第二十話 「笑顔をさよならの代わりに」
「――蒼真、テメエのせいだぞ」
「――愚図で鈍間、おまけにお馬鹿な蒼真くん」
「――何にもできない、何もやれない蒼真くん」
「――蒼真ってホント鬱陶しいわ」
軽蔑、侮蔑、憐憫、嘲弄、愚弄、罵詈雑言。
あらゆる負の言葉を、兄弟から浴びせられ続けた。
ああ、そうだ。俺は何にもできない。
何にもやれない。
いつまで経っても青臭い人間。真に馬鹿な人間だ。
この枷は外れない。この首輪は締まり続ける。
いつまで経ってもこの闇は消えない。
認めてくれよ。
俺は、努力しているじゃないか。
勉強も頑張った。運動も努力した。
努力してきたじゃないか。
どうして認めてくれない!
俺が甘やかされたからか? 両親を独り占めしたからか?
あんたたちが喧嘩ばかりしているからじゃないか! 喧嘩ばかりしているから、両親は愛想を尽かして、喧嘩に混ざらない俺を甘やかしたんじゃないのか!
俺が悪いのか?
俺だけが悪いのかよ!?
違う。違う!
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!!
「――よくできたぞネロ」
「――さすが私の弟ね」
「――やっぱ兄ちゃんは凄いな!」
うるさい!
何もできちゃいない! 自慢でもない、すごくもない!!
俺は、何にもできねえ愚図なんだよ。
勘違いするんじゃねえ。都合よく見てんじゃねえ!
あんたらは、何も救われちゃいないじゃないか! 救えてないじゃないか!!
俺には何にもできなかったじゃないか!!
恨メしい。忌々シイ。
全部全部。
「滅ぼしてしまえばいい。そうすれば、すべて無くなる」
――ああ、そうだ。
滅ぼしてしまおう。
この世のすべて、滅ぼしてしまえ。
壊セ、砕ケ。
滅ビてしまえ。
塵一つ残さずに、崩シてしまえ――。
☆☆☆
「――ネロ様!!」
耳元の大声に、俺は跳ね起きた。
呼吸が荒い。寝汗も酷く、服がぐっしょりと濡れている。
俺は何度も短く呼吸を繰り返しながら落ち着こうとする。
「大丈夫ですか? 一杯飲んでください」
「あ、ああ……ありがと」
俺を起こしてくれたレイシーが、コップに水を注いで手渡してくれる。
その水を一息に飲み干し、大きく息を吐き出した。
「ここのところずっとうなされています。何かあったのですか?」
「……まぁ、その」
「否定されないのですね。ならよかったです」
レイシーはそう言いながら、問い詰めることもなく俺の着替えを用意してくれる。
「何もないのにそのようにうなされていては、どうしようもありませんから」
「そうだな……」
「それは、デトロア王国に関係があることですね」
「……ああ」
「そうですか。なら詮索はしません。服を着替えたら食事をしてくださいね。私はその間に仕事をまとめておきます」
服はベッド、食事はテーブルに置き、レイシーは部屋を出て行こうとする。
「レイシー」
「なんですか?」
俺は、次の言葉を言うか迷った。
だが、自分一人で抱えられるものではなく、ゆっくりと口が開いた。
「……アレイシアを、感じるか?」
「……はい。あれから少し経ちましたので、おかしなことではないかと」
ガラハドがアレイシアを呪術書に封印してから、奴の影響は一時的に消失していた。
だが、腐っても神だ。呪術書にずっと封じられているような存在ではない。
おそらく呪術書から少しずつ奴の魔力が漏れ始め、俺やレイシーに影響を及ぼしているのだろう。一番影響を受けているはずのガラハドは、今は地下室にこもりっきりだ。
「お気になさるほどのことでもないと思いますが」
「まぁ、な」
あんな悪夢を見たせいだろう。最後のあの声は、アレイシアだった気もする。
とはいえ、夢のことなど考えたところでどうしようもない。夢に対策することはできないからな。
俺は服を着替えながらレイシーに問いかける。
「デトロアから連絡はあったか?」
「いえ。未だこちらからの通信にも応答していないようです」
「そうか」
学園長の連絡があってから、デトロア王国の奴らに連絡が取れない。通信の妨害でもされているのではないかってくらいに。
……まさか本当に妨害されているとか?
