第三十八話 「最終決戦、そして」
翌日。
皆を連れて、町からすぐ近くの更地へとやってきた。
広さ的には東京ドーム十個分……とかいうが、東京ドームを良く知らないし、だからこんな説明をされても全然わからないんだけど。
地平線が見えるくらいには、広大な更地だ。でかい岩とかもごろごろ落ちているが。
皆は特に武器の装備などはしていない。まぁ、魔導書さえあれば十分戦えるし。
俺だけ、シグレットから剣を借りているが。
「ほい、イズモ」
「ええ……すごく簡単に渡されても……」
イズモに選定を切った黒の魔導書を渡す。
魔導書を持ったイズモは、すぐに赤かった目を黒くさせた。髪は元から黒色だから、変化は特になさそうか。
「んじゃ、レイシーはこっち。お前らは、ちょっと俺らを囲うように」
レイシーを手招きして呼び寄せ、皆に配置についてもらう。
「何をなさるんですか……?」
「んー……レイシーは別に心配しなくていいよ。約束しただろ」
「絶対に守る、ですか?」
レイシーに頷きを返したとき、俺とレイシーを囲っていた魔導師たちの持つ魔導書から、精霊が呼んでもいないのに、はじき出されるようにして現れた。
グリムを除いた精霊たちは困惑しているようで、それぞれの魔導師たちへ視線を向ける。
が、彼らにも状況がわかっていないとわかると、当然中心にいる俺とレイシーへ視線を投げてきた。
「貴様! 何をした!?」
「この魔力は……無神か!」
「バカな! 奴は封印したはず!」
「出てこれるわけが……!」
精霊たちが口々に叫ぶ中、俺とレイシーにも変化があった。
体が急に重くなったような、何かを背負わされた感覚がする。
が、俺の方はすぐに消え、逆にレイシーの方は一層重くなったのか、膝をついて呻く。
俺は急いでレイシーから離れる。
「小僧! 貴様……ッ!」
「うっせーな。俺は、あいつに言われたとおりのことをしたんだよ」
赤の精霊がうるさい。他の精霊たちも、俺に対して何かを言いたげにしている。
だが、俺はそれらに取り合うつもりはない。
そうこうしている間に、呻いていたはずのレイシーの声が、微かに笑いを含んできた。
「くっふふふ、ははははは!」
蹲っていたレイシーが立ち上がり、哄笑を上げた。
……いや、レイシーではない。
「ようやく! ようやく出てこれた!!」
そういってこちらを睥睨するのは、レイシーではない。
無の精霊アレイシア、だ。
「礼を言うよ、ネロ・クロウド! 君のおかげで、私はここに降臨した!」
アレイシアが叫ぶ。レイシーの小さい体で。
「本当は君の体が良かったんだが……やはり他の色が混ざっていると難しかった」
「そうかい。それは残念だったな」
「……ふん、減らず口が」
アレイシアが片腕を振る。
その瞬間、真っ白い光線のようなものが放たれた。
魔導師たちは身を守るために動き出す。
一人だけ動けていないノエルの方へ駆け、引っ掴んで岩の陰に隠れる。
光線は特に狙いを定めているわけでもなく、放たれて少しすると爆風を放った。
周りに建物は一切ないし、人も寄りつけないよう頼んでいる。被害は、ないはずだ。
「ちょ……なんなのよあれ!」
「えーっと、無神様?」
「無神って……!」
「正確には無の精霊だ」
ノエルがぶつけてくる質問に返し、岩の陰からアレイシアの方を見る。
ちょうど、グレンとリリーが魔導を放って攻撃を行ったところだった。
二人の魔導は、アレイシアの腕の一振りで、掻き消されてしまった。
「えっ!?」
「あー、やっぱ無理か」
「あなた……!」
一緒に見ていたノエルに、岩の陰に引きずり込まれる。
「ちゃんと説明して!」
「何を?」
「全部!」
全部か。さて、どこから話したものか。
「まず、あいつは何なの?」
「元はレイシー。俺の奴隷。その体に、無の精霊を自称するアレイシアが憑りついた」
