第二十六話 「じぶん」
ネロの進む道に、護衛や兵士たちはいなかった。麻理が操っていた騎士たちしか王城には残っていなかったのだろう。
特に罠や仕掛けのない廊下を歩み、ネロは謁見の間へと向かっていた。探知結界によって、残りの1人がどこにいるのかはすでに把握済みだ。
そして謁見の間の扉を、ネロは蹴り開けた。
玉座に座る、1人の少年。
ネロよりも少しだけ年下の男。
誰よりもよく知っている、けれど全く知らない相手。
蒼馬。
そう呼ばれている勇者。
聴き馴染みのある名前。この世界の誰よりも呼ばれたであろう、名前。けれどそれも昔の話。
今は、彼の方が聴き馴染み、呼ばれ慣れた名前。
「――よう、ネロ」
「――初めまして、蒼馬」
ネロが少年をネロと呼び、少年がネロを蒼馬と呼ぶ。
「楽しかったか、俺の人生は」
「人に聞く前に、自分のことを言ったらどうだい?」
「そうだな。この人生――楽しかったぜ。お前らさえこなければ」
「僕もだ。この人生――こんなことにならなければ、楽しかった」
何の話をしているのか、当人たち以外にはわからないだろう。
けれど、この場にはその当人たちしかいない。彼らが理解しているのなら、それで十分なのだ。
「懐かしいなぁ。僕もその年で――魔物に食われたんだ」
「同じだ。その年で俺も爆殺した」
「これが運命だったんだろう」
「こんな運命なら糞食らえだ」
ネロは玉座に座ったままの蒼馬へと近づいていく。
「僕も、君のような人生を歩めたなら、この世界を恨まずに済んだのかな?」
「さあな。その結果に俺が現れて、めちゃくちゃにされりゃ少しは俺の気持ちもわかるってもんだ」
「今でもわかるよ。君に、大切な人たちを奪われた」
「お前も奪っただろ、俺から。だから、これで手打ちにしようぜ」
「まだ魔導師の――君の大切な人の死を確認できていないだろ」
近づいてきたネロに対し、蒼馬はスッと手を上下させる。すると何もなかった空間に、蒼馬が座っている玉座とは少し変わった意匠の玉座が現れる。
蒼馬はネロに、そこへ座るよう促す。ネロもそれに応じ、素直に座る。
「ずいぶん埃っぽい椅子だな」
「ヨーロッパのどこかの玉座だからね」
「現代からとってきてんのかよ」
「そういう能力だからね」
そうか、とネロは座り直し足を組む。懐から全ての魔導書を取り出し、そばに重ねて置く。ネロの髪や瞳から色が抜け、透明になる。
「魔王が様になってきたじゃないか」
「ほざけ。好きでやってるんじゃない」
2人は面と向かって話をする。
とても憎み合い殺し合いをしようなどという雰囲気は一切ない。
お互いがお互いの最高の理解者であるように。
ただの友達のように、親友のように、恋人のように、家族のように、自分自身であるように。
敵意も害意も殺意も何もなく、ただただ、話を興じる者同士であった。
ネロの持つ魔導書のこと、蒼馬の能力のこと、ネロの国のこと、蒼馬の家族のこと、お互いの交友関係、お互いの好きなもの――他愛のない話を延々と続けようとしていた。
たった一つだけの話題、お互いの歩んだ人生についてだけは、互いに触れずに。
「ずっと話していたいけれど、どうしても聞いておかなきゃいけないことが一つだけある」
「俺もだ。一つだけ、聞いてなきゃいけない」
「――ミューは元気かい?」
「――真悠は生きてるか?」
お互いに聞いた名前。
その名前に、お互いとも心当たりはなかった。その事実に――2人は同時に笑いを堪えるように俯いた。
本当にひどい運命だ、と、そう思わずにはいられない。
いや、唯一の救いだったのかもしれない。
「ああ、よかった。ひどいことされることなかったんだ。少なくとも、君が生きた中では」
「俺も安心した。家族をこれ以上恨まなくて済んだ。お前が知らないだけかもしれないけれど」
「これで安心して聞ける――君の生き様を」
「俺の“たられば”の話を、聞くことができる」
――それから2人は順番に、お互いの人生を語り合った。
