Ⅴ/天下三剣
一晩、明けた。
酒場は、惨憺たる有り様だった。
もう、日が昇って久しいが、誰ひとりとして起き上がってこない。
半ば死んでいるかの如くほとんど寝息も出さずに眠りこけている。
机に突っ伏し、床にうつ伏せ、地面に直接、まるで戦場の様相を呈していた。
ふと、ベトが目を覚ました。
辺りを見回し、誰も目を覚ましていないことを確認して、くぁ、とあくび一つして、ギオゾルデをズラリと抜き放つ。
ヒュヒュン、と振り回す。
前回の戦闘――トラウマになりそうなハルバルトとの一戦以来、久しぶりの素振りだった。
あれ以来、剣を握るのも嫌な時期が続いていた。
しかしそれもいい加減にしておかなくては。
腕が鈍る。
さらに振り回す。
剣が空を切る音が、心地良い。
速度は以前使っていた巨剣の、二倍にも達するかもしれない。
――だが、少しも自信を持てる状況じゃない。
まったく、ハルバルトには通用しなかった。
一刀流だと言ったか?
あの奇妙な型になった途端、受けも攻めも一切が出来なくなった。
ただ一方的に切り刻まれる。
まな板の上の肉塊も同然だった。
「あー……よかった、生き残れて」
もう二度、会うこともあるまい。
相まみえることもあるまい。
天災。
まさに雷にでも打たれたのだと思えばいい。
あとはあの子を連れて、世界を変えるだとかいう戯言に付き合いながらのらりくらりと生きていければなんの不満もない。
「身分、不相応なんだよ……」
なにが"剣豪"くん、だっての。
オレなんかちょっとした路傍の人斬りで十二分だってのに。
ベトはひとしきりギオゾルデを振るってから、鞘に収めた。
あー、落ち着く。
やっぱオレ人斬りだわ。
そしてテーブルの上に残っている残飯に手をつける。
「お? この肉冷め切っててカッチカチに硬くて、ホントマジーな」
平和だった。
このままスバルの傭兵団と合流して、また元の気楽な生活に戻ろうかともほんの少し思う。
ジャリ、という砂を噛む音が聞こえた。
「おう、お前も起きたか」
ギン、と鋭い眼光。
細身の体躯、スラリと長い手足、プラチナブロンド。
傭兵にしておくには、まったくもって勿体ないタマ。
「――――」
「よう、どうしたい? なンか、ご機嫌斜め? えらい殺気だってっけど?」
「私も連れて行け」
ふたりの間に緊迫感にも似た沈黙が、訪れる。
それを弓兵は返答と、受け取った。
「――といっても、聞く気はないのだろう?」
「まあな」
「理由を、聞かせろ」
マテロフの言葉に、遊びや余裕は一切入り込んではいなかった。
だからこそベトも、言葉遊びやはぐらかす無粋はしなかった。
真剣な言葉には真剣に応えなければ。
次があるのかわからないのが、傭兵稼業だ。
「あんたには、理由ってもんがねぇじゃねぇか? 五体満足、なにかに追われているわけでも、なにかに駆られてるわけでもねぇ。自由だ。だったら自由気ままに真っ当な傭兵稼業を貫き通して、疲れたらその美貌で男選り取り見取りで、安らかに逝けばいい」
まったくもって人を喰ったような言い草だったが、マテロフはいつものようには激昂しなかった。
ソレが真実だと、理解していたから。
その通りだろう。
ベトやアレのように手足が無かったり、プライヤのように目が不自由なわけでもない。
そしてエミルダのように国に追われているわけでも、ヴィルのように強烈な野心に駆られているわけでもない。
この異端者ばかりが集まった死の行軍に付き合わなければならない奇特な理由が、マテロフにはどう頑張っても見つからない。
それは最初にアレがベトと共に発ってしまった時に見送ることしか出来なかったことと同様、自由ゆえの不自由さともいえる一種の葛藤だった。
マテロフは睨み殺さんばかりの眼光を向けたあと、くるりと踵を返した。
ベトは両手を頭の後ろに回す。
説得というか言い聞かせるには、今ので充分だろう。
ヤツァバカじゃない、というか利口過ぎるくらいだから、そんな意味のない危険を冒したりは――
「"剣聖"を、探す」
一瞬、耳を疑った。
「――いま、なんつった?」
「"剣聖"を探す、と言ったのだ。どうした、ベト? 頭だけでなくいよいよ耳までイカレだしたか?」
マテロフは、薄く笑っていた。
それにベトは、違和感を覚えた。
こんな笑い方をするやつじゃなかった。
というかイカレるだとか、そんな品のない言葉遣いをするやつじゃなかった。
どんな心境の変化だ?
