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聖女アレ・クロア  作者: ひろい
道 -load-
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Ⅰ/後継者

 貴婦人自身には、"剣聖"との直接の繫がりはないという話だった。


 ただクォンの人柄、類稀なる剣技に惚れ込み、彼が所属する弟子たちのコミュニティ、ひいては結果的に"剣聖"の後援者となっているという。

 だから"剣聖"と接触したければ、まずこの貴婦人と出会う必要があったのだ。


 結果的にマテロフは、幸運だったといえる。


「お手間、お掛けしました。壊した調度品などは……」


「お気になさらずとも、結構よ。そんな柔な財力はしておりませんわ」


「は、はは……」


 世界の違いを思い知らされた気分だった。


 一礼して、マテロフはドアに向かう。

 クォンとレックスは、既に外に出ていた。


「マテロフさん」


 背に、声をかけられる。

 振り返る。


「なん、でしょう?」


「御武運を」


 その言葉と、口元だけの笑顔に、いくら裕福なお家といえどこの時代、女性の身で生きていく厳しさ、激しさを視た気がした。


 最後に、興味が湧いた。


「……失礼ですが、お相手は?」


「わたくしは生涯、たった一人の主人しか愛せませんわ」


 その言葉は逆説的に、その内情をこちらに伝えていた。


「……戦争で?」


「勇敢に、お国のために尽くされたと思います」


「……お悔やみ、申し上げます。重ね重ね、お世話になりました。よろしければ……もう一度、お目にかかれたら嬉しく思います」


 唐突に、貴婦人はマテロフの両手を握った。

 突然の行動に、マテロフはハッと顔を上げる。


 その瞳に、涙を貯めていた。


「どうか……どうかあなたは、死なないでね?」


 ふとアレのことが思い出されて、一気にこみ上げる。


「あ……ありがとう、ございます……ご婦人もどうか、息災で……!」


「フフフ」


 お互い抱き合い、少し泣きながら、マテロフは外に出た。


 クォンは笑みで、レックスは腕を組み待っていた。


「お待たせ致しました」


 何か応えようとするクォンに先んじてレックスが、


「遅ぇよ」


「別に貴方に待っているように頼んではいないが」


「お、お前……」


 と言い争いを始めそうところで、


「まぁ、落ち着きましょう」


 クォンが仕切り直す。

 それにレックスは舌打ちし、マテロフはそちらに向き直る。


「失礼しました。では、向かいましょう」


「はい」


「……チッ」


 そして三人の行脚が始まった。


 せっかく訪れた街を素通りして、関所を越え、街道を抜け、獣道を通って、山へと入る。

 その晩は、そこで野宿となった。


 クォンはキビキビと準備を進めながら、


「マテロフは、野宿は大丈夫ですか?」


 マテロフも慣れた手つきでそれを手伝い、


「傭兵団を抜けてから、ずっと野宿で過ごしています」


「それは結構」


「おれはゴメンだ」


「え……?」


 唐突なレックスの言葉に、マテロフが疑問を投げかける。


 しかし既にレックスはその場を離脱、


「ちょっと、レックス……」


「馴れ合いは、ゴメンだね」


 そのまま木々の間に、姿を消した。


 呆然とそれを見送り、マテロフはクォンと顔を見合わせる。

 クォンはただ、肩を竦めるばかりだった。


 その晩はクォンが持ち合わせた、猪肉の燻製をいただいた。

 さらに付け合わせとしてその場で山菜を取り、やはりクォン手持ちの香草と合わせた滋味スープをご馳走になった。


 こんなに手の込んだ、繊細で体に良さそうな食事は前を思い出せないほど久しぶりのことだった。


 それから四、五日ほど経っただろうか。


「なぜ、レックスは姿を眩ましたのだろう……?」


 もはや恒例となっていたクォンと二人の夕食をとる最中、マテロフはぽつりと呟いた。


 ずっと心の片隅で引っかかってはいた。

 ずっと傍らで、くっついて来ているとはわかっていた。


 だがあの場面で、まさか手助けに入るとは思っていなかった。


 文字通りあれには、救われた。

 おかげで自分はこうして、剣聖の弟子と行動を共にしている。


 だがあのあと離脱して以来、姿を見せることはない。

 てっきりずっとべったり、傭兵団の頃のように付きまとってくるとばかり思っていたが――


「どういうつもりなのだろうか……?」


「わかりますよ、彼の気持ちが」


 ふとした独り言のつもりだったのが、クォンから意外な返答がきた。


 ちなみに本日は豚肉を細かく刻んだものを羊の腸に詰めたという逸品で、それを茹でたものをいただいた。


 味付けは無いかと思ったが既に塩と、さらに香辛料というもので漬け込まれているらしく、これまた形容しがたいほど複雑で、よだれが止まらなくなり、食べれば食べるほど腹が減るという怪奇現象を巻き起こしていた。


