Ⅰ/迷子
彼女は、すべてが黒かった。
漆黒の長い髪に、黒いローブ。
吸い込まれるような、黒い瞳。
それにアレは、引き付けられていた。
自分には一切無い、その在りように。
アレはだから、言葉を失っていた。
声を掛ける掛けない、という選択肢そのものを無くしていた。
ただ呆けたように、相手を見上げるだけだった。
だからなのか、相手が先に言葉を放っていた。
「えぇと……ど、どうしたんですか?」
「――――」
アレは、その意味を理解できなかった。
耳が、脳がまともな機能を発揮出来ていない。
その相手は、困っていた。
「えぇ、と……?」
この森に、自分以外の女の子が現れるのは初めてのことだった。
確かに今までは道――主に人生の生き方に迷った人々を、元の帰り道に戻してあげたり、亡命の手伝いをしてあげた経験はあった。
けれどこんなに小さい子が、こんなに純真な瞳でこちらを見つめてくることは無かった。
戸惑いは、大きい。
どうしよう?
「そ、のぉ……迷子? ですか?」
年のころは、自分より二つか三つ下に思えた。
まさかこんな所まで──というのも考えにくいが、ひょっとしたらとても規模の大きい追いかけっ子とかかもしれない。
というかそういう風に考えるしか他なかった。
少女は微かに、目を潤ませた。
「まい、ご……って、なんですか?」
「え? あ、迷子っていうのは、道に迷った人のことよ?」
「道に……迷ったかもしれません。人生の――」
「あ、やっぱりそういうオチですか?」
「オチってなんですか?」
なんとも無益な会話だった。
そうこうしている間に、アレは少しだけ平常心を取り戻していた。
杖をつこうとしてなぜか無かったので転がっていた大きめな枝を拾い上げて立ち上がり、相手と目線を合わせ――ようとして、相手がかなり背が高いことに気づき、
「わぁ……背、高いですね」
「はぁ? ど、どうも?」
「それで、わたし、アレ=クロアっていうんですけど……お姉さんは、お名前なんていうんでしょう?」
それに相手は面食らったようにしたあと、考え込むように下アゴをつまんだ。
「名前……私の名前を、知りたいんですか?」
「ハイ、よろしければ」
アレの笑顔は、完璧だった。
どこにも他意や、悪意のようなものは見つけられない。
だから相手は、悩んでいた。
しばらくしてから、決意の顔を上げた。
「私……ベリファニー=ワックスといいます」
「そうなんですね! ベリファニーさん、どうぞよろしくお願いしますねっ」
アレはベリファニーの手を取り、無邪気に手を握る。
それに戸惑うベリファニーには特に気づかず、
「それでベリファニーさんは、ここでいったいなにをなさっていらしたんですか?」
「ここで、暮らしています」
え? という暇も無かった。
「私、魔女ですので」
アレは、なんのリアクションをすら取れなかった。
ベトは突然消えたアレを探して、奔走していた。
確かにぜんぜん落ち着き無くて、いつでもどこでも行ってしまいそうなネコのような所が無きにしもあらずだが、いつだってベトに寄り添い、離れる時には必ず一言断っていた。
それが、消えた。
ベトの狼狽振りは、哀れなほどだった。
「な、ど……アレ――――――――っ! どこいったー! 出てこいー、飯だぞー、帰るぞー、喰っちまうぞー、置いていっちまうぞー、うぉぉおい――――――――――――――――ッ!!」
「……ベト、キミのその呼びかけは少々品性に欠けるというか、効果を疑うというか、なんというか」
「やっかましぃわ――――っ! そんな暇あったら、お前も声出せや――――ッ!!」
「はいはい……おーいアレー、保護者のベトがご執心だぞー」
「てめぇ真面目にやれやゴルァ――――――――ッ!!」
叫ぶベトを適当になだめつつ、ヴィルは周りに真剣な視線を向ける。
「──それで、見つかったか?」
「いえ、まったく……というか、この広さ、暗さじゃとても……」
「だいたい、こんなことしている場合ではないのでは? 我々の調査は一刻を争う上に深刻なもの、どこぞのものでもない小娘に気を配っている余裕など……」
そんな部下たちの報告に、ヴィルは考える。
多数の被害報告がなされている黒魔女が住むという、危険極まりない漆黒の森。
慎重に物音を立てず調査を進めるつもりだったが、降って沸いたこの事態にそのリスクを取ってでも単独になる危険を排するため、固まっての非効率な捜索を続けてしまっている。
現在この状況は、危険極まりないことこの上ない。
勝手についてきた、小娘一人の為に。
ヴィルは決断を、迫られていた。
そこをいくとベトの姿は、ヴィルには意外だった。
「おーい、アレー! アレ=クロアー! どこだ、どこいったー!? 出てこーい!!」
周りの空気や危険など顧みず、ひたすらに声をあげている。
そこにシニカルさや、余裕など微塵も見て取れない。
それはヴィルが今まで見てきた傭兵像からは、大きくかけ離れていた。
「なぁ、ベト……」
「あ? なんだいま忙しいんだ用事なら手短に済ませろやっ!」
「いや……」