「なに言ってんだ、お前? けんせいって……あの"剣聖"かよ? それって、お前――」
「天下三剣の最後のひとり、"剣聖"ホメロ=ガルシアだ。お前がいま抱いているイメージで、おそらく間違いないだろう」
「本気、かよ……」
ベトは思わず呟いていた。
それにマテロフの笑みは、濃いものになる。
初めて窺う、それは愉悦の表情に思えた。
「なにか問題でも?」
「大ありだっての。大体、知ってンのかお前? 天下三剣の"剣豪"ルベラータ=ワッサムは王直属の近衛隊隊長で、勿論公の場に姿を現すことはまず無い。ま、もう死んだけどな。ンで"剣王"ハルバルト=ディアランは正義のニ文字を掲げた史上最強の"遊軍"、聖王騎士団の団長で、有事の際ハルバルトの判断で悪を、卑劣を裁くとかで、もちろん普通に傭兵やってりゃ会う機会なんてまずナッシング。それで最後の"剣聖"ホメロ=ガルシアは――」
「ただただ俗世に縛られず。己が剣の高みを目指す求道者。人里離れた秘境の地にて、至高の剣技を磨いている」
ベトはしばらく、言葉を失っていた。
「……そこまで、知ってるなら」
イヤそれは、嘘だった。
マテロフの頭が切れることは、長い付き合いでイヤというほど思い知っている。
だからこの会話が無駄なことは、百も承知だった。
百も承知でも、訊かずにはいられなかった。
「本気、なのかよ……?」
「貴様には負けんッ!!」
激しい、それはもはや一喝とさえいえた。
一瞬その差された指先から、衝撃が迸ったかと勘違いしてしまうほど。
そこにマテロフの本気が身に染みた。
「――それが、理由か?」
「アレを好きなのは、貴方だけではない」
言い回しが元に戻り、マテロフは背を向ける。
知らなかった。
ヤツの内面に、これほどの激しい炎が宿っていたことを。
マテロフ=アルケルノ。
なるほど考えてみれば、名前の通りか。
「……いつ、発つんだ?」
「今、すぐ。相手は幻の仙人とまで呼ばれる相手、万分の一ほどの可能性に賭けるくらいの気概が無ければ収穫を得ることは難しいでしょう」
「そうか……正直、寂しくなるな」
ふと、その細い背中が揺れた。
今の言葉はベトとしても、意図せず呟いたもので、少し意外でもあった。
顔を合わせれば睨み合い、口を開こうものなら罵り合う、典型的な犬猿の仲。
だのに自分の中に、こんな気持ちが存在していたとは。
「――所詮、私たちは傭兵だ。明日会えなくても、不思議はないでしょう」
「そうだな」
今のがヤツ――彼女なりの、照れ隠しなのだろう。
なんだ、だったら今までもっと仲良く――してきたか。
これがオレらなりの、最高の関係なんだったのだとベトは遠い感覚というか、やはり寂しいような気持ちになった。
死なないで欲しい、とふと思ったりし──
「おれもいくわ」
それは、まったく予期していなかった、第三者からの第三の意見だった。
ふたりして同時に振り返る。
そこにはずっと行方が不明だったレックスが、両手を頭の後ろに回してドヤ顔で大股にこちらへ歩いてくるところだった。
ふたりして、気が合ったようにジト目になる。
「ん、どしたん?」
さすがはレックス、見事な空気読めないぶりだった。
ベトは頬をかき、
「いやお前……いま、行くって言ったか?」
「言った」
「それって、どういう意味だ?」
「マテロフと、死ぬまで付き合うって意味さ」
一瞬、空白の間が訪れた。
動かしたのは、不機嫌そうなマテロフだった。
「……なに言ってるんですか、あなたは。私と死ぬまで付き合うって――」
「言葉通りの意味だぜ?」
「――だから、ソレが意味がわからないと言っているんです」
「なんで?」
レックスがいくら人を食ったような男だとしても、限度がある。
だいたいマテロフに、こんな風に食って掛かるところを見たことがない。
――どういうつもりだ?
