第四十三話 「賭け」
「――始めっ!」
ガルガドの掛け声が上がる。しかし、三者三様の構えのまま、誰も動かない。お互いに相手の出方を伺っているようだ。
その緊張感が周りにも伝播していき、会場は息を呑むほどの緊迫感に包まれた。
「誰に賭ける?」
背後からの言葉に、俺は振り向かずにため息を吐くにとどめる。声とともにジャラ、と金の音が鳴ったからだ。まぁ勝負事に賭け事は付き物だし、やめろというつもりもないけれど。
「おいおい、楽しまなきゃ損だぞ」
「賭けをしなくても楽しいよ」
バシバシと背中を、女性とは思えない強さで叩いてくるリリック。普通に痛い……。
最初に声をかけてきたのはリリックの父親、トレイルの方だ。ホドエール親子が、背後には立っている。
「レートはガリック、ジュディス、アブストルの順だぞ」
「レートに関係なく、勝つやつに賭けるべきだろ。勝敗が見えてるなら」
「だからこそ、お前が誰に賭けるのかだよ」
ほーん。じゃあわざと外してみるのも面白そうだ。どうせ賭け金もそんな高くないだろうし。
「当てたら本店をホウライに移転してやるぞ」
「ジュディスにオールイン!」
みんな落ち着いて! ……は、まぁいいとして。
本店を移してくれるっていうなら、本気で取りに行ってもいい。貿易の要所にはなるだろうし。ホドエールの理念から考えると、いずれ移転してくれそうな気もするけど。
ていうか、楽市楽座的なやつをやれば商売人を呼び込めるのか。まぁその辺は追々だな。税取れないのも困るし。
「ガリックが一番人気だが、良いのか?」
「どうせ外してもいずれ移転するだろ」
「そういうことを聞きたいんじゃないっての」
でも移転を否定はしないんだよな。こいつら。
で、俺がジュディスに入れた理由か。
「攻神流が強いってのはわかるしガリックも強いし、見た通りに入れたくなるのもわかるけど、勝負はそう簡単じゃないからなぁ」
俺とてジュディスにオールインしたはいいが、外れる可能性は十分あるしな。
この三大流派の相性はじゃんけんに例えられる。攻神流がグー、護神流がパー、極神流がチョキ。当然使い手の練度や使い手自身の相性、地形やその他諸々といった要素から一概には言えないが、流派だけの相性ならじゃんけんだ。
そして今、それらが全て高い水準で三つ巴を産んでいるわけだ。
「まず木剣というか、被害を出すなというルール上、極神流は一歩劣る。ルール無用のなんでもありなら数歩有利だけど。で、初手で見合った時点で全員がカウンターというか、後手を取ろうとしている。攻神流にも後手を取る技はあるが、護神流はそもそもが守り、後手を優先しているわけだから一歩有利。見合った時点で護神流が比較的優位を取っているだろ」
まぁ言葉ほど簡単なものでは、当然ないけれど。
ガリックが先手を取りに動いていたなら、ガリック優位を取れたかもしれない。しかし、極神流のアブストルの存在が、ガリックを後手に回したのではないかと予想する。
ここから護神流の優位を落とすには、アブストルとガリックが同時にジュディスを狙うくらいのことをしなければならないが、おそらくそうはならない。
初手で後手に回ったガリックが、10秒以内に動いていればまだ芽はあっただろうが、すでに10秒以上見合ったまま経過している。こうなったらガリックは意地になっているとも取れる。
極神流はどこからでも戦略を組み立てられる分、攻神流ほど悪手とはならないが、それでも同じ神級同士であればジュディスは有利だろう。
「ジュディスは後の先を取るまで動かない。ガリックは動きたくても動けない。仕掛けるならアブストルだろうから、次の一手を好きに組み立てられる。勝ちにいくなら、ガリックとジュディスをぶつける動き、違うなら相性の悪いガリックを狙うか」
「アブストルは勝ちに行かない手があると?」
「極神流だから何するかわからねえってだけだ」
ほんと極神流はよくわからんというかなんでもありだからな。
誰も動こうとしない中で、アブストルの木剣が左右に揺れ始めた。痺れを切らした、という訳ではなく、ゆっくりと、一定のリズムで、見続ければ催眠にでもかかってしまいそうな動きだ。
