裸の付き合い
「なあおい、ホントにリボン外してくれねえの?」
「当たり前でしょ」
現在地、脱衣所。リリーと背中合わせ……だと思う。俺は背中を向けている。
つまり、風呂に入る前である。
「ていうかさ、腕伸ばせば一人ずついけるよね?」
「えー、それじゃお父さん撃退した意味ないじゃん」
「何も考えずに行動するから……」
ラトメアは当然、この行為に異議を唱えた。
するなら自分も混ぜろ、と。それでいいのかよ、おい。止めろよ。
それをリリーが鉄拳一発で殴り飛ばし、脱衣所の前で気絶している。
……たぶん今ナフィに回収されてる。ずるずるっていう音がしてる。
「せめてタオル」
「しょうがないなぁ。恥ずかしがり屋さんめ」
「もうそれでいいよ……」
背後から忍び笑いが聞こえてくるので、ため息を返しておく。
服を脱ぎ、タオルを巻きつける。リボンの結ばれた方の腕を引いて、リリーに合図する。
「よーし、じゃあ入ろう!」
「はあ……」
リリーが前に出ないよう、俺が率先して風呂場へと入る。
手桶で水をすくい上げ、体にかけてから湯船につかる。
土地が余っているのかどうか知らないが、この里の家はどこもそれなりにでかい。そのためか、湯船も3人でも入れそうなほどの大きさだ。
その湯船で、俺は縮こまるようにしてつかる。
リリーも鼻歌を歌いながら湯船につかっている。
なにが嬉しいんだ、こんなの……。
そりゃ、何度も言うが、俺にもっと余裕があればこれなんてエロゲ? って考えることくらいできる。
だけど、やっぱりそんな気になれないのだ。どうにも、そんな気には。
「ねぇ、ネロ」
「は――ひぃ!?」
リリーに声を掛けられたので、返事をしようとしたら声がこの上なく上擦った。悲鳴といっても差し支えない。
リリーが俺の背中に乗りかかるようにして体重を預けてきた。
だけど、それだけならたぶん大丈夫だった。
……それだけなら。
「り、リリー! タオルは!?」
「え? ネロが使うってだけで、私が使うだなんて言ってないよ?」
「ふっざけんな!」
背中にあたる感触のせいで理性が家出する!
ていうか、リリーって着痩せするタイプなんですね。超どうでもいい!
慌ててリリーから離れようとするも、脇の下から腕を回され、ホールドされる。
ぐっと力を込められてリリーに引き寄せられるも、そのたびに背中にあたる突起の感覚が俺の理性を奪い去っていく。
「リリー、ホントやめろ!」
「……ネロ、聞いて」
「聞く! 聞くからとりあえず離れろ!」
リリー が耳元で囁いてくるが、こんな状態で会話できるか!
俺は水飛沫を上げて暴れるが、リリーは手を離す気配を見せない。
そして、俺が疲れて暴れるのをやめた頃、リリーは話し始めた。
「ネロはなんで私を信頼してくれないの?」
「はあ? 信頼してないっていつ言った」
「落胆しない程度に、ってお父さんが言ってたよ。それを信頼してくれてるっていうの?」
「……」
俺は少し、こんな状態ではあるが、まじめに考える。
……考えたって、答えは同じだ。
「リリーがどう思っても、俺はそれ以上のことを言えない」
「どうして?」
「知ってる? 世界はさ、簡単に裏切るんだ」
俺の、経験談。
どんな世界でも、それは変わらない。
人間は楽だ。裏切られたら、仕返せるのだから。
だけど、世界はそうはいかない。
俺が爆弾で地域一つ吹っ飛ばしたところで、世界に衝撃は与えられるかもしれないけど、それが仕返しになんかならない。
いつだって、どうなろうと世界は回り続ける。
「誰が死のうと、誰が喜ぼうと、世界は回り続ける」
「……」
「俺の家族は死んだ。双子の俺と妹を残して、死んだ。そこにどんな事情があろうとも……俺は世界に裏切られたんだ」
「だけど、それでもネロは生きてるんだよ?」
「俺は、生きてないよ」
……そう、生きては、いないんだ。
