Ⅱ/氷の瞳
王都ローザガルドの外れ。
西の海岸に存在する崖の傍にひっそりと聳える巨大な影──
エンファミルダ城。
周りを囲む国内最大級の広大な森によって外界と遮られたその居城の、四階──最奥。
長い永い装飾は少ないがよく手入れの行き届いた廊下を越えた果てに待ち構えるその扉は、黒樫作りにして、獅子を象られし錆び切った鉄のドアノッカーが、訪れるものを拒むかのようだった。
部屋は、広かった。
しかしそれは、空虚なものだった。
ベッドと、タンスと、テーブル。
そして鎧と、剣しかない。
それ以外、何もない。
造りと装飾こそ立派だったが、暮らしている人間の生活感がまるで見て取れない。
しかしそれは逆にいえば住人の在り方そのものを映し出しているようでもあった。
部屋の主は、眠りについていた。
ベッドに仰向けで横になり、毛布をかけ、瞼を閉じている。
それは、とても静かな眠りだった。
微動だにすらしない。
寝息ひとつ立てていない。
ともすれば、死んでいるかのようだった。
ふと、その人物が目を覚ました。
「――――」
黙したまま、むくりと身体を起こす。
そして無駄のない所作で立ち上がり、衣服を身にまとう。
簡易な、平服。
そして最後に剣を手に取り、部屋の外に出た。
外では一人の隊員が恭しく頭を下げ、部屋の主が出てくるのを待っていた。
そこへ男は厳しい視線を向ける。
「……待っていたのか、そんな暇でもあれば剣のひとつも振っておれ」
「ハッ」
ただ一言返事をし、隊員は黙って主の剣を受け取り、あとに続く。
ふたりはそのまま、エンファミルダ城内を練り歩く。
外では凄まじいばかりの号令が鳴り響いていた。
天気は晴れ、しかしふたりの雰囲気は暗く、重苦しい。
ふたりはそのままいくつもの回廊を抜け、最後に一番奥の会議室へと辿り着いた。
隊員が先導し、扉を開ける。
途端、中に揃っていた30人強から成る屈強な隊員たちが一斉に立ち上がり、敬礼する。
なんとも仰々しい様相だが、それに主は手を掲げ、座らせる。
連れ立っていた隊員も一礼し、末席に収まった。
それに続くように男はゆったりとした仕草で最奥の、唯一こちらを向いた席に、座った。
そして、号令をかける。
「ではこれより、聖王騎士団の定期報告会を開始する。最初の議題は、現在王都ローザガルドを賑わせている、魔女アレ=クロアについてだ」
会議は、荒れた。
滅すべしという強硬派と、情報を集めるべしという慎重派で、意見が真っ二つに分かれた。
それぞれがそれぞれに熱い正義を抱えた者たち、引くことはない。
ありえない。
双方熱くなりすぎ、危うく剣を取りかけるほどの事態にまで陥った。
それを止めたのは席の一番奥に座る男の、
「――ごほん、」
それだけで、喧噪の場は収まった。
それを確認し、男は宣言する。
「ではこれにて、本日の定例会議を終了とする。我々聖王騎士団がどう具体的に動いていくかは、次回の会議にて決することとする。各自、軽率な態度を取らぬようゆめゆめ肝に銘ずるように」
『ハッ!!』
あれだけ激しく言い争い、罵詈雑言の限りを投げ合っていたとは思えない一体感。
それを見留め、男は席を立ち、部屋を出た。
それに伴って来た隊員が、恭しく続く。
二人が部屋を出るまでみな直立不動、微動だにすることはなかった。
ふたりはそのまま部屋に戻ることはなく、鍛練場へと向かった。
お互いなにを語ることもなく、使い慣れた木の剣を取り、向き合う。
隊員が、打ち込む。
それを男は軽々と受け止める。
カィン、という乾いた音が鳴り響く。
「……アレ=クロアの件。お前はどう思う、マティーラ」
マティーラと呼ばれた隊員は、そのまま袈裟に第二撃を打ち込む。
それもまた男に軽々と受け止められる。
「……自分には、判断しかねる問題であります。そのような大局的判断は、団長殿であるハルバルト様にお任せ致します」
「そうか」
そつなく応え、今度はハルバルトと呼ばれた男――聖王騎士団団長ハルバルト=ディアランから打ち込む。
それを白髪の、色白い美青年であるマティーラが受け止める。
油断のない、それは基本通りの型だった。
ディアランが、剣を引く。
