表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メイジ オブ Mage  作者: 水無月ミナト
番外編 夢見る魔導師
145/192

看取る魔導師

「じいさんが死にそう?」


 そんな報告を、デトロア王国に帰っていたグレンから受けた。


「らしいぞ。まぁ、貴様は本家と仲が良好というわけでもないので、関係なかったのかもしれんが」


 俺とクロウド家を繋いでいるのは、グレンが時々持ってくる王国の情報でだけだ。

 誰が好き好んであんな家と関係を持つかっての。


「ふーん」

「やはり行く気はないか」

「……イズモと相談かな」


 クロウド家と面識があるのはイズモだけだ。リリーもノエルも連れて行ったことはない。前に挨拶を〜とか言っていたが、俺には連れて行く気など一切なかったので、適当に流した。

 一夫多妻制が容認されている世界だが、全員種族が違うなど、王国民にとっては嫌悪の対象以外の何物でもない。


 俺に行く気はないが、イズモは何かと行きたがる。別にあの家が好きなわけではなく、お世話になったローザに会いたいだけなのだろうけど。

 一応、建国後にひと段落ついた時にネリを連れて行き、ネリは特に何か思いがあるわけでもないらしく、あっさりと祖父と認めたので、俺も従ったけど。

 許したわけではない。認めはした。だけど、残念だが俺にはネリほど簡単に水に流せるほどの度量はない。


「ネリは?」

「ネロに任せる、だそうだ。行く気はない、と」

「……そ」


 ネリもまた、そう簡単に受け止められはしていないようだ。


「報告あんがと。イズモんとこ行ってくる」


 グレンに軽く手を振り、イズモのいる部屋へと向かった。




 部屋にいたイズモは、ようやく一歳になったヤマトをベッドの上であやしていた。


「あ、ます――」

「ネロ」

「ね、……ネロ、さま……」


 顔を真っ赤にして、何とかそう言い直すイズモ。

 いつまでもマスターと呼ばせるのは嫌だが、かといって今から変えるのは難しいようで。

 せめて子供の前でだけは名前で呼ばせるようにしたのだが、慣れずに様がついてしまっている。


 苦笑しながら部屋に入り、ヤマトを挟んでイズモの隣に座る。


「どうしたんですか?」

「んー……じいさんが死にそうらしい」

「え……」


 ヤマトの手をとってあやしながら、何でもないように言う。

 ヤマトは手を握るだけで嬉しそうに笑い声を上げる。


「そ、それって大変なことでは……?」

「そうかね?俺はもうほとんどクロウド家と繋がりなんてないし、別に放置でもいいと思ってるけど」

「ます――ネロ、さま」

「うん?」


 イズモの真剣な声音に、顔を上げてそちらを見る。


「……ネロさまにとって、おじいさんは家族ではないんですか?」

「……イズモ」

「わかっています。でも、ネロさまがもしも家族の死に立ち会えなかったら、どう思いますか?」

「…………」


 その問いに、俺は何とでも言い返せる。

 それこそじいさんがその家族の死に立ち会えていないし、その気すらなかったと言える。

 死地に追いやって、会いになど一切来ようとせず。

 学園長を使って俺を向かわせたり、都合のいいように使いやがって。


「……はぁ」


 顔に手を当てながら、大きくため息を吐いた。

 どうしようもない。

 その話をされたら、どうしようもなく弱い。

 どうしても勝てない。決心しよう。


 俺は既に認めてしまった。

 じいさんをじいさんだと、祖父だと、家族だと認めてしまっていた。

 ならば拒めない、どうしようもできない。

 家族を……悲しみのままに殺すことは。


「分かった。……なら行こうか」

「――はい!」


 俺が答えると、イズモは元気よく返事をした。それに応じてヤマトも威勢の良い声を上げた。


「危篤だってんだから、あんまり猶予はないだろうし、すぐに行けるように準備しておいて」

「わかりました。ネロさまは?」

「グレンに伝えてくる。俺が抜ける分、忙しくさせるし」


 ベッドから立ち上がると、早速準備に取り掛かったイズモに手を振って部屋を出る。

 閉じた扉に背を預け、もう一度深呼吸をした。

 すぐに扉から背を離し、グレンのいる部屋へと向かう。


 扉を二度ノックし、中からグレンの返事を待ってから扉を開ける。

 グレンは椅子に座ったまま、こちらを見てくる。


「どうした? やはりやめるか」

「いや。行くよ」

「……わかった」


 グレンは少し意外そうな表情を浮かべるも、すぐに頷き返した。


「貴様のいない間は埋め合わせる。とはいえ、あまり長居はしてくれるなよ。支障をきたす恐れがある」

「わかってるよ。すぐに……帰ってくる」

「……一体何をやらかす気だ?」


 

