第六十五話 「ヴァトラ神国」
一週間後、ノエルに連れられて魔法陣のある山脈の麓に向けて移動を開始した。
1か月後? あんなの相手を焦らせるための期限だ。有識者総出で同盟内容を確認すれば、一週間でも余りある。
その結果、いくつか同盟内容に穴があったので埋めさせてもらったが。
一応女王イズモたっての要求なので、こちらは普通の平等な内容で書かせてもらったのだがな。
使節団は同盟内容の確認のため、ノエルを残して会議のあとすぐに帰って行った。
「へぇ、転移魔法陣って思った以上にでかいな」
俺の今目の前にある転移魔法陣は、半径30メートルはあろうかというほど大きい。魔術でカムフラージュされていたので、近くまで来ないとわからなかったが。
その中に描かれている幾何学模様は、理解の範疇を超えているのだが。
「魔法陣の縮小って、どうやるんだ?」
「私にはわからないわよ。なんか、数式や図式をたくさん書いていたのは憶えているけど……」
「だったら魔法陣の専門家って何なんだよ……」
「既存の魔法陣を組み合わせるのが得意なのよ。これ、できる人あんまりいないんだから」
少し自慢げに言われるが、俺としては学園でのノエルを知っているのでなんとも返しづらい。
それにしても、数式や図式か……数学によって魔法陣を求めるのか?
とはいえ、俺にできるのは高校までの数学だしな。大学からの数学は知らん。きっと役には立てないだろうな。
発想の提供くらいはできるかもしれないけど。これでも一応、まったく新しい法則を生み出したからな。
一辺20センチ程度の箱。これで日本の地域一つ吹っ飛ばしてやったんだから!
「とりあえず、起動は私が行うわ。さすがに起動までネロにはできないでしょ?」
「調べりゃいける」
「調べないで。お願いだから転移魔法陣の解明はしないで。秘匿されているものなんだから」
「仕方ないな……転移の数秒でできる限りの解明しよう」
「やめてって言ってるでしょ!?」
ばれなきゃ大丈夫だ!
というわけで、どれだけ止められようとも俺はやるがな。
魔法陣の知識なんてノエルから教わった程度だから、完璧に理解するのは無理だろうけど。
「やっぱ瞬間移動ってワクワクするよな」
独り言のつもりでつぶやいた言葉だったが、ノエルに返事を受けた。
「そんなのあなただけよ。失敗したら、異空間に閉じ込められる可能性があるんだから」
「……何それ怖い。大丈夫なんだろうな?」
「そうなるのは魔力が足りない場合よ。あなたの魔力総量に加えて、魔石もいくつか持っているんでしょう? なら、大丈夫よ」
本当に大丈夫なんだろうな?
まあ、転移魔法陣は座標演算で算出した場所に飛ばすというよりも、入り口と出口を決めた二つの魔法陣を繋ぐってものだし、どっか知らない場所に放り投げられることはないだろう。
「それじゃ、行くわよ。魔法陣に乗って。ネロはこっち」
ノエルの指示に、イズモとアレイスターとシルヴィアが魔法陣に乗る。
俺はノエルに手招きされたので近くまでいく。
「手、繋いで」
差し出された手を握る。
「……」
「赤くなってないでさっさと起動しろ」
「わ、わかってるわよ」
ノエルが答えて少しすると、大量の魔力が足から魔法陣に流れ込んでいくのがわかる。
次の瞬間、視界が一瞬で切り替わった。
☆☆☆
現れた風景は、とてものどかな田舎風景だった。もしかすれば、トロア村以上に農場が多いかもしれない。
それは一体何を意味するのか?
