姉の話
年に一、二回想像妊娠と想像流産をする姉が居る。三つ年上で美人で、少し頭が可笑しい僕の姉。
想像妊娠と違って、想像流産はあまり聞く機会がないと思う。想像妊娠とは何か。要は生理が何ヶ月か振りに来たりと、想像妊娠が終わるだけの事である。それを毎回、姉は「流れちゃった」と言うのだ。いつも、笑顔で。
初めて姉が想像妊娠したのは彼女が中一の時。僕はその時、『子供の作り方』を何となく察し出した頃だったので、「妊娠しちゃった」という姉の発言には相当驚いた。いやまあ何時であろうと驚いただろうが。お父さんとお母さんには内緒よ、という無茶をガキだった僕は受け入れ、祝いながら恐る恐る相手を尋ねた。同じクラスの子だよ、との答えに何を思ったかはあまり覚えていない。少しだけお腹が膨れ、母が「太ったんじゃないの」と姉に言う度に緊張したが、姉は平気な顔をしていた。三ヶ月程経ったある日、姉はいつもの笑顔で「流れちゃった」と報告した。当時は「流れた」という意味が良く分からなかった事は覚えている。
現在僕は中学三年生。姉が在学している学校を狙っているのだが、生まれて初めての模試で全教科A判定なんて出てきて気を引き締めろ、というのは無茶な話だ。そんな訳で八月一日午前十時現在、ベッドに転がりながら買い溜めた漫画をせっせと読んでいる。宿題は十五日には終わるように計画したし、両親の実家にだって帰らないし、遊びに誘ってくる友人は居ないし、学校のオベンキョウは得意なので問題ない。
十一時半、そろそろ母と姉と僕の昼食の準備をしようかな、と漫画を放り投げて身体を起こす。何で病気でも怪我でもない専業主婦の料理まで息子が用意しなければならないのだろう。……あ、いやまあ病気か。心の病。原因の七割以上は姉だと予想される。
立ち上がろうとしたらノックの音がした。どうせ姉だろう。ウチの両親はノックなんてしない。どうぞ、と応えると予想通り姉が入ってきた。隣に腰掛け、僕の顔を覗き込む。相当子供扱いされている気がするが、まあ気にしない。
「どうかしたの?」
「お昼御飯何かなって。少しなら手伝うよ?」
「オムライスにしようかな。昨日卵買ったし」
やった、と手を叩いて喜んでいる姉を見ると、こっちも嬉しくなる。
姉の手伝いをやんわりと断り、三人分のオムライスを作る。姉の料理の腕前はそう下手ではないのだが、自分でやった方が気が楽なのだ。
母に昼食が出来た事を伝え、姉と僕の分のオムライス両手に二階の部屋に向かう。足で部屋のドアをノックして、部屋に入れて貰う。この時間に面白い番組なんてある訳ないから、録画したバラエティを流しながら昼食。
御馳走様してのんびりテレビ見て、二人で皿洗い(勿論母親の分も)をして、部屋に戻る。当然の如く姉も居るのだが、この人今年大学受験。姉も学校の勉強は得意なのだ。
「ねぇ」
「ん?」
ベッドの上で正座をして、姉は言う。
「出来ちゃった」
「……おめでとう」
大分慣れたが、この報告には毎回緊張する。
「今度は流れないといいなー。癖がついちゃうって言うからねー」
そう言って、お腹を撫でる姉。もう恒例行事だ。
さて、毎度の問題。
相手は誰か。
今まではクラスの誰かさんだったり先輩だったり、知ってる人だった試しはない。
そして、実際にやっちゃったのかは未だに訊けた事がない。
……これも訊き慣れているのに、緊張する。
「えっと、相手。分かってる?」
「勿論」
そう言えば今までも誰か分からない、という事はなかったなぁ。そこそこ清らかな付き合い方してるんだろう。いやまあ、姉の脳内だけという可能性は結構高いのだが。
……とか、考えて。後ろを見る、というお決まりの動作もして。
もう一回姉を見る。いつもより笑みは深い。軽く深呼吸して、少し視線を下げる。
僕を指差している気がする。
「…………僕?」
「うん」
そんな馬鹿な。