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メイジ オブ Mage  作者: 水無月ミナト
番外編 夢見る魔導師
144/192

暴君と魔導師

 まだ建国宣言をして間もない頃。

 魔導師の実力を疑う輩は多く、国ではなく領主としての小競り合いが頻繁していた。

 相手はデトロア王国を筆頭に、ゼノス帝国、ユートレア共和国、ドラゴニア帝国が続き、あとは小国だ。

 デトロア王国はごたごたの後に王が交代したばかりで、王権が強くないために公爵どもが粋がっている。

 ゼノス帝国は隙あらばとって食う、というスタンス。

 ユートレア共和国は戦闘民族が戦場を求め、あわゆくば乗っとろうと。

 ドラゴニア帝国は龍帝が放任主義なので、こういったことは良くある。

 ただ、それらはまだできたばかりの魔導国家にはかなり厳しく、寝る暇もないほどの忙しさだ。

 ――主に俺が。


 魔導師は政務の経験が、俺含めほぼ皆無なのである。

 そのため、各国から顧問を呼んで手伝いや教えを受けながら進めているものの、やはりスムーズにはいかない。

 顧問にはアレイスターがよく来てくれるが、彼だっていつまでもカラレア神国を放っておける立場ではない。ただの俺への義理としてよく来てくれているだけだ。

 他は海皇が選抜してくれた人を送ってくれるが、アレイスターに比べればなかなか信頼できず、進みは遅い。

 加え状況を厳しくしているのは、皆が皆勉強熱心というわけではないこと。

 ――主に俺以外が。


 各国への行き来を楽にするため、転移魔法陣の改良も行っている。

 しかし魔法陣というものは数学を必要とするようで、この世界の数学のレベルなど高が知れている。よくて中世末期程度。

 アレイシアの力を借りて前世の世界――より詳しくは日本との繋がりを作り、書物だけでもと引っ張り込んでいるが、日本語を理解できるのは俺だけ。

 魔法陣の専門家と豪語するノエルに教えてはいるが、あまり芳しくないのは明らか。

 ――主に俺の仕事になった。


 その他諸々、やる気がないとは言わないが、俺よりも働いている奴はいるのかと疑いたくもなる。

 だが、それでも文句は言えない。

 言わばこの国は、この国の目指すものは俺の目的やエゴから始まったものであり、彼らを巻き込んだのは俺だからだ。


 だから、文句を言うつもりは――ない。



「ネロ、またデトロアの方から軍船が来てるらしいぞ」

「またか……これで何度目だ……」


 廊下を歩いていたところに、グレンに声をかけられ、そんな報告を受けて唸った。

 グレンは海軍の統括を任せているドレイクから伝えるように言われたのだろう。

 デトロア王国からやってくる軍船は、多くがオルカーダ公爵のものだ。軍出すのもタダなわけがない。あいつはこんな国を相手に何がしたいんだ……。


「外輪船を五隻出させて欲しいとのことだ」

「ん……あ、いや、黒船を五隻出せ」

「黒船を?」


 黒船は、いわば鉄鋼船だ。この世界の文明では到底動かせやしない。それは魔法があろうとも、だ。

 しかし魔法で動かせなくとも、応用すれば可能だ。蒸気機関を魔法で再現してやればいい。とはいえ、この方法はチートだ。産業革命を起こすにはそれなりの段階が必要だし、踏むべきだとも思っている。

 なので、これら科学の力はこの国だけに秘匿しておくつもり。鉄鋼船だってあまり出したくないが、何度もちょっかいを出されればさすがに我慢ならない。


「船もいくらか沈めて構わん。先に手を出してきたのは向こうだ。黒船もオルカーダ領の沖合に何日か停泊させろ」

「だが、それは戦争になるのではないのか?」

「ならねぇよ。なったとしてもせいぜい公爵が二、三個束になる程度。王主導でなければ切り抜けられる」

「しかし……」


 ――ピシッ。


「グレン、俺は忙しい。何度も何度もちょっかい出されると鬱陶しいし、ここらで黙らせておきたいんだ」

「…………」

「報告、頼むぞ」


 俺は大きく息を吐きながら振り返る。

 まだデカい案件が残っている。それは国内の不穏分子。どうもどうやら反乱でも企んでいるようで、動きがきな臭いのだ。

 外も大事だが、今は内側を安定させたい。そのためなら、威圧行為も辞さない。

 また色んなとこからとやかく言われるんだろうけど……適当に煙に巻いてやるさ。


 角を曲がり、グレンから見えなくなったところで、俺は肩から壁に寄りかかった。

 立ち止まっている暇はないし、今は少しでも時間が惜しい。けど、様々な心労や気苦労で精神がなかなかやられてしまっている。


 ……今も、心の内側から声が聞こえてくる。


『――なぁにまどろっこしいことしてんだよ』

「……うるせぇ」

『もっと簡単な方法があるだろ?なんで使わねえ?』

「それこそ、戦争が起きるだろうが」

『甘ぇんだよ。それに、魔導師が揃ってる。何を怯える必要がある?』

「怯えてなんかいない」

『いいや怯えてる。今だってそう――この俺に』

「…………」

『心を強く持てよ?でないと……乗っ取られるぜ。今も後ろから――』


 告げられた瞬間、反射的に背後へ向かって殴りつけていた。


「っと、危ない」


 誰かが俺の拳を受け止めた。

 ハッと我に返って振り向くと、そこにはアルマが俺の拳を掴んで立っていた。


「す、すみませんアルマ姉」

「大丈夫だよ、このくらい」


 慌てて手を引き、頭を下げる。

 アルマは俺の顔を覗き込みながら、心配そうな表情を浮かべる。


「すごく深刻な顔してたけど……ネロの方が大丈夫なの?」

「……ええ、大丈夫ですよ」

「そう?」


 視線をアルマから逸らしながら、そう答えるので精一杯だった。

 でも、嘘じゃない。まだ……大丈夫。

 胸に拳を当て、そう暗示する。

 まだ大丈夫だと、壊れていないと。

 まだ、まだ……うまくやれている、と。


 アルマは笑みを浮かべて、俺の肩に手を置いてくる。


「何かあったら相談してよ? 姉って呼ばれるくらいなんだから、頼ってくれていいんだから」

「……ありがとうございます」


 俺は、アルマの顔を上手く見ることができなかった。

 不自然に顔を俯けたまま、不自然な笑顔を浮かべるのが、限界だった。

 肩に置かれた手に少しだけ力が込められる。


「ネロ――」

「俺よりもグレンを気にしてください」


 何とか顔を上げ、それでもまだ上手く笑えている自信はないが、そう答えた。

 実際、俺よりもグレンの方が危なっかしい。あいつは独断専行が過ぎる時もあれば、凝り固まった思考で反対することしかしないこともある。


「俺にはイズモたちもいますし、大丈夫ですよ。それと、申し訳ありません。休みを上げられなくて」

「ううん。今は大事な時期だし、仕方ないよ」


 ――パキッ。


 ……仕方ないよ、か。

 その言葉は意外なほどに重かった。どこかで休みを望んでいると、そう示されたようで。

 今はアルマの浮かべている苦笑すら、俺にはキツいものがある。

 それを察したのか、アルマが真剣な表情に戻した。


「……ネロ」

「まだ仕事が残っているので、失礼します」


 これ以上一緒にいれば、どうなるかわからない。

 だから、俺は少し強引にでも、その場を切り上げて逃げるように歩き出した。



☆★



「どうした、アルマ」


 ネロが去ってもその場を動けなかったアルマに、ガルガドは後ろから声をかけた。


「お父さん……」

「今のネロか? なんかあったか?」

「特別何かあったわけじゃないんだろうけど……」


 アルマの心配そうな表情にガルガドは気づき、嘆息を漏らした。


「お前ら、ネロに頼り過ぎてねぇか?」

「……そうかも」

「あいつはあれで案外脆い。それを支えてんのは、目的と、理解者であるガラハドの存在だった。二つしかないが、それでももっていた。けどガラハドは死に、今は一つしか支えを持ってない。そこにお前らまでのし掛かれば、簡単に壊れるぞ」


 ガルガドの言葉にアルマは俯く。

 先ほど、アルマはネロに頼れと言った。だが、振り返ってみれば、頼り切っていたのは自分の、自分たちの方でしかなかった。

 ネロはそのことに何も不満を述べていない。支えを失って苦しいのは、ネロの方だというのに。


「まぁ、慣れない仕事ばっかで誰かに頼りたくなるのも仕方ねぇが、何もネロ一人しか頼る相手がいないわけじゃねえんだから」

「そう、ね。ならお父さんに頼ればいいの?」

「軍事関連は、な。商業関連はホドエールがいる。外交はもうネロしかいねぇが、それでも全部頼るよりなマシなはずだ」

「わかった。今度、みんなとも相談するよ」

「そうしてくれ。今ネロが倒れれば、国も共倒れだろう」


 ガルガドの推測は、きっと正しい。

 今ネロがいなくなれば、誰もが動揺して機能しなくなる。そうなれば、必然国も倒れてしまうだろう。


 しかし、事態はガルガドの予想を上回る方向へと転がってゆく――。



★☆



 部屋の中から言い争う声が響いてくる。

 声の主はグレンとノエル。どうやらノエルの意見にグレンが頷こうとしていないのだろう。内容は途中から聞いていたので詳しくはわからないが、何か建設の問題のようだ。

 予算などは魔導師で協議するが、全体として預かるのはグレン。追加の予算が必要ならばグレンに話を通すようにしているのだが。

 グレンは無駄遣いをするような奴ではないし、使い方にも一定の理解があるので任せたのだが……どうやら固い頭が災いしているようだ。


 俺は嘆息しながら部屋の扉を開ける。


「――治療院は必要なものでしょ!」

「だから予算はもうないと言っている。建てるのは無理だ」

「じゃあ病気や怪我をした人は放っておけっていうの!?」

「そうはいっていない。手頃な物件が開くのを待てと言っている」

「それじゃ今と変わらないでしょ! あそこは小さいから薬品棚やベッドが足りないのよ!」


 うーん。どちらも言っていることは正しいんだけどな。

 正論と正論がぶつかると、妥協しない限り延々続きそうだ。こいつらに限っては妥協を持ち出す気はなさそうだが。


「だから――!」

「はいはいお前らうるさい」


 俺は手を叩きながら二人の視線を誘導させる。


「……ネロ、貴様がどう言おうと」

「だからお前は頭が固いってんだよ。ノエルも目先のもんにとらわれ過ぎ」

「だって……!」

「治療院は立てられん。それとも貴様が金を持ってくるか?」


 ――パキッ。


 ……こいつは、なんでこんな……。


「そんな暇はねぇよ」

「じゃあどうするのよ」

「……ここに作れ」


 指を下に向け、そう答える。


「ここに……?」

「この城なら金はかからない。部屋も余ってるし、広いとこは広い。そこを使えば十分だろ」

「それでは根本的な解決には……」

「少しだけ料金を割高にしろ。命にかわるものはないし、払ってくれる。それで浮いた金が溜まれば治療院を建てればいい」

「……そ、そうね」

「……わかった。その方向で検討する」


 とりあえず話はまとまったか。

 俺は大きくため息を吐き、反転して部屋から出ていく。


「ね、ネロ」


 俺にノエルがついてきて、呼び止められた。

 振り返ると、何やら言いにくそうに視線を泳がせていた。


「……なに?」

「えっとね……その、薬のことなんだけど……」


 薬、っていうと、切れたとかそんなところだろうか。


「発注?」

「じゃなくて……ネロが作ってくれた薬が効かない人も出てきて……」


 ……確か、風邪薬を作ったんだっけ。漢方とかじゃなく、西洋式の化学物質から作ったやつ。

 まぁ、風邪薬にも種類がある。作ったのは……頭痛を抑えるものだったか。


「わかった。今度作っとく」

「できれば早めにお願い。結構数が多くて……」


 ――パキパキッ。


「……とりあえずモートンの薬で間に合わせておいて」

「わかったわ。お願いね」


 ノエルは念を押すように言い、去っていく。

 思わず重い溜息が出てきた。





 夕暮れ時。

 俺はリリーと外交関連の書類を片付けていた。

 この国は七大国を始め、様々な国と同盟を結んでいる。そのため、外交関連となるとどうしても外国語の文になる。

 魔導師もまたそれぞれの国の人とはいえ、ユカリやイズモでは何をしでかすかわからない。

 俺も全ての言語を理解しているとは言わないが、それでも他のものよりは理解力があると思っている。リリーと一緒なのは、リリーは大体の言語を覚えているためだ。読むことに関しても俺よりできる。


