Ⅷ/素敵な関係
ヴィルは、動かない。
おそらく、動けないのだろう。
ただ目だけが爛々と、ベリファニーを睨みつけている。
「ヴィルフォローゼ王子」
「……なんだ?」
言葉にも、まったく余裕がない。
それは当然だろう。
王族としてのプライドを捨てて下手に出たというのに、裏切られ、殺されかけたのだ。
これで笑っていられたら人間じゃない。
まぁ実際のところその狙いは騙し討ちというか利用しようとしたというのが実際だから、返り討ちというのが一番正しいのかもしれないが。
「その、申し訳ありませんが、あなたのお申し出には応えられません……お引き取り、願えますか?」
おそらくはその場にいた誰も──少なくともベトを除いたすべての人間にとって、予想外の言葉。
それを聞いた途端、怯える豚よろしくその場でブヒブ醜態をさらしていた老害どもは、ハッと我に帰返ったように、気づいたように顔を上げて、そのままケツをフリフリ逃げ出していった。
最後の最後まで全くブレずに、醜悪なる有様だった。
それに比べてヴィルの片膝立てて相対するその座り姿の、堂々としたものよ。
「フン、でなければ殺すのだろう? いや実際はそうでなくても殺されかけたわけだからな、話し合いなど不可能ということだな……この、魔女めがッ! ──いいだろう、撤退だ」
「は、ハッ!」
その言葉を待っていたかのように近衛兵たちは馳せ参じ、4人がかりでヴィルを抱え起こし、残りの1人が斥候、先導する形で一瞬も躊躇わず外へと、走り去っていった。
まるで一陣の風のような手際の良さ。
彼らにしてみれば願ってもない指示といえたのかもしれない。
主の手前引くに引けず、死の特攻を待つだけだった身が奇跡的に助かった形。
ベトはなんぁかそれが微笑ましくて、カラカラ笑いながら手を振って見送っていると、肩越しに振り返ったヴィルと視線がぶつかった。
その口が、耳に音を届けず幾度か動く。
「────」
背中に口元の半分まで埋めているためその内容を理解することはできなかったが、やはり半分だけ見えている瞳がこちらに、なにか訴えかけているように思えた。
「…………」
その意味を、その姿が見えなくなるまで考え、しかしわからず、その上で噛み締め、そしてベトはアレに振り返った。
「じゃあ、帰るか?」
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
初めてそこで、ベリファニーの驚いたような声を聞けた。
面白くて、ニヤけながらベトはみたび振り返る。
「なんだ?」
「あの……このまま、お二人は本当にお帰りになるつもりなのですか?」
「そうだけど? なンか問題があるのか?」
「あの……なにも、訊かれないんですか?」
「わたし……」
そこで、アレが前に出た。
ずっと目隠しさせて、後ろで待機させてた分自己主張が強くなってるように感じられた。
「――なんでしょう?」
ベリファニーはヴィルがいなくなって、ジジィどもが消え失せて、この衛兵が去っていき、自分とアレだけに、その3人だけになって、その在り方がひどく怯えたものになったように感じられた。
「よろしければ……ベリファニーさんと、お友だちになりたいと考えているのですけど……?」
ベリファニーはポカン、と口を開けていた。
「……私と、ですか? お友だちに……ですか?」
「はい。わたし、自分と同じようなヒトと会ったことがなくて……それにベリファニーさんとってもいい人なんで、よかったらこれからも、良くして欲しくて……」
アレらしい言葉。
ベトは腕を組んで成行を見守る。
また一人、旅の道連れが増えるのか?
一瞬そんな妄想もしたが、しかしそれは難しいだろうと考え直してもいた。
「それは……嬉しい申し出なんですが……」
「ダメですか?」
上目遣いの、純真な瞳。
これで陥落しない相手はいなかったが、しかし果たして――
「……私はこの森から、出られないんです」
この言葉にはベトも、目を瞬かせた。
「……どういうこった?」
向けられる視線は、憂いを帯びていた。
「私とスペロは、ずっとこの森で暮らしてきました……ふたり、力を合わせて……だから私たちは――」
アレが尋ねる。
「出てはいけないんですか?」
「そうじゃ、そうじゃないんです……ただ、でもきっとスペロはこの森を出ようとは、決して言わないと思います。スペロは、スペロはそう……」
「人を憎んでる」
ベトはその続きを、自然と引き継いでいた。
ベリファニーは驚いたような視線を向ける。
「――なん、で?」
「あいつは、俺に似てるとこあるらしいからな。そンなこったろうと思っただけだ。だからあいつは森から出たくねぇ、って?」
「…………」
沈黙、つまりは肯定か。
ベトはボリボリと頭をかいた。
「……アレ」
「なんですか、ベト?」
「お前ど――――――――してもベリファニーと、友だちになりたいか?」
「はいっ、ど――――――――――――――――してもっ、です!」
超肯定だった。
こりゃどうしようもない、だってオレの望みはこいつの望みを叶えてやる事なんだから。
ベトは、ベリファニーを見た。
なにか言おうとしたが、その必要は全くなかった。
「そういうこった」
だからただそれだけ。
ベリファニーも、なにも言わなかった。
その晩、結局ベトとアレはベリファニーの小屋に泊まらせてもらうことになった。
ベトは正直イヤイヤだった。
せっかく暖かい寝床が街には用意されてるっていうのに、なにが悲しゅうてこんな小屋に泊まらにゃならんのか?
