土壇場の底力
俺は水球を作り出し、ネリの動きを妨害し、接近されれば距離を取って、を繰り返していた。
いつしか、ネリは足を止めて泣き顔になっていた。
「うぐっ……ぐすっ……まじゅちゅきらい……」
嫌われてしまった。
俺もさすがにこれはやりすぎたかな、と反省をする。
「ネリ、ここでやめたらネリの負けだよ」
そこに、ナトラの容赦ない言葉がかけられる。
「う、うっさい! 兄さんには勝ったもん……!」
「俺に勝ったって、ネロに負けたんじゃ、結局ラッキーパンチでしかないんだ。ネロは俺にまだ一度も勝ってないからね」
「に、兄ちゃんが魔法使えば、兄さんなんか……」
「いや、魔法だけじゃ俺には勝てない。ネロもそれはわかってるはずだ。とはいえ、ここでやめるも続けるもネリの勝手だ。どっちでもいいけど、ここでやめたら俺は稽古つけてやらないぞ」
ナトラがいつも以上の真剣な表情と声音で、泣き顔のネリを叱咤する。
ネリは、その言葉をゆっくりと咀嚼するように理解していく。
「ふぐっ……うぅぅぅ……」
ネリは涙を止め、俺に相対する。
顔こそ涙でぐしゃぐしゃだが、その眼には火が灯っていた。
……やばい。俺の方はもう勝つ気満々だし、すでに仕込みも終えているのだが……。ここであっさりと勝ったら、さすがに後味が悪そうだ。
とはいえ、このまま火を灯したネリと真っ向勝負なんて絶対に勝機はない。
さて、どうしたものか……。
「ネロ、もう仕込みは終わってるんでしょ?」
「え?」
ノーラが突然、そんなことを言ってきた。
だが、ノーラはそれだけを俺にいうと、今度はネリの方へと向いた。
「ネリも、この一回で勝負は終わり。ネロの魔法が発動したらネリの負けだし、ネリがその魔法を抜けたらネロの負け。いい?」
「……はい」
俺とネリは、ほぼ同時に返事をしていた。
深呼吸をし、心を落ち着かせる。
別に、もうネリに勝つ必要は一切ない。ナトラの言葉で、もう天狗になることはないだろう。
だけど、やっぱり俺にもプライドくらいある。
たとえ数秒の差であったとしても、俺は兄でネリは妹だ。妹に負けるような兄には、個人的にはなりたくない。
だから、全力でいかせてもらおう。
俺とネリは真正面から向かい合う。
目と目を合わせ、知らず知らずのうちに呼吸も合う。体全体の動きまでもが、シンクロしていくように感じられた。
双子の特徴、ってわけでもないんだろうけど、自分ではないはずなのに、ネリの考えていることが伝わってくる。当然、それはネリも同じだろう。
だが、俺の方がアドバンテージがある。俺もネリも、剣についてはほぼナトラから教えてもらっている。魔法についても、同じノーラからだ。だけど、ネリはノーラの授業をほとんど聞いていない。それこそが、魔法を詳しく知らないネリの弱点だ。
たとえ俺の考えがわかったところで、魔法を理解していないと対処なんてできやしない。
同時に、体が動いた。
俺はネリの横に回り込むように移動するが、ネリも同じように動いてくる。
俺が目指すべき場所は、ネリの向こう側。どうにかして、ネリを回り込まなければならない。
だが、このままではいつまでたってもぐるぐる回っているだけだ。
俺は意を決し、ネリへと突っ込んでいく。ネリも同じタイミングで突っ込んでくる。行動がシンクロするが、考えていることまでシンクロしてしまえば俺の勝ち目は薄い。
「風の流れは世界のなが――」
「はあっ!」
詠唱が完了する前に、ネリが鋭く剣を振るってくる。
俺はそれをしゃがんで回避するが、ネリは手を止めることなく連撃をしてくる。
……くそ、これじゃ詠唱できない!
ネリの攻撃をなんとか避け続けるが、これじゃジリ貧だ。いずれは俺に木剣が命中するだろう。
距離は取れそうにないから仕切り直しもできない。ここまできたら、やはり突っ込むしかないのか……?
「う、おぉぉぉ!」
吠え、力いっぱい跳躍する。
もう魔法なんか関係ねぇ! なるようになれ!
それでも、一度思い浮かべた作戦は俺の意思に反して実行されていく。
詠唱もないのに、できるはずがない。それでも、俺の思考は加速し、魔法を使おうとしていく。
足裏に【ウィンドボール】を当て、大きく跳躍。姿勢制御などを行いながら、向こう側に降り立つ。
たった、たったそれだけの過程なのに、詠唱しないとできないのか!?