 それでも二人はきつい。新興国家のために、貿易やら軍事やらの協定などが大量なのだ。

 読むのに精神は使うし、集中力も切らせない。どんな穴が潜んでいるのかわかったものではない。

 文字を追うのは好きだが、それが外国語となると相当に疲れる。


「……読むのめんどい」

「ネロがそんなこと言うのってすごく珍しいね」

「読書とこれは全然違う……」

「もうちょっとで終わるよ。あと少し頑張ろう?」


 リリーに励まされ、ほぼ机に突っ伏していた体を起こす。

 疲れているのはリリーも一緒だし、俺だけ倒れてるわけにもいかないか。

 一度大きく伸びをし、体を軽く回しながらまた書類に目を落とす。


 と、その時扉がノックされた。

 返事をするとゆっくりと扉が開けられ、ミネルバが入ってきた。


「ネロ、すまないが体調が悪くて……少し早いが上がっていいだろうか?」

「……わかりました。どうぞ病院へ行ってください」

「ほ、本当にすまないっ」


 ミネルバは俺の返事に顔を赤くしながら頭を下げて急いで部屋を出ていった。


 ――パキパキッ。


 勢いをつけて閉められた扉が勝手にしまっていくのを眺めながら、肘をついて手を額に当てた。

 また厄介が増えた……いや、ミネルバのおめでたは喜ぶべきなのだろうけど。まだそうと決まったわけでもなさそうだが。


「ネロ、大丈夫?」

「んー……問題ない」


 顔も向けず、声だけ返す。

 これで……ええと、ミネルバの仕事を分配して……やってくれんのか……?や、たぶんキルラもあんまり出られなくなるし……。

 すげー泣きたくなってきたー……。

 ……今はさっさと協定の確認を済ませてしまおう。


 細く長く息を吐き出しながら、顔を上げる。と、隣から何やら不機嫌オーラが伝わってきた。

 隣のリリーの方を向くと、ムスッとした表情で書類に目を通していた。


「え、何、どした?」

「別にっ」

「俺なんかした?」

「……何にもしてないからですっ」


 何故に敬語。

 だが、何が言いたいかはわかった。


 ミネルバは妊娠したっぽい。対抗心ってわけでもないだろうが、女として羨ましいんだろう。

 俺も別に夜の営みをやっていないわけじゃない。でも、確かに昼間の激務のせいで情けないことに俺の方が先にバテる。というかいつの間にか意識がなかったりする。


 とはいえ、他にも要因はある。

 リリーはダークエルフ。長寿のエルフに変わりはない。長寿の種族は妊娠する確率は低いと言われるし、イズモもほぼ不死、ノエルも人より普通に寿命は長い。

 そもそもの確率が低いのは確かだ。

 が、そんな言い訳したら、さすがに男として最低だ。


 俺は苦笑を浮かべながら、リリーの頭に手を乗せる。


「ごめん。みんな、俺もガラハドの魔力で長寿になったせいで、後回しになってるのは認めるし、悪いと思ってる。でも、やっぱり国の方もやらなきゃいけないし、疎かにできない。今は、もう少しだけ我慢してください」

「…………わかった」


 すごく不服そうに、だけどリリーは頷いてくれた。

 俺はリリーの頭に乗せていた手をゆっくりと動かして撫でてやる。

 不意にリリーが俺の手をすり抜け、いきなり顔を寄せてきた。勢いそのままに、唇と唇が重なる。

 リリーが舌をねじ込んでくるのを受け入れ、数秒だけ絡み合わせる。

 リリーが顔を離すと互いの口から糸が引き、書類に落ちないようすぐに袖で拭う。


「いきなり過ぎ……」

「今夜、相手して……それで我慢する」


 ――パキッ。


「……わかった。明日からは少しだけ控えてよ」

「……うん」


 肩に乗せてきたリリーの頭を、もう一度だけゆっくりと撫でた。





「何これ意味わかんない!」


 ――パキッ。


「つまんないお外行きたい!」


 ――パキパキッ。


「こんなの楽しくないっ!」


 ――バキバキバキバキッ。


「あの、ネロ様? ユカリ様は私が構っておくので、少しお休みになられては……?」

「……や、これくらいはやらせなきゃいけないことだし」

「ですが……最近ちゃんとお休みを取られていないのでは?」


 俺とレイシーは部屋の中で暴れ回るユカリを眺めながら青い顔をしていた。幸い龍化をしないだけの理性は持っているようだが、こいつは何をするかわからないので安心できない。

 いつもなら取っ捕まえて椅子に縛り付けでもするところだが、俺にはそんな元気がもうなかった。


 ユカリには単純な仕分け作業をさせていたのだが、それすらユカリには難しかったようだ。

 これ以外の仕事で、体を動かせて、ユカリにもできる仕事……。最後の条件で、選択肢を大幅に減らされる。


「……遠隔地との連絡係り……いや、大事な手紙なんかを無くされたら困る……送迎くらいなら……ああ、容赦なく恐怖のジェットコースターだな……」

「ね、ネロ様、今日はもうお休みになられてください」

「そんなことできねぇだろ……」

「大事な時期なのはわかりますが、ネロ様の代わりもいないんですよ。倒れられると困りますっ」

「……でも」

「ユカリ様は私がなんとかします。ネロ様はお休みくださいっ」


 レイシーの懇願するような声音に、俺は頭を掻く。

 確かにレイシーの言う通りだ。俺が倒れたら、残った奴で何とかなるとは思えない。疲れているのも、休めていないのも事実。

 ここは無理してでも休むか……休むのに無理するってかなり矛盾してるよな。


 大きく息を吐き出し、俺は膝に手をついて立ち上がる。

 レイシーの言葉に甘え、少し休ませてもらおう。でないと、本当に倒れてしまいそうだ。


「じゃあレイシー、あとよろし――」

「パパ遊ぶっ!?」


 ――バキッ。


「ユカリ様っ!」


 俺の手を取ろうとしたユカリをレイシーが慌てて止めに入る。


「……悪い、よろしく」

「いえ、これくらいしかできないので」


 それでも、俺のことをちゃんと考えてくれているだけ嬉しい。

 レイシーの頭を軽く撫でるように叩き、俺は部屋を出る。


 後ろ手に扉を閉め、座り込みそうになった体を扉に寄りかからせることで何とか持ちこたえる。

 中から不満そうなユカリの声が聞こえてくるが、今はもう構ってやれる元気がない。

 数秒だけ目を閉じて動きを止める。深呼吸で息を吐き切ると、呼吸も止める。

 ぐるぐると訳のわからない思考がずっと回り続けた。


 いつまでこれが続くのかと。

 いつまで俺一人でやらなければならないのかと。

 いつになれば国の運営が軌道に乗るのだろうかと。

 いつになれば皆がまともに動けるようになるのかと。

 もっと良い方法はないのかと。

 ――その方法は思いついているくせに。


「――マスター?」


 ぺちっ、と頬を軽く叩かれる感触で、目を開けた。

 目の前には心配そうな表情をしたイズモが、俺の頬に手を添えたまま目を合わせていた。


「……イズモ?」

「こんなところでどうしたんですか?」

「……部屋に、戻ろうと……」


 ……俺は一体、どれくらい目を閉じたままでいたのだろう?

 感覚がふわふわしている。地に足がついていないように感じる。


「大丈夫ですか? すごく疲れているようですけど」

「うーん……大丈、夫じゃ……ない、かな……」


 思わず本音が漏れてしまった。取り繕うように、変な笑いを浮かべる。

 すると、イズモはごく真剣な表情を浮かべて顔を寄せてきた。その近さと真剣さに、思わず体が仰け反ってしまう。


「……休んでください。今すぐに」

「う、うん。だから、部屋に戻ろうと」

「だったら、すぐに行きますよ」


 イズモに手を掴まれ、引っ張られるように一歩を踏み出した。


「ちょ、ちょっと。ちゃんと自分で歩けるって」

「今にも倒れそうなのに何を言っているんですか」

「や、でも、部屋に戻るくらい一人で……」

「いけません。マスターはすぐに人に頼られるので、誰かに会ったら部屋に戻れませんよ」

「……一番追いかけてくる奴の言葉かね?」

「マスター」


 イズモが足を止め、振り返って顔を寄せてくる。


「私が追いかけるのは、マスターが元気でサボっていると思った時だけです。そこを間違えるほど、マスターと長く一緒にいなかったわけではありません」

「…………」

「今、マスターは本当に疲れています。だから、きちんと休んでください。私に追いかけられるくらいに回復してください」

「……追いかけられたくはないんだけど」


 でも、そうか。

 レイシーだけじゃなく、イズモにもわかるくらい疲れているのか。


 イズモはまた振り返ると俺の手を離さないまま歩き出す。

 俺も遅れないよう、慌てて足を動かす。

 少し歩くと、角から誰かが姿を現した。


「ようネロ、散歩されてんか?」

「なわけあるか――えっ?」


 ニヤニヤと笑みを浮かべて連れられる俺にそう声をかけたのは、思いもしなかった奴で。

 俺は思わずイズモの足を止めさせるほど強引にその場で反転した。

 イズモが抗議してくるが、俺にはそれどころじゃない。


「――ドレイ、ク……?」

「そうだが? どうした、そんな変な顔して」

「なんで、お前ここに……?」

「あん? 報告だよ。つっても、ガルガドにだが」

「いや、だってお前……」


 おかしい。どう考えてもおかしい。

 俺はドレイクに、黒船を出させてオルカーダを威嚇するよう、沖合に停泊するよう命じたはずだ。

 いや、確かに具体的な日数までは指示しなかったが、それでもオルカーダ領近くの海からここまで帰ってくるには、本当に行って帰るだけの日数しか経っていない。


「しかし、お前も甘いな。黒船を二隻しか出さねえなんてよ」


 ――バキバキバキバキバキバキッ。


「何、言って……」

「オルカーダが軍船を出したって報告したら、お前は黒船二隻で追い返せって、これじゃいつまで経っても終わらねえぞ?」


 そんなはずはない。俺は、ちゃんと黒船を五隻出せと言った。いくつか沈めろとも、威嚇しろとも指示を出した。

 ……そういえば、あの時、なぜミネルバがこの城にいた?必要ならミネルバも連れて行っていいと言った。いや、結果的には連れて行かなくて正解だったというか、この城にいて良かったけれど。


