喧嘩の特売
そして、ようやく一応の目的地に着く。
俺は大通りを背にしてキツネを待ち構える。
「はぁ……はぁ……ようやく、追いつきましたよ」
俺の妨害が功を奏したのか、キツネは荒い息を吐いている。
「母なる大地よ、その雄大な力を大きく振るえ。
その頑丈な姿で、行く手を阻め。【ロックウォール】」
キツネの背後に岩の壁を作り出してやり、逃げ場をなくす。
「おや? いいのですか? 自分の退路を断っても」
「当たり前だろ。じゃないと、こんなところに逃げ込まないよ」
俺の余裕な態度に、怪訝そうにするキツネ。
「ね、ねぇ? ホントに大丈夫なの?」
ノエルも怯えた声を出すが、俺だって無策でこんな場所を選んだわけじゃない。
ただ、無策ではないが策は1つしかない。
「ま、大丈夫だろ。ダメなら、僕が犠牲になってでも逃がしてあげるさ」
「それ、は……嫌」
「こんなところではっきり言われてもね……」
ノエルに苦笑しか返せない。
最初は散々もごもごしてたくせに、今になってはっきり言ってくる。
まったく……。
俺はちらりと後ろの大通りを確認し、すぐに視線をもとに戻す。
「助けなんて来ませんよ。外からでは、ここは普通の路地にしか見えませんから」
「どうだろうね? 僕には双子の妹がいてね。双子ってのは特別な力が働くようなんだ。だから、僕を見つけてくれる」
そんな妄言のようなことを言っていると、後ろから駆け足の音が聞こえてくる。
そして、ガラスを割った時のような音が響き渡る。
後ろの、大通りとこの路地裏を隔てていた壁のような魔法が、文字通り切り裂かれた。
「兄ちゃん!」
「ネロ、大丈夫か!?」
「ネロ!」
ネリ、ナトラ、ノーラがその裂け目から飛び込んできた。
屋上にいた時、大通りで俺を探している様子だったのだ。向こうからこちらが見えないので、気づいてくれるか不安だったのだが……。
「ネリ、よく気付いたね」
「うん。なんか、こっちに居る気がした」
つまりは勘だったわけだが、俺にだって経験があるからな。わからんでもない。
「あらら……これは少し予想外です。騎士様に魔術師様では、勝ち目はありませんね」
キツネがやる気を失くしたように肩を落とす。
……待て、なんですぐに、ナトラとノーラが騎士と魔術師だとわかった?
正確には学校に通っているから正式な騎士と魔術師ではないが、それでもどこで見分けられた?
予備知識? だけど、そこまで用意するのか……?
「とりあえず、捕らえて騎士団詰所まで連れて行く」
ナトラが剣を構え、キツネと対峙する。
「できますかね? こう見えて、逃げ足だけは自信があるのです!」
キツネは言うと背を向けて逃げ出す。
……って、そんなところに自信持つんじゃねえよ! いや、殺し屋には必要かもしれないけど!
俺の作った岩の壁を軽々と登っていき、あっという間に飛び越えてしまう。
ナトラも追おうとするが、すでに追いつけるような距離ではない。
「いい障害物をありがとうございます! しかし、これで終わりと思わないでください」
そう言い残し、キツネは完全に姿を消してしまった。
俺はため息を吐きながら、地面にへたり込む。
流石に走り回り過ぎた。ノエルを抱えたりもしたし、疲れたな。
ノエルを見ると、同じようにぺたんと座り込んでいた。
「逃げられたか……。一応、報告しとかないといけないし……」
ナトラが剣を鞘に納めながら呟く。
そんなナトラに、俺は声をかける。
「報告はいらないんじゃないですか?」
「どうして?」
「獣人が暗殺をしようとしたんです。後ろ盾がないとそんなことできません。それもこの国の強力な、ね」
「一理あるが……、それでも報告はしなければね。人も集まってきてるし。ノーラ、この岩壁、もとに戻せる?」
「それくらいなら僕が……」
「ネロ、あなた疲れてるでしょ? これくらいお姉ちゃんに任せといて」
立ち上がろうとした俺の肩に手を置き、座らされる。
ノーラは岩壁の方へと歩いていき、岩壁に手を触れて命令式の解読を始めた。
一息つこうとした時、後ろから襟首あたりを引かれる。
「ネロ、この方たちは……?」
後ろを向くと、ノエルが不安そうな表情でそう訊いてきた。
「僕の兄妹だよ。全然怪しくないから、そんな不安そうな顔しなくていいよ」
「そ、そう……?」
まだ若干不安を拭えていないようだが、これ以上どう説明したらいいんだよ……。
と、今度は手を引かれ、そちらを向けばネリが少し不機嫌そうな表情をしていた。
「その子、誰?」
「ノエル・ウルフディアって、貴族の子」
「ふーん」
ネリは興味なさそうに返事をするが、その視線はノエルに注がれていた。
なんか目が据わっているように見えるけど、きっと気のせいだ。
「ウルフディア? ウルフディアって、今日大事な用があるって聞いてたけど……」
ナトラが顎に手を当てて呟く。
