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聖女アレ・クロア  作者: ひろい
聖女 -saint-
41/132

Ⅵ/魔女の定義

「…………」


 それにベトは、感心したような視線を向けていた。


 欲情しているような様子はまったくなかった。

 ただ一度だけ、ヒューと口笛を吹いた。


 アレはなにひとつ身に着けていないその姿で、その左胸に、手を当てた。

 そこには薄い、一本の刃跡が。


 そして次に、その中央に。

 そこには太い、円形の槍痕が。


 ついで告げるなら、右肩には痛々しい割創かっそうがあった。


 ベトは喉を、鳴らした。


「――ひとつ、訊き忘れてたな」


 アレはその反応にも言葉にもなにも反応することなく、自らの傷跡を愛でるように、ただなぞっていた。


「そういえばあんた、槍に胸を貫かれたっていうのに……なんで、生きてられてるんだ?」


 アレの心は、その時に飛んでいた。


 ひとはあまりに強くショックを受けた場合、その時の記憶を奥底に封じてしまうという。

 それは本能的な自己防衛システムだった。


 あまりに強いそれを二度と喚起せぬよう、心身を守るために。

 それを呼び覚ますには、同レベルのショックを自身に与えればよいという。


 アレはそのふたつの傷跡を撫でることで――自身の最も弱い部分を刺激することで、それに近い体験を得た。


 あの時アレは、神に出逢ったと考えていた。


 それはあの時の体験が、自身の許容範囲を越えていたが故とも言えた。

 その感覚が、光に満ちているような、完全な充足感というか、超越感というか……とアレは体感していた。


 それがなぜか正確無比に、まるで目の前に再生リプレイされるように、思い起こされる。

 あの時アレは――


 自身の胸が、刺し貫かれた瞬間。

 自身の世界が、侵されたその時。


 命を捧げてでも、と誓約したその、瞬間。


 自身の細胞ひとつひとつが、わなないで――そこに、無数の幾何学模様のようなものが浮かび上がり、それが光り、疾走はしり、全身を覆い、それが身体と、同化した。


 気づけば裂かれた肉も、砕かれた骨も、貫かれた臓も、すべては元通りに、戻っていた。


 そしてわたしは――わたシは――ワタしハ――目の前の男の"息の根を止め"、横から跳び込んできたどこぞとも知れぬ輩に身を攫われ、後はずっと流れに身を任せていた。


 そして正気に戻った"アレ"が祖母の墓を作った所から、その後の物語は続く。


 全身を、ナニカが覆っていた。

 そして、それが自身と同化していた。


 そのナニカが、自身の傷を癒していた。

 自身を治していた。


 自身を――


 なんだ、それは?


 そんな話、見たことも聞いたことも無い。

 自身の心臓を破壊したそれを、癒し、治す術など。


 そしてわたしは、既にひとり、ヒトを、殺し――


「おい、あんた?」


 気づけばベトが。


 ベッドに横になったまま首をこちらに回し、自分の顔を覗き込んでいた。


「……なんですか?」


 アレは力なく、尋ねた。


「いやあんた、様子おかしいし」


「わたしが、ですか……?」


「なんか思い出したか?」


「思い出しました……わたしが、ひとり、あやめていたのを」


「っへぇ」


 感心した声も、アレには届かない。

 そのままアレは泥沼のような自身の心に沈み込んでいき――


「それに、正体不明のナニカに取り憑かれてるし、傷は勝手に治るし、もうわたし、人間じゃ……」


「すげぇな」


 感心したような声。


 二度目のそれに、さすがにアレは顔を上げた。

 意味が、わからなかった。


「……なにが、すげぇんですか?」


「いや感心したよ。たいしたもんだよな。なんだあんた、もうとっくに処女じゃなくて、ンでホンもんの魔女さんだったンか」


 呆気にとられる、その2だった。

 身に覚えがないにも、程がありすぎた。


「あの……わたしは、その……処女、ですし……魔女? ……さんとかでは、ないですよ?」


「あーわりぃ、言い方間違ったわ。処女っつのは、いわゆる殺しを経験したことがないやつのことで、ンで魔女? っつのは、いわゆるあんたみたいなひとを言うンだろ?」


 ベトは純心無垢な顔で、素っ裸で一切の局部を隠すつもりも無い僅か十四歳の少女を指さした。


 いつもとまったく、立ち位置が逆転していた。


「え……いや、あの……というか魔女って、」


「なんなんだ?」


 質問者が、入れ換わっていた。


 アレは困惑する。

 そんなこと、訊かれても困るという話だった。


「……わかりません」


「だろうなァ、オレが知らねぇくらいだし、あんたが知ってるわけねぇよな」


 一言に切って捨てられる。

 それにアレは困惑。


「え? あ? あの、その……?」


「なァ、アレさ」


 突然。


 ベトは前触れなく、アレのその名を呼んだ。

 それはアレが刺された時以来の、"あんた"以外の呼称だった。


 それにアレは、今目が覚めたようにハッとする。

 そこへベトは、優しげな視線を作る。


「オレ、人間じゃねぇンだよ」


 その独白に、アレは真意を掴みきれない。


「……ベト?」


「せんせいに、聞いたんだよ。なんか、ひとを殺せるってのが、既にひとじゃないらしい。そういう意味では童貞じゃなくなったオレはもう人間じゃねぇし、既にあんたも人間じゃねぇらしい」


