Ⅳ/ありふれた傭兵
そこから、アレの独白が始まった。
ベトからしてみれば始まってしまったというべきか。
アレはそこから今まで、自分が生きてきた人生をベトに話して聞かせた。
生まれて初めて、自分のことを誰かに語って、聞かせたのだ。
それは当然、大変な苦労を要するものだった。
普段ひとは当たり前のように会話をしているが、そこは抑揚や、構成、流れ、さらには相手とのキャッチボール、その反応に合わせた臨機応変の対応、その上時間や間といった要素まで考えなくてはいかず、それを長年の経験の上で無意識に行っているのだ。
もちろんアレにそんなものはない。
ただ言葉を綴るというだけでも、実は多大な労力を要する。
祖母とのやり取りにおいて、主に聞き役だったからだ。
必然その最中アレの額には大量の汗が浮き、言葉は上づり、さらには途中で喉が渇いたのか掠れ、聞き取りづらいものになり、話の焦点は流れに流れ把握しづらいモノになってしまった。
しかしそれでもアレは懸命に、ただ必死に、説明を続けた。
それをベトは食い入るように、というかむしろ挑むように、必死に聞きとり続けた。
これもまた、長年女相手に面倒な後輩相手に聞き役に回った成果だった。
終わった。
もはや時間の感覚は、とうに消えうせていた。
というかほんの少し前までどこにいるのか自分が何者なのかさえ忘れていたくらいだった。
こんなにひとの話に真剣にというか死ぬ気で聞き入ったのは、ベトには初めての体験だった。
思い切り、ため息をつく。
肩の力を抜く。
「ハァ…………」
「と……というわけ、わけ、で、わ、わたし、わたわたし、し、は……ッ!」
終わっていなかった。
まだなんか喋ろうとしてる。
というかもはや言葉になってないけど。
ベトは慌てて、両手を掲げる。
「ん、う、うん、わかった。歩けないし、知らないし、恐いってね。うん、わかった、みなまで言うな。お兄さんホンっとよくわかったから、ていうかもう勘弁してくださいマジで……ッ!」
両者とも、必死だった。
ゼェゼェと、息を荒げる。
インターバル、インターバル……とベトが考えていると、
「――ほぉう。お嬢ちゃん、あんた苦労してんだなァ」
隣で剣の手入れをしてた髭もじゃが、勝手に会話に参加してきた。
まぁ許可はいらないんだけど。
ていうか今さらだけどとベトはこのおっさん何回ていうか何十回おんなじとこ手入れすりゃ気が済むんだ? と眉をしかめた。
なんだかんだでしっかり聞き耳立ててやがった、相手だけはこっちに押し付けて。
むかっ腹が立ったので、めいっぱいその突き出た脇腹をグーで、殴ってやった。
「うぐぅおわっ!?」
えらい派手な悲鳴をあげ、くの字にひしゃげるスバル。
なんだ情けねぇ、とベトが自分の拳を見ると、ガントレットつけっぱなしだった。
うわやべぇ、肋骨へし折れたかもしれねぇ。
ベトはそっ、とガントレットを外した。
証拠隠滅。
「――んで、なるほどそりゃ傭兵も知らねぇわな」
スバルのおかげで適度な小休止だった。
ベトは頭をボリボリかき、改めてアレと向き合う。
するとアレは、ぐったりとしていた。
俯き、力なくうなだれている。
今までだったらなぜかと頭を傾げていただろうが――
「……疲れた、みてぇだな。とりあえず、アジトに着くまで休み――」
「……くぅ」
既に眠っていた。その警戒心のなさに、ベトは呆れる――と同時に、
「……ったく、仕方ねぇな」
少し、可愛らしくも思っていた。
と感慨に耽っていたら、いきなりガクン、と荷馬車が揺れた。
それにベトはバランスを奪われ――もろに壁に鼻から、激突する。
「うぶっ!?」
「よーし、着いたぞお前ら荷物を降ろせ!」
『ウォ――――!』
長話しすぎたようで、既に目的地に着いてしまったようだった。
貴重な移動中の休憩時間を無駄に過ごしてしまったと、ベトは頭をガリガリとかき――落ちたふけがアレにかかりそうになり、慌てて手で受け止めた。
ヤキ、回ったかな?