まあ、大事な用だろうな。娘の将来の結婚相手が来るんだし。
誰に聞いたんだ、ってのはきっと騎士学校にウルフディア家の人がいるんだろう。
「ええ。ですが、ノエルはその用が嫌で逃げ出したようです」
「それは……」
ナトラが困ったような表情を浮かべる。
「一応説得して、家に帰ることになったんですが、ちょうどその時に今のキツネに会いまして」
「なるほど。じゃあ、ネロ。その子、送っていってくれる? 俺は報告に行かなきゃいけないから」
「わかりました。ネリはどうする?」
「兄ちゃんについて行く」
「よし。ノーラ、ネロとネリについて行ってもらっていい?」
「うん、わかったわ」
ノーラもようやく岩壁を沈めることができ、こちらに戻ってくる。
……しかし、最初は何も考えずにノエルを家に帰すつもりでいたが、どうも嫌な予感がするんだよなぁ。
冤罪着せられたりとかさ。まあ、その辺はノエルがきちんと伝えてくれれば免れるだろうけど。
☆☆☆
で、案の定の嫌な予感が的中、と。
俺たちは城下町を歩き回り、ようやくノエルの家へと着いた。
ノエルの家の前ではウルフディア家自前の騎士っぽい人たちが、全く見つからないことを報告している最中だった。
そして、思った通り俺が連れ出したー、とか言い出され。
ノエルのおかげでそれは間違いだったことが証明されて。
冤罪のお詫びと連れ戻してくれたお礼として、白金貨の入った袋をくれて。
ここまではいい。ここまでなら、俺だって読んでいた。
別に冤罪を着せられたが、ちゃんと理解してもらってくれたから我慢できる。お詫びもくれたし。
だが、それでも我慢できないもんがあった。
ノエルの許嫁の相手だ。
見た目からして、歳はそう変わらない。この国の法律とか詳しく知らんが、この歳で結婚は無いだろう。
確か公爵家の子供のグレン・レギオンだったか?
金髪で少しくせ毛が目立つ。顔立ちは整っているし、将来はイケメン間違いなしだな。
だが、こいつは我慢ならん。
「俺のお嫁さんに何してんだ!?」
会うなり、そう叫びながら殴られた。
……うん、こいつのこの一言で我慢ならんってのは確かに大人げないだろうね。精神年齢はオッサンだし。
だが、レギオン家は北の領地を任されているのだ。ユートレア共和国との戦争に備えなければいけないし、当然騎士家系である。
このグレンも、一目でわかるほどには体を鍛えている。
だから、まあ説教もしたくなる。
グレンはノエルを背中に隠し、俺から遠ざけようとしているが、当のノエルがそれを嫌がっている。
俺はその光景を見ながら、グレンに近づく。
グレンは近づいてくる俺に警戒しながら、ノエルを守るようにしている。
だが、知らん。用があるのはグレンだ。
俺はグレンの胸倉を力強く掴み、勢いよく引き寄せる。と共に頭突きを喰らわせる。
「――いだッ!」
額を抑え、苦悶の表情を浮かべるグレンだが、俺は胸倉を掴んでいる手を離さない。
だが、周りが騒がしくなった。
そりゃ公爵家の子供に頭突きして、胸倉を掴んでいるんだから当たり前か。
「ね、ネロ!? ちょっと落ち着きなさい!」
ノーラが慌てて俺の手を引いて、グレンから離そうとするが、俺はノーラの手を強引に振りほどく。
「君、今なんていった?」
「ああ!? なんだよ!」
「ほら、後ろの子をなんて呼んだ?」
俺は空いている方の手で、グレンの後ろに居るノエルを指す。
「呼んだって……」
「“俺のお嫁さん”だったね? 君、自分のお嫁さんの名前も知らないのか?」
「ぐっ……! し、仕方ないだろ!? 今日初めて会ったんだから!」
「そうだね、僕も今日初めて会った。でも名前知ってるよ?」
「そ、んなの……!」
「まあいい。そこはもういいんだ。これはお前の責任じゃなく、親の責任だしな」
俺の後ろがどよめく。が、関係ない。
「お前、僕より強いよね? 騎士の子だし、当たり前だよね?」
「あ、ああ! 強いよ!」
「だったら、なんで探さなかった?」
「へ?」
「お前のお嫁さんのノエル、なんで探そうと思わなかった?」
「そ、それは……父様に止められて……それにウルフディアの人も……」
「ノエルは親に逆らって逃げたぞ? ノエルにできて、お前にできないのか?」
「そんなこと!」
「ノエルは殺されかけたぞ!」
もう一発頭突きを喰らわす。
後ろが一々どよめいてうざい。だけど、言っておかなきゃいけないことだってある。
親の教育がなってないなら、誰かが教育してやるしかない。
「君が、魔法しか使えない僕よりも早く見つけていれば、もっとうまく切り抜けられた! それくらいの自覚はあるんだろ!?」
「あ、あるさ! 当然だ! 魔法しか使えない、貴様とは違うんだよ!」
「だったらなぜ行動しない!? 親が止めた? 相手の家が必要ないといった? 関係ないだろ! 君がどうしたいかだけで、君が動いただけで、ノエルは危険を冒さずに済んだんだぞ! それを人のせいにして、甘ったれてんじゃねえよ、クソ貴族!!」
