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聖女アレ・クロア  作者: ひろい
剣 -brade-
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Ⅴ/悪魔の力

 初めて、自分の部屋以外の場所で眠ることになった。


 胸がハラハラして、なかなか寝付けなかった。

 まるで、夜という名の闇に、呑み込まれていくようで。


「……ハァ……っ」


 寝返りを打つ。


 窓側のベッドは、さすがに部屋の主であるベトが使用している。

 自分は反対側――ドアの傍の床に、毛布を敷いて横になっている。


 感触は硬く、そして少し寒いが、それよりも問題なのは、場所だった。


 月が、遠い。

 光が、足りない。


 いつも窓際のベッドで、空を見てきた。

 どんな時でも、月を見ていた。


 月を見ていれば安心できて、安心できればそのまま眠りにつくことができた。


 月が遠い。

 光が足りない。


 恐い。


 おばあさんが死んでしまい、自分だけの世界が終ってしまって、こうして何も知らない所にきてしまった。


 恐い。

 これからどうなるのかわからないし、どうすべきかもわからないことが。


 恐い。

 夜の闇が、恐い。


 恐い。


 胸元のロザリオを、きつく握り締めた。


 痛かった。

 だけどその痛みが、まだ自分がこの場所にいることを実感させてくれた。


 さらに握ると、十字の先端が掌に食い込むのを感じた。


 血が、溢れるのを。


「っ……」


 痛みに呻き、そして思わず、その手を見つめた。


 つ、と一滴の血が筋を作って手首まで零れていた。


 不思議だった。

 暗くても、闇でも、何もかも黒く塗りつぶされていてもなお、それは赤いことをこちらに伝えていた。


 赤い。

 血。


 祖母が自分を、守ってくれた。




 アレ=クロア




 ふと、名前を呼ばれた気がした。


 それに顔を上げ、見回す。

 だけど何も見えない。


 夜が深すぎる。

 闇が濃すぎる。


 自分の手足すら、確認することは出来ない。


「……誰です?」


 尋ねるが、それに返答はない。

 空耳かとアレは思い、また眠ろうと布団を首の下まで引っ張り、


【貴女が世界を変えるというなら、力が必要でしょう?】


 聞こえた、今度は確実に。

 それにアレの胸が、激しく脈打つ。


 誰かがこの部屋に、いる!?


「っ……だ、だれ? 誰かいるの!?」


 声をひそめて、だけど布団をのけて周囲に視線を彷徨わせた。


 わからない。

 何も確認できない。


 こんな状態なら、どんなに近くに来られてもわかりようがない……!


 どくん、どくん、と胸が脈打ち、指先と膝が震える。


【夜は貴方の、味方よ】


 まるで自分の心を読んでいるかのようなその言葉に、アレの震えがピタリと収まる。


「……味方?」


【さぁ、きなさい。世界を、変えたいのでしょう?】


「…………」


 その声に導かれるように、アレは立ち上がった。


 不思議だった。

 自然と立ち上がることができて、そして歩くことができた。


 杖を使っていないのに、今まで歩けなかったのに。

 なのにそれを、疑問とも思わないことに。


 物の輪郭すらもわからない暗闇を、アレは歩いた。


 一度も何かにぶつかることもなかった。

 なんらかのドアを開くことすらない。


 まるで本当にそこには、一切合財何もないかのような錯覚すらした。

 本当にその声に、自分が操られているような感覚さえ。


 気づけばアレは、四方に松明が焚かれている部屋にいた。


「…………」


 四つの巨大な石柱が天井を支え、四つの炎がその中心を照らし出している。


 そこにあるのは、一つのせり出した石畳に描かれた――六芒星。

 そしてその周りを描くように二重の円と、間に綴られた理解不能な文字。


 それは、赤い塗料で描かれていた。

 そして炎に照らし出され、光り、浮かび上がって見える。


 それは酷く幻想的な光景だった。


「…………」


 アレは無言で、その中心に立った。


 そして、瞳を閉じる。

 すると再び、声が自分に語りかけてきた。


【さぁ、受け入れなさい。――悪魔の、力をね】


 天から、見るもおぞましき怪物がアレの身の上に、降ってきた。


 アレは目を剥き、絶叫をあげる。


「い――いやあああア! いやっいやっいやっ、嫌だ――――――――ッ!!」


「お、おいあんた、落ち着けっ!」


 両腕を、掴まれた。


 捕まった。

 逃げるのを、防がれた。


 絶望的だった。


「ッ!? ひっ……い、いやだッ! 悪魔と契約したくない! 悪魔憑きになりたくない! 誰か、誰かァッ!!」


「落ち着け! アレ=クロア!!」


 ぱんっ、と頬を叩かれた。


「っ……!?」


 それに、反射的に頬を抑える。


 痛い。


 2度目の感覚。

 あの時――尖った金属を無理やりに肉に分け入れられた時、以来の。


 それに、頭真っ白になった。

 それで前を見たら、ベトがいた。


「……ベト?」


「っ……やっと正気に戻ったかよ? ったく、んま焦らせんなよ」


 顔に手をやり、そのまま後ろのベッドに仰向けになる。

 その状況に、アレは完全に頭?になる。


「え……その、あ、あれ?」


「んだよ? 慣れない寝床に、怖い夢でも見たかよ?」


 ベトの言葉に、今までのことを整理し――納得する。


「あ……は、はい。その、そうみたい、で……」


「ま、しゃあねぇか。いきなり俺みたいな危ない奴と二人っきりの部屋で寝たんだ。そりゃ悪夢も見るよな。ハハ」


「いえそんな、危ないだなんて……」


 そういえば最初の出会いでは娼婦だなんて呼ばれて連れて行かれそうになったことを思い出す。

 なかなかフォローが難しい状況だった。


「ま、それでも今すぐ手を出す気はないから……っつても安心してくれとは言い辛いがな」


 正直すぎる言葉に、アレは何も言いだせなかった。


 今すぐ、ということは後には予定があるのだろうか?

