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聖女アレ・クロア  作者: ひろい
道 -load-
99/132

Ⅹ/神などというものがいるという幻想

 戦わなければならない。

 剣を、振り続けなければならない。


 それが自分の使命。


 絶対に行わなければならない、至上命題――


「そんな必要があるのか?」


 遠くに誰かから、問いかけられた気がした。


「…………なにを、言っているのだ?」


 よく、わからない。

 考えがまとまらない。

 相手の姿も見えない。


 だがマテロフは、反論せずにはいられなかった。


 目の前に沸いた靄は、問い続けた。


「闘わなければない。果たしてそんな必要があるのか?」


「そんなこと、名も知れぬお前に問われる筋合いなど、な――」


「うら若い」


 それはどこかで聞いたような言葉だった。


「……なにが、言いたい?」


「お前のような器量よしならば、相手を選ばなければ――いやあるいは貴族などに見初められる可能性も充分にありえるだろう。さすれば愛し、愛され、衣食住にも困らず、贅沢の極みを日々満喫し、子を育み、世界中の誰もが羨むような人生を全うする事も出来よう。

 だのになぜ、茨の道をあえていく?」


「茨の道だからだ」


 頭は未だ、グラグラと揺れていた。

 まともに考えることが出来ない。


 だから今の言葉は、ほとんど反射といってよかった。


 靄は、頭を傾げたような気がした。


「どういうことだ? もしやお前、いわゆるマゾヒスティックな性癖でも……」


「私はそのような下衆ではないっ!!」


 大声をあげた。

 これほどの声量を出したのは、ベトを叱咤して以来だった。


 そういう意味では、最近はストレスが溜まっていた。

 お上品に修行僧を続けるのも、そろそろ限界なのかもしれない。


 こうなれば、言いたいことを言ってやろうじゃないか。


 神の前で。


「下衆、とはどういう意味だ?」


「わかっているくせに尋ねるとは下衆の極みだな。さすがはこの地獄のような現状を作り出した張本人だ、痛み入る。感謝するよ、この機会を与えてくれたお前自身にな。いやとなるとお前自身がマゾヒスティックな性癖を持っているのか? だとすればそんなお前は特殊だと教えておいてやろう。普通の、ただの人間は痛みつけられれば苦しみ、泣き、叫び、声をあげるものだ今の私のようになぁァあァアアアア!」


「まぁ落ち着け。なにを言っているのわからんぞ、いや実際はわかるが」


「わかっているではないかッ! っ、く……オ"ええぇええええ"え"え"え"え"え"」


 勢い立ち、テーブルらしき場所を叩いた途端強烈な怖気に襲われ、一気に胃のものを吐き出してしまう。

 背筋を貫く悪寒に、耐え切れず膝をつく。


「えぇぇえ"、え"、え"ぇえ……おぇえ……」


「大丈夫か?」


「き、気遣いなど無用……さ、触るなっ」


 背中に回された手を、振り払う。

 正直少し気持ちは楽になってはいたが、本当にして欲しいことはそうではない。


 気力を振り絞り、靄を睨みつけてやる。

 なんだか肩を竦めるようなマネをしたことがまた、腹立たしかった。


「お前はなんなのだ! なぜ世界を救済しない? 今もどこかで子供が殴られ、女がりょうじょ……くされッ、そんな家族がいる男たちがゴミのように殺されている! なぜだ? 私たちが、なにをしたというのだ? 日々勤勉に生き、贅沢など望まず、わずかな糧に感謝し、慎ましくも平和な、当たり前の毎日を送っていただけだというのに……なぜ、なぜなぜ……なえぜだァァァアアアアアア!!」


 勢い、思い切り頬を、殴りつけた。


 フラフラで、力も腰も入らず、むしろこちらの拳の方が痛いくらいだったが、それでも少しだけ溜飲が――


「満足か?」


 また問いかけ。

 本当は笑い飛ばしてしまいたかったが――それはなぜか、出来なかった。


 その代わり下がったと思った溜飲が――


「なにが……言いたい?」


「俺はなにもしない」


 靄が、初めて断言した。

 それで咄嗟に、


「なにを白々し――」


「すべて、お前たちがやっていることだろう?」


 強くもない、まるで当たり前のこと述べているだけという口調。

 それにこちらの勢いは容易く、完全に止められてしまった。


「あ――っ、う……」


「違うか? 俺は、なにもしない。あえていえば、ただ見守っている? すべての裁量をお前たちに委ねている。自由だ。善を行おうが、悪を選択しようが。


 幸せな世界を作ろうが。

 地獄絵図を、繰り広げようが」


 なにか、言いたかった。


「――――」


 なにも、言えなかった。

 全身の力が抜け、マテロフはその場に座り込む。


 それをなにかが、受け止めた。

 椅子?


