいですかね。わざとでしょ?」
クラスに一人、必ず貴族でないものが混じっている。
当然、上位クラスにもいる。たぶん、試験はきちんとした結果のものなんだろうけど、可哀想に。
言い表すなら、そう――
「生贄、ですね」
「言葉が悪いが、一番しっくりくるな」
「けど、今年に限っちゃいらないんじゃないですか?」
「ふむ、どうしてだ?」
「グレンも姫様も、一応常識は持ってる。あいつら、この国で最高権力に間違いないですし、誰も楯突かないでしょ」
「確かにそうだが……いろいろとあるんだ」
まあ、俺は王都に詳しくないからな。長いこと学園を見てる学園長の采配には何も言えんか。
俺は俺のクラスで、楽しくやらせてもらおう。できるか知らんが。
次に目に留まった書類は、行事予定表と書かれていた。
それは1か月おきの学園内トーナメントと、課外授業があった。
学園内トーメンとは学園長から聞いた通りだが、課外授業は初めて見たな。
課外授業の内容は、クラス単位で王都近くの森に入り、チェックポイントを回りながら抜けるというものだ。
しかし、課外授業自体はそこまで驚くような内容でないのだが、日程が気になる。
「なあ、課外授業って、早くないか? もっと時間とってもいいと思うんだが」
「それはクラスの結束を強める、とかいう名目だから早いんだ。それに、私の案ではない。王妃の指示だ」
「なるほどねぇ」
裏の目的が何なのか。
……下手すりゃ、いや、プライドの高い貴族がいるクラスでこんなことすりゃ、クラスの結束なんかボロボロに破綻するぞ。
貴族はどうせ、同じクラスに庶民がいること自体許せないんだから、チームワークもあったもんじゃない。
「……ああ、なるほど。そういうことか」
「何か気付いたのか?」
「これ、ポイント加算するんだろ?」
「ああ。トーナメントほど多くはないが、それなりに入るぞ」
「これは下のクラスの救済措置だ。クラスの結束は、下のクラスの方が強い。庶民が集まり、貴族が減るからな」
「……ふむ。確かに、言われてみれば過去の課外授業でも下のクラスが上位に食い込んでくることもあるな」
「上位クラスは揉めて揉めて、関係悪化するかもしれないけど、そもそも仲良くなるとも思っていない。だから、こういった行事で下のクラスがポイントを稼ぎやすいようにしているんだろう」
「ほう、あいつも一応、学園のことを考えているのだな。上位クラスは毎年関係が悪化するから、私に対する嫌がらせかと思っていたよ」
旧知の友なら少しは信じてやれよ……。王妃も不憫だな。
しかし、課外授業は多くない。3か月に一度のペースだ。
俺は別にポイントなんかどうでもいいんだが……庶民出の奴らはこういったところからポイントを拾わないといけないんだろうな。
さて、それに気づく奴はどれだけいるか。いなかったら……俺に説得できるかなぁ。
まあ、貴族どもにどれだけの恨みがあるか、だよな。そこを利用すれば、いくらかは動いてくれるかもしれない。
あと気になるものと言えば……長期休暇か。夏休みや冬休みのようなものだな。
3か月ごと、区切りにあるし。長期休暇を込めて、1学期4か月。前世と同じだな。
長期休暇が毎回1か月あるのは、きっとグレンのような地方からくる生徒の帰省があるからだろう。
……長期休暇になると、俺は暇だな。イズモに魔術を教えるか。今、どれだけできるかを見せてもらって、それから教えよう。
大体の書類に目を通した頃、家に鐘の音が鳴った。
「む、王女様たちが来たようだぞ。私が出てくるから、君は早く料理を作れ」
「はいはい」
この学園長、ノエルに負けず劣らず食い意地張ってるな。
☆☆☆
まあ、料理を作れと言われても既に8割がたできているのだが。
あとは焼くだけだし、特に何もすることはないし。
俺はイズモを席に残し、窯に火を点けて中に入れていたピザを焼き始める。
……どれだけ焼けばいいのだろうか。見た目で判断すればいいか。
「なんだ、まだできていないのか?」
一番に入ってきたグレンが、若干不満を含んだ声音で聞いてきた。
「焼き物だからお前らが来てから焼いてんだよ。冷めたのでいいなら、今度から用意しといてやる」
「二度も来ない」
「俺も言って気付いた」
また来られても嫌だ。俺の手間が増えるだけだ。
「ということは、ここに住むのですね!?」
「……なぜそうなる?」
グレンに続いて、フレイヤが入ってきた。
そして、入ってきたと同時に住む発言だ。
おかしいだろ。その理屈はおかしい。いや、確かに二度も来ることにはならないけども。
「え、だって、わたくしはまた来ますよ? 遊びに」
「……せめて事務とかで来てほしかった」
何それ。結局たかりに来るんですか? 絶対に王城の料理の方が高級で美味しいはずなのに。
「フレイヤ様が来るなら」
「おいお前。前言撤回とか認めないから。お前だけ来るな」
グレンにそういうが、本人はどこ吹く風でテーブルについた。
フレイヤもグレンの隣に座る。
普通、王女が座ってから騎士が座るんじゃないの? そういう上下関係とかあるんじゃないの?
