第三話 「黒の精霊」
部屋に戻ると、俺は魔導書を取り出した。
リリーとの別れの際に、光った気がしたのだが、あれから調べていなかったのだ。
時間をとれる場所が馬車での移動時間程度だったし、学園長の前で魔導書をひけらかすのも気が引けるというか……。
何はともあれ、今日まで魔導書は開いていないのだ。俺は。
さっそく机について、魔導書を広げようとする。
すると、魔導書が独りでにページを捲り始めた。タワーリングインフェルノやイビルショットのときと同じように。
そして、開かれたページには魔法陣と詠唱が書かれていた。
……魔法陣ってのは初めてだな。しかし、ここで魔導を使っていいのか?
逡巡し、外ですることに決めて魔導書を取ろうとすると、宙に浮いて襲い掛かってきた。
「い、いて! おい待て! なんでいきなり叩くんだよ!」
数回叩いて気が済んだのか、魔導書は机の上で大人しく開かれた状態で静止した。
……ったく、滞在一日目から壁に大穴とか冗談じゃないぞ。こちらのカードを根こそぎ持って行かれそうだ。
しかし、魔導書は机の上から動く気配もないので、仕方なく部屋で唱えることにした。
「闇より這い出る混沌よ、その力を振るう愚者は我なり。
冥界の支配者、その頂点に君臨する者よ。
我は汝を使役し、この世を闇で覆う者なり。
その力を我に貸し与え、ともにこの世を闇で覆わん。
死を操る冒涜者よ、冷酷で残忍な大罪者よ。
我が呼び声に応え、今ここに顕現せよ。【サモン:ブラック】」
この詠唱……さらにサモンって、まさか召喚魔術か?
召喚魔法は魔法書にも魔術書にも書かれているものだ。
火、水、風、土、雷、光、闇、それぞれその性質の能力を持って精霊が召喚されるのだ。実体が不確かな存在の精霊。
火なら何かを燃やしたり、光なら辺りを照らすような、簡単に言えば自律式の道具といった感じか。
だが、それは魔法書に限ったものだ。魔術書になれば、魔物のような実体を持った精霊が呼び出される。
確か、ノーラの持っていた魔術書は朱の魔術書だったな。ノーラが一度だけ見せてくれた精霊は、サラマンダーだった。火を纏ったトカゲだ。
朱は赤の魔導書の下位の魔術書のようで、火魔法が中心に書かれていた。
故に精霊も火に関係した精霊になる。
しかし、魔導書の精霊だ。どんな化け物が出るかわかったものじゃない。
今まさに召喚されんと魔導書に書かれた魔法陣が強く発光している。
締め切っているはずの部屋に風の流れが生まれ、魔導書を中心に渦を巻き始める。
魔法陣がさらに強く発光すると、とうとうその精霊が姿を現し始めた。
ずるずる、と魔法陣から這い出るようにして、精霊は姿を現した。
「ははははは! ようやく、ようやく呼んでくれたな、主よ!!」
その精霊は、高笑いと共に現れた。
俺はそんな精霊をしばし呆然と眺め、一つ質問をすることにした。
「……もしかして、今まで魔導書で叩いたのって」
「おお、我だぞ! 我のおかげで――」
「【シャイニングレイ】!」
「うおおお!?」
チッ、完全に不意を打ったと思ったのに。
精霊は俺の手から放たれた光線を紙一重で躱し、俺の魔術は精霊の横を通り抜けた。
「光はやめろ! 弱点だぞ!?」
「よし! もう一回だ!」
「ならばこちらもだ! 【イビルショット】!」
精霊も手をかざし、その手から黒色の光線を放ってきた。
精霊のイビルショットと俺のシャイニングレイがぶつかり合う。
くそ、俺の魔力量をもってしても、精霊のイビルショットは押しきれないのか!?
