Ⅱ/償い
「それで……てっ、なにがどうなって、こうなってんの?」
落ち着いたら、唐突に首筋が痛んだ。
押さえると、縫合されたあとを感じた。
――どこで?
衛生的には大丈夫だったのか?
すっごい嫌な感じにドキドキな疑問が噴出したが、まぁもういいやと開き直っておくことにした、終わったことを患っても無駄だ。
ちなみに腹を擦ると、ジトリというか結構ベッタリ血が滲み出してるのはどういうことだろうという疑問も蓋をしておくことに。
世の中不思議なことばっかりだなー。
アレはベトの言葉にフッ、といつもの笑顔をつくる。
なぜかそれに、ベトは肩の力が抜けた。
「実はですね、」
「おう、」
「ベトがあのとってもお強いお髭の騎士様ととってもお熱い戦いを繰り広げられてから、」
「おう、ていうかちょっと恥ずかしいな、ハハ」
「ハイ、とってもすごかったです。それでそのあと、」
「おう、そのあと?」
「なんにも覚えてません」
「そっかァ……で、オバサンは知らねーの?」
しれっと振り返ると、オバサンならぬエミルダはハァー、と盛大にため息をついていた。
アレが事態を把握していないのは、もはや常時というところだったので、別に驚きもしなかっただけだが。
「……あんたはなに言っても無駄だってのはよくわかったわ。ていうか話聞いてないわね? まったく親の顔が見てみたいというか、これだから傭兵なんていうは……」
「それで、知らねーの?」
「……ハァ、知ってるわよ。あんたはちっこい傭兵仲間に掻っ攫われたのよ、そこの魔女っ子と一緒にね」
ちっこい、ってのは多分レックスのことだな。
今回の実働部隊で160に満たないのはあいつくらいだ、切ないなそんな特徴しかない男っていうのも。
にしても――
「……魔女っ子って、なんなんだそりゃ?」
チラリ、とおそらくは当事者を見る。
「そりゃあもうありゃあ魔女ってより魔女っ子ちゃんって感じでしょ、妖しさも艶やかさも企みもなんにもあったもんじゃないんだから、その辺りが妥当なところよ」
アレはベトとエミルダの視線を受け、純真に笑い、手をひらひらと振っていた。
なるほど、納得しか出来ない解答だ。
だったら今度からあの子の説明をする際には、その呼称を使わせてもらうことにしよう。
さて、では本題に戻るとして。
「掻っ攫われて、か……それでオレは、どうやってあの化け物――"剣王"さまから、逃げおおせたんだ?」
そう、気軽に問いかけた。
世間話でも、するノリで。
「――――」
その言葉に、エミルダの表情が急に曇る。
なんだ?
なんかマズイいことでも訊いたのか?
ベトはなんだか、面倒な心地になっていた。
女の気難しい気分ほど手に負えないものは無い。
さて、じゃあ話題変えるか。
「あー……まぁそのことはいいわ。まーお互い無事でなにより、ってことで。じゃあまぁ――」
視線を外し、適当に話題を切り上げようとしたところで――
「おーい、隊長殿――――――――っ!!」
一騎の傭兵が、パカラパカラとこちらに向かってきた。
タイミングとしても、このうえなくちょうどいい。
ベトは渡りに船とばかりにそちらへ向かい、
「おーう、あんたも無事だったか、えーと……ヴェリオム!」
「ベリアだっ! なんだか微妙に間違えたなあんたもっ!」
白髪頭の癖して熱苦しそうなその男の叫びに、ベトはゲンナリする。
レックスのノリはひとりで充分過ぎだっての。
「あーはいはいリリアね、覚えた覚えた。それで、首尾はどうよ?」
「……あんたも大概だよな。まー傭兵なんてだいたいそんなもんだが……まー見ての通り――」
「――あんた、」
いつの間にか。
真後ろに、エミルダが張り付いていた。
「お? よーう、わりぃちょびっと存在忘れてたわ。そうそう実はなこの、ミリアに――」