いやいや。まさか。
勇者共に何かしらの能力があったとしても、魔力を遮るものなどそうそうないはず。
「……一度、直接出向くか」
デトロア王国の現状が気になる。他の誰かに向かわせたいところだが、なぜかホドエール商会の船ですら入港禁止にされている。
ユートレア共和国やゼノス帝国経由も軍隊が敷かれ、入国に厳重な検査も行われているという。
そこまでされると、侵入できるのは空から行ける俺くらいになってしまう。
「リリーとアルマ姉に伝えてくれ。デトロアを覗いてくる」
「わかりました」
レイシーに伝言を頼み、俺は自室の窓を開ける。
マフラーを展開し、それに飛び乗る。
「向こうに着いたら通信水晶に飛ばす。もしなかったらガラハドとガルガドに伝えてくれ」
「はい。お気をつけて」
レイシーに頷きを返し、俺はデトロア王国へと向かった。
☆☆☆
デトロア王国、その王都にやってきた。
だが、デトロア王国の領内に入った時から通信水晶に応答が無くなった。つまり魔力を妨害する何かをしている。
ここまでして何を隠そうとしているのだろうか。
王国の魔力遮断が外側からだけだと思っていたのだが、中に入ってからも学園長やグレンと連絡が取れない。直接出向くしかないだろう。
とりあえず学園長のところで現状を聞こう。
そう思い、王都の中を歩いていた。ローブのフードをかぶり、顔をできるだけ隠し、裏路地を使いながら。
俺はいろいろとやらかしているし、堂々と町を歩けない。こそこそするしかない。
が、裏路地にまで警戒網を広げられていたようで、こんなところまで兵士が見回りに来ていた。
「おいお前」
「……はい?」
「こんなところで何をしている」
「ちょっと、あっちに用事がありましてね」
「今は外出禁止令が出ているはずだ。それを破らねばならない用事か?」
「いろいろありまして。妹が病気で薬がいりますし、食糧も残りが少ないので。魔石も数がありませんし、外に出るついでに手紙やご近所への挨拶、あと暇つぶしのものも買おうとも思っていましてそれに商品の配達やら何やら……」
「もういいもういい! とにかく、今は外出禁止だ! とっとと帰れ!」
面倒くさいな。眠らしてしまうか? だが兵士となれば詰所で出動などの確認を取っているのだろうか。
面倒くさいなぁ。
どうしようか。どうしようかな。
「帰らないのなら……少しついて来てもらおう」
長く考えすぎたか、兵士はそういうと俺の腕を掴もうとしてくる。
その時、俺の襟首を後ろから誰かに引っ張られる。そのせいでフードが脱げてしまう。咄嗟に片腕で顔を隠し、別の手で仮面を取り出してつける。
「待て――!」
俺は襟首を引っ張られる方向へと体を向け、走り出す。
「こっちだ。来い」
「手ぇ放せよ! 走りにくい!」
未だに襟首をつかむそいつのを手を振り払い、隣で並走する。
「おーおー、元気だなネロ。いかついお面なんてして」
「外出禁止令出てんじゃねーのかよ、ウィリアム」
俺を引っ張ったのは、ウィリアムだった。クロウド家の使用人で、以前はこき使ったこともあったな。
それにしても、ここはクロウド家から割と離れている。どうしてウィリアムがこんなところにいるのだろうか。
「なんでこんなとこにいるんだ」
「クレスリト学園長が、そろそろお前が来るだろうってんで見張ってたのさ。お前はいまこの国の詳細を知らないからな」
「詳細って……」
「とりあえず今は逃げるぞ。詳しい話はそれからだ」
「わかった」
兵士が応援を呼んでいるのが聞こえる。早々に逃げてしまわなければ。
☆☆☆
「ここなら、とりあえずは安心だ」
「ここって……」
