Ⅲ/偽善
「苦しかった、悲しかった……心が切り裂かれるような、想いでした……わたしは生まれてからずっと、この不自由な体だったので、知っているひとはおばあさんだけだけでした。身の回りのことをすべてやってくれていたのは、おばあさんだけでした。ご飯を用意してくれたのも、身体を拭いてくれたのも、毎朝毎晩声を掛けてくれたのも……おばあさん、でした」
自分語りで、それに浸って泣き出すような真似は、決してしない。
未だ子供の年齢で、世間に飛び込んで日も浅いというのに、なぜここまで強くなれるのか?
「……あんた、」
「そのあとわたしも、盗賊さんに胸を刺されました。とっても、痛かったです」
「あんた──!」
「辛くて、本当に辛くて、悲しくて、痛くて……わたしも少しだけ死にたくなったりしましたけど――でも、そのまま死ぬのは、嫌だと思ったんです」
「――――」
アレの淡々とした口調から発せられる迫力に、エミルダは呑まれていた。
何度か見たその光景に、ベトは少しだけ、嫌な想いを覚える。
こんなこと、慣れるべきじゃない。
慣れたら、ダメだ。
「そのまま死んだら、わたしの人生は……おばあさんの人生は、なんのためにあったのでしょう? 嫌でした、そのまま奪われるままに終わるだなんて、耐えられませんでした……だから、」
「――だからあたしァ、王を殺めて……仇を討った。だからもう、心残りなく――」
「一緒に娘さんを……ベティータちゃんを、弔いましょう?」
その呼びかけに、エミルダは目を見開く。
アレはただ穏やかに、微笑んだ。
「お墓を作って、手を合わせて、ベティータちゃんをお送りしましょう? 御冥福を、お祈りしましょう? どうか天国で、幸せにって……」
「偽善っ、を――!」
「このままじゃベティータちゃん、可哀相ですよ?」
ただの一言で、息の根を止める。
これこそが、彼女の魔法そのもののような気がした。
「あ……な、でも……」
「復讐を咎めることなど、わたしには出来ません。わたしにも、その盗賊さんたちは、許せないと思いました……理由も無く突然現れ、わたしの大切なものをすべて、奪っていったのですから――」
ウソだ、とベトは気づいた。
そう、確かに過去、アレは言っていた気がする。
盗賊さんたちも可哀相だと。
奪わなければ生きていけず、そしてあっさり殺され、可哀相だったと。
今のは純粋な、ただのウソなのか?
それとも出した言葉以外にも、偽らざる本心というものがあったのか?
すべてはベールに、包まれていた。
「……あんたは、」
「どうかベティータちゃんのお墓を、一緒に作ってください。そしてどうか、生きてください。御自身の為に、生きて……」
「――あたしは今まで散々処女検査官として、数え切れないほどの罪も無き臣民たちを魔女容疑者と認定し、わかっていて拷問送りにして、その命を散らしてきたんだ。地獄に堕ちる覚悟はとっくに出来てるよ。この世に魔女がいるとするなら、それはきっと、あたしみたいな――」
「わたしは、魔女です」
周りから散々糾弾、決めつけられていたその呼び名を彼女が自らに使うのは、初めてだった。
心臓の奥を、ナイフで傷つけられたようだった。
「……あんた、」
「だとすればわたしは、今すぐ死ぬべきでしょうか?」
「まさかっ!」
咄嗟に口走ったと思えるその反応に、エミルダは自らの口元を塞いでいた。
アレはそれを、見落とさない。
「……あなたは優しい、ひとですよね?」
「! ……ふざけっ」
「ふざけてなんて、いませんよ?」
なにをどう言おうが、アレの掌の上の出来事だ。
もはやエミルダは、なにも言えなかった。
ただ瞳を見開き、揺らし、次の言葉を待っている。
アレはにっこり笑い、手を差し出す。
「お願いします。ベティータちゃんの冥福を祈り……どうか彼女の分まで、生きてください」