口に出しても仕方ないことだから、黙っていた。
ある意味大人になっていた。
「ではベトさんはこちらに……アレさんは、ベトさんと同じ部屋になさいますか?」
「はい、そうですが? なんで聞くんですか?」
そのやり取りに、ベトは嫌な予感がしていた。
だから一足先に、部屋に入っていった。
ベッドを確認し、シーツとブランケットがあることに安堵し、隙間風が入り込まないかどうか――
「いえ、その……よ、夜伽など、されるのかと……」
「? ヨトギって、なんですか?」
うんうん、結構入ってくるな。
じゃあせめて窓は密閉しとこう。
おう、シーツもブランケットも意外と清潔だな? これなら案外こっちも悪くない――
「え? いえ、夜伽とは、その……ほ、本気で聞いてますか?」
「? はい、すみません物をよく知らなくて」
「いえそんな、謝ることは……で、では僭越ながら私が教えさせていただきますが、夜伽とは――」
そこでようやく、
「あー、いいから」
ベトが割って入る。
今から寝るってういのに、そういう話は聞きたくない。
「え……あの?」
「いや、いいんだって、アレはそういうの。そのあんた……じゃない、とにかくオレとアレは、そういうんじゃないから」
ピシャリと言い切ると、ベリファニーはほんのコンマ数秒で納得したようだった。
この辺りの察しの良さはベトも気に入っている点だった。
「……わかりました。すみません、余計なことを言ってしまって」
「やーいいって、気にすんな。じゃあ……そうだな、アレ。あんた、別の部屋あてがってもらったらどうだ?」
「? なんでですか?」
「だってよ、ベリファニー。部屋は他にもあるんだろ?」
「はい、もちろんありますが……」
「だってよ。せっかくだから、広々とした個室で足を伸ばして――」
「ベトはわたしと同じ部屋、イヤですか?」
純真な瞳を潤ませ、こちらを見上げるアレ。
それこそコンマ数秒で目を逸らすベト。
あー苦手だ。
勘弁して欲しい。
そういうのに負けてたら、それこそ今まで築いてきたアイデンティティとかプライドとかが崩壊しそうで――
ハッと視線に気づき、隣を見る。
「……あー、ベリファニー?」
「なんでしょう?」
「その……まーなんていうかこのコレは……そう、オレはコレの保護者のようなもんというかそんな感じというか、な?」
「素敵な関係ですね」
ベリファニーは本心からとしか思えない満面の笑みを浮かべていた。
心から祝福しているという感じで、まったくやりづらいことこの上ない。
「その……だからよ、アレ」
「イヤですか?」
「…………!」
つい、とベトは顔を背けてしまった。
無意識だったが、そうなってしまえばベトの負けだ。
「ではお二人はご一緒のお部屋ということで」
「……ああ。まぁ、仲良くやらせてもらうよ」
「では、ごゆっくりお休みください」
ベリファニーはしずしずと後ろに下がり、ドアを静かに閉めた。
それを見届け、ベトはボリボリと頭をかく。
「…………寝るか?」
「はい」
ゴロっ、とアレは床に横になった。
当然そこには布団など敷いておらず、剥き出しの硬い木床があるだけだ。
それを気にした様子も無く、仰向けで、瞼を閉じる。
ベトは再度、頭をかいた。
「……あんた、」
「はい、なんですか?」
「こっちで寝ろ」
ベトはアレの首根っこを引っ掴み、自分が眠るベッドに乗せた。
「ふぇ?」
戸惑うアレを置き去りに、今度はベトが床に降り、ゴロリと横向きに体を横たえ、背を向ける。
アレは首を傾げる。
「……なぜですか?」
「いいから、そこで寝てろ。ていうか今まで他の寝床では普通に別々だったよな? なんで今さら、甘えてんだあんた?」
「甘えてません」
そこにアレは降りてきて、ベトの背中に身を寄せ、額をつけた。
「ただ、傍にいたいだけです」
あたたかい。
そう思った。
子供のように、白痴のように、老婆のように。
それが自分の内の裡、冷たく硬く凝り固まった部分をじんわりとほぐしていくようで、心がざわめいた。
ばかばかしいと言えばこれ以上のものもないと言える。
せっかく用意してもらったベッドは無人で、男と女が2人、床に直に無様に転がっているのだから。
「────」
だけどベトはベットに上がろうとも、相手を引き剥がそうとも、持っていこうとも、襲うとも、それどころか何の一言も、反応のひとつ、行動のひとつも移す事は、適わなかった。
ただこの状態がほんの少しでも変遷してしまうことを心の奥の奥で恐れていることに、気づかず怯えていた。