「ミリアでもリリアでもねぇよベリアだ、ていうかあんた本気でひとの名前覚える気な――」
「そりゃ、なんだい……」
エミルダは、呆然としていた。
瞳を揺らし、口を開け、顔は青ざめ身体は震えていた。
尋常ではないその様子に、ベトは片眉を吊り上げる。
「……どうしたいオバサン? なんか、気になることでもあんのかい?」
「……なんなんだい?」
プルプルと震えながら、その指で差す先は――
「あん? なに、バリアの後ろになんかあんの?」
「……もはや女性どころかひとの名前ですらねぇな。あんた実際は楽しんで――」
「それは、なんなんだいッ!!」
シン、と静まり返る。
唐突な沈黙と、ひりつくような空気がベトには心地よかった。
だから無意識に、ニヤついてしまっていた。
しかしエミルダはそんなベトの様子など、気づいてすらいない。
「なんなんだいそれは!? ぐるぐる巻きにして、背中に張り付けて、それは、それは――!」
「うぉっ!?」
鬼気迫る様子で、エミルダはベリアに張り付く。
圧倒されたベリアは仰け反り――そのまま、落馬。
「!? おあ!」
ベリアは背中から落ちそうになり、その事態にエミルダは目を剥き、咄嗟に掴んだ襟首を持ち上げ、巻き込み、そのままぐるりと体を入れ替えることに成功。
40越えのただの侍女とは思えない執念とも妄執ともいえる反応速度と力技だったが、さすがに出来たのはそこまで。
後はまっすぐ受け身すら取れず落下、大の大人2人分の体重をまともに受けて──
その構図はまるで潰されるヒキガエルを成り行きを見守るベトに、連想させた。
ドスン、とヤバめな音。
砂塵が舞いあがり、そして今度は重い沈黙が降りる。
ベトは一瞬、マジで死んだかと考えた。
ベト、アレがおそるおそる近づく。
結果として下敷きにしている格好となっているベリアが、おそるおそる視線を下げる。
「あの……大丈夫、ですか?」
「…………」
続いてアレが胸の前で指を組んで、
「あの……エミルダさん?」
「…………」
この後に及んで自分まで声をかける意味があるのかはわからなかったが、
「おいおい……オバサンよ?」
「…………なん、だい?」
生きてた。
ベリア、アレはスルーして、自分だけ反応していただけるとは光栄の至り――
「その…………誰かのミイラにしか見えないものは、なんだいって訊いてるんだよ」
ニヤリ、とベトは口元を緩める。
そこには様々な感情が渦巻いていた。
愉悦、含み、疲労、面倒くささ、うん悲しいかなどちらかという負の感情の方が多かった。
狙い通りなのにそう感じるのは、やはり自分の性に全く合わないことをやっているからに違いなかった。
「……なんだと思う?」
「質問に質問を返してんじゃないよッ!!」
おもっクソ怒られた、さすがは年の甲といったところ。
ベトは少しだけ、エミルダを見直した。
それはともかく、
「ああ、うん、わりぃ……まぁあれ、あんたの娘さんだわ」
雷が、エミルダの頭に叩き落とされたような顔になっていた。
シリアスな場面のはずだが、なんだか笑える光景だった。
「な、な、な……!」
「ハハハ、いやあんた、なんかすげぇな」
「す、す、す……!」
「アハハハハ、いや超面白ぇ」
「じゃないよあんたはっ!」
縋りつかれ、胸ぐらを掴みあげられた。
さすがに遊び過ぎたらしい、反省することにする。
年上をからからうもんじゃない。
ベトはへらへら顔を抑え、
「ハハ、ハ……いやわりぃ、じゃあ真面目に。あんたの娘さん――ベティータ=トライアルだ」
その名前に、エミルダの動きは止まった。
表情も消え、瞬きすらしていない。
その反応に、ベトは本当に笑みを消す。
それにエミルダは、震える声をあげた。
「ど、どうして……な、なん、で……ッ!」
そこへ静かな声が、告げる。
「死ぬことは、償いにはならないんですよ?」
