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聖女アレ・クロア  作者: ひろい
剣 -brade-
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Ⅱ/売女と獅子

「…………え。わっ」


 ほとんど条件反射のようにアレはそれを受け取り、声をあげる。


 とたんその重みで、剣先は地面に突き刺さる。

 その様子を面白そうに男は見つめ、


「女だてらに獅子の心を持った奴、初めて見たわ。おもしれぇな、あんた」


「これ……え? え? なに?」


「やるよ。牙はあっても爪がなきゃ、戦えないぜ?」


 わけがわからず剣と男を交互に見やるアレに、男は試すように声をかける。


 それにアレは剣をゆっくりと持ち上げようとするが、


「こ、こんな、の……振れ、ない、けど……っ」


「けど、ないよりいい」


「う……う、わっ」


 さらに押し付けるように、鞘も渡される。


 その二つの重量合計1.7キロを持て余し、アレは後ろにひっくり返る。

 その様子に男はケラケラと笑い、


「かかか……で、あんたバイタじゃねぇだろ?」


「?」


 初めて聞く単語に、アレは剣をとりあえず鞘に収めて横にのけ、疑問符を浮かべる。


 男はボサボサの髪をかき上げ、


「売りやってる女のことさ、売女バイタ


「??」


 これだけ言ってもわからないアレを男は覗き込み、


「娼婦じゃ、ねぇだろ?」


「かっ」


 アレは唐突なその言葉に、むせかえる。

 意味だけは知っていたが、とんでもない言葉過ぎて空気が肺から喉を通って漏れ出ていた。


「あ、当たりっ、前」


「かっかっか、そう怒んなよ」


 男は、楽しんでいた。

 この無知で無垢な少女とのやり取りを。


 そして一通り笑った後、


「で、この村の人間でもない」


 唐突な断定文に、アレはドキリとする。


「……なんで」


「見りゃわかるよ。服装、立ち振舞い、視線に、気品……あんたいい女だ」


 ぐい、と二の腕を引き、再びアレを立ち上がらせる。

 それにアレは目をむき、怯える。


「ぃ? あ、の……?」


「心配すんなって。今すぐ無理やりなんて気、もうねーよ」


 男はすぐに手を離し、そして改めて同じ目線でアレを見る。

 アレは微かにそれに、気圧される。


「あんたの、名前は?」


「――アレ=クロア」


 今度は男の方が微かに、気圧される。

 予想していなかったほど、それは高貴な名前だった。


「……っへぇ、イカすぅ。で、あんたなにやってんの?」


「――なにって?」


「なにって、そりゃあ……」


 そこでガクッ、とアレはくずおれた。


 跪き、そして痛みに呻く。

 それに一瞬男は呆気に取られ、


「と、これは失礼。レディに立ち話をさせただなんて、紳士として礼に失して――」


「…………」


 恭しく一礼する男を、ただアレは感情のない透き通った瞳で見上げるだけだった。

 それに男も軽口を止め、


「……どうしたん?」


 ただ、一言。


「……わたし、普通に歩けない」


 男はそれに、言葉を失った。

 それは男が想像もしていなかった言葉だった。


 だがしばらくして、言葉の違和感を感じとった。


「……"普通"に?」


「こうすれば、歩ける」


 言ってアレは近くに転がる杖を手にとって、全身の力を振り絞り、それを頼りに、立ち上がった。


 息を切らし、挑むように。

 その腰には、先ほど与えた剣を差して。


「ハーッ、ハーッ、ハーッ、ハーッ……!」


「…………」


 その鋭い視線に、男は圧倒される。


 こんな女を、男は見たことがなかった。

 先ほど奇しくも自身が語った獅子という軽口は、図らずも当たっていたことになった。


「――あんた、どうしたい?」


 それは男が、意図せずに発せられた言葉だった。


 この少女には、行くべき場所がある。

 そこに溢れ出る信念がある。


「世界を、変えなければ……!」


 それは折れるような歯ぎしりの元紡がれた、執念のような言葉だった。


「よっ、と」


 それに男はアレの身体をひょい、と抱え上げた。

 首の後ろと、膝の後ろに、手を回して。


 いわゆる、お姫様抱っこ。


 その突然の所業に、アレは目を剥いた。


「なっ、ちょ、か……」


「まーまー落ち着きなよ。あんた、歩けないんだろ? だから俺がこうしてお、ぶっ!?」


 と話の途中で、男は顔面に蹴りをもらった。