「……なんで、今更出てきたの?」
「推測だが、無神の力は強大で、普通に降臨しても世界自体がその力に耐えられず崩壊する、んだと思う。
その無神を降臨しても支えられるように、純色神の力を持つ魔導師たちが必要だったんだと思う。
俺や姫様が持っているのではなく、ちゃんと魔導書に適応した者が持つことによって」
正直、本当にこうなのかはわからない。
だが、俺に魔導書を集めさせ、魔導師も都合よく存在していた。
ならば、きっとアレイシアの降臨に必要なことは、言った通りで合っているはずだ。
「なんで魔導が消されたの?」
「あいつは無の魔導を使う。
いいか? この世界の魔法・魔術・魔導はすべて色だ。それらは画用紙を塗るように、この世界に事象を起こす。わかるな?」
「う、うん」
「無の魔導は、それらをすべて掻き消す。
赤や青の色を画用紙に塗りつけたとして、無は画用紙を破り捨てて新しい紙を用意するようなものだ。だから、魔法系統はすべて効かない」
「じゃ、じゃあ、あんなのどうやって……」
ノエルが再び岩の陰から顔をのぞかせようとする。
俺はその腕を引いて、引き寄せる。
「え、なに?」
「怪我してるよ」
「い、今そんなこと……」
飛んできた何かで切ったのか、ノエルの二の腕が服ごと切れていた。
腕を捲り、傷を見る。
「ネロ……? これくらい自分で――」
言い終える前に、俺はその傷を舐める。
「ふぇ!?」
「ほい、治った」
「……き、器用なことするわね」
舐めると同時に回復魔法をかけただけだ。別に器用ではない。
それに、ノエルの傷を舐めた、つまりノエルの血を飲んだことによって、魔臓に痛みが走る。
ぐ……っ、今まで以上に痛いな。全色集めたからか?
でも、気絶するほどではない。
「こんな状況でキスするよりも良いだろ」
「き……っ! 今そんなことしている場合じゃないでしょ!?」
「わかってる。でも必要なことだ」
俺は岩陰からあたりを見る。
右側、イズモがいる方に目を向ける。
イズモはアレイシアに集中しているようだが、呼び出されたままのグリムはこちらを向いていた。
グリムと、声は出せないので目だけで会話する。
グリムは呆れた様なため息とともに、頷きをくれた。
「ノエル。よく聞いて」
「な、なに?」
「あいつは俺が何とかする。危険になれば、ちゃんとお前らに頼る。いいな?」
「……」
「それと、これを持って」
ノエルの手に、小さい紙と魔石を渡す。
「なにこれ……」
「転移魔法陣の携帯版、それと神級魔石」
「へ、は……?」
「ノエルと、他全員、転移魔法で移動して」
「ま、待ってネロ!」
「待たない。後は全部、黒の精霊が知っているから。頼んだ」
「あ、ネロ!」
ノエルの制止は無視し、俺は岩陰から表に出る。
周りからの魔導の対処を行っていたアレイシアは、俺に気付くとこちらに向き直る。
同時に、俺への誤射をしないようにか、魔導も止まる。
「よう、アレイシア。随分と上機嫌だな」
「当たり前じゃないか。私はこれで、念願が叶うのだから」
「さて、それはどうだろう?」
アレイシアへと近づく。
「何の真似だい? 魔導師でもない君は、私には敵わないよ。……いや、魔導師ですら、敵わない」
「それもどうだろうな」
俺は笑みを浮かべる。
「わからないか、アレイシア。その無の魔導が、お前だけのものではないということに」
「……何?」
「俺は今、全色を持っているぞ」
「……」
「そして、感情も十分だ」
「ハッ、何を言いだすかと思えば」
アレイシアは小馬鹿にしたように笑う。
「そんなもの、君にはないだろう? 君には怒りも憎しみも嘆きも冷静も十分だろう。だけど、君に信頼はあるのかい? 楽しさはあるのかい? 慈悲はあるのかい?」
「あるさ」
即答に、アレイシアがわずかに止まる。