そこは、サーカスのような大きいテントだった。それも、見覚えのあるテントだ。
昔、イズモを買ったところ。奴隷商人のテントだ。
「奴隷商人のテントだ。奴隷を直接置いているような場所を、人は意図的に避けるからな。比較的安全だ」
「本当かよ」
するとテントから一人のひょろ長い男が現れる。
そいつも以前と変わりない姿をしていた。
「当然です。私の口は岩よりも固いですから。ともあれ、どうぞ中へ」
そう促され、俺とウィリアムはテントの中へと移動する。
テントの中には奴隷はおらず、広々とした空間だけがあった。
「奴隷はどうしたんだ?」
「勅令により取扱ができなくなりまして。すべて解放いたしました」
「解放だと?」
「勘違いしないでください。ホドエール商会に手伝ってもらい、各国に送り返しただけでございます」
ああ、そうなのか。
奴隷商人の解放ってのは、基本的にその辺に勝手に放置だからな。ポイ捨てみたいなものだが、ほとんどが魔物に襲われて死ぬ。生き延びてもこの国では生き抜くのは難しいし、すぐにどこかの領主に捕らえられ結局奴隷になったりするし。
しかし、勅令で奴隷を解放か……フレイヤが出したのか? いきなりこの国で奴隷の廃止などできないと思うが。貴族が黙っているだろうか。
「それで、何か知りたいことがありますか?」
「今、この国の現状だ」
「……良くは、ないですなぁ。むしろ悪いです」
「なぜだ」
「フレイヤ女王です」
フレイヤ? どうしてフレイヤが出てくる。
……そういえばグレンからも相談があったな。よりひどくなったのか?
「ネロ、お前はクレスリト学園長の元へ行こうとしたのだろうが、彼女は今幽閉されている」
「なんだって?」
「そしてフレイヤ女王の弟君のフレイ様も同様にな。彼女の政策に逆らおうとしたからだ、とされている」
どういうことだ。フレイヤが学園長と弟を幽閉? 逆らおうとしたから?
そんなことをしている場合ではないだろう。いや、そんなことを彼女がするはずがない――。
俺の思いとは裏腹に、ドライバーの言葉は容赦がなかった。
「粛清と称し多くの民衆と貴族を処刑した罪から――間もなく、処刑されます」
☆☆☆★★★
「――では、日程は変わりなく」
「ええ。そのように進めてください」
俺はフレイヤ様に諸々の報告を終え、最後に日程の確認を済ませた。
石造りの部屋は体感以上に冷たく感じる。ここが、フレイヤ様の今の部屋だ。と言っても、残りはもうほんの数日だけだが。
「よかったです。グレンまで処刑されなくて」
「魔導師だからでしょう。魔導書の選定を切るまでは猶予があります」
「そんなことは言わないでください。良いですか、これが終わったら」
「わかっています。ネロのところへ行きます」
「……ええ。彼の力になってあげてください」
フレイヤ様は、もういつもの通りだ。
粛清などという恐ろしい決定をしたときとは打って変わって、柔和な笑みを浮かべている。
もうドレス姿ではない。最低限の質の服を着て、手枷と足枷を付けているが、絶望している様子などは見られない。
芯の強いお方だ。
「まぁ、逆にネロがあなたに手を焼きそうですが」
「何を言うんですか。俺だってあなたの下でやってきましたから、それなりに能力を上げたと思います」
「だといいのですが」
「心配すべきは、ネロが受け入れてくれるかどうか、ですよ」
本当に。
こんな結果になってしまった俺を、あいつが許してくれるかどうか。受け入れる器量はあるか。
「とても怒られてしまいそうですね」
「フレイヤ様も、ですよ」
「ええ、そうね」
フレイヤ様は美しく笑う。