まあ、別にどうでもいいことなんだけども。
「ネロ、怪我の様子はどう?」
「おかげさまで完治してるよ」
最後に学園長と入ってきたノエルが、バーブレイとの戦闘の怪我の具合を聞いてきた。
回復魔法って、ホント便利だよね。1週間は治らないような傷も、数秒で治るし。
「なんだ? 怪我したのか?」
「そうなのよ。あのバカ、火球を手づかみよ?」
「ふはっ! それはバカなことをしたな」
うっわ、うぜえ! グレン、超うぜえ!
頬が引きつる感じがするし、グレンはうざいが、バカなことをしたのは事実なので言い返せない。
「次は詠唱の暇すら与えず、半泣きにしてやる……!」
バーブレイに復讐の闘志を燃やす。
次の戦闘がいつになるかはわからないが、再戦は絶対にしてやる。そして泣かす。
「いったい誰にやられたんだ?」
「バーブレイよ、バーブレイ・レイヴァン」
「あいつか。だが、それなら勝たなくてよかったんじゃないか? あいつは、粘着質で有名だぞ」
「知るか。俺はイズモを狙ったことに怒ってんだよ」
「……それは、貴様に同情しよう」
グレンが俺に同情だと……!?
こいつ、何か変なもんでも食ってきたんじゃないのか? 大丈夫か、こいつ?
「……何が言いたいのかは分かった」
俺の驚きが顔に出ていたのか、グレンが頬を引きつらせる。
「けどな、俺はそういう奴が嫌いだ。大嫌いだ。だから同情したんだ」
「……貴族のくせに」
「貴様も貴族だろうが」
まあそうなんだけどね。
でも根が小市民だから傲慢貴族様とは違うんだよ。
「生まれも育ちも地方だから、王都の貴族とは違う」
「俺もだ」
あ、そういやグレンもユートレア共和国の国境沿いで育ったのか。
でも公爵じゃん。貴族のトップじゃん。
「レギオン家はお父様から最も信頼されている公爵家ですよ」
王の寵愛を受けたのに、地方貴族名乗るとか許せない。
どうせ恩賞とかいっぱいもらってんだろ。
「ああ、そうだ。グレン、お前バーブレイと同じクラスだから。頑張って」
「なに!? あいつが俺と同じクラス!?」
ぐっと親指を立てて教えてやると、凄い勢いで反応された。
お、驚きすぎじゃないですか?
「別におかしくないだろ。金と権力さえありゃ、上位クラスは当然だ」
「くっ……もう少し筆記を抑えておくべきだったか……!」
どんだけ嫌いなんだよ、バーブレイのこと……。
過去に勝負とかして、勝って粘着質のように付きまとわれてるとかだろうか?
ピザの生地がキツネ色にようやく焼け、窯からピザを取り出してテーブルの真ん中に置く。
大きめに作ったが、男が二人だし、食い意地張っているのが二人だし、足りるかな?
