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聖女アレ・クロア  作者: ひろい
聖女 -saint-
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Ⅴ/覚えのない事象

 そして二人の現在進行形で話題の中心となっている、ベトだった。


 未だにアレに、キスされていた。


「――――」


 キスかよ、と思おうとしていた。


 しかし思えなかった。

 そんなことよりも頭の中は、混乱と快感でいっぱいだったのだから。


 うまい、と思いそうになった。

 しかし思わなかった。


 そのキスは、いわゆる唇と唇を重ねるだけのお子ちゃまキスだったから。

 しかしそう勘違いするくらいには、その唇は柔らかく、温かく、甘いものだった。


 そして必然的な疑問符が、いくつも浮かんだ。

 いつも丸っきり子供で、とても十四歳にすら見えない世間知らずさだというのに?


 なぜここでキスを?


 そういうのを全く疎いと思って、連れてきた最初の朝は手を出さないでいたというのに?


「…………」


 アレは唇を、離そうとはしなかった。

 杖を支える右手の代わりに、左手でこちらのアゴを支えて。


 永い、と感じた。

 こんな軽いキス、少しつけてそれで終わりの類のものの筈だった。


 それが既に十秒ニ十秒は経っているのではないだろうか?

 それに、終わる気配がまったくない。


 なんだ?

 このキスの狙い――


 決まっていた。


「……ぷなァ、あんた」


 唇を塞がれながら喋るのは、なかなか根気が要る作業だった。


 それにようやくアレは、唇を離してくれた。


 唇を当ててただけなので、糸が引いたりはしなかった。

 ただ唇が、やたら艶々はしていたが。


 そしてあの悩ましい感触は、未だ残ってはいたが。

 今はそれより別のことなのがまた、悩ましかった。


「な……なん、で、しょう、か?」


 呂律が回らず、かつ顔を真っ赤に染めていた。


 その顔に、問いかける。


「――意味は、わかってんのか?」


 アレは現状回復に手いっぱいのようだった。

 目をパチクリさせ、息を荒げている。


 それに唇に、手を当てよう――というか明らかに拭おうとしているようなのだが、それを躊躇っているような動きだった。


 それにベトは、頭をかいた。

 いや実際には、かこうとした。

 だがそれは叶うことはなかった。


 既に自身の左手は、消失していたのだから。


「――っと、そうか。そうだったな、じゃあ右手で……」


「っ!!」


 と考えていると、再び唇がぶつかってきた。

 今度は快感よりも、痛みが勝った。


 思わず肩を押し、引き剥がしていた。


「ッ……く、ってぇ!」


「あ、その……ごめんなさい。あの……」


「落ち着けって」


 ベトはアレの頭に、チョップをかました。

 それにアレはくらん、と頭を揺らす。


「った! ……ったいたい、う~……ベトぉ、なんでいきなり、なにするんですか?」


「久々だな、その台詞。まったく、既に懐かしいよな」


 笑って、ベトはベットに倒れ込んだ。

 右手だけで頭を抱えて。


「……見てきたのか? 窓から」


「……それは、」


「どういう光景だった? それは」


 どれくらいの間隔だったのか。

 10秒か20秒か、もしくは1分くらいは経ったのか。


 彼女がその時のことを思い起こそうとするのに、それはそれだけの時間が――想いが、必要だったのか。


 その胸に去来したのは、なんだったのか。

 ベトはそれが、気にならないでもなかった。


「……ふたりのひとが、歩いてたんです」


 声の柔らかさに、正直ベトは肝を抜かれていた。


「ほう……ひと、ね」


「はい。男のひとと、女のひとでした。そのふたりが、道を歩いていたんです。男のひとの腕に、女のひとが縋りつくような形で。ふたりとも、とても幸せそうでした。幸せそうに、笑ってました。わたし、そんな幸せそうな光景って見たことなかったから、とてもよく覚えてるんです。そして女のひとが、男のひとの唇に唇を重ねて……それで男のひと、とても楽しそうに笑って――」


「バイタ」


 たった一言。

 それでアレの言葉は、止められた。


「……それって?」


「ンか、懐かしいな。もうよ?」


 ベトは、瞼を閉じる。

 あの日の光景が、瞼の裏に蘇るようだった。


 あぁ、あの日は。

 そういやこの娘、死にかけてたっけな。


「……あんたはあの日のこと、覚えてンのか?」


 アレは、惚けていた。

 よく意味が、わかっていないように。


「……あの日、ですか?」


「ああ、あの日だ。いわゆる、つまりはあんたが刺された、あの日だな」


 アレはドックン、とまるで心臓が大きく脈打ったような動きを見せた。


 それにベトは、眉をひそめる。

 なんだこの反応は?