「おかしいですなぁ。ガリック殿が勇み足で動くと思ったのですが、勘違いでしたか。これはジュディス殿を恐れている――わけではなく、もしかして私を恐れてますかぁ?」
「…………」
独特なリズム感で、アブストルが喋り始めた……というよりかは、煽り始めた。
問われたガリックは、それでも構えたまま微動だにしない。
「ジュディス殿が動かないのは想定通りですが、しかしこんな長時間動かないのもおかしいですねぇ。護神流にだって先手を取る技はありますよねぇ。私が動いちゃっても良いんですか?」
アホっぽい、やけに甲高い声で煽り続けるアブストル。
「極神流ですし、下馬評も低いでしょう。ルールありでは一歩劣ると言われもしましょう」
全方位煽るじゃねえか。
しかし、そこまでいうのであれば秘策でも持っているのだろう。極神流の奥義全て秘策みたいなもんかもしれんけど。
「ではここから巻き返す手を――」
アブストルが懐に手を突っ込み、取り出したものはフォークやスプーンといった食器。それらを暗器のように構えた。
それと同時に、ジュディスがアブストルへと踏み出す。
おそらくジュディスはアブストルによって場をカオスにされることを嫌がった結果だろう。極神流によって場を荒らされ、誰が誰を狙い、どこから攻撃が飛んでくるかが分かりづらくなれば、当然神級といえど反応は遅れる。相手も神級だし。
だが、ジュディスが動き、アブストルも先手を取れなかったとなると、優勢を取るのは初動を見極めたガリックだ。
攻神流は場がカオスになろうが、全て力技でゴリ押しができる。その上、相性の悪いジュディスが動いたこと、しかも狙いがアブストルとあれば不意とまで行かずとも、ガリックが有利を取れるだろう。
「――ふむ、誰も動かんな」
そんなトレイルの言葉。
俺は視線を一瞬トレイルへ向け、そしてすぐに3人へと戻す。そこではアブストルが食器を構えたところで止まっていた。
おや、と思って場内を見回す。ネリは目を見張るようにして3人を凝視していた。シグレットも手を顎に当てて興味深そうに眺めていた。あとはアルマ、ミネルバ、シルヴィアあたりがそれぞれ3人に反応を見せていた。グレンやガルガドも、薄いながらも反応している。
これはあれか。3人の殺気だとか雰囲気に飲まれて未来を見せられた感じか。
神級並みの実力を持っていれば、もっと他の攻防を見れたのかもしれない。俺が見れたのはおそらく魔眼のせいもあるな。グレンやガルガドは俺と同程度のものを見たんじゃないかな。
「アブストルが動いたと思ったが、結局止まってしまった」
「まぁ空想で勝負してんだろ」
「さすが神級だな」
けど、 見れる人と見れない人がいるしなぁ。剣に精通していない人は見れないし、それでは賭けにも余興にもならない。神級の勝負が余興なのも怖いな。
「仕方ないなぁ」
見れないんじゃ、十分に楽しめないだろ。真剣勝負なら別にいいけど、ここではそうはいかない。観客を楽しませてくれないと。
俺は拡声魔法を使い、場内に響く声で告げる。
「この試合にもう1人、参加することを望む。勝ったやつは、どうやら俺を弟子にできるらしいぞ――」
まぁ俺を弟子にしたい物好きはそうそういないはず。
と思ったが、どうやら意外と俺は人気があるらしい。神級剣士相手だというのに、アルマ、ミネルバが飛び込むか身構えたのだから。シグレットが動かなかったのは意外だと思ったが、血切りを結んだから良いやとか思ってんのかな。
で、アルマやミネルバよりも先に飛び出したのは予想通り――ネリだ。
妹に師事しなきゃいけなくなるの、なかなか情けなくないか……? 剣に関してはネリの方が上だから別に当然なんだけど。
「ホドエールの賭けに乗ってるやつは、ネリが勝った場合は全員に配当1.2倍で」
「よかろう」
良いのかよ。割とな出費じゃねえか? ていうか、こっちが出してもよかったんだけど。