「ねえ、今失礼なこと考えなかった?」
「何のことやら」
なんで思考が読まれるんだよ。怖いわ。
トマトが大量に乗っている箇所をグレンの方へ向け、ノエルの方へは肉で隠した野菜大量の箇所を。
……我ながら陰湿であるな。
グレンが真っ先に手を伸ばし、何の疑いも躊躇もなく、口に入れた。
「ふむ、なかなかうまいな」
俺は無表情で、テーブルの下でぐっとガッツポーズを作る。
……嫌がらせは気付かれない様に、だ。
ノエルも普通に食べてるし、気づいていないのか、それとも他と食べれば別なのか。
どっちでもいいんだけど。
フレイヤは……ひどい。好き嫌いが、ではない。行儀が、だ。
これは俺ではどうしようもない。注意くらいしかできないが、それで直るなら王城でもう直ってるだろうし。
本人は微塵も気にしていないのか、笑顔で食べてるし。
「お、美味しいわね……」
「ネロは良い夫になるのです」
「普通これって嫁の仕事じゃないの? 夫の仕事じゃないよな?」
「俺に聞くな。大体、貴族が自分で料理する物好きはそうそういない」
そりゃそうか。貴族って言えば、使用人とか雇うもんな。
……あれ? うち、サナが作ってたような……まあ、左遷されたから王都や公爵様とは違うよな。
それに、時々だけどアルバートだって作ってたな。そしてかなりうまかった。
「……というか、気になっていたのだが、貴様、その腕はなんだ?」
「あ? これ? なんだって……」
グレンが指差すのは、俺の左腕に巻かれた赤いリボン。
「赤いリボンだけど」
「……なぜ巻いている、と言いたいんだ」
「そりゃ……妹ので、えっと……」
言葉に詰まる。
どう説明したものか、迷う。
他の、ノエルやフレイヤの視線も集まっているせいで、逃げることもできそうにない。
……ただ、どう伝えたものか。
「妹って、ネリだよね? その子、騎士学校に居なかったの?」
「ああ。校長が、是非とも入学して欲しい人材と言っていたので、会いたいものなのだが」
「そういえば、ネロの家族って――」
「ネロ」
ノエルの発言を遮り、学園長が俺に飲みかけのコップを差し出してきた。
コップには、朝と同じ牛乳が注がれているのだが……。
「……なんでしょう?」
「ほら、わかるだろう?」
「はいはい……」
学園長のコップを受け取って立ち上がる。
すると、一口も飲んでいないイズモもコップを差し出してきた。
俺はため息を吐きながらも受け取り、キッチンの方へと移動する。
ホットチョコを作りながら、少しだけ学園長の方へ眼を向ける。
……まあ、感謝はするけども。
家族の話を、少し強引だが断ち切ってくれたし。
席を離れると、学園長は話題を別のものに変えていた。
グレンやノエルも、訝しむような表情をするが、一応話に乗ってくれている。
……いつまでも、家族の話題は避けられないだろうけどさ。
せめて、ネリがいないと上手く話せる自信がない。
それにフレイヤは王女だ。俺の偏った見解など、聞かせない方が良いに決まってる。
俺は天井を仰ぎ、誰にも聞かれないように呟く。
「家族、かぁ……」
☆☆☆
ピザを食べ終わり、ようやくひと段落したころ。
「どうせなら泊まっていかないか?」
学園長が血迷った。
いや、正常だ。うん、正常。何の心配もない。
だから予想もできていた。
学園長が、帰り際になって全員を引き止めることくらい、ちゃんと予想していた。
なので、反撃も考えている。
「構わないけど、そうなったら俺は朝学園長を起こしません」
「なにっ!? 君、情報を渡さない気か!?」
あ、そっちの方が大事なのか。
そりゃ、使用人が来てからでも十分間に合うとか言ってたもんな。
しかし、効果は抜群のようだ。
閉じた扇子を噛んで、悔しそうに悩んでいる。だから扇子を噛むな。
ノエルやフレイヤもどうするか悩んでいるようだ。
グレンは……きっとフレイヤに合わせるんだろうな。
やがてノエルとフレイヤは二人で相談を始めてしまった。
……ああ、まあ、女子ってお泊り会とか好きそうだよなぁ。問題なのは男もいるってことか。
「勝手にしろ。俺は部屋に戻るから」
部屋までは来ることはないだろう。別に何も話すことないし。
俺が扉の方へ歩いていくと、イズモもついてくる。
そのまま自分の部屋へと移動する。
部屋の本棚に近づきながら、ついてくるイズモに振り返る。
「イズモ、なんか本でも読むか?」
「……いえ、あの」
珍しい。イズモから拒否の言葉が出るとは。
昨日買ったから珍しいかどうかもわかんないけど。
「なんだ?」
「……学園長、のとこに」
「別に構わんが……何しに?」
「……」
教えてくれないらしい。
まあ、無理に聞くようなことでもないけど。
「居場所はわかるよな?」
「……はい」
「じゃあ、行っていいよ」
「……戻って、きますので、その」
「そんな早寝はしないよ」
イズモは小さく頭を下げると、小走りで部屋を出て行った。
さて、一人になってしまった。
俺は目を本棚に戻し、小説を物色する。
適当に3冊ほど選び、ソファに座って読書に耽った。
☆☆☆★★★
なんということだ……!
