お決まり事
ようやく落ち着いてきたのか、少女はまだ涙目ながらも俺を睨みつけるだけの余裕を持ち直してきた。
両手に持っていたフランクフルトはこけた際に吹っ飛んでどこかに行ってしまっている。食べ物を粗末にしちゃいけないのに。
「……何?」
「別に……」
視線が鬱陶しいので問いかけるが、すぐに視線を逸らす。
そしてまた俺を睨んでくる。
「……泣き止んだなら僕は行くから」
そういって立ち上がろうとする。
「あっ……」
少女がか細い声を出し、俺の服の裾を掴んでくる。
「だからなんなのさ? 用があるなら口で言って。僕は君の執事でもなければ家族でもない。言葉にしてくれないと」
「ふぐっ……」
「……だからなんですぐに泣く……」
俺が少しきつめの言葉をかけると、すぐに泣きそうな顔をする。
この堂々巡りのせいで、かなり時間が経ってしまっている。
そろそろ戻らないと、ナトラたちに心配されるのだが……。
「あ……なた、は……」
「なに? はっきり言ってくれないと」
「うぐっ……」
「……僕はネロ・クロウド。辺境から、今日初めて王都に来たからこの辺の地理や貴族には疎いんだ」
何を答えればいいのかはぎりぎりわかるのだが、何を言っているのかはぎりぎりわからない。
そんな感じだ。
俺は改めて、その少女を見る。
髪は輝くような銀色。白ではないのは、俺がよくわかっている。瞳の色は髪の色と対照的に満月のような金色をしている。
服装は白を基調としたお子様用のドレス。背伸びをしているようだが、中身も外見もお子様そのものである。土で汚れているし。
年齢は俺と同じくらいか。きれいな顔立ちだし、美少女と言っても良いだろう。
さて、そんな育ちの良さそうな少女が、なぜ一人で城下町に居たのか。
その話を、俺はまだ聞き出せていない。
「ほら、僕は名乗ったんだから君も名乗って」
「ふん……」
「別にいいけどね。名乗らないなら、食い意地の張ったお嬢さんって呼ぶだけだから」
「の、ノエル! ノエル・ウルフディアよ!」
そんなに嫌かね、食い意地の張ったお嬢さんは。
……嫌か。俺だって嫌だったわ。
しかし、ウルフディアか。
本を読んでいて気付いたことは、このデトロア王国の貴族のファミリーネームには、動物の名称に濁音がついていることだ。クロウドはカラスにドがついている。
そして、デトロア王国の地位には公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵と貴族でも階級が分かれている。この辺は前世と一緒だな。
クロウド家は確か、伯爵の地位だったな。で、公爵の名前にはすべて肉食動物の名称だったから……。
相当地位の高いとこのお子様か。
「そのノエル・ウルフディアお嬢様が一人で何をしていたのかな?」
「……ノエルでいいわよ」
「そ。ありがと、ノエル。で、何をしていたの?」
「……逃げ出したのよ」
ですよねー。
薄々感じてはいたんですよ。こんなお嬢様が、逃げ出す以外の理由で使用人をつけないとか。
「あ、そ。ならここでお別れだね。ばいばい」
「え……!? ま、待って!」
俺はもう一度立ち上がり、去ろうとするが、勢いよく腕を引かれる。
「何さ。他人の家の事情に首突っ込むようなことしたくないんだけど」
「……もう十分してるわよ」
「知らん」
「とにかく、待って。今私を置いて行ったら、パパに言いつけるわよ」
「おお、怖い怖い。なんでもパパ任せ。少しは自分で何とかできないのかよ」
「…………」
「ちょ、おい! やめろよ!」
ノエルが、いきなり俺の服をタオル代わりに涙と鼻水を拭い始めた。きったねー!