「……そう、なんですか?」


「ま、せんせいの話によると、だけどな」


 そこでベトはニカッ、と笑った。

 快活に、愉しげに。


 それは様々なジレンマやしがらみや原罪から解き放たれた、初めての純粋なソレだった。


 それにアレは、


「へ、へぇ……」


「あとあんたは、間違いなく魔女さ」


 穢れ、腐れ切り単なる処刑手段と化した魔女裁判によってさえすら断定されなかった魔女という烙印を、味方の筈のベトが、押した。


 アレは目を、パチクリさせる。


「わたしは――魔女、ですか?」


「せんせいによればな」


 ウィンクをしてみせるベト。


 そして今度は視線を上に――宙空に向けて、


「魔女の定義って奴が決まってるらしくてな。まずひとつめが、本人が知り得ない情報を持っているとか。と、本人が成しえないことを行えるか、の二点らしいんだけどな」


「え? えっと、まず、そのひとが知らないことを、知ってて……あと、そのひとが出来ないこと、を……?」


「合ってんだろ?」


「……わたしが知らないことは、知らないんじゃ?」


「そりゃそうだな」


 快活に、ベトは再度笑った。

 それにアレも、なんだかよさげな気持ちになってきた。


 そんな楽しそうな笑い方をされると、自分の悩みだなんてちっぽけなものに思えてくる。


「そう、ですね。そりゃそうですよね、えへへ」


「あぁ、そうだな。まぁ……」


 そして横たわったままその右手を伸ばし――墜ちている薄汚れたローブを掴み、アレに差し出す。

 それをアレは笑顔で受け取り、


「えへへ……ありがとうございます、ベト」


「目に毒だ」


 唐突な表現に、アレは目を点にする。

 と、思い出したように慌てて片手でローブを頭から被り、羽織り、


「あ……そ、その、すいません、わたし、その、はしたなくて……」


「じゅー年後に出直して、っと。まぁオレが聞きたいのは、あんたのその、謎の方だな」


 改めて、胸の二箇所の痕を、指さす。


「あんたが、何者なのか」


「はい、わたしが何者なのか」


「あんた自身も、わかってないんだろ?」


「はい、わかっていません」


「知りたいか?」


「世界を変えたいです」


 一瞬呆気にとられるベト。


「あ……まぁな、あんたはそう言うわな。ンじゃ言い方を変えようか」


「はい」


「世界を変えつつ、あんた自身の謎も知りたいとは――」


「思います」


 今度こそアレは、ベトの意図通り正確に、答えた。


 意思を、確認した。

 そして自分も、それを知り――たいというのは事実だが、それよりも。


 アレの。

 アレの望みを、アレ自身が望んでいることを。


 もしあるとするなら、叶えてやりたいと。


 この、自身が既に死に絶え、代わりに得たすべてを捧げて世界を変えると誓った少女の、為に。


 ――ん?


「あれ?」


「はい、なんですか?」


「いや、あんたの名を呼んだわけじゃなく……いやまったく、オレらしくねぇなぁ、と」


 思ったがもう、そういえばアレに出逢ってからこっち、オレらしくないの乱れ撃ちだったから、もはや栓無きことだった。


 思えば救世だとかのたまってここまで出てきて、一歩も動けない所にまでズタボロになって、片腕まで失くして、ああ、まったく。


 ――もうオレは、実はそんな人間じゃなかったのか?


 そんな風にしか考えられないくらい、その自分の変わりようというか、意外性は、もう確実なものだった。


 だとするなら、そんな風に生きてみるか?

 そんな風に、ベトが心変わりするくらいに。


「なぁ、アレ」


 視線は天井に向けたまま、


「なんですか、ベト?」


 アレはもうすっかり、元通りのアレだった。


 それにベトはすっかり、いつもの調子で、問いかけることが出来た。


「あんた、オレと、行くか?」


「どこまでも」


 本当にまったく、ほんの僅かな逡巡すらないとは。


 本当にまったく、頭が下がるし。

 本当にまったく、光栄だねと。


 まぁだがもちろん、これから先のことを考えると、頭が痛くなりそうだったが――


「ベト」

「……なんだい?」


 残った右手で頭をかくベトの手を両手で取り、アレはまたキスするんじゃないか? なんてベトが勘違いするくらいその顔を無防備に寄せて、


「ほんっとうにほんっとうに! ありがとうございますっ! わたし、ベトに会えて、ほんっとうにほんっとうに、幸せでしたっ!!」


 この無垢な笑みをこれからも見ていけるというなら、まぁそこそこやりがいもあるかと感じたりもした。

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