 グレンに問われ、俺は苦笑を返した。

 そして決心したことを、口に出す。


「俺が、じいさんを殺す」



☆☆☆



 三日後、準備を整えた俺とイズモは、ヤマトを連れてデトロア王国の王都へとやってきていた。

 王都へ来ると必ず学園長の家に行くのだが、今日は後回しでいいだろう。理由はちゃんとあるし。

 学園長に会いにいかなければ、面倒臭い絡みをしてくるのでいつも行っていたのだ。まぁ、行ったら行ったでやはり面倒なのは変わりないが。


 今回はヤマトもいるので、転送されてすぐにマフラーを展開して乗っている。

 これであのクロウド家の長い道も乗り切り、さっさと玄関に着く。

 呼び鈴を鳴らし、しばし玄関の前で待っていると、やがて中から慌ただしい足音が響いてくる。が、扉は開けられず、中から声がする。


「今は誰も入れられない。悪いが帰ってくれ」

「……あ、そう? なら帰ろ――」

「ちょっとマスター!? あ、ローザさん、私です、イズモです」


 逡巡したが、門前払いならまぁいっかと体を反転させようとしたところでイズモに肩を引っ掴まれてしまった。

 そしてイズモの慌てた紹介を受けて、扉が勢いよく開かれた。

 扉の向こうには、イズモの言った通りにローザが驚いた表情をして立っていた。


「あんた……」

「ちゃんと行くっていうことを伝えたはずなんだが、追い返されるなら帰るぜ」

「いや、だって来るとは思わないだろうに……」

「せ、せっかく来たんですから、ね? ます――」


 二度目はない。俺はイズモの口を指で押さえつける。

 が、ここまで何度も注意をしてきたのだから、あえて言う必要もないだろう。……単純に恥ずかしいし。

 ローザの前ではマスターで通っているわけだし。


「それで、じいさんは?」

「……今際の際だよ。ぎりぎり間に合ったってところさね」

「そうかい。そりゃよかった。……いや良くなかった?」


 後ろからイズモに頭上へ手刀を落とされた。

 それを見てローザは苦笑を浮かべた。俺としては笑いごとではないのだが?


「今はウィリアムがそばに着いてるよ。呼んでくる」

「頼む。ニルバリアには会いたくないからな」


 冗談のつもりで言うが、ローザは「まったくだ」と本気ととらえて屋敷の中へと戻って行った。

 そして取り残された俺たち。


「……案内くらい置いて行かないかな、普通」

「いらないくらいには、お屋敷を知り尽くしているでしょう」

「そうだけどさ」


 俺はため息を吐きながら、いつもの応接間へと向かう。

 途中ですれ違ったメイドさんに飲み物を頼み、応接間のソファに座り込む。

 ヤマトを放ってみたところ、ハイハイをして動き回り、特に高そうな調度品に興味を引かれているようだった。

 その歳で物の価値がわかるなんて……俺以上じゃないか? やだ、うちの子天才?