「俺は世界に怒っている。世界が憎い。家族がいなくなって嘆いた。どんな時でも冷静であろうとしている。俺は彼らを心底信頼している。彼らといるのは楽しい。彼らが何をしようとも許すことができるだろう」
俺は、感情の上限を取っ払う。
ガラハドにかけてもらった、俺が暴走しないためのものだ。
あまり効果があったとはいえない。むしろない方が良かったかもしれない。
だけど、アレイシアに悟られないためには十分役割を果たした。
そして、すべての色の魔力を持ち。
すべての感情を溢れさせた。
すべての魔導書を扱う権利がある俺に生まれた、新しい感情。
「……なるほどなぁ。これが、お前か」
「……やめろ」
「確かに、これは厄介極まりないな」
「やめろッ!」
「無神にふさわしいよ。この、虚無という感情は」
「……ッ!」
普通に生活していれば、こんな胸糞悪い感情は沸かないだろう。
だけど、いろんな感情がぐちゃぐちゃに混ざり合い、変貌を遂げ、一つの感情に集約した時。
何にも感じない、虚無という感情に至るわけか。
「貴様……ッ!」
「アレイシア、一緒にダンスでもしよう……ぜッ!」
一歩でアレイシアとの距離を詰め、精一杯ぶん殴る。
身体強化を最大で放った拳は、アレイシアの顔面に入り、そのまま吹っ飛んでいく。
おお、すげぇ。キラーンって音がしそうなくらい吹っ飛んだ。レイシーに謝らないといけないな……。
「グリム、頼んだぞ」
振り返らず、それだけ告げて俺はアレイシアを追った。
呼び止めてくれる声を、無視して。
☆☆☆
「よく吹っ飛んだなー」
「貴様……ッ!」
アレイシアを追いかけて、結構遠くまで来てしまった。
まぁ、あいつらから引き離すには、ちょうどよかっただろう。
俺はアレイシアへと向けて、剣を抜く。
「残念だったな。お前は行動が遅すぎた。もっと早く、グレンたちと会う前に俺を洗脳しておくんだったな」
「無茶を言う。言っただろう、君が関わる者すべての運命が変わる、と」
「それでも、何もしないよりはマシだったはずだ」
俺だって、何も知らない、エルフの里に着いたばかりの時ならば、アレイシアの世界廃滅に手を貸したかもしれない。
こんなクソみたいな世界、消えたってまったく問題ないのだから。
あの時は、ネリさえどうにかすると言ってくれれば、俺はきっとアレイシアを信じただろう。
「……君は、世界が嫌いなんだろう?」
「ああ。大っ嫌いだ」
「なら、今からでも遅くはないはずだ」
そういって笑みを浮かべてアレイシアが手を差し出してくる。
「まだ間に合う。私と一緒に、世界を壊そう」
「……」
その手を、俺は弾く。
途端にアレイシアの表情は一切なくなった。
「バカ言ってんな。確かに俺はこの世界が大っ嫌いだ。
だけど、残念だ、アレイシア。俺は彼ら彼女らを愛してしまった」
「……バカ言っているのはどっちだ」
「ククッ、どう言おうが変わりはないさ。俺はこの世界が嫌い。だけど、彼ら彼女らの人生を潰してまで、我を通す気はない」
「……」
俺はこんな世界、今でもどうだっていいと思っている。
だからこそ、どうだっていいなら、愛する彼ら彼女らを殺す結果になる世界を壊すことは、しない。
「これが慈悲か? いや、ちょっと違うか」
「わがままじゃないかな?」
「そうかもな。わがままで、エゴだ。だから、俺はお前と手を組まない」
「……仕方ない」
アレイシアの左手が光った。
そして、魔導が放たれる。
「やめとけ。効かないのは、お互い様だろ」
その魔導は、俺も同じように放った魔導で相殺される。
俺とアレイシアは、すでに最も強力な色を手に入れている。
白より理不尽で、黒より無慈悲な色。
無色。
無色とはどんな色だろうか。
白色? 違うだろう。
たとえば画用紙の白。
絵具や色鉛筆の白を塗る、その前の、素材としての白。
たとえば目を閉じたときの黒。
光がなく、何も映し出せない、ただそこにあるだけの黒。