「……まさか、ここまで後進国だったとは、さすがに驚いた」
この国、大丈夫だろうか? なんか、弥生時代を彷彿とさせるような……さすがにそこまでではないか。
だが、技術が発展していそうになければ、農業だって必要最低限、といった感じだ。攻め込んだら簡単にとれるわ。
そんな中で賞賛すべきは、『ヴァルテリア山脈があるから攻め込まれない』と決めつけなかったことだろうか。
「カラレア神国とも同盟を結ぶっていうのは、誰の提案だ?」
「私よ。デトロア王国を見ていれば、とても太刀打ちできるとは思えなかったもの」
「ノエルにしては最良の判断だ……」
「私にしてはって何よ!」
だが、留学も役に立ったんだな。これでヴァトラ神国の王女が馬鹿だってだけ喧伝したわけではないようだ。
ちゃんとノエルも自国のことを考えていたんだなぁ。
「とりあえず、王城に行くわよ。さっさと馬車に乗って」
「おう」
ノエルに言われ、近くに停車していた馬車に向けて足を一歩踏み出したとき、足がもつれてこけた。
「ちょ、大丈夫?」
「……うわ、魔力残量がひでぇことになってる」
魔力操作で魔力量の確認をしたところ、本当に9割方持っていかれていた。もう少しで魔力の枯渇が起きるところだ。
こんなに消費したのは、ベリアルトにおちょくられたとき以来だ。魔導が使えそうにない。
魔石を取り出して確認してみれば、超級魔石が一つ、くすんだ色に変わっていた。魔力を吸い尽くしたのだろう。
魔石は透明のような澄んだ色をしていたのだが、内包している魔力がなくなると黒く淀んでしまう。
色がない魔石は、属性魔法の強化は行えないが、こういった単純な魔力消費をするときに用いられる。
5人を運ぶのに、俺の魔力総量の9割と超級魔晶一つか。かなり燃費が悪いな。
歩くのにも疲れるほどの疲労感と倦怠感が、遅れて襲ってくる。
「大丈夫ですか、マスター?」
「あー、悪い。今日の俺は使い物にならんわ」
イズモに差し出された手を取って何とか立ち上がり、ふらふらした足取りで何とか馬車まで辿り着く。
「アレイスターとシルヴィアがいるし、俺が使えなくても大丈夫だよな?」
「大丈夫……です。はい、大丈夫ですよ」
「元から貴様に頼っておらん!」
シルヴィアはあてにならないとして、アレイスターはちょっと強がった感じかな? まあ、言い切ってくれた方が俺としても楽だけど。
馬車が動き出すと同時に、揺れる車体のせいで眠気が襲ってきた。
「着いたら起こして」
「わかりました。ゆっくり寝てください」
イズモにお礼を言って、俺は目を閉じた。
意識は、すぐになくなった。
☆☆☆
「マスター、着きましたよ」
イズモの声に目を開ければ、すでに馬車の揺れは止まっており、目線が低くなっていた。
……ていうか、今、上から声しなかったか? しかも枕か何かがあるみたいに固くないし。
「……悪い。倒れ込んでた」
微笑んでくるイズモにそう返しながら、体を起こす。
どうやら寝ているうちにイズモの方へ倒れ込んでいたようで、膝枕をさせてしまっていた。
欠伸をかきながら馬車を降りると、シルヴィアにきつく睨まれた。
「……なんだよ」
「別に」
まあ、訊かなくてもわかりそうなものだけど……。
アレイスターの方に向いてみるも、少し疲れた様な表情をしていた。
きっと、シルヴィアを宥めてくれていたのだろう。感謝しなければ。
「ありがとな、アレイスター」
「いえ。……よく、起きませんでしたね」
「……? まあ、寝たらとことん寝るからな」
アレイスターに苦笑を返されるが、なにか違ったのだろうか?
シルヴィアもアレイスターもいるから、かなり緊張をほぐして寝られたけど、魔物でも出たのだろうか? でも、ヴァルテリア山脈は魔物すら越えられないらしいしなぁ……。
少し疑問に思うが、教えてくれそうにもないのでいいか。
「ノエル王女は先に行きましたので、ボクらも行きましょうか」
アレイスターが歩き出した方向に目を向ければ、農場風景からは連想できそうにもない豪華絢爛な城が立っていた。
そして俺は、寝起きの頭のせいか知らないが、美しいとかそういう前に、
「建設費がすごそうだ……」
現実的なことを考えてしまった。
王城に入ると、天人族のメイドが出迎えてくれ、そのまま会議室の方へ案内された。
ヴァトラ神国の皆さんは長居させたくないようだ。それならそれで、王城まで目隠しでもさせればいいのに。
まあ、俺には目隠しは意味ないし、国賓として招くならそんなこともできないか。
指定された席に座って待っていると、使節団の連中と知らない男が対面に座った。
知らない男は、愛想のいい笑みを浮かべながら、自己紹介をした。
「初めまして。僕がヴァトラ神国の国王、リュート・ヴァレインだ」
「カラレア神国女王、イズモ・ヴァンピールです」
リュートに応じるように、イズモが答えた。
「さて、さっそくだけど同盟について話を始めたいんだけど……その前に、ネロ・クロウドってのはどこかな?」
リュートの言葉に、イズモたちの視線が俺に集まってくる。
……いや、さっさと同盟の話に入れよ。俺に何の用だよ。
「マスター、何をしたんですか?」
「何かしたのは確定? え、俺ってそこまで何かするような奴に見えるの?」
そりゃ、何かは何度もやらかしてはきたけど。
だけど、今日訪れたこの国では、ただ転移後の風景を眺めて馬車で寝ただけじゃん。まだ何もしてないよ?