「……? どうした?」

「それ……誰からの指示だ……?」

「は? お前じゃねえのか?」

「俺、じゃない……」


 俺じゃない。ガルガドでも、そんな甘い決定はしない。


 だったら――。


「だったら――」


 確かに俺はドレイクに直接指示を出さなかった。報告を受け、そして決定を伝えるように頼んだ。


 頼んだのは――。


「――グレンか?」





「――グレンッ!!」


 俺はついていたイズモを置き去りにして、グレンのいる部屋を勢いよく開け放った。

 そこは議会を開く部屋であり、今に限って他の魔導師たちも勢揃いしていた。


 グレンは突然入ってきた俺に、煩わしそうな目を向けてきた。


「なんだ、そんな大声を出して」

「ドレイクへの指示を勝手に変えただろ!どうしてそんなことをしたっ!?」


 グレンへと詰め寄りながら、先ほど聞いたドレイクからの話に説明を求める。


 グレンは、俺からの指示を一言もなく勝手に変えた。ドレイクが城にいたのはグレンから追い払った後すぐに帰投するように言われたからだ。

 ドレイクも不審に感じたらしいが、俺に話が通っていると思い、その指示に従った。

 これでは意味がない。黒船を出したせいで、出費が嵩んだだけだ。


「黒船を五隻も出せば金がかかる。加え威圧行為も、下手をすれば戦争になる」

「ならねえって言っただろ! デトロアも代替わりしたばかりで、全面戦争はあり得ない!これじゃ黒船の意味がないんだよ!」

「意味ならあるだろう? あの船を見てまだやろうと思う奴などいない。事実軍船は引いた」

「いいや違う! 中途半端な威嚇のせいで、奴らに希望を持たせたんだ! 撤退じゃない、次は仲間を集めてまた攻めてくるっ!」

「……そうだったとして、それがなんだ?

「なんだ、って……」


グレンの無関心さに、思わず足が一歩下がる。


「全面戦争はあり得ないのだろう?」


 ――違う、そうじゃないっ!

 そうじゃないだろっ!?


 全面戦争はあり得ないとしても、無駄な出撃回数が増えるだけだ。

 軍を出すのだってタダじゃない。それは、こちらにも言えることだ。黒船を一度出すだけでも、外輪船の数倍はかかる。

 これでは意味がないのだ。外輪船を出すのと、ほとんど一緒だ黒船の意味がないっ!

 そのくせ今まで秘匿していた戦力を、わざわざお披露目しただけで終わっている!

 こちらが一方的に損をしただけだっ!


『ははははははっ! 相ッ変わらず馬鹿過ぎて笑いが止まらねぇ!』


 ……うるさい。


『本当にこいつに国の財布預けて大丈夫かよっ! 俺なら絶対にしないね!』


 ……うるさい!


 俺は胸のあたりを握り締め、声を止めようとする。

 だが、そいつは、俺の内側は、決して黙ろうとしない。


『他の奴もそうだ! こんな奴らに国なんか任せられねえ!』


 それでも、少しずつでも彼らにやらせなければならない。

 独裁は長く続かない。歴史が流れれば必ず倒れるのが王政だ。だからこそ、いろんな視点から見られる議会制が現れるのだ。

 最初から上手く行くなんて思っていない。この国にいる奴らは政治に関してど素人。そんなのわかっていた。


『……だからって、テメエ一人に頼るようじゃ、どうせ長く続かないっての。そら、赤色が何か言いたそうにしてるぞ?』


 その言葉に、俺は顔を上げてグレンを見た。


「そんなことよりも」


 ――そんな、こと?

 俺が、俺の主義を曲げてまで衝突を最小限にしようとして。

 それをお前が勝手に指示を変えたせいで全部台無しになって。

 それで、また打開策を考えないといけない問題なのに。


 一言で片付けられてしまう、失敗なのか。


 ――バギッ!


「国内の反乱分子についてだが……ネロ?」


 グレンに問いかけられ、でもどうしたらいいかわからずに両手を顔にやる。


「……少し調子が悪いようだが――」


『賭けたっていい! 宣言しよう! テメエは次の言葉で、心が完全に砕け散るっ!!』


 ――ああ、そうだ。俺はもう限界だ。

 だから、だからお願いだから。

 言葉を間違えないでくれっ――!


「――ちゃんと休めよ。疲れて倒れられてはこちらが困る」


 ――――バギャッッ!!


 ……心の壊れる音ってのは、こんな音なんだろうか。それはひどく、ひどくあっさりと響き、反響を繰り返した。


『あっはははははは! 良い音色が響いたなっ!』


「ネロ、反乱分子だが――」「それ終わったら、ネロこっち来て」「パパー?」「ネロ。報告があるのだが」「ネロ」「ネロ」「この書類どうしたらいい、ネロ」「パパーお外行きたいー」「ネロ」「ネロ?」


『聞いてるか聴こえてるよな聞いてるよなこの大合唱っ! だぁれも自分で考えようとしねぇ! こんなのお前の独裁と何が違うっ!?』


 …………。


『これのどこに色んな視点がある!? いや、確かに存在するさ! 独善的で目先の物しか見えねえ視点がっ! 俺はそんな視点を必要としたくないがなっ!?』


 …………。


『いい加減諦めろっ! いい加減気づけっ! こんな奴らに頼るだけ無駄だッ!!』


 ……もう。


 ……もう。ヤダよ。


 このまま座り込んでしまいたい――。


「どうした、ネロ?」


 グレンの言葉に、俺は顔から手を離し、持ち上げる。

 その際、頬を何かが伝う。誰かのためじゃなく流れたそれは、ひどく滑稽に思えた。


「グレン。俺はもう――疲れたよ」


 笑みを浮かべてそう告げるのが、精一杯。


 俺は、膝から一気に崩れ落ちてしまった。



☆★



 イズモがネロの後を追い、部屋に入った時には既に遅かった。

 ネロは顔に当てていた手を離し、グレンへと笑いかけた。その笑顔はとても綺麗過ぎたゆえに、どこまでも歪に見えた。彼の頬を流れた涙を見たのは、いつ以来のものだろうか。

 もしかしたら、自分のために流した涙をみたのは、初めてかもしれない。


 イズモは急いでネロの元へ駆け寄ろうとした。だが、それよりも早く、ネロはゆっくりと告げた。


「グレン。俺はもう――疲れたよ」


 その言葉を最後に、ネロは糸が切れた人形のように、前へと倒れこんだ。

 周りがいきなり倒れたネロに慌てる中、イズモはそばに膝をついて抱き起こす。


「マスターっ!?」


 声をかけ、体を揺さぶるも、ネロは返事をしない。

 体を揺さぶっているうちに気づく。軽すぎる、と。ネロは成人男性としては痩せ型だったとはいえ、これは軽すぎる。


 何が原因かなど、明白だった。


「おいネロ! どうした!」

「か、回復魔法っ? それとも薬っ?」

「ちょ、え、ネロっ?」


 皆が皆慌て、まともな判断ができない。

 そこにまた一人、扉を開けて中に入ってくる。


「ふんっ!」


 ガルガドは、ネロの周りにいた魔導師たち全員に、遠慮なく拳骨を落としていった。

 全員、遠慮ない軍人の拳骨に、頭を押さえて低く呻き声を上げる。


「なに、しやがる……っ!」


 グレンが涙を浮かべて、ガルガドを睨みつけた。


「お前らネロが倒れた理由はなんだ?」

「……っ、こいつの自己管理不足だっ」

「……本当にそう思ってんのなら、お前は抜けた方がネロのためになるぞ」


 グレンの答えに冷たく返しながら、ガルガドはネロを肩に担いで部屋を出て行く。その後を追い、イズモも部屋を出た。


「あの、マスターは……」

「過労だろう。少しすれば起きるだろうが、このままずっと同じとはいかねぇぞ」

「はい……もう少し早く気付けていれば……」

「気付いて、どうする?」


 俯き気味に言ったイズモに、ガルガドは容赦しなかった。

 ガルガドは歩を止めず、一瞥だけくれて口を開く。


「気付いたところで、お前らがこいつに頼り切っていたら繰り返すぞ。そのうち死ぬ」

「…………」

「こいつが一番無茶してんだから、お前らも少しくらい無茶しても構わねえはずだ。そう、特にグレンに伝えとけ」

「わかりました。……申し訳ありません」

「謝るなら、こいつにな」


 やがてネロの部屋へと着き、ガルガドが担いでいたネロをベッドに放り込む。後はイズモに任せ、ガルガドは退室した。

 イズモはネロをきちんと布団に寝かせ、ベッドのそばに椅子を持ってくると、ネロが起きるまで待つことにした。



★☆



 ゆっくりと意識が覚醒していく。目を開ける。どうやらベッドに運ばれたらしい。

 布団の中でゆっくり手を開閉させる。

 ……口端が吊り上りそうになるのを必死に抑え込む。


「あ、起きましたか?」

「……ああ」


 脇からイズモの声が聞こえ、返事をする。

 体を起こしながら、気配で魔導師が全員この部屋にいることに気付く。

 これはこれで好都合だ。


「……え、あの、マスター?」

「何?」

「髪が――」

「全く、心配させるな」


 イズモとの会話を遮り、グレンが割り込んできた。

 腕を組み、ちっとも悪びれた様子のないグレンに、俺は苦笑を返した。


「すまない、心配かけて」


 布団から出て立ち上がり、彼らを睥睨する。

 グレンだけでなく、全員が素直に謝った俺を驚いたように見ていた。


「もう、心配はいらないよ」

「そ、そう? なら良いんだけど……」


 ノエルが気遣わしげに言ってくる。

 俺は彼らに笑みを浮かべたまま、告げる。


「これからはすべて俺がやるから」

「……へ?」


 告げた言葉が理解できないのか、変な声を上げるノエル。

 ノエルだけでなく、他の者も呆けた表情を浮かべていた。

 だから、もう少し詳しく、付け足してやる。


「絶対王政も何とかなんだろ、この国なら。ホドエールと結べば資金はどうにでもなるし、軍事力も黒船があり、俺がいれば問題もない。不穏分子もとっとと片づけるか。少し疲れるが、結界張ればアジトなど簡単に見つかるだろう。他の国がうるさいかもしれないが……適当に言い包めればいい。とりあえず国民どもに宣言しなけりゃな」