本当に、美しく。儚げに。
……一体、どこで間違ってしまったのだろうか。
そんな話は、持ち出さない。フレイヤ様とはすでに話し尽くした。どうしようもなかったのだと結論付けた。だから、もう終わったのだ。そんな話は。
「過ぎてしまったことは取り返しがつきません。素直に謝るしかありません」
「そうですね」
……俺は、今。処刑を目前にしてようやく。
俺は、ネロのように、フレイヤ様と対等に話をできているように思う。
とはいえ自分が騎士であることを忘れているわけではない。その礼儀は十分に残したうえで、フレイヤ様と対等になれた。
そんな気がする。
「また、三人で冒険したかったです」
「俺はネロの行動にいつもひやひやしていましたよ」
「それを見ているのが楽しいんです」
「そんなフレイヤ様にも困っていましたね」
二人して笑う。屈託なく、笑っている。
これが最後だ。
最後になるのだ。
落ち着いて、二人きりでゆっくりと話をする機会は、これで最期だ。
「グレン、あなたは来世を信じますか?」
「さあ、どうでしょう」
「来世があったら、何をしたいですか?」
「そうですね……護るべきものを護る、ですかね」
「漠然としていますね」
「どうあがいても俺は騎士です。誰かに仕え、誰かを護る。そうすることしかできない、人間なんですよ」
「なるほど。では、今度こそはきちんと護ってくださいね」
「……はい。肝に銘じて」
私を、とは言ってくれない。それでいい。
フレイヤ様はそういう人だ。そんなことは言わない。俺が護るべきだと決めたものを護れと、そういっているのだ。
その時、遠くで鐘が鳴る。
「時間のようです」
「はい。グレン――ごめんなさい。私の最期まで辛い役目を任せてしまって」
「俺はあなたの騎士。あなたの剣です。あなたがそうすると決めたのなら――俺は従います。それに他の誰かにあなたの最期を任せたくありませんから」
「……本当に、ありがとう」
そういって。
フレイヤ様は、笑いながら涙を流した。
俺は彼女の悲しい顔を見たことがない。いつも笑顔だった。真剣な表情を浮かべることだってあった。でもすぐに笑顔を浮かべていた。
悲しい顔で泣いたところを俺は見たことがない。
それが、妙に虚しくする。
俺が悲しくなる。いつもこの人に、笑っていることを強いているように思える。
俺がしっかりしていないから、この人は悲しむことができないのではないかって、そう考えてしまう。
だけど、違うんだろう。本当はそうじゃないんだろう。きっと、ネロの前でだって、フレイヤ様は笑って別れを告げる。
フレイヤ様は悲しむことができないのではない。悲しんで周りを落ち込ませることよりも、笑って明るくすることを選んでいるだけだ。
だから。
だから――その笑顔はどこまでも悲しげに映るのだ。
そして俺も、口端を吊り上げる。
「はい。今まで、本当にお世話になりました」
涙をこらえきれない。声が震える。
それでも、どれだけ悲しくとも。彼女が明るくしようとするのなら、明るく在らなければならないのだ。
★★★
フレイヤ様の部屋を退室し、扉に鍵をかける。そして螺旋階段を降り始める。
フレイヤ様の牢屋は王城の尖塔にある。
地下牢ではなく尖塔の部屋なのは、何か理由があるのだろう。おそらくは、ネロを誘っているように思う。
奴が空を飛べることは周知の事実。そうやってネロを誘い、勇者をぶつけようと思っているのだろう。
けど、バレバレの罠にかかるような奴ではない。
「なぁ、ネロ」
「――グレン、どういうことだよ」
螺旋階段を降りる途中には、兵士が何人も待機している。その兵士を倒し、ネロは尖塔を上ってきていた。