しかしヴィルは、その疑問をうまく言葉に出来なかった。
どういえばいいのか、わからない。
捜索は、難航した。
そして黒魔女と遭遇する事も、無かった。
アレは、魔女と名乗る少女――ベリファニーと、昏い森を歩いていた。
遠くでギャーギャー、と不気味な鳥が鳴き声をあげ、ビクッと身を竦ませる。
少し怖かったが、しかしアレはベリファニーのあとをついていく他なかった。
初対面の相手にアレコレ質問するのは得意だったが、意思を伝えるのは苦手だった。
特に相手が、魔女ですのでと名乗るし。
「…………」
ザッザッ、と二人分の足音だけが響く。
アレはただ足元だけを見て、前の相手にくっついていく。
杖代わりの枝は、やはり使いづらかった。
でも転ばないように一生懸命神経を尖らせる。
こんな知らない森で独りにされたら、本当にもうどうしようもない。
なんでこんなことになったんだろう、と考えていた。
ついさっき──今日のお昼までは初めての芸術に触れて、みんなで笑い合って、とってもとっても楽しい気分だったのに。
夜になり、ベトが抜け出し、また独りにするのか泣いて困らせ、無理にどうこうした結果、こうして魔女さんに自分は引っ張られている。
世の中の問題の99%は、自分が問題で引き起こしている気がした。
悲しかった。
本当に自分はどうしようもないと突きつけられてるみたいで。
心もいつまで経っても強くならない泣き虫で、剣のほうも随分練習していない片手落ちで、生きる価値なんてないんじゃないかとさえ考えてしまう。
ひょっとしたらいつまで経っても世界を救う気配も無い自分に、契約違反だからと神様が魔女の生贄にしようとしているんじゃないかとさえ疑ってしまう。
「――――」
そんな思考のスパイラルに陥り、アレは更に深く落ち込んでいた。
実はベトとアレの関係は、ベトが陽でアレが陰だったのだ。
だからベトと離されれば、自然アレは諦観に取り付かれてしまう。
ダメだダメだダメだと脳に繰り返し響く声を、振り解けずにいた。
「――アレさん?」
「ふぇ!?」
とつぜん掛けられた声――と覗き込む顔に、アレはびっくりして、尻餅をつく。
「たたたい……」
「大丈夫ですか?」
涙目になっていると、天からの助けのように手が差し伸べられる。
それに掴まり、アレは罪悪感に囚われていた。
さっきまで悪魔の手先のように考えていた自分って、いったい何様なのだろう?
「だいじょ、ぶ……です」
「よかった。何度声を掛けてもお返事がなかったので、ちょっとどうかしてるのかと……それよりも、着きました」
なんか微妙な感想をさらりとのたまうベリファニーの視線が向こうにいったので、アレもそれに倣う。
丸太出来た簡素な小屋が、そこには現れていた。
「ここが、私の棲みかです」
「は、はい……?」
よくわからない返事にベリファニーは力なく笑い、そして家の中に誘った。
家の中も外観同様、至極シンプルな造りだった。
暖炉に、ベットに、キッチン。
生活に必要なもの以外は、本棚くらいしか見当たらない。
アレはそれらを感心げに見て回りながら、ふとおばあさんと暮らしていた部屋を思い出していた。
「よろしければ。薬草茶ですが」
「あ、はい……やくそう?」
ベリファニーと出逢ってから、初めて聞く単語ばかりだった。
ベリファニーは説明を諦めただ力なく笑ってから、カップをアレの前のテーブルに置いた。
それにアレも見て回るのをやめ、椅子に腰を下ろした。
「あ、ありがとうございます……飲み物、ですよね?」
「ハハ」
なぜ返事でなく乾いた声で笑うのか怖かったが、さらに質問を重ねる勇気も無かった。
飲み込むと、喉をまるで洗われるような爽やかな感覚が通り抜けていく。
「うは……お、おほふ……!?」
「お口に合って、なによりです」
ハッとして顔を上げると、ベリファニーは柔らかい笑みを浮かべていた。
それにアレは、少しだけ安堵する。
アレは言葉のやり取りを得意としていない分、表情や雰囲気を大きな判断材料としていた。
「あ、はい、おいしいです……それで、あの?」
「なんですか?」
「…………」
なんですか、と問われ、アレは戸惑った。
疑問はある、たくさん。
しかしそれをどう具体的な質問とすべきなのか?
アレは、沈黙していた。
その代わりのように、ベリファニーが口火を切っる。
「なぜ、この森に足を踏み入れたのですか?」
「……それは、ベトが」
ふと呟き、しかしそれが詮無き言葉であることに気づき、再び沈黙。
自分には自分の意思が無いのでは、と再度思考のスパイラルに陥る。
「ベトさん、ですか?」
ベリファニーの言葉は、優しかった。
優しくて、思わず気を許しそうになるほど。
「あ、はい……ベト、です。ベトが、その……」
「ベトさんというのは、あなたにとってとても大切な方なのですか?」
「大切です」
「それは、どれくらい?」
「ベトが死んだら、わたしも死にます」
度肝を抜くような言葉だったが、アレは自然に口走っていた。
それにベリファニーは、微かに眉をあげた。
その変化に、アレは気づけなかった。