あの世界で、俺は死んだのだから。この体は、この世界で生まれるはずであったネロ・クロウドのものなのだ。
俺の身体では、ないのだ。
「死んでるってのもおかしいし……差し詰め、生きる屍、動く死体、ってところかな」
自嘲気味に、俺は語る。
こんなこと語ったって、何の得にもならない。
そんなことはわかりきっている。
「俺が動いている原動力は、家族との最後の約束。たったそれだけ。それが叶えば、俺はいつ死んだっておかしくない」
諸事情で自殺はできないけど、自殺以外でも死ぬ方法はある。
「なくなる前提の信頼なんて、そこそこでいいんだよ」
「良くない」
俺の言葉に重ねるようにして、リリーはきっぱりと言った。
「ネロはここに居る。息をしてる。心臓の音もする。人肌の温もりもある。それなのに、なんで死んでるなんていうの?」
「……」
「ナトラさんは、ネロに生きて欲しいんじゃないの? ネロの両親だって、お姉さんだって、同じはずだよ。違うの?」
そりゃ……そうだろう。
前世ならば、さっさとくたばれと思われていただろう。
だけど、この世界の家族は、前世とはきっと違うだろう。
俺を、本気で心配してくれていた。
だったら、俺は……。
「……どうすればいいんだよ」
わかんないよ、もう……。
俺は、この世界の住民じゃない。アレイシアにはそう宣告されている。
俺の世界は、ここではないのだ。
なのに、この世界の住民は……俺に生きろという。
そりゃ、この世界の住民は皆俺が転生者なんて知らないし、予想もしないだろう。
だけど、それこそ無責任じゃないのかよ。
この世界で、俺は望まれざる客なのに、ただのゲストのはずなのに、主演者たちは俺に出演を望むのか。
「ネロはさ、もっと人を信じてもいいと思うよ。そんな、気を張り詰めて生きなくたって、生きていけるんだから」
「……俺は」
「生きたくない、なんて言っちゃダメだよ。そんなんじゃ、ネロの家族が皆悲しむ」
「だからって……」
「もっと私を信じて。お父さんでも、お母さんでもいい。私は嫌だけど、ネロが信じたいならレンビアだって構わない。もっと、人を頼ろう?」
「……十分、頼ってる」
「勉強を手伝うだけが頼ることなの? もっと他にもあるでしょ?」
「……考えとく」
今は、そう答えるしかできない。
……ああ、あと一つ言っておかないとな。
俺はリリーの腕を取って拘束を逃れ、振り返って逆に俺がリリーの腕を拘束する。
「え、え? 私的には上がいいなー、って……」
何を言っているんだ、こいつは。
まあ、とりあえず言いたいことはそれに関係ない。
「リリー、ナフィさんに教わったんだろうけど、もっとうまくやりなよ」
「うわー、ばれてたー」
特に悪びれることもなく、リリーがそう自白した。
まったく、腕をつないでいるというのに、いつ教わったのか……。
「でも結構やられてたよね?」
「……」
ノーコメントで。
☆☆☆
翌週の休校日には、ラトメアに連れられて森へとやってきていた。
どういう風の吹き回しか、いつも近づくなと言っていた森に連れてきてくれたのだ。
「お父さん、急にどうしたの?」
「いつもおかしいラトメアさんが、拍車をかけておかしいです」
「おいネロ、さらっとおかしいとか言うな。泣いちゃうだろ」
ラトメアが森を先導して、どんどんと奥に潜っていく。
「いやな、この森に物理攻撃が効かねえ魔物が出現してな」
「魔術なら里の者がいくらでも使えるでしょ」
「お前が強くなりたいとか言うから連れてきてやってんだ。ありがたく思え」
「なるほど。ありがとうございます」
ラトメアにも親切心とかあるんだ。
絶対裏があるだろうけど。
「なんか失礼なこと考えてないか?」
「いえ、別に」
どうしてこの親子は人の考えを読むのだろうか。
「まあ、本当言うと、その魔物の体力が半端ないだけなんだが」
「思った通りじゃないですかヤダー」