外から空を飛んでは目立つし狙い撃ちされる。そう判断して、奴は強行突破で階段を上ってきていたのだろう。
「どうして姫様が処刑される!?」
「粛清による大量殺人の罪だ」
「そんなことを聞いてんじゃねえ!」
「言わなきゃわからん貴様ではないだろう!」
俺もネロも、怒声を響かせていた。
だが次にネロの口から出た声は、絞り出すようなものだった。
「……わからねえよ、どうしてお前がついていたのに姫様がそんなことをしたんだ」
「俺だってただ指をくわえて見ていたのではない。だが……後手に回った時点で為す術がなかった」
「俺に連絡をしてくれれば――!」
「連絡をして、どうなったというのだ!」
「だって……!」
「俺を見くびるな。自分を過信するな。俺だって手を尽くした。お前にできることなんか何もなかった」
フレイヤ様に何かされた時点で、何も打つ手などなかったのだ。洗脳されたというのなら、それでこちらは負けていたのだ。
フレイヤ様を洗脳し直すか? それじゃただのいたちごっこだ。
フレイヤ様を閉じ込める? 女王にそんなことできるわけがない。やったとして、フレイが実権を握るだけだ。
フレイヤ様を遠くに逃がすか? それではこの国はどうする。
フレイヤ様だけを助けるならば可能だ。だが、この国も同時となれば無理なのだ。
「貴様にとってこの国はどうでもいいかもしれない。けれど、俺やフレイヤ様はそうじゃない。この国も救わなきゃならないんだ。同時に救うにはもう――何もできないんだ」
「そんなこと――」
ネロの言葉が詰まる。何かを言おうとして何も言えずにいる。
声を絞ろうにも、言葉が紡げずにいる。
「……フレイヤ様は、覚悟を決めた。正気に戻ってから、誰よりも早く状況を呑みこみ、決断した」
「死ぬことをかよ」
「そうだ。それでしかこの幕は引けない」
「そんなことない! きっと何か――」
「貴様も――同じだろう?」
俺の言葉に、ネロは息を、言葉を呑んだ。口から出ようとするものすべてを呑みこもうとしている。
自覚しているのだ。もし、フレイヤ様と立場が逆であれば、同じ選択をしていたと。
奴の行動がそれを証明している。今もそう。そして、カラレア神国での自分の振る舞い。
「……フレイヤ様の決断を、愚弄するな」
「いや……だって……フレイヤは違うだろ……俺、は」
「同じだ。貴様も、フレイヤ様も」
「違う……」
「誰かを想うあまり、自分を犠牲にする。そうして皆を護るのだ」
「違う……だってフレイヤは……俺と違って、生きていて欲しいと願う奴がいる」
「……貴様」
「だってそうだろ……俺とフレイヤは違う、生きていて欲しいと願う奴は多いだろ……そんなに簡単に諦めていいもんかよ」
「ふざけるな! そもそも数の問題でもなければ――貴様とてフレイヤ様に生きて欲しいと願われた一人だ!!」
俺の言葉にネロは肩を震わせた。強張っていた表情が少しずつ歪んでいく。
「俺も貴様も――そしてフレイヤ様が知る人すべてが! 彼女に生きて欲しいと願われた人だ。彼女の選択を踏みにじるな」
ネロは呆然として立ち尽くしてしまった。
俺はその脇を抜け、階段を降りていく。
「この先に行けばフレイヤ様のいる部屋だ。鍵は必要ないだろう?」
俺の問いかけに、ネロは答えなかった。
★★★☆☆☆
視点が定まらない。ぼやけた視界のまま、ただ無気力に足を動かして階段を上る。
石造りの階段。その先にたった一つだけ扉がある。
俺はその扉を、弱々しく叩いた。
「あら、いらっしゃい」
扉の向こうから聞こえてきた声は、フレイヤそのもので。