俺たちの前に、あらゆる魔法は存在しえない。
掻き消されてしまう。塗り潰されても、新しい紙を用意されてしまう。
それらがぶつかったときだって同じだ。
「……つまり、君の持つ剣で、私を殺そうってわけか」
「動けなくするだけさ」
腹に一突きすれば、動けなくなるだろう。
「わかってないな。私は確かに人の身に押し込まれてしまい、人と同じ生死がある。だけど、魔力まで人と同じにするなよ」
「お互い、魔力はアホほど持っているだろ」
俺はアレイシアから魔力を借り受け、そしてアレイシアもレイシーの持つ魔力に依存している。
レイシーに上げられるだけの魔力を上げていたとして、それは俺よりも多いとは言えないだろう。
俺はアレイシアへと向けて、剣を握り締める。
レイシーの体とはいえ、アレイシアが憑依しているのだから手加減などできるはずもない。
俺が動き出す前に、アレイシアが先手を取った。
奴は俺へと一気に接近すると、拳を振るってくる。その拳には闘気が纏われており、一撃が重いはずだ。
その場で腰を少し落とし、アレイシアの攻撃を完全に見切る。
魔眼と、経験則に頼った勘。
その二つだけ。それで十分だった。
アレイシアの繰り出した拳は、俺の顔面ぎりぎりを通り過ぎてゆく。
そのうちに、握り締めていた剣を、跳ね上げるようにして斬り上げる。
狙いは左腕。肩口から持って行ってやる。
手を動かすと同時に歯を食いしばる。
もとはレイシーの体だ。抵抗がないと言えば嘘になる。
それでもやらなきゃいけない。迷わないよう、口内の肉ごと食いしばる。
その瞬間、アレイシアが笑った。
「――ネロ様」
その口調は、声音は、明らかにレイシーのものだった。
「……っ!」
剣速が鈍った。
余計な力が加わってしまった。
その一瞬の隙に、アレイシアの蹴りが腹部にあたる。
「ごはっ!」
胃の中がシェイクされ、胃液が散る。
そのまま後方へと吹っ飛び、岩か何かに背中から激突した。
身体強化のおかげで大事には至らなかったのは幸いか。
そのまま、俺は一息つく。
戦闘中だというのに、暢気なことをしているが、それでも俺は溜め込んでいたものを吐き出さずにはいられなかった。
「どうしたんだい? 私をどうにかしないと、この世界はなくなっちゃうよ」
アレイシアの口調で、レイシーが近づいてくる。
世界がなくなる、ね。
別に世界を壊そうとかは思っていないんだろうけど、自分が支配する魔物の世界にでも作り変える気なんだろうか。
そのためにも、今いる七種族は邪魔であり、七大国は滅ぼす、と。
そういうことなんだろう。
しかし、そう易々とやられる七大国ではないはずだ。
いくらなんでも魔物の大軍に負けるほど弱くはない。
……そこにアレイシアという、無神が居ればどうなるかは明白か。
「なに、もう死んじゃったの?」
「死ぬかよ。ただ、考えてるだけだ」
「へぇ。私を殺す方法を?」
「いや。拘束する方法を」
俺は、アレイシアが憑依してレイシーはいなくなったものだと思っていた。
まぁ、今のもアレイシアの演技かもしれないが、奴はそこまで器用ではないだろう。
なので、アレイシアの中にレイシーがいる。
今のアレイシアを殺せば、レイシーも死ぬ。アレイシアは、どうなるかわからない。
どうせ幽体みたいになって逃げるんだろう。
だが、それでは意味がない。
アレイシアをどうにかしない限り、この危機はいつまでも続く。
奴にとって、今最も大きい脅威が俺だというのならば、俺に負けると悟ったならば。
俺が死ぬまで、また高みの見物をしてしまう。
そして、また都合のいい駒が手に入ったころに、また世界征服でも狙ってくるだろう。
今、ここで、アレイシアをどうにかしなければ。
……だが、あの体はレイシーのものだ。
腕を切り落とせば、アレイシアを引きはがした後には、腕のないレイシーになってしまう。