なにその魔物。超面倒くさい。
魔導で一発……とはいかないんだよなぁ。
どういうわけか、タワーリングインフェルノとかイビルショットの載ったページまで開けないのだ。
結局、魔導書は開けた時と同じ6分の1程度しか開けないし、時間がある時に使ってみたが、どれも魔術書に毛が生えた程度の威力しかない。
つまり、魔導書の中でも最下位の部類の魔導しか使えないのだ。今の俺は。
まあ、別に魔力量による力押しでどうにかなるだろうけど。
「あと、とてつもなくすばしっこいし、オレたち亜人の魔術だと捉えきれねえんだ」
なるほどねぇ。
確かに、亜人……というかエルフから習う魔術は器用な動きができない。
「それでも追尾位はできるんじゃないの?」
「できるんだが……厄介な魔物でなぁ。分身とかしやがる。おかげでこっちの奴らは怯えてまともに戦闘にもならねぇ」
「なるほど。ラトメアさんは怯えないのに?」
「おうよ。あんな魔物、ダンジョンならいくらでもいる。ただ、オレは前衛だからな。魔術はからっきし」
ラトメアが怯えるのはナフィくらいだしね。
「おい、今すごく失礼なこと考えたろ」
「何のことやら」
人の考えを読み取らないでほしい。
それともあれか? 自分でもそう思っているから言っているのか?
ともあれ、俺たち3人は特に他の魔物と遭遇することもなく森を進む。
「この森って、名前とかあるんですか?」
「いや、特にねえな。まあ、エルフは民族柄、森が近くにねえと生きていけねえけど、名前を付けるようなことはあんまりしないな」
まあ、あれだけ自炊生活してりゃ、森も近くにないと生きられないか。
……それとはまた違った理由があるのだろうけど。
「……と、見えてきたぞ。あれが奴の棲家だ」
ラトメアに連れられて森に入って小一時間ほどだろうか。
進んでいた道が崖に突き当たる直前でラトメアが立ち止まり、ある方向を指差す。
その方向には、崖にかなり大きな洞穴が掘られている。
そして、その外にはゴブリンみたいな魔物が歩き回っている。
「ボスは中?」
「だろうな。夜行性で、昼間はゴブリンを使って警戒させている」
ふむ、かなり知恵がある魔物だな。
まあ、ゴブリンが警戒の役に立つかってのは怪しいところだが。
「まずはオレが掃除をする。中の奴がでてきたら、ネロ、頼むぞ」
「わかりました。……ねえリリー、こんな時くらいリボン外してもいいんじゃない?」
「嫌よ。それだと、ネロが勝手に突っ込んで死にそう」
無きにしも非ず、ってところか……。
まあいいか。魔術には支障はなさそうだし。
「じゃあ良いよ、これで。……ラトメアさん、いつでもどうぞ」
「わかった」
ラトメアが俺たちと離れていき、その場には俺とリリーが残される。
「リリー、魔物退治の経験ってある?」
「うーん……昔はよくお父さんについて行ってたけど、襲われてからは怖くてついて行ってないかな」
リリーにもトラウマはあるんだな。
それでも、無経験というわけでもないのだろう。特に怯えることなく弓の準備をしているし。
俺はナトラからもらったロングソードの柄に手をかけて、ラトメアの合図を待つ。
数分ほど待っただろうか。どこからか、いきなり弓が放たれ、寸分の狂いなくゴブリンの頭を貫いていく。
次々と放たれる矢は、居場所を特定できないほどにいろんな場所から放たれている。
動きながら弓を放ち、尚且つすべて頭を貫くとか……ラトメアの戦闘力半端ねェ。
……今度からはラトメアを本気で怒らせないよう注意するか。
ラトメアの攻撃を眺めていると、リリーに腕を引かれる。
「そろそろいいんじゃない?」
「そうだな」
見たところ、大方ゴブリンは片付いたようだが、ボスは出てくる気配がない。
なので、今のうちに洞穴に潜ってしまおう。
俺とリリーは、転がるゴブリンの死体に注意しながら急いで洞穴に向かった。




