Ⅳ/鎖
痛い、と思っていた。
体のどこかが、キツく絞られている。
なぜこんなことをされているのかはわからなかった。
それに抵抗も出来なかった。
なぜか指一本動かせない。
真っ暗闇の中、再び意識が底に沈んでいく。
ベトのことを想っていた。
ここで自分が死んでしまえば、ベトはまた独りになる。
いや実際はそんなことはない。
ベトにはエミルダさんにプライヤさんにヴィルさん、それに傭兵のみなさんがいる。
決して孤独なんじゃない。
そんな心配は自分の方が必要なくらいだ。
だけど、思ってしまう。
ベトは本当の意味で、みなさんに心を開いていないように思う。
だからいつも、ベトは寂しそうだった。
ただ頑なに、強く在ろうとしているように、思えた。
それが昨晩、初めてそれが解けたように感じられた。
ベトは自身を縛り付けていた鎖を自覚し、それから抜け出せたように思えた。
その上で自分を、求めてくれた。
嬉しかった。
これからは寂しくないと、寂しくさせないと、そう――
「思って……ひっく、いたのに……」
「起きたか」
誰かに、声を掛けられた。
それに思わずアレは、顔を上げていた。
「……え? あ……は、い?」
辺りを見回す。
もうそこは、森の中ではなかった。
アレは部屋にいた。
「…………」
そこでアレは、少し躊躇った。
この空間を部屋と呼んでいいものかどうか、考えてしまったのだ。
その部屋には、なにもなかった。
いや実際その言い方には語弊があった。
その部屋には、藁があった。
そして無数のゴミと、埃があった。
それだけだった。
窓すら、無かった。
真っ暗だった。
「――――」
「どうした?」
視線を回すと、目の前に闇がいた。
「……スペロ、さん」
「血、止まったか?」
ハッとして、右肩に手を当てた。
そこには布――包帯がかなり乱雑にではあったが、巻きつけられていた。
まだ少し、温かいような気がした。
「これ……スペロさんが?」
「他に誰かいるか?」
アレはその答えに再度周囲を見回し、そしてぶんぶんと首を振った。
それにスペロは面白くなさそうに、
「ふん……まぁ一応、止まったみたいだな」
ポン、と包帯の上から肩を叩かれる。
途端、弾け飛ぶような激痛が巻き起こる。
「ハッ!? ぐァウっ、く、ツぅううう……!」
呻き、叫び、傷口を抑えて痙攣、前のめりになるアレを無表情にスペルは見下ろす。
「ふん、死なないだけ良かったと思うんだな」
ふと、アレは思った。
「あ、づッ、はい……ベトに……っ、似てます、ね……」
「あ? 今、なんか言ったか?」
「ベトに、似てるかもしれないって……言いました……」
ぴくっ、とスペロの眉が上がる。
「ベトって……あの男か?」
ぐい、と襟首を捻り上げられた。
「あ……」
咄嗟にアレは、瞼を閉じ、身体を強張らせる。
肩の傷口がギューっと引き攣る。
しかししばらく待ってみも、何も起こらない。
おそるおそる、瞼を開ける。
「――――」
目の前のスペロに、表情は見て取れなかった。
相変わらず、感情が読めない。
アレはそれを、不憫だと感じた。
「スペロさん……あの、」
「俺に、世界を救えなんて無理な話だ」
「え……きゃっ」
パッと手を離され、アレは床の上に落ちた。
お尻を強く打ち、顔をしかめる。
「い!? ……いたたいたいたいたい」
「…………」
スペロはそっぽを向き、部屋の隅へ行って、黙って座り込んでしまった。
それにアレはどうしたらいいかわからず、ただそちらを見つめた。
――なんでスペロさんは、あんなに苦しそうなんだろう?
アレは関心が、自身の傷からスペロへと移っていた。
疑問に、頭が支配されている。
スペロさんは、なんで――
不意に、スペロがこちらを向いた。
「あ……」
「なんだ?」
「あ、いえ……」
スペロは立ち上がり、こちらへとズカズカ歩み寄ってくる。
アレは心臓がバクバクと鳴り出すのを感じた。
つ、次はいったいどんなことをされるのか?
目の前まで来て、スペロはこちらを暗い瞳で見下ろす。
アレはただひたすらに、それを見上げることしか出来ない。
「あ、あの……」
「――――」
「その…………」
「――――」
「…………」
沈黙が続き、ある時を境にアレは話しかけるのをやめた。
やめて、その空間に浸っていった。
どこか澱んでいるような、渦を巻くような、そういう不可思議な感覚だった。
最初空気の流れかとも考えたが、そうではなかった。
その出所を、探った。
すぐに、見つかった。
見つめている、本人からだった。
「…………?」
アレは微かに、首を傾げた。
やっぱりだ。
自分が受けた違和感は、間違いではなかった。
なにか、なにか彼は、混沌とした心を抱いている。
その正体は、いったいなんだろう?