 脱がされていたローブを掴み、羽織りながら扉に手を掛ける。

 まだ言っている意味がわからないのか、皆動きもしない。

 一人だけ、イズモが座っていた椅子から腰を浮かして呼び止めてくる。


「ちょ、ちょっとマスター……?」

「お疲れさん。もうお前らは、必要ないよ」


 振り返り、笑みを浮かべて。


 俺は、彼らを斬り捨てた。



☆☆



「ネロッ!」


 城の展望テラスにて国民を集め、王政への移行の宣言のために演説していると、入り口が勢いよく開かれグレンが入ってくる。それに続いてイズモたちも姿を現した。

 随分と力を込めたのか、テラスの扉のガラスがいくらか割れる音を響かせた。


「グレン、城を壊すな。修理にも金がかかるんだぞ」

「うるさい! 一体どういうつもりだ!?」

「どうも何も……」


 俺は演説を中断し、体を反転させて彼らの方へ向く。


「俺が一人でやった方が、よっぽど効率的だと思っただけだが」

「ふざけるな! 貴様が魔導師全員で国政を行うと言ったのだろう!」

「ああ、悪い。それ撤回するわ」


 軽い調子で返すと、グレンが憤怒の形相で詰め寄ってきた。


「貴様……ッ!」

「ちゃんと言うことを考えてから口開こうな?」

「……ッ!」


 グレンが拳を振りかぶる。その手を、慌ててアルマが掴んで制す。


「待ってグレン! ここじゃ国民に丸見えでしょ」

「あっはは。まるで国民に見えなければ良いみたいな言葉ですね」

「……ネロ」


 グレンだけでなく、アルマも俺を睨んでくる。

 それに対し俺は、ただ笑っている。

 テラスの手すりに腰掛けながら、俺は一息つく。


「俺が一人でやった方がいい理由を、ちゃんと説明しようか」


 ちょうど演説でも、そこに差し掛かっていたところだし。


「そもそも魔導師による議会制にしたのは、いろんな意見を求めるためだ。いずれは国民にも参加してもらうつもりだが、とりあえずは魔導師でどれくらい回るか試すためのものだった。

 だが、ふたを開けてみればどうだ? お前ら全員、俺に意見を求めてくるじゃないか。そこにいろんな意見ってのは、ない。俺一人の考えしか、なくなってしまった。これですでに、議会制は破たんしている。加え、政務についても俺がいなければほぼ回らない。複数人にした意味が、ここでもなくなっている」


 今のところは、全員大人しく聞いてくれているようだ。

 次は、一人一人の問題でも指摘して行こうか。


「まずグレン。勝手に命令を変えるな。変えるとしても報告をしろ。何でもかんでも独断でするな。後はその固い頭をどうにかしろ。

 次にミー姉。あなたもちゃんと報告を行ってください。突然のことは仕方ないにしても、こちらにも予定があります。それくらい、理解してください。

 次リリー。変な張り合いは捨てろ。少しは周りを考えてくれ。優先順位を理解してくれ。

 そしてアルマ姉。発言に注意してください。それはこの先も重要なものです。後先考えて発言してください。

 ユカリ。お前は我慢を覚えろ。ちゃんと状況を理解しろ。もうそんな歳でもないだろうが。甘えるな。

 ノエル。何でもかんでも新しいものに頼るな。従来のもので対応できるものを無理に変える必要はない。特に俺の作る薬には副作用がある可能性も高いんだ。

 最後にイズモ。お前は俺を追いかける前に、自分でやることをすべてやってからにしろ。人を構う前に自分のやるべきことをやり終えろ」


 指差し説明してやったが、まだまだ言いたいことはある。彼らを前にすれば、なおさら。

 だが、とりあえずはこのくらいにしておこう。こちらも時間が惜しいのだし。


「わかったら、大人しくしといてくれよ」

「……あなた、マスターじゃないですよね?」


 突然、イズモがそう指摘してきた。

 俺はそれに、やはり笑みしか見せない。


「……だったら?」

「今すぐマスターに戻してください」


 一歩詰め寄るように、イズモが強く言ってくる。


「い、イズモどういうことなの……? あれはネロじゃないの?」

「はい。マスターではありません。あの人は……」

「気付かねえとネロが不憫だぜ。俺は――」


 黒い、いやネロは黒よりさらに暗い、暗闇と言っていたか。その色をした髪を掻き揚げる。


「――T-REXさ」


 その宣言に、イズモが、イズモだけがきつく睨みを向けてくる。

 イズモだけが、今の状況を良く理解していた。

 他の者たちはこの意味がわからずに、ただ茫然としているだけ。


「……今すぐマスターに体を返してください、レックス」

「おいおい心外だな。誰のおかげでカラレア神国が上手くまとめ上げられたと思っているんだ?」

「マスターです。あなたでは、ありません。戻してください」

「残念だが無理だ。あいつは、もう座りこんじまった。膝を抱えて部屋の隅で縮こまっているよ」

「そんなはずありません!」

「そんなはずがあるから!」


 理解しようとしないイズモに、俺は怒鳴り声を上げた。

 俺もまた、イズモと同じように怒った表情を浮かべている。


「良いかよく聞けッ! お前らがネロに頼り切るから、あいつは膝をついた! 折れなかったその心に、お前らがトドメを刺した! あいつも、お前らがもう少ししっかりしていれば俺を認識する必要はなかったのだ!!」


 元来、俺はネロが作り上げた実体のない存在だった。ジキルハイドのように分裂した人格ではなかったのだ。俺はネロの、ただの一部に過ぎなかった。

 だが、ネロは少しずつ苦しい部分を切り離し始めた。心が折れそうになったとき、その折れそうな部分を切り離して核を守った。

 ネロは賢かった。ネロは有能過ぎた。ネロは万能過ぎた。

 それゆえに、無能な部分、万能ではない部分が溜まり始めた。厄介なのは、そこにガラハドの魔力もまた溜まっていたこと。


 溜まり続けた心の暗黒面は、やがて人格を欲した。

 そこに都合よく、レックスという部分が落ちてきたのだ。


 心は人格を取り込み、そしてレックスという別人格が生まれた。

 生まれてしまった。


 一つの体に二つの人格。

 普通はありえないのに、ガラハドの魔力の影響により、ありえてしまった。

 少しずつ意思を持ち始めた俺は、体を欲するまでそうかからなかった。


 その時、ちょうどネロの心が折れそうなのを見た。

 だからちょっかいを出した。

 上手くいけば体を乗っ取れると。


 だが、俺はどうしようもなくネロの一部でしかなかった。

 ちょっかいは出せても、挑発はできても、扇動が可能だったとしても。

 核を持つネロには、太刀打ちなどできようはずもなかった。


 その核を折ったのは、他でもない彼らなのだ。


「お前らがネロを殺したのだッ!!」


 ここまで折れた心が復活するのは、さていつになることやら。

 普通なら廃人にでもなるところだが、有能なネロにはレックスという別人格が存在していた。


 そうして俺たちの立場は、今この時逆転しているのだ。


 荒らげた声を戻すように、一度深呼吸をする。

 肺に溜まった空気をすべて押し出すように吐き、彼らへと向き直る。


「……わかったら、お前らは邪魔だ。大人しくしていろ」


 そう告げて、演説の続きをしようと、反転する。


「無理だってんなら――」


 背後から、誰かが襲いかかる気配を感じる。

 どうせグレンだろう。奴以外に、咄嗟に動ける奴はいない。


「――強制退出だ」


 半身だけ振り返りながら軽くつま先で床を叩く。

 瞬間、足下に魔法陣が展開する。


「なッ……!?」


 魔法陣が一際強く発光すると同時に、転移魔法が発動する。


「レックス――!」


 イズモが精一杯腕を伸ばしてくるが、俺を捕らえる前に、転移魔法で姿を消した。


「……フン」


 もう一度外へと体を向け、今度こそ演説の続きを行った。



☆☆



「……ネロ」

「ネロじゃない。レックスだ」


 国の運営をしていく上で、使えそうな奴を集めて話し合いを行っていた。

 誰を集めたかは、まぁ、ガルガドやドレイク、リリックら、ネロが魔導師以外で頼っていた者たちだ。ただ、その中にカラレア神国の連中は入っていないが。


「……レックス。先に言っておくが、オレたちは、少なくともオレはお前を信用していない」

「構わん。俺は、ネロがいない間の埋め合わせだとでも思っておけ」

「そのネロは、いつ帰ってくる?」

「…………」


 なかなか痛いところを突いてくるな。

 とはいえ、そんなことを俺に訊かれても正直、俺にだってわからない。

 俺は確かにネロではあるが、ネロが切り離したレックスという別物なのだから。


「わからない。だが、当分は戻ってこない。一度ついた膝を、折れた心を、あいつが治す気が無ければ、一生戻らない」

「そうか。わかった」


 ガルガド以外の者も、各々納得したように頷く。


「だが、ネロがいない以上、ネロの埋め合わせだという以上、あいつの意と沿わないことをするようなら、全力で止めるぞ」

「……どうぞお好きに」

「あたしは別に今のままでも構わねえけどな!」


 リリックは本当に細かいことはどうでもいいというように、金が稼げればいいというように、威勢よく言う。


「でもま、一応あいつの計画は聞いてた。だから、それに沿わせてもらう」

「……それで構わん」


 信頼され過ぎだろ、ネロ。

 お前は、どうやってこんな曲者ぞろいを従えているんだ……。

 そう思うと、自嘲気味な笑みが浮かんだ。顔を俯けて、周りには見せないようにした。


「さしあたってはデトロア王国オルカーダ公爵家の反撃に対処するぞ。お前らの信頼するネロの言う通りならば、オルカーダはもう一度戦力を集めて攻めてくる。その出鼻をくじくぞ。黒船五隻、ついでに俺も出る。敵の船を三分の一は減らす。外輪船も何隻か出し、面倒だが人命救助も行うとしよう。これで、ネロの意には沿うだろう」


 自分で発案しておきながら、思わず片手で顔を覆ってしまっていた。

 一体、俺はどこまでネロに縛られなければならないのだ。無の魔力と対等の位置づけをされる暗闇の魔力を持っていながら、今の主導権は俺にありながら、こいつらがネロを頼っているからといって。

 どこまでネロの作ったレールを走らなければならないのだ。


「……それ、兄ちゃんの代わりにあたしが行く」


 と、ネリがそんな提案をしてきた。


「あ?」

「だって、それくらいあたしで十分でしょ? 兄ちゃんは国内の方を片付けておいてよ」


 それくらいってお前……さすが妹だな……。


「反乱が起きそうだって言ってたじゃん。その時に兄ちゃんがいないと困るんじゃないの?」

「それくらいなら通信水晶で……」

「ま、確かにネロが出るほどじゃねえよ。ネリもいらねえくらいだ。海のことはオレに任せろ」


 ドレイクもネリの案に乗っかるように言ってくる。


「……はぁ。わかった。そっちはドレイクとネリに任せる。元から魔導師を乗せる予定だったんだから、ネリが必要になるんだろう」

「そうかい。じゃ、さっさと行ってくるわ」


 ドレイクとネリを送り出し、残った課題である国内の不穏分子について話す。

 と言っても、俺の中ではどうするか既に答えは出している。


「アジトは結界を張って探し出す。ガルガドは兵を集めておけ」

「分かったが……どうするつもりだ?」


 その質問に、俺は、やはり笑みを浮かべて答える。


「俺は、T-REXだぜ?」



☆★



 甲板の上。

 ネロ――レックスに言われた通りに、黒船五隻を引きつれ、海軍総督としてドレイクは出港していた。

 その彼についてきたのは、ネロの妹のネリだ。


 ドレイクは一緒に乗っているそのネリを見る。

 ネリは、剣を抱いて真っ青な顔をして座り込んでいた。


「……なぜついてきた?」

「話しかけないで……」


 船酔いだろう。だが、黒船の安定性はそれまでの木船よりも格段に高い。おかげで海に慣れていない、ネロの国で集めた新参の船員たちも問題なく船上で動けている。

 だというのに、ネリはグロッキー状態で動けそうにない。

 確かに出港前にガルガドより注意は受けていた。船に酔いやすいとは聞いていた。だが、ガルガドも黒船の安定性を知ったうえで、大丈夫だろうと判断していた。


「ネロも酔いやすいとは言っていたが……」


 初めて会ったときは、そんな様子をおくびにも出さ無かった。いや、あの時は既に出港してそれなりの日数が過ぎており、慣れていたのか。それとも、お得意の演技だったのか……。