「実は先日の、王女警護の件でな。偶然にも魔女と、遭遇する機会を得たのだよ」
「…………」
予想外の言葉にも、マティーラに動揺する様子は見られなかった。
ただ淡々と、次の打ち込みを行う。
やはりディアランは、易々と受け止めた。
「といっても実際に交流があったわけではなくてな。わしはその時、刑を執行される処女検査官の警護に回っておってな。なんという理由もなかったのだが、虫の知らせがあってな。そして事実として、賊は現れた。しかしその場ではあまりに有象無象が多過ぎた。そこでわしは城と対岸を繋ぐ跳ね橋の上で賊を待った。やはり期待通り、賊は幾重にも張り巡らされた包囲網を如何にしてか突破し、そこに現われた。わしは歓喜をもって、それを歓待した」
「団長殿に歓待されては、その賊も大変な不幸に見舞われたものですね」
嘲笑というか皮肉気なその言葉に、ディアランは照れたような笑みを浮かべる。
ディアランがこのような表情を見せるのは、もはやマティーラの前だけだった。
「まぁ細かくは省くが、しかし賊はよくやったといってよいだろう。なにしろ賊は、我が盟友ルベラータ=ワッサムを討ち取った者であったのだからな」
ピクン、とマティーラの眉が動いた。
「"剣豪"の……」
「その言い方は、奴は好きではなかったようだぞ。奴は、王直属の近衛兵、兵団長。その身分以上でもなければ、以下でもない」
「その通りです」
マティーラは即時肯定し、自然な動きで打ち込みを再開。
三発、四発、それをディアランは受け止め、外し、躱して、打ち返す。
カン、カン、カン、と小気味いい音が響く。
「それで、だ。賊の善戦はわしに研究中の、一刀流を使わせるに至った。そこでわしは、終わったと思った。いたぶる趣味はわしには無い。楽にしてやろうと、わしは剣を振りかぶった。
しかしその剣は、もう死に体となっていた男による片手の剣により、吹っ飛ばされることとなった」
再度マティーラの眉が、反応。
「……まさか、」
「いやそのまさかよ、わしもまだまだ見聞と修行が足りないものよの」
「いえ決してそのような事はありえないかと……」
「慢心は最も忌むべきものよ、マティーラよ」
「御意に」
恐縮するマティーラにディアランは楽にと合図し、
「まぁともかく、その後賊は仲間たちと合流、鮮やかな手並みでその死刑囚である処女検査官とともに、逃走を遂げてしまったという話よ。全く聖王騎士団団長として面目の次第もない話だ。それこそ斬首モノの失態だな」
マティーラはそれには沈黙で応える。
余計な言葉はそれこそ失言しか招かないことを知っていた。
ディアランは苦笑いを浮かべ、
「まぁその話はおいおいとするとして、本題はこことなるのだが、その際手配書にあったような、銀髪白衣の少女をみつけ――」
初めてマティーラが、ディアランの言葉に口を挟んだ。
「彼の者が、魔女だと」
「かもしれん、がそうでないかもしれん。が、その可能性は、高いといえるかもしれんな」
ガン、と強めの一撃がマティーラから加えられる。
それをディアランは少し余裕なく受け止めた。
相手に気取られない程度の微かにだが、ディアランは口元を緩める。
「どうした? 剣に、意が乗っているぞ? それでは相手に気取られ、当たりはせぬ。むしろ無用の隙を――」
「魔女の魔法に、アテられたのですか?」
確信突く質問に、ディアランは再度微かに笑みを浮かべた。
「――だとしたら、どうする?」
返答のような激しい打ち込みを、ディアランは顔前紙一重で受け止める。
その向こう側からマティーラは、
「俺が……狩ります」
氷のような絶対零度の笑みを、浮かべた。
同じ聖王騎士団の仲間から"氷の瞳"の異名で一目置かれるマティーラ=アラッシムは、曲剣ソリッド・ステアとラウンドシールドを扱う、変則装備の剣士だった。
俊足と異常に柔らかい体により、虚を突く戦闘スタイル。
実力は聖王騎士団内でトップ3には入るだろうといわれていたが、その正攻法ではないやり方に否定的な意見も少なからずあった。
騎士団に相応しくない、気品がないと。
「…………」
マティーラはディアランとの稽古を終え、部屋まで送り届け、ひとり自室に戻った。