 なんて親バカらしい思考をしながら、誰か来るのを待つ。


 メイドが飲み物を持ってきてくれてから数分ほど待つと、廊下から駆け足の音が聞こえてきた。

 俺が扉を土魔法で固定すると、タックルする勢いで突っ込んできたどこかの馬鹿が跳ね返ってこけた音がした。

 魔法を解き、扉を開けながら外を見ると、予想通りウィリアムが倒れていた。


「赤ちゃんいるんで優しく開けてくれます?」

「はぁ!? 赤ちゃん!?」


 ウィリアムが容赦なく叫ぶものだから、背後から叫びに驚いたヤマトのぎゃーすという泣き声が響いた。イズモが慌ててヤマトをあやしにかかるが、すぐには泣き止まない。

 俺は、それはそれは心底迷惑そうな顔をウィリアムに向けていただろう。

 そんな顔を向けられたウィリアムは、随分と申し訳なさそうな顔をした。


「へぇ。ちゃんとそういう顔もできるんですね」

「テメェぶっ飛ばすぞ……」

「できるものならどうぞ。そろそろ体をいたわるようにした方がいいぞ」

「そっくりそのまま返すぞガキィ……」


 そうだな。確かにウィリアムの負う傷の半分ほどは、俺のせいな気がする。そこまで一緒にいないはずなんだけどなぁ。

 でもちゃんと怪我したら治しているはずなのに。


「まぁでも……来てくれるとは思わなかった。当主様も喜ぶだろう」


 ウィリアムは立ち上がりながら、真面目な顔で言った。

 俺はそれに、はんと息を吐く。


「どうだか。喜ぶ姿も見せられねえくらいに、弱ってるくせに」

「…………」


 俺の言葉に、ウィリアムは押し黙った。

 いや、黙られても困るんだけど。こっちは別にそんな悲愴な思いで来ているわけでもないのに。


「んで、ニルバリアがいるのはわかったけど、ノーレンだっけ? そっちは?」

「ノーレン様は、当主が倒れた直後にはいたが、早々に帰って行った。ようやく治政が軌道に乗ったとのことだが」

「どーせ金をちょろまかしているのを隠しに帰ったんだろ」

「お前のその施政者に対する偏見は何なんだ……」


 けらけら笑って返し、部屋の中へ戻る。

 俺に続いて入ってきたウィリアムは、イズモが抱いているヤマトを見てわずかに動揺した。

 あからさまだなぁ……。


「なんかお祝いとかした方が良いのか?」

「もう一年経ってんだけど。くれるってんなら……人材とか?」

「何を渡せってんだ」


 ウィリアムはちゃんと冗談として受け取ってくれ、苦笑いをしてくれる。

 