「はぁ……ったく、で? 僕に何をして欲しいの?」
「……にいて」
「なんて?」
「一緒にいて!」
☆☆☆
まったく理解不能である。
なぜ、見ず知らずな俺をここまで引き止めるのか。
そりゃ、この歳でひとりってのは心細いのかもしれないが、そんなの逃げ出す時に気付くものだろ。……ああ、こいつ、お嬢様だったな。何も考えてなさそうだ。
しかし、そろそろ戻らないと本当にナトラたちが心配しそうだ。早く戻りたいのだが……。
「一緒にいて、どうするの?」
「あの、ね……? 今日、私の結婚相手が来るらしいの」
「……ノエルって何歳?」
「8歳だけど?」
……うん、きっと将来の、とかだ。許嫁、婚約者だ。たぶん。
そうじゃなかったら……どの世界にもロリコンはいるものなんですね……。
「で、それが嫌だから逃げた、と?」
「うん……」
「でもさ、それって意味ないでしょ。相手はいつでも、何度でも来るだろうし」
「ううん。その相手、今日しかここにいないらしいの。だから、今日だけ逃げれば」
「でも王都だよ? 生涯に一回しか王都に来ない、なんてことありえないでしょ」
「う……」
「それに、ノエルは貴族なんでしょ? だったら、その人以外にもそういった人が他にもいるだろうし、そっちの方は王都に住んでるかもしれないんだよ? そうなれば、いつでも会いに来る。結局――」
「ひぐっ……」
「……人の話くらい泣かずに最後まで聞けっての」
俺はため息を吐きながらノエルの頭を撫でてやる。
はぁ、なんでここまで泣き虫なんだ? こいつは。親の教育がなってないのか、環境が悪いのか……。
どちらにしても、救いようがないか。
「それで? 相手は誰なの」
「……グレン・レギオン。北の方に領地を持つ公爵家で、同い歳の子」
「はぁ……なるほどねぇ」
確か、北の方は亜人族のユートレア共和国と接してたっけ。
デトロア王国はあそことも仲が悪いからなぁ。ていうか、歴史が歴史だけに仲が良い国がないし。
しいて言うなら、天人族のヴァトラ神国とは一応外交をしているのか。
「逃げたところで意味はなし。じゃ、帰ろうか」
「な、なんでよ!?」
「僕が一緒にいて、僕が連れ出した、なんて言われると困るんだ。僕の実家も貴族。両親はあんまり仲が良くないらしいし、目をつけられてさらに関係悪化なんて嫌だよ」
「で、でも……」
「人間、どっかで妥協しないと生きていけない。それに、貴族に女として生まれたら、結婚相手を自由に選べることなんてほぼ不可能だよ」
「それでも! それでも、私は……!」
「意見があるならパパに言いな。僕に言ったところで解決できるわけないでしょ」
突き放すような言い方だが、こうでも言わなきゃ引き下がりそうにないしな。
それに、俺に言ったってどうにもできないのは事実だ。クロウド家とはいえ、位が違うし両親は実家と仲が良くない。どうしようもできない。
ノエルの家が公爵家なら対等に話し合えるし、ワンチャンくらいあるだろう。
「さ、帰ろうか。どっちにしても、ここに居たって何の解決にもなんないよ」
そういって手を伸ばすと、ノエルは諦めたように手を伸ばしてくる。
そして、ノエルの手を握ろうとした時、
「――!」
「ふぇ!?」
俺はノエルの手を力強く掴み、勢いよく引き寄せる。
その数瞬後、先ほどまでノエルのいた場所に何かが音を立てて降ってきた。
その何かは着地点に小さなクレーターができるほどの威力を持っていた。
もうもうと砂煙が立ち上る中で、何が降ってきたのかを確認する。
「これって……」
振ってきたのは、黒光りする球体だった。
鉄球? そんなはずはないと思いたいが……。
いったい何のために? ノエルのいた位置だから……だけど、殺すよりも攫った方が利益はあるはずだぞ?
その鉄球は鎖がつながれており、その鎖は建物の屋上へと続いている。
「ほう、避けますか。なかなかいい勘してますねぇ」
「……あんた、誰だ?」
屋上に立つその鎖を握る人物は、逆光とマスクのようなものでよく見えない。
シルエットからすると……獣人か?
だが、ここは人間至上主義の王国だぞ。獣人が動き回れるわけがない。
「うーん、さすがに今回の仕事は気が引けますねぇ。まだ幼いというのに……」
勝手に一人で語り出したそいつを放っておいて、俺はノエルの方へ向く。
ノエルは状況をうまく飲み込めていないようで、困惑した表情を浮かべている。
「ノエル、大丈夫?」
「へ? え? だい、じょうぶ……だけど……え?」
「よく聞いて。あいつの狙いは、たぶんノエルだ」
「……え?」
「大通りまで走るよ!」
俺はノエルの手を握ったまま、駆け出す。
「おや? どこへ行こうというのです?」
屋上にいた獣人も、屋根を伝って追ってくる。
そいつは、あの鉄球を軽々と巻き上げると、こちらに向かって投げつけてくる。
最初と同じように、轟音が鳴り響く。
「きゃあ!」
「走って!」
鉄球の攻撃に一々立ち止まりそうになるノエルの手を強引に引き、大通りを目指す。
あいつだって人前で攻撃をしようとは思わないだろう。
それまでだ。それまで、攻撃を避け続けなければ。
「大通りに行くつもりですか? させませんよ!」
鉄球が目の前に降ってくる。
急ブレーキをかけ、方向転換する。ノエルを振り回すようになるが、そんなことに構ってられない。
「急いで!」
「わ、わかってるよ!」
あの獣人を撒くのは至難の業だ。今は、攻撃を避け続けて大通りに出るしかないだろう。
だが、鉄球は的確に俺たちの進路を阻み、大通りへと向かわせてくれない。
……これだけの轟音を鳴り響かせているんだ。誰かが気付く可能性がないわけじゃないはずだ。
それでも、やはりおかしい。
路地裏だからって、人っ子一人いないなんてことはないはずだ。それなのに、誰も来ない?