まさか、この国には馬車の中で寝てはいけないとかいう法律でもあるの?
「ね、ネロ・クロウドは俺ですけど……」
少し怯えながら、何かしたか必死に考える。
いやでも、この国ではまだ何もしていないし……だったら、この国の外?
……あ、ノエル絡みか! ならいくらでもやらかしているな、納得。
「別にあなたの妹に……き、危害は加えていませんよ?」
ウソジャナイヨ、ホントダヨ。
俺は必死に笑顔を張り付けているが、リュートの顔はどんどん険しくなっていく。
「貴様が我が妹を誑かす男かあああッ!」
大音声とその様子に、イズモたちは驚き戸惑う。
が、俺は冷めた目でリュートを眺めていた。
「貴様には地獄に落ちるよりももっと残酷な死を与えてやるッ!」
「ま、マスター! とりあえず謝った方が……」
「は? なんで?」
「え、え? 相手はマスターに怒っているんですよ?」
「立てッ! そして僕に殺され――」
「という演技で?」
「――……ッ」
腰を上げかけた状態で息を飲むリュート。
イズモたちはどうやら状況についていけていないようで、戸惑って固まってしまっている。
「いや、俺にそんな『妹大事』アピールされても困るんですけど。俺、別にカラレア神国の決定権ないですし。ついでにデトロア王国でもそこまで権力ないです」
「…………」
「だから、俺にそんな的外れな演技はやめてくれません? 見ていてイラッと来ます。殴っていいですか?」
見せつけるように拳を握りこむと、対面に座っていた天人族たちが慌ててリュートを守るように立ち上がる。
「……見抜かれるとは、思わなかった」
「迫真の演技ではないです。たぶん、俺の方が演技うまいですね」
俺が拳を下げると、リュートは苦笑を浮かべて立ち上がった天人族を座らせた。
つまり、この国王様。
ノエルの兄、リュートはシスコンを演じていたわけだ。
これを行ったのは俺……というか、カラレア神国に対してだけではないはずだ。
「ひっどい兄ですね。妹を道具としか思っていないなんて」
相手国に、妹は礼儀を欠いてまで大事な存在だと思わせる。
そして交渉のカードとして使う。
随分とひどい兄だな。もしかすれば、俺の前世の兄よりひどいだろうな。
「別に道具としか思っていないわけじゃない。先王……僕の父の言葉でね、使えるものは最大限使え、と」
「それでも普通、身内をカードにしますかね? ……お前、嫌いだ」
「これは手厳しい。でも、僕も君は嫌いだ」
俺とリュートが睨み合う。
が、リュートの方から先に視線を外し、いまだに固まっているイズモたちに向き直った。
「さて、演技がばれたところで、さっさと調印して帰ってもらおうか」
何とも変わり身の早い奴である。
イズモの方を見てみるが、やはりというか、表情が険しくなっている。
「イズモ、今は抑えとけ。こいつとは話すだけ無駄だ」
「……そのようですね」
珍しく、あっさりと退いたイズモは、気持ちを整えるように大きく息を吐いた。
……まあ、イズモでもわかるくらいに、リュートはわかりやすい奴だというわけだろう。
「わかりました。同盟内容の最終確認を行いましょう」
お互いに同盟内容の書かれた書類を交換し、その場の者で確認を行っていく。
ヴァトラ神国側の書類に目を通すが、やはり軍事関連については詳細に書かれていた。
それらを読んでいき、穴があるたびに修正を入れて、2時間かけてようやくお互いの確認が終わった。
こちらは穴を入れていないのだが、向こうの書類にはかなり多かった。おかげで読むだけでもかなり疲れてしまった。
「随分と舐めた態度をとるじゃないか……うちには、小細工する必要もないって?」
せっかく親切心……というか、イズモの言葉通りに対等な同盟内容しか書いていないというのに、難癖をつけてくるし。
だが、そんな嫌味なリュートに対してイズモも反撃をした。
「ええ。見たところ、本当に軍事力がないようですので。いざとなれば、ヴァルテリア山脈を越えて乗っ取るのも、簡単ですね」
「……言うね」
「先に言ったのは、あなたですよ」