異世界であろう言語の情報がいきなりもらえないとは……ネロめ、1日目にして私の扱いをよくわかっているじゃないか……!
自室の机につき、片手を額に当てて悔しがる。
だが、なぜ彼はあそこまで嫌がるのだろうか。
女子だぞ? 同じ屋根の下だぞ? お泊りだぞ!?
どこに不満があるというのだ!
……まあ、彼なら朝食の手間とか言いそうだな。
年頃のくせに、色恋沙汰に興味を示さないとは、将来が思いやられる。
一息つき、今日もうず高く盛られた書類の片づけを開始する。
今日もネロから魔導書を借りてきているから、やる気がないわけではない。
結局、王女たちは泊まることになったし、フレイヤに付き添いということでグレンも泊まる。
この家に不審人物が入れるとも思えんがな。
目を逸らしたくなるような量の紙束を、一番上から手に取っていく。
……誰か手伝ってくれる人でも雇おうかな。しかし、クォーターとはいえ亜人の血が通う私に仕えようとか言う物好きはいまい。
この国は人間至上すぎる。本当に困った国だ。
……いつか滅びても、私は知らんぞ、フロウよ。
などと、この国の行く末というどうでもいいことを考えながら書類を片付けていると、部屋の扉がノックされた。
誰だ? 私の部屋に来るような者など居たかな。ネロは必要以上に関わろうとしないし。
「どうぞ」
予想もつかないが、返事をしないわけにもいくまい。
私が返事をした後、数秒ほどの間があってから扉がゆっくりと開かれた。
入ってきたのは、予想外すぎる人物、イズモだった。
彼女はいつもネロに引っ付いているから、ネロも一緒かと思ったが、どうやら一人のようだ。
「どうしたんだ? 私に何か用かな?」
私は手を止め、イズモの方へ近づく。
イズモも部屋に入って来ながら、少し怯えた様子で聞いてくる。
「……あの、今日、ぱぱがけがを、して」
「……ぱぱ?」
「あ……マスター、です」
……これは良いネタになりそうだ。
明日、本当に起こしてこなかったらこれで報復しよう。
私は内心で笑みを作りながら、しかし顔には出さない。
「しかし、怪我くらいは誰でもするが?」
「……私、を庇って」
なるほど。ネロならやりそうなことではあるな。
イズモも、奴隷としてはそんなこと初体験なんだろう。奴隷は盾だ、なんて言う貴族も少なくないし。
「それで、何か……えっと」
「ふむ、怪我をしないようなものをあげたい、と」
「……はい」
珍しい。
奴隷が、まさかマスターに贈り物とは。
奴隷なんて、マスターに恨みしか持たないものだと思っていたが……彼の教育方針のおかげかな?