自分が生きた物語との違いに笑い、驚き、納得しながら。そうすればよかったのか、あれが悪かったのか、そう言い合い、それはすべきでない、こうしたらよかったのに、とダメ出しをし合い、そうしてお互いの人生をより深く理解して行った。
2人の話は続き、やがて夜が更け、日が昇り始めた頃、ようやく話を終えることができた。
「楽しかった、蒼馬。こんなに楽しかったのは初めてだ」
「俺もだ、ネロ。こんなに理解をしてもらえたのは初めてだ」
「じゃあ――そろそろ決めないといけない」
「そうだな」
そういうと、蒼馬は何もない空間から拳銃を掴む。ネロも自身の拳銃を手に持つ。そしてお互いに向けあった。
「恨みっこなしだ」
「わかってる」
魔導書もない。能力も使わない。そんな状況だ。
お互いに持つ拳銃の引き金を同時に引く。それだけだ。
どちらも死ぬだろう。でも、どちらも死なないかもしれない。
どちらかが死ぬだろう。どちらかは生き残るかもしれない。
そんな状況だ。
こうなるとお互いに理解していた。取り違えた魂が、別々の肉体にあったとしても、それは許されないことだと直感していた。
だから、どちらかが、あるいはどちらもが、この世界から退場しなければならない。
未練など残らないように、お互いの大切な者たちを殺して。
「いっせーの、で引く?」
「カウントダウンにしようぜ」
「おっけー。3カウントだ」
「わかった」
「――あ、その前に」
「何だ、腕が結構辛いんだが」
「それは僕も同じ――まぁ聞いて。この城には兵士がいないだろ」
「ああ。ユートレアに攻め込んでるんだろ」
「わかってるなら良いや。僕が死ねば、蒼馬の天下だ」
「もう良いか? ――3」
「――2」
「1」
2人の0が重なる。そして破裂音が響く。
――玉座がぐらりと揺れ、しかし倒れず踏みとどまる。そこに座る男は、ぐったりと背もたりに寄り掛かった。
その男の手にある拳銃からは――花が咲いていた。
「……情けない」
玉座から立ち上がる、残った男――ネロ。
ネロは蒼馬の亡骸を掴み、謁見の間を後にする。
「火葬くらい、一緒にしてやるよ。お前の兄弟だろ」
ネロは、亮磨たちの亡骸がある場所まで戻り、そこに蒼馬を追加する。
そして赤の魔導で火をつけた。
「――ねえ、これ僕いらなかったんじゃないか?」
燃える亡骸、延焼を起こして燃えていく場内を歩いていると、ネロのそばに無の精霊アレイシアが出現した。
「そうかもな。もっと言えば、魔導書なんざいらなかったかもな」
「どうして持ってきたんだよ」
「勇者狩りには必要ないとして、その後は必要になる。戦争を止めなきゃいけないし」
「そうかい。だったら、どうして君はまだ城内をうろついているんだ?」
「フレイはまぁ、勇者の放任や敗戦やらの責任追及で――この火事を逃れたとしても罪は逃れられない」
「敗戦って……まだ勝ってもないのに」
「魔導師が一国の軍隊に負けるかよ」
「君は、負けないかもね」
「そんで、フレイが王座から落ちたら次はどうするかってなると――まだ王政を続けるってんなら、もう1人いるだろ」
「ああ、確かにいたね。あの子はどこに?」
「そこに向かってんだよ。牢屋から出されたといっても、フレイが野放しにするわけがない。軟禁状態だよ、地下で」
「それ、牢屋と何が違うのさ」
「牢屋から出すってのはただのパフォーマンスさ」
ネロは、蒼馬を探知結界で探す際に同時にフレンたちのことも探し当てていたのだ。
「で、彼らを出してどうするのさ」
「どうもこうも。こっちのごたごたをどうにかしてもらってる間に、俺が戦争を止めにいく。自分の国くらい自分たちでどうにかするだろ。てか、してもらわなければ困る」
「フゥン。君は一刻も早く、魔導師たちに会いたいのにね」
「ああ。全くだ。面倒な尻拭いまでやらせやがって。これで建国に賛成しないってなれば、どうしてやろうか」
「それはそれとして――君、大丈夫かい?」