…………。
「……主よ、落ち着いたか?」
「……だいぶ落ち着いた。凄く馬鹿らしいな」
「そうか。我もそう思う」
俺と精霊は同時に魔術を止め、同時にため息を吐いた。
精霊の姿を改めて見るが、もう完全に闇の精霊って感じだ。
第一印象は死神。大ぶりな鎌とぼろいマント。それに頭には兜のようなもので覆われ、その奥には赤く光る点が二つ。たぶん目だろう。
足はなく、胴体もあるのか怪しい。
「それで、お前の名前は?」
「名などない。主が勝手につけて呼べばよい」
「そうかい……死神っぽいし……グリム・リーパー? 長いな、じゃあグリムでいっか」
安直だけど、こんなもんだろう。
「ふはっ」
「……なんだよ」
「いや、その名をつけるのは今の主で2人目だ。しかも、1人目の主もそのような言葉からとっておったしな」
「ああ、そうかよ。ご丁寧にどうも。他にはどんな名前を付けられたんだ?」
「安直なものばかりだな。ユーレイやカマ、クロやシニガミだな」
「ほんと安直……」
いや、俺も人のこと言えた義理じゃないけど。それでも、一応捻ったぞ? ……英語にしただけだが。
「で、グリム。なんで今更出てきたの?」
「ククッ、魔導書には感情を糧とするのを知らぬのか?」
……そういや、アレイシアがそんなことを言ってたな。
「その感情が溢れ、強大なものになった時、魔導書の精霊は召喚可能となる」
「……ってことは、あれか? あの時に俺の感情が溢れた、と?」
「そうだ。だが、ここまで強大な感情は初めてだ。世界を憎悪? 素晴らしい! 実に素晴らしい!」
「……」
……やめてー! それ、黒歴史を掘り返されるくらい恥ずかしいんですけどー!
俺は両手で顔を覆ってその場でごろごろ転がりまわる。
やがて気が済み、座りなおしてグリムに向き直る。
「世界相手に憎悪し、ここまで強大な感情を持つ主は初めてだ」
「そうかよ。そいつはどうも」
「今まではどいつもこいつも、人一人だったり国一つだったり、矮小な者ばかりだった」
いや、それが普通だと思う。俺が異常なだけで。
「おかげで我の力を最大限発揮できる機会が少なくてな。燻っておったのだ」
「ああ、そうかい。だけど、俺だって世界相手に力使おうなんざ――」
「思っておるだろう?」
「……」
そりゃ、思ってないって言ったらウソだけど。
そもそも、魔導書一冊の力程度で世界をどうこうできるとも思えないのだが。
「魔導書一冊では無理だ。ならば二冊は? 三冊、四冊ならば? 七冊揃えば、どうなる?」
「……」
「魔導書一冊で、使い方次第で一国に相当する力を持つぞ。それが七冊揃えば、可能性は残されているんじゃないか?」
「そりゃ……そうだろうけど」
だけど、俺が魔導書を集めるのはアレイシアの頼みであって……。
あ、そういえばこいつ精霊なのか。だったら、無の魔導書とか知ってんのか?
「グリム、アレイシアとか無の魔導書とか知ってるか?」
俺が尋ねた途端、グリムの目の赤い点が鋭く光った。
「……主よ、どこでそれを?」
「あん? どこかは知らんが、俺に黒の魔導書を取りに行くよう助言したり、魔導書を集めるように頼んだ奴だよ」
俺はそこまで深刻なものとは考えていなかったが、グリムは真剣な声音で注意してきた。
「……悪いことは言わん。奴の言葉に従うのはやめた方がいい」
「従うったって……魔導書を集めろ、くらいしか頼まれていないんだが」
「ならば、自分のために集めよ。絶対に、奴の言いなりになるな」
「……? まあ、そこまでいうなら」
大体、そこまでアレイシアを信用するわけでもない。
俺より前に来ていた転生者だって、アレイシアには注意するように言っていたし。
報酬である前の世界に戻れってのも、俺的には結構どうでもいい。
ただ、この世界もあの世界も、俺を裏切ることは変わらないのだから。
「でも、俺この世界にいちゃいけないとか言われてるし」
「そんなもの、魔導書をすべて集めれば書き換え可能だ」
実に冷静に、真剣な声音で返された。
え、何それ。そんなこと聞いてないぞ?
