拾い物
私は自室のベッドに横になり、本を読んでいた。
窓から差し込んでくる西日がきつく、日向に置かれている太腿辺りが熱くなってきた。
それでも、読書を中断する気にはならない。今読んでいる、『迷宮探索 砂上の楼閣編』という冒険物の物語が面白いのだ。
この本は貰い物だけど、かなり綺麗に使われていたのだろう、中古であるにも関わらず不備が一切ない。折り目もついていないし、読書家の私には嬉しい限りだ。
「リリー、ご飯よー」
「はーい」
お母さんがキッチンから呼んでくるが、あと5分ならぎりぎり怒られない。
そんな打算的な考えで読み進める。
今、ちょうど主人公が迷宮の中ボスと戦い始めたのだ。こんなところで切ると後味が悪すぎる。
そして、5分過ぎるころにようやくひと段落した。
私は本をベッドに放り、カーテンを閉めて急いでリビングへと行く。
リビングのテーブルには、いつもと変わらない質素な料理が並べられている。別に豪華な食事をしたいわけでもないから不満はないけど。
私が席につくと、お母さんも同じように席につく。
空席が一つある。お父さんの席だ。
……おかしいな。いつもなら、真っ先に席について食べているのに。
そう思ったのが顔に出ていたのか、お母さんが少し困った表情で言ってきた。
「お父さん、まだ帰らないのよね。今日は国境近くまで行くとか言ってたけど……」
まさか国境を越えてしまったのだろうか? それで捕まったとか?
……お父さんに限ってそれはないな。
お父さん、昔は冒険者だったらしいし、その辺の騎士には負けないって言っていたし。
「もうすぐ帰ってくるんじゃない?」
「だといいんだけど……」
お母さんも何を心配しているのか。
強いお父さんに惚れて結婚したって、何度も言い聞かしてきたじゃないか。
「たっだいまー!!」
と、お母さんの心配をよそに、玄関を蹴破るようにして、大声と共にお父さんが帰ってきた。
……しかも、なんか抱えて。
「お帰りなさい。……今度は何を拾ってきたの?」
確か、前は鳥だったかな? 魔物のようなんだけど、とても傷ついていたし、可哀想だからと拾って帰ってきたのだ。
その鳥は今も庭で飼っている。魔物のくせに、恩をわかっているのかとても従順だ。
その前は……よくわかんない生き物。お父さんはダンジョンボスに似たのがいたって言ってたっけ。確か、マンティコアだっけ?
お父さんがミケとかって呼んでたな。そのミケは今、机の下で食事中。
「見ろよ! すげえだろ!」
何が嬉しいのか、お父さんはそういいながら小脇に抱えていた何かを見せつけてきた。
それは……人? 気を失った、白い髪をした人族の子供だ。
黒色が濃いローブに、一本の剣を腰に差している。左腕にはなぜか赤いリボン。
「……返してきなさい」
「ええ!? なんでだよ!」
お母さんに言われ、実に子供っぽい声を出した。私だってあんな声は出さない。……たぶん。
「当たり前でしょう? ここはユートレア共和国よ。こっちが良くても、その子がこの国にどんな思いを持っているかわかったものじゃないでしょ」
「いやいや! お前、こいつをよく見ろって!」
「……よく見ろって言われても」
「リリーならわかるだろ?」
いきなり振られ、食事の手を止めてその子を見る。
……特に会ったことがあるような子じゃないし。
それに、ここは人族があんまり立ち入らない場所で、人族の子なんかわかるわけが……。
「――あ」
「わかったろ?」
そうだ。この子、あの人に良く似ている。
髪の色は正反対と言っていい白髪だし、体格も全然違う。
だけど、顔のつくりがそっくりな人を知っている。
「いやぁ、今日こそはナトラさんに会えると思って国境近くまで行ったんだが、代わりにこいつが行き倒れているのを見つけてな。つい」
ナトラさんは、ユートレア共和国とデトロア王国の国境である領地を任されている貴族のところに、数年ほど前に騎士として派遣されてきた人だ。
★★★
以前、私が友達と国境付近の草原で遊んでいた頃、魔物に遭遇したことがあった。
その魔物はグリーンウルフと呼ばれる、草原に生息する肉食の魔物で、一匹だけだったが襲い掛かってきた。
私と友達は、武器も何もない状態だったため無我夢中で逃げ回った。だけどそのグリーンウルフはなぜか私だけに狙いを定め、追いかけてきた。そのことに気付いた友達は、私を置いて逃げ去ってしまった。
私は一人、そのグリーンウルフから逃げ回っていると、前方に一人の騎士を見つけたのだ。逃げ回っているうちに、国境を越えてしまったらしい。
その人族の騎士は私に気付くと、こちらに駆け寄ってきた。
人族の国のデトロア王国と亜人族のユートレア共和国は仲が悪い。もし人族に捕まれば、痛い目にあうと、先生に教えられていた。
お父さんとお母さんはそんなことはないと笑っていたが、どうにも私には思えなかった。
歴史書など、本を多く読んでいた私は過去の人族と亜人族の仲の悪さを知っていたからだ。
前方には人族の騎士、後方には魔物のグリーンウルフ。
私は怖くてその場にへたり込んで泣き喚いてしまった。
だが、その騎士は私には目もくれず、後ろから迫ってきていたグリーンウルフをいとも簡単に切り捨てた。