そう思った瞬間、跳躍していた体は重力に反し、さらに高く舞った。
「えっ……!?」
俺は状況がわからず、声を上げてしまう。だが、ナトラやノーラ、ネリも俺を見上げて驚いた表情をしていた。
「う、ぉあ……!」
高く舞った体は、ある程度の高さに達すると重力に従って地面を目指す。
……まずい、姿勢制御を!
そう思っただけで、またしても風の流れが生まれた。
俺の姿勢を綺麗に保つように左右から、また衝撃を和らげるように下からも風が吹いてくる。
そのまま、俺は地面に綺麗に着地した。
少しの間、兄妹全員で呆けていた。が、ネリが一番に我に戻ると、俺へとまた駆け出した。
っと、俺も驚いてる場合じゃない。目的地に来たのだ。ネリも予定通りの場所に居る。
俺は地面に手を、正確には俺が作ってネリが割った水球の水がある場所に手を付ける。
その水に、魔力を流し込む。すると、その水が薄く発光した。
魔力はその水を伝い、ネリを覆うように広がっていく。
「これは……!」
ノーラが驚愕の表情を浮かべる。
ネリとの戦闘の最中に考え付いたものなので、うまく作動してくれるかわからない。だが、それでもやらなければ負ける。
水を伝い、ネリの足元の地面までもが薄く発光する。
「え……なんで!?」
ネリもまた、驚く。
なぜなら、地面が光っているのはネリが立っている場所だけだからだ。
「ネリ、ちゃんと姉さんの授業は聞こうね。それと、決着だ」
俺はそのまま魔力から命令式を送り込む。
「水は地面に溶け、泥沼を作れ」と「土はネリの足元を拘束しろ」だ。
そう、ネリの立っている位置は、初めに俺が使った土魔法の部分だ。ネリに魔力を相殺されたが、土はそこに残っていた。
水は命令式通り地面に溶け、ネリの立っている位置から半径1mほどを泥沼に変えた。土はその泥沼の中で、命令式通りネリを拘束している。
「くっ! ふっ!」
ネリは泥沼から必死に抜け出そうとするも、足を拘束されているために抜け出せない。
「なんで……なんで足が抜けないの!?」
「ネリ、思い出してみようか。姉さんの、相殺の説明」
俺の言葉を聞いても、ネリにはわからないといった表情を浮かべている。
「ネロ、あなた……」
だが、さすがにノーラは気付いたようだ。
「そう、魔法に魔術並みの命令式を組み込んだんだ。複雑になるほど相殺できない。だったら、魔法でも複雑にすれば相殺はできなくなるよね」
俺は魔法に、「縛れ」だけで十分な命令式を「対象の足を脛辺りまで怪我をしない程度にできるだけ強く、それに――」という風にかなり複雑にしている。
「そうよ。そう、なんだけど……」
あれ? 何かおかしかったかな?
ノーラは納得できないような表情を浮かべている。
まあ、それは後でいいか。
「兄さん、僕の魔法はネリを捕らえましたよ」
「ん、そうだな。これで試合は終わり。勝者はネロだ」
そう宣言したのを聞き届け、俺は魔法の命令式を解く。
すると、ネリを拘束していたアースロックが解けて、すぐにネリが泥沼から這い上がった。
「さすが兄ちゃんだな! あたしももっと強くならないと!」
ネリは近寄ってきてそう宣言する。拳を握りしめ、泣いていたのがウソのように笑顔だ。
「おやおや、これはいったい……」
声が聞え、兄妹4人そろってそちらへと勢いよく振り向く。
そこには、アルバートがいた。
ナトラとノーラは慌ててアルバートへと詰め寄っていく。
「あ、アルバートさん!? このことは母さんたちには……」
「そ、そう! お願い、内緒にして?」
二人に言い寄られ、たじろぐアルバート。
「あ……」
ネリと声が重なる。
俺とネリは遠巻きにそれを見ていたので、もう手遅れであることに気付く。
「そうしたいのは山々ですが……」
アルバートもそうしたいようだが、既に無理なのだ。
「ナトラにノーラ、ちゃんと説明できるわね?」
アルバートの後ろで、静かに炎を燃やしているサナが立っていた。
「か、母さん……」
ナトラとノーラが同時に呟き、笑顔を浮かべるもその顔は引きつっている。
「え、えっと……」
「庭をこんなにして、覚悟はできてるわよね」
サナも笑顔だが、恐怖を覚えるものだ。
「い、いや! ちょっと聞いて、母さん! これ、ネロとネリがやったのよ!」
「姉さん!?」
「う、裏切ったあああ!?」
俺とネリが、ノーラに対して声を張り上げた。
「え? ち、違うわ! 裏切ってないわよ!?」
俺たちの声を聴き、こちらに向いてそう抗議してくる。が、どう捉えればそう解釈できるんだ?