ああ、でも前の世界に戻れば好きなように弄れるんだっけ……。
その辺の細かいところは、集めた時にでも考えよう。取らぬ狸の皮算用は意味がないし。
「ていうか、グリムは知ってるのか? アレイシアを」
「いいや、直接会ったことはない。だが、我の主の多くが、アレイシアという精霊の名前を出した。そして、悲惨な末路を辿った」
「……」
俺は思わず唾を飲み込んで喉を鳴らしていた。
まさか、アレイシアも敵側とは……。よくある話ではありそうだが。
「そういえば、最初に魔導書を開けなかったのはなんでだ?」
「ふむ、それは黒と白の魔導書が特別であるから、だ。他の魔導書は誰でも、どんな種族のものでも、ある程度なら使用可能だ。が、黒と白の魔導書は魔人族と天人族の者以外には扱えんのだ」
「それって、つまりは魔力の性質の違いか?」
「そういうことになるだろうな」
「で、その魔力の性質は、その種族の一部を取り入れることで変質する、と」
「そうだ。だから、魔人族の一部である『吸血人の血』を飲ませたわけだ」
「……嫌なもん飲ませやがって」
「『腐人の肉』の方が好みだったか? それとも『悪魔人の尻尾』がよかったか?」
「……一応、お前もそれなりの常識を持ってたんだな」
「まあな」
ていうか、もっと別のものは無かったのかよ。
「まあ、魔人族がいつも口にしているものでも構わないのだがな」
「それを出せよッ!」
暗黒大陸にある食糧だろ? それを食わせろよ!
「その場合、1年程度食べ続けねばならないのだが」
「……それって、あの腹痛も特に起こらないんだよな?」
「そうだろうな」
「ちっくしょう!」
ああ、いや。でも1年もかけたらだめだよな。あの時はノーラに魔導書を使うところ見せたかったのだから。
……そういや、結局見せられなかったんだっけ。
見せる見せる、って気持ちだけで、結局火魔法しか使ってなかったし、魔導書を使ったのだって死んだあとだったな。
なんか……もう悲しくなるな。
「どうした? 暗い顔をして」
「……なんでもない」
俺は深呼吸と深く息を吐き、気持ちを切り替える。
「……ん? なら、俺は亜人族の魔力も手に入れた、ってのか?」
「そうなるだろうな。それに、主の魔力は特別なようだ。もしかすれば、別の魔導書も使えるかもしれん。通常ならば、最初に持った魔導書を使う最適の魔力に変質するのだが、どういうわけか主の魔力はそこまで変質を起こしておらぬ」
それはきっとアレイシアの魔力が注がれているからだろう。
そんなこと言えば、グリムにめっちゃ怒られそうだから言わんが。
「なあ、お前の言うとおりなら、魔導書ってのは色にあった種族が持たないと真価を発揮しないのか?」
「そうだ。人族は赤、亜人族は緑、獣人族は黄、海人族は青、龍人族は紫、天人族は白、魔人族は黒、だ」
「ふむ。なら、感情ってのはそれぞれ何なんだ?」
「赤が怒り、緑が信頼、黄が楽しさ、青が冷静、紫が嘆き、白が慈悲、黒が憎しみ、だ。強大になるほど、我ら精霊は強くなり、魔導も強化される」
「なるほどねぇ」
グリムの説明を一通り聞き終え、俺は一息ついた。
その時、タイミングを見計らったかのように扉がノックされた。
俺が返事をすると、思った通り学園長とイズモが部屋に入ってきた。
「風呂に入れて服を着せ……た……ぞ?」
学園長が俺へと目線を向け、次にグリムに目を向けた。
「おおおおお! せ、精霊! 魔導書の精霊か!?」
「え、ええ。そうですけど……」
「おおおおお!」
荒ぶる学園長に若干引き気味に答える。
すると、学園長はグリムに駆け寄ってぺたぺたと触り始めた。
「な、何だこいつは! 主よ、やめさせろ!」
「何言ってんだ、グリム。魔導書は一応、学園長に預けるんだぞ」
グリムは鬱陶しそうに学園長から逃げ回るが、それを上回る速度の学園長。
「な、何!? そんなことするでない!」
「夜のうちだけだ。我慢しろ。じゃないと俺はここから追い出されるんだよ」
別に追い出されたって構わないのだが。
野宿ぐらいできるし、なんでも食える。その辺の魔物でも狩って焼いて食えばいい。
まったく痛くもかゆくもないのだがな、追い出されても。