予想通りというか、やはりギャハハハ、と爆笑が巻き起こった。
「おいおいベト、なんだよその子は?」
「女付きとは焼きが回ったかァ?」
「それともその子はお前の妹か、ベトちゃん?」
沸き起こる爆笑と揶揄に、ベトはひたすら苦笑いでやり過ごした。
誤解でバカにされるんだったらガントレットで殴ってでも訂正するタチだったが、実際こんな傭兵稼業とは似ても似つかない華奢な少女を背負って歩いているんだから反論のしようもないのも事実だった。
ここは甘んじて受ける。
ったく、こういう発想からしてガラにもない。
なにやってんだろうな、俺は。
「まぁ、お嬢ちゃんのあの事情知ったら助けたくもあるわな。わしも協力してやるぞ、なんかあったら言ってこいや」
と耳元で言い残し、スバルはとっとと去っていた。
あのおっさん、相変わらず美味しいとこだけ取ろうとするその根性は怒りに値する。
そしてマテロフは気づけばいなかった。
やれやれ、頼れるのは自分だけか。
ベトはまるで羽毛みたいに軽いアレを担ぎ直し、自分の部屋へと向かっていった。
どさっ、と物のようにベッドの上に投げる。
それでもなお、アレは起きない。
ひとつ息を吐き、鼻をつまんでみる。
なお起きない。
離れて、少し上から見下ろす。
改めて思う。
可愛い。
半端じゃなく。
その銀糸のような髪に、柔らかいラインの瞳に、ぷにぷにした頬に、真っ白い肌に、折れそうな腰に、小鹿のような太腿は、半端な上玉じゃない。
今すぐ手をつけたくなる、掛け値なしに。
ただ、あの獣のような激しさ。
かと思えば、赤子のような脆さ。
そして、信じがたい人生の在り方。
「…………」
なかなか、今までの女のように簡単に手を出す気になれなかった。
そんな少女を、今までのように単なる欲望の吐き出し口にする気が起きなかった。
どう扱ったらいいのか?
ベトは、孤児として戦場で産声をあげたらしい。
らしいというのは、それは現部隊長スバルにあとから子供の頃に聞いた話だからだ。
そしてベトを拾ったのも、スバルではないらしい。
もっといえば、ベトは拾われたわけでもないらしいのだ。
その頃この傭兵隊の部隊長をやっていた男が、愛人を作っていた。
その愛人が子供を産めない身体らしく、その愛人のためにたまたま敵から奪い返した村の廃屋の奥の物陰でひっそりとビービー泣いていたベトを、これ幸いと"持って帰って"愛人への手土産とした、というのが真相らしい。
心底酷い話だ。
しかしベト自身は周りにそう言われても、あまり実感が湧かなかった。
なぜなら赤子だった自分には力もなく、そして庇護してくれる親もいなかった。
だからそんな人間がどう扱われても、文句など言えないからだ。
それがベトが行動基準としている、唯一のものだった。
そして話の続き。
持って帰ったはいいが愛人は既に行方をくらましており、その時の部隊長は子供など育てる気なく、談話室に放置。
それを見かねたスバルがちょいちょい乳などやって、今に至る。
結果ベトは生まれた時から、傭兵として生きてきた。
それに関しても、何の疑問も不満もない。
なぜなら親がおらず他の職に関する技術もないから、唯一持ちうる傭兵仲間に殺し方を学び、そしてそれを振るってきた。
それは当たり前の在り方だと思っていた。
その力で得た金で、女も買ってきた。
三大欲求に衣食住足りている。
そしてベトには、他人に心を許す、という概念そのものがありえなかった。
他人は殺すか、ヤルか、金を貰うか、共闘するためだけのもの。
それ以外生まれてからこの方、選択肢がなかった。
というか、知らなかった。
だから、困っていた。
「……んー?」
腕を組む。首をひねる。
考える。
だけど、わからない。
襲いたくないわけでもない。
だけどそうした時点で、この女は自分の中でモノへと変わってしまう。
すると今までの様々な一面が、意味をなさなくなってしまう。
「……むー?」
なら、どうする?
難しい。
話しかけるか?
コミュニケーションなら、取れる。
仕事仲間とも最低限の親しみ、ということは必要だったからだ。
それに女を口説くときも色々と手管はカードとして持っている。
だがこの子との関係の場合、それは必要なのか?
ただ自分が手伝ってやるとか言っただけ。
こちら側のメリットは特にない。
ならば親しみもカードも、必要ないのではないか?
というか、なぜ自分は手伝ってやるなどと言ったのか?