「なにを言っているんです? なんです、私をバカにしに来たんですか?」
「いんや、おれぁお前好きだぜ」
一瞬、再び空白の時間が流れた。
ポンコツと化したマテロフの代わりに、ベトが会話を引き継ぐ。
「……お前、マテロフのこと、好きだったの?」
「おう、好きだぜ。なぁマテロフ、セックスしようぜ」
「――あなた、ナニ言ってるの?」
別にウブなネンネでもないし。
マテロフは顔を赤くするわけでも狼狽するわけでもない。
ただひたすら、寝耳に水だった。
「いや、おまえとセックスしてぇって――」
「本気で言っているのか? お前、冗談なら――許されないぞ?」
「冗談じゃ、ねぇよ」
レックスは一切表情も口調も変えず、つまりは同時に躊躇いも、なかった。
マテロフはじっ、とレックスを値踏みした。
レックスは笑いながらも、一歩もたじろくことは無かった。
――本気、なのか?
「お前……いつからだよ?」
ベトからの問いかけにレックスはニヤリとしながらも、マテロフとの視線は、外さない。
「そんなの、ハッキリとは覚えてねぇよ。ただまぁ、いわゆる気づいた時には、ってヤツかな? ハハ、おれも案外純心だよな」
本気だ、とベトは確信した。
マテロフの顔色を見るに、それは向こうも同じようだった。
「そんなこと……言われても、困るが」
「別に困んねーよ。ただ、マテロフが死なねーよーに一緒に戦うってだけだ。それ以外では、今まで通り。どうよ、気楽だろ?」
本当に本気だ、とベトはまたまた確信した。
今の言葉で、今までレックスがアプローチかけて来なかった理由も知ることとなった。
所詮レックスがいくら好き好き言おうが、マテロフが首を縦に振るわけがない。
だから遠くから想い、胸に秘めてきたのだろう。
そう考えてみれば、マテロフは大きい怪我を負ったことはない。
マテロフは、わかりやすく困惑していた。
「……そんなこと言われても、」
「あんたはハイそうですかって言うタマじゃねぇからな。勝手についていかせてもらうわ。別に止めたって、無駄だから。おれの隠密術はすげぇぜ? 絶対に見つからない自信があるね」
「…………」
マテロフは、ただ黙するだけだった。
他に言う言葉が見つからないといった感じだった。
ベトはボソリ、とそのやり取りを総括した。
「……お前の負けだな、マテロフ。まぁ都合いい盾が一枚増えたと思えばいい。傭兵ってのはそれくらい気楽なほうが調子いいくらいの、難儀な人種なんだよ」
「バカが……」
ぽつりと呟き、それきりマテロフはもう何も言わなかった。
そしてそのまま背を向け、歩き出す。
それをレックスは追い、最後に一度だけベトに振り返り片手を挙げ、消えた。
次、もう会うことは知れないかもしれないと、ベトは想った。
「マテロフさん……?」
まさかこのタイミングで。
一番来ちゃいけないやつが、目を覚ましてしまった。
「うわちゃ……」
ベトは手で、顔を覆った。
これはもうどうしようもない。
あとは天に祈るしかない。
そこまで覚悟して、その手をどけた。
「────」
アレはよりにもよってベトから見て、マテロフの向こう側――つまりはちょうど向き合う位置に、立っていた。
深い瞳は、すべてを悟っていた。
マテロフはヨロリ、とこちらに後ずさった。
明らかに、怯えていた。
守りたいと、友達だといってくれた彼女を置いていく、後ろめたさに。
「アレ、その、私は――」
「頑張ってくださいね!」
時が、止まった。
アレは笑顔で、マテロフの両手を取っていた。
「え……?」