「ぐく……主のために我慢してやろう。で、ではさらばだ!」
グリムは言うが早いか一気に弾けると同時に魔導書の魔法陣に帰っていった。
学園長は残念そうな声を小さくだして、魔導書をまじまじと見つめていた。
「ふぅ、危なかったわ」
「……なんでいるんだよ」
いきなり声が聞こえたかと思ったら、グリムが横に漂っていた。
しかも、先ほどのように実体感はなく、本当の幽霊のようだ。夜、心霊動画とか見てるときに声をかけられるとちびっちゃうくらい怖い。
「召喚魔術で呼び出せば、我は実体化するが、一度召喚されてしまえばこうやって現れることも可能だ」
「ああそうかい。先に説明が欲しかったよ」
「おおおおおおおお!!」
奇声を上げて、学園長がグリムに飛びつくが、実体がないことに気付いていないのか、そのまま通り抜けて行った。
……威厳がまったくない。
俺は思わず憐れみを込めた視線を送ってしまった。が、学園長は一切気にした風はなかった。
「学園長、イズモありがとうございました。魔導書渡すんで、仕事頑張ってください」
「む? そうか。いや! 魔導書一冊もあればやる気が出るものだ! すぐに終わらせる!」
学園長に魔導書を渡すと、受け取ってすごい勢いで出ていこうとした。
が、扉の前で振り返った。
「そうだ、私、絶望的なほど家事出来ないから、朝食とか頼む」
「はあ!?」
「詳しいことは仕事の後だ。それではっ」
ぐっと指を立てると同時に扉を勢いよく叩き付けて出て行ってしまった。
いや、ちょっと待てよ! そんなの聞いてないぞ!?
ああもう! よかった、ナフィに料理教わっといて! ありがとう、ナフィ!
俺は落ち着くと、イズモに目を向ける。
イズモは学園長のコーディネートによって、見違えるような姿になっていた。
簡単に言えばゴスロリか? ファッションにそこまで興味はないので、詳しくは知らん。けど、そんな感じだと思う。
「うん、可愛くなった」
何気なくつぶやくと、イズモは見るからに動揺した。
だが、それが恥ずかしさからくるものではないのは明白だ。
俯き、肩を小さく震わせているし、服の裾を強く握りこんでいる。
……どんだけ恐怖してんだよ。
俺はため息を吐き、イズモに手を伸ばす。
ビクッとより一層強く肩を震わすイズモ。構わず、背中に手を回して抱きしめる。
「イズモ、別に俺を信用しろとは言わない」
抱きしめながら、耳元で伝える。
こういったことは苦手だし、うまくできる気はしない。失敗談もあるし。
それでも、不器用なりに伝えるしかないのだ。
「だけど、俺をお前の前のマスターと同じだと思わないでくれ」
「……」
「お前は今まで怖い思いをしてきたんだろう。だけど、それは奴隷としてだろ? 俺は、お前になんていったかは覚えてるだろ?」
「……奴隷としては、扱わない?」
「そうだ。俺は、イズモを奴隷として扱う気はない。嫌なことは嫌と言えばいいし、俺はそれに極力応えてやる」
「……はい」
「昼は悪かったよ。一緒にタオルも買えばよかったな。これからは気を付けるから許してくれ」
「……はいっ」
「成長するまでの辛抱だ。100年も生きていれば、ほんの数年くらいなんともないだろ? それに、タダで成長できるんだ。喜べばいい」
「はい……!」
「お前が育てば、自由になる。カラレア神国に帰りたいなら帰してやるし、この国に住みたいなら尽力してやる」
「はい……! わかり、ました……!」
イズモはいつしか泣き始めていた。
嗚咽と涙声の返事を聞きながら、俺はイズモを放す。
しかし、育てるったって何をすればいいのか皆目見当もつかんぞ。
何からすべきか考えていると、イズモに袖を引かれた。
「あの……」
「どうした?」
「……本、を読んでください」
「……わかった。いいよ」
俺はイズモを連れて部屋に置かれている本棚に近づく。
学園長が使っていたのか知らないが、一応本が置かれている。
その中からイズモに一冊を選ばせ、ソファに座る。
イズモは、なぜか膝の上に乗ってきた。
……別に嫌なわけじゃないけども。すげえ変わり身だなぁと。
俺は苦笑を漏らしながら、イズモに本の読み聞かせを始めた。