今度はイズモとリュートの間に火花が散り始める。
何この面倒臭い国王様方。調印もしたし、さっさと帰ろうぜ。
「……今日はもう遅い。一日だけ、泊まっていくことを許すよ」
またしても、先に矛を収めたのはリュートだった。
こいつ、もしかしたらビビっているんじゃないか? 軍事力がないのは明白だし、本気で戦争になるのが怖いらしい。
まあ、そりゃ戦争になること自体怖いことだろうし、やったら絶対に負け戦になるのなら回避するか。
国王としては有能なのだろうが……人間としては評価できないな。
「城からは絶対に出るな。ノエルには……好きなだけ会えばいいさ」
「では、そうさせてもらいます」
リュートの条件を呑み、会議室から退室した。
☆☆☆
客室は二つ用意され、男女で別れた。
アレイスターは同盟内容の確認で疲れたのか、部屋に着くなりベッドに倒れ込んでしまった。
俺は、アレイスターが寝たんじゃ部屋にいても暇なので、部屋から出て王城をうろつくことにする。
大きさは、デトロア王国の王城よりも大きいだろう。資源が余っているんだろうな。
廊下には、俺では価値のわからない絵画や壺などが等間隔に置かれている。
一応、軍の施設もあるようで、覗いてみれば訓練をしていたが、どうにもやる気を感じられない。
たぶん、ヴァルテリア山脈を越えられるような生物はいないと思っているのだろう。
バカな奴らだなぁ。たぶん、この国なら今からでも俺一人でとれるな。魔力は馬車で寝たおかげでそれなりに回復している。
そんなことはしないが。生産性がないし、国が欲しいわけでもないし、何より面倒臭い。
「あ、マスター」
「おー、イズモ。何? ノエルのところにでも行くの?」
適当に廊下を歩いていると、同じように探索していたイズモと鉢合わせた。
「はい。マスターもどうですか?」
「ん……じゃあ、行かせてもらうわ」
どうせ行くあてもないしな。
イズモの話によると、シルヴィアも慣れない書類確認をさせたせいで部屋で寝ているとのこと。
あいつ、イズモの護衛だってわかっているのだろうか。そしてここは同盟したとはいえ、他国であるというのに。
まあ、イズモも俺に勝つとまではいかなくても、それなりに強いからな。それに不死だし。少しくらいの放任なら大丈夫か。
近くを通りかかった天人族のメイドにノエルの居場所を聞きだし、その方向へ向かう。
ノエルのいるという王女の部屋につき、ノックをする。
返事が聞こえた後、扉が開かれてノエルが顔を出す。
「あら、ネロにイズモ。出歩いていいの?」
「城から出なければいいらしい。だから屋根の上に登ってやろうかとか考えてみた」
「……あなた、本当に意地悪いわね」
「性分だ」
相手の裏をかこうとするのは仕方ないことだ。特にリュートは嫌な奴だからな。
「王様には、許可をいただいているので。ノエル様とも会っていいと」
「そう、相変わらずね」
「……ノエル様は、あの王様が嫌いですか?」
訊きにくいことを、随分と直球に訊くな……。
ノエルも、イズモの質問に苦笑いを返している。
「……ちょっと、外に行きましょう」
「外?」
「展望台があるのよ。そこは王城内だし、国内を見渡せるわ」
部屋から出てきたノエルは、先行しながらそう答えた。
ノエルに案内されるままに進んでいると、大きな扉が見えてきた。
その扉を開けてみれば、外へと通じており、展望台となっていた。
すでに日は暮れ、星と月明かりだけがあたりを照らしている。
そこからは確かに、夜で見えにくいとはいえヴァトラ神国の国内を見渡せた。
国内ではこの王城が一番高い建物なのか、視線を下げなければ他の建築物は見えず、ヴァルテリア山脈がよく見えた。
目線を下げて城下を見てみれば、やはりというか、建築物よりも農地や牧場の方が多い。
「この国って、本当に平和ボケでね。国民性も排他的。デトロア王国とは、半ば脅迫的に同盟を結ばされたらしいの。
国外に出た天人族でね、その人はデトロア王国に行ったらしいの。そこで知り合った人族の人を、内緒でヴァトラ神国内に転移魔法陣で連れてきちゃったのよ。