「……ま、考えとくよ」


 ウィリアムはわずかに俯きながら、そう返事をした。

 その真意は何だろうか。彼は、何に、誰に、仕えているのか、仕えたいのか。

 思考に深く潜り込みそうになった時、背中を小さく叩かれた。


「悪い癖が出てますよ」

「ありがと」


 最近になって思考に嵌りそうになったとき、よくイズモが気付いて引っ張り上げてくれる。おかげで無駄に時間を過ごさなくなった。

 俺は小さく息を吐き、ウィリアムに向き直る。


「そんで? じいさんの容体は」

「もう目も覚まさん。このまま息を引き取るだろう」

「そうかい。それはよかった」

「……ネロ」


 少し笑ってみると、ウィリアムが真剣な顔で肩に手を置いてきた。


「落ち着け。別に会いたくないとか、このまま死ねとか思っちゃいない」

「…………」

「そう本気で思ってたなら、こんなとこ来ねぇよ」


 俺の言い分に納得してくれたのかどうか、分からないがそれでもウィリアムは手をどけた。


「会いたくねぇけど、どうしようもないしな。この屋敷にいる奴ら全員集めろ」

「何?」

「先に話しとかないと、後々面倒なんだよ」



☆☆☆



 ニルバリアを始め、ウィリアムやローザだけでなく、使用人や私兵も数人を一部屋に集めてもらった。

 さすがに屋敷にいる人々すべてを集めると部屋に入りきらないので、ウィリアムとローザの推薦によって集めた。

 もちろん、じいさんのいる寝室とはまだ別室。この後行くことになるけど。


「さて。集まってもらったのは他でもない。今際の際を生きるじいさんについてだ」

「ハッ、今更何をしようが助からねぇぞ」

「そう急くなよ、叔父さん。助ける気なんざ、これっぽっちもねぇよ」


 心底憎たらしい顔を向けてくるニルバリアに、笑みを返しておく。

 実際、俺はじいさんの延命をしようなんて考えは一切ない。むしろ逆。


「この手でじいさんを殺そうと思うんだが、どうだろうか?」


 手を開いてみせ、満面の笑みでもって集まった人々に問う。

 だが、当然こんな問いに即答できる者はおらず、皆唖然としてしまっている。

 皆が動きを止める中で、ウィリアムがまずは口を開いた。


「……本気か?」

「本気だ」

「何のために」

「俺のために」


 ウィリアムとの問答に、ニルバリアが口を挟もうとしたところで、俺は開いていた両手を打って音を鳴らす。


「当然、ただ殺すわけじゃあ、ない。ほんの数分、目の覚めないじいさんの目を無理矢理こじ開ける」

「そんなことが可能なのかい?」

「可能だ。が、このまま死ぬしかない老人を無理矢理起こすんだ、明日からの命の保証などどこにもない。だから殺す、ていう表現を使っている」

「あんたの言い回しは回りくどいんだよ……」

「明確な真実だ」


 どう言おうとも、最終的な結果は俺が殺したことになる。

 だからこそ、俺にとってもちょうどいいし、ニルバリアにとっても歓迎されるべきことだ。


「俺がじいさんを殺せば、殺した奴をいつまでも同じ家の者として置いておくわけにはいかない。晴れて俺はデトロア王国との関係をきれいさっぱり断ち切ることが可能になるわけだ」


 まさにwin-winの関係だな!


「んで、これを実行する前に、さすがに人命にかかわることだし、皆の是非を聞こうってわけだ」