☆☆☆
三冊目を読み終えた頃に、扉のノックと共に学園長が姿を現した。
学園長は、俺と膝の上に座るイズモを交互に見て、フッと笑った。
「随分と仲良くなったようだな。何かしたのか?」
「別に。ただ、説得しただけですよ」
あれが説得なのかどうかは知らないが。
まあ、イズモがそれで一応納得しているようだからいいか。
学園長は俺の対面のソファに座り、教科書のようなものと制服を机の上に置いた。
「とりあえずはそれだけあればいい。どうせ、魔術の基本などは習っているのだろうし、一年次は暇だろうがね」
「まあ、一通りは亜人族の学校で習いましたけど。俺って、いつから学園にいけばいいんですか?」
「ちょうど明日が新年度生の入学式だ。そこに加わればいい」
なんとも急な……。
それでも1か月後とかじゃないだけマシか。
「編入生は3か月の区切りの時にしか編入できないし、本当にちょうどよかったよ」
「そうですね。……明日はこれ着ていけば?」
「ああ、そうだ。特待生用の制服だ。ネクタイのデザインが若干違うだけだがね」
「特別扱いする必要もないでしょうに……」
「そうはいかんさ。魔導師、貴族、詠唱破棄と他の生徒とは明らかに違うだろう?」
「まあ、そりゃ……貴族かどうか怪しいですけど」
「貴族さ。クロウド本家とは既に連絡も取ってある。一度顔を見せる条件で、クロウド家の者として扱っていいそうだ」
「魔導師の肩書が生きてますねぇ」
ホント、どの世界も現実主義だよな。当たり前なんだろうけど。
俺は制服のネクタイだけを広げてみる。
……普通のネクタイがどうなのか知らないが、特待生用のネクタイは白地に赤の刺繍が入っている。
校章と、何かの華っぽい。
心なしか古い感じがするのだが。
「私が直々に招待した者は、ガーベラを刺繍してもらう。王妃は確か……菊だったかな」
「へぇ。あんま興味ないですね」
あれ? 小さい時の招待状は二人から来ていたような……まあどうでもいいな。
「そういうな。私が招待する者など、年に1人いるかいないかだぞ。ありがたく思え」
「ありがとうございます」
「心がこもっていない。そのネクタイ、ノーラの使っていたものだぞ」
「ありがとうございます! 凄く感謝いたします!」
イズモを膝に乗せたまま、俺は頭を下げた。
ノーラのだから古く感じたのか。でも、ほつれとか一切ないし、きれいに使っていたようだ。
「……君の扱いがわかってきた気がする」
学園長が何か言っているが、気にする必要はないな。
「……ノーラ、誰?」
「ん? 俺の姉さんだよ」
イズモが見上げるようにして聞いてきたので、そう答える。
……もう死んじゃってるけどね。とはさすがに続けられない。まだ、家族の死を明るく誰かに言えるほどの整理はついていない。
イズモは「ふうん」といって、俺の持つ本に目を戻した。
「一応、新入生には課題やらを出しているが……必要はないな」
「そう思ってくれるならありがたいです」
「だが、気を抜くなよ。成績は上位を取ってもらうぞ。魔術の実践に関しては右に出る者はいないだろうから、君の生活用品は筆記試験の成績で左右させてもらう」
「うわぁ……後付けの条件ってのがひどい」
「そこまで難しいものはないさ。基礎ができているなら、少し勉強すれば十分だろう」
そういうものかね? まあ、学園長がいうならそうなのだろう。
それでも予習復習はしといたほうがいいのだろう。
……自分のためというよりかは、イズモのために頑張りそうだな。
「後は……そうだな。明日はクラス分けの筆記と実技の試験だけだ。午前に筆記、午後実技だ。昼は食堂だな」
「了解です」
クラス分けが試験とか、格差社会だなぁ。いや、縦社会? まあ、どっちにしろ貴族階級があるから普通なんだろうな。
……しかし、ここで一番とるのもなぁ。
「これくらいかな? 伝えるべきことは」
学園長はそういって立ち上がろうとした。
「そういえば、手記の情報とかはどうしますか?」
「むっ、それもあったな。……だが、それは毎朝小出しにしてくれ」
「はあ……なぜ?」
「寝起きが悪いんだ」
おい待て。お前、俺を使用人か何かと勘違いしていないか?
