Ⅳ/ばっかみたい
シスタープライヤは、女神像の前にいた。
それを白痴のように、口すら開けて見上げていた。
両指を組み、跪き。
まるで先ほどの、アレのように。
「――――」
シスタープライヤの瞳には、光が宿らない。
それは先天的なものだった。
それを知った両親は、プライヤを教会の前に捨てた。
この時代、無明の子を抱えて生きていけるほど世界は甘くはなかったのも事実ではあったが。
プライヤはオレアンに拾われた時、まったく泣いていなかったという。
ただ瞼を閉じ、モゾモゾしていたという。
それを聞かされたプライヤはただ、そうですかー、と笑うだけだった。
ただ、覚えていなかったから。
教会も、すべての捨て子を養うわけではなかった。
それをしていれば、すべての親が子を教会の前に捨て、使い物に育つ頃に再び回収しに来かねない。
だから申し訳ないが雪に埋もれ真っ白になる子供の数も、バカにはならなかった。
だがプライヤは、拾われた。
その相手は、オレアンだった。
オレアンは拾ってすぐ、その子の光がない事に気がついた。
気がついて、他の者には一切黙っておいた。
他意があったわけではなかった。
ただいえば、迷惑がかかると考えただけだった。
周りの人間にも、この子にも。
プライヤは、大人しい子だった。
泣き喚くことも、なにか話すことも、表情を作ることすら滅多にしなかった。
ずっと窓の外の方を眺めて一日を過ごしているような子供だった。
それを修道院の人間たちは、有り難く思った。
あれやこれやと、世話をしなくて済むと。
三年が経った。
赤子は歩けるようになっていた。
ひとりで物を食べられるようになっていた。
だけど人と話すことだけは、決して出来るようにならなかった。
訝しく思う人間もいたが、基本拾ってきた者の責任と介入してくる者はいなかった。
オレアンは、極力プライヤの傍にいるようにした。
だが、無理に話しかけたりすることはなかった。
ただ、傍にいた。
出来る限り、ひとりにさせないようにした。
それからさらに四年の月日が流れた、ある夜。
プライヤは、姿を消した。
修道院中が、大騒ぎになった。
拾い子とはいえ既に七年もいた子。
それに普段まったく手がかからず、そのうえ実は大変な器量よしで、それらを合わせて深窓の令嬢のような印象をみな抱いていた。
それが突然、本当にまったくなんの前触れもなく消えた。
事の深刻さに、みな必死になって探した。
街にもお触れを出し、空前の大捜索が開始された。
それをしり目に、オレアンは動かなかった。
動かずいつも通りの業務をこなした。
周りは薄情だの冷血だのそれでも拾いの親かだの好き放題言ってくれたが、オレアンは一顧だにしなかった。
そして五日後。
全身ボロ雑巾のようになったプライヤは、帰ってきた。
「どうしたんだ!?」
「なにがあった!?」
「どこにいってたんだ!?」
「なんで何も言わずに消えた!?」
「不満があったのか?」
「悩みがあったのか?」
「どうしてこんなことをしたのか、ゆっくり――」
降り注がれる夥しい詰問の雨から守るように、オレアンが前に出た。
それに狂騒は、止んだ。
みなが、オレアンの言葉を待った。
プライヤは、俯いていた。
「あったか?」
なんのことか、誰もわからなかった。
ただひとりを、除いて。
「……なかったです」
「どうだった?」
「……辛かったです」
「これから、どうする?」
「……私は生きていて、いいのでしょうか?」
息をのむような言葉に、場の空気が静まり返る。
その頃には既にみな薄々とは察していた。
プライヤの瞳に、光が宿っていないことには。
そんな彼らは、結局そんな彼女にかけるべき言葉を持ってはいなかった。
だからオレアンの言葉に、注目していた。
「笑え」
言い放ち、くしゃくしゃになったプライヤの頭を掴み、自身の胸に引き寄せた。
「いつでも笑え。辛くても笑ってろ。哀しくても笑ってろ。泣きたくても笑ってろ。笑いたくなくても笑ってろ。笑う門には福きたるっちゅー異世界の言葉があるとかないとかな。おれの好きな言葉だ」
「……へー」
「泣いてるのか? お前は」
「……泣いてませんよ」
ぷるぷる震えるプライヤを周りはハラハラしながら見ていたが、やがて上げた顔は――
「笑ってます」
プライヤはその日から、泣かなくなった。
もっと正確に言うならば、笑うことしか無くなった。
その日から周囲の評価はガラリと変わった。
深窓の令嬢じみた、もっといえば腫れものを触るような扱いから、キリキリ働く根明シスターへと。
そして、今に至る。
舞い上がるし空気読めないしもっといえば目も見えていないが、だけど周りを明るくするとてもシスターらしくないシスターになったといえた。
だがこの、毎週金曜日。
草木も眠りつき一刻もすれば朝日が昇る、この時間帯。
プライヤはひとり、女神像の前で白紙に戻っていた。
「…………」
考える。
あれから、もう10年。
10年間。
プライヤはオレアンの言葉を信じ、笑って生きてきた。
目が見えないことも、他の全員が見えていることも、自分に他に一切の肉親がいないことも、心の裡をさらけされる人間いないことも、一切を一時保留して、笑って頑張って生きてきた。
だけど週に一度この時間だけ、思う。
果たしてこの生き方は、正しいモノなのかどうか?
「…………」
プライヤは正しい生き方というものがわからない。
教育という教育を、正しくは受けていないから。
いや正確には教会で神の教示やうんたらは承る機会には恵まれたが、しかしそれを頭から信じる機会には恵まれなかったというべきだった。
なにしろその教示が正しいとするのなら。
なぜ自分は、教会の前に捨てられなければならなかったのか。
なぜ自分だけ、光を奪われなければならなかったのか。
到底、理解不能だったから。
「…………」
だからプライヤは、女神像を見上げた。
神に対する問いかけは、続いていた。
だがそれは具体的に言葉で説明出来るものではなかった。
糾弾でも、非難でも、詰問でも、疑問形ですらない。
ただなぜか。それは浮かぶただの疑問符に過ぎなかった。
自分の、生の、存在に対する。
「…………」
そんな歪な祈りを一時間ほど捧げ、プライヤは女神像に背を向けた。
もう振り返ることはなかった。
プライヤにとって神は縋るものではなく、問いかけるものだった。
だが決して、答えが返ってくるものではない。
それはオレアンから、既に教えられているものだった。
ふと。
二人の姿が、脳裏をよぎった。
「……ばっかみたい」
この場合のこの言葉はプライヤにとって、嘲笑の類ではなかった。
ただ純粋に、バカみたいだと思ったのだ。
わーわーいって、文句言って、でも庇い合って、最後にちゅー。
本当にムチャクチャで、バカみたいで。
どうしようもなく幸せそうだな、とプライヤは笑っていた。




