第二十一話 「強襲」
デトロア王国の女王が処刑された。
その知らせは瞬く間に拡散された。海を越えた先の大陸まで、翌々日までには広がっていた。
ホドエール商会の通信網のおかげもあるし、俺が直接伝えに回ったこともある。
そしてデトロア王国の国王には、フレイが選ばれた。
王位継承権でいえば弟のフレンの方が上であるが、幽閉された時の罪状と年齢から、大臣たちはフレイを選んだのだ。
普通であれば処刑された女王が被せた罪はなかったものにされるものらしいが、フレイがそうすることはない。そして、彼に取り込まれている大臣たちも。
フレンや学園長、フレイヤによって幽閉された者たちは皆牢屋から出されはしたが、貴族などの上級民は厳しい監視下に置かれているらしい。満足に手紙すら出せない状況らしく、当然通信水晶も使えない。
学園長が持っていた通信水晶は、没収される前に彼女からウィリアムの手へと渡っており、王国の現状を知りたい時は、これからはウィリアムと連絡を取ることになった。クロウド家当主であるじいさんは、黙認しているらしい。
デトロア王国の情勢は一気に変わった。
フレイヤによって過激派が弾圧されていたこともあるし、フレイが国王になったこともある。今は開戦へと傾いてしまっている。
どうにかしなければならない。
フレイヤのためにも、戦争を起こさせる前に収拾をつけなければならない。
……ならないのだが。
フレイヤが処刑された日から、どうしても体の動きが鈍く感じる。
ひどい喪失感に襲われている。
救えなかった、護れなかったと、怨嗟のごとく囁かれ続けている。
フレイヤの笑顔が瞼にこべりついて離れない。目を閉じるたびにあの笑顔が浮かんでくる。
仕方がなかったと、誰もが口にする。お前だけが救えなかったわけじゃないと。
わかっている。けれど、そんなことは関係がない。
俺が、救えなかった。
その事実だけで、十分だ。
俺が動けなくなる理由は、それだけで十分すぎる。
家族を失った時以来の喪失感だ。
力を満足に使えなくて救えなかったあの時。
力を持っていたのに救わせてもらえなかった。
フレイヤを思えばこそ、それは正しい選択だ。彼女が選んだ選択肢を、他人が曲げて良い理由がない。
けれど。
どうしても、声が叫ぶ。
救うだけの力があったのに、と。
すべて壊して救えばよかった。そうすればお前はこうならなかった。
そう囁く。
誰かが、俺の中の誰かが。
「手を、伸ばせば」
届いたはずなのに。あの時。
差し出すだけの力は、あったのに。
「――でも、その手を取ってはくれませんでしたよ。きっと」
後ろから声が聞こえた。
良く知っている声だ。
「マスター。あまり自分を責めないでください」
「イズモ……なんで」
「国の方はアレイスターさんとレイアさんに任せてきました。ある程度ならこの国にいられるようにしてもらっています」
「そっか……」
「それより、廊下のど真ん中で悩んでいては皆さんに迷惑ですよ。お部屋に戻りましょう」
いつからここにいたのだろう。
確かにイズモの言う通り、俺は城の廊下のど真ん中に突っ立っていた。使用人の数はそう多くないし、人一人しか通れないほど狭くもない廊下だけど。
俺が返事をする前に、イズモに手を引かれて歩き出す。
「マスター。あんまり自分勝手に考えないでください。フレイヤ様のことは、私も知っています。ノエルともたくさん話しました。ノエルも、マスターと同じように悲しんでいました。でも、同じです。フレイヤ様は、誰の手も取りません。フレイヤ様はとても強いお方です。自分のことは自分で決められる方ですし、助けて欲しければ助けて欲しいと言える方です」
「……ああ、そうだよな」
「なので、マスターの考え方は……傲慢ですよ」
「わかってるさ……でも、俺は姫様と――」
戦いたかった。
フレイヤと腹の探り合いをしたかった。舌戦をしたかった。俺とフレイヤ、どちらが先に笑顔が剥がれるか。
――でも。もう叶わないんだ。
俺は、フレイヤと、対等に並べたかもしれないのに。彼女の立つ舞台に、立てそうだったのに。
「……マスター」
俺の手を引いていたイズモが俺の部屋の扉を開ける。何度かイズモも来ているので、この城の構造はある程度把握しているのだ。
イズモは俺をベッドへと座るよう促す。その指示に大人しく従う。
「……言っとくけど慰めなんざいらねえぞ。今はそんなことをしてる場合じゃねえ」
「はい。そうですね」
「確かに廊下のど真ん中で悩んでたのは悪かったけど、こんなとこまでついて来て――」
イズモは、俺の言葉を遮って抱きしめてきた。
「……イズモ。今は」
「マスターは他人のために涙を流すことができる人です。だから今は、自分のために泣きましょう」
「自分のためって……別に俺はもう泣き疲れてんだ」
「はい」
「大体誰のために泣こうが、そう何度も泣けるわけねえだろ」
「はい」