「戦闘が始まったら、治るから……」

「それもそれでおかしいだろ」


 ドレイクは頭痛でもするように頭を押さえた。

 だが、すでに船は出ており、今更引き返すわけにもいかない。黒船の船速も外輪船に合わせてはいるが、それなりに出ており、陸はもう見えない。


「……これならネロでもよかったんじゃねえか? いや、そりゃお前の意見も最もだがよ……」


 ネロには空飛ぶマフラーがある。あれならば、行き来もしやすく、魔力を込めれば速さも出る。ネロならば国内での反乱が起こればすぐにでもとんぼ返りできただろう。

 そうしなくとも、彼には魔導師をどこかへと飛ばした転移魔法陣もある。どこに繋がっているかは不明だが、術者なのだから転移先など変更や決定もできるだろうに。

 その場合、ネリが城にいた方が戦力的にもよかっただろうに。

 今のこの世界に、黒船を相手にまともに戦える者などどれほどいるか。


 ネリは青い顔をしたまま、虚ろな目でドレイクを見る。

 それから何度か深呼吸をし、気を落ち着かせてから口を開く。


「……今の兄ちゃん、なんか違うだよね。そりゃ、人が変わってはいるけど、そうじゃなくてさ」

「そりゃネロとレックスじゃ、思想も違うしな……」

「ううん。たぶん、考えは同じ」


 ネリの言いたいことがわからず、ドレイクははぁ? と顔をしかめる。


「たぶん、兄ちゃんも、レックスと同じ考えに至ったと思う」

「……考え? 暴君か?」

「反乱を武力鎮圧する」


 その発言に、目を見開いて驚くドレイク。


「そんなことすりゃ……!」

「そ。もっと反乱が広がる」

「ガルガドに伝えた方がいいんじゃねえのか?」

「いいよ。きっとおっさんもわかってる」


 ドレイクには、ネリの落ち着きようが理解できない。

 兄がまたも無茶をしようというのに、どうして平然としていられるのか。


「……あたしは国のことなんかわかんないよ。でも、それって魔導師の人たちもでしょ。兄ちゃんは、手っ取り早く魔導師に支持が集まるようにしてる」

「どういうことだ……?」

「……頭悪っ!」


 ネリに言われてしまった。これには相当のショックを受けるドレイク。

 だがネリはそんなことお構いなしに続ける。


「兄ちゃんが、手荒な方法で反乱を鎮圧する。そうすると、これまでもたついた政治に対する不満も全部兄ちゃんに集まる。それで、魔導師に討たせたら……支持は魔導師に集まる」

「……そんな上手くいくのか?」

「上手くいくよ。だって、兄ちゃんがやるんだもん」

「…………」

「だからさ」


 ネリはいきなり立ち上がると、船首の方へと向かう。


「あたしは、あそこにいても邪魔になる。たぶん魔導師の人たちと同じように、どこかに飛ばされる」


 ドレイクもネリの方、船の先を見て、敵影が微かに視認できるところにいることに気付く。


「だから。あっちは兄ちゃんに任せて、あたしは好きなようにさせてもらうんだッ!」


 ドレイクが船員たちに指示を飛ばす中、ネリは船首にかけた足を勢いよく蹴り飛ばした。



★☆



 ドレイクとネリが出港してから数日。

 彼らからの定期報告を受け、一息つく。


「お疲れですか?」


 飲み物を持ってきたレイシーそう訊かれ、俺は頬杖をつく。


「そうでもない、かな。まだ俺は何もしていないわけだし」

「……これから一体何をなさるつもりですか?」

「ネロの考えは読めても、俺の考えは読めねえか?」


 からかうように、レイシーに笑いながら問い返す。

 レイシーはネロに関して、異常な察しの良さを見せてくる。


「ある程度はわかっているつもりですが……」

「そっか」


 そうだよな。結局、俺もネロに変わらないわけだし。

 わかって当然だろう。


「あの……」

「レイシー」


 俺はレイシーに向けて、ある小物を指で弾いて渡す。

 宙を舞うそれに気を取られ、レイシーが慌てて受け止めようとする。その隙に、俺はつま先で床を叩く。


「ばれたら困る」


 笑みを浮かべながら、そう告げる。

 そして魔法陣が展開され、すぐに強く発光した。


「レックス様――!?」


 困惑した表情のまま、レイシーが転移されていく。


「レックス様、か……優しいねぇ」


 頬杖はついたまま、薄く笑みを浮かべたまま。

 レイシーの言葉に、低く笑い声が漏れた。が、それもすぐに消える。


「……これで、もういないかな」


 ガルガド、レンビア、モートン、リリック、レイシー等々……。

 とりあえず邪魔そうなのは、全部除けたかな。ネリとドレイクは海の上だし、報告の様子ではちょうどオルカーダの戦意を失くしたようで、まだ帰ってくるには時間がかかる。

 前世の記憶にある、未来の猫型ロボットの話を思い出すな。

 気に入らない者を消していくスイッチ。転移魔法陣の展開は、俺にとってそのスイッチを押しているようなもの。

 あの話は確か時間制限でその日の晩には帰ってきたはずだが……はてさて彼らはいつ帰って来るやら。


 今、この城に、俺を止められる奴はいない。

 奴らも動き出している。


 ――この時を待っていたのだ。


「暴政の、お時間です」


 さぁ、皆さん。

 一緒に、嗤いましょう?



☆☆



 暴動の起きている場所は、首都近く。どうやら近郊あたりから首謀者グループは行軍を開始し、街中の民衆を加えながら城へと向かってきているようだ。

 普通なら、いきなり首都なんか狙わず、地方から徐々に勢力拡大していくものだろうに。どんな自信があればあんな場所から行えるというのか。どうせ首都で加わった連中の多くはサクラだろうし、それで流された者を狙ったのだろうか。

 なんにせよ、この暴動はお粗末すぎる。


 その暴動の主張とやらは、どうやら王政に不満があるようで。

 民主主義を唱えているようにも聞こえるが、よくよく聞いて考えてみれば、議会が設立するまでは結局、その首謀者の独裁になるようで。

 そんなものでよくもまぁ、民主主義などと唱えられるものだな。議会なんて適当に人集めて話し合えばできるっていうのに。違うか? 違うな。


 まぁ、どうだっていいのだ。

 奴らの主張など。

 これから、踏み潰すのだから。


「素晴らしいご高説ですね」


 俺は、手を叩きながら民衆の前へと歩いて向かう。

 当然兵を率いている。それが予想外なのか知らないが、民衆が見るからに怖気づいたのがわかる。


「こ、この国の兵は国民に刃を向けるのか……?」

「向けますとも」


 先頭にいた一人が震えた声で、当然のことを聞いてきたので即答した。


「何せ他の国民に危害が加わる可能性がありますので」


 当然、俺には笑顔が張り付いている。


「大のために小を斬り捨てることなど、当たり前でしょう?」

「そんなことをして、国民が納得すると……」

「それはどうでもいいことです」


 国民が納得とか、超どうでもいい。

 今のこの国の在り方を理解していないようだ。


「私が、王だ。この国の王は、私だ。私さえ良ければすべてが良い。私が白と言えば黒も白となる、今のこの国は、そういう在り方ですよ」


 俺は提げていた剣に手を掛け、民衆へと向けて歩き出す。


「そして、用があるのはあなたではない」


 今まで喋っていた男を素通りし、民衆の中へと入る。

 民衆は動くことができない。状況についていけないのか、はたまた気迫に呑まれたか。

 どちらにせよ、こちらにとっては好都合。


 剣を抜き放つと、小さな悲鳴を上げるが一歩ほど後退りすることしかできず、逃げるほど足が動かないようだ。

 俺は剣をある男に向けて斬りつける。


「――貴様だ」


 返答も反応もさせる暇など与えず。

 その民衆のリーダーの首を、的確に刎ねた。

 返り血を浴びた人を皮切りに、集まっていた民衆は我先にと逃げ出す。


「お、おま――」

「あと貴様も」


 逃げようとしない人――つまりこの民衆を集めた元凶共を狩っていく。


「兵隊さんも、頑張って」


 後ろに控えていた兵に号令をかけ、散り散りに逃げていく民衆を追いかけさせる。

 その中で、俺は淡々と調べ尽くした暴動を起こしたグループの構成員を仕留めていく。


 逃げずにその場にとどまった奴を掃討し終える。

 剣を肩に担ぎ、一息つく。

 兵はまだ戻らない。まぁ、戻ろうが戻らまいが関係ないんだが。

 別に兵に民衆を殺すよう命令はしていない。追いかけるだけ追いかけて、怯えさせるように言っておいただけだ。今はこんなものでも効果がある。



 さて。

 これからもう少し、国内が荒れそうだ。



☆☆



 それから数日。

 毎日のようにどこかしらで暴動が起きる。俺はそれを先回りして兵を動かし、悉く鎮圧した。


 その帰りだ。

 彼らが、ようやく出てきた。


「……レックス」

「おっせぇ登場だな、魔導師サマ」


 城への道の途中。凱旋ってわけでもないが、兵を率いていたのでそれなりに俺は目立ち、住民の注目を集めていた。

 そこに魔導師の帰還である。見物客は上々。


「ネロに戻る気はないか?」

「ねぇよ。つーか、まだ起きねえんだから、どうしようもない」


 グレンに俺の返事に目を閉じて「そうか」と頷く。


「ならば、力尽くでも換わってもらう」


 構えた槍、グングニルをこちらへと向け、グレンが突っ込んでくる。

 ただの突進。それを躱すのは容易だ。

 グングニルの必中の攻撃をするには投擲しなければならない。魔力もそれなりに持っていかれるので、無計画に撃てば簡単に魔力枯渇を起こす。

 が、グレンだからそこまで考えていそうにない。


「やめとけ。恥晒して国民の支持がさらに落ちるぞ」


 目前に迫ったグレンの攻撃を、半身になって回避。

 背へと剣を振り切ろうとしたときには、グレンは急ブレーキをかけて反転、俺の剣をグングニルで弾いた。

 俺は即座に魔法を使い、火球を十数個生み出す。

 火球はグレンを焼き払おうと一斉に襲いかかる。が、グレンに命中はしない。その前にグレンの姿を地面がめくり上がり、覆い隠してしまった。


「……アルマか」


 後ろへと振り返ると、ちょうど目の前にミネルバが迫っていた。

 剣での攻撃、だがそれを受けてはミネルバお得意の双神流に持ち込まれる。対処できないことはないが、こちらは暴動の鎮圧をした直後で、体力や魔力に不安がある。

 少し無理矢理にだが、横跳びで攻撃を回避、追撃が来る前に水球をぶち当てて距離を取らせる。


「【ヘキサ・ブロック】!」

「――ッ!?」


 リリーとノエルの声が重なり、同時に俺を覆うように小さな六角形の水晶のようなかけらが展開されていく。

 それはあっという間に俺を覆いつくし、球体に接合して閉じ込められてしまった。

 その球面に手を触れ、破壊を試みる。が、驚くことに一つ一つのかけらに込められた命令式が違う。これでは一度ですべてのかけらを破壊することができない。

 俺が通れるだけの穴を開けていては、おそらく追加で穴が塞がれてしまうだろう。


「面倒くさい魔法を覚えたな」

「……そうね」


 ノエルが何やら納得いかないような表情で返事をしてくる。

 だが、これでは脱出できない。力押しで壊せるか……。


「ねぇ、本当にネロは起きてないの?」

「ああ? 起きてんなら、どうして出てこない?」


 リリーがグレンと似たような問いをかけてくる。


「俺は結局ネロの一部だ。あいつが本気で主導権を奪い取ろうとするなら、俺は抵抗もできずに明け渡すだろうよ。大体、なぜそこまでネロにこだわる? 細かいところを除けば、俺もネロに変わりない。……どうして俺じゃいけない?」

「そんなの決まってるでしょ。あなたは自分で言ったじゃない、自分はレックスだ、って。レックスとネロは、違うんでしょ」

「…………」

「あなたはネロじゃない。あたしたちは、ネロに賛同しているの。ネロと一緒にいたいの。ネロを愛しているの。T-REXのあなたじゃない」

「…………」

「お願いだからネロにその体を返して。あなたにはネロの代わりはできないのよ」


 そんな。

 そんなこと。

 俺にネロの代わりは、できない?