 つま先による一撃が、鼻に食い込む。


 アレは男の腕の中で、暴れに暴れた。

 ただでさえ人との接触に免疫がないのに、自分の行く先をどこの誰とも知らない男に握られるのは、耐えられなかった。


 それになにより先の出来ごとによるトラウマで、男性に肌を触れられるのが嫌で嫌で仕方なかった。


 なりふり構わず、蹴りまくる。


「う、ぅー……離せ離せ離してっ!」


「ちょ、ま、って……った!?」


 さらに踵を使った見事なアッパーカットが、男のアゴを打ち抜いた。


 それに男は脳震盪を起こし、仰向けに大の字に倒れ込む。

 さらに上からアレがお尻から、落ちてくる。


 顔の上に。


「おぶっ!?」


「ったい!」


 お尻と地面とのサンドイッチに、男は目を回す。

 アレはそのおかげで軽減された衝撃から先に立ち直り、


「……たいたい、っ、い、行かなきゃ!」


「つ、っづ……って、ちょっと待てって」


 踏み出したアレの右足を、男は掴んだ。

 それでアレは、前のめりに――顔面から、地面に突っ伏す。


「ッたい!」


「あ、わりぃ」


「わるい、じゃ、なひ……! あなたは、いったいなにをしたいんですか!?」


 涙と僅かに鼻血をこぼし、アレは男に詰め寄った。


 意図がわからない。

 意味がわからない。


 危害は加えるつもりがないようだが、いったいなにがしたいのか?


 初めてに近くまっとうに声をかけられ、男はニヤリと笑った。


「へへ……俺か? 俺は、別になにがしたいなんてないさ。ただまぁ、あんたのことを手伝ってやろうかなんてことを考えてるかもしれないってだけのことさ」


 その言葉に、アレの表情が和らぐ。


 というより落ち着いた。

 男はどうしたのかと眉を寄せ、


「……手伝う?」


「おー、そうだな。まぁ一秒後には気が変わってるかもしれないけどな」


「……わたしを?」


「ん? あんたを」


「あなたが」


「あぁ、俺が」


「…………」


「えーと、理由は聞かねぇのか?」


「あ……ありがとぅううううううぅっ」


 泣き出した。


 いきなり、前触れなく、それも壮大に。

 ボロボロと大粒の涙を地面にまで零して落とし、周囲に響き渡るほど大声で喚き散らす。


 それに男は思い切り、面喰らう。


「お、おぅ!? ど、どうしたあんたいきなり!?」


「だ、だって……! おばあちゃん死んじゃったし誰もいないしわたし外に出たことなくてだけど神様と世界を変えるって約束しちゃって……でも不安で怖くてそれで、え、ぇええ……ッ!」


「お、おぉう? そ、そうかそうかそりゃあ大変? だった、なぁ……?」


「んく、ぅえ、おぇ、ぅえええゲホッ、ゴホッ!」


「うわ、大丈夫かよ!? ほ、ほら、水飲みな?」


「おえ、ごえ……! あ、あびばどぅ……」


 腰の水筒を渡され、吐く一歩手前に咽ながらそれを受け取り、喉を鳴らして飲む。

 ごくごくと、何の迷いも躊躇もなく。


 そんなアレの様子を男は不思議な生き物でも見るような心地で見ていた。


「お、おぉ~……」


「んく、ごく、ぅく……あ、ありがどぅうう」


 涙目は、変わらなかった。


 さっきまで凛としてて、さらには睨み、引っかき、ろくに立つことも出来ないのに杖をついてでも旅立とうとしていた娘だとは、到底思えなかった。


 今のこの娘は、年相応――いや以下ぐらいに、弱々しく、脆く、儚く見える。


「……あのさ、」


「な、なんですぅ……ぅぐううぅう!」


 話しかけても、言葉を出すだけで泣き出してしまう。


 おそらくよっぽど張り詰め、思い詰めていたのだろう。

 もはやこの場所でのこれ以上の問答は、不可能に思えた。


「――も、いいや。とりあえず、一緒に行くか。ここにいたんじゃ飢えて、死ぬだけだし」


 そして再び、首のうしろと膝の下に手を回す。


 泣いて、両手で目を塞いでる間の所業。

 アレは泣くのに夢中で、気づかなかった。


 最初ベトは、からかうつもりでお姫様抱っこしようとしていた。だけど今度はお姫様抱っこしてあげたくて、してみた。


「う、うぅ……あなたの、名前は?」


 無意識に近い問いかけに、"傭兵"は応えた。


「……ベト。ベト=ステムビア」


「ベト……ベト、ベト、ベト……っ」


 自分の胸の中で泣きながら自分の名前を繰り返す少女の姿に、ベトは不思議な気持ちに襲われていた。


 だがそれを言葉で表すすべを、ベトはまだ知らなかった。

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