「だ、だから、ほら! えっと、あのね?」
ノーラは説明しようと必死に頭を回転させている。
「ノーラ、お母さんも魔術師なのよ? こんな規模の魔術、まだ幼いネロが扱えるわけないでしょ」
……そうなの? これ、魔術なの?
命令式は魔術並みのものだけど。
「ほんとよ! ネロがやったのよ! 魔法の遠隔操作に、混合魔法、それに魔法の命令式の複雑化も!」
「そんなウソは通じません。いい? 魔法の遠隔操作なんて、魔術師並みの実力が必要だし、魔法の命令式の複雑化も、魔術師団長しかできないって言われてるわ」
……マジかよ。そんなに難しいこととは思えないのだが。
サナの言葉を聞いて、ネリが勢いよくこちらを向いた。
「ね、ネロは魔術師の才能があるの! 土壇場で詠唱破棄もやって見せたわ! しかも、威力を落とさずに!」
「それこそ、たとえ魔法であっても大魔術師様にしかできないものよ? ネロは今何歳だと思ってるの?」
精神年齢的には、きっと家族の中で一番であるな。
ただ、そういった会話はこちらにも聞こえているわけで。
先ほどからネリの視線がとてつもない輝きを放って俺に向けられている。
ノーラは、一向に信じてくれないサナに対し、俯いてしまった。
「……いいわ。ネロ」
「は、はい?!」
やがて、俯いたままやけに低い声で呼ばれ、俺はビクッと肩を震わせて返事をする。
ノーラに手招きされ、招かれるままそちらに寄っていく。
「な、なんでしょう……?」
「母さんに見せてあげなさい」
「い、いや、でも、僕もどうやったか」
「遠隔操作と複雑化だけでもいいわ。それに、詠唱破棄も一度できたんだからきっとできるわよ」
「……はい」
有無を言わせぬノーラの声音に、そう返事をするしかできなかった。
「それでは、いきます」
見物人が二人増え、全員が俺に注目している。
俺は、ネリとの戦闘で使ったようにアクアボールを生み出す。
「止まることを知らぬ水よ、今ここに集え。
流れをかき集め、彼の者を撃ち抜け。【アクアボール】」
掌の上に、こぶし大の大きさの水球が生まれる。
それを次々と生み出していき、俺の周りを漂うように命令通り動く。
さて、次は土魔法か。
「母なる大地よ、その雄大な力を大きく振るえ。
彼の者を捕らえ、この地に縛り付けよ。【アースロック】」
標的はサナだ。複雑化は自分で体験しないとわからないだろうということで、サナが名乗り出た。
詠唱と共に、サナの足元の地面が動き、サナの足を脛辺りまで覆う。
「あら、なかなか強力に縛れるわね」
サナはそういいながらも、呆気なくアースロックを解いてしまう。
遠隔操作と複雑化を見るためなので別にかまわないのだが、こうもあっさりと解かれると自信がなくなってくるな……。
だが、失敗できない原因がある。
後ろで、目を光らせてみているノーラだ。
俺は後ろを振り返ることができず、終始怯えて魔法をかけている。
だけど、今はこちらに集中しなくては。
深呼吸をして、気を落ち着ける。
俺はアクアボールを地面に撒いていき、サナの足元の土にもつなげるようにしていく。
これは、水を媒介にして魔力を注ぎ込むため、注ぎ込む対象に水が触れていないとできないのだ。
最後に、自分の足元に水を撒き、準備完了。
足元の水に触れ、魔力を流し込んでいく。
魔力の流れは、こういう時だけ薄く発光している。
魔力を流し込むと同時に、ネリの時より複雑化させた命令式を送り込む。サナは魔術師だ。複雑といっても、あの程度ではきっと解かれてしまう。
より複雑に、繊細に、魔力を込めて……。
複雑にすればするほど、繊細にすればするほど、魔力はどんどん吸われていく。
俺の魔力総量は人より多いって前に言ってたし、これくらいなら大丈夫だろう。
――そんな油断をしていたら、体の内側から何かがせり上がってきた。
「――ごぷっ」
瞬間、俺は何かを吐き出した。
「ネロ!?」
周りで見ていたナトラたちが、一斉に俺の名前を呼んだ。
だが、俺はそれに応えることができない。次から次へと、目や口や鼻を伝って赤い液体があふれてくるからだ。
それを血と認識するころには、俺の意識は朦朧としてほとんどなかった。
そして、俺は赤い血溜まりに倒れ込んだ。