大通りへは行かせてもらえない。きっと魔法か何かで音も消され、助けも期待できない。
「……くそッ」
随分と用意周到じゃないか。
しかも子供一人狙うのに、危険を冒して獣人の殺し屋を雇うか? 普通。
このノエル、どれだけ重要人物なんだよ。
「ノエル、魔法は使える?」
「ま、魔法? えっと……まだ使えない」
「わかった。ちょっと怖いかもしれないけど、我慢ね」
「へ? え?」
俺はノエルを抱き上げ、風魔法の詠唱を開始する。
相手に聞かれないよう、最小限の声量で。
「風の流れは世界の流れ、その流れを今我が手に。
天高く舞いあがり、我が身は踊る。
流れをかき集め、彼の者を撃ち抜け。
【スカイウォーク】【ウィンドボール】!」
ミーネから教わった二重詠唱の実践だが、うまくいったようだ。
俺の体は【スカイウォーク】のおかげで空中でも身動きがとりやすくなり、さらに【ウィンドボール】で高く舞いあがる。
あっという間に獣人よりも高く舞いあがり、こちらが見下ろす側になる。
「ふぇ!? はう!」
ノエルは下を見て、空を飛んでいることに驚く。そしてすぐに俺の体を力強く掴んでくる。
獣人もこちらを見上げ、だが表情は笑みを浮かべている。
「ほう! 空を飛びますか!」
何をそんなに嬉しいそうにしているのか。
しかし、こちらが上になったことでようやく獣人の全貌を見ることができた。
その獣人はキツネのような姿をしていた。体はひょろいのに、どうやってあの鉄球を操作してんだ? ……種でもあんのか?
だが、今はそんなことどうでもいい。
俺はさらに【ウィンドボール】を唱え、加速しながら大通りを目指す。
「逃がしませんよ!」
キツネもこちらに走って来ながら鉄球を投げつけてくる。
俺はそれを空中で躱しながら進む。
急制動や急旋回のせいで、ノエルが情けない声を連発するが、今は我慢してもらうしかない。
ようやく大通りが見えてきた頃、俺は違和感を覚える。
俺はそれなりの高度を飛んでいるはずだ。そこらの建築物よりかは、高く飛んでいる。
だが、誰もこちらを見ないのだ。いや、見られたいわけではないのだが、それでも人が建築物よりも高く飛び、さらに鉄球を投げつけられていたりすれば、嫌でも注目されるはずだ。
なのに、誰もこちらを見ない。
そこで思いつくものと言えば、
「錯覚魔法かよ……!」
魔法による錯覚だ。
光と闇の魔法を多用すればできるらしい、という知識しか俺にはない。ノーラに教わったことだ。
光や闇の魔法の習得は難しいらしいが、習得できればこういった錯覚も起こせる。
そのため、光や闇の魔法を覚えている魔法師、または魔術師は重宝される。
魔術師にもなれば習得はそれなりにできるらしいが、極める者は少ない。この二つの魔法はピーキーらしいのだ。
魔力を多大に消費したり、複雑すぎる命令式なども多く、かといってすべてがその消費に見合った効果があるわけでもない。
だから極める者は少なく、するのは大体黒と白の魔導師程度、ということだ。
ただ、錯覚魔法だけなら人数がいれば不可能ではないだろう。
だが、それでも錯覚魔法の効果範囲から出てしまえばいい。結局、大通りを目指せばいいのだ。
俺はそのまま、真っ直ぐに飛ぶ。加速しながら、急いでこの錯覚魔法から出ようとする。
「あ……と、止まって!」
「へ?」
「いいから! 止まって!」
抱いていたノエルがいきなり暴れ出し、俺は仕方なく言われた通り方向転換しながらスピードを落とす。
と、その時ちょうど鉄球が飛んできた。
俺はその鉄球を、高度を少し下げて避ける。
鉄球は俺の頭上をそのまま通り過ぎ、空中で盛大な音を立てた。
「――はあ!?」
俺はその光景に驚く。
鉄球が、何もない虚空で、何かにぶつかった音とともに静止しているのだ。
そして鎖が引かれて、あのキツネのもとへと戻っていく。
俺はゆっくりと、その鉄球が静止したあたりに近づいていき、手を伸ばす。
すると、俺の手は鉄球と同じように何もない虚空で、壁のようなものに触れた。
……チッ、手の込んだことしやがる。
そんなにノエルを殺したいか?
