Ⅲ/人魔
すげー切れそうな爪が、大上段に振りかざされる。
やべぇ、どう考えても内蔵までいくわ、あれ。
もしくは首ちょんぱ。
でもまぁ一回で逝くなら楽ってもんか。
ベトは両手を広げた。
どうせなら、スッパリやってくれや。
瞼も、閉じた。
願わくば、アレも来たときに再会――無理か、一緒のとこに逝けるわけもなし。
切ないねぇ、世の中は。
ブン、と風切る音がした。
次の瞬間、顔に──凄まじい"熱波"が、襲った。
「? ッ……!」
予想外の展開。
反射的に目の前の空間を振り払う。
想像以上の暑さゆえに咄嗟に開けなかった瞼を、ゆっくりおそるおそる開く。
目の前で"火刑"が、執り行われていた。
「な…………」
ソレにベトは、しばらく動けなかった。
見惚れてしまっていた。
巻き上がる炎の柱。
その中心でナキ声をあげているのは、先ほどの熊だった。
おそらく2メートル近くに及ぶ巨体が、しかしなぜか身動きひとつ取れないようだった。
ただただ炎に巻かれ、焼かれ、ジュウジュウと焦げた匂いと油の混じったベタついた空気を当たりに撒き散らしている。
一種の地獄だな、とベトは思った。
気づかずニヤリ、と笑みを浮かべていた。
「なにが楽しい?」
咄嗟のこと故か、気配に気づけなかった。
「ぬかったな、まったく……」
ベトは自嘲し、そちら――右手を向く。
「ぬかった、とはどういう意味だ?」
そこに立っていたのは、異形の人間だった。
男だろう。
そのことは、理解できた。
確かに背が低く、華奢な体つきだったが、胸板は平らで、髪が短く、男臭い尖った表情をしていた。
しかしそれはあくまで、"右半身"の話だった。
その左半身は、その"すべてが黒かった"。
「しまったな、って意味だな。てか、おたく? このクマの丸焼きやってんの。つーかむしろ自分焼いちまったか、ひょっとして?」
身につけているのは、平服にズボンというオーソドックスなもの。
しかしそこから覗いているすべてが、黒かった。
二の腕から指まで。
首から顔、頭まで。
そのすべてが、まるで冗談か何かのよう黒に染められている。
左半身は、髪の毛も睫毛も存在していなかった。
瞳の部分は、まるで碧いガラス玉でもはめ込まれているようだった。
どくん、どくん、と心地いい脈動が始まっていた。
コレは、凄い。
尋常じゃない。
ひょっとして、魔女ってコレか?
確かに黒いし、てか本当に魔女って存在するのか?
確かにアレはそう呼ばれているが、どうかしてなんかなったんじゃないかと勝手に解釈していたが、これと見比べると実はそうでもなかったとか?
「あぁ、焼いたさ……」
自嘲気味な言葉が、痛かった。
そしてこちらへ迫ってくる。
隣では凄まじい勢いでクマが燃え盛り、今、断末魔のナキ声が終わった。
崩れ落ちる巨体に、焼き過ぎると焦げて美味くないんだよなとか呑気な感想が湧き上がる。
「俺、自身をな……」
振り返ると、気づけば目の前10センチの距離に、黒い人間。
ベトは苦笑い。
だいたいやはり10センチくらいの身長差でこちらが見下ろす立ち位置。
さて、この気が強そうな小僧、どう扱ったら正解か?
「そんなに近くまで来なくても、話ぐらい出来るぞ?」
「あんた、なに?」
「オレは、ベト=ステムビアという。お前なんだ? 小僧」
「スペロ=シティアータ」
途端、ベトの身体が宙に──浮いた。
「は?」
最初。
足が地面から離れた時、なにかの間違いかと思った。
しかしそれが3センチ、5センチ、10センチと開いていくにつれ、これは異常事態だと理解する。
「……おいおい、これってどんな冗談だよ?」
「は? 冗談に見えるかよ? おかしなヤツだな、オイ」
せせら笑いが聞こえるが、ベトはそれどころじゃなかった。
さらに身体は浮かんでいき、気づけば高さは相手の背丈を越えていた。
以前の仲間の惨事を思い出す。
いつ首が絞まるか、軽く背筋がゾッとした。
しかし首は絞まることなく、ベトの高度は悠に10メートルを突破。
冷や汗が、背筋を伝わる。
「……お、おいおいお前、」
「じゃあな」
くるり、と背を向ける。
それと同時。
ベトの身体は支えを失ったかのように、自由落下を開始。
くそ、マジかよ!?
