Ⅴ/鬼
相手方としては、エミルダは大観衆の前で大々的に処刑するのが至上命題となっている。
それが逆に、相手の足枷となっていた。
普通は助ける相手と自分の両方に気を配り脱出しなければならないところを、奪還されることだけ気をつければいい。
飛び道具など飛んでこないし、無茶苦茶な突進は無い。
そして敵の残りは6、7人ほど。
まずこの修羅場は乗り切れたろうと、ベトは考え始めていた。
相手は突然の事態に急遽集められた急造の、それも主に二流三流の兵士たちだ。
崩すのは容易いこと。
城の中の戦いの3倍も4倍も楽に感じられた。
あとの問題は、アレとの合流、迅速な撤退。
既にベトは、戦闘後のことまで考慮に入れだしていた。
「さ、て。じゃあ悪いがあともつかえてるんで、残りはサクサクと――」
「も、もういいっ」
先頭の、まとめ役だろう兵のひとりが突然おたけびをあげる。
それにベトは、疑問符を浮かべる。
――なにが?
答えはすぐに、やってきた。
「もういいエミルダもろとも、やれっ! ここで殺して、あとで首を晒せば事が済む。絶対に取り逃す訳にはいかん、弓兵、構え!」
げ、マジかよ。
その号令に、慌てて弓兵が慣れない剣や槍を収め、背中の弓を構える。
その数、6。
そのすべてが自分ではなく、エミルダを狙っている。
自分一人ならば動き続けて避けることも可能だが、エミルダに一切の機動力は見込めない。
むしろこうなるも逆に足枷と化す。
そう来るとは、正直考えてなかった。
甘かった。
どこかで楽観視していたのかもしれない。
王の前で大暴れをやらかし、"剣豪"と名高いルベラータ=ワッサムを片手と引き換えとはいえ討ち取った慢心だったのか――
「っ!」
ベトは走り、エミルダの前に立ち塞がる。
先頭の男が、口元を吊り上げる。
思う壺。
全員の矢じりが、自分の脳天と眉間と首と心臓とどてっ腹と下腹部を狙う。
動けない。
万事休す。
打つ手がない。
ベトは唇を噛みしめ――笑った。
最後の最後。
詰めが甘いのが、実に自分らしい。
これは本当に、悔いが残る最期だ。
「放てぇ!」
おいおい、最期の言葉もナシかよ?
ベトは愚痴り、そして無慈悲に躊躇もなしに殺到する五本の矢を見つめ、やはり兜ぐらいはつけるべきだったかとなんとなしに夢想し――
硬い音が立て続けに、響いた。
エミルダは立て続けに響いた轟音に、最初戦争が起きたと思った。
城に務めてン十年。
ついに大国のジラード帝国が攻め込んできたのかと慄いた。
しかしもうすぐ自分が殺される境遇を思い出し、そんな心配が無用なことに気づいた。
もう死ぬ身なら、最後に戦争を見るのもいい冥土の土産かもしれないと。
しかしなぜか徐々に、状況は変化していた。
呼ばれ、廊下を歩き、階段を目指していたから、刑の執行の時が来たのは間違いなかったのだろう。
しかしその巻き起こる轟音に兵は騒然となり、あちらこちらとやってきたり去ったり話し合ったり怒鳴り合ったりと、忙しくなっていた。
自分は、放っておかれていた。
それをエミルダは、遠い出来事のことのように見ていた。
――なんだ?
――いったいなにが、起こっているのか?
そして最初自分を連れていた二人の看守はどこかに消え、代わりに二人の兵が現われ、それもしばらくしたらどこかに駆けていき、またも現れた二人の兵士と再度の交代を3度ほど行ったあと、階の下からもう一人偉そうな軍人がやってきて、ガミガミと捲し立て、概要としては刑は延期だという旨を告げ階下に降りて、しばらく呆気にとられたあと正気を取り戻した兵に連れられて、自分は元いた牢獄に戻されようとしていた。
――なんだ?
――いったいこれは、なんなんだ?