「……当たり前だ。俺に、ネロの代わりなんざできねえよ」


 ネロの代わりができるわけがない。

 だって。


「あいつにできないことを、俺がやってんだから」


 あいつは人を殺せない。

 あいつは人に厳しくできない。

 あいつは人を騙せない。


 歯を食いしばる時、自分を押し殺す時、嫌なことをする時。

 あいつはいつだって心に仮面をかぶる。

 人を殺せるように。嫌なことを言えるように。騙すことができるように。


 顔にT-REXの仮面を当てて人を殺す。

 心にT-REXの仮面をかぶって嫌なことを言う。


 いつだって嫌なことをしていたのは、俺だ。

 俺じゃないか。

 あいつはいつも良いこと、褒められることしかしないじゃないか。

 俺に、嫌なことをすべて押し付けて。


「カラレア神国が上手く統一できたのも、俺がやったからじゃないかッ! この国が今も在り続けるのも、俺のおかげじゃないのかッ!? どうして俺じゃいけない!? どうして俺は――」


 手が震えていた。声も、足も、口も、体全身が震え始めた。

 続く言葉を言いたくないと、体が拒否する。

 それを続けては、みじめになるだけだと。

 言わない方がずっとマシだと、直感でわかる。

 それでも、一度構えた言葉は止まらない。


「俺は――人から必要とされない……?」


 皆が向ける視線には、敵意と恐怖の感情。

 俺がどれだけ何をしようとも、返ってくるのはそんなものばかりだ。

 いつだって俺を必要とするのは、ネロの良心だけ。あいつがそんな中途半端な奴でなければ、俺は生まれることも、ましてこんな思いをすることもなかった。

 有能過ぎる故だというのか? ふざけるな。ならばこちらの思いも汲んでみろ。想定外を想定するというのなら、俺のことも想定内だろう?


「……そんなことありません」


 両手で顔を覆っていると、イズモの声が聞こえてくる。


「少なくとも、私はあなたに言われ、その通りだと思いました。カラレア神国を統一できたのは、あなたの存在のおかげであると。マスターでは、レックスのように非情に徹し切れません。あの最後を覚えていますか? 私とマスターが戦った最後。あの時、マスターは私を撫でて涙を拭ってくれました」

「…………」

「ですから、私にはあなたが必要です。マスターのためにも、レックスという人格は必要だと、そう思います。あなたをマスターと同じように、愛しています」

「――――ッッ」


 ――――。

 ――。


 ――――――ハッ!


「……笑わせんな」


 低く、地の底から響くような声が出た。

 俺は顔を片手だけ離し、このうざったい結界を叩きつける。


「今更そんな言葉で、俺が変われると思ってんのかぁァア!?」


 結界に押し付けた手から魔力を流し込み、命令式の破壊ではなく、割り込みを行っていく。この方法では命令式の解析を必要とはせず、ただ命令式の組まれた隙間に新たな式を入れるだけなので破壊よりもさらに早く行える。その上はた目からはわからない。

 割り込ませる式には、ただ脆くするだけの簡単なものなので、俺が出れるくらいの穴を開ける範囲にはすぐに行き渡る。

 もう一度強く拳を叩きつけると、容易く結界は崩壊した。


 崩壊した結界に、イズモたちが目を見開いて驚いている。

 その隙は致命的だ。簡単にイズモの懐へと入り込むことに成功する。


「――ます」

「舐めるのも大概にしろよッ!」


 開いた手を、当て身をするように、腹に叩き込む。当然その手には魔法を込めている。


「ノエル、もう一回張るよ!」

「わかってる!」


 一撃で昏睡に陥ったイズモを放り、リリーとノエルの方へと向く。その時にはすでに新しい結界が展開を始めていた。

 だが、このヘキサ・ブロックには欠点がある。それは覆い隠すのに時間がかかってしまうことだ。命令式の複雑化に慣れていない、まして二人で組み上げていてはなおさらだ。

 正面から張っているようだったが、それを身体強化をかけた走りで迂回する。そして蹴りつけた一歩で二人の元へと一気に近づいた。


「もうちょっと練習してきやがれ」


 二人の顔を両手でつかみ、イズモと同じように催眠の魔法で昏睡させる。


「GYYYYAAAAAAAA!!」

「テメエももう少し辛抱しろ」


 龍化を行い、突っ込んできたユカリの鼻先を掴み、突進を止める。

 衝撃は凄まじいが、予想して身体強化を強めてある。俺の体は数m下がるだけで止まった。


 ユカリから手を離して跳躍、頭上から踵を落とす。

 頭が地面に激突し一度跳ね上がるが、その一発でユカリの意識は刈り取れたようだ。

 動かなくなったユカリを越え、その先にいるミネルバとアルマに迫る。


 剣を抜き、左眼を光らせる。

 アルマが下がり、ミネルバが前に出てくる。


 ミネルバが右から剣を振ってくる。それに合わせ、俺も剣を振る。

 剣と剣が激突する瞬間、ミネルバは持ち手を変える。だが、そんなもの俺の魔眼は簡単に見抜く。

 ずれたタイミングを再度合わせ、剣がぶつかり火花が散る。

 ミネルバは俺からの攻撃を流すように受け、剣から手を離す。勢いに乗って回転する剣の柄を器用に掴むと、逆袈裟から振り上げる。

 当然俺には攻撃が見える。見えている。そんな攻撃が、当たるわけがない。


 見る。見る見る見る。

 双神流は厄介だが、魔眼のある俺には有効な攻撃にはならない。

 だが、それを見越してか、魔眼の攻撃予測に複数の線が見え始めた。ネリと戦った際と同じ、一撃を絞らせないようにしてきている。

 ネリのようにはまだ上手くやれてはいないが、それでも俺の方は細かい傷が増えていく。


「アルマッ!」


 ミネルバが剣戟で時間を稼ぎ、俺の足止めをし、そしてアルマの一撃を狙う。

 見えていた通り。小細工などない。アルマの一撃を防げないと思っているのだろう。

 それは正しい。


「ガァァアアアアッ!!」


 アルマが跳び上がり、剣を振り下ろしてくる。

 俺はミネルバの剣戟をさばかなければならず、防御もままならない。

 とはいえ、防御するまでもない。

 叫ぶアルマに対し、俺もまた吠える。


「ROAAAAAAAR!!」


 当然ただの叫びではない。一撃のために獣化していたアルマの姿が、一瞬にして人のものへと戻る。


「な――ッ!?」


 叫びに魔力を込め、獣化のために動いた魔力を外から刺激し、強制的にキャンセルさせるものだ。

 獣人族にとっては脅威となり得る叫び。ただの一声で、獣化が戻されるのだから。それが今のような戦闘中にされてもみれば、死は免れない。

 そして、ミネルバもアルマも獣化が解けたことに驚いている。


「余所見だ」


 アルマへと視線をやっていたミネルバの腹に蹴りを叩き込んで吹っ飛ばし、獣化が解けて呆けているアルマも剣の柄頭で殴打する。

 残るはグレン一人。

 そちらへと体を向けようとした時、それよりも早くグレンがグングニルを構えて突進してきた。

 グングニルの刃を剣で逸らし、グレンが肉薄してくる。そのまま通り過ぎることもなく、俺とグレンは顔を突き合わせた。


「ふざけるのも大概にしろネロ!!」

「……何言って」

「髪が少し戻っているぞ!」


 言われ、俺は髪に目をやろうとする。視界の隅にわずかに映った髪の毛の色は、確かに白に戻っているものもあった。

 だが、全体的に見ればまだ黒が目立つはず。


「この収拾をどうつけるつもりだ?」

「決まってる」


 俺はグングニルの柄を掴むと、強引に刃を俺の腹へと向ける。


「貴様……ッ!」

「悪いな、これ以外に思いつかねえ」


 最も簡単で効率的で、皆が納得する方法だ。


「どうして貴様はこういう時だけその無駄な知識が使えんのだ!」

「そういう性分なんだ。怒るな」


 俺は抵抗するグレンの手を無理矢理動かし、グングニルの刃を腹へと突き刺した。痛みで顔が歪む。だが、覚悟しての痛みなので耐えられないほどでもない。

 それに魔力を応用すれば、麻酔の効果も得られる。完全に痛みを消すことは、まだ無理だが。


「それで、貴様はここからどうするのだ? 死んだふりでもかますか?」

「残念だが、一度死なせてもらうよ」

「何……?」


 握ったグングニルの柄から魔力を流し込む。

 グングニルは投擲した際、着弾点で爆発させることも可能だ。それを、少し魔力で弄れば……この通り。

 グングニルの刃が次第に輝き始め、その光は強くなっていく。


「貴様まさかッ!」

「じゃあな。後は頑張れ」


 一際強く光を放った瞬間、グングニルの刃は爆発を起こした。



☆☆



 ふぅ……。ようやく一段落ついた。

 俺は軽く柔軟するように体を動かす。


 背後で蹲るもう一人の姿……俺が作り出した人格、レックス。

 ここをどう表現すればいいのやら……心象世界? まぁ、そんな感じだ。自分の心の中、自分の見たくないものが、そこかしこに乱雑に落ちている。


「で? 自称暴君様はお姫様のありがたいお言葉で良心を取り戻しました、ってか? 笑える話だ」

「……テメエいつから」

「結構前から。何せ夜な夜な主導権を返してもらってグレンたちに会ってたわけだし」

「……それであの結界か」


 ヘキサ・ブロックは俺がリリーとノエルに、触り程度を直々に教えた。命令式の複雑化はリリーに行わせ、構成はノエルが行うようにも。二人がそれぞれの得意とするところをやらせ、そうしてようやく形だけは完成させたようだ。

 とはいえ、まだまだ問題はある。

 ヘキサ・ブロックが結界を展開するまでの時間。命令式の穴。構成の甘さ。

 いろいろあるが、その辺はもう放っておこう。自分たちで完成させるだろう。


 それにグレンたちには主導権を奪い返せるとは言っていなかった。奪い返せるかも微妙だったし。

 レックスが完全に折れたその瞬間に、ようやく俺はレックスを押し退けて前へと出た。が、レックスの行ってきたことがあまりにもあんまりだったもんで、巻き返すにも予定通り一度死んだ方が早いと思った。