最悪ダルマにでもして動きを止めてやろうと思っていたが、できなくなってしまった。
「ご苦労なことだね。そんなこと考えているから、君は私に勝てないんだ」
「まだ決まってもない戦いだ。それに、別に勝つ必要なんてないさ」
俺は土煙の舞う中、立ち上がって両手で顔を張る。
「さて。再開しようか」
言い、構える。
剣はなるべく使わない。闘気を纏った拳や蹴りに対してのみ、使う。
魔法も最低限に抑える。身体強化のみに集中する。
無の魔導は、アレイシアの攻撃を相殺するときだけ。
三つの制約で、戦うとしよう。
これで十分だ。どうせ、俺が死んだところでもう一つ、頼りない希望は残っている。
「何を考えているか知らないけど……君にこの子を傷つけられるわけがないよね」
「よくわかっているじゃないか」
「そんな君に素敵なプレゼントをあげよう」
アレイシアが、不気味な笑みを浮かべてそういう。
どうせろくなものであるはずがない。
「――ネロ様」
「……レイシー」
なるほどね……。
意識だけをレイシーに返し、体はアレイシアが支配したまま。
会話だけでもさせて、動揺でも誘っているのか。
「っ!」
レイシーの体が動き、腕全体に闘気を纏わせ、頭を狙ってきた。
咄嗟にしゃがんで避けるが、避けた先に膝が待っていた。
容赦ない膝蹴りが、顔面に入った。
「痛ッ……くそっ!」
勢いで仰け反った態勢を無理矢理戻し、横っ飛びで射程圏から逃れる。
転がったまま距離を取り、片手で顔を覆いながら立ち上がる。
「ネロ様! レイシーに構わないでください!」
「そういうわけにはいかないんだよ」
レイシーの体が、距離を詰めてくる。
繰り出される拳を躱し、捌いて何とか致命傷は避ける。
「このままではネロ様が死んでしまいます!」
「ざけんな! 俺が死んだところで第二第三の刺客が……!」
「そんな冗談を言っている場合ではありません!」
なんだよ、せっかく人が必死こいて明るくしてやろうとしているっていうのに。
レイシーの手が薄く発光した。
すぐさま俺も手に魔力を込めてぶつけ、魔導を相殺させる。
何が出てくるかわからない分、できるだけ発動させないようにしなければ。
下手をすれば地図が書き換わってしまう。
「大体俺が死んだところで、まだまだ策は残ってんだよ」
「だったらレイシーを殺したって構いません! ネロ様のいない世界など、レイシーは……!」
「お前を殺せば、お前のいない世界に俺がいることになるだろうが」
「レイシーは奴隷です! 替えはいくらでも……!」
その言葉に、思わず頬が引きつった。
レイシーの顔面を狙った右ストレートを、下から左手で掴み上げる。
代わりに、今度は左から腹部を狙って拳が放たれるが、それも右手で押さえつける。
両手を取り、そのままレイシーの体を引き寄せる。
そして、俺も容赦なく頭突きをレイシーに喰らわせた。
レイシーの顔が苦痛で歪む。
俺は構わず、レイシーの顔の間近で叫ぶ。
「ぐだぐだうるせえんだよッ!」
俺の怒声に、レイシーがビクリと震えた。
「いいか!? お前は奴隷だ! 奴隷が主人に口答えしてんじゃねえよッ!
奴隷は奴隷らしく、主人の言うことだけ聞いて頷いて太鼓持ちしてりゃいいんだよ! それが生きていくためのモンだろうが!
お前は死にてえのか!? 『生きていたい』って言ったのは嘘か!?」
「う、嘘じゃありません! でも、それは……!」
「俺の奴隷だからか!? それこそふざけんな! 奴隷が奴隷であることを容認しようとすんじゃねえよ胸糞悪い!
主人殺してでも解放されようとして見ろよ! もっと自由に生きたいと思えよ!
お前の根性はその程度か!?」
「それは……でも……!」
「口答えは禁止だといった!
いいか!? お前は奴隷だ! 何度でもいってやる、お前は俺の奴隷だ!