咄嗟にバランスを保とうとするが、なにも支えがない宙ではそれすら不可能。
ただ落ちるに任せるだけ。
まともに脳天から、それはいきそうだった。
というか逝きそうだった。
やべぇ、こんな訳わからんまま、本当に死――
ふわ、と浮遊感が全身を包んだ。
それにより落下の速度が完全に相殺され、そして足元からまるで絹の上に降り立ったように柔らかく着地。
ベトはなにか言おうとしたが、ソレは叶わなかった。
「スペロ……」
代わりのように淑女の声が、先んじていたから。
スペロは、振り返らない。
振り返らずに、その声に応える。
「なんだい、ベリファニー……どうしてそいつを、助けたんだい?」
「なぜ殺そうとしたの、スペロ?」
「理由なんてない」
正直口を挟みたくて仕方なくなったが、なんとか我慢した。
相手の能力が不明な以上、とにかく成り行きを見守るのが得策と判断。
するとベトの後方から、それはそれは長い黒髪を持つ美しい淑女が、ゆったりとした歩みで現れる。
一瞬、息を呑んだ。
それは、それほどの、上玉だった。
こんな経験、アレ以来だった。
「なぜ理由なく、ひとを殺そうとするの?」
「気に喰わなかったからだ」
理由あるんじゃねぇかよ。
「……どうしたの、スペロ? なにがあったの? なにがあなたを、そんなにイラつかせているの? 教えてスペロ。私、あなたの力に――」
「放っておいてくれ」
まるで取り付く島無く、スペロと呼ばれた黒い男──少年は、ベリファニーに背を向けた。
ベリファニーはさらに声を掛けようとしていたようだが、寸前で思いとどまったのか身を縮め、自らの胸を抑え──その一瞬後。
スペロは夢、幻かの如く、その姿を眩ましていた。
まるで噂に聞く、神隠し。
ベリファニーはそちらを縋るように見つめていたが、しばらくして困ったような笑みで振り返る。
「……すみません。スペロがご迷惑お掛けして……あの、お怪我はございませんか?」
それどころか殺されかけて、と言おうとしてベトはやめた。
実際それを留めたのはどう考えても目の前のベリファニーだし、さらにはケダモノに殺されかけていた自分を助けたのは、スペロそのひとだ。
「いや……」
返答を濁すとベリファニーはなぜか哀しげに、微笑んだ。
ベトはベリファニーに小屋まで案内され、そこでアレと再会を果たした。
文句の一つもつけてやりたかったがここはベリファニーの手前堪え、経緯を聞き、とりあえずといった形で納得とする。
そこでベリファニーから改めて、
「それでお二人は、なぜこの森に?」
「あんたに、会いに来た」
ベトの答えは、端的だった。
それにベリファニーは小首を傾げ、
「私、に? それは所謂――魔女狩りで、ということでしょうか?」
「へぇ……?」
その反応に、ベトは感心したように嘆息を漏らす。
「知ってた、のか? となると自分はどうなるのか、わかっているのか?」
「魔女裁判にかけられ、拷問され、殺されるのでしょうか?」
「その通りだ。なんだ、よくわかってんじゃねぇか。じゃあ、死ぬか?」
ニッコリ、ただ微笑まれる。
それにベトは、この女の辿ってきた半生を想った。
コレは只事ではない、と。
「……へっ、まぁいいや。じゃあそれでよ、ここ最近の行方不明者? ってやつのこと、知らないかいか?」
「私は知りません」
「私"は"ってことは、スペロのやつは知ってるのか?」
ベトの言葉に、ベリファニーは少し辛そうに顔を伏せる。
どうやらアテは当たったらしい。
しかしどうにも苦手な空気だった。
いつも天然で探り合いなどない連中と付き合っている分、ベトは少々面倒になってきていた。
「そ、そうかそうか……なるほどわかったわ。じゃあ用も済んだし、オレたちはこの辺で――」
「スペロさんとベリファニーさんは、こいびと同士なんですか?」
唐突なアレの問いに、
「んなっ!?」
ベトは一瞬理解が追いつかなかった。
しかしベリファニーは至極落ち着いた様子で、
「ちょっと、違いますかね」
「どう、ちょっと違うんですか?」
「そんな恋人だとか、世で云われているような気楽で簡単な関係ではありません」
「ではベリファニーさんとスペロさんは、いったいどんな関係なんですか?」
「それは、生きるも死ぬもすべては一緒だという、運命共同体です」
「わぁ、それはわたしとベトと同じですねっ?」
なぜか明るかった。
この辺がアレらしく、ベトは不覚にも安心してしまった。
うんオレの連れはこれぐらいがちょうどいいと腕組みし、
「それで、なんで生きるか死ぬか、というかどういう関係なんだ?」
またもベリファニーは、にっこりと微笑む。
ベトはひくっ、と頬を引き攣らせた。
こりゃ、無理だ。
この子、ブラックボックス多過ぎ――
「魔女さんと、ということはスペロさんもやっぱり普通の人ではないんですか?」
空気が、凍りついた。
『――――』
それにベトは、空気を察する。
なるほど、あとは任せるとしよう。
アレはベリファニーとはまったく違う、無邪気すぎる笑みを向ける。
ベリファニーは、タジタジとは違うが少しだけ戸惑っているようにも見えた。
ややあって、ベリファニーは答えた。
どこか、観念したように。
「……普通の人では、ありません」
「では、魔女……では女性さんになってしまいますから、魔男さんとでも呼ぶのでしょうか?」
まさか同族、という発想は無かった。
「間男ではありません……私のスペロは、人魔です」
さらなる新種の怪物、
「――人魔、だって? そりゃ、なんだ? というかあんた、ホントに魔女なのか? ひとつ、証拠でも見せてくれないか?」
さすがにトンデモが過ぎるというもの。
確かに宙に浮いたのは摩訶不思議だったが、その原理は未だ不明。
再現可能だというなら見せて見やがれ。
そんなものが実在するというなら、王侯貴族が戦争に利用しない意味がわからないし。
挑む口調にも、ベリファニーは鉄壁の笑みを崩さない。
崩さず――
「へっ?」
かくん、と膝が折れ、そのまま地面にこめかみがつく。
世界がぐらぐら揺れている。
あまりの激しさに、立ち上がれそうにない。
無意識にアゴに手をやると、痛みが走った。
――殴られた?