イズモを奴隷としては絶対に扱わない、だったか。
まあ、別に私は傍観するだけなのでなんだって構わないのだがね。
「しかし、怪我をしないようなものとは……」
顎に手をやりながら考える。
彼自身、怪我をしたのはただの慢心だろう。次からは絶対に怪我をするようなことはないはずだ。
彼は詠唱破棄を使える。これは、詠唱が必要な他の魔術師とはかなりのアドバンテージになる。
それに怪我をしたところで回復魔法がある。
彼は回復魔法も詠唱破棄で使える。片手間でできるだろう。
……しかし、彼の本質は詠唱破棄ではない。
詠唱破棄は確かに、この国では私と彼しか使えないものだ。他国の者はいくらでも使うのだが。
しかし、彼の本領はそこではない。
命令式のずば抜けた解読速度だ。
彼は、エルフの里から帰る最中の馬車内で、それを見せてくれた。
私が使う、複雑化した魔術でさえ、ものの数秒で破壊されてしまった。
意地で自分でもわけがわからなくなるようなものでさえ、彼は十秒かからなかった。
これは私にだってできることではない。
きっと、彼にしかできない芸当だ。
「確か、君のパパは手で火球を触った、らしいね」
「……はい」
となると、彼は体のどこかが触れないと魔術の破壊はできないのか。
「ならば手袋などどうだ?」
「……手袋、ですか?」
「そうだ。魔術師団に入れば、必ず支給されるものの一つなのだが、手袋に魔法陣を刺繍してしまえば、いろんな効果を付与できる」
そのためには特別な生地と糸が必要なのだがな。
魔法陣を刺繍する場合は、手袋に魔力を流せば勝手に起動する。
が、魔法陣自体に少しでも綻びがあれば、起動することはない。
だから、専門職の人に頼むのだが……。
「そうだな。材料は私が持っているし、すぐにでもできるが……」
この際だ、上等なものを送ってあげようじゃないか。
「魔法陣と刺繍の専門家がちょうどいる。その子に教えてもらうといい」
「……専門家、ですか?」
「そうだ。その人は――」
★★★
「フレイヤー、勉強教えてー」
ソファに座り、学園の教科書などを広げてフレイヤを呼ぶ。
学園長にお願いして、フレイヤと同室にしてもらったのだ。
フレイヤは受けた印象と違って、勉強がかなりできる。
対し、私はほとんどできない。
「はいです。どこからしますか?」
「んー、命令式から」
「わかりました」
この魔術に必要とされる命令式なのだが、私はこれがもう理解できない。
なぜこんな面倒なものがあるのだろうか。複雑な動きができたからと言って、標的に当たらないと意味がないのに。
フレイヤに教えてもらいながら勉強を始めて、一息入れようかと思った頃。
扉がノックされた。
誰だろうか? グレンは、私がいる時は絶対に来ないだろうし、ネロも……ないな。なら、学園長かな?
フレイヤと少しだけ顔を見合わせ、返事をする。
「どうぞ」
返事の後、少しの間が空いて開いた扉の向こうには……奴隷の子がいた。
予想外すぎる。ネロも近くに居るのかと思ったが、そんなこともないようだし。
「どうしたのですか、ノエル? 残念そうな顔して」
「そ、そんな顔してないわよ! ……えっと、イズモ、だっけ? どうしたの?」
確か、ネロがそう呼んでいたはずだ。
イズモは両手に何かを持っているようで、それを大事そうに抱えている。
「……あの、学園長が、魔法陣と刺繍の、専門家、って」
……魔法陣と刺繍の専門家?
私とフレイヤは、同時に顔を見合わせた。
確かに、私は魔法陣については詳しいけど、専門家と呼ばれるほどでもないし……。
フレイヤは、確かに刺繍というか裁縫の専門家だろう。以前、彼女が自分で縫ったと持ってきたのは、なんとドレスだったのだから。しかも、店に並べても遜色ないほどの出来栄え。
「えっと。それで、その手に持っているのは?」
「……手袋、と糸、です」
……えっと。どうすればいいのだろうか。
どうにも要領を得ないのだけど、たぶん手袋に魔法陣を刺繍したいのかな?
特別な生地に特別な糸で刺繍をすれば、魔法陣としての効果が発揮されることは私でも知っている。
となると……。
「その手袋に魔法陣を刺繍するの?」
「……はい」
「じゃあ、貸してくれる?」
「あ……う」
手を差し出すと、イズモは困ったようにその手袋と糸を抱きしめた。
「もしかして、自分でしたいんじゃないですか?」
フレイヤがイズモに近づきながら、そういった。
「そうなの?」
「……はい。それで、教えて、ください」
「いいけど……」