奴隷は奴隷らしく、主人の言葉を信じて黙ってろ! わかったか!?」
「わかってます! 信じてますけど、それはネロ様の死も肯定しろと!?」
「ああそうだ! その通りだ! 主人が死ぬと言えば肯定しろ! そのあとは解放されたお前の自由だ!」
「そんな、こと……!」
なおも口答えをするレイシーに、俺はもう一度頭突きを喰らわせる。
そして荒くついていた息を少しだけ整える。
レイシーから両手を離し、顔を掴んで上に無理矢理向けさせる。
レイシーの金の瞳を見据え、落ち着けた声音でもう一度話しかける。
「なぁレイシー、俺はそんなに頼りないか? お前を傷つけず、アレイシアを引きはがすことが、俺には無理だと思うのか?」
「そんなことは……」
「だったらもういいだろ。お前はお前にできることをやれ。俺は、死なないようにアレイシアを引きはがす」
「……っ」
「わかったら返事!」
「はい……!」
レイシーは決心したように、力強く頷いてみせた。
それと同時に、拳が腹に叩き込まれた。
来るだろうと予期はしていたので、身を引きながら何とか威力を逃す。
その反動で後退していきながら、大きく息を吐いた。
レイシーの意識は再びアレイシアに変わったのか、先ほどまでの表情は掻き消えていた。
代わりに不機嫌そうな無表情になる。
「どうしたアレイシア。随分と機嫌が悪そうじゃないか」
対し、俺は笑みを浮かべて訊く。
「……つまんないな。せっかく面白いものが見られると思ったのに」
「ほう。お前はいつから、俺がそんなものをお前にみせると思っていたんだ?」
お前のみたいものなど見せる気はない。
「……確かにね。ああ、そうだ。君はそういう奴だったね。そういうところが――」
「嫌いか? 残念だが、お前に好かれたいとも思わん」
アレイシアの右手が光る。
同時に俺も左手に魔力を貯め、アレイシアが放つと同時に魔導を相殺させる。
これも何度繰り返しただろうか。
「ああもう! 面倒臭いなぁ! なんで大人しくやられてくれないかな?」
「そりゃ、死にたくないからさ」
「……ほんと変わったよね、君。小さいころなんて、殺して殺してと喚いていたのに」
「変わらざるを得なかっただけ、だ。まったく、この世界の住民は困った奴らばかりで疲れる」
俺がいなくとも、ちゃんとやって欲しいものだ。
頼られることは嫌いではないが、頼り切られるのは嫌だ。
「もういいよ。さっさと君を殺して、世界を作り直す。邪魔のいない、今の世でね」
「やめとけ、アレイシア。お前には無理だ」
俺の否定に、アレイシアの頬が引きつる。
そして先ほどよりも濃密な闘気を腕に纏わせ、俺へと突っ込んでくる。
「無理なのは君の方だ!」
右からの大ぶりな叩きつけを、剣で弾き返す。
空いた左からも攻撃が迫るが、それはしゃがんで躱す。
右足が振り上げられる。
振り下ろされる前に、斬り上げの要領でさらに弾き返す。
シグレットの貸してくれた剣が良いのか、暴力的なアレイシアの闘気の纏った攻撃を何度弾いても壊れる様子はない。
鍛冶師が違うと、ここまで強度に差が出てくるのだろうか。紹介してもらおうかな。
と、余計なことを考えていたせいで、アレイシアの拳が鳩尾に入った。
胃液が喉まで逆流してくる。朝はあまり食べていないし、すでに内容物は吐き散らしているので、まだ飲み下すのも楽だった。
「ゲーゲー汚いな」
「うっせ……なら腹殴るな……」
口端から涎が垂れてくる。舌で舐めとり、前のめりになっていた体を起こす。
でも腹殴るなといったら、顔面になるのかな……セルフ整形は嫌だな……。
アレイシアの右足が、顔面に迫っていた。
慌てて顔を傾けようとするが、数瞬遅く、頬をかすめただけだというのに吹っ飛ばされた。
地面を転がり、起き上がるのも苦しくなってきた。
頬が痛い……。回復魔法ですぐに治すが、魔力残量が心配になってきた。
俺は岩を背にして、座り込む。
荒く息を吐く。もう剣を握るのもきついな。
体力が絶望的にないな……ネリの時は、もっと上手く立ち回れていたのに。
レイシーだと思っているからダメなのか。