「な……! 貴様……!」
まあ、これは暴論だ。正論っぽく言ってるけど、暴論でしかない。
こいつが俺より早く見つけていたとしても、あのキツネからうまく逃げられるなんて思っていないし、結局はノエルが逃げ出さなければよかったんだし。
だが、今はそんなことどうでもいいよね。些細なことさ。
俺はグレンから視線を外し、後ろを向く。
今揃っているのは、ウルフディア家とレギオン家の家族と使用人だろう。
「いいか!? ノエルを殺しに来たのは獣人だ! 獣人が、何故王都で殺しを普通に、平然としている!? お前ら貴族が飼ってんじゃねえのかよ!?」
「小僧、口を慎め!」
レギオン家の騎士だろう。そいつが剣の柄に手をかけて言ってくる。
はっ、なんだコイツら。グレンを散々罵っているっていうのに、自分たちに矛先が向いたら怒るのか。
俺はその騎士に反応することなく、グレンへと向き直る。
「強いだけじゃ生きていけない。世界は簡単に裏切る。切って捨てられる」
「な、何を言って……」
「その時に後悔したんじゃ遅い。間違う前に、捨てられる前に動け。今回は怖い思いをさせたけど、僕が守ってやれた。今度からは、君の番だ」
「……」
俺はそこでようやくグレンから手を放す。
グレンは何を言われたのか分からないような表情をして、俺を睨むようにして見ていた。
ま、わかるはずもない。俺だって、気づくまでわからなかった。
守れたかもしれない人を守れなかったってのは、心にくる。後悔は先にも役にも立たない。
やって後悔するよりも、やらずに後悔するよりも、やって後悔しない選択が一番正しいのだから。
さて! 仕切り直して、と!
「以上! 子供の喧嘩でした!」
俺はにこやかにそう宣言する。
精一杯の笑顔と明るい声で、この重苦しい空気を打ち砕く。
周りは俺の態度の豹変ぶりに困惑している様子だ。だが、関係ない。
「さあ、姉さん。帰りましょう。父さんたちももう用事が済んでいるでしょうし、集合場所は馬車でしたよね?」
「え? え、ええ。そう、よ……?」
「ほら、ネリも行こ」
戸惑っているノーラとネリの手を掴んで、足早に去ろうとする。
うん、俺もこの空気の中に長居したくないんだ。
それに、両家が困惑している今のうちに見えないところまで逃げておきたいってのもある。
「あ……ね、ネロ!」
「じゃあね、ノエル。縁が合ったらまた会おう」
俺に手を伸ばしたノエルに、笑顔を振りまいてそう答える。
まあ、もう会うことはなさそうだけどね。
ニューラはほぼ没落。ノエルは公爵家と結ばれる栄進貴族だ。
「……貴様、名前は?」
「聞いてなかったのか? ネロだよ。辺境の守護騎士の子供さ」
グレンが、非常に不服そうにだが聞いてきたので、名前だけ答えておく。ノエルにはクロウドって名乗ってるし、無駄な足掻きだろうが。
俺はそのまま、強引にノーラとネリの手を引いて去っていった。
☆☆☆
俺は後ろを気にしながら歩く。
ウルフディア家やレギオン家からの追手はないようだな。少し暴れすぎた感もあるが、大丈夫……なのか?
まあ、ノエルが取り計らってくれたと思っておこう。
だが、それでも目をつけられたりとかしたんだろうなぁ……。
「姉さん、ごめんなさい。少し、熱くなりすぎました」
「私に謝られても困るけど……ネロが謝る必要はないわよ」
隣を歩くノーラに謝るが、そう返されてしまう。
「確かに少しヒヤッとしたけど、私、今すごくうれしいのよ?」
「え?」
「だって、ネロっていっつも良い子でいて、失敗したってすぐに謝って同じ失敗はしなくなるじゃない?」
……そうだったか?
いい子でいるようにしているのは、前世が前世だけに、家族にまで裏切られるのは勘弁してほしいから、信頼を得ようとしているだけだし。
失敗すればすぐに謝るようにもしているな。後からだと言い難くなるし、何よりすぐに謝らないと……いや、この記憶はいらないな。謝っても謝らなくても同じだったし。
ま、全部前世の記憶のおかげだということは確かか。
「なのに、今日のネロは悪い子だったからね。これはもう、兄さんたちにも教えてあげなくちゃ」
「なんで悪い子なのに報告するんですか!」
性格悪いぞ、この姉。
……まあ、そりゃいつも良い子してたらそういう反応になるか。……なるか?
「兄ちゃんかっこよかった!」
「うん、かっこよかった」
……なんだろう。とても照れくさい。顔が火照るのがわかる。
こんな経験はなかったからなぁ。
俺はかぶっている帽子を目深にかぶって俯くようにする。
「あら? 照れてるの?」
「う、うるさい! 早くいきましょう! 兄さんたちが待ってるかもしれません!」
それだけ残し、俺は二人を置いて待ち合わせ場所まで走った。




