Ⅲ/戦場
マテロフは、ただ放心していた。
自身で、驚いていた。
この身の裡に、これほど熱い炎が宿っていたことに――
いや、とマテロフは思い直す。
知らなかったわけではない。
ただ、忘れようとしていただけだ。
この気質は、生まれた時より持ち合わせていたものではない。
あの日だ。
村が焼かれ、みんな殺され、すべてを──私の純潔をも奪われ、心が殺された、あの日。
私の心に、炎が宿った。
決して今日まで、消えなかった炎。
私はそれを見ない振りをして、勝手に燻らせていただけだ。
ふと、思い至った。
彼女は、火種だ。
「――あなたも、世界を変えたいと思うのですか?」
「違う」
クォンの問いかけを即否定するだけの確かなものが、マテロフの中にはあった。
世界は憤り、鬱憤、そして怨嗟に塗れている。
それを抑え、生きることに全振りして何とか保っている。
だがそれも限界。
このままでは全てが息絶えてしまうことは、誰もがわかりきっていた。
それでもなにもせず、抑えつけられるまま死に絶えてしまおうと諦めてしまっている。
それに火を点ける役を、彼女は演じているのか?
上等だ。
「私も、ではない……私は変えたいと、"思わされた"立場の人間だ!」
突然なにもかも理解して、マテロフは恐怖心から解き放たれた。
踊らされているというのなら、もはや怖いものもない。
恥知らずと開き直れば、図々しくだってなれる。
マテロフは真っ直ぐ、クォンを見つめた。
バッテン傷に眼帯ばかり目にいっていたが、ちょび髭に鍛え抜かれしかし引き締まった身体は、自分好みのものだった。
こんなことに今さら気づくだなんて、本当に舞い上がっていたのだな。
クォンは腕を組み、うんうんと何度も頷く。
「へぇ……いいね、キミ。うん、いい、すごくいいな。今のキミは、目がキラキラしてるね」
「そ、そうですか?」
「あぁ……イリプス! お前もそう思わないか?」
矛男の指名。
「!?」
それに緊張感で背筋がピーン、と伸びる。
どう言おうが死ぬのは怖い生き物の悲しい性だった。
「……フン」
再臨する──無精ひげの坊主頭。
というかその全身盛り上がった筋肉が、なんというか海坊主を連想させた。
あんなデカイ鉈で叩かれたら、マインゴーシュもダガーも自分自身もまとめて真っ二つにされてしまうだろう。
想像して──ゾッとした。
「…………」
「女、貴様……どれほどの苦難を謳っているのか、自身でわかっておるのか?」
「無理、だと思います……」
ガクガク怯えている中振られた質問、とっさに本音が溢れてしまう。
「あァ!?」
威嚇されるが、そんなことをしなくても限界を突破していたマテロフは、ある種無敵状態だった。
「いっ、や……正直私自身、如何にしたら辿り着けるのかほんの微かにもわかりかねています。ですがやるのだと。出来る出来ないのではなくやるのだと、私は彼女に教えられました。ならば私も事の難度は考えず、あらゆるものは鑑みず、賭けてみようと考えました」
サラサラと吐き出された一点の曇りもない想いを前に、イリプスの言葉が初めて滞る。
「……世迷いごとを。女子どもの夢物語だな」
「そう、ですね……」
否定は出来なかった。
アレも女子だし、事実現在なにかを成したかといえばいたずらに事態を複雑化しているだけとも言える。
この現状では、なにを言われても――
「が、なかなかに気骨はあるようだな」
「…………え?」
顔を上げる。
腕を組み、表情は変わらず険しそうだが――顔はそっぽを、向いていた。
先ほどまでは、ずっとこちらを睨みつけていたのに?
「あ、あの……」
「我らが"剣聖"様に会わすなど、夢のまた夢だ。なにしろ我々ですら月に一度その機会があれば僥倖というほどだ。……だが貴様には、覚悟があるという。ともすればなにか好機が巡るとも限らん。まずは武器を考えうる必要があるかもしれん。二刀流は奇抜だが扱いこなすには難しい流儀だ。弓兵が長かったという、それを生かせればいいが簡単にはいくまい。我が語れることは、諦めるなら今のうちということだ」
「…………えぇ、っと?」
マテロフは困り、クォンの方を向いた。
クォンは肩をすくめ、人差し指を口元に。
──しーっ?