まだまだ不健康なガリガリの体で、殴りつけただけで折れてしまいそうな体だ。
アレイシアが闘気を纏っていてくれないと、殴れそうもない。
座り込んでいると、待つのも我慢できないのかアレイシアが目の前に近づいてくる。
俺はアレイシアを見上げるような態勢になってしまう。
「いい眺めだね。君を見下せるなんて」
「そうか? 俺も結構いい眺めだぜ。レイシーの顔は悪くないからな」
「減らず口が……」
アレイシアの拳が、顔横の岩に叩きつけられ、岩が砕ける。
「もう一度訊くよ。本当に手を組む――」
「ねーよバーカ」
「……」
口角を吊り上げ、アレイシアを睨む。
「……残念だ」
「その前に、第二ステージだぜ」
俺は、持っていた紙を開き、地面に叩きつける。
瞬間、俺とアレイシアのちょうど足下に、魔法陣が展開された。
「これは……!」
「転移魔法陣だ。が、死んだら悪い。魔石、持ってねえんだわ」
両手をひらひらとさせ、何も持っていないアピールをする。
魔法陣が鳴動した。
魔法陣の上の俺、そしてアレイシアから魔力を吸い、転移魔法が起動される。
「失敗すりゃ空間の狭間。成功しても魔力枯渇の可能性。いい賭けだろう?」
「この……狂人がッ!」
「狂ってなきゃ、お前とも戦わねえよ」
そして、景色が入れ替わった。
☆☆☆
無事、俺もアレイシアも転移を成功させた。
その代わりに魔力をごっそり持っていかれ、身体強化すらできそうにない。
だが、それはアレイシアも同じだ。
景色は前の場所とそう違いはない。
ただ、遠くに傾いた城が映る程度だ。
「へっ、よかったな、死なないで」
「……本当だよ。これで、君を殺せば、君の持つ魔力が還ってくる。合わせれば魔法一つ放てる量にもなるさ」
「どうだか」
俺とアレイシアの立ち位置は変わらない。
俺は手を後ろにやって体を支えてはいるが、立ち上がることはほぼ不可能。
そして、剣も落としてしまっている。
その剣にアレイシアが手を伸ばし、俺へと向けた。
「先に向こうに行ってな。すぐに君の愛した人たちも送ってあげるよ」
「そいつは嬉しいが、必要ない」
「……なに?」
「もう、そこにいるから」
俺の視線の先。そこには、グレンがいる。
視界の両端には、リリーとミネルバもいる。
アレイシアが俺の視線の先に気付き、辺りを見回した。
「バカな……! ここは一体……!?」
「先にあいつらを転移させておいただけだ。簡単なトリックだろう?」
ここは、誰も知らないとある島の中心付近だ。
そして、その転移魔法陣の周りに、グリムともう一人の指示によって魔導師たちが囲っている。
「【タワーリングインフェルノ】!」
アレイシアがいた場所に、黒い炎が襲いかかる。
俺も良く使っていた、黒の魔導師であるイズモの魔導だ。
アレイシアに無の魔導を使う魔力はないため、後ろに跳んで回避した。
その着地と同時に、全方位から魔導師たちの拘束魔導がかけられる。
それは鎖だったり、檻だったり、水だったり、いろんなものでアレイシアを拘束した。
「ネロ……ッ!」
「悪いが、俺じゃない」
安心して力も抜け、後ろに倒れ込みそうになったとき、背に誰かの膝が添えられた。
「よく頑張ったじゃねえか。まぁ、お前がどうにかするっていう話はなくなったが」
「うっせーな。あいつをあそこまでにしたんだから、大金星だろ」
俺の後ろの誰か。
見ずとも声でわかる。声を聞かずともわかる。
俺を三年間鍛えた、魔王ガラハド様だ。
「ようアレイシア! 久しぶりだなァ!」
「貴様は……誰だッ!」
……え、ちょ、魔王様?
誰だとか言われていますけど、え、魔王様?
「……まぁ、貴様が知らなくても無理はない」
無理なくなくない? ねぇ? 魔王様だよ?
無神の尖兵である魔物を掻っ攫っていった魔王様だよ?
だが、アレイシアは本当に誰だかわからないような顔をして、俺の後ろの魔王様を見ている。
ガラハドも、そこには特にこだわらないのか、手に持っていた書物を開いた。
「それは……!」
「そう、呪術書。いや、封印書と言った方が的確かな?
