Ⅵ/才能
精も根も尽き果てていたマテロフは、考えることをやめた。
言われるがまま首肯し、瞼を閉じる。
まるで底なし沼に引きずり込まれるよう。
あっという間に意識を失った。
それから三度、起きては食事、そしてまた睡眠というサイクルを繰り返した。
されるがまま、まるで寝たきりの老人のようだった。
二回目からは抵抗という発想すら起きなかった。
それほど疲れ切っていたのだと理解したのは、日を跨いでからだ。
「……あ、」
洞穴の入り口から差し込む光が、清浄な時間帯であることを告げる。
それにしばし見とれていると、
「おはようマテロフ。起きられるかい?」
「は……はい」
クォンの言葉にスッ、と身体を起こせた。
そして二、三歩あるいてみる。
疲れは魔法のように、抜けていた。
「だいじょうぶ、です……」
「そうか。朝ごはんは出来てるよ。今日は奮発して、ウサギ肉の燻製だ」
「そ、それは……精が、付きそうですね……」
「また今日から、頑張ってもらわないとだからね」
その笑顔に、マテロフは引き攣った笑みを返した。
そうか、またあの時間がやってくるのか――
それからひと月が経ち、そのサイクルの全貌が見えてきた。
まず一日、朝から晩まで闘い続ける。
規模はだいたい数十人単位、時に100人を超えることもあったか。
その中で自分に求められるのは、ただ生き残ることのみ。
だいたい3つから4つの戦場を渡り歩いた。
そのあと二日間、まるで死んだように眠った。
それで全身のダメージ、疲労、傷を癒した。
ほとんど泥のように眠った。
その間はまるでクォンに介護されるようだった。
イリプスも時折現れては小言のような助言のようなもの、差し入れを残していった。
さらにひと月ほど、同じような日々を過ごした。
ただ闘い、眠り、貪った。
それ以外の行為は一切行わなかった。
そのうち自分が人間ではなく、戦うために生まれた機械のように感じ始めていた。
さらにひと月ほど、経った頃だろうか?
ふと、気づいた。
「……あれ?」
「ん? どうしたんですか、マテロフ」
「前回戦闘をしたのって……いつでしたっけ?」
「昨日ですけど?」
「ん……なのになんで私起きて、夕食食べてるんですか?」
受け取る皿の中で、茹でたばかりのじゃがいもが揺れている。
コロコロと、まるで自分をあざ笑うように。
「なにか問題でも?」
「あ、いえ……問題が、というわけではないんですが……?」
一例して、皿を手元に引き寄せ、フォークで真っ二つに。
ぼろりと開けた底から、暖かい湯気が自分の顔を包んだ。
どこか、現実感がなかった。
「──あれ?」
「ん? どうしたんですか、マテロフ」
「いえ……なんか私、余計なこと考えてるなって……」
「余計なことって、どんなこと考えてるんですか?」
「その……なんで私、普通に過ごせてるんだろうって……なんか変な感覚だな、おかしいなぁなんて……」
「いいことじゃないですか」
フォークとナイフできれいにじゃがいもを切り分け、クォンは丁寧に口元に運ぶ。
「そうでしょうか……こんな無駄なこと考えてる暇があるなら、少しでも修練に身をやつしたほうが良いのでは、と……」
「若いな」
野太い声だった。
イリプスはやはり奥まったところでその全貌をハッキリとはさせないまま、ジャガイモを手で口元へ、しかしちょびちょびと大切に味わっているようだった。
「そう……なのですか?」
「実年齢が、ではない。考え方。逆に言えば、未熟だということだ」
「……面目次第も」
「悪いことではない」
ハッと顔を上げると、イリプスは既に食事に集中してる様子だった。
ただその食べ方がちびちびしたものから豪快に頬張るものに変わっているのは何か意味があるのだろうか?