 しかも安心してくれとは言い辛いとは、結局何が言いたいのかわからない。


 わけわからない会話。


「……ぷっ」


 思わず噴き出したアレに、ベトはベッドの上で上半身を跳ね起こし、頭に?を浮かべる。


 そうこうしているうちに、召集の鐘が鳴った。


 それにベトはベッドから飛び上がり、立ち上がる。

 アレはさらに?を頭の上に浮かべ、


「じゃあ、行くか。昨日約束したろ?」




 炎天下。


 それは、地獄の所業だった。


「ほれ、127,128,129,130っ!」

「う……く、ぐ、っぅうう……!」


 アレは、剣を振っていた。


 アレが泊まった建物はコの字型に展開しており、中庭が存在していた。

 その中央に井戸が、連絡用の鐘が設置され、その周囲を囲むように傭兵たちが思い思いの鍛錬をしていた。


 その輪の中に、アレとベトの姿もあった。

 昨日約束した通り、ベトはアレに剣の振り方を教えていた。


 剣の握り方、振り上げ方、そして下ろし方。

 その時脇をしめる、握りは小指に力を入れるなど基本的なものを一通り教えたあとは、ごたぶんにも漏れずの反復練習の始まりだった。


 持ち上げるのさえ苦痛を伴う鉄の塊を、だ。


「ぅ、うう……っ、はっく……!」


「271,272,27――って、おいおい全然ついてこれてないぞ?」


 ベトが隣でブンブン唸りを上げてバカみたいにでっかい歪曲した片刃の剣を振りながら、楽しそうににこちらを見て軽口をたたく。

 訂正、愉しそうにが一番合っているだろう。


 それに対してアレは椅子に座った状態で、へろへろと剣をお腹の前あたりにまで持ち上げては、それを下ろすというか落とすという動作を、繰り返していた。


 一度上げるまでが、五秒。


 そして落とし足首の前の定位置で止めて反動の震えが収まるまでやっぱり五秒。

 そして次の起動までが、五秒。


 一回振るのに合計十五秒。


 回数はベトがちょうど400超えた時点で、22回。


 文字通り頭からバケツでも被ったように、アレは汗びっしょりになっていた。


 家にいた時から着ている白いローブはべっとりと肌に張り付き、足元の地面には軽く水溜りまで出来ていた。

 それによって滑って取り落としそうになる柄を満身の力で握りしめ、アレは目に力を込めて霞む視界の中剣を振り続けていた。


 既に掌にはいくつもの豆が出来て、そして潰れて、血だらけになっていた。


 こんな重いモノを、アレは持ったことがなかった。

 いわんや振るなど、考えたこともない。


 だけど振った。

 一心不乱に。


 それはただ、世界を変えたい一心で。


 そこに、周りで模擬試合をやっていた傭兵仲間が声をかけてくる。


「おいおい、なにやらせてんだよベト? 娼婦に剣振らすなんて、お前マゾかよ?」


「うるっせぇな、別にプレイのためじゃねぇよ」


 ギャハハと爆笑する仲間を、ベトは軽く笑って流していた。

 それにアレは朦朧とする意識の中、なんだろう? と思っていた。


 なんだろう、と思っていた。


 自分はこんなわけがわからない場所でわけがわからない人間に囲まれわけがわからない金属の塊を持たされわけがわからないまま汗をびっしょりと流し、息を切らしている。


 なんだろう、この状況は?

 理由が、朧だった。


 こうしてこうやって苦しい思いをしている理由が、思い出せなかった。


 苦しい、辛い、止めたい。


 だけど手は、剣を振り続けている。


 なぜだろう?


 苦しい。

 苦しかった。


 周囲の音が消えていく。

 手の感覚すらなくなっていく。

 視界が、真っ白になる。


 助けて、という声が、聞こえる。


「――――」


 極限状態で、アレの集中力は限界まで高まっていた。


 それに、今見ている景色が薄くなり、フラッシュバックする過去の景色と、混濁していた。


 剣を振り上げ、下ろす。

 相手に向かって。


 そこには何の罪もない、子供。

 ただお腹が空いて、でもお母さんがいなくて、だからどうしようもなくてお店から取っただけなのだ。


 悪いことをするつもりなんて、なかったのに。

 なのにパンは取り上げられ、代わりに無慈悲な拳を受けていた。


 だけど自分には、どうすることも出来ない。


 その瞳は、みなに叫んでいた。

 悲鳴を上げていた。


 苦しい。

 助けて。


 誰か、助けてと。


 助けてあげたかった。

 また、暴力が振りおろされた。


 それに子供は地に叩きつけられ、動かなくなる。


 動かなくなる。


 さっきまであんなに、元気だった子供が。


 動かなくなった。


 動かない手足。

 動かなくなった子供。


 届かない、窓の外の世界。


 手を伸ばしたい。

 そして、救ってあげたい。


 子供が救われない世界なんて、本当は嫌だった。


 でも、動けない。

 わたし自身が、おばあさんに助けてもらっている。


 変える気もなければ変えられるとも思えないしそもそも変えるという概念すら持ち合わせていなかったわたしはそんな風に思う資格すら本当を言えばなかったのだろう。


 それでも、そんな自分でも――心の奥底で、小石と小石が波にさらわれて偶発的にぶつかるように、思っていた。


 助けたい。


 この身、たといこの命、捧げてでも――

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