Ⅱ/神に命を捧げた者
アレは日々を、快活に過ごしているようだった。
毎日毎日、掃除洗濯料理のお手伝いに子供のお世話やご老人の介護まで、嬉々としてこなしているという。
付きっきりで一緒にいるわけではないからほぼ話に聞いた情報だが、実際見かける際は左手で杖をつきつも空いた右手やアゴや口まで使って箒ちりとり洗濯カゴにバケツやおたまやらを全身で抱え、満面の笑みでこの広い大聖堂を所狭しと必死に駆け回――というか、引きずっていた。
慌てるのは当然、シスターたちだった。
「あ、アレ=クロアさん! そういった身の回りのことは自分どもでしますから、その、足もそういう状態ですし……お部屋でゆっくりなさっていてくださいっ!」
「いえそんな、お気になさらずになんでも仰ってくださいっ。わたし、足は生まれてからずっとこうですし、最近では杖の使い方もずいぶん慣れてきましたし――それにわたし、楽しいんです! お掃除したり、お洗濯させていただいたり、お料理のお手伝いさせていただくのが! わたし、こういうお仕事がこんなに楽しいだなんて知らなくて……だからなんでも仰ってください! なんでもお手伝いさせてください! わたし、わたし、本っ当に嬉しいんですっ!!」
さすがだ。
名だたる王都でかしづく聖堂のシスターに僧までが焦りまくっていた。
オレが手玉に取られるわけだぜ、とベトは内心ほくそ笑む。
そんなアレをベトは気づかれないように、そして当人としては無意識のうちに、内心微笑ましく見守っていた。
アレは、そっちの方が似合っている。
革命だとか剣だとか血だとか。
そういう物騒なもんは、そもそも別世界の話だった。
そんなもんは、自分みたいに他に何も無いやつがやればいい。
あの子は器量も愛嬌も人に好かれる素養も持ち合わせているのだから。
しかしアレは――
「え……いっ、やあ! と、ーっ……やっ!」
剣の修行もまた、怠ることなく続けていた。
皆が様々な業務にひと息をつき、誰もいなくなった庭の隅で株の上に腰掛け、ベトが初めて会った時に渡したエストックを必死の形相で振り下ろす。
それをベトは、木陰から腕を組んで見守っていた。
それは徐々に、様になりつつあった。
最初はたっぷり十五秒も掛かっていたのが、今では4秒で振り上げ、5秒目で振り下ろし、キープするのに2秒掛け、そして再び5秒で振り上げ――と進化を遂げていた。
もう、それはリハビリには見えないモノだった。
きちんとした――は言い過ぎとしても、修行の部類に含まれると言ってもそう間違いでもないモノだった。
それにベトは、感心していた。
だが――と微かに眉もひそめていた。
それは、先の無いものでもあった。
いくらソレ"らしく"なりつつあるといっても、たっぷり5秒も掛かるようでは約束稽古でさえ役立つものでもない。
そしていくらその速度が上達しようとも、座りながらでは腰も入らず体重も乗らない。
結果として実戦には投入のしようもない。
先は無い。
そしてたぶん、意味なんかも無い。
「…………」
しかしベトがその事実を、アレに伝えることはない。
アレは続けるだろう。
誰がなんと言おうとも。
そこに先が、意味が見出すことが出来なくとも。きっと続けるだろう。
出来る出来ない、ではない。
ただ、やる。
すべては、そう――ただただ、事を成すためだけに。
「…………」
そこにベトは、一抹心の痛みのようなものを感じていた。
あまりに、不器用過ぎる。
不憫過ぎる。
哀れ、過ぎる。
その生き方は、もはや通常の人間のそれではない。
神に命を捧げた者。
それを、神に選ばれし者だというのは簡単だった。
天使だ、聖女だと奉るのは、しかしそれは教会のやり方だった。
正直自分は、好きではない。
持ち上げているようで、それはただの責任転嫁にしか過ぎなかった。
貴女はスゴイ。
素晴らしい。
他の誰にもない力を持っている。
だからその力は、貴女だけのものではない。
その力は、神に捧げられるべきモノだ。
反吐が出る。
「…………」
だがそれでも、彼女はそれを行うだろう。
彼らも含め、事実として神の使いであると自分を信じているから。
自分の命が、神に捧げられていると信じているから。
その生き方に、僅かな疑問をすら抱いてはいないから。
自分が幸せにという、そんな概念すら持ってはいないのだから。
「…………」
拳を握りしめることすら、もうベトはしなかった。
諦め、とは少し違う感情。
アレという存在そのものが、ソレそのものだ。
だからソレを否定することは、つまりはアレを否定することに他ならなかった。
だからベトはもうそれを否定することも、そして変えようとする努力もやめた。
だが。
だがそれでも。
唇を、浅く噛み締める。
ただ想うのは――こんな時代にさえ、生まれなければ。
その不条理に、納得できることは無かった。
夜は再び食事を共にし、そしてお祈りの時間と相成った。
意外なことにオレアン神父やシスタープライヤ含め、神職につくみなのほとんどが食事中に私語をほとんど話さなかった。