それにエミルダは一歩後ずさり、目を伏せ、そしておずおずと掠れた声で、
「……本当に、いいのかい?」
「ええ」
シークタイム無しの返事に──エミルダは一粒だけ、涙をこぼす。
奇しくもそれは、以前マテロフに見せたアレの美しい泣き方と、それは似通っているものだった。
そしてエミルダはその手を、取った。
ベトたち一行はそんなやり取りを越え、落ち合う予定の場所に向かった。
ベリアはそのまま、離脱した。
一言も発することも無く、苦笑いだけを浮かべて。
気持ちはわからなくもない。
アレと最初に遭遇した人間は、だいたい混乱する。
異質なのだと、改めて実感させられる。
魔女でなくとも、彼女はおそらく――
「くっ、はっ、あっ、ッ――――――――!」
集合場所である街道沿いにある小さな小屋に辿り着き、ベトは大きく伸びをした。
それにアレ、エミルダはギョっとして振り返るが、お構いなし。
今度こそ本当に、本気で、死ぬと思った。
死ぬか、ではなく、死ぬと確信した。
ここのところ寿命が縮むような目にばかり遭ってるから慣れてきたかと思っていたが、そんなレベルではなかった。
特にハルバルト=ディアランとは、二度とお目にかかりたくない。
怖過ぎる。
恐ろし過ぎる。
あれは人間とかなんとかではなく、もはや災厄とかそういうレベルだ。
ありゃ斬撃じゃない、雷そのものだ。
雷がひとに避けられるか?
あれはもはや、戦いじゃなかった。
ただの一方的なイジメだった。
もはや軽く引きこもりたくなるくらいに、トラウマもの。
「ふはーっ!!」
ドアを抜けて、そのまま玄関で大の字になる。
生きてるって、素晴らしい。
ふと、今朝の出来事が脳裏に蘇る。
それはもう忘れたって忘れられない、直前にしてギリギリ滑り込みで訪れた、もう詰め込めないっていうほどの難題にさらに押し込まれたそれはそれは吐きそうなほどの、しかし実際はどこか予想された事態だった──
決戦の朝。
さあ乗り込むぞ、準備は万端。
あとは朝飯を食うだけ――という夢を見て惰眠を貪っていたベトは唐突にグラグラと、寝ぼけ脳味噌をシェイクされた。
「あ……? うにゅ、うにゃ、あんだ?」
以前叩いたアレと同じようなリアクションを取り、ベトは夢から現実の世界に戻ってきた。
しかし寝不足感は否めず、辺りもまだ暗い。
どう考えてもまだ起床時間ではないような?
そう疑問に思い、ベトは顔を上げる。
アレが、やたらと深刻そうな顔でこちらを覗き込んでいた。
「……どしたい?」
そんな異常事態にも、やたらと冷静に対処できている自分がいた。
もう慣れていたともいえる。
しかし本当の理由は、別のところにあるというのが本当だったりするが。
アレはいつも狙って厄介事を持ってきている、というわけではないのだ。
ただ純粋に、見逃せないのだ。
無理だからと。
関係ないからと。
そうやって当り前に切り捨てることが、この子には出来ない。
その根底にあるのは、世界中に広まっているあの宗教観にもある原罪というやつにも近い感覚。
自らの命を捧げたという、世迷い事。
胸っクソが、悪くなる。
神がいるとするなら、殴りつけてさえやりたいというのに。
「ベト……」
だからそんな今にも泣きそうな顔はやめろって。
なんでも言うことを、聞いてやりたくなるから。
「だから、あんだよ?」
優しく訊いてやると、アレは僅かに躊躇うように顔を伏せたあと――
「ベティータちゃんは……」
背筋がゾクっ、とした。
散々胸がすくようなキザなセリフを考えておいてこの様。
朝の清浄な空気にもやられたのかもしれない。
「…………」
耳を塞いで、目を閉じた。
「ベト? ……ベト?」
甘い声はお構いなしに耳の隙間を通ってくるから困った。
悪あがきだった。
それでもアレは7秒くらいは粘ってから、ため息を吐き、諦めて、それに恐る恐るベトも耳から手を離し、目を開ける。