そもそも家事出来ないとか、普段どうしてたんだよ。
「朝は食堂に行くと、料理の試作品をくれるのだ。昼は食堂で普通に食べて、夜は余り物をもらう」
「はた迷惑な学園長だ……」
「学園に居るうちだけ使用人が来て、そのうちに掃除と洗濯をしてくれる」
「風呂を頼んだことを後悔してもいいか?」
「バカを言うな。風呂くらい一人で入れるのだぞ? 一人増えようが変わらん」
そうは言うが……俺はイズモに視線を落とす。
「……学園長、痛かった」
「だ、そうだ」
「ぐっ……! 上手にできたと思ったのに……!」
悔しそうに扇子を噛む学園長。いや、噛むなよ。
学園長は扇子から口を放すと、一息ついた。
「まあ、明日はそれなりに早く起きた方がいいだろうな。初日から遅刻など、私が許さん」
「朝弱いくせに」
「使用人がぎりぎりに起こしに来るから、それで十分なんだ」
確かにここから学園って、ほぼ隣だけど。
ていうか、それなら俺だって朝はゆっくりしたいよ。
「さて、では私は戻るよ。朝、よろしくな」
「はいはい。寝坊しない様に気をつけますとしか言えないがな」
俺の返しに、満足そうに頷いて学園長は部屋を出て行った。
☆☆☆
学園長が出て行ったあと、俺は机に置かれた教科書などを適当に拾い上げ、ぱらぱらと捲っていく。
……なんか、ノーラに教わったことばっかりな気が……それでなくてもエルフの里で大体習ったようなことばかり。
ため息を吐いて教科書を机の上に戻す。
視線を下に向けると、イズモが船をこぎ始めていた。
「イズモ、そろそろ寝るか?」
「……はい。眠い、です」
「ならその前に服着替えとけ」
「……はい」
俺は勉強机っぽい、高い方の机に教科書類を置く。
……んー、カバンはラトメアにもらったリュックでいいし、必要なものは特にないか。
あ、イズモの寝床どうしようか。ベッドは部屋に一つしかないし……。
2人入っても余りそうなほどの大きさだが、一緒に寝るのも抵抗があるだろうし。
部屋を見渡すが、代わりになりそうなものと言えばソファくらいだ。
仕方ない。俺がソファで寝よう。それくらい我慢する。
リリーと腕を結んでた時なんか、小さいベッドに無理矢理二人寝るもんだから、よく蹴り落とされて床で寝てたし。
むしろ柔らかいだけ床よりマシだ。
「じゃあ、電気消すよ」
「あ……」
「何?」
「……暗いと、眠れなくて」
……暗所恐怖症とかいうのだろうか?