それから、その人族の人が帰ってから、王国の動きは早かったらしいわ。
ヴァトラ神国の国王あてに、同盟しなきゃ軍事力がないことを言いふらすぞ、って脅迫してきたらしいのよ。
それでやむなくデトロア王国と同盟を結び、その原因を作ってしまった天人族は国外追放。極刑じゃなかっただけマシよね」
……あっぶねぇ。もうちょっとで、俺はあんな王国と同じ手を使おうとしていたのか。
イズモが半目で睨んでくるが、スルーさせてもらう。
「軍隊も一応あるんだけど、見たらわかるわ。使えないってね」
「確かにな。やる気はないし練度は低いしで最悪だ」
「あれでも一応、先王は改革をしようとしたのよ? ヴァルテリア山脈で訓練をしようとしたりね」
「だけどできなかった。当然だよな。
ここの国民は、軍隊の必要性を感じていない。ヴァルテリア山脈を越えられる生物はいない。いたとしても、越えた際の体力の消耗で弱っている。
ヴァルテリア山脈の気候で訓練すりゃ、マシになるんだろうけど。どうせ国民連中が税金の無駄遣いだって言ってやめさせたんだろ」
「正解。やっぱり、わかっちゃうよね。
だからこそ、カラレア神国との同盟を進言したのよ。
最善手は自分で何とかするしかないんだろうけど、それは難しいから仕方なく他国に頼ったのよ」
悪い判断ではないとは思うが、かなり危険な手だろうな。
「カラレア神国の国王がイズモでよかったわ。ありがとう、イズモ。対等な国としてみてくれて」
「いえ、そんな……。でも、私もよくマスターに怒られます。『そんなの理想論だ』って」
「事実だろ。皆が皆、イズモみたいに国民のことだけを想ったり、自分を卑下しているんじゃないんだから」
隙を見せたら喉笛に噛みつこうとしてくるのだから。
もしもレイアが国王となっていたら、こんな甘くはなかっただろうな。
「……警戒しすぎたかなぁ」
二人には聞こえないように、そっとつぶやく。
ここまで、何も起きていない。
明日にはどうせ、帰されるだろうから大丈夫だろう。
「そういえば、まだイズモの質問に答えてなかったわね。
……兄さんは、好きでも嫌いでもないわ。そういう風に育てられたの」
「どちらが王に即位しても、残った方を交渉のカードにできるように、か。なかなかえぐいことしやがるな」
「そうでもないわよ。だって、兄の記憶自体少ないし」
「ああ、フレイヤと交換で育てられたんだっけ」
どちらにせよえぐい。
……なるほど。デトロア王国もヴァトラ神国も両方が、王女は交渉のカードとして扱っていたのか。
デトロア王は、きっとフレンに王位を継がせたいんだろうな。あいつは過激派だろうし、フレイヤやフレンよりも自分の思想に合っているんだろう。
だからこそ、普通はしないような王族の交換を行った。どちらもが人質目的で。
しかし結局、人質も友好もあまりうまくいかず、交換をやめたのだろう。
俺は展望台の落下防止用の手すりに座り、ヴァトラ神国を見下ろす。
「ま、どうせこの国もすぐに行き詰る。その時に、また問えばいいさ。
何が必要か。何をするべきか。何が正しいか。
自分の財産が全部消えて命すら風前の灯になってようやく、人は何が本当に必要だったかを後悔する。そして死ぬ」
本当にどうしようもないくらいに、愚かしい。
後悔するくらいなら、最初からしとけばよかったのに、と。
誰もが、思う。
そう思うことこそが、後悔だというのに。
顔を城下からノエルへと戻し、手を伸ばす。
「死ぬ前に気付かせることができるとすれば、唯一世界を知っているノエルくらいだ。
だから、頑張れよ。諦めるなよ。この国では、お前が最も正しいんだから」
「……失敗したら、責任取らせるわよ」
容赦ない返しに、思わず苦笑してしまう。
だが、ノエルは一歩前に出てきながら、
「でも、それくらいならいつも通りで変わらないわ。……言われずとも、任せなさい」
俺の伸ばした手に、ノエルが手を伸ばし、握った。
瞬間。
地震が起きた。