騎士は剣を納めると同時に一息ついて、私に向き直った。
私はこれから、デトロア王国に連れて行かれると思い、さらに泣き喚いた。
「もう大丈夫だよ」
だけど、騎士は優しくそういって手を差し伸べてくれた。
私は訳が分からず、それでもその手を取って立ち上がった。
しかし、あまりの恐怖で腰を抜かした私は碌に歩くこともできず、また座り込んでしまう。
すると騎士は私を軽々と背負い、ユートレア共和国の方へ歩き出した。
「もう怖くないからね。君の家はこっちであってるかな?」
その騎士は優しい声音でそう訊いてくる。
私はかすれた声しか出せず、自分でも聞き取るのに難しかったので、首を縦に振った。
それから、騎士は私を安心させるようなことを話してくれながら歩き続けた。
「リリー!」
「あ、お父さん……」
前方から私を呼ぶ声が聞こえ、そういうとその騎士は静かに降ろしてくれた。
「それじゃあね。俺も早く帰らないと怒られるから」
その騎士は手を振って帰っていこうとする。
「あの……!」
私は精一杯の声を出し、その騎士を引きとめた。
騎士は少し怪訝そうな顔をして振り向いた。
「名前、を教えてくれませんか……?」
「ナトラだよ。ナトラ・クロウド」
「あ、ありがとうございました!」
優しい笑顔で答えてくれたナトラさんに、私は頭を下げた。
ナトラさんは今度こそ、手を振りながら帰って行ってしまった。
お父さんとお母さんが言っていたことが分かった気がした。
それからお父さんと会うことができ、ナトラさんのことを話した。
お父さんはその話を聞いて、お礼をしなきゃとか言って嬉しそうだった。
後日、今度はお父さんと何度か国境近くまで行っていると、またナトラさんに会えた。
ナトラさんは、亜人である私たちをちっとも警戒しなければ蔑みもしない、とてもいい人だった。
「助けてもらったお礼をしたいんだが、何かないか?」
お父さんがそう聞くのだけど、ナトラさんはいらないと頑なに断っていた。
それでも譲らないお父さんにとうとう根負けし、ナトラさんは一つのお願いをした。
「では、暇な時に戦闘訓練をお願いできますか?」
「そんなのでいいのか? それに、ナトラさんなら十分強いと思うが?」
「こことは正反対に実家があるんです。恥ずかしい話、双子の弟と妹が一人ずついるのですが、どうも負けそうなんです。弟は機転と圧倒的威力の魔法を使うし、妹には実力で超されそうで」
「けど、いいのか? オレなんかで。ナトラさんは騎士だし、相手に困るというわけでも……」
「ここに派遣される人って、場所が場所なだけに充分な経験と実力がある騎士たちなんです。だけど、ここの領主は俺の弟を気に入っているらしくて、それでまだまだ若造の俺を引き抜いたらしいんです」
「なるほど。それで、周りからはよく思われていない、と」
「ええ。一人で見回りとか、訓練とかしてろっていわれて……正直、手持無沙汰で困ってたんです」
「よし! そういうことならいつでも相手してやるぜ!」
「ありがとうございます」
お父さんは喜んでその申し出を受け入れ、ナトラさんも嬉しそうだった。
それから、ナトラさんとは国境近くでよく会うようになり、お父さんと組み手や木剣の打ち合いをしていた。
ナトラさんの実力は素人の私でもわかるほどに素晴らしかった。元とはいえ、冒険者のお父さんを簡単に追い詰めるのだから。
だが、あと一歩のところでいつも負けてしまう。
お父さんが言うには、その原因は甘さだという。
「弟や妹にはいいかもしれんが……騎士としてはダメなんだろうな」
「やっぱりですか」
「守りは文句なしなんだがなぁ。もっと極神流を習った方がいいだろうな」
「極神流……苦手なんですよね」
「だろうな。真面目なナトラさんには、少々扱いにくいだろう」
剣術の流派なんて詳しくは知らないが、そんな話をしていた。
私はそんな二人の仕合を、遠目に見ているだけだった。
時々お母さんもついてきて、差し入れなんかを持ってきていた。
そんな風にして、私の家族はナトラさんと仲良くなっていった。
★★★
私たちにとってはつい最近のことのようなんだけど、人族のナトラさんからすればかなり過去の出来事になる。
「目覚めるまででも置いてくれよ」
「はぁ……仕方ないわね」
とうとうお母さんが根負けし、その子を目覚めるまで置いてあげることになった。
お父さん、根性だけは誰にも負けないからなぁ。
「でも、どこに寝かせるの? 部屋は片づけないとないし……」
「あ、なら私の部屋に寝かせればいいよ」
「いいの?」
思わず提案してしまったが、別にかまわない。
「いいよ。私、どこでも寝られるし」
「よし、じゃあちょっと寝かせてくるな」
お父さんはそういうと、リビングから出て行ってしまった。
まあ別に見られて困るようなものは持ってないし、勝手に入っても構わない。中に居る時はノックをしてほしいけど。
「悪いわね、リリー」
「ううん、別にいいって。それに、これを機に物置と化してる部屋を片付けれるじゃない」
軽い調子でいうと、お母さんもそうねと笑いながら言った。
こうして、私の家に一人の人族の子がやってきた。