「だから逃がさないと言ったでしょう? 大人しく潰されなさい!」
俺は近くにあった家を蹴り飛ばして、隣りの家の屋根に立つ。
「おい、お前、どっちだ?」
「……どっち、とは?」
「頼まれて来てんだろうが、どっちに頼まれた? 帝国か? 貴族か?」
「おっと、それは極秘です。が、私がこんなことしていることから、わかるでしょう?」
「……ああ、そうだな」
俺は抱いていたノエルを降ろしてやり、そのキツネと対峙する。ノエルは俺の背に隠している。
沸々と怒りが湧いてくるが、それを押し殺す。
「腐った貴族様だ。そんな奴らには刃向いたくなる」
「ほう。あなた程度が、勝てるとでも?」
俺は口端が吊り上っていくのを自覚しながら、キツネの持っている鉄球を指差す。
キツネも、俺の指先を沿って鉄球に目を向ける。
「鉄球」
「……これがどうかしましたか?」
「投げてこいよ」
安い挑発に乗ったわけではないだろう。どうせ鉄球を使って攻撃をするのだ。いつ攻撃をしようが問題ないのだから。
キツネはゆっくりと鉄球を持ち上げ、そして俺へと打ち出した。
俺は飛来してくる鉄球に向かって、拳を構える。
「あなた程度の力では壊れませんよ!」
「どうだか!」
俺はさらに、風魔法の詠唱をする。
「風の流れは世界の流れ、その流れを今我が手に。
流れをかき集め、彼の者を撃ち抜け。【ウィンドボール】!」
唱え終えると同時に、風の砲弾が勢いよく撃ちだされる。
その砲弾と鉄球がぶつかる。が、砲弾の方が先に砕け、鉄球は勢いを失ったものの飛来してくる。
俺はその鉄球目がけて、フェイントを混ぜて力いっぱい拳を振るう。
小気味いい破壊音と共に、その鉄球は俺が殴りつけたところが凹む。
あー、くそ。でも金属に変わりはないか。殴った手が痛い……。
「……まさか見抜かれるとは」
「雑すぎるんだよ。お前の細腕で、そんな鉄球振り回せるわけがない」
「確かにそうですねぇ」
こいつの鉄球は、結局錯覚魔法のようなものだ。
勢いとぶつかる瞬間に土魔法の硬化する魔法を施術しただけの、見かけ倒し。
ぶつかる瞬間だけというのは、魔力の節約を限界までしただけだろう。獣人族は魔力量が少ないし。
「ですが、素手でも強いですよ?」
そういいながら、キツネがファイティングポーズをとる。
対して、俺は冷ややかな目でそのキツネを見る。
「……なんですか?」
「いや……二足歩行のキツネがファイティングポーズ……」
カンガルーを彷彿とさせるな
「変ですか?」
「ああ、いや……」
この世界では変じゃないんだろう。うん、異世界人の俺がおかしいのだ。
「ノエル、逃げるよ」
もう遠距離攻撃がないのだ。あとは単純なスピードの勝負だろう。
俺はノエルの手を取り、屋根から飛び降りる。
またしても情けない声を上げるノエル。
俺は風魔法を唱えて減速し、きれいに着地。
キツネは壁蹴りを繰り返しながら降りてきている。
そんなキツネを待つ義理はないので、さっさと駆け出す。
ダイナマイトは……ここで使うと、下手したら生き埋めだな。
俺はノエルの手を引いて走る。一応、当てがないわけじゃない。ただ、気づいてくれるかどうかだ。
キツネの猛追を、風や土などの魔法で妨害しつつ、逃げ回る。
ノエルは躓きながらもきちんとついて来てくれている。




