Ⅸ/あいのいみ
ベトは一晩、眠らないつもりだった。
「――――」
あれだけのことがあり、かつ、あれだけの力を持つ魔女と、ひとつ同じ屋根の下で過ごしているのだ。
のうのうと寝ていろという方がムリがある。
アレの寝息は、聞こえない。
身じろぎのひとつもしていない。
これからの方針を考えなくてはならなかった。
「…………」
まず第一として不本意ではあるものの、アレの行動を抑制する方向で考えなくてはならない。
ただでさえ問題持ちだらけのパーティーだ。
これ以上頭痛の種はいらない。
それにルベラータ、ハルバルト、熊──さらにスペロ、ベリファニーも付け加えるなら直近で5度も、死にかけている計算になる。
臆病に臆病を重ねてちょうど良いといわれる傭兵稼業、これ以上の幸運が重なるなど考えられないし考えたくもない。
神や悪魔には近寄らないのが最善の策だ。
――アレの基準はなんだ?
ふと、疑問が浮かぶ。
自分には行動を起こす際には明白な理由、線引きがある。
リスクとリターンを天秤にかけ、自分に旨みがあるかどうかで判断する
しかしアレには、それがあるのか?
今回も、交友関係を求めていた。
それは無差別にすら感じられる。
だが今まで知り合った数は、考えてみればその十数倍に達する。
その中で選ばれたのは、マテロフ、エミルダ、プライヤ、そしてこのベリファニーだ。
「女か?」
単純な発想だった。
だとすれば、別に迷う必要も――
「いや、オレがいるか……」
別格、と捉える事も出来るか?
なにもかもから見捨てられ、藁にも縋りたかったから自分に頼った。
そう考えるのは、極めて自然と思えた。
ふと、出会った時のことを思い返していた。
いや、思い返そうとしていた。
だけど正直、わんわん泣かれた印象しかなかった。
あと、獣みたくフーフー唸ってたから、剣をやったことを――
「ロザリオ」
ほんの僅かにだが、声が大きくなった。
ぴくん、と背中が動いた。
「…………」
ほんの一瞬、だがベトが気付かぬわけもない。
気にしている。
「――――」
そういえばキッカケといえる大きなものは、それだった。
いやまず自分がその美貌に、汚れ無き雰囲気に惹かれてその身体を買おうと――
「ああ、いい女だと思って……」
ビクビクン、とまたも背中。
「…………」
さてこの反応、どうしたものか一考に値する。
話し合うのもありといえるが、とりあえずはこちらの考えをまとめておくか。
それにしても、ふとした偶然。
ずっと謎だったアレを紐解く鍵が、こんな形で見つかるかもしれないなんて。
いつの間にか保護者気取りで、侮っていたのかもしれない。
元々獣だと理解して、同行していたはずなのに。
「……なんでだ?」
顔、年の頃、体つき、世間知らず、純粋無垢、その他諸々。
それに自分も、すっかり騙されていたということなのか?
いや、アレに騙す気などない。
ただ、そう――無垢な信頼に、甘えていたということなのか?
「……滑稽だな」
自嘲してしまう。
というか魔女の館で、自分はなんて能天気な自己分析など行っているのか?
その意味があるのか?
この、生きるか死ぬかしかない、クソッたれな世界で――
待てよ?
「ひょっとして……意味、あるのか?」
それは電撃的な閃きだった。
ずっと、実だけ求めてきた。
殺して、金を得て、喰って、ヤって、それがすべてだと考えてきた。
いやそれは自分だけでなく、世のほぼすべての人間に共通する現実、常識、当たり前のはずだった。
しかしよく考えてみれば、意味がないものに意味を求めたって、意味は――
「ん? んん?」
なんだか言葉がループしている。
このままじゃ鶏が先だか卵が先だか。
それじゃあ、意味がない。
いや元々意味がないものに意味を込めるんだからいやだからまたループ――
「ああああ、もう!」
ついに雄たけびをあげてしまう。
どうせ同室の人間は起きている。
寝ているフリしてたって意味がない。
身体を起こし、その瞬間「あん」とか悩ましい悲鳴があがった気がするがそれは一旦頭から必死で追い出して、あぐらをかき、しかし変わらずドアの方を向きアレには背を向けたまま、考えをまとめようとする。
「……だから、そうだよ。そうだ、意味とか、そういうのがそもそも……いらねぇんだ」
そんなものを追い求めているからこそ、面倒臭くなる。
そもそもいつ死んだっていいとか考えてるんだ。
意味とか意義とか、そんなもんどうだっていいだろう。
なにを真面目くさって、よく生きる努力してんだ?