 ここは、どこだ?


「選択も、行動も、だからその結果もすべて人間のものだ。神などいない。まずはその発想から始めるべきだ。でなければウダウダ文句を垂れるだけの家畜に、成り下がるだろう。


 豚のようにただ、搾取されていろ」


 辛らつな物言いだった。

 かつてないほどに。


 それにマテロフは、反発したかった。

 しかし何一つ出来なかった。


「――――」


 すべて間違いなく正しく、自分がそれに屈しているというのに他ならなかった。


「なんだ? なにも言わないのか? 言えないのか?」


「あなたは……神では、ひっく……ないのだろう?」


 ――ひっく?


「誰が神などと名乗った。否、そも神などというものがいるという幻想こそ、人間を貶めている真因だろう。目を覚ませ。そして嫁げ。それが賢明だ」


「あなたは……ひっく、うぃっく? な、なんだこれは? なぜ喉から、このような奇怪な音が……うぃー」


 立ち上がろうとして、くらりと眩暈がした。

 その両肩を、目の前の靄に掴まれる。


「な、なんだ?」


「落ち着け、マテロフ。お前は疲れているんだ。生き急ぐな。しばらくゆっくりそこで休んでいろ。俺が介抱してやる」


「そ、そうか? それは痛み入――」


 二の腕が、揉まれていた。


「い、ぃ!? な、なにをして……!?」


「ほら、腕の筋肉もこんなに張ってるじゃないか? よくほぐさないと、あとあとに残るぞ? 俺に任せておけ」


「ぇ? え? あ、はぁ? そ、そうか……?」


 このように男に触られることなど、村での事件依以来。


 断固、即、拒絶したい気持ちが湧き上がる。

 しかし相手はあくまでこわばった筋肉をほぐすためと主張。


 納得などいくわけもないが、あれだけのご高説の後。

 なんとなく断りづらく、流されてしまっているが──こう、なんともいえず、その、


「よーしよしよし、いやー凝ってるなーいかんなー年頃の女子がこんなに二の腕を凝らせてはけしからん、けしからんぞー」


「や、いや、え? や……その、す、すみません?」


「まったくもってけしからん、けしからんぞー、この柔らかさ。ふにふにふにふにして、まったくもってこう、なんというかその……フフフフ」


「え? いま、凝ってるって言って……って、なんだそのふにふにふにふにって! なんだか言ってることが支離滅裂――」


「まぁまぁまぁまぁ、いいじゃないかそんなこと? それよりもおなかも凝ってるようだねぇ? ろくなもの食べてないんじゃないかぁ?」


「ひ、ひぁ!? ちょ、そ、そんなとこまで……た、確かに正直酷いものしか食べてはいないが……!」


「んーんーいかんぞーそんなことではいかんぞー? 年頃の乙女なのだから、こんなにすべすべモチモチのお肌なんて、誘っとるのか? 誘っとるのかァ、おい?」


「な、なにを言って……そ、そんなことあるわけないではないか? ちょっと、あの、これは本当に介抱で……!?」


「も、もーう我慢できんん! 乳揉ませろーい!!」


「なにを言ってるんだ貴様はァァアアア!!」


 本性を現した靄に、マテロフは肘鉄を振り下ろす。


「あべしっ!」


 べしゃ、と潰された蛙のように、地に叩きつけられる靄。

 一時でも身も心も任せ、ちまっとでも気持ちいいと思った自分を殺したい。


「ハァー、ハァー、ハァー、ハァー……お、おぇええええ!」


 いきなり立って暴れたら、一気に気持ち悪くなって物凄い勢いで吐いてしまう。

 もうなんていうか胃の物全部出し尽くす勢いだった。


 この気持ち悪さの正体は、もしや――

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