第二十四話 「洗脳と覚悟」
固く閉ざされていた王城の門に、黒い穴が開く。穴の先は見通せないが、その中から魔導師が――魔王が、出てくる。
魔王ネロは王城に入ったところで周囲を睥睨した。王城の中に、人の気配は少ない。使用人や兵士など、王城にいるはずの人々が見当たらないのだ。
「――静かでしょう?」
女の声がした。だが、ネロはそちらへと向かない。意識して視線をそらしているようだ。
「人払いをしてあるの。あなたが好きなように暴れられるように――」
「いいや違うな。お前が自分の能力を使ったから、人払いしたんだ」
静寂だったネロと女――麻理の周囲に、ひりついた雰囲気が一瞬漂った。
「当たりか。カマかけてみるもんだな」
「……あら、カマかけたの」
「そんなに醜いか、自分の能力が。――お似合いだな」
「あなたにそんな風に言われる筋合いはないわ」
「ごもっとも」
そこで初めて、ネロは麻理の方へと顔を向けた。
「仮面なんてつけて。外してもらえないかな?」
「嫌だね。あんたの気色悪いコレクションになんてなりたくない」
「……どこまで知っているのかしら、ね」
「あんたが趣味の悪い人形を集めていたこと、それと洗脳系の能力を持っていること」
「……どうやって知ったの」
「姫様の様変わりは洗脳以外あり得ない。なら、お前らの中にその能力者がいることは見当がつく。そんで和眞と辰馬の能力から、それは当人にとって最も強い思念が現れるものだと推察できる。あいつら、いつも競い合って、足の引っ張り合いばかりだったろ。辰馬は一歩でも先に、和眞はとにかく妨害しようと。あんたはとにかく人を思い通りに動かそうとしていただろ。お前には洗脳がお似合いさ」
「まるで私たちを知った風ね」
「とても――よく知ってる」
話は終わりと言わんばかりに、ネロは腕を振りかざし魔導を発動させる。
黒の魔導――タワーリングインフェルノが手の先から噴き上がる。麻理はそれを跳んで回避、後ろへと下がっていく。
麻理が壁際まで下がる。ネロとは相当の距離を取っている。
「そんなところから、何ができるってんだ?」
「私には何もできないわ。そんなこと私の趣味じゃないもの。あなたの相手はお人形さんにお任せするのよ」
すると、奥の廊下や窓、二階などあらゆる場所から王城の騎士たちが現れる。だが、その目に正気はなく、誰も彼も人形のように力なく歩いている。
麻理はというと、両隣に若く端正な顔立ちの騎士を従えている。その片方は、フレイだった。
「王子まで手にかけたか」
「人聞きの悪い。逃げようとするものだから、今だけ操っているのよ。見目はいいんだからあとは中身だけよね」
「趣味の悪い」
麻理が手を振りかざし、号令を出す。現れた騎士たちはネロへと向けて剣を抜き、走り出す。
ネロが魔導を放とうと、腕を振りかぶった時、騎士たちの目から涙が浮かぶのが見えた。
「いったでしょ、操ってるだけって。殺しちゃっていいのかな?」
「――ああ、いいよ」
生意気に笑う麻理に、ネロの口端が吊り上がる。
ネロは一度ぐっと膝をかがませ、大きく跳躍する。そして懐に入れていた七冊の魔導書を展開した。魔導書は宙に浮き、ネロの周りを囲む。
そしてその一つ、赤の魔導書をネロは叩く。すると彼の髪が、瞳が、赤く染まる。
「【ヘルフレイム】」
ゴウ、と先ほどまでネロがいた場所、騎士たちが集まっていた場所が紅蓮の炎に包まれる。
騎士たちが叫びをあげる。断末魔をあげる。彼らの着ている鎧すら溶かす高温の炎だ、生き残れるものではない。
「……え」
麻理が呆気に取られた表情を浮かべる。それは何に対してだろうか。
魔導書を複数持っていることか、それを切り替えたことか、あるいは容赦無く人を焼いたことか。
いずれにせよ、麻理はその光景に吐き気を催す。彼女はとっさに手を口にあて、迫り上がったものを必死に嚥下する。
「どうした、この程度で。俺の国でも同じことをしただろ」
「違う……私はそんなことしてない」
「和眞か、辰馬か? それとも亮磨か蒼真か? いずれにせよ貴様の兄弟に違いはない」
炎に包まれた廊下に、ネロが降り立つ。
「そうよだから私は関係な――」
「そういう問題はとうに過ぎた。貴様らがいなければ、ああはならなかった。だから貴様らを消すのだ。今はそういう問題なのだ」
「……っ、頭おかしいんじゃないの!? こんなことして、笑ってられるなんて」
「こいつらは姫様を処刑しただろう? だから良い。俺はできる。俺はこの国の奴らを――殺せる」
ネロの気迫に麻理がたじろぐ。
地獄の炎に焼かれる騎士たちを、麻理は無理やり動かそうとする。地を這い、ネロを追う。1人のその手がネロの足首を掴む。
だが、ネロはその手を振り払い、その騎士を見下す。騎士はその目に涙を浮かべ、慈悲を乞うようにネロを見上げている。