 俺はこれまで笑みを崩さず、そう言い切った。

 周りを睥睨してみても、さして驚いている様子は見てとれない。これは、俺が来た時点で何かしらをやらかすだろうという予想でもしていたのかもな。


「その是非について、結論は既に出ている」


 答えを問おうと思った時、俺もよりも早くウィリアムが答えた。

 その返事に、少なからず怪訝な視線を送ってしまう。

 結論は出ている? 俺のしようとしていることに?

 まぁ、出ているなら出ているで、どちらに転ぼうとも早く決まって良いのだが、どういう意味だ。


「当主様から、ネロが来た時のことについて言伝を得ている」

「へぇ。それは?」

「『ネロのしたいようにさせてみよ』と」


 なるほど。

 どんな提案をしようとも、俺の意見はすんなりと通っていたというわけか。


「……それに、こちらとしても、わざわざ来てくれたネロを当主様に会わせなかった方が恨まれる。それでいい」

「そうさね。あたしとしても、当主様には会っていてもらいたい」

「この決定については屋敷の者すべてが同意済み。ニルバリア様、貴方が何を申されようとも、ネロの提案を通させてもらう」

「……チッ」


 牽制されたニルバリアは、心底忌々しそうに舌打ちをすると、そのまま部屋から出て行ってしまった。

 ウィリアムへ大丈夫なのかと視線で問うが、首を振って答えられた。まぁ、じいさんの部屋には護衛もいるだろうし、大丈夫なのだろうけど。


「あの、ね、ネロさま? 本当に良いんですか?」


 口を挟むことなく、これまで静かにしていたイズモに訊かれ、頭を掻く。


「問題ない。せっかく来たのに会わずに帰るのも、後味が悪い……っちゃ悪い」

「でも……どうやって起こすんですか? 寝たきりなのに」


 そんな疑問を聞いてくるイズモに、俺は片手をみせる。


「俺がこれ以外に、できることはあると思うか?」



☆☆☆



 場所をじいさんの寝室に移し、叩き起こす準備をする。

 部屋にいるのは俺やイズモにウィリアムとローザ、後は使用人が数人。ニルバリアはいない。その方が集中できて助かるけど。

 俺はじいさんの枕元に上り、上半身を支えるようにして身体を掴む。

 じいさんの体内の魔力状況を調べるが、本当に死にかけのような微々たる量しか流れていない。それでも魔力回路が生き、魔力が通っていることがわかれば問題はない。

 顔を上げ、部屋にいる人々と向き合う。


「……じゃ、これからじいさんを無理矢理起こす。さっきも言ったけど、これがじいさんの最期だ。俺が手を離せば、おそらく死ぬ」

「わかった」


 ウィリアムを初め、全員が頷いたのを確認した後、俺は目を閉じて集中を始める。

 少しずつじいさんの魔力回路に魔力を流し込んでいく。

 魔力は少なからず生命力に影響を及ぼす。枯渇してしまえば死んでしまうように、かといって有り余れば長生きするかと言えばそうでもない。

 だが、適量を流し、全身に巡らせれば、活動が弱くなった臓器なんかの活性化を促すことができる。

 それを力技で行う。

 そうすることで、明日からの生命力をすべて今に前借する。寝ているだけでほとんど消耗しない生命力がどれだけ余っているかはわからない。それでも十分も持たないのはわかる。