彼女は姿を見ずとも誰が来たのかわかっているようだ。
「さっきまでグレンと随分と言い争っていたみたいですね」
「……ああ、まぁ」
「入ってこないんですか?」
フレイヤの問いかけに、俺は数秒止まる。
全身から力を抜き、思考することだけに特化させる。そうやって、深く潜る。
そして目を開いた。俺は、頭を扉に打ち付けた。
「きゃっ!?」
フレイヤの小さな悲鳴が聞こえた。
「い、一体何ですか?」
「気持ちの切り替え」
俺はぶつけた額から血が垂れてくるのを自覚する。
「うん。俺は入らない」
「あら、顔を見せてはくれませんの?」
「見せない。というか、見れない。見たら、連れ出しちゃうからね」
「それは困りますね」
「姫様の決断を、無碍にしない。そのためにも、俺はここで帰る」
「……そうですか」
扉の向こうからは、少し寂しそうな声が届いた。
でも、笑顔なんだろうなぁ。
どれだけいっても彼女は笑っているんだろうな。
「なぁ姫様。泣けなくて辛いと思ったことはあるか?」
「……ありませんよ」
「そっか。じゃあ――最期くらい大泣きしているところを見せて欲しいな」
「考えておきます」
「ああ。期待しとく。だから、今日はここまで」
「そうですか。もう帰るんですか?」
「帰るよ。姫様はここから出る気ないんだろ」
「はい」
俺と同じ、か。選択だけは同じなんだろうな。
「姫様――また、来世」
「ええ、お待ちしております。どうか――わたくしを見つけてください」
そして俺は、尖塔を後にした。
☆☆☆
鐘が鳴る。
大砲が打ち上げられる。
歓声が響き渡る。
ここに来いと、集合場所はここだと、そう喚くように。
処刑台から大音量が響いてくる。
「――これより、女王陛下の処刑を執り行う」
進行役の男が紙を片手に声を上げた。
そしていくつもの、女王陛下の罪が述べられていく。
本当に一人でやれたのかってくらいの、罪の数々。
「――以上の罪により、女王陛下を斬首刑とする」
ああ、それらの罪はきっと、誰かのものだろう。
女王陛下がそれらの罪を行えるとは、思えない。
けれど、民衆は熱狂してしまってまともに考えている者などいないだろう。
罪を犯したならば、過ちがあったならば、誰かが責を負わなければならない。その責を一身に受けるには、少しか弱すぎないか、と。
だが巨大な権力はそんな言い逃れを許してはくれない。
女王陛下は処刑される。
腹心の騎士によって、その首を刎ねられる。
きっと騎士も、不本意なのではないだろうか。女王陛下に頼まれたから仕方なくやっているのではないだろうか。
女王陛下も頼みたくはなかったのではないだろうか。でも騎士に斬らせることで、彼の今後を護ろうとしたのではないだろうか。
そんな話は当人にしかわからないし、関係の無い話なのだろうけれど。
何はともあれ、今日この日。
女王陛下は自分がもっとも信頼する騎士にその首を切られる。
処刑台にゆっくりと登ってくる、フレイヤ。
グレンは剣を手に持ち、首が垂れるのを待っている。
処刑台に上がったフレイヤに向かって、民衆は罵詈雑言を浴びせる。落ちている石を投げつける。
だが声は重なり合って不明瞭な音にしかならず、石は結界によって弾かれている。
民衆の怒りが彼女に届くことは、無い。
だが、民衆はそれでよいのだ。自分の持っている憤りを、自己満足に誰かに向けられればそれでいいのだ。対象に興味などない。誰に向けられようとも関係がない。
彼らはただ、やり場のない怒りをどこかに発散したいだけなのだから。
フレイヤは処刑台に上がっても笑みを浮かべている。それが民衆をより怒らせているのかもしれない。けれど鉄面皮のように、その笑顔は剥がれない。