ネロはその騎士を――踏み砕いた。
「許しはあの世で姫様に乞えよ。きっと――許してくれる」
何があろうと自分は許さないが。そう言外に込める。
「――やめてくれ! 許してくれ!」
麻理へと歩を進めるネロに、震えた声でフレイが叫ぶ。それに麻理も少しだけ驚いているように見え、おそらくフレイは麻理の洗脳を無理に解いたのだろう。
「謝るよ、悪かった! お願いだから殺さないでくれ」
「チッ、何よ情けないわね。そんなだから私が使ってあげてるんでしょ」
「お前の国も認めてやる、復興も全力で援助する! だから――」
「うるせえな、黙れよ」
ネロはフレイの言葉を容赦無く遮る。
「姫様のいないこんな国と国交結ぶと本気で思ってんのか? こんな国とだけは同盟は願い下げだ。とっととくたばれ。滅びてしまえ」
「そんな……」
「死ぬってわかったら、ちょっとは役に立ちなさい!」
麻理がフレイに向けて手を振る。それにつられるようにしてフレイはネロへと向けて剣を振りかぶる。
ネロは青の魔導書に触れる。目、髪が先ほど赤の魔導書を触った時と同じように青く染まる。
「【アクアシールド】」
フレイの剣が、ネロが張った水の盾に阻まれる。
そして次に左手で紫の魔導書に触れ、右手をフレイに向けた。
「【ディスチャージ】」
ネロの右手から、紫電が放出されていく。
一際強く光が放たれ、バン! と破裂する音が響く。
「……っ!」
一瞬、麻理が歯噛みする様子を見せた。その表情を、ネロは見逃さない。
「やっぱ電気系統か」
「なんのことかしら!」
ネロは、紫電を浴びたフレイからほんの少しだけ力が抜けたのも見ていた。
「洗脳の方法だよ。神経系の電気系統に命令下して操ってやがるな? だから俺の紫電と混線して一瞬操作が解けた」
「だったらどうだってのよ! すぐに取り返したでしょ、洗脳なら私の方が強いってこと!」
「試してみるか?」
ネロが凄絶に笑う。フレイがその顔に恐怖を覚える。麻理はネロの挑発に乗ってしまう。
ネロの紫電と、麻理の洗脳がフレイの中で拮抗する。
これで誰が割りを食うかは一目瞭然だ。洗脳の支配合戦、対象はフレイだ。
フレイはネロの紫電と、麻理の洗脳を同時に何度も何度もうけることになる。常人であれば耐えられるものではない。
「おいおい死ぬなよフレイ。死んだらもっと痛めつけられないだろ」
「ちょっと! 顔だけは狙わないでよ!」
「下半身麻痺にしてやろうか」
「あー……どっちでも! ちっちゃいし」
「やめてくれェェええ!」
フレイの体がビクビクと震え続ける。だが、ネロと麻理による支配の奪い合いは止まらない。
その最中、ネロの背後の騎士がゆっくりと動き出す。立ち上がらず、ゆっくりと音を立てないように這いずっている。
騎士の手がネロの足首を掴む。その瞬間ネロの体に電気が流れる感覚が走る。
「――っ」
ネロはすぐさまフレイに向けていた紫電を自身の足へと流し、直後に魔法で治癒する。
だが、その隙に麻理に操られたフレイがネロへと斬りかかってくる。
振り下ろされたフレイの剣の側面を、ネロは左の裏拳で弾き、右の拳を腹部に叩き込む。フレイの鎧が音を立てて凹み、口からは唾が垂れる。
フレイはその場に膝をつこうとするが、麻理によって無理やり立たせられる。そしてさらに斬りかかろうとする。
「しゃーねえ」
ネロは左手に紫電を纏わせる。フレイの斬り下ろしを半身になって避け、その隙に左手でフレイの頭を掴んだ。
バチチ、と紫電がフレイの全身を駆け巡る。その紫電はすぐには消えず、絶え間なくフレイの体を痺れさせる。
「くっ……」
「1分くらいで解けるぞ。あんたがこいつに洗脳をかけ続ければ、な。長時間かけることでより強く洗脳できるんだろ」
「もう一体いるもん!」
そういって麻理は、フレイとは別の騎士をネロへと放つ。
しかし、その騎士がネロに攻撃を仕掛ける前に、麻理の視界からネロが消える。よく見れば、ネロの足下に黒く底の見えない穴が空き、閉じようとしていた。
「【イビルゲート】」
麻理の背後に、その黒い穴が開き、中からネロが出てくる。
ネロは麻理が自分へと振り向くよりも早く頭を掴み、足払いをかけて床に押さえつけた。
「ちょっと……離しなさいよ!」
「このままあんたを洗脳すりゃ、残りは簡単に片付きそうだよな」
「レディにそんなことするっての!?」
「ああ、俺はやる。あんたはレディとは思えないしな」
麻理の頭を押さえつけるネロの手に、黒い渦が溜まり始める。
「電気信号なんかじゃなく、精神ごと奪うぜ」
「ううぅぅぅ……! お兄ちゃぁぁぁああああん!」
麻理が叫ぶ。ネロの黒い渦が麻理を包み込む前に――城の天井を突き破り、男が落ちてきた。