 まるであの時のことを――


「まさか、あんた……覚えてないの、か?」


「――なにを、ですか?」


 どうも会話が、噛み合っていない気がする。

 それはどこか、久しぶりな感覚だった。


 最近のアレとは、予想の斜め上はいかれることはあるが、しかし会話としては成立していた。

 最初の――そう、最初のわけがわからんなんだかわからない類のソレと話している感覚は、しかし随分味わっていなかった気がしていた。


 なんだか懐かしくて、そして妙に嬉しかった。

 この、ヒリヒリする緊張感が。


「なあ、あんたさ……」


「なんですか? ベト」


「あんたはさ、どっから覚えてンだ? この、どうしようもないドンチャン騒ぎの始まりをさ――」


「おばあさんが、刺されました」


 ああ、そういや言ってたな。

 そしてそういえば、その先は聞いていなかった気がする。


 我ながら、凡ミスだな。


「ああ、そう聞いたな。そして、そういやそのあとは聞いてなかったな。それで、そのあとあんたはどう――」


「わたしは――」


 アレは初めて、ベトの言葉を遮った。

 それにベトは、目を白黒させる。


「な、なんて……?」


「わたしは、ベトに助けていただいたのでは、なかったのですか?」


 それにベトの目は、丸くなる。


 それは"覚えのない"事象だったから。


 果たして本当のことを言うべきか否か、悩むところだった。

 真実は時として、残酷に働くことがある。


「……あー、助けたな。うん、助けた。だからオレは見返りとして、あんたの処女を頂こうとしたわけだしな、うん」


「ベト……」


 心も籠もっていない言葉で騙されるような相手でないことは、それこそ百も承知だった。

 それどころかどれほど取り繕おうとも視抜かれてしまう相手であることは、もはや重々承知だった。


 だからあえて、の判断だったのだが。

 まぁ所詮、通用するような相手でもなかったか。


「……真実を知って、どうするよ?」


 つっても所詮教えられることに大した意外性もありよう筈も無さそうなのだが。

 それが受け手に同様の効果をもたらすとは限らないのが、残念至極だった。


「知らない理由が、あるのですか?」


 それを無垢に問いかけるのが、らしいといえばその通りだった。


 南無三。

 なるようになれ。


「オレが知ってんのは、あんたが刺され――そうになった時、その剣があんたの身体を擦り抜けて、そこで間一髪オレの仲間が身を呈してあんたを奪還、救い出してその後に至る、という感じだな」


 アレの反応は、予想外のものだった。




 ベトの話の違和感には、すぐに気づいた。

 なんでもない話だろう筈なのに、それを隠そうとしている。


 なぜなのかはわからなかった。

 それが自分の謎を解く、鍵な気がして。


 そしてその、言葉。


 "あんたの身体を擦り抜けて"。


 有り得ない。

 その言葉が、脳裏に浮かんだ。


 自分があの硬くて、尖っていて、それで自分の肉と骨と臓を切り裂き、侵して、あの何物にも耐え難い代え難い苦痛を刻んだあの感覚が――


「血は?」


 考えを越えて、問いが口から零れていた。

 ベトは意外そうな顔をしていた。


「は? 血、って……」


「血は、出てなかったのですか?」


「いや擦り抜けたンだから、そりゃまぁ出ちゃいねぇ――」


「本当に?」


 アレは無意識に、ベトに詰め寄っていた。

 それにベトは目をパチクリさせ、


「あ? いや、まあ、だってあんた実際生きてンじゃねぇかよ? 刺されて、血が出てたンなら、こうして話して――」


 そこでベトも、気づいたようだった。

 その論理にある、矛盾に。


「あんた……まさか、その時も」


 それにアレは、自身の服に手をかけていた。

 そして無造作に、その質素な衣服を剥いでいく。


 その様子をベトは、無感情は瞳で見つめていた。その作業は簡単過ぎるものだった。

 たった一枚の、薄汚れたローブしか纏っていなかったのだから。


 それがハラリ、と床に墜ちる。


 アレはその下に、なにも身につけてはいなかった。

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