 当然、実際に俺は死んじゃいない。グングニルの爆発の直前、転移魔法陣を展開させてカラレア神国に逃げているわけだ。

 アレイスターに話は通しているので、体の方に意識はなくとも、回収はしてくれているだろう。


「あんだけ心を砕かれて、よく簡単に復活できたな」

「ああ。面倒な婆さんに見つかって、元気が出るようにしてもらった」


 具体的に言えば、ノーラに会わせてもらっただけだが。

 俺にとっちゃ一番の活力剤だ。


「だから案外割と早く立ち直れたわけだ」

「……だったらなんで」

「その方が楽だったもんでね」


 俺の発言に、俺の見た目の髪を黒く染めただけのような、鏡合わせのような、レックスは勢いよく立ち上がって詰め寄ってくる。


「ふざけるな。テメエの自己満足だけで、どれだけの奴に迷惑がかかると思ってやがる」

「おお、暴君とは思えないセリフ」

「真面目に聞け!」


 真面目にも何も。だって、あれもこれも。


「お前が、自分で言ったじゃないか。俺が、お前に押し付けているって」

「…………」

「だったら最後まで、俺がやりたくないことはお前に押し付けるさ。だって、お前の存在意義って、そんくらいじゃん」

「何だと……?」

「自覚しろよ。お前は俺が生み出した副産物でしかないって。覚悟しろよ。俺のさじ加減一つでお前も簡単に消えることがあるって」

「テメエ……!」

「それが嫌なら」


 掴みかかってくるレックスから一歩下がって躱し、デコピンをくらわす。


「俺から、主導権奪ってみろよ」

「ああ……!?」

「お前ん中にガラハドの搾りかすがほんのちょっとでも残ってんなら、できるだろ?」


 挑発するように言うと、レックスは壮絶に顔を歪める。

 俺にとっても同じように、こいつもまたガラハドを引き合いに出せば簡単に釣れる。核にガラハドの魔力がある分、俺よりももっと簡単だろう。


「……良いだろう。テメエなんざ捻り潰してやる」

「やれるもんならやってみろ」


 レックスから飛び退き、距離を取る。

 俺もレックスも、技量は同じだろう。何せどちらも俺だ。俺のコピーだ。

 ガラハドの魔力をもらった時点でのコピーだというのなら、差などほとんどない。


 あるのは――魔力の質の違いだけ。


 ガラハドの魔力。闇の魔導。

 アレイシアの魔力。無の魔導。

 どちらが優位か、おそらくガラハドの魔力だ。

 何せガラハドがアレイシアを封じるために磨いてきた魔力だ。アレイシアの無の魔力では、抑え込まれても不思議はない。

 だが、そこに勝機を見出すというのならば。

 それはレックスが、闇の魔導に慣れていないこと。

 そこにだけ、違いがある。


 俺は黒の魔導書をイズモに渡してから、無の魔力での魔法を使っていた。ガラハドが死んでからはアレイシアの封印した呪術書……無の魔導書を受け継ぎ、使っている。

 無の魔力にはすでに慣れ、普通の魔力となんら変わらず使用できる。

 対し、闇の魔導は無の魔導よりも慣れておらず、ついでに説明書たる魔導書もない。ほとんど使いこなせていないのだ。

 そんな状態のコピーでは、いくらガラハドの魔力を核にしているとはいえ、十全に使えるとは思えない。


 ま、魔法勝負で負ける気なんざこれっぽっちもないんだが。


「んじゃ、こっちから行かせてもらうぜ」


 魔力を込め、魔導の展開を始める。


「挨拶程度に……【イノセントカノン】」


 唱えると同時に、俺の身長大の直径を持つ真っ白いレーザーが放たれた。

 レーザーに触れた、散らかっている物はもれなく跡形もなく掻き消えていく。


「挨拶程度じゃねえ!?」


 こちらからは見えないレックスが何か叫んでいるが、まぁ大丈夫だろ。当たっても消える程度だ。問題ない。

 何せ主導権の奪い合いだ。殺し合いだ。自分との殺し合いとか、ちょっと新鮮だな。


「くそ……【ダークホール】!」


 レーザーの行き先に黒い穴が開き、当然避けるような命令式は組んでいないために穴へ真っ直ぐ突っ込んでいく。

 どこから出てくるわけでもなく、レーザーはどこかへと消えてしまった。

 異次元にでも行ったのだろうか? それとも、黒の魔導であるイビルゲートと同じように出し入れ自由なのかもしれない。


「そんで【インフェルノ】!!」


 レックスが唱えると同時、足下が揺れ始める。

 すぐさまその場を離れ、無の魔導による結界を張って身を守る。


 すると、揺れていた場所から、先ほどまで俺がいた位置から黒い炎が噴き上がる。それは次第に勢力を拡大させ、俺を覆い尽くす。

 タワーリングインフェルノに似ているが、あれよりも範囲が広い。そのくせ威力も高い。上位互換かと思うが、どうやら細かい操作などはできている様子はない。


 と、闇の魔導の分析を暢気に行ってはいたが、俺を覆うように張った結界が黒い炎に侵食され始めていた。


「おっと」


 結界の上部に穴を開け、跳躍して外に出る。もう一度結界を蹴りつけて跳び上がり、着地点に同じような跳びつなげるための面を作りながら進み、黒い炎から逃れる。

 インフェルノは俺が入っていた結界を燃やし尽くすが、それでもなお燃え続ける。

 燃えるものはどうせガラクタだし、放置しても良いか。

 俺はレックスへと向けて手を突き出す。その形は親指、人差し指、中指を開き、薬指と小指は閉じる、いわゆる銃の形をしている。


「【ホロウショット】」


 その先から、先ほどと同じように真っ白いレーザーが伸びる。

 が、先ほどとは威力が違う。大きければ強いわけではないのだ。魔法に関しては、魔力を込めた量が多い方が強い。

 ……魔力量が調整できる俺にはあんまり関係ないか。まぁ、素での魔力量の違いもある。


 ともあれ、俺が放ったホロウショットはレックスへと真っ直ぐ伸びる。レックスは寸でのところで狙いであった顔を逸らして回避した。が、避けきれずに頬をかすめる。

 致命傷とはいかない。それでも、明らかにおかしな傷を負った。血がでることもなく、ただ崩れた。

 ボロリと、砂の山でも崩れるように、ホロウショットが当たった場所が崩れた。

 レックスは驚いたように頬に手を当てる。


「これは……」

「すげえだろ。ホロウショットは当たった対象を傷つけずに、崩すんだ」

「崩す……か。その魔導のせいか」

「そうだ。安心しろ。こんなのでお前を消さねえよ」

「そうか。そうか」


 レックスは何度も同じように頷きながら、立ち上がる。

 その様子が、どうもおかしいような気がする。


「……お前」

「気にするな。どちらに転ぼうが、結果は変わりそうにない。だから――」


 レックスは右手に魔力を溜めていく。

 それは体内に収まることはなく、溢れ出して腕の全体を覆い隠していく。


「確実にぶち殺す」

「なるほど」


 ならば、と。

 俺も同様に右手に魔力を溜める。レックスと違う点は、精霊を呼び出していることくらいか。


「アレイシア、もっと魔力寄越せ」

「君は馬鹿か。私にはもうそれ以上魔力を持っていないぞ」

「あるだろ。お前を構成しているもんは何だ?」

「……はぁ。貪欲な奴だな」


 アレイシアいつだって自分を実体化させるだけの魔力を隠し持っている。おかげで魔力総量を割られたような俺とレックスだが、アレイシアが隠し持つ魔力の分だけ俺の方が多い。

 アレイシアが魔力へと戻り、俺の右手に吸い込まれる。


「……ちっ。やっぱ無理そうだ」

「それでも退かないんだろ?」

「当たり前だ。ガラハドは、そんなこと教えなかった」


 その通りだ。

 ガラハドは、退くことを教えてくれなかった。

 いつだって突き進むように、休む間もなく、気を抜く暇もなく。

 決して振り返らずに前だけを見るのが王たる器だと言った。


「魔王は、俺のもんだ。そこは譲らねえ」

「そうかい。でも、どうやら俺も魔王のようでな」


 あいつはガラハドから受け継いだ、さながら魔物の王とでも言おうかね。

 対して俺は、魔力に最も長けたものとして、魔導国家の王として、魔王なんて呼ばれ始めている。


「どちらにせよ、これで残った方が主導権争いの勝者というわけで」

「実にシンプルでいいな。最初っからこうしてりゃよかった」

「同感だ」


 俺とレックスは同時に小さく笑った。

 そして、同時に地を蹴りつけた。



☆☆



 目を覚ます。いつも通りベッドの上だ。

 体の感覚を確かめるように何度か手を握ったり開いたりする。声も出して見る。


 うん。

 どうやら、奪われてはいない。ようやく俺の体を取り戻せた。

 まぁ、言っちゃえばあんなことしなくても押さえ込めた気もするが。


 ちゃんとわかる。

 俺は、ネロの方だ。


 てか、なぜか体を動かすたびに全身に痛みが走るのだが。回復魔法はかけてくれなかったのだろうか。

 自分の体を見れば全身包帯だらけだ。ミイラだな。

 また怒らせてしまったかな……でもあれ、別に故意ではないんだけどな……。


 ともあれ、一人自分が取り戻せたことに安堵の息を吐いていると、どこかの扉が開く音がした。

 誰かが入ってきたのだろう。ここはカラレア神国だろうし、アレイスターだろうか。


「ありがとな、アレイスター。運んでくれて」

「はい?」

「……え?」


 今、アレイスターの声じゃなかったような……。シグレットでもないし、そもそもカラレア神国では聞かないような声だった気が……。

 俺は体を起こして声のした方を見る。


「……あ、レジーナさん?」

「そうよ? もしくはお義姉さん」


 なぜか自慢げというか誇らしげというか、そんな様子で行ってくる彼女に対し、苦笑いを返す。

 レジーナはヴァトラ神国国王のリュートの結婚相手だ。つまりヴァトラ神国の王妃にあたる。

 そのため「お義姉さん」というのも間違ってはいない。いないが……どれだけ増えるんだよ、俺の姉は!?

 や、別に誰も血のつながった姉じゃないし、増えるもんなのかもしれないが。


 彼女は俺の方へと歩いてくると、ベッドの脇に椅子を持ってきて座った。そしてなぜか近い。いや、なぜかではないか。

 ノエルとの関係で何度もヴァトラ神国を訪れてはいるが、その度にレジーナはからかうように距離を詰めてくる。リュートもレジーナを嫌っているわけがなく、むしろ好きすぎて俺の方に睨みを向けるほどだ。


 俺は上体を起こして手をつきながら、できるだけベッドの上で距離を取ろうとする。が、当然ベッドの面積などたかが知れているので、上手く離れられない。

 レジーナは微笑みを浮かべているが、こんなとこをリュートやましてノエルに見つかれば相当やばい。そんな気はなければ全くもって何にもないのに、俺が責められる。


「え、っとレジーナさんもカラレア神国に用があるんですか?」

「何を言っているの? 私にそんな用があるわけないでしょ」

「じゃあ、どうしてこんなとこに……」

「あなたこそ、どうして?」

「え?」

「どうして、ヴァトラ神国に倒れ込んでいたの?」


 ……は?

