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聖女アレ・クロア  作者: ひろい
剣 -brade-
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Ⅵ/不吉な兆し

 ずっとアレに軽口を叩きニヤニヤしていたベトだったが、徐々にアレの反応は薄くなっていき、そして遂には無くなってしまっていた。


 限界にきたのだろう。


 しかし一応、剣は振り続けている。

 ベトは止めるでもなく、周囲に視線を彷徨わせた。


 単純に飽きたし、世界を変えるなんてのたまうからにはこれぐらいはやってもらわないと。


 ベトの目の前で、二人の傭兵仲間が模擬試合をしていた。


 カン、カン、と木製の棒で打ち合い、そして一方が一方を打ちのめした。

 倒れる。


 そして棒を突きつけられる。

 両手を上げる。


 降参の意だ。


 模擬試合とはいえ、戦いを見ることをベトは好ましく思っていた。


 戦いはいい。

 シンプルだ。


 どちらかが勝ち、どちらかが負ける。

 勝った方がよく、負けた方が悪い。


 わかりやすい。

 そして自分の人生は、そのわかりやすい中で行われてきた。


「へへ、俺の勝ちだな」


 勝った方が、負けた方に手を差し伸べる。

 負けた方は殴られた頭をさすり、


「いたた、やられたぜ……って、おい?」


 そして、それは何の前触れもなく訪れた。


「う……ぐぐ、ぐぅえ……!」


 突然。


 なんの前触れもなく、勝者が苦しみ出した。


 首を抑えて、息が出来ないかのように。

 それに敗者と、そしてベトも眉をひそめる。


 冗談か?


 にしては、やたらと迫真に迫る演技のように見える。

 顔を真っ赤にして、口の端から泡をこぼして――


「っておいおい……なんだぁ、こりゃあ!?」


 思わずベトは、叫んでいた。


 それに周囲の視線が集まり、そして動揺に口々に叫び声を漏らしていた。


 敗者はその場に、へたり込んでいた。

 今や鍛錬場全体の視線が、勝者のただひとりに注がれていた。


 その足が、宙に浮いている。


「な……っ」


 言葉を失う。


 それはまるで、男が見えない透明な巨人に首を掴まれ、持ち上げられているような、そんな錯覚を起こしてしまいそうな光景だった。


 それはつまり、在り得ない光景だった。

 大の男ひとりが、なんの力もかけられずに宙に浮かぶなんて事態が。


「が、ぐ、は……っ」


 しかしだからといって、そんな悠長に眺めていられる事態でもなかった。


 浮かんでいる男の顔が、どんどん赤から紫色に変わっていく。

 酸素が、失われているのだ。


 それに驚くのを後回しにして、ベトは考える。


 仲間の一人が、男の足に手を伸ばして、引っ張る。

 なんとか地面に下ろそうとしている。


 しかし、ビクともしない。

 テコでも使っているかのように。


 さらに他の仲間が肩車して男の首に手を伸ばすが、なにもない。


 どうしようもない。

 首を絞めているものが見えず、そして触れないのだ。


 そしてベトは似たような症状をどこかで耳にしたのを、思いだした。


 悪魔憑き。


「ッ……おい! 誰か悪魔払い、もしくは悪魔憑きと会ったことがあるやつはいないのか!? おい、ぼーっとしてねーで答えろッ!!」


 大声で叫び、近くの奴をどつき、周りに呼び掛ける。

 それに呆気に取られていた周囲の人間は我に返り、ざわつき、


「あ、悪魔憑き……?」

「これが、そうか?」

「おい、誰か知ってるか?」

「いや、そんなん噂で聞いたことしか……」


「ぐ、ぐぅえ、え……」


 男が、失禁した。

 ヤバい、失神した。


 くそっ、こういう場合どうしたら――


 ふと、声をかけてない人物に思い当った。


「お、おいあんた!」


「――――」


 ベトが声をかけた時、アレはぼんやりとしていた。


 一応視線は浮いている男にあったが、目の焦点が合ってない。

 そしてまるで壊れた玩具のように、まったく同じような動作、ペースで剣を振り続けていた。


 周りがこれだけ騒いでいるにもかかわらず、騒動にまったく気づいていないようだった。


 その様子に、初日からやらせ過ぎたか?

