Ⅲ/外の世界
気づけばアレは、眠っていたようだった。
「……ん、んん?」
瞼を開け、そして上半身を起こす。
寝ぼけ眼、霞がかった意識。
よく、理解できない。
どういう状況なのか、ここがどこなのか、さっぱりわからない。
ただ脱力しきった身体を、不思議に思っていた。
「――なんだろ? どこだろ、ここ?」
見回すと、そこは暗かった。
あまりよく見えないが、モノの輪郭ぐらいはなんとか。
そこには束になった細いなにかが積み上げられ、棒状の何かが立てかけられ、そして鎧がたくさん無造作に置かれていた。
ん?
鎧?
それに束になってるものに、棒状の何か――
意識覚醒。
「――こ、ここどこ!?」
思わず叫びアンド立ち上がり――頭を天井に、ぶつける。
目に、火花が弾けるような痛み。
「たっ! たいたいたいっ……ぐす、ここどこ?」
ごとんごとん、とその空間は揺れていた。
それに積み上げられているものは藁に違いなく、そして棒状のものは剣だった。
そして移動しているという事実からも、
「……馬車、なの?」
確認しようにも、止まる気配はない。
叫んでみようかとも思ったが、それもそれで恐い。
連れ去られたと見て、間違いないだろうから。
そこまで考えて、アレは直前の出来事を思い出した。
「ベト……」
は、どうしたのだろうか?
ひょっとしてここに連れてきたのは、ベトなのか?
しかし真意を知る前に寝てしまった自分は、この状況下でどうすべきかわからない。
とりあえず、立ちあがっては危ないし杖なしではそもそも歩けないから、四つん這いで移動してみることにした。
「んしょ、んしょ……」
人生初の四つん這いは、なんだか杖とは別のところに力が必要だった。
胸のあたりとか、あと擦れて膝が痛む。
でも仕方ない。
そのまま真っ直ぐ進んでみた。
すると、人がいた。
それも、3人も。
「ん? おぉ、目が覚めたかお嬢ちゃん」
知らないおじさんが、話しかけてきた。
たっぷりした身体の、ひげをたっぷりたくわえた。
丸いという印象を受ける人だった。
服は粗末なものをつけていた。
「…………」
それに対してアレは凍結、無言で応えた。
初めて会う人間に、言うべき言葉は持っていない。
それにおじさんはしばらく声を出した体勢のままで反応を待っていたが、
「……え、と。おい、ベト」
ベトという言葉にアレは反応し、おじさんが向いた方を向く。
そこに先ほどの、ちょっと軽い感じがするあごひげの傭兵が右手を上げて、こちらを向いていた。
「おっす、お目覚め?」
「ベト……」
「あ、うん、ベト。それでもう、その、大丈夫か?」
言いながら、ベトは少し心配になった。
あれから既に小一時間は経っているから大丈夫だと高をくくっていたのだが、アレの様子はあまり変わっているように見えない。
また何か喋ろうとして、とたんに泣きだしたりとかしないだろうか?
しかしアレは少し夢見心地な視線のまま、ぼんやりとベトを見つめていた。
返事がないが、進めていいのか?