フレイヤが膝をつく。そして顔を俯かせた。
音がひどくなる。鐘の音も、大砲の音も、歓声の音も、民衆の音も。混ざり合いぐちゃぐちゃになって反響している。
ひどくうるさい。
うるさすぎて、逆に何も聞こえない気すらしてくる。
だが、次の瞬間――。
「うわぁぁぁぁあああ――ぁぁぁあああああ――……ああああああぁぁぁぁぁ――!!」
フレイヤが顔を上げると同時に、すべての音を掻き消すほどの大音量の――泣き声が響いた。
子供のように、赤子のように、大の大人が泣き叫んでいる。
大粒の涙をこぼし、大きく開けられた口からは涎、鼻水すらも垂れてしまっている。嗚咽が混じり、何度も咽びながら、泣きじゃくる。
それは、誰もが初めて聞く声だった。
鉄面皮のはずの笑顔は剥がれ落ち、見る影もない。ただただ子供のように泣きじゃくり、くしゃくしゃの泣き顔だ。
それは、フレイヤが初めて見せた顔だった。
生まれたばかりを思い出すかのように、赤子のように泣き叫んでいる。
その声に、場は静まり返る。彼女の泣き声だけが響き渡る。
呆気にとられる、民衆たち。それは俺も例外じゃない。
フレイヤのあんな姿、見たことがない。見られるとも思っていなかった。彼女は最期の最期まで、笑顔を浮かべたままだと信じて疑っていなかった。
なのに、この大音量の泣き声。
ああ、畜生。最悪だ。
泣いやるものかと、そう決めて来たのに。
初めての彼女の泣き声に、どうしても涙が流れてしまう。
最悪だ。卑怯だ。
ほら、グレンだって泣いてしまっているじゃないか。進行役の奴も、周りの兵士も、民衆にまで伝播してきてる。
なんでそこで泣くんだ。
あんたは、笑って周りを明るくするんだろ。だったら、なんで最期の最期で泣くんだ。どうして悲しみを置いて行こうとする――。
……ああ、そうか。
そうじゃあ、ない。
俺と同じだ、ってんなら。
そうじゃあ、ないよな。
あんたは、死ぬ間際になってようやく、王族としての立場を捨てられたのか。
人から敬われる立場を、捨てられたんだ。
だから、今、腹の底から泣き声を絞り出しているのは、フレイヤ自身だ。
「――そうだよな、フレイヤ」
あんたは姫様としての責務を、ようやく捨てられた。
だから今、悔いの残らぬよう泣いている。
俺と同じ選択をするってんなら、フレイヤ。
その後にすることも、俺にはわかる。
「泣き声を、ピタリと止めるんだろ」
その瞬間、フレイヤの泣き声がピタリと止んだ。
「そうして、笑みを浮かべるんだ。本当の最期は、女王としてこの国を案じながら、逝くんだ」
フレイヤは今まで以上に、晴れやかな笑みを浮かべ、一度立ち上がって民衆だけでなく背後の兵士にまで笑みを見せた。
「そうやって、違和感を残すんだ」
これで本当によかったのか、と。
民衆や兵士が、そう思わざるを得ないほどの、違和感。
言葉は一切ないのに、そう思わされるほどの笑顔。
民衆は、兵士は、国民は、この人を本当に処刑してしまってよかったのか、とそう思わざるを得ない。
国民の涙は止まらない。俺も、グレンも。きっと誰だってそうだ。
でも――。
だからこそ、俺は、グレンは。
口端を目一杯吊り上げた。
笑みを見せる。張り付けてやる。あんたが笑顔で逝くってんなら、俺だって笑顔で見送ってやる。
フレイヤが膝をもう一度つき、そして首を垂れた。
グレンは、震える剣を振り上げる。大上段に構えられた剣は、しかしやがて微動だにしなくなる。
そして――剣が振り下ろされる。
たった一振りの元に、女王の命は斬り落ちた。