「……ぬー?」
「ん、んん……」
なんて自問自答を繰り返しているうちに、アレは目を覚ました。
涙目で伸びをして、そのあと寝ぼけ眼でゆっくり手を下げて辺りを見回し、
「……あれ? ここ、どこ?」
「俺の部屋」
目を離さず、ベトは応える。
アレはベトの声に驚いた様子もなくその視線を合わせ、
「――なんですか?」
「え? い、いや……」
問われ、ベトは視線を外してしまった。
なに、と言われれば用事はないが、そうだと見てはいけないのか?
よく、わからない事態だった。
というかこれだけ至近距離で傭兵を名乗る男に見つめられて、平然としているのがまず信じられなかった。
アレと接するのは、今までとは勝手が違った。
色々と驚きや、発見、ペースの変更などが余儀なくされた。
まさに未知との遭遇と称するに近いものがあった。
見ると、アレはやたら純粋な瞳でこちらを見ていた。
それに再び、少し視線を合わせる。
なにがしたいのか、わからない。
「あのさ……」
「なんですか?」
まったく同じ、二度目の問い。
それにベトは、試しにと唇を近付け――
「ていうか、キスすら知らないんだよな」
「?」
その単語に、アレはただ疑問符を浮かべるだけだった。
確定。
アレの知識や経験量は、丸っきり子供だ。
この子はまだ、女じゃない。
「……ふぅ」
それに、ベトはそんな気がかなり失せてしまった。
というか、気が引けてしまった。
代わりのように、
「――あんたは、世界を変えたいとか言ってたな」
その言葉に、アレの瞳に力が籠もる。
「はい」
「それで、この世界を? 具体的に? どう変えたいって思ってるんだ?」
質問に一転、アレは瞳を伏せる。
それにベトは、眉を寄せる。
なんだ、口だけか?
そう思いかけた時、
「……悲しい世界は、いや」
「――――」
軽く、背筋が凍りつくような感覚を味わった。
それはベトが今まで、聞いたことがない類の言葉だった。
まるっきり希望や様々な正の感情が含まれない、嘆きや哀しみのみで塗り、固められた言葉。
さながら氷になる直前の、雪のような。
「……悲しい世界って、どんな世界だよ」
思わずベトは、聞き返していた。
それはベトにとって初めての経験だった。
色々な計算やメリットを抜きにした、純粋な好奇心。
アレは顔を上げて、こちらを見た。
その瞳にベトは、深い底の知れない闇を見た気がした。
「誰も救われない、どうしようもない世界」
どうしようもない世界。
その言葉は、ベトの胸に突き刺さるようだった。
わからない、理解できない、そんなものは知らない。
ベトにとって世界とは、ただそう在るものだった。
力がなければ、どうされても文句が言えない。
それは仕方がないことだった。
だから傭兵になり、力をつけて、人を殺して生きてきた。
それがイコール人生だった。
疑問という概念すら、ベトの中にはなかった。
だからそれが"どうしようもない世界"だなんて呼ばれる謂われは、ないはずだった。
「あんたさ……」
「わたしは、契約した。この命を捧げると。だからこの身は、既に死んでいる。だからわたしはすべてを捨ててでも、世界を変えなければいけない」
アレは、両手を開いた。
そして、天を仰いだ。
まるで教会の神父が、そうするように。
その瞳は、尋常な色をしていなかった。
限界まで見開かれ、瞳孔も開き、そこには凄まじい迫力が込められていた。
今までのアレとは、違う。
まるで別のなにかがのり移っているかのようですらあった。
「あ、あんた……」
「――でも、わたしには何もない。知識も、力も、歩くことさえままならない。そんな時、あなたが現れてくれた。
嬉しかった」
そこでいきなり。
不意打ちにみたいな笑顔が、ベトを襲った。
「っ!?」
それは襲った、という表現が一番近かった。
見つめた、というレベルじゃない。
今までの緊迫感から急転直下の、無防備で花咲くような可愛らしい笑顔。
それはベトの間合いを一瞬で詰め、防御を容易く貫き、そのまま心臓を刺し、遥か後方まで突き抜けていった。
あとにはただ、衝撃が胸の内に残るだけだった。
「……ベト?」
アレからの問いかけにベトは言葉で応えず、アレの腰に差した剣を無言で抜いた。
そしてその美しい切っ先を見つめ、
「――オレが手伝えるのは、剣の振り方を教えるくらいのもんだ」
その言葉にアレは一拍遅れて、
「あ……は、はい! よろしくお願いします!」
ひゅん、とベトは剣を振るった。
そして横目で、無邪気な笑顔でこちらを見ている少女を確認した。
なんなんだろうな、ホントに。