「そ……そうですか。助言の方、ありがたく思います。ですが先も述べたとおり、もう、決めたことですから……」
「そうか。ならば我はもう何も言うまい。せいぜい足掻くのだな、女」
バサッ、とマントを翻してイリプスは背を向けた。
なるほど、あれを使って背中の鉈を隠して――
「我に聞きたい事があるのであれば、答えるのも吝かではない」
最初なんと言われたのか、マテロフは理解できなかった。
「え……」
「二言はない」
それだけ言って、イリプスは去っていってしまった。
マテロフは固まり、クォンの方を向いた。
クォンはただ、肩を竦めていた。
なんだか、やれそうな気がし始めていた。
それが勘違いだと、翌日には思い知らされてしまった。
「起きてますか、マテロフ?」
その日はそのまま、洞穴で眠りについた。
一切の寝具など当たり前になく、岩もまったく整備などされていない。
最初こそマテロフは必死に平らに近い場所を探していたが、傍で壁にもたれる形で瞼を閉じたクォンを見て、諦めるに至る。
立ったまま寝るなどという器用な真似などできるはずもなく、立ったり座ったり横になったり立ったり座ったり横になったりで結局横になることを選択するのだが背中が痛くて腰が痛くてねじれて歪んで寝返り打つと脇腹を打ったりとまぁ散々な目を見まくって何とかギリギリまどろむところまでいえるか否かというところで、クォンに声をかけられた。
「あ、はい……な、なん、でしょうか?」
正直昨日の限界を遥かに超えた体のダメージが蝕んで蝕んで仕方なかった。
もう筋肉痛なんてレベルじゃない位でそれ以上の言い方が欲しい。
「行きますよ」
出し抜けだった。
素早く瞼を擦り、身体を起こす。
僅かに朝日が昇り始めているところだ。
こんな早朝に、いったい?
「あ、あの……どこに、」
「剣を持て」
その言葉に、手早く武器をすべて携帯。
思うより先に、身体が反応していた。
修羅場の連続に身体が、そして思考が適応し始めていた。
「――出来ました」
「ではいきましょう」
行き先を告げられない事も慣れたものだった。
マテロフは必死になって、素早く降りるクォンの背に追い縋る。
怯えている余裕など無い。
半分死んだらそこまでぐらいの気概で降りると、人間限界以上の力が振り絞れるものだ。
「ハァ、ハァ、ハア……!」
「休んでいる暇はありませんよ」
「は、はい……っ!」
地面の感触を味わう間もなく、すぐに次の目的地へ。
マテロフは一切の思考を捨て、クォンのあとについていく。
どれくらい経ったかも、これからのことも考えない。
そんな余裕などない。
"剣聖"を目指すということは、そういうことだと徐々に理解し始めていた。
「ここです」
そしてマテロフは、"そこ"に辿り着いた。
「こ、こ……は?」
「戦場です」
そんな予感はしていた。
「ハーハーハーハー」
機械的で適度に深く規則的な呼吸を繰り返す。
マテロフは逆に少し、落ち着いていた。
既に心のどこかで、まともな剣の修行など行われるわけなどないと悟っていた。
それになにより自分に足りないものが実戦であり、心構え──気概そのものだということもわかっていた。
だからむしろ予想通りで、望むところでもあった。
「ハーハーハーハー……ハッ」
時間七秒、マテロフは息を整える。
そして心も。
「――それで、ここで闘えばいいんですか?」
見たところ、双方十から二十同士の小競り合いといったところ。
劣勢なほうに加勢しろというところだろうか。
マインゴーシュとダガーを、ゆっくりと抜き出す。
肩の傷は、予想外なほど支障ない。
尋常ならざる事態に、痛みの方が逃げているようだった。
やってやる。
そう、思っていた。
「オラァアアアアッ!!」
獣が咆哮したと思った。
それくらいの、それはクォンの猛烈な雄叫びだった。
「え……え? え、え?」
マテロフはわけがわからず、クォンを見つめた。
小競り合いしている推定三、四十人も注目。
それにクォンはニヤリ、
「さーて……今日も肩ならし、始めるかァ!」
半月刀を抜き放ち、駆け出した。
マテロフは、刮目する。
「な……ど、どういうつもり――」
「で……出たぞ!」
「クォンだ……"剣聖"の弟子、クォンだ!」
「や、やっちまえ……やつを殺せば、一生喰うに困んねぇぞ!」
「ラアアアアアアアアア」
それらの言葉で、マテロフは状況を察する。
「な……ッ!」
おそらくクォンは、自身の首に賞金を懸けている。
それを餌にならず者どもに自分を狙わせ、修行──というより本人の言葉を借りるならば、肩ならしという名の実戦を、
「ムチャクチャだ!」
相手は40近くという数。
どう考えても、なにをどう算段しようとも――
ふと、クォンが振り返った。
そしてキザったらしく、ウインクなどする。
くそ。
「どいつもこいつも……男など、バカばかりだ――――――――ッ!」
マテロフは叫び、両剣をしまい、背中から弓を引き出す。
矢を番え、ちょうど今クォンに迫りくる斧男に標準を、合わせる。
ふとその大上段の構えが、あのバカ(ベト)を連想させた。