「ふ、ふま、ふま過ぎる……それで、わかるとはどういうことですか?」


 ニヤケ顔でぐにゃぐにゃしてるところからいきなりしらふに戻ってしまうのも、ここ何日かの同行で慣れてしまったある種弊害のひとつだった。


 クォンは食事の大部分をマテロフに分け与え、自身はわずかなそれをつまみながら、パチパチ弾ける焚き火にその細めた眼を向けている。


「彼はあなたのために、身を隠しているのでしょう」


「私の為? それはどういう――」


「ずっと、見張り役を買って出ているのでしょう」


 ふと、思い起こされることがあった。


 傭兵団を離れてからずっと、夜。

 眠りについた後朝方まで、目覚めることはなかった。


 それは逆に言えば起こされるような、起きなければならない事態に見舞われることがなかったともいえた。

 そういえば毎晩のように、"夕食"が届けられていたし。


「そう、です――」


「"私の"、ね」


 一瞬わからなかった。

 だがその意味を理解した時、ストンと胸に落ち込む心地だった。


 目の前にいる、"剣聖"の弟子と名乗る、クォンという男。

 なるほど確かにその腕前は想像を絶するものがあるが、果たしてその身の上を証明できるものは一切ない。


 そして曲りなりとも自分は、おんな。


「そうか……」


「フフっ、残念なお話ですけどね」


「あ、いや失礼を……!」


「いえいえ、当然の警戒だと思いますよ。むしろマテロフは、少し信用し過ぎなくらいかと」


「そ、それは……」


「どちらも、私にしてみれば眩しいくらいに純粋なものです。気にすることはないですよ」


「は、はい……」


 恐縮し、マテロフはその腸詰肉で出汁を取ったスープを飲んだ。

 それはポカポカとお腹を温めた。




 それからさらに二日ほど経過し、マテロフは信じられないほどの断崖絶壁と向き合っていた。


「こ、これは……?」


 呆然とした声が、口から零れる。


 ゴツゴツした岩肌を見上げるが、頂上が見えない。

 角度はまさに、ほとんど直角。


 こんな地形、初めて出くわした。


「マテロフは、山登りは得意ですか?」


「え、いやその……」


「いやこの場合は木登り、と聞いたほうが的確かもしれませんね。むしろストレートに崖のぼりとか」


 不可能だと思われている。


「……えぇ、幼少の頃より崖のぼりを趣味としてきました。暇があればあちこちの崖にのぼってしまい、周囲のひとに迷惑を掛けた覚えがあります」


 その誰がどう聞いてもな強がりに、クォンの瞳が細まる。


「そうですか。では早速、」


「はい」


 もう、後戻りは出来なかった。




 まず、取っ掛かりを探る作業に苦労した。

 どこに手をかけ、どこに足をかけるかなどと悩んでいる間にクォンは自分の背丈よりも上にいた。


 慌ててあとを追おうとしたが、すべり、腰から落下する。


 笑い声どころかなんの反応もない。

 羞恥する暇もなく、再度崖に縋りつく。


 あとはもう、ガムシャラだった。


 ふと見上げると既にクォンは信じられない高度にいた。

 見失ってしまう恐怖で、必死に追いすがった。


 それを繰り返し続けて、気づけば眼下に目を向けていた。

 広大な森が、まるでテーブル上のチェス盤だった。


「…………」


 本能的な恐怖が、足元から這い上がってくる。

 つい足に力を入れ、つま先が崖を擦る。


 宙に浮いた足が、地面まで墜ちるイメージを明確に伝えていた。


「ハッ、ハッ……あ、ふぅ……」


 怖い。


 今まで幾度もの死地に立ってきた。

 だが、ここまで明確に恐怖を感じたのは、初めてのことだった。


 なぜ今、自分はこんなところにいるのか?


 どうしてこんな想いをして、崖を登っているのか?


「――――アレ、」


 ふと、マテロフは胸元に手をやっていた。


 そういえばアレは、なにかあった時胸元のロザリオを握っていた気がする。

 自分はその、アレそのものが、初志を忘れないための心の支えになっている。


「アレ……どうか私に、力を……」


 目を閉じ、堅く胸元を握り、強く胸に想った。

 それだけで、萎えかけていた身体に力が戻ってくる。


 私も、世界を変える。

 自分を、変えるんだ。


「スゥ、ハァ……ああああああああああああああああああああ!!」


 目一杯吼えて、マテロフは眼下の光景を振り払い、上を見あげた。


 その視界の端に、クォンの姿はまだあった。


 そこに向けて、マテロフは右手を突き出した。

 取っ掛かりをしっかりと握り、そして自身の身体を持ち上げる。


「わあああああ!」


 叫び、マテロフは再度崖を登り始めた。

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