 え……っと、ちょっと待て。

 今、なんつった?


「それにヴァルテリア山脈の麓。もう少し発見が遅れていれば、野垂れ死にしていたわ」

「ちょっと待ってください」


 レジーナを片手で押し止め、もう片手は額に当てる。彼女に嘘を吐いている様子はないし、第一嘘を吐く理由も見つからない。だとすれば、どちらが間違っているのか。

 今までずっと普通に過ごしていたであろうレジーナ。腹の痛みに耐えながら、爆発の寸前での魔法陣の構成を行っていた俺。どちらが正しいのかは、不本意ながら明らかだ。

 もうすっごい嫌な予感しかしない。


「……ここ、カラレア神国じゃないんですか?」

「違うわ。ヴァトラ神国に決まってるでしょ」


 当然でしょ、とでも言いたげに、レジーナは断言した。


「…………もう一つ、どうして俺が倒れていたかは」

「知らないわね」


 やッべえええええええ!!

 どうしよう、完全にカラレア神国に転移しているものとばかり考えていた。転移魔法陣で爆発から逃れていることも、全部アレイスターに伝えてもらうつもりだったのに。

 これでは無用な心配がかかる。T-REXやったとか、アレイスターたちにとってはそれだけで十分大事なのに、その上生存不明とか最悪じゃん!

 リュートのことだから、俺を発見したこととか伝えてなさそう。あいつ、いまだに魔晶でのことで根に持ってやがるからな……。あ、だから体が包帯巻きなのか。納得だ。包帯はせめてもの良心かな。


「……あの、レジーナさん? どうして俺の腹に手を伸ばそうとしているのですか?」

「あら、あなたをここに運んだご褒美に、ちょっとくらい良いと思うのだけど」

「山脈の麓って言ったらここから相当離れていますし当然あなた一人で運べる距離ではないですしそもそもリュートからずっと注意を受けているので極力あなたとは離れていたいというかすでにリュートがこちらを見ているので褒美はそちらにもらっていただきたい」

「私にはあなたしか見えないわ」

「現実を見ろッ」


 艶っぽく小首傾げたって靡かないから。胸元開けたって無駄だから。本当に誘っているのならせめてリュートのいないところでやっていただきたい!


 咄嗟にベッドから飛び降り、魔眼で見たとおりに入り口でこちらを鬼のような形相で睨んでいたリュートの方へ駆けていく。


「おい貴様……」

「俺じゃねえって何度言やわかるその容積の小せえ脳みそン中に叩き込んで記憶しとけ大体俺から誘ったわけでもなく遠目から止めにすら入らねえのも悪いしそもそも離れる嫁をまずは引き留めるような努力をしろこの色ボケお義兄さんッ!?」


 当然まともに取り合う気などこちらにはない。

 言いたいことをとりあえず言い切り、そのままおそらく客間から退室した。

 ヴァトラ神国の王城を駆け抜け、すれ違う使用人に適当な挨拶を返し、転移魔法陣の在り処へ急ぐ。

 ヴァトラ神国のものではなく、俺が勝手に改良して消費魔力の効率を格段に向上させたものが完成した際、とりあえず七大国に直通させるためにそれぞれ設置させてもらった。


 とはいえ転移魔法陣。やろうと思えば戦争のための道具をそのまま転移させることも可能なため、その多くはそれぞれの国の都合がいい場所に設置させた。多くは地下の檻の中だったり。例外はカラレア神国とドラゴニア帝国くらいだ。

 カラレア神国は友好の証とでもいうのだろうが、ドラゴニア帝国は完全に龍帝が遊んでいるのがわかる。どうせ攻めても落とせはしない、って具合で。舐めんな落とすぞ。


 何を言いたいかといえば、ヴァトラ神国は魔導国家への直通の転移魔法陣は、地下の檻の中にあるというわけだ。

 そのため地下への入り口へと向かっていた。王城の地図は頭の中に十分入っている。

 が、地下への入り口へと通じる廊下へ向け、角を曲がった瞬間に女性とぶつかった。向こうの方が小柄だったためか、俺は一歩足を下げるだけで耐えられたが、相手は尻餅をついてしまっていた。


「わ、悪い大丈夫か?」

「え、ええ……大丈、夫……?」


 ぶつかった相手へと手を差し出したとき、彼女がノエルだと気付いた。

 ノエルもこちらを見上げて、俺だと気付いたようで目を見開いている。

 あまりにも唐突過ぎて、気まずさに思わず視線を逸らしてしまう。


「…………ネロ?」

「ひゃい」


 声が上ずった。

 やばい。何言われるかな。何されるかな。

 内心ビクビクである。

 ていうかどうしてここにノエルがいるんだろうか。いや、別にいてもおかしくはない……のか? ないよな。ノエルはヴァトラ神国の王女なわけだし。継承権は放棄しているけども。

 だがノエル自身リュートとそう仲が良いわけではない。用がないくとも会うような兄弟仲ではないはず。だったら何か用があったのだろうか?

 と現実逃避していると、いきなり腹のあたりに衝撃を受けた。そこまで強いものではなく、抱き着かれたような感じ。


 ていうか、ノエルに抱き着かれていた。

 しかも不意打ちのせいで支えきれず、俺まで尻餅をつく破目に。


「ネロ……ッ! よかった……生きてて……!」

「あ、あーうん。ごめん」


 あれ、なんかこのやり取り前にも似たことをやった記憶が……ノエルとではないが。

 その時もT-REXが原因だった気がするな。加え死んだかもしれないという心配もさせたところまで同じだ。


 ノエルは俺に抱き着いたまま涙を流して泣き始めてしまった。


「で、でもどうしてノエルがここに……」

「僕が教えたからに決まっているだろうに」


 後ろから声をかけられ、振り返ればリュートとレジーナがいた。

 

「……ちゃんと伝えられるんですね」

「貴様、相当馬鹿にしているだろう……?」


 まさかまさか。

 公私混同するダメなお義兄様だなんてまったくこれっぽっちも思ってなんかいませんとも。ええ。


「ネロくんが一人で倒れているなんて、一大事だと思って私が連絡するように言ったのよ。この人は最後の最後まで渋っていたけど」

「…………」

「何だよ。僕らの関係上、それが普通だろう?」

「清々しいほどのクソお義兄様だ」


 もう一周回ってうっかり尊敬しちまいそうだ。俺、嫌いな相手でも国の重要人物を放置するとかできそうにない。

 顔を逸らすリュートを半目で睨んでいる間も、ノエルは落ち着くことなく俺に抱き着いたまま泣いていた。


「ネロ……ネロ……!」

「あの、ノエルさん……? ちょっとオーバーすぎやしませんか……?」

「だってぇ……!」


 あ、こいつ今さりげなく俺の服で涙と鼻水拭きやがったぞ。これは初めて会った時の再現か? 俺も説教モードになればいいの?


「だって……あなたこれで何回目よ……! 何回死にかけてるのよ……。その原因が、私たちじゃなかったことってあるの……?」

「……ない、かなぁ」


 天井を仰いで軽く振り返ってみても、死にかけた際に自分の不注意があんまりなかったりする。

 ノエルたちが知り得る限りでは、おそらく原因は彼女たちがほとんどだろう。だからと言って、そのことでノエルたちを責めるつもりは毛頭ないのだが。


「でも、お前らだから命かけられるし、死にかけることもできる」

「ネロがそういう人だってわかってるから……私たちはネロに甘えてしまうの……! 私たちのせいだってわかってるッ。それでも……それでも、私たちのせいでネロが死んでしまうのは、絶対に嫌!」

「……わかってる。理解してる」


 知っているんだ。お前たちの思いは。

 だけど、俺はやっぱり自分を曲げられない。自分を犠牲にしてでも、って、そういう思考から、どうしても抜け出せないんだ。


 だから、だからこそ。

 無理だってわかっているけれど、それでも俺がお前たちに望むのは心配してくれることではないのだ。

 いつか必ず帰ってくると、必ず生きていると、そう信じていて、欲しいのだ。


「……無茶な話だよな」


 自己満足でしかない。

 自己欺瞞でしかない。

 自己中心的な思いだ。


 心配してくれる人がいるという、それだけで十分幸せだというのに。

 それ以上を望むなんて、酷い話だ。


 嗚咽を吐いて泣いているノエルの頭を優しく撫でる。

 すると上から頭を鷲掴みにされた。


「優しいクソお義兄様からの忠告だ。これ以上妹を泣かすな」

「あんたそんなキャラじゃねえだろ……鳥肌が立つ――いってぇ! 力込めんなアイアンクローはやめろォ!」


 鷲掴みした手に力を込めてくるリュートに必死に抵抗する。

 ひとしきりやって気が済んだのか、小さい嘆息とともに手が離され、離れていく足音がし始めた。


「不出来な義弟に出す飯などない。元気になったならとっとと帰れそして二度と来るな」

「それじゃあね、ネロくん。またいらっしゃいね」


 リュートとレジーナの言葉に苦い表情を浮かべ、彼らを見送る。

 そしてノエルへと意識を戻すと、いつの間にか寝落ちしてしまっていた。

 仕方なくノエルを抱き上げ、俺も一つ嘆息した。


「……帰るか」



☆☆



 帰るとお通夜だった。

 お通夜の雰囲気だった。


 会議の間の扉をちょっとだけ開けて中を覗くと、これでもかってくらい暗い雰囲気醸し出していた。

 ちなみにそこにレイシーはいない。俺の傍にいる。

 当然レイシーは俺が死んだとか一切思わず、どうやらリュートはノエルにだけ王城に来るよう言いつけたらしく、ノエルの後を追って転移の間で待っていた。


 笑いをこらえるのが大変。

 すごい。あんな暗い表情のグレンとか初めて見た。

 俺の生存不明だけでここまでなるのかよ。こいつらちょっと大丈夫かな、って思うくらいには俺も心配しちゃう。


「あの、ネロ様? 満足しましたら早く無事の報告を……」

「ここに入るの? 俺もめっちゃ怖いんだけど」


 だってシグレットがいるんだもの。アレイスターも。

 絶対に何か言われる。というか殴られるまでありそうで、こんな扉開きたくない。


「で、ですが傷の手当は早めになさった方が……今魔力が使えないのでしょう?」

「レックスにぶつけたせいでどっか行っちまってんのよな……まぁ、一日すりゃ戻るだろ」

「いつまでノエル様を抱いているつもりですか?」

「そら、起きたら降ろすよ。降ろしてノエルに生存報告に行かせる」

「ネロ様……」


 レイシーが盛大にため息を吐いた。


「皆様も反省しているようでしたよ。これからはネロ様だけに任せないように、しっかりやって行こうと」

「その宣言をもっと早く、言っちまえば国ができたあたりでして欲しかった」

「それもそうですが……」


 レイシーが額に手を当てて難しい顔をした。 

 まぁ、でも。そろそろこの雰囲気も飽きてきたし、出てやるか。

 あ、ネリが気付いた。こっち手振り始めた。それに気づいた周りもこっち見てきてんじゃん。


 だが、ネリ以外は誰が覗いているのかわからないのか、イズモが扉を開けにこっちに向かってくる。

 仕方ない、出るか。

 俺は扉を勢いよく蹴り開けた。


「ハロー皆さん。今度は一体誰の国葬をするおつもりで?」

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