なにも変わらぬ真摯な瞳が、こちらの心を見つめていた。
もうなんていうか、ハイハイって感じだった。
所詮天の御遣い、救世主様には逆らえませんよ。
ちょっとした逆ギレだった。
そんなことアレは気づく様子も無かった、無垢最強説。
ただ欲求だけを、口にする。
「ベト、ベティータちゃんを……どうか、救ってあげてください」
どうやって、と思わず訊き返しかけた。
既に死んじまってるやつを、どう救えってんだと。
そのあと緊急ミーティングを行い、落とし所として別働隊を作ることにした。
その難役を買って出てくれたのは『フベライの白頭鷲』率いる団長、ベリアだった。
正直レックスと同系統のこいつは扱いやすいバカと若干上から見ていた。
レックスとの一番の違いは、どこか世界にまだ甘い期待を抱いている点。
我ながら、女々しい発想だった。
そんななんだかんだを経ての、あの場面。
「で?」
玄関に大の字のまま。
瞼さえ開けずベトは声を掛ける。
「――なにが"で"なんだい?」
相手は諦め半分、皮肉さえ込めて答える。
少し、楽しめてきたのかもしれない。
このオバさん、意外に自分と相性がいいのかもな。
瞼を開ける。
オバさんと、アレと、それとせんせいにトンデモしすたーが円形上にこちらを見下ろしていた。
思わず片手というか残った右手を、上げていた。
「よっス」
「……ハァ」
「うっス?」
「おぉ」
「はよっスー」
三者ならぬ四者四様の返事がきて、それに少しだけベトは笑った。
なんだか自分でもらしくないとは思うのだが、安堵感があった。
まるで自分の家にでも、帰ってきたような。
「……っらしくねぇなぁ」
ガシガシ頭を掻きながら、立ち上がる。
なぜか一斉にジト目が、滝壺に墜ちるように注がれた。
ベトはポカン、と疑問符を浮かべる。
「へ……なに?」
「あんたって、なにげにナルシストっていうか……」
「ベト、悩んでるの好きですよね?」
「ハッハッハッ、悩める子羊ならぬベトつじよ」
「なんですかーオレアンしんぷ、ベトつじって?」
結構、ショックだった。
バカにされていた。
この、オレが。
孤高に、生来の天涯孤独の身でこの腕一本人殺しの道で生きてきた"首斬り公"とさえ恐れられてきたこのオレが?
オバさん女子供爺さん脳天気しすたーに、罵られ謗られているだと?
「は、ハハ……ウソ、だろ?」
「ベト……大丈夫ですか? お腹空いてますか? ご飯あげましょうか?」
「優しくすンじゃねぇ――――――――ッ!!」
「きゃっ?」
あんまりにあんまりな展開に、近寄るアレを久しぶりに大声で威嚇してしまう。
それにシスタープライヤが耳打ちするように、
「あらやだオレアンしんぷ、今の見ましたかー?」
「見ました見ました、最近の若い子たちはすぐにキレるから恐ろしいですわねーエミルダさんもそう思いませんこと?」
「ほんとですわね、これだから若いので傭兵やってるような子は手に負えませんわ」
「…………」
好き放題言ってくれることだった、というかシスタープライヤはともかくとしてせんせいまで女というかオネエ言葉というか、エミルダ含めてみんなおばちゃんの井戸端会議調なのはなんなんだよもうツッコむ気力も湧かんわ。
もういい、本題に入ろうと頭を切り替える。
「……それで、」
頭を持ち上げ、上半身を起こし、エミルダと目を合わせる。
「な、なんだい?」
「今の気分は、どうだい?」
「……どういう?」
「まだ――」
自らの言葉を、外からの声が引き継ぐ。
「死にたいですかー、ってことだと思いますよー」
軽い、それは衝撃だった。
シスタープライヤからの、インターセプト。
しかし意外とは、なぜか思わなかった。
それはその瞳の奥に──澱んだものを、見留めたからだろうか。