 とベトは少し後悔し、


「ちっ……おい、あんた! 目ぇ覚ませ! アレ=クロアっ!」


「――――え」


 三度に及ぶ呼びかけに、ようやくアレの目の焦点が動き始め、それは目の前で身体を揺さぶるベトで像を結んだ。


 意識も、覚醒したようだ。

 それにベトは胸をなでおろしてから、


「見ろ! 俺の仲間が悪魔憑きに遭ってるんだ! あんた、村の伝承かなんかでそういうのに関する祓い方かなんか……」


 どさっ、という何かが落ちるような音がした。


「聞いたことないか……って、へ?」


 まさかと思い、振り返る。


 バカな、そんなまさか。

 何度も思いながら、しかし目の前に繰り広げられる光景に、ベトは唖然となった。


 さっきまで宙に浮き上がり失神寸前だった男は、今は地に落ちて仲間に介抱されていた。


 さっきまで引っ張っても首の周りに手をやってもピクリともしなかった彼は、仲間の手によって息を吹き返し、事なきを得て周りを不思議そうにキョロキョロしていたのだ。


 まさか――


「お、おいあんた……」


「え? な、なんですか、ベト……?」


 アレは椅子に身体を預け、ぐったりとして頭を傾げていた。


 そこに今までのことがわかっている様子はない。

 その事実に、ベトの背筋に戦慄が走った。


「あんた、まさか……」


「なんですか? ベト」


「おーい、ベトこっちの後始末手伝ってくれ!」


 遠くから、仲間に声をかけられる。


 倒れた仲間を運んだり応急処置したり服を変えたり失禁したところを掃除したりと、大変らしい。

 それに一瞬ベトは考え、


「……いや、なんでもね。おう、今行くわー!」

 アレをその場に残し、ベトはそちらへと駆けて行った。




 その日の夕食。


 アレは生まれて初めて、おばあさん以外の人と一緒に食事をとることになった。


 それも、大人数の異性と。

 しかも、大広間で。


「…………」


 少し濁った野菜スープを、一杯スプーンですくう。


 野菜スープといっても、人参や玉ねぎが糸くずみたいに細く切られて入っているだけだ。

 しかも濁っている理由が得体が知れない。


 飲むのには、かなりの勇気を要する。


 考え、しばらくして、かなりゆっくり、口元へ運ぶ。


 啜る。


 なんていうか、ぬるいお湯を呑んだ感じ。

 しかもべちゃ、ってしてる。


「…………」


 感想は、言い辛かった。

 他の食材に、目を向ける。


 なんだか焼かれた肉というか肉の塊というかそんなものがあった。


 どうやって食べるんだろう、あれ?