永い間だった。
『――――』
互いに目も逸らさず、言葉を発することもない。
二人は動くことなく、アレはその間ずっとスペロのことを観察し続けた。
その心に、寄り添い続けた。
「あ!」
そして気づいた。
「……なんだ?」
その反応に、スペロは眉をひそめた。
当然の反応だった。
アレの深淵なる心の裡など理解出来る人間の方が稀だ。
「あ……す、すいません。その……わたし、わかってしまったもので……」
「――なにをだ?」
「あの……」
アレは、恐怖した。
自分がしでかした、空気を読まない反応にではない。
どれだけのことをしでかしても変わらない、スペロの在り方にだった。
「なにを、わかったっていうんだ?」
スペロはただ、じっとこちらを見下ろす。
アレはそれに、躊躇する。
もし次も失敗したら、またも痛い目に遭ってしまうのではないか?
「なんで黙ってる? 早く言え。俺の、なにがわかったって言うんだ?」
「いえ、あの……その……」
「言え」
ただ、一言。
それでスペロは、もはや動かなくなる。
アレはそれに、進退窮まってしまった。
もう、他の選択肢はない。
「あの……」
「――――」
唾を、呑み込んだ。
「スペロさん……ベリファニーさんのこと、好きなんですよね?」
襟首を、掴み上げられた。
アレは目を閉じ、次に加えられるだろう暴行を思い、身を固くした。
「…………?」
しかししばらく経っても、スペロからはナイフも拳も言葉さえ、投げかけられることはなかった。
それにアレは疑問符を浮かべ、さらにしばらく待って反応がないことを確認してから、瞼を開けた。
「――――」
スペロは以前とまったく様子を変えず、ただじっとこちらを見つめるばかりだった。
そう、一見すれば。
「…………?」
しかしアレはそこに、別のものを視ていた。
「スペロさん……なにか、辛いことがあったのですか?」
パッ、と手を離される。
それに、そういう可能性も予期していたアレは咄嗟に両手を床につき――
ぐきっ、
「あ! っ、くぅうう……!」
手首を捻ってしまった。
つくづく自分には、運動神経がない。
こんなことで世界など変えられるわけもないし、ベトにも迷惑を――
「それで、」
「え?」
不意に掛けられた声に、アレは痛みも忘れて顔を上げていた。
その瞳に、感情の変化を見留めた。
「スペロさん……」
「それで、お前は……俺がベリファニーが好きだとして、どうする?」
一瞬だけ優しいものになったと思った。
「――なにが言いたい?」
それがすぐに、酷薄なものに変わった。
「…………」
またもアレは、考えた。
スペロは、抜き身のナイフのような青年だった。
ほんのひとつ間違えただけで、相対する人間の脳裏に死をチラつかせる。
心臓がバクバクと脈打つ。
そこでアレは幾たび目かに、気づく。
ひょっとするとスペロは、その芯はベトと同種なのかもしれない。
けれどその接し方、在り方はほとんど正反対のようにすら感じられる。
その違いはなんなのか?
簡単だった。
考えるまでもなかった。
人を変えるものは、環境以外ありえない。
スペロが迫る。
「なにが言いたいんだ、お前は?」
「わたし、は……」
そこまで考え、アレは話すべき言葉を決めた。
これ以外は、ありえなかった。
「スペロさん、その、よろしければ……」
「なんだ?」
「わたしと、一緒に、世界を――」
顔に、なにか硬いものがめり込んでいた。
「ぁ――――」
悲鳴すら、ほとんど発することは出来なかった。
気づけばアレは後頭部から、壁に激突していた。
「あ……ぅ……」
べしゃ、とアレは突っ伏す。
だくだくと、両鼻から血液が溢れる。
森での惨劇の再現だった。
鼻が痛い。
目が痛い。
口が痛い。
頬も痛い。
後頭部がガンガンする。
体がまったく、動かない。
「ひ、は……か……」
「お前……まったく、ゆったりした人生を送ってきたみたいだな」
髪を掴まれ、無理やり顔を上げられる。
気づけば頬も、口も、内側も、舌まで切れていた。
上げられた途端、ドロリと血が零れる。
そこまでいっても"殴られた"のだと、アレが理解することはなかった。
「は、はひ……ぃ……」
「現実を……俺が、教えてやるよ。感謝しな」
そのまま荷物のように、ズルズルとアレは引き摺られていった。
ただですら粗末なローブが、ビリビリと破け、身体のあちこちがザリザリと削られていく。
心身ともに、ボロボロになっていく。
もう二度と、ベトたちとは会えないかもしれないと思った。