早めの日中に行うディナー中も、晩に行うサパーの際も。
あの呑兵衛のオレアン神父も酒を出さないし、シスタープライヤの食事マナーも完璧だった。
その辺りには、ベトは敬服すべき所も無くもなかった。
食事前のお祈りも本格的で、その実りをきちんと神に感謝しているのだろう。
ただただ感動的に食事の感想を話すアレと、それに生返事をする自分の言葉だけが広い食堂に響いた。
ソレに時折二人は生温かい笑みを浮かべていた。
気色悪い。
祈りの時間は、長かった。
いや実際は標準のものなのかもしれないが、なにしろそもそもベトにはお祈りなどという奇特な――失礼、習慣がなかった。
それゆえこんな風に長々とした口上を聞き、そして黙って手を合わせて目を瞑るなど、まー人生の無駄にしか思えず、退屈でそれでまー、そんな感じだった。
そののちは、各々自由な行動を過ごす時間に入った。
まーベトに関していえば食事の時間以外は好きなように過ごしているから特に変わりがあるわけでもなかったが。
その時間帯が、みなが交流を持てる最も有効な機会だった。
「――ところで、」
談話室にて。
オレアン神父がゆったりと杯を傾けなにか"琥珀色"の液体を口元に流し込みながら、語りかけてきた。
この場にいるのは、四人。
オレアン神父と、ベトと、シスタープライヤと、アレだった。
ローザガルド唯一の聖堂であるこのセント・アリア大聖堂の談話室は、しかし意外と質素な造りだった。
据えられた暖炉を囲むようにいくつかのソファーや肘掛け椅子、それにテーブルがふたつほど備え付けられている。
そこで各々本を読んだり飲み物を楽しんだりと自由に過ごしていた。
他の僧やシスターたちは自室に戻ったり、残った仕事を片づけたりしていた。
この四人は、結局なにかしらの交流を求めてこの場所に集まっていたようだった。
オレアンの投げかけに、三人は顔を上げたり身体ごと向き直ったりもしくは続けていた剣の手入れを止めなかったりと、それにぞれにらしい反応を見せていた。
「この、セント・アリア大聖堂の生活は、どうかね?」
最初に反応したのは、やはり身体ごと向き直ったアレだった。
「はいっ、最高です! 特にチーズが……チーズがあ、あ、あ……あれあれは、マズいです! ヤバいですっ! なにがヤバいって、それはあのめくるめく芳醇な香りと濃厚を極めしコクと――」
「はい、落ち着けー」
「うぷっ」
その口に掌を押し付け大胆に止めたのは、当然ベトだった。
すっかりツッコミ役かつ世話役というか母親のような立ち位置になっている現状にベトは今は亡き左手で頭を抱えたくなった。
おーまいがっど、世の中は不条理だ。
そして続いてなぜかシスタープライヤが、
「楽しいですっ」
「どの辺が?」
なぜかツッコまず、オレアンはその真意を尋ねた。
他人まで面倒見られるか、とベトはアレを解放し、あえて剣の手入れを続けた。
「はいっ、毎日が素晴らしいです。毎日美味しい食事を作って、美味しい食事を頂いて、美味しく食べて頂いて、毎日この広ーい聖堂の隅々までお掃除させていただいて、ピカピカになってみんなに喜んで頂いて、私もとっても嬉しくて、そして神にお祈りして、日々の恵みに感謝して、あーなんて素敵で素晴らしい毎日、感動ですっ!!」
「わたしも感動しましたっ、プライヤさん、本当に素敵ですっ、素晴らしいですっ!!」
「アレさんっ、わかっていただけましたか!」
「はい、感動しましたっ!!」
「アレさんっ!!」
「プライヤさんっ!!」
抱き合うふたり。
絶対にツッコまねえぞと心に決めて、ベトは意地で剣の手入れを続けた。
無心だ無心だ、と心に言い聞かせて同じ箇所を何度も磨き続けたり。
なんでもいいが足で挟んで片手で色々やるのもちょっとは慣れてきたもんだ。
「そうか」
なんであんたから振っておいてツッコまねえんだよというツッコミを思わずしそうになったが、ギリギリ留まる。
危なかったが、別の想いもあるにはあった。
今の質問の、真意はなんだ?
「それは良かった。特にアレさんは、初めての土地だし食べ物も違うだろうから馴染めているのか気がかりだったからね。なによりだ」
「はいっ、ありがとうございます」
そしてオレアンは最初から持っていた杯をもう一度傾け、もう片手に持つ本からは目を離さないまま、呟いた。
「――それでベト、お前はどうだ?」
「ああ、楽しませてもらってますよ」
ベトもあえて剣の手入れを止めることはなかった。
声色が、空気が、少しづつ伝えていた。
「そうか、なにか不都合はないか?」
「無いっスね。飯は美味いし、フカフカのベッドで眠れるし、風呂にも入りたい放題だし。も最高っスね」
「最後のは、ウソだろ?」
「先生には通じないっスね」
ひとしきり、笑い合う。
それにアレも、プライヤも口を挟むことも声を立てて笑うこともしない。
ただ、微笑み見守っている。
それが心地いいような、だがどちらかというと居心地の悪さを感じていた。