 だから数分。

 たった数分のために、明日からの命をすべて燃やしてもらう。それがじいさんにとっていいことなのか、そんなことはどうでもいい。何せじいさんは寝ているのだから。意見が聞けないから。


 流し込む魔力の量を少しずつ増やす。一気に増やしては魔力回路が破裂する可能性が高い。何せ今の今まで少量の魔力しか通っていなかったのだから。

 ゆっくりと、ゆっくりと。魔力を全身へと行き渡らせる。

 内臓が少しずつ活性化していく。心臓の脈も強くなってきた。

 あとは、脳へと回せば、理論上はじいさんの目は覚める。これで覚めなければ笑いものだな。

 自嘲気味の笑みがこぼれると同時に、俺は脳へと魔力を通わせる。


 これで脳から全身まで、魔力は流れ始めた。まだゆっくりとだが、少しずつ元の速さへと戻し、さらに加速させることで目を覚ますはずだ。

 少しずつ魔力の流れを加速させる。焦って加速し過ぎれば、簡単にお陀仏だろう。

 だが、焦りはない。

 こんな場面、いくらでも経験済みだということもあるが、一番はじいさんなんてどうでもいいから、だろうか。目を覚まそうがこのまま死のうが、俺にとってはどうでもいい。

 なのになぜ俺はわざわざこんなことをしているのか……そんなことも、どうでもいい。

 ただ、そうした方が良い気がしたから。

 たぶん、じいさんに対して言い足りない部分があるから。


 そら、目を覚ませくそじじい。孫が子供見せに来てやってんだぞ


「…………あ」


 イズモが小さく声を上げるのと同時に、部屋にいた全員が驚いた表情を浮かべた。

 俺は魔力に集中しているし、背側にいるのでわからないが、おそらく目を覚ましたのだろう。

 勝手な動きをされる前に、先に注意をしておこう。


「よう、起きたかじいさん」

「……ああ」

「今あんたの命は俺の手が繋いでいる。下手に動くと死ぬぞ」

「……そうか。わかった」


 随分と弱々しい、消え入りそうな声で、じいさんは何とか返事をしてくる。


「当主様!」

「ウィリアムか。世話をかけたな……これが終われば、お前も自由だ。好きなところへ好きなように行け」

「……はい」

「ローザ。生きにくいこの国、この屋敷でよく今まで頑張ってくれた。お前も、ウィリアムと同じだ」

「わかっております。この屋敷へは、もういられませんから」

「ネロ。もしよければ――」

「いくらでも雇ってやるよ。他の、行き場のない奴も全員」

「……すまんな」


 俺の国はまだまだ人手不足だ。優秀な人材がいるならば、率先して雇う。

 ウィリアムやローザには世話になった恩もある。拒みはしないさ。


「それと……」

「お久しぶりです」


 じいさんの視線がイズモに移ったのか、ヤマトを抱いたまま頭を下げた。

 その様子に、じいさんの動きが止まった。


「どうした、じいさん。あんたが会いたがっていたひ孫を連れて来たっていうのに、さ」

「……ネロ」

「何だ」

「ネロ……!」

「……痛いよ」


 背中に当てている手を、後ろへと回してきた手に強く掴まれる。

 老人とは思えないほど、今際の人とは思えないほどの強さで。

 強く強く。


「……抱いてみろよ」

「……いいのか?」

「気の変わらないうちに、どうぞ」


 そういってようやく、俺の腕を放してくれた。

 イズモがヤマトを抱いて近寄り、じいさんへと手渡した。


「……あんたが差別主義者じゃないのは、わかる。ローザさんを匿うくらいなんだから。それでも、あんたは奴隷を毛嫌いしていた。同じ人間で、他種族なのに」

「……そうだな」

「その奴隷との子供を、あんたはどう見る。どう感じる。どう思う」

「…………」


 かろうじてこちらから見えるヤマトは、無邪気に、一歳らしい挙動で、じいさんを物珍しそうに見ている。


「死に際のあんたに何を言ったって無駄だってのはわかる。それでも、訊きたいことがある。あんたは今、何を思う?」

「私は……後悔している。……他種族も、奴隷も、今では認められる……今更になってようやく……だからこそ……ニューラを追い出したことも……っ」

「……それはよかった」


 じいさんの肩が震える。泣いてでもいるのだろうか。


「なら、俺もあんたを認める。許しはしない。でも、認めよう。ネリが認めたからじゃなく、俺自身でそう決める」

「……そうか」

「あの世で先に父さんに謝って。それで、あんたを許す」

「そうか……そうか……」


 じいさんは何度か「そうか」と繰り返したあと、ヤマトをイズモへと返した。

 そして少しだけこちらへと向けた顔で、少しだけ口を動かして見せた。


「――ありがとう」


 ……それきり、じいさんは動かなくなった。



☆☆☆



 あの後、俺はイズモとも離れて一人部屋のベッドに腰掛けていた。

 組んだ手に額を乗せ、ずっと終わらない思考を繰り返していた。

 この感覚は嫌いじゃない。ずっと、ずっと考えていられる。終わらない、終わりが見えない。だからこそ、脳がよく働く。


 最期のお礼は何に対してのものだった?

 俺がちゃんと向き合えていれば、もっと早く打ち解けていた?

 いいや、そんなはずはない。じいさんは言った。死に際で初めて後悔している、と。

 後悔をしたことが死に際であり、ずっと考えていた可能性は?