いつの間にか真後ろに、杖をついたアレが立っていた。
空気が、変わった。
どこか清浄な、侵すべからざる領域のような、天上の審判のような。
この場合罪人は、果たして誰なのか。
「……なに、言ってるんだい?」
果たしてこの場合、エミルダは許しを求める子羊だったのか。
震える声で、啓示を求める侍女。
それに対して僅か14歳に過ぎない物乞いのような少女は、躊躇いの素振りすら見せない。
果たして彼女は断罪する女神なのか。
救いを与える天使なのか。
それとも――
「エミルダさん……死のうと、なさっていらしたでしょう?」
断言口調に、ベトは微かに違和感を覚えた。
普段のアレとの相違。
以前から考えていたことでもあった。
悪魔憑き疑惑。
未解決の問題はよくよく考えれば山積みだった。
自身の適当さ加減が浮き彫りになる話。
反省する気など欠片も無いが。
エミルダは、目を泳がせていた。
「……なにが、関係あるんだい?」
言葉に、迷いがあった。
なんで、なにを、なにが──最後は落ち着くところに落ち着いたような感じだった。
ベトは少し、わくわくし始めていた。
なんていう笑える応酬、勝つのは果たしてどちらか?
「生きましょう?」
さすがはアレだった。
相手の都合や会話の流れなんて、どこ吹く風。
軽く惚れそうな勢いだ。
エミルダは憐れで笑えるくらい、動揺していた。
「は? いや……あ、あんたになにが、わかるんだい!?」
勢いつけて、流れを持ってこようとしている。
涙ぐましい努力だった。
結果は、
「わかりませんが、それでも死んではいけません……死んだら、終わりなんですよ? もう、なにも出来なくなるんです。そんなこと……ベティータちゃんも、望んでませんよ?」
マイペースは欠片も崩せなかった――が、さすがにやり過ぎだと、ベトは眉をしかめる。
案の定、
「!」
パン、と気持ちのいい音が響く。
鬼気迫る表情で、エミルダはアレの頬を張り、飛ばしていた。
「…………っ」
あまりの勢いで、アレはたたらを踏んだ。
ほとんどブン殴ったのに等しい威力だった。
よく足が不自由で倒れなかったものだと感心する。
「――――」
しかしその姿を見てベトが想うのは、一抹の虚しさだった。
なぜ、その道を選ぶのか?
「あんたに……あんたになにが、なにがわかんのよっ!!」
ただ相手を想い、命を大切にと諭しているに過ぎないのに、ブッ叩かれ、激しく罵倒される。
当然だ、正論が通用するほどこの世界は甘くも、優しくも無い。
他人の事情など、関わらないに越したことは無い。
誰もが心に憤りを溜め込んでおり、爆発させる機会を窺っているのだから。
なのに、
「……わかりません」
胸が、軽く蠢いた。
アレは頬を張られ、その美しくも埃、土、血にまみれてみすぼらしくなった銀の髪が顔を覆い、しかしそれでもアレは顔をあげ、気丈にもエミルダを見返した。
瞳に、力を込めて。
恐怖を、意思の力でねじ伏せて。
それがベトには、わかってしまうから。
付き合いは長くはなかったが、それでも生死を共にしてきたから。
心と魂で、ぶつかってきたから。
わかってしまうから。
理解してしまうから。
だからベトにはアレの不憫さが、許せなかった。
「なにが……なにがわからないって……」
「わたしには、わかりません。エミルダさんの、心の苦しみや、その哀しみの深さが……わたしには娘さんはいませんし、ですからその存在を失う痛みを真に理解することは、出来ません」
「だったら……」
「ですがわたしは、唯一の肉親である祖母を、目の前で盗賊の方に、殺されました」
なぜ自らの痛みを差し出してまで、目の前の人間を救おうとするのか。
知り合って、ほとんど日も無い赤の他人だというのに。
なぜ、自分をもっと――
「殺された、って……あんたなにを――」