「悪いことじゃ……ない?」
「考えなさい」
クォンのつぶやきに顔を上げると、彼もまた既に顔を伏せ、フォークとナイフでじゃがいもをきれいに切り分けることに集中しているようだった。
ふたりの助言に、そう解釈し、感謝し、マテロフは考え続ける。
考えることは、無駄じゃない──
次の日、恒例の乱戦参入。
その最中も、奇妙なことは続いた。
思考が、出来ている。
「────」
参戦後、無我夢中の後、気づけば洞窟というのが常だった。
なのに考える――いってしまえば余裕が、生まれている。
今だってそうだ。
敵兵が、ブロードソードを振りかぶってくる。
その軌跡が、ハッキリと見える。
それを身体半分捻り、紙一重で躱す。
そして右手のダガーを、相手の喉元に。
「がっ!?」
絶命を確認、次へ。
左手から槍が、後方から斧が襲ってきていた。
槍は腰を捻り、斧は左手のマインゴーシュで、受け止めた。
ぐりん、と手首を捻って、破壊。
呆気に取られる相手の顔面に、背中から矢を直接つまみ出し、手首のスナップで放ち、目玉に。
「ぎっ!? ぐああぁぁあああぁあ!!」
一時戦闘不能を確認し、身体を反転。
逆手に持ったダガーを、首筋に。
それが相手の盾で、防がれる。
その反動を利用し、一気にその場を離脱。
視える。
敵の場所が。状況が。
そしてなにを、選択すべきかが。
「――――?」
手を止めることはない。
ただその最中、思っていた。
なぜ見えるのか?
なぜわかるのか?
そしてなぜ、こんな風に考えることが出来るのか?
考える余裕が、あるというのか?
「ぐえぇえっ」
目の前の大男が、倒れる。
なぜこんな風に、敵を倒すことが出来るのか?
「……ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」
「生き残ったね、マテロフ」
クォンが声を掛けてくる。
それにマテロフは、
「ハァ、ハァ……はい、生き残りました」
「身体は、どうだい?」
「疲れ、果てています……」
「動けるか?」
問いかけと、同時だった。
クォンの半月刀を、マテロフは咄嗟に両短刀を交差させ、受け止め防いでいた。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……」
「……疑問は、ないんだね?」
「ハッ、ハッ修行と……ハァ、ハァ、心得ています」
クォンとマテロフの視線が交錯。
一秒弱、流れただろうか。
クォンは自然と、自身の剣を引いていた。
「どうだいマテロフ? 手応えは」
「ハァ、意味は……図りかね、ますが……」
「――ふむ」
ぐい、とクォンは上半身を屈め、至近距離でマテロフの顔を覗き込む。
それにマテロフは、微動だにしなかった。
微動だにせず、しかし自然体のまま体勢は崩さない。
如何なる事態が起きようとも、心は中心に置いたまま。
「――なるほど、出来てきたな」
疑問が湧く事は止められない。
「なに、が……ですか?」
「息が整うのも早いね。才能かな?」
さすがに聞き逃せなかった。
「なんの、才能でしょう?」
「剣だ」
「バカな」
思わずだった。
口答えするつもりはなかった。
だがこれだけは素直に受け止めるのは躊躇われた。
そんわけはない。
ただふたり、斬り伏せるだけで精一杯だった身だ。
ほとんど物心ついた頃より戦場に身を置いていたというのに。
それで才能がどうこうなど、聞きたくもない。
「気づくわけもない。それを決めるのは本人ではない。それを計る人間だからだ」
ふと、気づいた。
クォン殿が、敬語を使わなくなっている。
「……クォン殿、自分は」
確かに元より敬語だけではなかったものの、それはふとした瞬間に混ざるものであって、しかし今はそれこそ全く──
「今日はもう、終わりだ。戻り、食事を摂り、休息を取るといい。翌日、街へと降りる」
一瞬、聞き間違いかと思った。
「なにを言って……?」
「装備を整える」
不意に、自身が持つ両剣――マインゴーシュと、ダガーを、見下ろした。
ここ二ヶ月。
ずっと自身と戦い、そして生き抜いてきた、戦友といってもいい存在。
だからいつしか、思っていた。
このままずっと、共に戦っていくのだと。
「……クォン殿、」
「なんだい?」
「……この双剣では、いけませんか?」
「その剣で、"剣聖"に届くとでも?」
ぐうの音も出なかった。
"剣聖"どころか、目の前のクォン殿と一合打ち合うイメージすら浮かばない。
それが現実。
情など僅かにも入り込む余地などない。
「……お任せ、致します」
「お前が――いや貴女が、選ぶのだ」
口調がハッキリと、変わった。
確証があるわけではない。
だがふと、マテロフは思った。
――認められた?
ほんの少しとはいえ――報われた、と思ってしまった。
「は、はい……わかり、ました」
その気持ちを表に出さないようにするのは、大変だった。
それこそ10人、20人の男と同時に相対する方がマシと思えるほどに。
とてもまだ喜ぶような段階ではない。
そんなことはわかっている。
だが――なにかを努力し、そして成果が出たことなど、初めての経験だったから。