 じいさんが死んでも、悲しくなんかない。そのはずだ。俺の両親を嫌い、危険に追いやり、それでもなお後悔もなく生きた。許せようもない。


 では――なぜ認めようと思った。


 許してもいないのに、どうして認めようと思った。

 なぜ。どうして。

 答えてみせろ。


「……はぁ」


 重い溜息が出た。

 ずっと感じていた違和感……ではないか。

 俺がすんなりとネリに従った理由。それ以前からも、さしたる反抗をみせなかった理由。

 覆せない事実。


「俺には、じいさんの血が流れている」


 血統だとか、家系だとか、そういうのではなく。

 同じ血が流れる、家族に変わりない事実。


「甘いんだろうなぁ……」


 前世で得られなかった幸福。優しい家族。

 前世と同じ絶望。意地の悪い世界。


 もし。

 この世界でも、俺の家族が前と同じだったら。それ以上にひどかったならば。

 想像してみる。

 経緯はどうあれ、おそらくアレイシアは接触を図ってくるだろう。その誘いに、抵抗もなく乗っていただろう。

 今ある幸福はない。

 代わりに絶望を振りまく存在と、なるだろうか。

 抑止となり得る存在があるとすれば、魔王ガラハドだろうか。奴ならば、アレイシアと接触した場合どうあっても巡り会う可能性が高い。俺を止めるか。

 五分五分だろう。ガラハドにとっては、アレイシアと関係したことを許さないだけで、世界をどうのといったことに興味はない。

 であれば、やはり俺の歩んだ道は――。


 …………脱線したな。

 まぁ、ともあれ。

 これで終わりだ。俺は晴れてデトロア王国から解放されるわけだ。

 俺は手から額を離し、大きく伸びをする。


 その時、タイミングを計ったようにノックがされた。

 返事をすると、イズモが入ってきた。


「あれ、ヤマトは?」

「ローザさんに預けてきました。……大丈夫ですか?」

「……んー。どうだろうね」


 俺は腕を広げて後ろへと倒れ込んだ。


「別にじいさんが死んだことについてどうこうはないかな。先に家族の死に遭ったし。殺したことも、麻痺するくらいには殺してきたし。だから、それらに関しては大丈夫」

「では、何に関しては大丈夫ではないんですか?」

「わからない。でも、どこかが大丈夫じゃないのはわかる」


 イズモは俺の傍に腰掛けると、優しく頭を撫でてくる。


「良かったです。少しでも大丈夫ではないところがあって」

「イズモってそんな性格悪かったっけ」

「そうかもしれませんね」


 小さく笑いかけてくるイズモ。

 ……ああ、今回はそう来るのか。

 そうでないことくらい、わかっているくせに。

 俺の中にまだ、人が死んで、家族が死んで、大丈夫ではないところがあって安心しているくせに。

 まだ俺が人であることを喜んでいるのだろうに。


「それで、何かあった?」

「はい。先ほどお医者様がいらして、正式におじい様の死亡が確認されました。葬儀の準備と並行して、次の当主を決めるそうです」

「そう」

「その際にノーレン様を呼び戻すそうですが……」

「会う前に帰ろう。何をしでかすか、わかったものじゃない」


 当然、俺が。

 故郷のトロア村に重税かけたり、余計な徴兵行ったり、そんな奴の前に出たら一発殴る程度じゃ収まらない。


「わかりました。では、話してきますね」

「頼む」


 立ち上がり、小さく手を振ってイズモは出て行った。

 俺は倒れ込んだまま深呼吸を何度か繰り返した後、勢いをつけて体を起こす。

 とっとと帰るとしよう。



☆☆☆



 クロウド家を出ると、イズモとヤマトは先に戻っておくように頼み、俺は一人トロア村へと向かった。

 空飛ぶ布でできる限りの速度を出し、家族の墓の前に降りた。

 そこには二人の先客がいた。ネリとアルバートだった。二人は俺に気付くと手を振ってくる。


「兄ちゃん、どうだった?」

「じいさんなら死んだよ」

「そっか」


 ネリの短い返事。アルバートは少し悲しげな表情を浮かべていた。

 俺は墓の前に腰を下ろすと、手を合わせて目を閉じた。


「……ネリはさ、死ぬことをどう思う?」

「どうしたの、急に」

「んー……まぁ、じいさん死んだし、家族の墓の前だし」

「そうだね。……あたしは少なくとも絶望ではない、かな」

「へぇ」


 ネリの答えに、俺は思わず声が漏れた。


「どうして? 死ねば、終わりだよ」

「そうだけどさ。人は結局死ぬじゃんか。……いや、イズモさんとかよくわかんないけど」

「イズモは……どうなんだろうな。でもまぁ、不死身ではない」


 寿命はないのかもしれない。けれど、イズモの両親も叔父も死んだ。吸血種といえど、完璧な不死身ではない。死は存在する。


「あたしは死ぬまでに何をしたいか、何ができるか、何をしたか、何ができたか、ってのを誇って死にたい。死んで、それで――」

「来世も繰り返す、と」

「そう」


 ネリは小さく笑う。

 何がしたかった。何ができた。たぶん、似たようなことを死ぬ間際に誰しも考えるようなことだろう。

 じゃあ、前世の俺は。

 何がしたかった? 何ができた?

 そして、今世の俺は。

 何がしたい? 何ができる?

 今世の俺は、前世でできなかったすべてをしたい。前世でしたかったことがすべてできる。


「……そうか。そうか」

「なに?」

「この感情は、希望か」

「希望?」

「死は終わりであり始まり、絶望であり希望である。って誰しもが言う言葉。それをちょっとだけ理解できたかな、てね。絶望に満ちた希望ってのも、悪くない」

「じゃあ、誕生は希望に満ちた絶望かな?」

「それも面白いだろ」


 俺とネリは同時に小さく笑っていた。

 感性が似ているのだろう。死生観が似ているのだろう。


 何はともあれ。

 じいさんは死んだ。家族もとっくにいない。

 この世にたった二人。それでも絶望はない。

 だって、二人もいる。

 それに自分たちを想ってくれる人もたくさんいる。


 誕生は希望に満ちた絶望、か。

 その絶望はきっと死に近づくにつれ大きくなり、やがて逆転して死が絶望に満ちた希望となるのだろう。

 どちらが大きいか、あるいはどちらがより身近に感じるか。


 少なくとも今の俺は、俺たちは。

 絶望を感じずに生きていられる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