「姫様と俺のために、もう泣いたんだ」
「はい」
「……泣いたんだって、ば」
「はい。そのまま、泣きましょう」
「なんでお前は、俺を泣かせたいん、だよ」
「マスターが心配だからです」
「大体、自分のために泣いた、って何になる、んだ」
「心の整理がつきますよ。泣き疲れたら、また進みましょう」
「だから、俺は……」
もう、泣いている暇なんてないほどに。
世界は、デトロア王国のせいでぐちゃぐちゃになりそうなのに。
さっさとどう始末をつけるか考えなきゃダメなのに。
いつの間にか、イズモの服を濡らしていた。
☆☆☆
俺は一度魔導師を全員召集することにした。
グレンはフレイヤがいなくなったこと、そしてレギオン公爵の力だけではデトロア王国を変えられないことに見切りをつけ、ホウライに来る決心を固めていた。
ミネルバは学園長が捕まってしまう直前にキルラとともにすでにデトロア王国を抜けており、ホウライへと向かっていた。
リリーにはユートレア共和国でデトロア王国の侵攻に備えてもらっていたが、一度帰って来てもらうことにした。
アルマは城の修繕をほぼ終わらせており、ちょうど手が空いていた。
ユカリもアルマと一緒に作業していたのでちょうどいい。
イズモはレイアたちに国を任せて来たと言っていたので、その言葉を信じよう。
ノエルはフレイヤが処刑されてから部屋に閉じこもっていたのを何とか連れ出した。
円卓の置かれた会議室で、魔導師プラス俺が席についた。
「さて――グレンを最後に、ちゃんとお前たちが国を抜けてくれて一安心だ」
「協力すると誓ったからな。フレイヤ様との約束もある」
「契約ばっかで雁字搦めに見えるぞ」
「ネロ、そういうことは言わずに好意だけ受け取っとくものよ」
アルマにたしなめられてしまった。グレンは俺をフッと鼻で笑ってきやがった。
ま、俺とグレンの関係なんてこんなものよな。
うん。そうそう。怒ってないさ別にね。
「みっともないですよマスター」
「おいおいおい眉間にしわ寄ってるだけだぞ」
「それだけで十分でしょ」
ノエルにまでばれるって相当じゃないか? わかりやすくなってんのか、俺。
泣いたからな泣いたからだな絶対にそうだ。表情筋死んでんだよ今。きっと。
「――ともあれ、今日の議題は至極単純だ」
俺はそういって話を切り出す。
魔導師たちを集めたわけを。
「勇者召喚を行ったデトロア王国。まぁこれについては割と予想通りだ。が、姫様が処刑されたのは予想外だ。フレイが王座を簒奪した今、戦争に転じるのは時間の問題になる」
この議題に、皆表情を真剣なものにする。……一人、ユカリが退屈そうにしているけれど。
「国際的にどうにかしようと思おうにも、残念ながらホウライはまだ建国宣言を受け入れてもらえていない状況だ。本心を言えば戦争が起これば静観し、ホウライという国の、魔導師の抑止力の必要性を訴えたいところだが――そんな気は毛頭なくなった」
うまい奴ってのは、きっとそうやって外堀を埋めるんだろう。
けれど、いつもうまくいかないってのも世の常だ。
国を動かすのは人だ。人であれば、より容易に上手くいかなくなる。
「デトロアが動いた瞬間に叩き潰す」
「……元からあたしたちはそのつもりできている。用意はできているぞ」
「そうね。どう動けばいいか、とりあえずの指示はある?」
「ああ。デトロアが狙うのは、同じ大陸のユートレアとゼノスだろう。だからそこに魔導師を配置し――」
「――パパっ!!」
話の途中、突然ユカリが叫んだ。
次の瞬間には、円卓の中心の空間がぐにゃりと曲がる。
何だこれは? 何が起きているっ?
思考が追いつかない。
今、目の前で起きている現象に、考えが追いついてこない。
俺たちが呆気にとられているうちに、歪んだ空間から何かが、人が、ずるりと這い出てくる。
一人ではない。三人、四人……五人だ。全部で、五人。
「おま、えらは……」
俺は、そいつらを見て言葉を失う。喉に何かがつっかえる。
息が詰まる。胸が締め付けられる。心臓を鷲掴みにされたような、ひどい苦痛だ。頭の中でスーパーボールでも跳ねてるのかってくらい、思考が定まらない。
「――やぁ、蒼真」
そいつと、
最後に出て来た、そいつと、
鏡でも見ているような、そいつと、
ネロと、目が合う。
次の瞬間には、俺は何かに力いっぱい弾き飛ばされた。何かを俺は、必死に見る。
それはユカリだった。ユカリが、俺や魔導師の中でユカリだけが、咄嗟に動いて俺を弾き飛ばした。
会議室の窓を割って外へと弾丸のように飛び出す体。部屋の中ではユカリが龍へと変身するのが見えた。
どうにか体を制御しようとするが、いきなりのことに理解が及ばない。体がピクリとも動かない。
どういうことだ。どうなっている。どうして、そんなことがあり得てしまう!?
脳内をクエスチョンマークが埋め尽くす。
何一つ疑問が解けないまま。
俺の体は、海へと落ちて行った。