そうだ、いいんだよ。
別に綺麗事掲げて──他人の為に、生きてみたって。
生きるため以外の、余分なこと積み重ねたって。
「ンだよ、これ……」
なにがキッカケだ?
ベトは、目の前が開ける心地だった。
こんな魔女の館で、これからのために身の振り方、アレの扱い方を考えようとした矢先、その実態をつかもうとした結果、自分のあり方に気づかされ、そしてこの真実に、辿り着いた。
自由に、自由に。
それが自分だった。
だからやりたいことを、やりたいようにやってきた。
その、つもりだった。
「縛られていたのか、オレは……」
自由に──なんて、笑わせる。
そんなもの、自堕落に、自虐的に、自滅に向かってと、同義語ではないか。
「そうか……そうなのか」
両手を持ち上げ、拳を握り締め、その顔を上げる。
その向かいに、アレは穏やかな表情で佇んでいた。
「アレ……」
「わたしの名前、呼んでくれましたね」
一瞬意味が、わからなかった。
「あぁ……呼んだな。あんた――じゃない、アレの、名前を」
ニッコリ、眩しいくらいにアレは微笑んだ。
たぶん、ずっと求めていたのだろう。
あんた、ではなく自分の名を呼んでもらうことを。
けれどそれを言葉に出して求めることはない。
そういう人間だ、アレ=クロアとは。
「アレ……」
「はい、ベト」
「アレ……オレ、わかったぜ。オレが……何者、なのかを」
「はい。それ、すごくわかります。ベトが嬉しいのが、とってもよく伝わります」
「アレ……!」
ベトは、アレを抱き締めていた。
恥も外聞もない。
ただその欲求が、胸を突き抜けていた。
アレは、されるがままだった。
されるがまま――震えてる手で、それに応える。
「ベト……ずっと、好きでした」
首筋がビリッ、と痺れた。
なにを言っているのか、理解できなかった。
「あ――あんた、なに言ってんだよ? あれか、保護者としてってことか? それともみんな大好きとか、そういう意味か?」
違うというのは、わかっている。
「そう、です……」
「え、マジか……!?」
ぐわ、やられた、だから勘違いするから変な期待だとか求めたりとかそういうのは今後一切絶対──
「って言ったら、ベトは満足するんですか?」
上げられた顔に浮かんでいた、涙に濡れた笑顔。
ベトは、よろめく。
「や、いや……」
圧倒され、よろりと立ち上がり、フラフラと後退って、壁に退路を絶たれる。
アレはさらに、ベトに迫る。
咄嗟にベトは、両手を翳した。
「そ、それ以上近付くな……!」
さらに瞼まで閉じた。
怖かった。
「だいじょうぶですよ、ベト」
一瞬のことだった。
気づけばアレはベトの両腕をすり抜けて、ベトの耳元に口を、近づけていた。
「!」
まるで脳みそに直接言葉を撃ち込まれているような心地。
まるで蕩けそうになる恍惚感。
「怖がらなくて、大丈夫です……わたしも最初、怖かったんです。おばあさんがいなくなって、部屋にいられなくなって、自由になって……なにしてもいいってわかっても、これからどうなるかわからなくって、怖くて……いっそ部屋に、元に戻りたかったけど、戻れなくて……それに神様と約束──契約しちゃったから、世界を救わなくちゃいけないから……もう苦しくて、死にそうで……そんな時、ベトに会ったんです」
「──あぁ、そうだったな」
まともになるために、テンパらないように、訳わからないことをわめきながら目の前の聖女を求めないように── 一時の劣情で汚さないように、必死に必死で必死だった。
「ベトに、求められたんです……」
「ぶっ!?」
唐突な言葉に、ベトは吹き出した。