「あー……そ、それでいまだけど、この馬車で、俺たちのアジトに向かってっから」
とりあえずは状況報告だった。
それで少しはアレも落ち着いてくれると思ったが、反応はない。
さすがにちょっと心配になる。
それは隣に座るスバルも同じだったようだ。
こちらにすり寄り、耳元で、
「……お、おいベト。この子、本当に大丈夫なのか?」
それはこっちが聞きたい話だった。
「のハズだけどよ……ちょっと先の襲撃で、心の傷がな」
とりあえず話を合わせておいた。
それに納得したのかスバルは、
「なるほどな……おい、嬢ちゃん」
「…………はい」
相当な時間を開けて、アレは応えた。
この馬車に乗って、それは初めてのことだった。
さすがにいくつかのやり取りと状況の説明を経て、少し堅牢だった心の壁も緩みつつあった。
ようやく返事をもらえてスバルはホッ、と肩の力を抜き、
「おぉ……やっと返事来たよ、安心したわ。わしはこの傭兵部隊の部隊長をしておる、スバルつーもんじゃ。よろしゅうな」
手を差し出す。
だが、アレはやっぱり無反応。
五秒待ったがスバルは諦め、
「――つれないのう。とりあえず、そっちに座りな?」
スバルがちょうどベトの対面を指さしたが、しかしアレは黙殺し、ベトの隣に座る。
そしてちょこんと、膝を抱えて座り込む。
これでこちら側にスバル、ベト、アレ、そして対面に一人の構図が完成した。
「…………」
もうスバルはぐうの音も出ずに、指さしたままの体勢で固まった。
ベトはその肩にぽん、と手をおいた。
そしてアレの向こう側に、もう一人いた。
「――――」
無言で、身じろきもしない。
だからアレも、反応しないでおくことにした。
反応の仕方もわからないし、したくもないし。
それに気づいたベトが、
「あー、そいつは同期のマテロフってやつ。すげぇ無口で、っていうか人との接触全力で嫌ってるから無理に話しかけなくていいから、ていうか今みたいな感じでいいから」
ベトからの適当な説明に、アレは律義に頷く。
それにスバルはやれやれ、と肩をすくめていた。
アレはベトの前のように不用意に動くことなく、周囲の動向を探っているようだった。
そのため馬車の中では、降ってわいたように妙な緊張感が生まれてしまっていた。
その中でマテロフは存在感なく、スバルは反応が薄いことにさじを投げさっきまで壁に立てかけていた剣の手入れなど始め、結局消去法でベトが話の口火を切ることになった。
「……えーと、だいじょぶか?」
アレは無言で、頷く。
それにベトは苦笑いを浮かべ、
「で、と……俺たちのアジトに向かってんだけど、エルシナって街知ってるか?」
ぶんぶん、とアレは首を振る。
ベトは頬を引き攣らせる。
なんだこれ?
ぜんっぜん会話が成立してねぇ。
だが黙るともっと空気がこもるから、とりあえず話し続けることをベトは選択。
「……俺たちのアジトがある街で、まぁなんもね―街さ。だけどみんな仕事がなくて傭兵ばっかでね。まー、気兼ねはねーし、マナーとかも気にしなくていーから楽は楽だし、やっぱ長年住んでると愛着もわくっていうかさ。わかる? こーゆー気持ち」
「……ようへい?」
反応した。
それにベトも、即反応する。
チャンスは逃さず、女性との会話は相手の興味をいかに引くか!
「そう、傭兵。てかお嬢さんは、傭兵って知らないのか? 金もらって、敵を殺すお仕事なんだけどな」
ほんのり自慢げな雰囲気を漂わせるのがコツだ。
女はいつだって、ないモノに憧れる。
理解できない者をスゴイと思ってやがる。
だから貴族様だとか土地を持ってる奴の所に嫁ぎやがる。
バカな生き物だ、そんなもんめんどくさくって息苦しくって疲れるだけだってのに。
「……てきを、ころす?」
「そう、殺すんだ。剣で、ぶすーってな。刺して、切って、首を飛ばす。それで国のみんなが平和に暮らしてく。俺は国の誇りと民のためにそうやって戦って、生きてきてるってわけ」
こういって、感心しなかった女はいなかった。
誇りだとか平和だとか、そういう曖昧な言葉は女は大好きだ。
だから思う存分吐いてやる。
思う存分、夢を見させてやる。
だからその代わり、俺に抱かれてくれ。
「剣で、刺す」
そこでベトは、気づいた。
反応、していない。
いやその言い方だと語弊があるか。
アレは今までの女のように、自分の言葉を聞き、そして驚いたりまったくしていなかった。
それどころか、感想も、先を促すようなことも、そして自分の話を切り出すような真似すらしていない。
ただ、こちらの言葉を繰り返している。
まるで生まれたての、赤子のように。
「――アレ=クロアって、言ったっけ?」
こくり、とアレは頷いた。
その視線、変わらない表情からは何も読みとれない。
なにも読みとれない。
それはわかりやすいバカな生き物と認識していたベトにとって、初めて味わう体験だった。
初遭遇以来の、興味が湧いた。
「……そういえば最初会った時足怪我してたけど、なんかあったのか?」
長い沈黙があった。
「…………」
今度は今までのスルーしているのとは、わけが違うようだった。
じっとこちらを見つめるその視線から撒き散らされる明らかに考えている気配はほとんど暴力的に周りが話しかけるのを抑えつけ、そして注目を強要した。
1分経った。
そんなに経った後だから、最初アレが話し始めた時ベトはまるで時が針のように動き始めたように錯覚した。
カチリ、と。
「わたしは……生まれた時から、外の世界を知りません」
運命の針が、動きだしたような。
「外の世界……って?」
ある意味聞いたのが、間違いだった。