これから貴様、無の精霊アレイシアをここに封印する」
「で、できるわけがないだろうに! 私は、無神の意志だぞ!!」
「それができるんだな。今の貴様に、抵抗するだけの魔力がない。それに加え、純色神どものサポートもある」
アレイシアは、ガラハドの言っていることが図星なのか、歯噛みして悔しがっている。
ガラハドは呪文を唱え、呪術書を起動させる。
「ぐ、くそ!」
アレイシアは何とか拘束を抜けようとしてみるものの、がんじがらめにされておりうまいように動けていない。
その間にもガラハドの詠唱は続き、やがて呪術書から鎖が飛び出た。
鎖はアレイシアを拘束している魔導をすり抜け、アレイシアだけをからめ捕る。
「くそ! くそッ!」
「諦めろよ、アレイシア。発動したら、もう止められないのはお前も知っているだろう?」
呪術書の鎖に絡め捕られたアレイシアは、ガラハドが詠唱を終えるとともに書物へと引き込まれていく。
そのアレイシアは、白い空間にいたときの、輪郭しか認識できない姿だ。
レイシーの体は、魔導に拘束されたままで、アレイシアだけを抜き取ったようだ。
「私は! 私は諦めないぞ! 必ずこの世界を、私の手で――ッ!」
往生際の悪いアレイシアの叫びがこだまし、呪術書へと封印された。
魔導も解かれ、レイシーが力なく倒れ込むのを見る。
それでようやく、俺も一心地着いた。
「約束通り、こいつは俺がもらう」
「どーぞ。俺が持っていてもどうしようもねえよ。……てっ」
アレイシアを封印した呪術書を持ち、ガラハドが離れる。その際に地面に倒れ込んでしまった。
仰向けに倒れ、そのまま深呼吸をする。
「ネロ!」
周りにいた魔導師たちが、俺の方へ駆けよって来てくれる。
イズモに助け起こされながら、何とか笑みを浮かべる。
「あー、お疲れさん」
「バカ言ってんじゃないわよ! またこんな無茶して……!」
ノエルに怒鳴られる。
だが、緊張が解けて頬が緩む。
「この馬鹿が……何が頼る、だ。死にかけてようやく頼られても困るぞ」
「ネロは本当に……もっと人に心配させることを考えなさい」
「無茶するところはネリと同じだけど、その度合いが違い過ぎるよ」
「心配する身にもなれって言ったでしょ!」
「こんなの、パパでも食べちゃうよ!」
いろいろと言われながら、イズモに支えてもらって立ち上がる。
「もうこれで終わりだよ」
「本当に終わりなんですよね?」
「俺は終わりのつもりだ」
これ以上は、もう何もない。
魔導書を集め、イズモとノエルを解放し。
ガラハドと訓練していた時に交わした約束である、アレイシアの捕獲は達成した。
あとは俺がやりたいことが残っているだけ。それはここまで無茶をするものではない。
「ネロ様……」
「レイシー。ごめんな、囮にするような真似して」
フレイヤに抱えられたレイシーに謝る。
「真似ではなくて、本当に囮でしょう」
「いや、ホントにごめん」
「いえ……ちゃんと守ってくれたので、それで十分です」
俺はレイシーへと手を伸ばし、頭に置く。
「ごめん。それと、ありがとう」
くしゃくしゃと、レイシーの透明な髪を撫でる。
「それで? ネロ、この後はどうするつもりだ?」
「ああ、考えてあるよ」
「お、終わりじゃないんですか!?」
「魔導書関連はすべて終わりだって意味だ。これから、まだまだやりたいことがある」
驚くイズモを置いて、俺は彼らに宣言する。
「俺はこの島に、国を作る。魔導師を頂点とした魔導師国家を、な。
そのためには、やっぱりお前らの協力が不可欠だ。……ついて来てくれるか?」
皆の前に、手を伸ばす。
少しの間があり、最初にグレンが手を乗せた。
「前にも言った通り、俺にできることなら協力しよう」
「グレンにはいろいろと協力してもらうよ」
次にフレイヤが手を乗せた。
「わたくしには何ができるかはわかりませんが」
「姫様には教わることも多いだろう」
次にイズモが手を乗せた。
「どこまでもついていきますよ」
「イズモに言われると心強い」
次にリリーが手を乗せた。
「今度は絶対に逃がさないからね」
「リリーから逃げるのも疲れたよ」
ミネルバが手を乗せた。
「親の心配はもうないし、次は逃げないから」
「ミー姉には感謝してるし、これからもさせてね」
アルマが手を乗せた。
「ネリのお兄さんなら、楽しそうだよ」
「アルマ姉には迷惑ばかりかけてすみません」
ユカリが手を乗せた。
「絶対に離さないって言ったよね」
「ユカリを離すつもりはないよ」
ノエルが、ゆっくりと手を乗せる。
「……皆ほど快諾できる立場じゃないけど」
「ノエルに協力してもらえるだけで嬉しいよ」
最後に、レイシーが残った。
「レイシーも、良いんですか……?」
「ああ。レイシーがいてくれた方が、俺は安心する」
レイシーも手を乗せてくれた。
それらの手の重みに、自然と笑みがこぼれる。
俺は、ようやく実感できている。
生きていてよかったと。生きていいんだと。
この重みを忘れないよう、体に刻み付ける。
「ありがとう、みんな。
約束する。みんなを、見たこともない世界に連れて行ってやろう。
だから、これからもよろしく」
手を空へと跳ね上げた。