台無しだ台無しだぜ台無しだよあんたのためにあんたの為を想ってたっていうのに。
想いは言葉にならなかった。
アレの口調は、落ち着いていた。
「あれから色々と、学びました。男性と女性とのあれやこれや……ベトがわたしのことをどう思っていたのかも、今なら理解出来ます……」
冷静に考えてみれば隠し通すことなど無理に決まっていた。
いくらちやほやされているといっても粗野の極みともいえる傭兵団の男たち。
その渦中にいて知識をつけさせない奴がゼロなどとあり得るはずがなかった、そこに悪意があろうがなかろうが。
「あ、いや……そ、そんなことは覚えなくていいというか、その……」
「ベト……」
アレの手が、ベトの頬を撫でた。
冷たい、形を持った液体が触れたのかと思った。
「愛してます」
時が止まったような、静寂だった。
「……意味が、わかってるかい?」
「ぐもんですよ、ベト……」
「それはマテロフか……?」
「はい……あいのいみは、プライヤさんから……」
あの盲目おんな、こんな余計なこと教えやがって──
考えていると、アレはもう一方の手も頬に添えて、挟み込むような形を取った。
ふと、左腕を失った時のことを思い出した。
教会、
「また……感謝の意じゃ、ないだろうな?」
「ちがいます」
アレの瞳は、澄んでいた。
それ以外の意思は、感じられないほどに。
「――本気か?」
「わたし、その質問の意味がわからないんです」
「……どういう意味だ?」
「みなさん、本気じゃない時って、あるんですか?」
不意を突かれたその言葉に、ベトは目を点にした。
「ハっ……ハハハハ、そうだな。確かにあんたは、いつも本気だ。手抜きなし、いつだって全力で事に、相手にぶつかっている」
だからこそその行動は相手の心を揺らし、閉塞状態を突破する鍵となる。
感服だった。
だからベトは、笑った。
いつものように――そしてもっと自由に、朗らかに。
「では姫、わたくしのようなものがお相手を仕りまして、よろしいでしょうか?」
「? ベト、わたし、お姫様じゃありませんよ?」
もっともだ。
もう皮肉に逃げる必要も、卑屈になることもないか。
しかし難しい。
永年続けてきた癖を、直すというのは。
面倒だ。
「きゃっ」
ベトはアレを、押し倒した。
力任せに。
そして仰向けのアレに、馬乗りになる。
バッ、と上着を脱ぎ散らした。
そしてアレの上着に手を、掛けた。
アレは身を、硬くしていた。
「…………」
強張っていた。
両手で自分の身を庇い、目を瞑り、小刻みに震えていた。
その様子にベトは数瞬、時を忘れて固まり、我に返り考え、結局いつものようにガシガシと頭をかいたあと、仰向けに倒れ――床に後頭部を、直撃。
「ぐぇ」
「え……あ、ベト!?」
「ててて……」
そのままの姿勢で、ベトは頭を抱えた。
それをアレは上半身を起こして、心配そうに見下ろす。
年齢もそうなら、それ以上に実際まともな人生経験やそれに伴った知識を得たのは出会ってからのせいぜい一ヶ月と少し。
さらにその中身というか心というか精神年齢は――そういう経験に関してはこれ以上ないほどに、子ども。
「お預け、か……」
「ベト? ベト? 急に倒れてどうかしたんですか、ベト?」
「いーや、なんでもねー」
呼びかけに、自分に眠るすべての理性を総動員して、上半身を起こして、下半身を死ぬ気で収めて、精一杯無邪気な感じでにっこり笑う。
せめて一年後くらいには手を出せないとこっちが頭おかしくなりそうだな……とベトは今後乗り切れるかどうかの算段をしていた。
「?」
それにつけてもこういった時に見せる小首かしげる仕草は、間違いのない天使以外の何者でもなかった。