「ははは。大丈夫な訳がないだろ。だからさっさと終わらせるんだっての」
ネロは地下へと通じる階段を見つけ、そこから降りていく。
長い階段を降りていると、下から誰かが昇ってくる気配がする。ネロは気にすることなく降り続ける。
そして、1人の老婆が現れた。
「久しぶりだな」
「そうじゃの。いつ以来かのぅ……まぁ、そのようなことはどうでも良い。ぬしに――頼み事がある」
「……断ることは?」
「もちろんできるさ。頼み事と言っても、わしはただその内容を聞かせるだけ。どうするかはぬし自身で決めれば良い」
「手短に」
「この世界はある者によって支配されておる。そやつをこらしめて欲しい」
「……面倒な。そもそもどうやって」
「そのためにわしがおる。わしらがおるのじゃ。わしらの一族は遠い昔には歴史の守り人と言われておったのじゃが、そやつが来てからはてんで影響力がなくなってのぅ。妙な魔法を使う妙な集団というのが、今のわしらの認識のされ方じゃ」
「そんなことはどうでも良いんだよ。ったく、覚えてたらな」
ネロはそれだけ残し、階段を降り始める。
老婆はネロに向かって、最後に一言を投げかけた。
「歴史は繰り返す――それを止めたければ、頼んだぞ」
ネロは手だけを振って応えとした。
地下に着き、ネロはさらに奥へと――フレンたちがいる部屋まで歩き出す。
その合間に、ネロは先ほどの老婆についてアレイシアに聞き始めた。
「あの婆さん、何だったんだ?」
「さっき言ってただろ、その昔に歴史の守り人と言われていた奴らさ」
「歴史の守り人ねぇ」
「今となっちゃ、役目も奪われて、運命の環から外れた悲しき一族さ」
「そうかい。だから死なないって?」
「寿命がないのさ。存在としては僕ら精霊に近いね。ま、人間社会に溶け込むためにあんな姿をしているのだろうさ」
へぇ、と納得したような吐息のような返事をし、ネロは一つの部屋の扉の前に立った。
そして扉をノックすると、中から声がした。
「お兄様……?」
「おう、生きてたか、フレン」
その声は幼く、ほとんど聞いた覚えもないものだった。ネロも記憶のフレンの声と似ているかどうか判別しにくいが、他の部屋の魔力は学園長や王妃などある程度わかるので、推測で話しかけた。
「あなたは……!」
「フレン。お前の姉は死んだ。兄ももう王座にはつけないだろう。次に王座を射止めるのは、お前だ」
「ど、どうして……僕はまだ、王になんか」
「まぁ、王になりたくないならそれでいいんじゃないか。人なんて勝手に生きて勝手に死んでいく。お前がわざわざ頑張らなくても、誰かが頑張ってくれる。そういう仕組みだ」
「……だったら、どうしてわざわざこんなところに」
「今のままだと、国が崩壊するだろうからな。それはちょっと困る。フレイヤの愛した国だから、ほんのちょっとだけ困る。だから、お前に頼みに来た――ここを出たら、王になれ」
「そんな……」
「うまくいけばグレンたちがサポートしてくれる。誰かが助けてれくる。でも、お前にやる気がないと意味がないんだ。俺は別にお前などどうでも良い。フレイヤの気持ちに応えたいがためにやってることだからな」
「……そんな事言って、僕が王になってもどうにもならないかもしれないでしょ」
「そうだな。その通りだ。お前に――フレイヤやフレイが、なぜ王に拘ったのか、わからないんじゃあ、しょうがない。この国のこと、国民のことを想い、願い、発展し幸福にするために何をしようとしたのか。それを理解できないから、自信がないだけだ」
「お姉様、お兄様の、想い……」
「鍵は開けておく。学園長や王妃の扉もな。お前がどうしようとお前の勝手だが、戦争だけは止めさせてもらう。俺の野望のために、な」
ネロは魔法で扉の鍵を開ける。そして扉を開くことなくその場から去っていく。
そして地上への階段に向かいながら、遠隔操作でその他の人が閉じ込められていた部屋の鍵を開けていく。
「皆々様、上では大火事が起きていますので、ご注意を――」