魔法陣の刺繍は相当難しいと聞く。フレイヤならできるかもしれないが、教えてできるようになるのにどれだけかかるか。
それに、魔法陣といっても効果によって細部が異なってくる。
「どんな効果を付けるの? 一般的なのは、耐火、耐水、耐刃、耐雷、硬化、辺りね。あとは……珍しいものは闇や光の魔術のもあるけど……」
「全部」
「……え?」
先ほどまでの少し怯えた口調とは一変し、とても真剣な声音だった。
しかも即答ときた。
「いや、えっと……全部は流石に――」
「全部」
……私の負けで良いです。
ネロに種族を聞かれたときも思ったけど、この子、芯の強さがあるわね。
「全部となると、かなり複雑になるけど……フレイヤなら大丈夫よね?」
「裁縫はお任せなのです」
私は吐息ひとつして、真っ白の紙に魔法陣を記していく。
全部となると、かなり複雑だし……書いたこと自体少ないのよね。
耐火などの魔法陣を全部、邪魔しないように、かつ効果が発揮されるように書くと……。
「……これ、フレイヤでもできるの?」
「うーん……これだと1日かかってしまいます……」
「いや、充分すごいと思うけど」
出来上がった魔法陣は、かなり複雑で奇怪な模様になってしまった。
書くだけならなんともないのだが、刺繍となるとなぁ……。
とはいえ、フレイヤが1日と言ったのなら、1日でできてしまうんだろう。
しかも1日もかかってしまう、というようなニュアンスだ。縫えるだけでもすごいと思うんだけど……。
「では、さっそく縫っていきましょう!」
フレイヤはイズモと二人で座り、手袋に刺繍を始めた。
…………。
「私も何か縫おうかな……」
「ネロにあげるんですね? そうなんですね?」
「う、うるさい! 誰にあげようが私の勝手でしょ!」
……否定しない辺り、やっぱりまだ引っ掛かってるんだろうなぁ。
★★★☆☆☆
2冊目の小説を呼んでいる最中、部屋の扉がノックされた。
……無視する。当たり前だ。読書を邪魔されるとか、絶対に嫌だ。
すると、またノックされる。が、俺は返事をしない。
やがてノックは突くような響きになってくる。
…………。
「うるっせえよ! 返事なかったら帰れ! そして帰れ!」
「居るんなら返事をするのが普通だ!」
扉を開けて入ってきたのは、グレンだった。
グレンは扉を閉めて俺の向かいのソファに座った。
俺はグレンに半目を向けるが、すぐに視線を本に戻す。
いったい、何しにやってきたんだか。
俺とグレンの間に、沈黙が流れる。
が、俺は気にせず読書する。
「……なあ」
「うるせえ帰れ」
「それはひどくないか!?」
どこがひどいのだろうか。
グレンは額に青筋を浮かべて怒っている。が、何故怒られているのだろうか。
この場合、俺が怒っていいと思うんだ。読書を邪魔するとか、本当にやめてほしい。
俺は嫌味をたっぷりと含んだため息を一つし、小説を置く。
そして顔をグレンの方へと向ける。
「で、なんだよ? 召喚の仕方は教えんぞ」
「な、なんでだよ! それくらい別にいいだろ!?」
「いや、言い方が悪かった。教えてもお前にはできん」
「さらにひどくないか!?」
本当のことなんだけど。
しかし、確かグレンは赤の魔導師だったよな。
「赤の魔導書なんて、どこにあったんだ?」
「あ? そんなことも知らないのか?」
「……だから、3年間ユートレア共和国にいたっつっただろうが」
こいつはどうしてここまで喧嘩腰なのだろうか。
俺は怒りを抑えつけながら、グレンにもう一度訊く。
「で? どこにあったんだ?」
「確か、アクトリウム皇国と蔵書の交換をした時だったか? その蔵書の中に紛れていたらしい」
「……泥棒じゃん」
「まあ、そうなるな。おかげで海路だけでなく空路も塞がれたよ」
「アクトリウム皇国とドラゴニア帝国は仲がいいからな」
きっと、赤の魔導書が紛れていたことを報告せず、そのまま魔導書に選定をさせてしまったため、アクトリウム皇国は怒ったのだろう。
グリムの話だと、黒と白以外なら、どの人種でもある程度は使えるらしいし。
で、怒ったアクトリウム皇国は、同じ大陸でとても仲の良いドラゴニア帝国にも頼んで、デトロア王国をユーゼディア大陸に封じ込めた、と。
とはいえ、空路なんてこの世界に飛行機があるとは思えんが。
しかし、ここの王族は本当にバカじゃないのか? 海路塞がれるとか……。
「海路が塞がれただと!? 暗黒大陸に行けないのか!?」
「行く必要があるのか?」
ああ、そうか。デトロア王国は人間至上主義だから、奴隷狩りとかの名目以外では外国に行かないのか。