まあ、そういうのならつけておくが……俺、明るいと寝れないんだよなぁ。
「わかった。つけておくよ」
まあ、俺はそこまで眠くないし、イズモが寝るまで適当に本でも読んで時間つぶせばいいか。
予習もやらないよりはやった方がいいだろうし。
イズモをベッドの中に入れ、俺は勉強机の方に戻る。
机について教科書を開くが、特に新しい発見とかはなく、本当につまらないものだ。
……教科書全部を理解しているか、って言われると疑問だが、それでも興味がないと頭には入らないものだ。
今度は本棚に近づき、数冊小説を取り出して、机に戻る。
この部屋の本棚には隙間なく詰め込まれているし、時間はいくらでも潰せる。
1時間ほど経過した頃だろうか。
イズモが声をかけてきた。
「……あの、マスター」
「どうした?」
小説から目を離すことなく、イズモに答える。
「……寒い、です」
「寒い?」
俺はベッドの方に向きながら、訝しげに答える。
おかしなことを言うな。
この世界にも一応四季はあるが、それでも平均気温は20℃くらいだ。かなり過ごしやすい。
それに加え、今はたぶん春に分類されるだろう。
イズモは肩まで布団を羽織っているし、寒いとは思えないのだが……。
「……とても、寒いです」
「……わかったよ」
俺は取り出した小説を本棚に戻し、ベッドの方に近づく。
とはいえ、できることがあるのかは疑問であるが。
……いや、別にこの寒さの解消方法は知っているんだ。俺も、エルフの里にいた時はよくこうなったから。
だけど、それをやってもいいのか迷うのだ。
「……」
イズモは小さい手を精一杯伸ばし、俺の服を掴んできた。
その手は、イズモの感じている寒さからか、小刻みに震えている。
「はあ……我慢しろよ」
俺は仕方なく、俺の知りうる解消方法を実践することにした。
つまりは添い寝である。
嫌がっているようなら、すぐにでも出る気でいたのだが……。
イズモは俺に抱きついてきて、固く閉じた目から涙を溢していた。
本当、いったい何があったのやら。
暗いところでは寝れない、一人では寝れない。普通の生活してりゃ、そんなことはまずありえない。奴隷でも、寝れるときには寝るものだろうし。
俺はイズモの背中に手を回し、宥めるように軽く叩く。
「……申し訳、ありません」
「何が?」
「……このような、お手を煩わしてしまって」
「他人行儀ぃー……」
いや、奴隷としては当たり前なんだろうけど。
でも俺はそんな言葉遣いに慣れていないし、アルバートだってもっと砕けてた……と思う。
とにかく、精神が小市民な俺にそんな言葉遣いはむず痒い。
「まあ、いいけどさ。それに、別にこれは恥ずかしいことじゃないし」
「……そう、ですか?」
「そうだよ。俺だってあったんだから」
ラトメアの家に住むようになって、俺はよくホームシック……ではないけど、家族を思い出すようになった。
そのたびに、寂しさと悔しさ、いろんな感情でよく枕を濡らしていた。
それを予期したかのように、泣いているときに限ってナフィがやってきたものだった。
泣いているのは恥ずかしいし、それに心配もかけたくなかった。
だから、必死に強がって追い返そうとした。
だけど、結局は無理だった。
余計な気遣いのはずなのに、それがとても嬉しくて、でもやっぱり恥ずかしくて。
ナフィを追い返すのに成功したと思った後、一人になって寂しくて。
それでも我慢して、寝ようと布団に入ろうと思ったら今度はラトメアが部屋に入ってきて。
俺を布団ごとリビングに運んだかと思うと、そのリビングにはリリーとナフィが既にいて。
家族でもない、言ってしまえば敵国の人間である俺を、本当の家族のように扱ってくれて。
俺が落ち着くまで、そうやって数日の間は4人で寝ていた。
そんな話を、俺はなんとなくイズモに聞かせた。
別にこれで安心して寝るようなこともないだろうが、思い出してしまったのだ。
だからというわけでもないが、なんとなく話したくなった。
つまりは自己満足だということだ。
それでも、イズモはいつの間にか固く閉じた目を緩く開けて、俺の話を聞いていた。
「俺はイズモを奴隷として扱う気はないから、これくらいはしてやるよ」
「……はい」
「まだ寒いか?」
「……少し」
「……寝れそうか?」
「……このままなら」
「そうか」
なら、このまま寝るしかないか。
明るいと、やっぱ寝れないなぁ。イズモが寝るまで我慢するか。
寝てしまえば、闇魔法で光を消せばいいし。
あの天井にぶら下がっている、電気代わりのクリスタルは闇魔法があれば電源を押す必要がないから便利だな。
や、前世にだってリモコン式の電気はあるけど。
……それにしても、寒い、か。
結局、人肌が怖いとか言ってた俺も、人肌の温もりを欲していたわけだ。
優しさは怖い。だけど、それがないと寂しい、か。
矛盾ばっかりだ。
イズモだって、寒ければ寝れないし、かといって人と寝るのは怖かっただろう。
現実は、うまく生きていくのが難しいな。