疑問、とは少し違う感情。
違和感というべきものかもしれない。
なにかが、少しづつズレてきている。
これだけ永く生きていれば、大概の事は予測できるようになる。
現実は良くも悪くも、裏切ることない。
そんな予定調和に絶望し、諦め、そして適応して生きていくしかなかった。
しかしその予測が、これはおかしいと告げていた。
言ってしまえば、警鐘を鳴らしていた。
なにかが、起ころうとしていると。
「おらっ、早く歩け」
後ろから剣の柄で、背骨を押された。
鈍い痛み。
しかしいくら警鐘を鳴らされようと、自分に出来ることなど限られていた。
せいぜいが、ゆっくり歩くくらい。
それでなにか変わるというものでもない。
それどころかこのような受けなくてもいい痛みをもらってしまう。
むしろマイナスとさえいえた。
しかしその時のエミルダは、出来ることをなんとなく意識せず、行っていた。
そしてそれは唐突に、訪れた。
「あ、っ」
「あ、おい」
つまずいたのだ、エミルダが。
ポリポリと面倒だという風に、ふたりの兵士は頭をかき、立つように促す。
意図して、つまずいていた。
風が、舞い降りた。
ものを言う間すら、なかった。
「みつけたぁ」
ぼと、ぼと、という肉が墜ちる音。
「わりぃな」
赤い葡萄酒が、ぶち撒けられた。
「――――」
それは自分を真っ赤に真っ赤に、染めた。
床には肉片へと──ポンプと化した元・兵士が5つ、転がっている。
現実じゃない。
エミルダは思った。
ここは、地獄。
兵士たちは、裁かれたのだ。
犯した、罪を。
もしくは原罪を。
「……あんたが、エミルダさん? だよな?」
この、目の前にいる鬼に。
そしてエミルダは、さらわれた。
鬼はアレ=クロアの知り合いだった。
アレ=クロアの頼みで、自分を助けに来たのだと言った。
それに、心が撹拌された心地になった。
なんなんだろうね、と思った。
塔を出ると、兵士がズラリと勢揃いしていた。
ザッと見て、10を遥かに超える人数。
通常ならばまず、生きてはいられない状況。
だけど、とエミルダは思っていた。
傍にいるのは、地獄の鬼。
そしてここが地獄ならば、自分は既に死んでいるはずで、だったら二度死ぬことは果たして――などと夢見心地のうちに、戦闘は開始されていた。
鬼は、強かった。
隼が地に這う鼠を、次々と狩るところを連想させた。
それほど速度に、差があった。
あっさり敵の数は、半分以下になった。
誰がどう見ても、勝利は明らかだった。
「動くなよ、オバさんっ!」
一度だけ話しかけられ、反射的に応えていた。
それに鬼は、笑みを作った。
圧倒的な余裕だった。
なんだかご飯でも作ってやりたくなった。
しかし兵は、自分を慮ってはくれなかったようだ。
一斉に放たれた、矢。
これだけ華々しい処刑も過去なかったな、とエミルダは鬼の言うとおり動かず、その時が来るのを身じろきせず待つ。
その目の前に、一陣の風が舞い、降りた。
なにが起こっているのか、最初理解出来なかった。
横からも矢が? とも思ったが、そんな訳はない。
もっといえば状況は、ハッキリと見えていた。
ただ認めるのが、大変に困難という他ならなかっただけだ。
鬼が両手を広げて、自分を庇っている。
「――――」
なにかが、おかしかった。
その時抱きうる感情を、エミルダは持ち合わせていなかった。
ただなぜか、思った。
その背中に、似ても似つかない、今は亡き遠い娘の面影を――
硬い音が、連続で響いた。
目の前の鬼が身につけている鎧を、貫通した音かと、思ったりした。
「――間に合った、ようだな」
鬼ではない。
そしてもちろん自分ではない。
敵方ともいえる兵士のものですらない。
完全に第三者の声が、そこに唐突に響いていた。
顔を、上げる。
目を、疑った。
紅の皇子が騎馬に跨り、颯爽と現れていた。