部屋に入るや否や服をすべて剥ぎ取り、一切の脂肪などない、女性と見紛うようなしなやかで洗練された筋肉が内包された肢体を月光に晒し、窓際まで歩み寄る。
首筋に、指を当てる。
これは5歳のとき、父に付けられた傷痕だ。
左わき腹に。
これは4歳のとき、母に付けられたヤケド跡。
右胸。
これは6歳、父に殴られた打撲跡――
しばらくマティーラはそうして、自身の過去の痕を確認していった。
その総数、137。
中には視界に収まらないものもあった。
その数、位置、状態を把握し――マティーラは静かに、笑った。
思い出していた。
この傷をくれた者に、そのすべてを10分以内に返してやった時の阿鼻叫喚の地獄絵図を。
「――――」
マティーラの笑みは、一切声を漏らすことはないかった。
ただ、唇を曲げる。
徐々に、ずっと、それは醜悪に、夜空にぽっかりと開いた細い三日月のように。
虐待され続けた過去は、マティーラを酷く歪ませていた。
「――――」
マティーラは笑い続ける。
一切声を出さずに。
唇だけを、ただ歪ませて。
首筋を切り、右胸を殴り、左目に指を入れ、膝を踏みつぶした時の父の顔といったら、なかった。
まるで蛙かなにかのようにくぐもった声をあげ、びくびく痙攣し、額を擦りつけやめてくれと懇願していた。
その頭を、踏みつぶした。
ぺきゃ、と音がした。
ぶくぶくと泡を吹いた。
蟹のようだった。
それを丁寧に介抱し、水とか飲ませて、意識を取り戻しひと心地ついたところで、顔を引っ掻いた。
血がびゃっ、と出た。
その戸惑いようといったらなかった。
一晩中でも楽しめそうだったのに、10分経たずにすべて返せてしまったことに絶望し、その怒りを首に真一文字の剣閃を与えることで晴らした。
父はびっくりした顔をしたあと魚みたいに口をパクパクして、その間も首からはビュービュー血を噴き出してそのうち口からもドバッと出てそれは途中から泡となりグリンと白目を剥いてひっくり返り、ピクピク痙攣、死んでしまった。
マティーラはその様子を、ただ黙って見つめていた。
後ろで両足の腱を切っておいた母があ、あ、ああああああああああああああみたいな大袈裟な叫び声をあげていたが、気にもならなかった。
ただ、動かなくなった父を見つめていた。
あー死んだんだな、なんて思っていた。
「――――ふぅ」
マティーラはそこから母のことまでキッチリ思い出し、現実世界に戻ってきた。
そして部屋の奥にある引き出しから干し肉を取り出し、ムシャムシャと音を立てて貪り、秘蔵の赤ワインを指で力ずくで開け、ボトルごとそのまま一口飲んで再び蓋をし、ベッドにダイブ、迷わず寝た。
うつ伏せに丸まり、まるで肉食の野生動物のように。
眠りながら、マティーラは舌なめずりした。
魔女。
あの聖王騎士団団長、"剣王"ハルバルト=ディアランを、退けた手練れ。
王直属の近衛兵長ルベラータ=ワッサムを、葬ったある種新たなる"剣豪"――
ごくり、と唾を呑み込んだ。
ほぼ夢見心地に、無意識に、思った。
殺したい(かりたい)。
そのひと月後、新国王の戴冠式が行われた。
そこには一切の邪魔が入ることもなく、ひょっとしたら魔女、もしくは例の賊との邂逅があるかもと期待していたマティーラにとっては大いに肩すかしを喰らった形となったが、もちろん一切表情には出さなかった。
ディアランの表情からも、なにも読み取ることは出来なかった。
微かにでも近しいものを感じているマティーラにとっても、ハルバルト=ディアランは底知れない男だった。
正直他の団員に一切の興味を示していないマティーラが傅いているのは、そういう理由だった。
そうこうしているうちに戴冠の儀は最終段階に進み、新国王による宣言が行われた。
新国王が、壇上に上がる。
そしてしばらくモジモジしたあと、意を決したように言葉を発する。
「あ……あのぅ、そにょう……」
国内の王族、貴族、騎士が一堂に会し、さらには多大なる臣民たちが見上げる中、新国王は続きの言葉を綴る。
「し……新国王、リナ、です……13才、です……よ、よろしくお願い、しましゅ……」
本来あるべき喝采の代わりのような動揺の波が、怒涛のように国中へ広がっていった。