これで賭けもうやむやにならないし、よしとするか。別に俺が金をかけているわけではないんだけど。ホドエールの移転に……俺何もかけてねーな。ノリでオールインって言っただけだし。まぁあとで何かしら聞けば良いや。
色々と考えは巡らせるが、視線はちゃんと前に向けている。
飛び出したネリに向けて、アルマが木剣を投げ渡す。それを上手に掴み取ったネリは、その流れのままに回転しながら神級3人を相手に大立ち回りを始めた。
最初にネリはジュディスへと斬りかかる。それに合わせるようにしてガリックも突っ込んでいく。
ジュディスは下段に構え、2人の猛攻をいなしていく。
一歩引いたところから眺めていたアブストルだが、ガリックの死角からフォークを構え、投げつけようとする。
その動作よりも早く、ネリがアブストルへ向けて木剣を投げつけた。
アブストルが木剣を弾く。木剣を投げると同時に標的を変えていたネリが、宙を舞う木剣を掴み取って斬りかかる。
全方位に喧嘩を売るスタイル、よくないと思うなぁ。おかげで膠着なんて欠片もなくなってしまったけれど。
まぁネリは俺の要求を忠実に実行してくれているのだろう。本能かもしれんけど。
とりあえずこれで観客も盛り上がる勝負をしてくれることだろう。
☆☆☆
結局、神級剣士の勝負を勝ち切ったのは護神流のジュディスだった。
ネリが特異点となり、全方位に攻撃を仕掛けてはかき乱していたのだが、神級3人から狙われ、あえなく敗退。その後、ネリとの戦闘で消耗していたアブストルもうまく場を運べず、最終的にはジュディスとガリックの一騎討ちとなった。
流派の相性もあっただろうけれど、それよりも経験の差が出たような気もする。まぁ神級3人の中では一番若手だしな。ジュディスは種族柄、長命であるし。
「じゃあ、約束通りジュディスに道場と滞在権を与えるかー」
別にだからどうだってわけでもないけど。
タダで与えるのはジュディスだけってことで。道場出したいなら勝手に建てて勝手に始めてくれても構わないし。勝手はやめてほしいか。
ともあれ、落ち着くところに落ち着いた感はある。それに三大流派の中だと護神流が一番肌にあってそうだし。奥義の一つや二つ覚えれば解放してくれるだろう。覚えて損はないのだし。
「ああ……今は、詳細を話している余裕がないので……」
息も絶え絶え、神級剣士の本気の斬り合いともなればそれなりに消耗もするか。真剣じゃないだけマシだろうけれど。
「その辺で休んでてください」
「そうさせてもらうよ」
神級剣士3人、揃いも揃ってどっさりと座り込んで体力回復に専念を始めた。
ネリだけピンピンしているけど。あいつの体力おかしいだろ。あの動きしてまだ飯食えるのが驚きだわ。
「で、ホドエールの本店はいつ移転してくれるんだ?」
俺は賭けをしていたはずのトレイルとリリックに顔を向ける。
2人は掛け金の計算やら配分やらを終わらせ、戻ってきたところだった。
「とりあえず商館を建ててからだな」
「そうか。手伝わなくて良いよな」
「勝手にやらせてもらえるなら、人手から材料まで全てこっちで手配するよ」
「そりゃ楽でいい」
いや、それが普通なのか?
なんにせよ、城の補修をしているはずのアルマをそちらに割かなくて良いならありがたい。
「それまでには王国の方での処理は済ませておく。代替わりしたばかりだ、うまく紛れ込ませられるだろう」
「もともと公爵家には嫌われてるし、ちょうど良いタイミングだ」
「あんまフレンを困らせるなよ。それに公爵には俺も嫌われているからなぁ」
ホドエールの移転を妨害する方が、嫌がらせは両方に行えるが。
まぁその辺はうまくやってくれるだろう。無理そうなら俺も動けば良い。アルマは貸せないが、俺は動けるしな。たぶん。
なんなら今のうちにフレンに話を通しておくのも手だが。そこまでやってやらんでも、こいつらならなんとかしてくるだろう。
「ともあれ、商売できるようになった暁には、よろしく頼むぞ。ネロ」
「おー。いつも通り、お前らが勝手に頑張るだけだがな」
「その下地づくりに、いつも感謝している」
トレイルが手を差し出し、握手を求めてくる。俺はその手を軽く握り返した。