だが、俺は違う。違うぞ。
「イズモを送れない……!」
「そこが心配なのか……」
何言ってんだ、この貴族様は。
俺は最終的に、イズモが行きたい場所に送り届ける気でいるんだぞ。その筆頭が、きっと暗黒大陸のカラレア神国だというのに……。
「だが、暗黒大陸ならノエルに頼めば行けるんじゃないか?」
「そうだ! その手があった!」
ノエルの母国であるヴァトラ神国も暗黒大陸にある。
なら、ノエルに頼めば何とかなるだろう。一安心だ。……いや、ノエルが引き受けてくれるか問題だけど。
「そ、それで魔導書のことなんだが……」
「……お前なんか気持ち悪い」
「悪かったな!」
いや、なんでこいつこんな気持ち悪いんだろう。
落ち着かない様子で目を泳がせているし、手も忙しなく動かしている。
「魔導書だったか? それなら……お前ならすぐにでも使えるようになるよ」
「本当か!?」
だってこいつ怒りっぽいし。すぐにでも溢れるだろ。
しかし、何を対象とするか、だよな。
俺は魔導書を集めろって言われているから、俺に対する怒りはやめてほしい。
となると……誰が最適だろうか。
こいつの将来を思うなら、王族辺りだろう。
それが無理だとするなら……まあゼノス帝国にでも連れて行けばすぐに怒るだろう。
ていうか、なんで俺がこいつの覚醒に付き合わなきゃいけないんだよ。俺は魔導書だけで良いんだ。覚醒させる理由がない。
「満足したら帰れ」
「あ、ああ。わかった」
そういって、グレンはあっさりと退いてくれた。
「そうだ。お前、トーナメントってどっちで出るんだ?」
「トーナメントは騎士学校の方だ」
「そうか。だったら、早くて3か月後だな。勝負は」
「貴様が来るとは……いや、俺が上がれるか、だな」
「その辺に関しちゃ、実力は知らんが信用しといてやる。勝ち上がって、勝負だ」
「……貴様が信用などというとはな。わかった。3か月後、勝負だ」
グレンが不敵な笑みを向けてきたので、俺は余裕の笑みを返しておく。
まさか、俺から宣戦布告するとは思わなかった……。
だが、グレンを見ているとどうしても、自分でもわからないほどに……好戦的になる。
あいつが喧嘩腰だからだろうか? それとも過去のことか?
……どちらも違う気がする。
が、別にそんな感情はどうでもいい。
グレンと勝負、その思いがあるなら、勝負するだけだ。
案外、グレンを屈服させたいだけかもしれないし。
「じゃあな。邪魔して悪かった」
「ホント邪魔になったよ」
グレンは、はっ、と息を吐いて部屋から退室していった。
俺も一息つき、読みかけていた小説を手に取った。
3冊目の小説が中盤に差し掛かったころ。
俺は窓の外を見た。
外は既に真っ暗。深夜とまではいかないが、時間的に10時過ぎた頃だろうか。
……イズモ、遅いな。
軽く3時間はいないだろうか。
学園長にいったい何を聞きに行ったのやら。
まあ、別にそこまで深刻な問題でもないだろうけど。
俺は本を読む態勢に疲れ、部屋を出てキッチンを目指す。
この世界に来て、それなりに規則正しい生活をしているために、もう眠くなってきた。
まあ、どうせ早起きしないといけないから寝てしまえばいいのだが……。
……イズモが一人で寝られるか、なんだよなぁ。
俺の場合、1日じゃ寒さは収まらなかった。だから、1週間ほど4人で寝ていたのだが。
イズモも同じなら、今日も一緒になるだろうし。
キッチンでホットチョコを二つ作り、それを持って自室に戻っていると、
「……ノエル?」
ノエルが、俺の部屋の前でイズモを抱えて立っていた。
「あ、ネロ。私の部屋に来たんだけど……そのまま寝ちゃって」
「そうか。悪いな。……これ、いるか?」
イズモ用に作ったのだが、寝ては飲めないな。
確か、ノエルはフレイヤと同室だし、イズモが寝たなら俺も寝るし、二つ渡せばいいか。
「う、うん。ありがと」
「どういたしまして。……お前らは起こす必要ないよな?」
「え? 起こしてくれるの?」
「……自分で起きれるなら自分で起きろ。まあ、一応部屋には行ってやる」
「わかった。お願いね」
俺よりも先にグレンが行きそうだけどな。
ノエルからイズモを受け取り、コップを二つ渡す。
部屋の前で別れ、俺は扉を開けて中に入る。
「一人で寝れたのか、ノエルたちがいたからか……」
少し判断しかねるな。
まあいいか。
俺はイズモをベッドに寝かせ、布団を掛けてやる。
そして、電気を消してソファに横になった。
……うん、床よりかはマシだ。