 フォークじゃ、とても無理そう。


「おう、嬢ちゃんどうしたん?」


 唐突に後方から、声をかけられた。


 周りはみんな他より少しでも多く食べようとガフガフやっていて話しかけられることはないだろうと油断していたアレは振り返るよりもビクッ、と身を固くする。


 そこに肩を置く、不審人物。


「そ、そんなに緊張しなさんなや……おじさん、そんな小兎みたいな初心な若い娘見ると、興奮しちゃうぞ……ハァ、ハァ」


「くたばれ不審者」


 真下から、またも脇腹にアッパーカット。


「ぐべらぁアア!?」


 それに不審人物――スバルの100キロを超える巨体が、30センチは浮き上がる。

 そして床に、べちゃ。


 あとは打ち砕かれたアバラを押さえてのたうち回った。

 それを上からゴミを見るような目でベトは見下ろし、


「……ったく、本当このじじぃはエロでテキトーで自分勝手で、どうしようもねぇ」


「あ、ベト……」


 それにアレは、水場を見つけた子羊のような瞳で振り返る。

 それにベトは少しうろたえ、


「お、おう。飯、食ってっか? う、美味いか?」

「うん……う、ん? ぅ、んん?」


「て、なんだその反応? 食ってねぇのか?」


「う、うぅん?」


「どした? 不味いのか?」


「う、うん」


「……ま、そりゃそうか」


 隣にどかっと腰を下ろす。

 そして皿を傾け、スープを啜る。


 自分にとってみれば悪くないが、まぁ冷静に考えれば美味かぁない。


 普段がろくなもん食ってないから、舌が妥協してるんだろう。

 続いてパンを一口食い千切り、手近の肉塊をフォークで、ぶちぎる。


 そして未だパンをムシャムシャしてる口内へ放り込む。

 味付けも雑なそれでも、貴重なたんぱく質、栄養源。


 うむ、悪くない。

 肉食わないと剣なんて振れるか。


「……うわぁ」


 隣から、引くような声。


 それにベトは、アレの存在を思い出す。

 確かに、女性から見ればこの食卓は荒々しいの一言か。


 しかもこの子は、今までずっと部屋のベッドの上で純粋培養されてきたわけだし。


 ――汚してみたい。


「なぁ、あんた?」


「な、なにベト……」


 笑顔で問いかけてやると、アレはびくびくしながら後ずさりつつも必死に笑顔を作って応える。


 その健気さに、胸中に三つの感情が同時に出現、渦巻いた。


 まず、そんな処女おとめを汚したいというさらなる欲求。


 二つ目が、そんな信頼されている彼女を裏切りたくはないという想い。


 三つ目が、そんな今の状態とさっきの奇妙な事態とがあまりに符合しないという、猜疑心。


 そんな状態にベトはまるで歪んだような笑みを作り、


「あ……ぅあう、え……肉食えっ」


「うぷ!?」


 顔は横を向いて、無理やりフォークに刺した肉塊を微かに開かれたアレの口の中につっこんだ。


 それにアレはあっぷあっぷしていたが、よく考えるとこれで顔を汚し、食べ方を教え、問答をしないことで猜疑心もそのままという見事な正解を演じていた。

 我ながら、びっくりだった。


 アレはつっこまれた肉を小さな歯で必死に噛み、たっぷり時間をかけて千切ってから、


「はぐはぐ……ん、おいし」


 耳を疑うような言葉。


「う、うまい? こ、これがか?」


「? うん、おいしい」


『おいおい、マジか?』


 後ろから突然声がしてベトが振り返ると、そこには傭兵仲間たちがズラッ、と列をなして勢ぞろいしていた。


 それにベトは、驚き仰け反る。


「うぉ!? な、なんだよお前ら?」


 仲間は首を石垣のように重ねて、


「おいおい嬢ちゃん、本当にこんな糞飯うめぇのかよ?」


「あ、はい。美味しいですが?」


「かぁ、すっげな。まるで天使さま、こんな殊勝な娘見たことね!」


「……だから、俺はなんだと」


「おい嬢ちゃん、あんたどこから来たんよ?」


「おばあさんの家から、ベトに連れられて」


「って、おいなにかベトお前この娘の祖母さんから攫ってきやがったのかこの鬼畜!」


「なんの話だ! てかお前らなんなんだ!?」


 結託してアレに質問を浴びせベトを責めていた。そんな状況でベトは憤慨し、アレは意外に冷静に対処していた。


 仲間たちはさらに肩まで組んで結託し、


『紹介しろよー、この嬢ちゃん気に入ったぞ、俺らにも紹介しろよー』


「――――ハァ」


 額を押さえて、ため息ひとつ。

 頭痛かった、こうなるとは思わなかった。


 だいたいこんな子、こいつらの好みでもない筈なのに、なんで――


「わたしの名前は、アレ=クロアといいます。ずっと、ベッドの上で暮らしてきました。普通に歩くことが、できません。生まれた時から、おばあさんしか知りません。そのおばあさんを、知らない人に殺されました。すごく、悲しいです」


『――――え』

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